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群馬での新しい生活が始まったのに伴って、ブログも新しいサイトに移動しました。http://guate.blog.shinobi.jp/登録、よろしくおねがいします。今後は、田舎での生活などを中心に綴っていこうかと。
Apr 12, 2008
東京の子どもたちの感想文。最終章。季節の言葉がなんとも、すてきな響きで、かわいらしい。パクらせてもらいます。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 梅の花が咲き誇る季節ですね。~中略~ 何種類もの写真を見せていただき、一つ自分で気づいたことがあります。それは子どもたちがみんな笑顔だということです。日本ではあまり笑顔がないと思います。今までお金があってこそ人だという思いがありましたが、本当はお金や物ではない価値が一番大切な物だということを学びました。だから、これからは無駄な物は買わないようにしたいです。二月吉日~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 日が長くなったとはいえ、朝に起きるのが大変です。お元きですか。 私はグアテマラの授業で働くとは、人のためにつくし、楽しむことだと思いました。授業のあとに家で、お手伝いをする時、楽しいと思ってやると自然と楽しくなりました。二月吉日~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 梅の花が美しい今日この頃、お元気ですか。ぼくたちは、毎日元気に過ごしています。~中略~そして、僕たちのように物的に恵まれている人たちはほんの一部だと考えました。しかし、物だけが幸せではない、たくさんの人の優しさにふれて育つことが、真の幸せだとわかりました。 ぼくは、『世界』という大きな見方を持って生きていこうと思いました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 風に春の暖かさがわずかに感じられるようになった今日このごろですが、いかがおすごしでしょうか。私は元気です。~中略~同じ年齢で物が豊かな人より、心が豊かな人の方が世界にとってやさしいことだと思います。だから私は、今生きる一瞬をとても大切にして、恵まれた環境に感謝しながら、一生懸命笑って生きていきたいと思います。貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 梅の花が、少しずつさいてきたこの頃です。お元きですか。~中略~ぼくは今回の授業で様々なことを学びました。~中略~ 現在、ニュースや新聞では、環境問題や戦争のニュースが流れています。しかし、そういった環境問題や戦争もグアテマラの人たちのように、物を大切にしたり家族を大事にする心を持てばなくなるものだと思います。だから、ぼくはこれから今回の授業で学んだことを生かして生活に生かしていきたいと思います。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 暖かい風がふきはじめています。~中略~わたしは、その中でも頭に強く残ったものが自然の大切さです。グアテマラは木を切り、畑をたくさん作って、ハリケーンで土砂くずれがおきたと聞きました。畑を作るためでは仕方ないかもしれないけど、自然と生きていかなければ、私たちに害が出るということがよーくわかりました。そして、その自然を守るために私は自然をいままでいじょうに愛そうと思います。あと、若尾さんは私たちにたくさんのことを教えてくれていたときも笑顔をたやしていませんでした。これもグアテマラで学んだ魔法なのかなと思いました。 本当にとても頭にのこる話をしてくださりありがとうございました。~・ここまで~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・Your Smile makes Other's smile.Love calls Peace.
Apr 5, 2008

仕事で青森に。県の名前を背負ってたつ、その駅を夕飯を食べるために徘徊してみる。青森駅。駅の前を東に一直線に流れる商店街は夜の8時を過ぎていると9割は閉まっている。メインストリートを一歩はずれて歩いていると、おじさん、おばさんが何をするでも無く立っている。視線を感じる。目が合う。「今夜、どう?」駅から5分も離れていないのに、目の前に大きなデパートがあるのに、交番が目の前にあるのに、寂しいネオンが放たれる路地の入り口には、一人ないし二人の熟女が立っていて、話しかけてくるのだ。「こんばんは」から始まり、「お兄さん、青森初めて~?」「遊んでいかない?」「あんた、さっき通ったでしょ?どこ行ってたの?」これが青森の方言で繰り返される訳で、笑みがこぼれてしまい、あちらにとって僕の反応は、まんざらでもないと誤解されかねない。足早に、しかしシャッターは切って、その場を立ち去る。そういった場所が、駅前のここ、かしこにある。50をすぎているだろうおばちゃんが、話しかけてくる。「今日は、だめですか?」ムリ!
Mar 27, 2008

休日、山形から、仙台に電車で行った時、車窓からの景色で、すごく気になった所があり、その次の日、その駅に行ってみた。山形と宮城の県境、奥新川という駅。まだ雪が多く残る渓谷の中の駅は、無人であり、駅前には、一つ食堂があるだけ。張り切って、大きなバッグの中には、山形駅のAEONで買ってきた、おこわ二つと、ごぼうサラダが入っている。これを川沿いで食べようと目論んでいた。さて、到着して帰りの電車を確認すると、約2時間に一本しか電車が無い。11時過ぎについて、次の電車が12:45。その次は、15:30。15:30では、16:00からの山形での会議に間に合わない。ということは、この駅周辺に居ることが出来るのはたったの1時間半。ハイキングには短すぎる時間だ。少し焦って、線路に沿って、山の中を歩き出す。雪解けのその土は、ぐちゃぐちゃしていて歩きづらい所がおおくあり、川に降りていくための山道は春まで閉鎖されている所が多い。僕には目的地が一つあった。車窓から見えていた一つのもの。それは、廃墟。最近、よく気になるスポットは、場末な雰囲気な所なのだが、廃墟は場末同様、すごくそそられる。15分くらい歩いただろうか、その廃墟が目の前に現れた。その廃墟は、期待していた通り、窓は割れ、壁には蔦が這い、鉄は錆びている。ワクワク。小学生の時、同じような廃墟に忍び込んで、かくれんぼしたり、むやみに散らかして遊んでいたあの頃の記憶がよみがえってくる。中に入るドアを一つ見つけて、入ってみると、そこには大きな機械が多く並んでいた。男の子だったら、廃墟の中に、こんな大きな機械が現れたら、楽しくなってしょうがない。夢中になって、シャッターを切った。気がつくと、かなり時間が過ぎていた。もう一つの目的、雪解け水を触りにいかなければいけない。車窓から見えた渓谷は、山々から多くの滝や、小さな流れが、きれいに透き通った渓流に注ぎ込んでいた。やはり小さいときから渓流に連れて行ってもらっていたものとしては、こんなきれいな川を見つけたら、衝動に駆られるのは当たり前。山道から降りて水が触れそうな場所を探しに、少し早めに歩を進める。駅に降りたときに気づいたのだが、雪解けのせいだろうか、すごく土のにおい、いや、葉っぱが腐る良いにおいがあたりに充満している。長い冬の間、雪で隠れていた葉っぱが、水と光を浴びて、分解して、大急ぎで土に還ろうしている。そんな光景を鼻で感じさせてくれている。ふたたび10分くらい歩いた所に、山道があり(閉鎖されていたが)、渓流に降りれる場所があった。雪まじりの急傾斜の道を慎重に、でも焦りながら降りていく。やっとの思いでたどり着いたその雪解け水は、思ったほど冷たくはなかった。しかし、その透明度は予想以上。手と顔を洗って、一息つく。本当は、ここでゆっくりとご飯を食べたかったのだが、ゆっくりしていたら電車に間に合わないかもしれない。泣く泣くその場を後にし、奥新川に戻ることにする。駅に戻ると、電車到着まで30分もあった。電車が到着まで、スーパーで買った弁当を広げる。時間に余裕が無かったハイキングだったけれど、かなり充実な内容で、大満足な1日。帰り道、我慢していた花粉症の症状がだんだんひどくなってきた。考えてみれば、山は杉花粉のメッカ。薬も何も飲まずに来るなんて、自殺行為だった。
Mar 25, 2008

「雪崩発生のため、列車が遅れております」と駅のアナウンスは言い、橋から見る川は、雪解け水が濁流となって激しさを増している。「うららか」とは対照的な、春の訪れの知らせ。何もすることが無い週末、温泉街をふらつくことにする。週末だけれど、人はまばらで、お目当ての公衆浴場はお昼は閉まっている。沢庵坊が数年過ごしたという庵は、趣があるが、近くにコンビニも公衆便所も無かったため、お小水を我慢していて、ゆっくりくつろいでみることが出来なく、早々に立ち去る結果に。ふと立ち寄った食事どころは、少々値ははるけれど、野菜中心で、味もボリュームも満足。弁当とジャンキーな昼食中心だった体に染み入る。町の数カ所にある、足湯で散歩した足にご褒美を。最初によった神社を、後々調べたら、縁結びと商売繁盛のお稲荷様。しまった、とんちんかんなことをお祈りしてしまった。縁結び。。。(濁流)(濁流2)(ヒャッキンよりも心ひかれる品揃え)(沢庵の庵全景)
Mar 19, 2008

自炊できる環境に住みたいと思う今日この頃。 山形2週目終了し、仕事中に出会った食事をご紹介。もつらーめん 山形県民のおじいちゃん一押しの 山形の新庄市で有名らしいラーメン屋さんにつれてってもらった。 中には、老若男女、いや、地元のおじい、おばあが多い(笑) で、この店の一番人気、もつラーメン(大盛り)を頼む。 ☆、ひとつ! モツとラーメンは別々でいいです。 麦きり 山形県民のおじいちゃん一押しの 鶴岡市のおいしいそば屋につれてってもらった。 観光地のこの店には、観光客でいっぱい。 で、この店の看板メニュー、麦きり(大盛り)とやらを頼む。 ☆、ひとつ半です! そばって聞いてたら、うどんだった。 口当たりはつるつるとしてるのだが、 うどん、うどん、うどん、それ以上でもそれ以下でもないのだぁ。 福島の地酒 福島に出張に行ったときに、出してもらったお酒。 ☆5つ!!!! もともと日本酒はあまり飲めないのだけれど、 このお酒ならぐびぐびと飲めてしまう。 ワインのような日本酒で、すごくフルーティ。 三元豚。やはりおじいさま一押し、山形の酒田にある有名な豚の焼き肉屋。☆ふたつ。。。その豚には、良質なトウモロコシと大豆などの穀物を食べさせていると言う。食べてみると、確かに柔らかい。けれど、うん、豚よね。そんなものを人間が食べずに、豚に食べさちゃうから自給率のバランスが崩れるのだ。かなりネガティブな思考を持って食してしまう。(ちなみに、僕と相方はここ最近の高カロリーな食事に辟易し、ビビンバを注文。)おじいちゃんたちは、なぜジャンキーな食事を好むのでしょう。 友達のいない地方で、プライベートでも仕事の相方と、居酒屋に行き、郷土料理が食べたい。野菜が恋しいねぇと言いながら、かなりローカロリーな食事を注文し(納豆豆腐、たらの芽とウドの天ぷら、漬け物、以上)、ちびちびと地酒をあおる週末。
Mar 16, 2008
6年生からの手紙 第2弾あれ?5年生だっけな?~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・あたりまえ私は、「あたりまえ」という言葉の意味をもう一度考え直しました。私たちは、あたりまえに起きて、あたりまえに食事をして、あたりまえに学校にって、あたりまえに遊びます。それができない人や、それができなくて命を落とす人までいるということを、あらためて感じました。私は、今から始められること続けていきたいと思います。まずは、身の回りにあるものが、何から作られているか、リサイクルできるものか、ということを調べてみたいです。世界中の私たちぐらいの子たちが一人でも救えるようにささやかなことを続けて、大きなものにしていきたいと思います。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・私は『幸せだな』と思った。でも、むこうの人(途上国の人々)が不幸だとは思わなかった。笑顔だから。家族がいるから。でも彼らはちょっとしたことで喜ぶ。私たちにとってえんぴつなんてあたりまえ、シャーペンなんてものもある(鉛筆を配布して、喜んだと言う話から)。私たちが彼らにできることはなんだろ。それが今日のことでわかった。今すぐ実行だ!!食べ物を食べられない人がいる、いま。。。。この一分で、一秒で私たちのような大きい夢のある子たちが。。。。たすけたい。そう思った。まだ、偉大なことはできない。少しでいいんだ。同じ世界!こんな変化おかしい!今、私たちが少しずつ世界を変える。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・みんなの作文では、僕の名前が、若木、若生、若毛、などいろいろな名前になっていた。
Mar 14, 2008

山形に来た。駅前、特に何もなし。繁華街、特に何もなし。と、散歩に出てきたものの、何も情報を持っていないため、美術館に立ち寄った後、帰ろうと思い、駅前の最近できたと言う大きなビルを通りかけた時、どこからか、ハーモニカの音色。おった。おもしろそうな人。昼過ぎに「ゆうやけこやけ」を軽快に吹いている。周りには誰もいない。でも、かまわず吹いている。おもしろそうと立ち寄ると、満面の笑みで迎えてくれる。おじいさんの名前は、「へんみひでお」さん。話を聞くと、彼は、2006年に起こった秋田での殺人事件をきっかけに、二度とこんなことが起こってほしくないと思い、子どもたちと親との関係が少しでも良くなってほしい、平和な世の中になってほしいと願い、山形内の道ばた、施設、様々なところを行脚しては、好きな日本の伝統衣装を着て、ハーモニカを吹いては、親子や子どもたちに飴をあげているそう。僕も、もらってしまいました。タッパーに入った”干し柿”とビニールに入った”たんきり飴”(どこの飴?)。(今時な親は、知らない人には、もらってはいけませんと言われそう。しかし、柿おいしかった!)おじいさんと僕ひとり。若者が通りがかっては、ハーモニカを吹き始め、笑顔で声をかけている。(吹いている様子は、こちら)名前を交換し合って、お別れしてきました。今度、どこかに現れる時に電話をくれるそうです(笑)優しい音色の響いたひと時、ありがとうございました。散歩して良かった。(年季の入ったハーモニカと、おじいさんの手)
Mar 9, 2008

一度乗ってみたかったんだ。都電。 乗り方もわからず、でも、SUICAも使える、今時なちんちん電車。 車内に、顔発見。気ままに、三ノ輪橋という行ったことも無い終着駅まで乗ってみる。降りてみれば、予想、当たり。下町な雰囲気。駅にて。 さて、ぼちぼちと、ふらふらと商店街を回ってみると、 見ているだけで、胸焼けを起こしそうなものがあったり、 文房具屋さんのショーウィンドウにはブリキのおもちゃがあったり、 夜に訪れたくなるような路地があって、おじさんはもう仕事が終わったのか早速、赤提灯の垂れるお店に入っていったり、 そんな路地に春を見つけたり、 交差点のど真ん中で野菜を売っていたり、 駄菓子屋さんの中は子どもたちであふれ、お兄さんも混じりたいが勇気が出なかったり、 やけに縁起の良さそうな玄関を見つけたり、 サンタ狸のいる玄関を見つけたり、 うまそうなせんべい屋を見つけたり、 にんにく「味」とも60「円」とも書かれていないそのアバウトさに興味を引かれたり、 せんべいといっしょに買ってしまいたいと思ったり、 またゆっくり来てみたいなと思ったり。。。
Mar 3, 2008
昼間っから、お酒もなしに、部屋の片隅で、一人で、大号泣。親に見られたら、大変な姿。その原因の、6年生の彼らの手紙は、僕の一生の宝物。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・私はお話をしていただいた後に、しょうらいのゆめにじしんがついたといいましたが、このおてがみで、そのしょうらいのゆめのことについてかきたいと思っています。私はしょうらいマンガ家になって、お金をかせいで、せかいのまずしい人たちにわけてあげたり、きょうしつをつくったり、えのべんきょうをおしえたりしてあげたい。しかも、ただのがっこうにしたいと思いました。このゆめをかなえるにはもっと世界のことをしり、もっとべんきょうしなければならないとかくごしています。私がそだてる子どもたちはかんきょうにやさしく、人にやさしく、じぶんが好きで、じしんをもちしょうらいのゆめとゆうドラマを持っている子にしたい。そう思っています。このまえのお話をきいて、本当にじしんがもてました。せかいのかわいそうな人をなくしたい。そんなきもちが今心の中に生きています。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・お元気ですか?このまえはありがとうございました。ぼくは、一秒間にサッカーコート一面分の緑が消えている事、1100万tが日本が捨てた食料であり、1000万tが食料援助の量であり、3、4才の子どもも、働いていて、なおかつ明るい子どもたちという事をきいてびっくりしました。ぼくは、今給食係をやっています。給食の残飯をできるだけへらしたいなぁーと思いました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・今回の授業で、ぼくは改めて、地球の人たちは協力すべきだと思いました。けれども、グアテマラの人々のように貧しくても、心は幸せならば、笑顔で生きていられるということもわかりました。今、日本では家族内での殺人や、いじめなどたくさんの問題がニュースで流れています。ぼくは、そういう人たちに本当の幸せというものを教えてあげたいです。そして、さらには世界中の人々が幸せになってほしいです。そのためにも、ぼくも今から、地球のために小さなことをコツコツやっています。今は家族といっしょに暮らし、学校では友達がたくさんいて、とても幸せです。この人たちがいない生活なんて、考えられません。けど、一人で暮らす人が世界中にはたくさんいると本に書いてありました。ぼくは、大きくなったら、そういう人たちを助けてあげることをしたいです。若尾さんもこれからもがんばってください。ちなみに僕は、緑色の服を着ていた六年生です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・話を聞いて、守りたいことが3つあります。1つ目は省エネをすることです。1秒間にサッカーコート1面分を半面にしたいです(1秒間にサッカー場1面分の緑がなくなっているという話より)。2つ目は自然を好きになるということです。自然を好きになるには外で遊ぶことが大事なので外でいつもよりたくさん遊びたいです。そして3つ目は自分を好きになりたいです。話にもあったけれど、相手を好きになる前に自分を好きになるようにしたいです。赤いPUMAの洋服を着た少年より~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・1ヶ月以上経った後に、洋服で顔を思い出せと言われても。
Mar 2, 2008

去り行く冬を惜しんでいるのか。カーブミラーもマフラーしていたよ。日本銀行がすぐ近くにあると言う小学校は設立されて100年以上の歴史があって、震災後に立て直されたと言っても、風情のある校舎であり、その廊下の下には防空壕さえあるという。そんな大きなビルに囲まれた小学校の生徒はみんな制服で、どれだけ生意気な坊主がいるのかと少し眉をしかめながら授業を始めるも、すごく真剣に話を聞いて、ゲームを楽しんで、熱心に質問して目がキラキラと。いろんな学校に行ってみると、もちろん都会と郊外とでの学校では当たり前だけれど、隣近所の二つの学校を比べてみても、その学校の色というものが違うわけであり、それは、校風や、校長や、先生によっても生徒の様子が全然異なっていて、最近、その違いを見る事に少し快感を覚えていたりする。 給食さえも差が出ているのかな。この牛乳、僕らが小学校高学年からのデザインと全く変わっていないことに驚いた。やはりストローの差し込み口がきれいにはがせないのも変わらない。ストロー口がきれいにはがせてまぁるい穴が見えた時のあの嬉しい気持を思い出したよ。
Feb 27, 2008
久しぶりの日記に、重い事を書くのは、いやなのだけれど、常々言っている、僕らのひとつひとつの行動が世界に影響を与えているという事を、考えさせる記事が新聞に載っていたそうな。新聞、見ないとな。。。朝日新聞のアグネスチャンさんの記事より。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・私と環境 「人間の欲望、改めねば」 アグネス・チャンさん 85年、内戦と干ばつのエチオピアを訪ねた。川は干上がり、草木の緑はまったくない。骨と皮ばかりにやせ細った人の姿が延々と続く。「燃料にするため木を切りすぎたのと、温暖化による天候異変のため、干ばつが頻繁になったのです。」と現地のスタッフが説明してくれた。難民キャンプの子どもたちは、みんな太ももが私の3本の指ぐらいの太さしかなかった。わずか1週間の滞在中、目の前でたくさんの子どもが亡くなった。その当時から、温暖化は、地球の裏側の子どもたちには生死にかかわる問題だったのだ。 05年、内戦が続くスーダンのダルフールを訪ねた。反政府軍の兵士が、焼き打ちにあった村の小学校の壁を指さした。「ここに30人ぐらいの子供たちが並ばされ、銃殺されたんです」。無数の銃弾と血の跡を見て、胸がつまり、涙がこぼれた。 「こんな悲劇が起こるのも油のせいです」と現地スタッフが言う。03年、石油が発見され、地元の部族と政府の間に水と油の利権の戦いが始まった。虐殺したのは、政府の手先の「ジャンジャウィード」と呼ばれるアラブ系民兵たちだという。虐殺を怖がる村人は非難民となり、続々とキャンプに集まっていた。私が訪ねたキャンプでは、井戸のまわりに長蛇の列ができていた。「今日、水がもらえなければ、ご飯もつくれない」と言う、若い母親は、2日も順番待ちをしていると訴えた。 そもそも多くの資源を使っているのは先進国の私たちだ。私たちの生活を維持するため環境が破壊され、争いが起きているともいえる。 では、日本にいる私たちはどうすればいいのだろう?エネルギーに関して言えば、日本 は地形や天候にも恵まれている。石油以外の安全な自然エネルギーを利用することができるのだから、その開発が進めば、エネルギー獲得競争に参加せずにすむはずだ。 日本は世界一の「水輸入国」とも言われる。輸入した食料には外国の大切な水が大量に使われている。それなのに全食料の3割が残飯になっているという。大量の木材輸入 も、海外の森林破壊につながる。食料の自給率を高め、国産材を使うことが大切だ。計り知れない人間の欲望を改めなければ、事態はどんどん深刻さを増す。遠い国で苦しんでいる仲間を助けるため、私自身もあらゆる知恵を使って環境を守るための行動を続けていきたい。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・いつまで、酷い資源獲得競争は続くのだろう。これに加担しているのは、まぎれもない僕。垂れ流しな現代の生活に嫌気がさす。
Feb 24, 2008

久しぶりの農場でのボランティア。農機具博物館たるものができて、そのスタッフとしていくのだが、早く到着しすぎた。なので、ひとりで林を散策昨日の雪がまだまだたくさん残っている。冬の林も良い。樹を見れば、葉っぱはないけれど、夏には見られないそれらの枝は、様々な方向に空に向かって伸びている。今、一生懸命エネルギー溜めて、春に向けて準備しているんだろうなと。 散歩から戻ると、博物館は開いていた。今日のスタッフは、おばさん1名。おじさん4名。そして、俺。雪かきをしてお客さん用の道を作り、一休み。博物館に来るお客さんに農機具の説明をしなければならないのだが、ひとりのおじさんが、とても丁寧にしてくれるので僕らは、ずっと世間話をしている。元教師のおじいちゃんからは、いっぱいいろんな話しを聞く。その中で確信した事。「今は、『怒れて』も、『叱れる』大人がいない事」昔は、叱ってくれる先生がいて、親がいたのに、いつから子どもに遠慮しなければならなくなったのだろう。そして、僕らは屋根を見つめていた。屋根に積もった雪が、雪崩のように落ちてくるのを待っていた。気持ちのいい太陽の光を浴びながら、ぽたぽたと雪が溶ける音を聞きながら、1時間近く、待っていた。
Feb 8, 2008
うちの親は、CO-OPで買った、小龍包を捨てました。 さて、先日、友達に言われて気付いた。赤福が営業を再開して、ミートホープの裁判が一段落し、日本の食の問題が落ち着いた所で、今回の中国の事件。「タイミングが良すぎない?」って。自分は盲点だった。メディアと政府に踊らされる所だった。今度は中国の食が危ないから、日本の食に目を向けましょう!みたいな、裏工作が見えてくる気がしてならない。もちろん、前から国内産の食料を進めてきた自分に取っては、これは転機かもしれないが。メディアの情報に安易に乗ってはならないと思う。ここで大事なのは、「生産者の顔と消費者に届くまで行程が見える」こと。輸入品だって、いい。しかし、どういう人たちが、どういう待遇で作って、どういう行程で僕らの所に届き、その消費の結果、生産現場で何が起こるか、そこまで考える必要があるんです。考えないから、こういう結果になった時、大問題になっちゃう。例えば、こんな事、ダーウィンの悪夢。アフリカのタンザニアで穫られる魚の先進国の消費によって、グローバリズム、貧困、戦争まで繋がっているという真実。しかし、難しい事は考えないで済む方法だってある。近くで作られたもの、そして、旬なものを買う。それは、安全であり、流通ルートもかなり省かれ、Face to Faceな関係が見えてくる。それが、本来の生産と消費の姿。俺の場合だと、「餃子を作る『余裕』を作りましょう」って言いたくなるんだけれど。。。
Feb 4, 2008
月曜日は、伊豆には、伊東、熱海の学校の先生たちに話しをするために行った。しかし、約2時間という長時間、大の大人に、しかも大勢に話しをする機会は始めてのものだから、最初から、てんてこ舞い。話しの切り出しに「会場に来る前に、ひとっぷろ浴びてきました」と会場に来る前に仕事をしてきた人たちに対して反感を買う様な事を口走ってしまい、しまった、と動揺した頃には、時すでに遅し。行きの電車の中でシミュレーションしたはずのプログラムの順序を間違ってしまっていた。そんなこんなで、始終緊張してしまい、伝えたい事も伝わらなかったのでは、と帰りの電車はビールも自制するくらい反省モード。風呂なんて入っている場合じゃありませんでした。だからこそ、お詫びの印として、先生に質問されて、ちゃんと答えられなかった事、もっと言いたかった事を、今更ながら書いておきます。最後の質問で、「私たち、教師に、◯○さん(ぼく)の経験を活かして、言える事はなんでしょうか?」と言われてしまい、学校周りをしていて、教師の人たちの普段の大変さが身にしみてわかってきた自分は、偉そうな事を言えないと思い、「のびのびと育ててください」などと、府の抜けた事をいってしまった。僕が言いたかったのは、もちろんのびのび育ててほしいのだが、子どもに「こんな風に」なって欲しい、と思うのならば、子どもを囲う大人が「そんな風に」なってください。ということ。「優しい」子どもになってほしいなら、「優しい」大人になる事。それを見せる事。「国際協力や平和について知ってほしい」なら、「国際協力や平和について」大人が理解を深め、自ら語る事。「のびのびとおおらかに」育てたいなら、大人がそうなって、子どもに接する事。子どもに明るい未来を作ってほしいなら、大人が明るい未来を作り上げるのを見せ、夢を見させる事。最近、子どもは「社会の鏡」と友達が言っていました。当たり前の事だけれど、親を見て、教師を見て、学校を見て、地域を見て、社会を見て子どもは育ち、その色に染まっていく。だからこそ、その社会を創り出す、子どもを取り囲むおとな次第で子どもたちは良くも悪くも変わっていく。途上国と日本を比べて見てみて、それがはっきりわかるようになりました。大人たちの振る舞い、大人たちが創り出す世界次第で、子どもたちの表情は大人に似て、笑顔の差が現れる事。こんな両親みたいになりたい。こんな先生みたいな人になりたい。こんな社会に住みたい。「そう」思わせるように、「そういうふうに」自分たちがなる、「そう」思わせる、「そういうふうな」社会を見させると、自ずと子どもたちも変わっていくのではないかと思う。だから、家族というコミュニティ、学校というコミュニティ、地域というコミュニティなどの今、崩壊しつつあるコミュニティを見直す必要があるんだと言いたいのです。もっとそのコミュニティの絆を深めたら、子どもは自信を持ってそのコミュニティの人々を好きになって、よりよい社会(コミュニティ)を築けると思うのです。毎日、子どもたちに接している先生たちは、直接子どもの成長を見る事ができ、点でしか子どもたちと交わる事がない僕にはすごくうらやましくもあります。しかし、日々に追われる先生にこの課題を課すのは、過酷です。今の先生に時間的余裕を与えてください、文部科学省。子どものために。~~~~~~~~~~~自省の念から、今回はかなり長く、堅い文章になってしまった。~~~~~~~~~~~もし、自分に子どもができたら、自分自身は子どもの前で、ふざけて、やさしく、きびしく、ぼけ~っと、振る舞うだろう。どんな子になるんだか。心配です。いや、その前に、親父、おふくろは、いつになったら子どもをもてる状況になるのか、俺を心配しているはず。う~ん、、、来世には!
Jan 30, 2008

品川から熱海行きの鈍行東海道線に乗り込む、平日10時30分。行き先は、伊豆の伊東。その車内は、温泉街を目指す、セカンドライフを楽しむ方々でうめつくされている。俺も、その東京都内を走る電車にはない、向かい合うかたちの座席のひとつを確保。ここから、海を見ながら、弁当を食べて、音楽聞いて、雑誌でも読もうと昨日からワクワクしてたから、海が見える窓側を確保出来て、ひと安心。通路を挟んで反対側には、おばさん二人が窓にペットボトルのお茶を5、6本も並べて、話し込んでいる。そんなにお茶を飲んだら、トイレに行きたくなるよ。一人のおばちゃんは、足を自分の対面の座席に乗せている。なんとまぁ、お行儀の悪い。。。雑誌を用意し、音楽をセットとしていると電車はまもなく、熱海に向けて走り出す。車内は、隣のおばちゃんたち以外は至って、静か。というのも、この車両には、手話をするおじちゃん、おばちゃんで埋め尽くされている。かれらは、表情を豊かにし、大きく手を振り、賑やかに会話している。手話ってあったかくて、良いなぁ。だって、人を見ないと会話出来ないもん。目を見ないでコミュニケーションをとる事が多かったなぁ。と最近の自分を省みる。次の駅に着くと、反対側のおばちゃんのツレが乗ってくる。友達のために、足を座席に乗っけて、席を確保していたのだということに気付く。どうも、自分の注意は、反対側のおばちゃんたちばかり。ペットボトルのキャップが落ちて、拾おうとしないから、わざとらしく、「落ちましたよ」と言って、拾ったら、「あら、すみません。どっかいっちゃったから、いいかなぁっと思って。」とおばちゃん。彼女たちはお喋りしながら、ゆで卵をむき出し、ぼろぼろと殻が床に落ちていく。おばちゃんの関心事は、周りの人よりも、昨日のテレビで見たマラソンのことなのだ。そんな風に人間観察したり、本を読んだり、ぼーっとしたり、物思いにふけていると、あっという間に熱海に着いてしまう。伊豆半島の最南端?下田行きの電車に乗り換える。更にローカルな電車に乗り換えてみると、始発の電車の中には、降りた人たちが残していった、アーモンドチョコレートの箱、ビニール袋、日本酒の瓶があちこちに。さっきまで、おばちゃんたちの行動にキリキリしていたのに、こんなごみで溢れた車内に入ったとたん、グアテマラにあった日常を思い出して、すごく和んでしまう。なんとまぁ、大衆臭いと言うか。グアテマラでは、バスでは、客に構わず大音量の音楽、寝ているのに話しかけてくる陽気な兄ちゃん、スペースのある所ならどこにでもごみをぽいぽい捨ててしまう人、ノミを持っているおばちゃん、お金を払いたがらない酔っぱらい、乳児にコーラをあげるお母さん、説教を始める熱心なキリスト教徒、などなど、さまざまな人々が狭い車内で交差するカオスだった。そんな一面をふと思い出させてくれたローカル線。マナーを守る事が良い事なのか、小さい事にこだわりすぎるのは人間を窮屈にしてしまう一方で、窮屈な社会を創り出してしまうのではないか。自分も最近、窮屈になっていなかったか?最近、目についた電車でのマナーを守ろうという広告で「車内で飲食するのは、迷惑」「大きな声で話すのは、迷惑」というのがあった。そんな、人間の基本的動作さえ、制御されてしまうのか、東京は。最低限の人間としてのマナーは守るべき。しかし、それで「人間らしさ」をなくさせてしまっては、本末転倒。ローカル線は、またまたいろんな人が乗ってきた。サラリーマン、おじちゃん、おばちゃん、何かの会があるのか着物を着たおばさまたち、などなど。今度となりに乗ってきたおばちゃんは、優しかった。しかし、人身事故があって少し停車していると、「あたしね、乗ってた電車が人身事故にあった事があるんだけど、どしんどしんって振動が下から、あったのよ。下に入ったのね。それで、外に出たとき、前を見てみたら、電車はぴんぴんしてるの。へこみもしていないのよ。電車って、丈夫ね。」と、さらさらとおっしゃる。その会話、普通にこわいです。いやいや、鈍行の電車の旅は、おもしろいもんです。~~~~~~~注:仕事で、伊豆に行ってきました。もちろん、お湯に浸かりつつ。(自分の地元のローカル線。西武新宿線)
Jan 28, 2008
帰国後、写真展を通じた友達Shu1くんが、またまたやってくれます。イベント。こりゃ、楽しそう。そろそろ、「風の通り道」バージョンアップも考えなければ。しかし、寒さで動く気になれん。以下、Shu1くんの日記から勝手に、転送~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~2006年夏、シリアと日本を吹き抜けた優しい風が刻(とき)を超えて還ってくる。↓以下、http://www.jica.go.jp/hiroba/feature/index.html より引用。アートマイル壁画展 ~壁画でつなげよう! 子ども・世界・平和~【主催】ジャパンアートマイル、JICA地球ひろば2月5日(火曜)から2月17日(日曜)日本の小中学生とシリアに住む同年代のパレスチナ難民学校の子どもたちが、インターネットで交流学習して共同制作した5点の巨大壁画(1.5メートル× 3.6メートル)を展示します。この交流は、難民学校に導入されているインターネットを美術教育に役立てたいと考えていた青年海外協力隊員と、難民学校の教育支援をしてきた関西大学の元青年海外協力隊員が、アートマイルプロジェクトに出会って実現しました。交流の様子や壁画制作の過程もビデオやパネルで分かりやすく展示し、迫力ある壁画と共に楽しんでいただけます。※2月10日(日曜)13時から関連イベントアートマイルプロジェクト講演会 ~生徒からのメッセージ NPO・教育現場・大学からの視点~
Jan 25, 2008
もう少し寝ていたいのに、朝7時過ぎに電話で起こされる。相手は、今日訪問する予定の小学校。先月に依頼が入ったのに、当日の今日まで連絡してこないとは、何事だ~!!ほとんど、寝ていないので、怒りっぽくなっている。久しぶりに7時台に起きた。 ほとんど寝ていないのは、昨日コーヒーを2杯飲んだせい。最後に飲んだのは昨日の午後4時くらいなのに、夜中の4時くらいまでしっかり効いてくれました。これでも、元コーヒー屋さん。 今日は、荒川区のある小学校。5、6年生あわせて、40人に達しない。恐るべし東京都内の子どもの数。話す内容は、いつもと同じ。グアテマラの事、協力隊の事、世界の事、みんなにできる事。そして、ココロについて。昨日も同じ荒川区の公立小学校に行ってきたけれど、そこは少しエリート系のようなおとなしめの子どもが多く、あまり反応は薄め。今日の学校は、同じ荒川区なのに、庶民的な香りがして、リアクションもすこぶる良し。学校によって、こんなに色が違うなんて。 そして、面白いのは今、東京都内の公立小学校は、どこでも好きな学校を選べるらしい。だから、小学校も子どもを獲得するために一生懸命。だからこそ、学校の色もそれぞれなのかな。授業後、校長先生と話していたら、副校長が隠していた、学校給食をごちそうしてくれた!!!うわー久々!しかも、おいしいー!今日の献立は、ドライカレー、野菜スープ、りんご、牛乳。シンプルだけれど、すごく栄養価が高いなぁと、最近不規則な体にしみてはいってくる給食でした。校長先生曰く、「昔はパンが多かったけれど、今はご飯が多いですよ。」日米の貿易や農業事情に左右されやすい給食。米余りの昨今、ご飯給食で、農業を元気にしよ~!みんなもパンより、ご飯!!
Jan 22, 2008
「ブエノス ディア~ス(おはよう~)」し~ん。「コモ エスタ~?(How are you?)」し~ん。やばい、完全にひかれてる。小学生なら、ざわざわ、きゃっきゃっ言って、会話を楽しんでくれるのだけれど。今日は、高校生に授業に来ていた。偏差値は65くらいで、そこそこ頭がいいらしい。制服は、着ても着なくてもどちらでもいいという自由な所。ひかれた所で、これ以上、引っ張ってもしょうがないし、早々に、ワークショップ開始。グループにわかれ、途上国、平和、先進国、環境のテーマを選んで、思いつくものを付箋紙に書いて、模造紙に貼ってもらおう。(ブレインストーミング)そして、それをグループ分けしてもらおう。と思っていたが、なかなか進まない。中学生や、小学生だとこのくらい、ばしばし意見が出て来て収拾がつかないくらいなのに。高校生の彼らは、ヒントを出さない限り、まったくアイデアが出てこない。頭がいいのに、発想力がない。そして、質問もしてこない。静けさが教室を覆う。やばいぞ~。とおもい、がんばって場を盛り上げようと必至。とりあえず、ワークショップが終了して、協力隊の事、国際情勢の事、環境の事、高校生の進路の役に立つだろうと思って将来のビジョンの持ち方。(ふらふらしている人間が言う事じゃないかもしれないが。。。)などなど、一通り話しをする。今回は、事前に考えた国際協力のブラックボックスというのを用意した。それぞれ、いろいろな活動があるが、日々の行動が直接的に、間接的に世界に影響しているという事を感じてもらうために。旬な国産野菜の購入→■→環境保護割り箸の使用(条件付き)→■→環境保護、農家支援ペットボトルを買わない→■→平和国産製品、国産材の購入→無駄な資源の輸入減少→■■の部分は何かを考えてもらった。生徒に質問する。し~ん。もう良いや、答え言っちゃおう。旬な国産野菜の購入→『不必要なエネルギー使用、輸入、設備(温室)の削減』→環境保護ペットボトル買わない→石油離れ→戦争の原因の一つをなくす→平和へ国産もの購入→無駄な資源の輸入減少→環境保護、エネルギー削減、国内自給率アップ、農地、山の保護、必要な人に必要な物資が供給(飢餓の削減)割り箸使用→国産の間伐材割り箸という条件ならば、山の管理ができ、山が生き返る。林業の復興→環境保護、農家支援他にも、コンビニや自販機を使わないと環境保護になったり、日本の人たちが食べ残ししないと飢餓の削減に繋がったり、フェアートレード商品を買う事で、途上国支援になったり、そこには多くのブラックボックスが存在する。そんなことを高校生に話してみる。しかし、反応がない。最後に、最初にやったワークショップをもう一度やってもらい、アイデアが更に浮かんだりしたかどうか、試してみる。しかし、あまり変わらない。あ~、今回は失敗だったかなぁ。と、思いながら、教室を去る。。。控え室に戻ると、他のクラスで授業をしていた元隊員のみんなも「反応がなかった」「静かすぎる」とぼやいていた。多分に、この学校の雰囲気というものがあるのだろう。先生たちを見ても、その様子が伝わってくる。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そんな彼らからもらった感想文。「募金活動とか、中学の生徒会の時にやっていたけれど、正直面倒くさかった。それをしたら、平和に近づくとか、子どもが救われるとか、正直疑いを持っていた。今日、黒板でやったBlack Boxのように、こういうことをしたら、こうなるから平和につながるという原因や理由を考えられるようになれたら、それはそれで平和な世界を築き上げる第一歩なんだろうなとおもった。一人という存在は小さいかもしれないけれど、少しずつ人数を増やしていって、みんなで協力すれば、大きな力になって、何年か先の世界が変わるかもしれないと思った。」「『自分を好きになる事』が大切という話しは、本当にそうだなあと思います。自分を理解していないと相手の事も理解出来ないし、気持ちに余裕が無いと相手を助ける事もできないので、まずは自分を大切にする所から始めようと思います。」「わざわざ外国へ行かなくても、日本で世界の人々を救う事ができるという事を聞いて、少し驚いた。」「班活動楽しかったです。普段”エコ”とか言っているけれど、いざ「エコと言って、思いつく言葉は?」と聞かれると、あまり出てこなかった。」「やっぱり『知らない』ということが、様々な問題に繋がっていて、教育を受ける事は重要だなと思ったし、教育を受ける事が当たり前になっている自分たちは幸せな事で、もっと勉強しなきゃいけないなぁと改めて思いました。Black Boxでの話しはとてもわかりやすくて、目先の事ばかりじゃなくて、もっと視野を広げてみるといろいろな事がわかってくると思いました。自分は将来教育者になりたいので、今日の様な話しも伝えられたらと言いなと思いました。」「今まで国際協力とか、世界に貢献するとか、そういうことを何度も言われ続けてきたけど、いまいち実感わかなかったし、国際という言葉が出ると英語が話せれば良いとか、そういう考え方が日本人はあるんじゃないかと思う。(中略)今の日本は裕福だけれど、人間同士の関わり合いがどんどん冷たくなっている気がする。発展途上国を援助する事で、日本と他国の間で人の思いやりや優しさが発揮されるなら、これほど素晴らしい事は無いと思う。これからは、身近な所から国際社会へ貢献していけるように努力していきたい。」「班活動を中学生以来にした様な気がする。「エコ」と単純に言っても、漠然としていてどういうものか浮かばなかった。普段は、エコや国際協力、日本、世界などについては全然考える事がないので、考えてみるとまた普段と違う世界が見えてくる気がしました。」「グループ別になって、自分一人だけで考えたら2~3個くらいしかアイデアが出てこなくて、言葉だけを知っていて、それが実際にどういう事なのかを知っていなかったことに気付いた。だから、もっといろんな事に意識を向けないといけないんだと思った。」「これからは、高校生の自分ができること(ワンクリック募金、国産野菜購入、石油製品購入を控える)を実際に日常生活の中で実行できていけたらいいなと思いました。そして、その活動が、身近な人、世界の人に広がっていけばいいなと思いました。」「エアコンの温度を下げたりなどをして省エネに貢献したりする事は、皆やっていないから、やっても意味が無いと思うのではなく、自分一人でもやろうと思って、それがだんだん周りへ伝わっていかせる事が大切だと知りました。」「今までは、『国際協力』だとか、『世界貢献』というものは、自分の様な一般人とはあまり縁のない、敷居の高いものだと考えていました。しかし、気付きました。『国』を形作るのは『国民』、『一般人』だということに。『国』が『国』を助けるには、『一般人』が動かなければダメなんですね。そして、その協力方法は大それたものではなくても、普段の生活の中の努力をしっかりと続けていけば良いんですね。俺も、「一人一人の世界貢献」を実行していきたいと思います。」「一番印象に残ったのは、自分の気持ち次第で世界が変われるという事でした。今までは自分一人がやってても意味ないと思っていたが、自分がちょっと変わる事によって、友達、家族、学校、東京、日本、世界というふうにどんどん連鎖反応が起きて、最終的に世界まで変えられるという事に驚きました。これからは、正しい知識を持ち、少しでも世界に目を向けて自分にできる事をやってみたいです。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~伝わってるじゃん!!!と、数日後に感想文を見ながらほくそ笑み、喜んだのでした。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~番外編「授業最初にいきなり意味不明な言葉で挨拶された時、自分の中から緊張というものがほとんど消え去った気がした。」(そうは見えませんでした。)「いつも手を挙げない、意見を出さないクラスでやりにくかったと思いますが、とてもいろいろな事が学べた2時間になりました。」(確信犯か!!)「実際に討論して学ぶ事のない高校において、これ(ワークショップ)はとても新鮮だった。確か、世界でもトップクラスの学力を持つどこかの国でも、こういうプレゼンの授業が多くなかったか。」(いやぁ、それほどでも【自慢】)「グアテマラ・・・俺もアフリカの国だと思っていました。俺、選択教科に地理選んだのに・・・。」(受験頑張ってね)
Jan 19, 2008
体育館に招待されるとそこには中学3年生が椅子を並べて整然と座っている。というのは、うそ。整然とはほど遠い。がやがやと、足を前の椅子に乗っけたり、となりと普通に話していたり、そんな生徒をみて、先生はやさしーく注意する程度。怒りやしない。俺の中学校の頃なんて、先生怒鳴るし、そんな生徒を呼び出してハタいたりしてたよ。それが教育だもん。あ~、こんな子どもたちに話して、何か伝わるのだろうかぁ。と思うも、一応講義をする。パワーポイントを使い、一方的に話すだけじゃなくて、生徒の中に入って、質問をしたり。一人の生徒に質問して、マイクを差し出したら、その手を叩いて、はじかれたのにはさすがにビビったが。。。講演の内容は、小学生に話した事よりも、もう少し途上国について詳しく。貧しい、厳しい、苦しいという概念がつきまとう途上国の話しではなく、お金が無くたって、学校に行けずに畑仕事をしたりしていたって、「笑顔で生きて」いる。ということを重点的に話す。前と同じく日々の生活で彼らを支援する事ができると話す。そして、日本の人たちは、もっと心を大事にしてほしい。とも。講演後、実感した事。生徒は、先生によっていくらでも変わる。感想文を送ってもらったのだが、クラスによって全く内容が違う。意識の高い先生の生徒の感想文は、びっちりと最後まで濃い内容を書いてある。そうでない先生の感想文は、一行とかもしばしば。今の先生の厳しい状況で、先生にいろいろ要求するのは大変だ。しかし、生徒の成長を一番に考えてくれる先生がもっといれば、生徒もそれに応えてくれるはず。以下に、生徒が送ってくれた感想文をいくつか紹介。~~~~~~~~~~~~~~~~~「発展途上国の人たちは、貧しくても、いつも笑っていてすごいと思いました。私は親や兄弟がいるのが当たり前なので、家族の大切さをあまりわかっていませんでした。しかし、貧しい暮らしの中で家族がいれば幸せと思えるのは、大切な事だと思います。自分ができる小さい事から始めていきたいと思いました。まずは、自分の国、住んでいる地域の事を知っていきたいです。」「私も、これからは、住める家があり、家族がいて、食べれるモノがある事に感謝し、当たり前の事と思わず、幸せな事と思い、毎日一日一日を過ごしていきたいと思います。」「私たちはとても恵まれた環境に住んでいるけれど、何か大切なモノを忘れていると思いました。」「私たちはいつも、親たちにわがままばかり言っているけれど、今日、あんなに小さい子たちが小さな妹と弟の面倒を見ているのをみて、私は恥ずかしくなりました。途上国の人たちに私たち先進国はいろいろな技術などを教えているけど、そんな途上国の人たちからも家族の温かさや、モノを大切にする事を学んでいけると思いました。」「話しを聞いて、人の優しさというものがとてもわかりました。私たちが普通に過ごしている事が貧しい人たちにはできない。なぜ、貧しい人々が増えているのか。私たちが裕福だからいけないのか。こういう話しを聞いて、人々の苦しみや悲しみが感じられたら良いです。」「話しを聞いて、実は身近な所で、少しでも世界のどこかで困っている人を救う手伝いはできる事を知りました。そして、そんな助けを待っている人が世界にたくさんいるという事もわかりました。私は、現地まで行って人を救う事はできないけれど、その手伝いになれるように、まずは身近な事をやっていこうと思います。」「授業でやった事があったから、知っているつもりでしたが、まだまだ知らない事ばかりだと思いました。もっと調べればもっと深く知る事ができるし、知っていると知らないはとても大きな違いだなと思いました。」「Your smile makes other's smile という言葉がすごく心に残りました。友達が笑顔だと、自分も笑顔になれる。なので、私が笑顔で過ごして、それをみて友達が笑顔になってくれたら嬉しいです。」「私は、たくさん勉強して早く大人になって自分のお金で募金する事が大切だと思っていました。けれど、今回の話しで、知識が世界で役に立つと聞きました。また、たくさんの子どもたち海外の途上国の人たちの素敵な笑顔の写真を見て、自分はまだ15歳で頭が良くなくて、何もできないと思っていましたが、こんな私でも世界の現状を知って、自分の国や自分を好きになる事で人々に元気な笑顔を与えられるんだなと、自身とやる気が出てきました。自分は裕福な国に生まれて、1日3食ご飯が食べれて、のんびりする時間もあって本当に幸せだと思います。この幸せを少しでも分けられるように、いつも家で何もせずにしている時間に、他の国について調べたりして、役に立ちたいと思いました。」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~他、いっぱい子どもたちは感じていました。こういう子どもたちが、この感情を心のどこかに忘れずに置いといてくれれば、未来は少しは良い方向に向かうはず。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~感想文番外編「外国にも、負け組と勝ち組があることがわかりました。僕も勝ち組になりたいと思います」(勝ち組を作るのは良い事なのかと疑問を呈したかったのだが、これは、僕の話し方がわるかった。)「途中、変態な部分がありましたが、よく聞けました。コンドームというものを見たのは初めてではありません。」(途上国で、性教育をしている隊員の話しを紹介したときの事だと思われる。途上国の、しかも障害者に対して性教育を行なっているのに、日本で性教育を行なわないのはどうしてなんだろう?HIV感染者も日本では他の国よりも増加傾向なのにね。っていうことを話した。日本で、性教育を行なわないから、こういう感想文が出てくるのだと思う。)「ださい格好をしていると人だなと思ったら、あとでそれが民族衣装だと知った」(俺は、かなりばっちりキメていったつもりだったのにw)「ザクル、ラシルド、ジケルド、ハオウ、ザケルガ、ザケルガ,ザグルゼム、ラウザルグ・・・・・・」(なんかの呪文らしい。。。)
Jan 17, 2008
時々、小・中・高校などにお金を稼ぎに協力隊の話し、世界や環境の話しをしにいく事がある。その時に心がけるのは、ただ事実を伝えるのではなく、その事実は、直接僕らの生活と密着に結びついていて、僕らにもできることがあると思ってもらうように話す。今日は、そんな中、小学校で話したときの事。東京都下のある小学校の4年生。講義内容は、「身近なエコ」講義が始まるや否や、質問してみる。「エコって何ですか~?」と。そうすると、いかにも優等生な子が、「3R(※)です」とか、眼鏡を指で持ち上げながら言いそうな雰囲気で答えやがる。先生までも、「アイドリングストップだよね~」って助言する始末。※:リユース、リサイクル、リデュースの観点でごみ問題を扱う時に言う言葉。最近ではリデュース(断る)が入る場合も。なんで、全て横文字なんだよ。こりゃ、エコを勉強して来たと言っても、情報だけの勉強だ。じゃあ、実際に何をしているか?と聞いてみる。「電気をこまめに消す」「節水する」「ごみを分別する」との答え。まぁ、優等生だこと。そりゃ、いいことである。否定しない。で、こちとら講義をしに来たくせに、途上国なんて、エコなんてやっていない。と逆説的なことを言ってしまう。そんな余裕も施設もないもん、途上国には。でも、その土台を作り上げているのは先進国。グローバリゼーションと経済至上主義が彼らの環境を悪化させている。とまでは、言えない。でも、貧乏はエコな生活に繋がる事もついでに話す。廃油で石けん作る。ごみは堆肥になどなど。そこで、日々の生活のひとつひとつ、それが環境問題と密接に関わっている事を話す。「モノを無駄にしない。無駄に買わない。買うときは考えて。」「エコをするには、まずは自然を知る事。自然に触れる事。自然の良さを知ったら、大事にしたくなるよ。」「任天堂もいいけどさ、ゲームに飽きたら、捨てちゃうの?捨てなくても良い遊びを探そうよ。」と、彼らに訴える。「心の余裕がエコに繋がる。電気を消して、キャンドルの灯りで家族団らんも良いんじゃない?」「3Rとかアイドリングなどの情報を得るお勉強だけじゃなくて、実際に行動に示す事が大事。」と、子どもたちに喋っているふりして、先生とお母さんに対してついでに問いかけてみる。45分と言う時間はあっという間に過ぎる。4年生に一つ質問すると10個以上、答えが返って来てしまい収拾するのに一苦労。授業後、エコについてもう一度尋ねると、のほほんとした感じの女の子が、「買うときも何事も、よく考えること。それが、エコに繋がると思います」と言ってくれた。よっしゃ。洗脳成功!そう、一つ一つの僕らの行動は何かに繋がっている。そのひとつひとつの行動を考えた時、それはある種の行動や活動になっている。「ジュースを買おう。ペットかな、缶かな。今度からは、水筒持ち歩こう。」「電気を消そう。そうすれば、発電所少なくてすむもんね」「駅まで何で行こうかな。晴れているし、自転車で行こ。エネルギー節約!」そんな事を日々、プラス思考に考えていく事が大事。こんな小さな力が、変えるのよ、社会って。
Jan 14, 2008
農家さんと一緒に生活した時に、出て来た言葉を紹介。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・「現場を知らないで、モノを言わないで」「農協は農薬を制限する。農薬を使わなければ、虫が出る。虫が出れば、消費者は騒ぐ。」「農家を守ろうとせず、農地を守れと国は言う。結局、農地を見るのは農家なのにだ。自給率を上げようとしないで、どうやって農地が守れるのか。」「中国の現場を見た時に、こりゃ負けたと思ったね。いかに付加価値を付けるかが、これからの日本の農業の課題だね」~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・僕らは、もっと現場を知らなければならない。現場に行けなくても、現場で何が起こっているのか(後継者不足、気象異状、etc.)、野菜がどのように生産され(農家さんの多大なる努力、農薬やJAとの兼ね合い、etc.)、どのように消費者に届くのか(早朝の出荷、すごく厳しい出荷基準など)。それを知るだけで、少し汚れていたって、少し虫に食われていたって、少し高くたって、国内産の野菜を買いたいと思うはず。国内産の野菜を買うことには、メリットはたくさんある。農薬が少ない事、国内自給率を上げる事、ひいては、国内外の環境を保護する事(無駄なエネルギーを使わない、過剰な農薬の制限)、必要とされている人に必要な食物が届くこと(世界には12億人の飢えた人がいて、12億人の食べ過ぎの人がいる『地球白書 2000-01』)日々の生活の中で少しでもこの地球のために、何ができるか、これから、このブログで書き綴っていこうと思う。
Jan 12, 2008

沖縄最終日チェックアウトが10:00。寝たのは6:00。体が重い。もう少し寝ていたいけれど、体に鞭を打って、シャワーを浴び、荷物を片付け、チェックアウトを済まし、バックパックを受付に預かってもらい、外に出る。12月初めの沖縄の朝。半袖に少し羽織るものがあれば充分な気候。そんなほんのりと暖かい気温が、なんとか元気にしてくれる。向かったのは、牧志公設市場。どこに行っても、市場は好きだ。人と売っているもので、どういう所か把握する事ができるから。牧志公設市場は、観光客相手がメインだが、地元の人のための食材も売っている。豚さんの頭が、ごろんと並んでいる所もちらほら。ブランチを食べようと、久高島で出会ったフリーライター吉村喜彦さんに紹介してもらった公設市場の2階にある食堂、「きらく」に入る。(今日、家に届いた吉村さんが書いた本、「食べる、飲む、聞く 沖縄 美味の島(光文社新書)」にも出ている)公設市場の2階は、大衆食堂のフードコートと言った感じで、壁のないオープンな古びたフロアに、多くの食堂がひしめき合っている。「きらく」に入り、多すぎるメニューの中で何を食べようか迷っていたが、沖縄に来て、沖縄らしいものはそば位しか食べていない事に気付き、ラフテー定食を注文する。数分で、皿が出てくる。みそ汁も味が関東のそれとは違う。当たり前か。そして、ラフテーは柔らかく、ジューシーでおいしい上限りない。少しアルコール漬けになって、寝不足の自分でも完食。ごちそうさまでした。店を出て、市場周辺をぶらぶらと冷やかす。そこは、商店街が東西南北に交差しており、どこに行っても何かの店がある。それだけに、面倒になって市場に戻って来て、全てのお土産を買う事にする。(シャッター通り)昼過ぎに、ゲストハウスに戻りバックパックを拾い、那覇空港に到着。17:00過ぎにフライトのため、それまでは、関空と同じくベンチで睡眠。日本でなければ、危険で寝ていられない。帰りの飛行機は、スカイマーク。1時間弱の遅れで出発。さすが、スカイマーク。20:00近く、羽田に到着。友達の待っている国立へ歩を進め、この1週間超の日本を知る旅は終わった。DEEP JAPANと自分で名付けた旅。日本の一面を深く知る事ができた。京都では、その文化を。大阪では、生きる人々の裏側を。沖縄では、自然と宗教と社会問題と食と、異文化、戦争と多くのものを。こんな旅ができるのは、もう一生無いかもしれない。やはりグアテマラに行っても気付いて、今も思うものだが、外(海外)に目を向ける前に、内(日本)にも目を向けることも大事だ。内なるものの発見や気付きから、外なるものへ発信出来るものが多くあるのだから。そして、逆も然り。外をみて、内の良いものや問題を客観視出来ることもある。とにもかくも、日本には、まだまだ知らない事が多いのだろう。どれだけ知る事ができるだろうか?どれだけ関わる事ができるだろうか?深い、深い、この国。
Jan 9, 2008

ひめゆりの塔から那覇に戻り、レンタカーを返し、友達と合流。友達と言っても、ココ最近講座で知り合った那覇在住の僕よりも年上の方。彼にコアな那覇をアテンドしてもらう事に。桜坂中通りは、ここ最近サブカルチャーの発信地となっていると言う。映画館、カフェなど一通り見せてもらう。そして、場末な通りの、山羊刺がおいしいという店に入る。店内には、たぶん夕方前から飲んでいるであろうおじさんたち。決して綺麗ではない店内だが、俺の大好きな雰囲気。ここでヤギ刺と他の皿を何品か注文する。もちろん、泡盛も。さて、ここでサービスをしてくれるおばちゃんが、我のツボに入る。小さい店内をばたばた走り回り、客に声をかけては、自分で乗り突っ込みをして、去っていく。とにかく、何かを言いながら近寄ってきて、ばたばたとサービスしては、またやかましく去っていく。チャンプルーのための玉子がないということで、「ごめんねー」と言いながら、どんどんおまけの皿が僕らのテーブルの上に埋め尽くされていく。いつの間にか、僕らが頼んだものよりも、もらった皿の方が多くなってしまった。僕らは、いろんな話しをしているが、幾度となく彼女の為に中断を余儀なくされる。もう、面白くてしょうがない。ユーモアたっぷりの、この上ない、サービス精神も好きだ。言葉が綺麗なのに、心がこもっていないファミレスのウェイターとは大違い。NPOの話し、沖縄の話しなどで話しは尽きず、いつの間にか閉店の時間。おばちゃんに、ウコン茶を2本ももらい追い出される。次に向かったのは、餃子屋。それもスナックタイプ。店員は、お母さんと娘さん二人。お母さんは奥で餃子を作り、娘さん二人が客の接待をする。カウンター越しには、明らかに餃子目当てではなく、娘たちと話しにきた男たちが並んで座っている。娘さんたちも、美人で、対照的だ。お姉さんは、きりっとして、気の強いタイプ。妹さんは、ほんわかしていて、優しいタイプ。極端すぎる二人を見ているだけでも、酒の肴になる。ちなみに肴は、餃子オンリー。店内でジュークボックスから流れるのは、70年代の邦・洋楽。試しに聖子ちゃん、石川さゆりを流しておきました。あと、LENON。ここも閉店にあわせて店を出る。その後も、他の人が加わり、NPOの事務所で飲み直し、気がつけばAM5:00。沖縄最後の夜は、地元の人しか行かないような店で幕を閉じたのだった。地元の香りを最後の夜に満喫出来たのは、嬉しい事この上なかった。そして、こんなに沖縄を満喫出来たのは、全てここまでいろいろアテンドしてくれたり情報を与えてくれた人たちのおかげ。本当に心から感謝します。ありがとう。何時間後は、牧志の市場にお土産を買いに行かなければ。。。と思いつつ、いつも4人部屋に一人のゲストハウスで床につく。
Jan 7, 2008

スタート!あけましておめでとうございます。旅日記はおやすみして、新年の挨拶です。2008年があけました。今年は、紅白を初めて全部見て、ゆく年くる年で新年を迎え、朝には雑煮とおせち。近所の神社に姉の家族と初詣。ルー風に言えば、なんてジャパニーズっぽいニューイヤーのスタート。クリスマスが海外では家族のためのイベントであるのと同様、日本ではお正月にしめやかに家族と過ごせる数少ないイベントだなぁと実感。2007年はみなさんにとってどんな年でした?僕は、帰国後、かなり焦り、悩み、悶々とするも、いろんな人に出会い、気づき、自分を見つめ直す良い年でした。今年はそれを活かして、更なる飛躍を目指します。上の次元に行ける年だと信じています。皆さまにはこれからも、いろいろなところで関わり、迷惑をかけるかもしれませんが、どうか温かく見守ってください。20代最後の年、駆け抜けるぞー!!! 2008年、みなさんに沢山の幸が降り、それが周りに広がっていきますように。
Jan 3, 2008

浅い眠りのなか、目を開けるとうっすらと空が明るくなっているのに気付く。やばい!ばっと布団から飛び起き、着替えて、ちゃりんこに乗って海岸までダッシュ。久高島2日目。太陽神信仰の島で、朝日を観ないわけにはいかない。空には、うっすらと雲がかかっているのが少し気がかり。海岸に着くと、水平線の上に少しだけ、雲と雲の間に隙間がある。そこから朝日が見える事を願って待つ事数十分。見えてきた。合掌。宿に戻り、吉村夫妻と合流。イラブーの薫製の取材に同行する。イラブーの薫製。琉球王朝に献上していただけあって、かなり神聖なものらしい。そのため、カメラは一切禁止。しかし、吉村さんの取材に混ざって、ウミヘビのイラブーを触ってみたり、不純物を肛門から取り出すのを見て驚いてみたり、かなり楽しませてもらった。吉村さんは、次の取材があるという事で、早めに島を出るというのでお別れする。そして、一緒になった女性と遅めの朝ご飯を食べにいく。そして、俺も午後一のフェリーで帰る事にして、最後に島をプラプラする。かなり濃い島だった。今度来るときは、どんなタイミングで来るのだろう?楽しみだ。また呼ばれたい。さて、次に向かうは、斎場御嶽(せーふぁうたき)。琉球王国最高の聖地。世界文化遺産の一つである。ひとつひとつのスポットは、簡素ながらも厳かな雰囲気。なかでも三庫裏は特別であり、そこから見える久高島は何とも言えない。次に向かったのは、平和祈年公園。平和の礎をどうしても見ておきたかった。国籍、軍人、民間人「関係なく」、沖縄戦で亡くなった人々の名前が整然と刻まれている。軍事化を目指そうとしている様なアホな政治家はここに来た事があるのだろうか?空がだんだんと赤みがかってきている。急がねば。資料館も行きたかったけれど、車を返さなければならないし、絶対に「ひめゆりの塔」には行っておきたかったので、そこを後にする。数十分でひめゆりに着く。思っていた以上に壕は小さく感じたが、そこは、下に長く広がっている事を後で知る。献花した後、資料館へ入る。映画、「ひめゆり」を見ており、それと同じ様な資料がおいてあるのだろうと思っていた。しかし、間違っていた。このHPを見るだけでも、資料館の内容の濃さがわかると思う。ひとりで見学していたけれど、涙をこらえるのが必至だった。いや、だぁーっと流していた。悲しかったし、悔しかったし、今も戦争が起こっていることや、それに加担しようとしている日本にも怒りが込み上げてきた。おき楽ご気楽な高校生とは対照的に、鼻をすすりながら感想文をつらつらと書いてしまった。戦争は過去のものじゃなくて、日本だけではなく世界でもこんな悲惨な歴史を繰り返さないために、こういったものを残しておく事がいかに重要か。沖縄は、僕らに大切なものを投げかけてくれる。すでに沈みかけている太陽の方向に向かって、なにかずっしりしたものを心の中に携えながらハンドルを握る。今日は、沖縄の濃い歴史をたっぷりと体にしみ込ませた日だった。その日の夜は、ディープな夜の那覇の街へ繰り出す事になる。(昼食:ぷらっとよったスナックを改造した風の食堂。薬草粥。すごいうまい。何の薬草があるか聞いたけど、聞いた事ないものばっかりで忘れた。ボリュームがありすぎて、かえって腸に負担が。。。)
Dec 30, 2007

伊江島から那覇に戻ってきて次の日。まだ、どこに行くか決めていない。平和祈年方面に行くか、伊江島で勧められた久高島へ行くか、はたまた読谷村や那覇観光をするか。とりあえず、空港に届けてもらっている帰りの航空券を取りに行く。空港で、久高島のフェリーをチェックすると、まだ行ける。今回は、直感が働く旅でもある。直感に任せて動こうと覚悟を決める。一日2000円ちょっとというレンタカーを借りて、一路、久高島へのフェリーが出ている安座真港へむかう。沖縄の交通事情は少し違う。信号無視をする車、はたまたゆっくりな速度、急に変わる路線、案内表示の少なさ。車にナビがついてて、良かった。港について、かなりぼろいフェリーに乗るが、それはグアテマラの経験で慣れている。「前の席は揺れるよ」という船員さんの忠告を聞かず、前の席に座る。出発すると、なるほど、かなり縦に揺れる。しかし、これもグアテマラで慣れている。あのときは、漁船並みの小さなボートが湖面をジャンプしていた。それに比べれば、この船は四方に壁と天井があり、数段快適。沖縄のうちなんちゅも導かれない限り行く機会が無いと言う島への船内の客はどこか不思議な雰囲気漂う人たちが乗っている。20分程で、久高島に到着。さて、久高島。沖縄本島の東側に位置する、本島にごく近い島の一つ。しかも、ココは神の島。あとで知った事だが、琉球の創世神アマミキヨが天からこの島に降り立ったという。そのため、今もこの島は神聖な場所であり、神事が一年を通じて行なわれている。島には聖域があり、外部者や島のものでも男性は立ち入れない所などが多くある。この島は太陽神信仰。朝日を拝み、夕日は絶対に拝むものではないと言う。島の土地は、家の土地を含め、個人所有ではなくほとんどが共有地であるというのもおもしろい。詳しくは、Wikipediaを。久高島の港に到着して、とりあえず自転車でも借りようとする。レンタバイクのおばあちゃんに貸してくれと言うと、「宿が決まってないと、だめ」と断られる。すごく小さい島なのに宿なんて少ししかなくて、それが決まっていないから、だめって~。そんなサービス精神の無さが好き。とりあえず港に戻って、宿の情報収集をすることに。売店のレジのおばちゃんに聞くと、「交流会館か郵便局が安く泊まれる」と言う。「郵便局!?」かなり触手が動く。しかし、さきにレジに並んでいた明らかに沖縄の島人ではなさそうな男女が、交流会館に泊まっているといい、勧めてくれる。とりあえず交流会館の様子を見に行くことに。あるいて交流会館を目指す。歩いていると、出会う人々は全て高齢の方々。特におばあが多い。挨拶を交わしながら歩く。この挨拶のできる空間がいかに大切か。街並はコンクリートの平屋が多く建っている。その軒先や屋根にはシーサー。交流会館に到着する。市民会館みたいな所で綺麗な設備の所だった。そこへ、さっき、ココを勧めてくれた男女が到着していた。「あ、どうも~。来てみました~」程度に挨拶。館内の様子を見ようとしていたが、なんとなしにチェックインしてしまった。チェックイン後、荷物を置き、ちゃりんこを借りて、島内を巡る。後で気付いたが、すごく小さい島だから、歩いても廻れる。海、海辺、岬、畑。この島には自然がそのまま残されている。行ってしまえば、全然開発されていない。それがこの島のポリシーだという事がわかる。いろんなトコロがあり、そこかしこで、いろんなものを感じたりしたけれど、それをここで書いていると、とうとう若尾は狂ったかと思われそうなので省略。島の中心部に戻り、小腹減ったなぁ、今日の夕飯はどこで食おうと思っていると、またまたあの男女が。こりゃこの人たちとはなんかある、と思って、話しかけてみる。そしたらご飯を誘ってくれる。この男女、夫婦であった。旦那さんは、吉村喜彦さんというライターの方。ANAの機関誌にも記事を書いている人。今回は、やはり久高島に取材しにきているとの事。(amazonで検索すると、いろんな本が出てくる。)この夫妻がすごく気さくな人たちで、全然気取る事なく、ミシラヌ旅人に沖縄の事、この島の事を詳しく教えてくれる。奥さんは、刺繍の入ったジーパンとサングラスを髪に掛け、関西出身だなぁという感じ。その話しはおもしろおかしく、しかしとても優しさがにじみ出ている。旦那さんの喜彦さんは皮ジャンをぱりっと着こなし、かっこいいニヒルなダンディといった感じ。サントリー出身ということで酒が好きで、酒についての本も書いている。ライターだけあって、優しさのある言葉遣いに説得力がある。初の沖縄そばを食し、吉村夫妻も食事が済み、一緒に交流会館までちゃりで戻る。彼らはこれから取材があると言うが、それまでの間、再びゆんたく(井戸端会議)。沖縄のこと、食のこと、日本の今のこと、農林水産業の事、すごく通じる部分があって、話しは尽きない。取材の時間が来てしまい、残念ながら今日はお別れ。しかし、明日のイラブー(ウミヘビ)の薫製の取材に誘ってくれた。彼らはこれから、そのイラブー漁の取材に行くと言う。夜であり、危険な海岸を通るという事もありかなり危険が伴う取材との事。安全を祈って、レンタカー屋でもらった安全祈願の星の砂を彼らに託す。無事に帰ってきてほしいと願って。 喜彦さんが言っていたなかで印象的な言葉があった。それは、「沖縄の人は生きている」「特におばあ、おじいが生きている」と。のぶひこさん曰く、それはゆんたく「おしゃべりの時間」があるからだという。自分なりに解釈すると、ゆんたくをする時間・余裕→ユンタク→人々/家族とのコミュニケーション→「生きる」につながるのではないか。むろん、この島にも過疎化、主要産業がなくなってきていることなど様々な問題は存在する。しかし、人々は「生きている」。果たして、都会の人間は「生きて」いるだろうか?自然と厳かな雰囲気と、良い出会いを満喫した日だった。導かれるように直感に任せて、この島に来て良かった。出逢い、気付き、発見、感性に感謝な旅の一日。
Dec 28, 2007

日本を知る旅、回想録。沖縄、伊江島二日目。今日は、泊まっていた「土の宿」の設立者である、木村浩子さんの個展に午前中伺う。木村浩子さん。3歳の時に脳性マヒになり、自由に動かせない体を持ちながらも、平和運動などに積極的に取り組んでいる。彼女の書く童画、俳画は、懐かしい雰囲気を持ちながらも今の日本に訴えかけるものがある。彼女が左足で書いた、言葉に目が止まる。「自然が好き。人が好き。そして、自分が好き。」この普通に見える言葉が、すごく今の自分に必要な事に思えて、がつんと心に響く。最近、人に優しくしようとか、自然とつながろうとか、無理に思っていて、無理矢理、笑顔を作ろうとしていた自分がいて、でも、それは、自分を好きにならなければいけないことにこの言葉が気付かせてくれた。木村さんの言葉は、人や、自然、平和にダイレクトに訴えかけてくる。すごく魅力的な女性だ。髪を部分染めしている所もチャーミング。ゆっくりお話がしたいと思ったけれど、帰りのフェリーの時間が迫っていたので、泣く泣くその場を後にする。(木村浩子さん)フェリーに乗り込み、伊江島を後にする。至って普通の島かもしれないけれど、そこには来るべき人が集まる場所と魅力的な人がたくさんいた。土の宿とスタッフの人々、木村浩子さんの関係者の人、宿の宿泊者。たった一日だけなのに、なぜかすごく柔らかいオーラがみんなを包んでいる。伊江島に行けば、そんなオーラに触れる事ができる。また、来よう。フェリーに乗っている間は、宿で出会った本島で働いているI君とはしゃぎながら過ごす。 (フェリーからみた、伊江島)その後、昨日からアテンドしてくれているK君が「辺野古」に連れてってくれるという。俺は、何があるのかさっぱりわからず、二つ返事。で、着いてみると、やっと「辺野古」を理解出来た。そこは、米軍基地拡大予定地であり、沖縄の基地反対運動の中心地でもある。そこで基地の建設を阻止するために、座り込み活動を行っている方々の話しを聞く事ができた。普天間飛行場の移設予定地として辺野古「沖」の基地建設の撤回の後、辺野古「沿岸」での基地建設案が日米両国によって進められている。ここは絶滅危惧種のじゅごんが生息している地域でもある。そのため、基地が建設されてしまえば、じゅごんのすみかは守られても、潮の流れなどの予測不可能な環境変化によって、彼らのえさが無くなり、絶滅する恐れもあるのだという。普段、ここでは、米軍のヘリが飛び、環境アセスメントのための調査VS反対運動の皆さんが活発に活動しているそうだ。僕らが行った日は、政府による沿岸の調査が無いため、座り込みの反対活動も少し休憩状態。活動家の女性が、「いつもこのくらい、静かな海なら良いんだけど」とおっしゃっていた。彼女は、長い年月この闘いに身を投じてきた。そのため、「もう、疲れた。」ともおっしゃっていた。確かに、日米両政府という巨大なものを相手にしており、すごく意義のある活動だが、先が見えない不安もあるだろう。それが、10年以上続いているのだ。そんな彼女に、聞いてみる。「僕らに何かできますか?」と。そしたら、彼女からはシンプルな答えが返ってきた。「知ってください。」テレビなどの報道ではない、現場の事実を知ってほしいという。確かに、日本列島では、基地の問題はほとんど報道されない。報道されても、こんな現場の声が届く事は無い。最近では、沖縄の歴史まで変えてしまおうと言う風潮さえあった。何のために、基地は必要なのか。そんな単純明快な質問に、日米両国は、あれこれと理由をつけ、はぐらかし、真相をわかりにくくしている。僕の意見は、基地にNOだ。しかし、その意見を他の人に押し付けようとはしない。それは、一人一人が事実を知って、考えて、アクションをすれば良いのだから。だからこそ、インターネットやテレビではなく、様々な事実を知る機会をもっともっと増やすべきだと、思った今日の辺野古見学。沖縄って、「人」と「社会問題」においても、濃い。(伊江島の海) (基地との境界には有刺鉄線があり、そこには無数のピース・リボンが掛けられている。昔は、米軍も必至にリボンをとっていたらしいが、今は、もう追いつかないので放置状態とか。)
Dec 25, 2007

寝不足の体を叩き起こして、モノレールで首里駅まで向かう。友達Kくんと待ち合わせ。彼に今日、明日アテンドしてもらう。持つべきものは友達なり。車で「ちゅら海水族館」の近くの本部港に到着し、フェリーで伊江島へ。今日は、快晴。少し前まで、沖縄の天気は悪かったそうだ。海外旅行では雨に降られた事が無い威力を異国「沖縄」でも発揮している?今日の宿は、「土の宿」。「平和の中でこそ福祉は存在する」という考えのもとに、建てられた宿で、そこは木造り、囲炉裏有り、大きく張り出した縁側と緑の見える庭、そして全ての部屋がバリアフリー。LOVE & PEACE。その言葉がぴったりの宿であり、実際、そういった人たちが多く集まる。すこし宿で休憩し、島を車で散策。昼食は、ゴルフ場の食堂でトーフチャンプルー。豆腐がかたくて、おいしい。ボリュームもあって、大満足。味付けがどこか中華っぽいよね。その後、集団自決した壕に。すごく重い雰囲気が漂い、ここが戦争の激戦地だった事を実感する。海を見て、釣りをしているおじちゃんの邪魔をして、その後、島にこんもり盛り上がっている唯一の山、城山(たっちゅう)にいく。頂上は、島全体が見渡せる。途中で出会った水神様にお邪魔しましたと、挨拶。夕飯は道の駅ならぬ、島の駅で、俺には珍しく焼き肉。K君が今回のメインイベントとしても楽しみにしていた。牛、鶏を食すけれど、それは全て、この島で育てられたお肉さん。まさに、地産地消。そうであれば、肉も悪くないね。だからこそ、マックはあり得ない。と心に誓うのであった。宿に戻ると、他の人たちが囲炉裏を囲んでいた。みな、それぞれ、優しい顔をしている。ふと、思った。たぶんに、そういう人たちが、自然に、必然に集まる宿なのだろう。話しをしていると、隣の人、そしてその隣の人が、自分の地元と縁がある。偶然のつながりを肴に、酒が進む。K君が、三線を取り出し古典民謡を弾き始めると、たまたまそこに居合わせたお客さんが沖縄の古典舞踊を習っていたという事で、セッションが始まる。囲炉裏を囲んで、泡盛片手に、みんなの手拍子が宿に響く。(その時の様子)偶然、必然、囲炉裏の炎、人々の優しい笑顔、三線の響き、舞踊の舞、おいしいお酒、気付き、人のつながり。素晴らしい人たちが集まった、素晴らしい夜の宴。今宵と全ての人、つながりに感謝。帰る人を送るために、外に出ると満点の夜空。「こんないっぱいだったら、流れ星見えますかね~」あっ!
Dec 21, 2007
朝、泊まらせてもらったMくんの出勤にあわせ、家を出る。電車で、一人関西空港に向かう。15時過ぎの那覇行きのANAに乗る。10500円なのは格安だったらしい。17時過ぎに那覇に到着する。暖かい。今まで、3枚上着を着込んでいたが、それでは、汗をかいてしまう程。12月初めなのに。事前準備しなさ過ぎの自分は、今日泊まろうと思っている宿までの交通手段も分からない。バス?タクシー?うろうろしていると、モノレールがあると知って、それでゲストハウスまで向かう。今日泊まるゲストハウスは、東京のNPOマネジメントの講座で知り合った那覇在住の人が教えてくれた「YUKURU」。ゲストハウス内は、社会起業家のたまごたちが作ったというだけあって、おしゃれでキレイ。対応してくれたおばちゃんは、かなり威勢が良く、テレビで出ていた朝青龍に向かって、「こいつ、ふてぶてしいんだよ!!」と怒鳴っていた。。。あまり良い情報が出てこなかったので、ご飯を食べに外に出る。前にも書いた大阪のお寿司屋さん「さんべ」で大将に紹介してもらった、お弟子さんがやっている、沖縄にのれん分けした「さんべ」に向かう。ここで情報をゲットしようともくろむ。着いてみると、店内は綺麗で高級そうな感じ。外にあったメニューにも値段が書かれていなかった。やばい!場違いだ!と思った時は既に遅し、店内に案内されていた。大阪の大将から、電話がしてあり、俺が来る事はわかっていた。しかし、こちとら初めての、一人カウンター寿司。東京でさえ、行った事が無い。ど緊張してしまう。「すみません、突然お邪魔して。。。」と言うと、「ホントだよ!」と大将が一喝してくれ、緊張をほどいてくれた。でも、やはり値段が心配だったので、安い海ぶどうを頼むケチなバックパッカー。それを感じ取って、大将、いろいろな刺身を頼みもしないのに出してくれる。沖縄県産のタコ、かんぱち(?、魚には疎い)、お寿司などなどかなり絶品な刺身が目の前につぎつぎ現れる。そして、普段は焼酎や日本酒は飲めないのだが、大阪の寿司屋での純米酒がおいしかったのもあり、勧められて、泡盛をもらう。うまい!いままで、居酒屋で口にした事があったが、おいしいと思った事は無かったのに、これは場の空気がうまくしてくれているのだろうか??そして、隣のお客さんが、とても気さくで、おもしろく、明日ある「那覇マラソン」の話し、昔あった「方言札」など、いろいろ楽しく教えてくれる。俺がいくらの寿司を食べようとしていると、「それ食べたら、死ぬよ!俺が死んでやるから、くれ!」とかとか、彼とのやりとりは続く。友達の待ち合わせ時間も迫ったので、お会計を頼む。財布に、いつもよりも多めに入れてあるから大丈夫だろうと、覚悟する。そこに現れたお値段は、「4000円」あり得ない。いくら大将の大将の紹介だと言っても、回転しない寿司屋でたらふく食って、飲んでこの値段は安すぎる。本当にありがとうございます。そして、ごちそうさまでした。また、来ます。お会計で、大将の奥さん(この方が、綺麗でとても優しい)にお金を払っていると、こそっと「あの隣にいた方はね、元りんけんBANDの方なのよ。」と教えてくれる。「リンケンバンド?」聞いた事はあるぞ~。と、その時は思ったが、後々うちなんちゅに聞いてみるとかなりすごい人だという事が判明。そんな人に突っ込みを入れてしまいました。うまい寿司と、大将と奥さんの粋な計らい、楽しい会話に大満足して、友達との待ち合わせ場所、国際通りを歩いていく。国際通りで、子どもがストリートでぬいぐるみを売っている姿を見て、あ、ここは日本じゃない、と思い始めていた。友達と合流し、飲み、ゲストハウスに戻ったのは、深夜1:30。明日は、その友達と伊江島に向かうのだ。起きれるだろうか。。。
Dec 18, 2007

11時から大阪を歩き続けて、3時頃だっただろうか?通天閣をすぎ、新天地、新宿のおもひで横丁の様な「じゃんじゃん横丁」を通り過ぎる。少し前までは、地元の人も来たがらない様な場所だったと言う。ガラが悪くて、飲んだくれが多く、カンガルーも食べれたようなところだったとか。今は、串カツが人気になりつつあり、若者向けのお店も増え、カップルも歩いている。その中で目を引く店が一つ。「スマートボール」のお店。こんな昔のものが、ゲーセンと同じくらいの規模の店内で、若者、おっさん、おばちゃん、混じってやっている。グッと来るね、こういうの。さて、ここを過ぎると西成にあるあいりん地区(釜ヶ崎)。横浜の寿町や、東京の山谷の様な所で、日雇い労働者の町だ。ここに入ると男性しか見られなくなり、年齢層もグッと上がる。夕暮れの時間という事もあって、その哀愁的な雰囲気が漂ってくる。多く点在するホテルは、800円からと言う破格のお値段。ロンリープラネットにも載り、バックパッカーがここに泊まりにくるのも納得出来る。お弁当も300円ほど。値段に驚いていてはいけない。この値段でなくては、生活出来ない人々がここにはたくさんいるという真実が、そこにはある。どんどんDeepな大阪に引き込まれ、疲れているに自分のテンションは上がっていく。肩に食い込むバックパックを背負いつつ、この空気を体に染み込ませようとする。次に連れて行ってもらった所は、第3セクターによって建てられた大型ショッピングモールの廃墟「フェスティバルゲート」。もともと人の通りが少ない所に建てられたショッピングモール。集客の激減により採算が取れなくなり、店が撤退する。その後、多くのNPOや民間団体を誘致し、サブカルチャーの発信地になりかけたが、市は採算性を急ぎ、再建を断念し、これもおじゃん。市の開発の計画性、ビジョンのなさが、全面に現れている。モールの中には、ジェットコースターが駆け巡り、大阪の派手さを物語っているが、その周りにある店舗が閉まって閑散としており、そのギャップが物悲しさを増している。続いて向かうは、今回の最大の目的地。飛田遊郭。演歌が流れ、子どもたちが駆け回り、じゃりんこチエが舞台となった商店街を一歩抜けるとそこに現れるのは、何百メートルにも長屋状態に連なった、料亭と言う名を名乗る女性を買う「お店」が間口をあけている。その数は半端じゃなく、圧巻。一軒一軒は、その軒先が開かれていて、胸を大きく見せる衣装を着、化粧をばっちり決めた女の子が色っぽく座っている。その顔には、下からばっちりとライトが当てられていて、女の子の顔を更に白くみせている。スチュワーデス、女子高生風、風俗嬢ちっく、ちょっと年増、、、様々な女性が各玄関に座ってお客を待っているのだ。彼女たちは、絶対に僕らには声をかけない。声をかけるのは、その女性の横に座っているおばさん(おばあちゃん)。少ししゃがれた声で「いらっしゃい、兄ちゃん。寄ってき」と声をかけてくる。そのおばちゃんから、女の子に視線を移すと、女の子が更に引き立てられて見えるのは作戦の一つだと、俺は確信した。疑問に思ったのは、キレイな衣装を着ていても、いろっぽい女性の膝に掛けられたブランケットの多くが、ミッキーマウスなどのキャラクターものだったこと。もちろん、何もしない。店に入るわけも無い。しかし、テンションはあがった。カルチャーショックだった。グアテマラにも線路沿いに風俗の店がならび、自分の顔よりも大きな太ももをもった女性が、パンツ一枚の様な姿で立っており、150円程度でその体を売っているのを見てきた。しかし、程度の差こそあれ、日本にもこんな所が存在するなんて。ジャンジャン横町に戻り、ソース「二度漬け禁止!」がルールである、大衆居酒屋で飲みかわす。大阪は濃い。いや、日本は濃い。改めて実感した日だった。やはり、自分は日本を知らなさすぎる。今度は東京の山谷、吉原に行ってみようと決意を固める。次の日、早朝から仕事であるのに一日中大阪を案内してくれたHくん、そして初対面にも関わらず快く寝床を提供してくれたHくんのともだちのMくんに心から感謝。本当にありがとう。俺は、彼らに何を返せるだろうか?今日の事を忘れたくないなぁと思いつつも、すぐに目は閉じていく。明日は、とうとう沖縄だ。 (遊郭の一角にある、鯛よし 百番。昔は、「そういうところ」だったそう)
Dec 16, 2007

京阪本線にのって、大阪中心地を目指す。どうも、大阪に来た気がしない。なぜならば、大阪に来るのは、この年齢になって初めてであり、実感がわかない。東京では、テレビを付ければ関西弁ばっかりだし、エセな関西弁は巷にあふれているし、俺の周りには何故か西日本出身の人が多い。そんなこんなで、心斎橋に降り立ってみたところ、ここは東京の地下鉄か?とも思ってしまう。人の表情も東京都内と変わらない。心斎橋で、友達と合流。今日一日、大阪を案内してくれる。バックパックとグアテマラのガラガラした帽子をかぶった怪しげな関東人と、ピンクのパンタロンをはいた関西人の異様なコンビは、大阪の人の目にどう映ったであろう?まず、道頓堀。ここで、グリコを見て、やっとここが大阪である事を認識する。今まで映像でしか見た事が無かったものが、目の前にあるとなかなか感慨深いもんだ。グリコの人って、年代によって衣装、体系とか変わってるって知ってた?しかし、どの看板もなんで、こんなにでかいんだ?カニ、ふぐ、ドラゴン、恐竜、なんでもありだ。色もごちゃごちゃだが、こうも視覚的に訴えてくるとある意味、整然と感じてしまうから不思議。次に、心斎橋。東京で言えば、銀座?キレイなブティック(死後に近い)が軒を連ねる。スルー。続いて、アメリカ村。原宿と言った感じ。平日、午前中という事もあり、人通りは少ない。法善寺横町に到着。ガイドブックで面白そうだなぁと思っていた。お地蔵さんに水をかけて、願掛けするのだ。それだけに、水商売の人も願掛けに来るのだそう。昼食は友達が時々来ると言うカツ丼屋さん。ご飯と玉子とじされたカツが別々に出てくる。結局どんぶりでMIXされる。店長さんも、怖い顔つきで面白い事言ってくれる。続いては、日本橋。東京で言えば、秋葉原。「メイド耳かき」が流行ってるようだ。ちょいと、疲れてきたので小休憩で2時間くらい、コーヒを飲んでだべる。夕方前。新世界。通天閣のモデルがエッフェル塔だという事も知らなかった、東京生まれ、東京育ちのもやしっこ。歩みを進めていくと、だんだん、街の臭いが俺の好きな感じになってきた。哀愁漂うネオンと看板、昼から飲んでいるであろうおじちゃんたち。流れるは演歌。来た来た。これこれ。(次回、西成、飛田地区編に続く)(京阪本線がトーマス、一色!上がる!)
Dec 12, 2007

京都の寺巡りを終え、京阪本線に乗り、友達の住む駅に向かう。この路線、驚く程、駅の感覚が短い。たぶん駅と駅の間は5分くらいで歩ける。だって、30秒くらいしか電車走らないんだもん。どういう意図で駅を作ったのだろう、おもしろくなってくる。ある駅で降り、友達と合流。彼とは帰国後、東京であった。彼は東京で働き、いろいろ自分のやりたい事をしていたが、10月から実家の寿司屋を継ぐ?ために戻って、修行している。人通りが多いとは言えない商店街の一角にその寿司屋はある。その現状をどうにかするためにも彼は戻ってきた。寿司を握った事も無い彼は、熱い志を持っている。さて、寿司屋ではお父さんが寿司を握ってくれた。友達の彼は、お酒をついだりしてくれる。お互い憎まれ口を叩きながらも、親は子をしっかり見守り、子は親の姿を学んでいる。うらやましい家族像がここにはあった。お酒(自然派ワインと純米酒が美味)とおいしいお魚(ふぐ、はもなどなど)をたらふく食わせてもらう。6時過ぎから11時までカウンターで、鮨を食べては親子と話す。最後の方は、寝不足のせいもあり、覚えていない。 彼が気遣ってくれて、店の途中だが、銭湯に誘ってくれる。二人で銭湯に行くと、昔から彼を知っている番頭さんのおやっさんが彼に「エロDVD」を貸してくれると言っている。会話が会話だがなんだか、こういう昔ながらの人のつながりがすごく懐かしく、いい。久しぶりに熱すぎる湯船に入った。なぜ、銭湯の湯船は熱いのだろう?そういえば、小学生の時、よく友達と銭湯に遊びにいったっけ。閉店に間に合うように、店に戻り、1:30に店を閉める。3:00前までおやっさんと3人で飲み語る。しかし、やっぱり覚えていない。今度は、体調万全で挑みます。もしくは、ウコンに頼るか。布団を用意してもらって、布団に入るといつの間にか深く眠っていた。。。。!!!7:30けたたましく3つの目覚ましが鳴る。彼は、午前中の魚屋での修行に行く時間だ。深夜遅くまで働いて、そして朝から修行。それでも、彼の決意は固い。俺には、それだけの決意はできるだろうか?否、できないだろう。職人文化を継承する事は、本当に大変な事だとつくづく思う。遠くで彼が朝の準備しているのを聞きながら、もう少し眠らせてもらう。起きた時には、もちろん彼はいなかった。階下に降りると、奥の部屋では親父さんがまだ寝ているようだ。起こさないように、書き置きを残し、外に出る。次なる目的地、大阪中心地を目指すために。(銭湯での湯上がり後は、やっぱ牛乳でしょ)
Dec 10, 2007

京都の旅日記の前に、すごいサイトの紹介。環境や平和を訴える「Green TV japan」この中の「グリーンライフ」のストリートチルドレンに関する番組は、僕も関わっているプロジェクト。それ以外の番組も衝撃的。是非、見てみてください。さて、旅日記~~~~~2日目 京都~~~~~~ 朝7:00、京都駅に着く。スタバに入り、朝食をして、顔を洗い、歯磨きを済ます。これから仕事であろう人たちに混じり、机に地図を広げる。京都のバスは複雑だ。本数がすごくあり、入り組んでいる。それを踏まえて、今日は北から、南に下っていく事にする。バックパックを京都駅のコインロッカーに預け、バスに乗り込む。まずは、昨日旅行雑誌でパラパラしていたら、目に留まった「詩仙堂」をめざす。バスで少しの仮眠をとり、いざ詩仙堂へ。詩仙堂到着。午前中だからか、人は少ない。こじんまりした寺院に入るとそこに現れるのは、キレイに整備された庭と、紅葉と緑の樹々。ここは、小さい中に全てが凝縮されている感じ。物事は小さくていいのかもしれない。多くを持たずして、多くを語る事ができればいいのだ。そんな寺院だった。しばらくぼ~っとしていると、団体客がぞろぞろと入ってくる。集中力も切れたので、彼らから離れるように寺院を後にする。次に向かうは、近くにある円光寺。ここは、旅行誌に大々的に載っているだけあって、人も多く、しかも下手に整備されすぎていて、派手さと商売っけがあるくらいだった。しかも、庭でゆっくりしようとすると、縁側に陣取るのは、一眼レフを手にしたおじさんたち。彼らが縁側を占領して、縁側にも座れず、庭を見る事もできない。縁側の前を通る人がいようものなら、「邪魔だなぁ」と言う始末。彼らは、何をしに来たのだろう?風情を撮りにきたあげく、風情を味わう事を忘れてしまっているのではないだろうか?少し気分を害されたので、他の所に移る事にする。(円光寺のカメラ小僧) 次に萬珠院。ここは大きい所だが、それなりの歴史があるらしく、人がいっぱいいても気にならなかった。庭と寺院の中も見応えがある。お腹もすいてきたので下山する事にする。 昼食↓バス東山↓徒歩知恩院 三門↓徒歩円山公園(なぜかフォークを唄う外人が。。。)↓徒歩高台寺(高い所から京都が一望。庭もきれい。)↓徒歩清水寺(人が多すぎてげんなり)↓バス京都駅(バックパック回収)↓バス東福寺(閉門ぎりぎり。ここの紅葉はかなり迫力有り)と、徒歩とバスを駆使して京都を北から南へ下った。久しぶりの京都。しかも東側だけ。一つ一つの寺院に一つ一つの顔があって、おもしろかった。自分の中では、最初に勘で見つけた詩仙堂が、小さいながらもわびさびのある感じがして良かった。あと、京都は苔がすごくキレイだと言う事に気がついた。苔を手入れしている人がいるくらいだし。まだまだ行きたい所はいっぱいあったが、新緑のシーズンもいいらしいので今度はそのシーズンに来てみよう。奥が深すぎる京都にお腹いっぱいになり、次なる目的地、大阪のある町を目指す。(高台寺)(清水寺)(東福寺)
Dec 8, 2007

11月終わりから12月初めまで、京都、大阪、沖縄、西日本を知るための旅に出てきた。グアテマラに行って痛感した、日本を知らない自分。もっと日本を知りたいと思っていたら、「沖縄にくる?」と一通のメールが。思い立ったが吉日。日本を知る旅をしてしまおう。~~~~~~~出発当日~~~~~~~~~~「バスの予約を取りたいんですが。。。」「いつのですか?」「今日の夜10時、新宿発京都まででおねがいします」「残り一席です。本当は、前日までに予約をお願いしております(切れ気味な口調)。次回からはよろしくお願いいたします。」「知りませんでした。1席お願いします。」準備を全くせずに旅行。大阪や沖縄は行く事を決めていたが、京都に行く事に決めたのは、出発当日。思い立って図書館で京都の本を借りて、行きたい所をブックマーク。家族に挨拶をして、新宿に向かう。京都行き深夜バスには、様々な人。日雇い労働者チックな人、リクルートスーツを着て、やたらと髪型を気にする女の子、バリッとコートを着て、いかにも仕事ができそうなおしゃれリーマン。たぶん眠れないと思って、眠剤を飲むも、深くは眠れず、浅いうたた寝を繰り返していたら、いつの間にか8時間。京都に着いていた。実に、15年ぶり、中学校の修学旅行以来の京都駅。さぁ、朝飯食って、作戦会議をすることにしよう。(朝の京都はくもり空。雨が降らない事を祈る)
Dec 6, 2007
今日も、先日の大学生の国際協力イベントでの話。大学の先生国際協力機関の職員フェアトレードに関する様々なオーガナイズをしている学生そして、フリーターの俺。そんな4人が大学生と高校生に「国際協力」について話しをする。4人十色の話し。しかし、4人が共通して言う事あり。それは、「国外を見る事も大事だけれど、自分の足下を見る事も大事ということ。」自分のルーツ(日本の歴史、文化)を知る事自分の生活の一部が、国外に波及している場合がある事日本の課題を解決する事が、国外に良い影響を及ぼす事がある最近、そう思っている自分にとって、皆さんの話しに感心しながら、うんうん、そうそうとず~っと頭を縦に振っていた。周りを変えるには、まずは己とその周りを取り巻くものを知る事から始まる。己を知り、行動することで、己の周りから、その波動は徐々に広がっていく。ミクロな視点が、マクロの世界を変えるが如く。
Nov 27, 2007
自分が、高校、大学のときは、のらりくらりと問題意識も無く過ごしてきた。それが居心地良かったし、自分の事で精一杯だった気がする。先日、「Will be」という開発教育学生団体のイベントに参加する機会をもらった。学生を対象に、国際協力の学びの機会を提供しているという団体で、学生が主体。それだけでも、関心なのに、今回、そのイベントの対象者が高校生。頭が下がる。自分の学生時代に比べ、彼らは意識も高く、そして何よりも、キラキラしてた。彼らの発する言葉、一つ一つに不安や希望が垣間みれる。それによって、その場がすごく新鮮な、素敵な雰囲気を醸し出している。自分は、25歳を転機にこの道に踏み込み、視野がぐわぁ~っと広がり、ネットワークがどわぁ~っと広がり、人生の選択肢もばばばばばと広がった。そして、何よりも人生観が変わった。20歳に満たない彼らが、これからこの道に一歩踏み出したら、彼らの未来は、どんなに可能性の満ちたものになるのだろうと考えたら、こっちがワクワクしてしまった。こんな原石を持っている人が増えているのかもしれない。それらの芽に、刺激と栄養を与えて、ブラッシュアップしていくのが僕らの役目?そんな風に思ったら、日本の将来も暗くないと思った。みずみずしさの雰囲気に包まれ、最近できてしまったシワがなくなったかもと思い、電車の窓の自分に現実を見る。
Nov 24, 2007
実りの秋、収穫の秋ということで、農業イベント目白押し。「収穫祭 &『西』東京アースデイ」あくまで『西』なイベントです。午前中のみ、おじいちゃんに混じって働いてます。「国際有機農業映画祭2007」この他にも、いろんな所で収穫祭みたいなものが行なわれるよ。実りの秋とは無関係ですが。宣伝。「風の通り道 in 大阪」は23日のみ。「風の通り道 in 札幌」は12月1日~16日まで。札幌には、新しい写真を数点入れています。来年には、写真を一新したいなぁ。
Nov 22, 2007
「目的に向かっていく、その過程に豊かさはあるのかもしれない」(国際協力の勉強会に来ていた高校生)「一人では達成できないものでも、仲間がいれば達成出来る」(生活改善普及員だったおばさん)「遠い誰かの温もりは、近くの手をつなぐ事で伝わったりする」(中里尚雄 「Descention ~自らを下げる~」)「人生は寄り道だよ。正しい道しか知らなかったら、踏み外したときが恐いだろ。」(農家のお母さん)
Nov 20, 2007
仕事でニラを生産している農家に滞在する。そこの村のJAが僕の街の西友に出荷しているのは知っていた。その事を、農家さんに伝える。「うちのニラも、その西友に全部出しているよ」何!?最近、やたらとスーパーなどに顔写真の入った値札があるが、これはそれ以上に、リアルな話。ゲンナマが目の前にいるのである。その農家さんの歴史、現状、課題を聞いて、実際の仕事を手伝う。更に、そのニラに親近感が湧く。これからは、何が何でもそのニラを買いに行こう。顔の見える商品を目指して、ちゃりんこで買いに行こう。今年の鍋が一段とおいしく感じる事が出来そうだ。
Nov 18, 2007
道路に落ちている茶、黄、赤の葉っぱをかさかさと踏んで歩くのが楽しいな。と。さて、愛知の写真展も無事、終わったようです。愛知のスタッフのみんな、おつかれさま。そして、ありがとう!次は、仙台、大阪、札幌と続きます。スタッフの皆さん、よろしくお願いします。僕は、どれも行けなそうです。札幌は寒いし。と言うわけで、仙台の詳細、そして大阪、札幌の少しの情報をお届けします。来年の帯広、再び札幌、そして下って、鹿児島の情報は、また改めて連絡します。近くに住むみなさん、近くに住んでいる人を知っている皆さん、是非是非、ちょっと誘って、来てみて、寄ってみて、メッセージなどを残していってくれたらと思います。ちなみに、この写真展、今後もう少し、おもしろいものにしていこうと企んでおります。詳しい事は、秘密にしておきますが。。。さて、前置が長くなった所で、詳細、以下です。今後もよろしくおねがいします。~・~・~・~・転送歓迎~・~・~・~・~・~青年海外協力隊写真展 「風の通り道」「これまで、どんな国に行ったことがありますか?そこで何をみましたか?」観光旅行では味わえない現地の生活、文化、自然、ヒト、その国の現状。2年間をそれぞれの国で風のように駆けた約20名の青年海外協力隊員の40点にのぼるベストショットと文章で綴る写真展を開催。ボリビア、タイ、シリア、サモア、グアテマラ、セネガル、ルーマニア等、協力隊のレンズ越しから、全世界・地域にトリップ。彼らの写真と文章は、普段の生活では感じる事の出来ない、日本で失われつつある大切な、あたたかな、せつない、「何か」をみなさんにお届けします。彼らの世界観を是非、ご覧になってください。近日行なわれる当写真展の詳細HPはこちら今までの写真展での来場者が残してくれたメッセージはこちら■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□「風の通り道」 in せんだいCARES2007「いきいきNPOウィーク」日程:2007年11月13日(火)~11月18日(日) 10:00~18:00 ※18日は16:00まで場所:東北電力グリーンプラザ アクアホール入場料:無料アクセス:地下鉄広瀬駅徒歩3分連絡先:JICA仙台デスク内藤 022-265-2449 主催 独立行政法人国際協力機構東北支部(JICA東北)■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□青年海外協力隊写真展 「風の通り道」 in 大阪日時:11月23日(金)10:00~14:00場所:大阪医療福祉専門学校 メインエントランス 新大阪駅 徒歩5分(大阪市淀川区宮原1-2-14)入場料:無料※ 大阪医療福祉専門学校の学祭の一アクティビティとして参加■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□青年海外協力隊写真展 「風の通り道」 in 札幌日時:12月1日(土)~12月16日(日)場所:JICA札幌http://www.jica.go.jp/sapporo/office/index.html#map※時間等、詳細は後日お知らせします☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ KENTARO WAKAO TOKYO, JAPAN wakaken2001@yahoo.co.jp☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆~・~・~・~・ここまで~・~・~・~・~・~
Nov 8, 2007
代々木公園。秋晴れ。アースガーデン秋に参戦。「無料でマッサージします」この言葉にひかれ、グアテマラ帰りの自分とタイ帰りの友達は、並ぶこと10数分。マッサージをしている人たちの目が、少しおかしいとは感じていながらも、自分の番が来る。あぐらをかき、上半身を中心にマッサージが始まる。そこそこ気持ちいいが、梅であり、竹でも松でもない。次に、肩のくぼみを親指でぎゅーっと押される。その時、マッサージをしてくれている30歳代の男性が、「何か感じますか?」「いいえ」と俺。「おかしいな。じゃあ、これは?」とさらに肩に置く親指に力が入る。「あ、手の方になんか、響く様な。。。」と俺。「やっぱり、響きますか。それ、『邪気』です。」。。。「じゃあ、次は右肩です。感じますか?」「いえ、なにも」「おかしいなぁ。もっと強くしてみましょう。これは?」「いえ、なにも」「わかりました。終わりです。」普通の人は、10分くらいやっているマッサージが5分強で終わってしまい、物足りない自分。とりあえず、自分には邪気は無かった模様。タイ帰りの彼女にも、悪戦苦闘している他のマッサージ師。僕らに、邪気はありません。たぶんに、「邪気がある」と烙印を押された人は、体の不調や自分の生活の不調と、彼らの言う邪気をリンクさせられてしまうのだろう。「あ、最近、うまくいっていないのは、邪気の性なんだ」と。。。おそらく、そう思わされた人の次のステップは、彼らの会に参加し、目つきが変わってしまう結果に。。。それが国際協力のNPO法人だと言うから、これまた恐ろしい。なんでも、ありか。どこかうまくツボを押さえれば、体の他の部位に響くのは当たり前。その後、一日中「邪気」が無かった事にはしゃいでいた秋の空と同じくらい、ぴーかんな僕ら。
Nov 6, 2007
座る場所が無い事を知った、車内で申し訳なさそうにドアの前であんぱんを食うじじいそのクビに刻み込まれた、年輪は何を語るぞな空いた席にそそくさ座る年増の女じじいはただ、外をながめ続ける年増の女は、次の駅で降りて行くじじいはただ、外をながめ続けるそのしわは、深く、ながく
Nov 4, 2007
YOU TUBEより、http://www.youtube.com/watch?v=szHkK7N2F5U実際の抗議行進の映像このビルマ(ミャンマー)と言う国について、全然知らなかった自分が恥ずかしい。 僕らが出来る行動。まず、知る。俺の場合は、外務省が今何をしているか。外務省HPよりその上で、外交政策に意見が出来ると言うページに、意見を出してみる。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・僕を一連のアクションまで導いてくれた、友達(mixiネーム:悠ノ介サン)の日記。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・長いので、mixiをご参照ください(笑)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=606636507&owner_id=854928
Oct 30, 2007

「アロー。フェリスクンプレアーニョス!」グアテマラのもう一つの家族から電話。ある友は、「今日は恵みの雨だね。空も大地も、あなたを祝福している」と言ってくれ、ある友は、「底なし沼にも艶やかに咲く蓮の華って丁で、今歳も自分の持ち分発揮で輝く感じにして行きましょうよ」と言ってくれ、ある女友達は、「小便横町で祝うぜ!」って。~~~~~~たくさんの人からもらったお祝いの言葉に感謝。どう返していいものかも分からないので、「ありがとう」を調べてみる暇人。ネットで、ありがとうの意味を調べようと思ったら、こんなページに。http://www.geocities.jp/nkkagosu20/page020.htmlなんじゃ、こりゃ。わけわからん。それ以上にきもちわるい。しかも、絵がへたくそ(笑)~~~~~~広辞苑で調べ直す。普通に「感謝したい気持ち。身にしみて嬉しい。」という意味。そして、「本当に恵まれていて、うれしい。」という意味。そしてそして、「生存しにくい。」という意味まで。。。これらの「ありがとう」の意味を強引にくっつけてみて、みんなに返す言葉は、生存しにくいこの世の中(笑)、本当にみんなに恵まれて、身にしみて嬉しいです。迷走を続けているこんな俺の人生ですが、これからもよろしくおねがいします。~~~~~~~~~~~~~そして、ついでに「いただきます」も調べてみる。「いただく」には飲む、食べる、もらうの謙譲語意外に、頭上高くに位置させる、崇めて大切に扱う、高くささげる。という意味も持つ。今日の夕食では、自然から頂いた恵みに感謝し、高くささげるくらいの気持ちで大きな声で「いただきます!」と言ってみるか。否。恥ずかしい。~~~~~~今日は、家族揃ってお祝い。海外みたいだね。いや、特別な人がいないだけ。5歳の甥っ子が書いてくれたメッセージカードには、「けんちゃん、たんぢょうびおめでとう」って。『ぢ』(写真一番上:甥っ子からもらった、人形劇用グッズだとか。いもむしと葉っぱ。そして、いもむしさんが、葉っぱから遠ざかると、、、)
Oct 28, 2007

ひまわり同士をこすりつけて、地道に地道に種をとる。取った種は、原始的に写真のように、フライパンを返すようにして種とカスやごみを分けていく。そんなもくもくと、もくもくと、続ける作業がO型の俺は、どうしてもおおざっぱになってしまう。少しぐらい、ごみ混ざってても良いやって。ここらへん、グアテマラ思考がまだ抜けません。やはり就農は、こんな俺には無理なのか。そんな作業を楽しくしてくれるのは、やっぱり年配の人たちとの話。特に戦争の話がおもしろい(不謹慎かもしれないが)「雑草をゆがいて、空腹をしのいだ」実は、俺の母校が、中島飛行機の工場跡だったとか。その中島飛行機は今のSUBARUだとか。「新宿から長野まで米を買いに行って、着物とたった五升の米を変えてもらった。やっとお米が食べれると思っていたら、八王子の駅で全て警察に没収された」「疎開先では、玉子なんかすごく貴重なもので、絶対食べられるもんじゃなかった。でも、夜、先生の部屋の障子に穴をあけてのぞいたら、先生が隠れて玉子を食ってて、生徒みんなで先生を羽交い締めにして、先生の腹をトランポリンにして飛び跳ねた。」「子供心にも、戦争に負けるのが目に見えていた。でも、そんな事言ったら、母親に『憲兵に連れて行かれるから、そんな事言うな』、と怒られた」「警報がなり、学校から家へ逃げる途中、飛行機から弾丸が俺らを追いかけてきた。俺は、とっさに道路の溝に落ちて隠れて生き延びたが、そのまま道を走って逃げていた友達は撃たれて死んでしまい、彼を担いで帰った」こういう話しがリアルに聞けるのもあと数年の間。歪んだ歴史を作りつつある今、戦争に加担しつつある政府に歯止めをかけるためにも、こういった人たちの貴重な言葉を語り継いでいかなきゃ。戦争や紛争が少しでもなくなる様な、種をもっと植えないと。こんな事でも、種を買える。クリックから始まる国際協力「イーココロ」(いや~、いっぱい種が取れました。これを今度、食用油にするのです。)
Oct 24, 2007

Oct 23, 2007
僕らの市に、宮脇昭という人が講演に来て、その手伝いをさせてもらった。手伝いと言っても、先生の背後から、パワーポイントのプレゼンをぽちっ、ぽちっ、ぽちっと、、、そんなことは、どうでもいい。「命のつながり」僕らは、なぜ、このタイミングで、この親たちから生まれ、そして何をするべきなのか?そんな言葉が、最近、友達から、メディアから、何から、勝手に耳にいっぱい入ってきていた。勝手なる自分のキーワードランキング1位だった。先生の背中を見、プレゼンを遅らせないように気をつけながらできるだけメモを取る。メモを取るうちに、再び、同じキーワードが自分の中に入ってきて、感動半分、また来たか、という恐さに鳥肌が立つ。宮脇さんは言う、「生きていると言うのは宇宙の奇跡。僕らが生きているのも奇跡。生かされている。その命の尊さ、儚さ、厳しさをしるべき。」「30数億年の命のつながりを未来に、どうつなげていくか。それが各人の使命である。」彼はそう言って、森を作り、命を未来につなげる役割をしている。そこで、未来へのハンデを少々負っている俺は思うわけだ。森でなくても良い。それぞれのやり方で命をつなげよう。子孫を残すのも、環境を守るのも、途上国支援するのも、社会に参加するのも、教育するのも、ボランティアするのも、自然に触れ合うのでも、それぞれのやりかたで、「命のつながり」を作れば良い。だから、このタイミングで自分は生きている。いのちをつなげるためにね。
Oct 20, 2007
関わっていたプロジェクトが、やるイベント。お時間があれば是非。俺は、21:00過ぎに行こうかなぁと思案中。以下。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いよいよ、今週末となりましたが、今年もライブハウスで環境問題を考えるイベント、『LIVE ECO LIVE』を開催します。ライブに加えて、今年はエネルギーや青森県六ヶ所を中心とした核燃料サイクルなどの環境問題をテーマに取り上げます。昨年好評だったトークセッションには、ゲストとして田中優さんにお越し頂けることになりました。その他にも、オーガニックフードを提供やブースの展開も行います。詳細は下記をご覧ください。よろしくお願いします。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ Massage Shuttle Vol.9 LIVE ECO LIVE 2007.10.19(Fri)@新宿LOFT _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ LOFT PROJECT × A SEED JAPAN ―音楽を感じるように、地球を感じよう―国際青年環境NGO A SEED JAPANが提案しているプロジェクト「LIVE ECO」では、ライブハウス・クラブのごみを減らすべく、使い捨てカップからリユースカップへの切り替えを提案しています。「LIVE ECO」にいち早く賛同したLOFT PROJECTは、リユースカップを使用して 3年が経ち、エコでピースな音楽空間へと生まれ変わっています。LOFT PROJECTとA SEED JAPANは2005年2月に第 1回目のLIVE ECOLIVEを行い、ミニフェスのように盛り上がりました。第2回目 は、アーティストとの トークセッションなどを通して、一人一人が取り 組める環境にやさしいライフスタイルを提案しました。そして、第3回目 となる今回のLIVE ECO LIVEではメインテーマとして、核燃料再処理施 設の稼動を取り上げ、アーティストライブやトークセッション、オーガニックフードの提供、環境問題や社会問題にまつわるブース展開を行う予定です。また、今年は新しい試みとして、今までより多くの来場者にメッセージを発信したいという想いのもとで、『LIVE ECO DAY』と称 し、リユースカップ導入店舗のうち、新宿LOFTを含め全国14店舗 で同時に『LIVE ECO LIVE』を開催します。LIVE ECO LIVEを通して、環境や社会に目を向けてみよう。「Message Shuttle Vol.9 LIVE ECO LIVE」●出演アーティストNIRGILIS 、KAREN、and more...!<NIRGILIS>岩田アッチュ(Vocal,Piano & Keyboards)、稲寺佑紀(Drums & Chorus)と、栗原稔(Bass & Chorus)らなる、日本唯一のマッシュアップバンド。メンバーの幅広い視野から作られる楽曲はテクノ・ポップからギターロック、ミニマル・ファンク、ライブハウスから、クラブシーンなどで、バラエティ豊かな楽曲が、いわゆる早い世代に大ヒットしている。2007年残念ながら、オリジナルメンバーの伊藤が脱退。3人組となり、より進化するだろう彼らのステージに、各方面から注目の的だ。<KAREN>ART-SCHOOL 木下理樹 (guiter/vocal)の声掛けで、ART-SCHOOLの戸高賢史(guiter)、 downyの仲俣和宏(bass)と秋山隆彦(drum) でセッションを始める。vocalにアチコ(exon button down)を迎え、昨年春よりKARENとしてライブ活動を開始。 洗練された楽曲に変拍子、透明感あるアチコの歌声。まだ音源リリースこそないが、既に完成されたライブでしか味わえない贅沢は一見の価値あり!【開催概要】日時:10月19日(金) OPEN 18:00 / START 19:00場所:新宿LOFT (新宿駅東口下車 徒歩10分 / コマ劇場裏「タ テハナビル」B2)チケット代:¥2000+1DRINK (A SEED JAPAN会員 割引価格) (通常価格→前売り:¥2500+1DRINK / 当日:¥3000+1DRINK)お問い合わせ・お申し込みは→ LIVEECO@gomizero.org-----------------------------------------------------------主催:LOFT PROJECT、A SEED JAPAN(国際青年環境 NGO)(URL)LOFT PROJECT http://www.loft-prj.co.jp/ A SEED JAPAN http://www.aseed.org/==================国際青年環境NGO A SEED JAPANごみゼロナビゲーション〒160-0022 東京都新宿区新宿5-4-23 TEL: 03-5366-7584E-mail:info@gomizero.orgURL: http://www.aseed.org/ http://www.gomizero.org/==================
Oct 18, 2007

清潔感たっぷりよりも、しょんべん臭っぽい店。(本当ににおうのは嫌だよ)赤提灯が似合う店。JAZZよりも民謡が流れる店。おねえちゃんより、おばちゃんがいる店。おしゃれよりも、おいしい店。おいしいよりも、人情のある店。
Oct 16, 2007
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