blog 山のてっぺん

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2007.01.21
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カテゴリ: 昔の山登り
s-20061017遭難記念碑.jpg



遭難記念碑「聖職の碑」
大正二年八月二十六日中箕輪尋常高等小学校の教師、児童、同窓生三十七名は急変した台風の中を伊那小屋(現宝剣山荘) の破小屋を修理して仮夜を送らんとしたが果たせず、翌二十七日未明から暴風雨をついて下山をはじめ、駒飼ノ池、濃ケ池、将棊頭にわたり三三五々に分散したが、力尽きて校長赤羽長重以下十一名が遭難死した。この遭難記念碑は上伊那(郡)教育会の主唱によりこの自然石に刻まれた。

往古からの登山は熊笹をかき分け倒木や巨岩を避けて野宿を重ね、その困難は計り知れぬものであった。たまたま中箕輪小学校の遭難は内外に大衝撃を与え、宿泊施設の建設及び登山道整備が緊急不可欠の要望となった。これらが順次実現すると共に大正の中期からは心身の鍛練道場として積極的に登山熱は高揚した。:宮田村誌より






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Last updated  2007.01.21 19:47:32
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長命寺 近くの住民@ Re:荒神尾城跡〔別名〕七嵐城:長野県四賀村(現松本市)(03/23) 錦部小学校グランド西側の沢の上にある 神…
J1_164 @ Re:下から眺めると…(06/03) ^(エ)^ OKだよ!! ^(エ)^ 頑張ってね!! …
nagaoka@ Re:「山のてっぺん ~番外編~」を開設いたしました。(08/29) 久しぶりの松本城でした。 てっぺんさん…
mrasakiさん@ コメント、有難うございます。 松本市の観光、とっても楽しかったです! …

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