パクス・ジャポニカ Vol.2

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2009/09/16
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カテゴリ: 東海道五十三次
江戸時代には東海道随一の繁栄を誇った小田原ですが、その礎を築いたのは北条氏5代であったと言えるでしょう。

初代伊勢宗瑞(北条早雲)の時代から続いた「四公六民」などの治世により、人と物が小田原に集まって、城下町が発展していきました。
その繁栄の中心にあったのが小田原城ですが、現在となっては北条氏時代の戦国城郭はほとんど姿を消し、江戸時代の大久保氏・稲葉氏の近世城郭が復元されています。


それでも小田原宿を探索してみると、北条氏時代の名残をわずかに見つけることができました。

旧東海道に面した三の丸小学校の脇には、「箱根口」の跡があります。
小田原城箱根口.JPG
石垣は江戸時代になって造られたのだと思いますが、北条時代の小田原城ではここが大手門でした。
三の丸小学校の校庭には土塁の跡が残っており、ここでは北条氏の小田原城をわずかに偲ぶことができます。


東海道の箱根口から、海へ向かって南に延びる道は、「安斎小路」と名付けられています。
1590年の豊臣秀吉の小田原攻めによって小田原城は降伏・開城し、北条氏第4代の北条氏政と弟で 八王子城

2人が切腹した場所が田村安斎の屋敷であり、その田村安斎邸があったことから「安斎小路」と呼ばれています。


東海道からは離れていますが、小田原駅のすぐ東側には、北条氏政と北条氏照の墓所があります。
小田原城北条氏政・氏照墓所.JPG

小田原城北条氏政生害石.JPG
北条氏政が切腹の時に乗ったとされる「生害石」


安斎小路を南へ向かうと、「御幸の浜」の太平洋が広がっています。
小田原宿御幸の浜2.JPG
水平線上には、宿敵である里見氏の房総半島がわずかに浮かんでいます。

小田原攻めの時は九鬼や長宗我部など、音に聞こえた水軍で海上が埋め尽くされていたことでしょう。

西側を向くと、荒波の向こうに真鶴半島と箱根の山々が見えていました。
小田原宿御幸の浜.JPG
小田原宿はこの辺りで終わり、箱根八里が待ち構えています。


旧東海道でも、小田原宿の終わりを告げる「板橋見付」が置かれていました。
小田原宿板橋見付.JPG
江戸から西へ向かう旅人は、どんな気持ちでここを通ったことでしょう。


すでに箱根八里に半歩踏み入れたところですが、北条時代の小田原城「総構」は、ここまで広がっていたようです。



「さっき土塁みたいなものがあったけど、あれがそうなのかな?」などと話していると、通りすがりの人が「あ~、あの土塁がそうですよ」とご丁寧に教えてくれました。
(もしかして城跡マニアなのか?)

小田原城早川口土塁.JPG
小田原城総構の土塁と空堀跡。
最近は戦国時代の城郭を探索していないせいか、これをあっさり見逃してしまいました。
(二重の土塁の間には、ちゃんと空堀の跡がありました。。。)



小田原宿大久寺.JPG
北条氏滅亡後に小田原城主となった大久保忠世の開山で、大久保氏の菩提寺です。

境内には大久保一族の墓所がありました。
小田原宿大久寺大久保一族墓所.JPG
大久保忠世・忠隣の墓所

大久保忠世は大久保忠教(彦左衛門)や大久保忠佐と共に、「大久保兄弟」として徳川家康家臣の中でも武勇を馳せた人です。
しかしながらその子大久保忠隣は、本多正信・正純父子の陰謀(大久保長安事件)によって改易となりました。
(大久保忠隣の孫娘を妻としていた里見義康も改易となり、里見家もここで途絶えています)



関連の記事
東海道~小田原宿(その1)→ こちら
小田原城(その1)→ こちら
小田原城(その2)→ こちら
小田原城「総構」→ こちら
石垣山一夜城→ こちら
早雲寺→ こちら
名胡桃城→ こちら
山中城(その1)→ こちら
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八王子城(その1)→ こちら
八王子城(その2)→ こちら
鉢形城→ こちら
鉢形城北条まつり→ こちら
忍城→ こちら





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最終更新日  2022/03/09 11:08:07 AM
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