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やる気の話を書きましたが、いろんなコメントを頂いてとてもうれしかったのです。その中で、「強制力」の話が気になっています。きっかけは強制であっても、だんだんやる気になってくる事ってあるんじゃないかというコメントをくださったのは、小雨さん。そうなんです。実は、教師の仕事って、強制だと感じさせないで、その人に必要なことをさりげなく押し付ける事なんじゃないかと思っているところがあります。例えば宿題。毎年、後期のお正月休みに、フランス語を日本語に訳すという課題を出します。一斉に同じものを出すと、どうしても「宿題」という感じがするし、提出まぎわに誰かのを写す人が出てくるので、一人ずつ違うものを選んでもらうことにしています。人気があるのが絵本。象のババールをはじめとする、有名な絵本。日本の作家のものもフランス語版を持っているので、10冊くらいをコピーします。それから、料理のレシピ。うちのプリンターでカラーコピーをするので、写真を見ると何となく作り方も推察できて、訳しやすいし、うまく訳せたら作ってみることができるというおまけ付き。新聞記事は、ちょっとむずかしすぎるので中級フランス語用に編集された、注のたくさんついたテキスト版を使います。フランスの旅行案内なども、人気です。フランスに行くたびちょこちょこ買い溜めた本をコピーして使うのですが、驚くほど頑張って訳してくれます。中には「フランス国歌を訳してもいいですか?」なんて、ラ・マルセイエーズの訳を出してくれました。宿題だけど「やってみたい」と思うのは、たぶん、自分たちでやりたいことを選ぶからだと思うのです。でも実はこの方法で大事なのは、「何を選んでもいいよ」と言っているけれど、「やらない」という事を選ぶのは、なしです。だから結局、どこかで強制しているのかも知れないのですが…大事なことは「自分で選んでもらう」「自分で決めてもらう」事かも知れません。そして、もっと強引に強制されても、やっているうちに面白くなってくる事って、案外あるのかも知れないと思います。毎週一回の「フランス語を書く」確認テストを導入するときは、びくびくものでした。ところが、やっているうち面白くなりましたという感想が出てきたりします。教師の側としては、ときどき強制することも必要だと思っているのですが、それが反発にあってうまく行きそうにないときは、サッと手を引くことにしています。この辺のさじ加減はなかなか…私は、甘い教師で、強制が下手だと自分で思っているので、私の課題はこの辺にあります。学ぶ人のスタンスとしては、たとえ押し付けられることになったとしても、それを面白がってしまうと何かが変わるのかも知れません。これはきっかけをもらったと発想の転換をしてみれば、なんでも学ぶことができるのでしょう。私自身、フランス語をはじめたのは、いくつか受けた大学の中で、合格通知が来たのが、出身大学のフランス語科だけだったからなのです。フランス語をやりたいわけでもなかったのですから不思議なものです。それからかれこれ30年近く、いまだにフランス語に関わる仕事をしています。何からでも学べる人になれたらいいなあと思うのですが…
2004.08.31
台風が本土に行ってホッとしたのですが、実家のある九州が暴風雨圏内に入って、朝からヒヤヒヤしていました。8時頃電話をしてみたら、結局、大したこともなく過ぎ去ったようです。やれやれです。台風が気になってテレビをつけていたので、思わずオリンピックのニュースをいろいろ聞くことになってしまいました。ハンマー投げで金メダルのハンガリーの選手は、ドーピングの疑惑が晴れず、とうとうメダルを剥奪されてしまいました。禁じられた薬を飲んでまで、金メダルがほしかったのか…見つかればアウトとわかっていてなぜやるのだろうと思ってしまいました。この2週間オリンピックを見ながら考えていたのは、選手一人ひとりが自分自身と戦っているということでした。スポーツはもともと自分の力を磨くものなのでしょう。但し、自分の力をつけていっても、どのくらいの力があるのかわからない。だから、相手の力を借りてそれを知るのだと聞いたことがあります。だから、試合というのだと。対戦相手はあくまでも自分の力を知らせてくれる大事なパートナー。だから、礼を尽くすし、相手が勝っても、ありがとうございましたと礼を言う気持ちを忘れてはいけないと。敵を打ち倒すために戦うのではなく、自分の力を出し切るために戦う…敵をごまかし、審判をごまかし、あげくは自分自身をごまかして何が待っているのだろうと、ドーピングの行方を思います。それにしてもマラソンの競技中、わけのわからん男につかまって、気を取り直して走り、銅メダルをとったブラジルの選手はすごかった。動揺をしながらも、自分の走りを取り戻した彼こそ、金メダルの価値があると思いました。インタビューでも少しも言い訳しないのがさわやかでした。結局、どんな場面でも自分が問われているのでしょう。極限まで体を使っての戦いには、その人のすべてが出るのかも知れません。先日の新聞に、「女性の選手の活躍が目立つが、その人たちはみな、自分を表現する方法としてスポーツを選んだと話しているのが印象的」と書かれていました。「大事なことは努力し続けることです」室伏さんの言葉です。努力し続けること。いつかは目標に届くと思ってあきらめないこと。スポーツに限らないのかも知れません…
2004.08.30
今日は旧暦の8月14日です。これを書いているいまも、遠くからエイサーの太鼓とお囃子の音が聞こえています…沖縄の若者がみなエイサーを踊るというわけではないのですが、地域の青年団が中心になって、お盆を前にエイサーの練習をするらしいです。復帰の頃からあまり踊られなくなったものが、ここ十年くらいの沖縄ブームの中でだんだんと脚光を浴びてきたと聞きました。私の教える大学の学生たちも、本土出身の学生も交えて大学祭前に一生懸命練習をしています。私と娘はエイサーが大好きです。なんだか、男らしくってかっこいいと娘が言います。女性が活躍できる社会がいいなあと思いますが、こればっかりは男の出番です。20人くらいの若者が、太鼓と三味線にあわせて、ぴったり息のあった踊りを見せてくれます。もともとお盆でやってくるご先祖さまの霊を慰めるために踊るのだそうで、お盆の三日間は街のあちこちで踊るので、いろんなところから音が聞こえてくるのです。いつだったか、すごく素敵なエイサーの踊りを見た後、どんな若者が踊っているのだろうかと思い、休憩しているところをふとのぞくと、茶髪で一見ヤンキーの若者がたむろしていました。う~むとうなってしまいました。こういう沖縄をいいなあと思います。ヤンキーにいにいの居場所もちゃんとあるから…エイサーを踊ると地域の人がご祝儀を渡していきます。終わったらそれで飲むらしい。こうして地域の人とのつながりがまだまだ残っている沖縄は、やっぱり住みやすいのかも知れません。娘の希望は「エイサーの踊れる人と結婚したい」のだそうで、ふ~んと思いながら聞いています。4月から本土で過ごしている娘には、久しぶりの沖縄が新鮮に見えるようです。3週間ぶりに戻ってきた私にも、沖縄はなんだかよけいな気を遣わなくてもいい自然な空気が流れているように思えました。
2004.08.29
沖縄に帰ってはじめての朝。目覚ましを3回止めましたが、7時前にエイヤッと起きて散歩に行きました。目が覚めて寝苦しそうにしていた娘も誘って…台風が近づいているのか、風が強いです。それにすごい湿気。80パーセントを超えています。でも、朝の空気は何となく新しい感じ。アップダウンの激しいコースなので、旅行の疲れを引きずってダラダラと歩いてしまいました。それにしても植物の違うこと…沖縄は亜熱帯に属するので、見慣れない木や花がたくさん。土曜の朝だけど車が多いなあと思っていたら、今日はお盆の入りの日です。沖縄では「ウークイ」と言って仏壇にお供えをして、ご先祖さまをお迎えする日です。昨日の夜はスーパーが大にぎわいでした。8時というのに駐車場整理のおじさんがいましたから。お供え用のパイナップルや青いバナナが山積みでした。朝の散歩は家を出るまでは何となくやめようかなと言うきもあるのですが、でてしまうと楽しいということを発見しました。朝、体を動かすと、精神的に良いような気がします。朝日を浴びると、暗い思考が消えるような気がするのです。掃除ばっかりしていて、ハードな帰省でしたが、体調は悪くはありません。このホームページに先月気功でヘルニアを治療してくださった蔦森さんが書き込みをしてくださっているのを発見!うれしい驚きでした。ありがとうございました。気功で自然治癒力が高まったのかも知れません。蔦森さんはフランスでも気功の仕事をなさったとかで、びっくりしています。フランスにもそういうことに興味のある人がたくさんいるんですねえ~「気功」というものを知ったのも最近のことで、自分が知らないことがたくさんあることに驚いてばかりいます。自分の体のことも、もっとちゃんと考えなくちゃと思います。散歩はそのきっかけかも知れません。明日も早起きしようかな。そのためには早寝!おやすみなさい。
2004.08.28
戻って参りました。台風の近づいている沖縄へ…飛行機を降りると全身にまとわりつくような湿気と熱気。10年くらい前まではこれがイヤでイヤでたまらなかったのですが、いまは「あ、沖縄だ」と一瞬にして自分のスイッチを入れ替えるための儀式のようです。母のうつがひどかったのと、久しぶりに娘が一緒の旅なのとで、帰ってくるのがとってもうれしいのです。体の芯の部分からホッと力が抜けていく感じがしています。沖縄がいいのか、自分の住み慣れた街がいいのか、そのへんは不明ですが…夫が最後に帰省をしてから十日間人のいないうちの中は、掃除をしたり、ぶら下げたままのタオルをかえて回ったり、あれこれ働かないといつもの生活に戻りません。子どもたちが小さかった頃、これがいやでした。息子のお節句で、5月の連休を実家ですごして帰ってきたら、畳が全部かびていたことがあります。本土は五月晴れでも、沖縄は梅雨の走りの雨が降り続いていたのです…長旅の後、座ることもできずふき掃除をしながら、なんで沖縄なんかに住んでいるんだと毒づいた事があります。しかし月日の流れとはおそろしいもので、子どもたちが自分の荷物もさっさと片づけて、家の中のことも手伝ってくれるようになりました。お昼を福岡で父と母と一緒に、なじみの中華料理店でたらふく食べたので、今日の夕飯はポーク卵のおにぎり。これも娘が作ってくれました。時間の流れの不思議を思います。その分キッチリ、両親が年老いています。この夏冬の大移動もいつまで続くのか、来年はどうなるのだろうと思いつつ、19年が過ぎました…振り返るたびに、先のことを考えても仕方がない。人の人生というのはその人に必要な事が起きてくるようになっているんだと思います。私は次にやってくることを受け止めて精一杯やるだけです。さあて、明日からいつものリズムを取り戻さなくては…実は明日は息子の17歳の誕生日です。さっきお赤飯の用意を終えたところです。明日も忙しいかな?
2004.08.27
3週間の実家で過ごす夏休みも明日までとなりました。明日夕方の飛行機で沖縄に戻ります。台風が来ているらしく、明日までは何とか大丈夫のようですが、ひやひやモノです…昨日は娘とキャナルシティーなるところへ行き、念願のムーミンカフェでランチとショッピング。夕方、息子と合流して福岡ドームにダイエー戦を見に行きました。この3週間でたった一度の自由時間(?)でした。ムーミンは小さい頃に読んであげた本ですが、私も大好きでした。このカフェはパンを取るトングがニョロニョロのデザインだというので、楽しみにしていたのですが、おもいがけずパンがすごくおいしかったです。ランチタイムはパンの食べ放題。隣のお姉さんの集団が小さいお皿に乗らないくらいパンを取っていくのが気になりはしましたが、おいしくいただきました。それから、娘は若い人向きの店、私は年相応のお店に別れてショッピング。夏物だけど薄い長袖のカーディガンを買いました。私にしてはちょっと高め…この夏の自分へのご褒美のつもりです…それから福岡ドームに行きましたが、なかなか盛り上がっていました。ドームに行ったのはひさしぶり。外野席の応援はすごいです。私たちが座っていたのは内野の指定席だったけど、フォークスの上着を着たおじさんがやってきて、笛を吹きながら応援を指示します…う~む。こういう場合は、冷ややかに見るより、乗った方が勝ち。隣にお父さんお母さんと小学1年生くらいの子どもを頭に3人の女の子と赤ちゃんを連れた家族が横一列に座っていました。そのちびさんたちの応援のうまいこと。思わず「うまい!」と叫んでしまいました。だって、選手一人ひとりの応援が違うんですね~それをちゃんと覚えているところがすごい!ひさしぶりに熱気の中で過ごしました。疲れもしたのですが楽しかったです。明日は沖縄。帰ったら帰ったでいろんな仕事が待っているのですが、それでもうちに帰るのはうれしい…この夏のあれこれについてはまた明日…「やる気の話」の反響についてもちょっと書きたいことがあるのですが…台風がしばらく大東島付近にとどまってくれますように…
2004.08.26
自分がやる気のないとき、どうすればよいか。やる気に左右されず、自分をコントロールするにはどうすればいいか、というようなことについて書きましたが、やる気に左右されている人をどう援助すればいいかというのも、私にとっての関心事です。というのは、私が教師だからで、教師になって15年、常に「やる気のない」学生たちをどうすればいいかという問題に直面しているからです。そして母親としても、どうすれば子どもが、「学ぶことは自分のために必要だ」と自覚して、自発的に学ぶかというのは、ずっと私のテーマでした。そのための確実な方法をつかんだとは言い難いのですが、一つだけ絶対これはやらない方がいいと思うのは、強制して勉強させることです。その人にとって学ぶことが必要なのは分かっているのですが、それを、やらされていると感じながらやるのと、自分にとって必要だと自覚してやるのとは、まったく違うと思うのです。「記録表をつける」というようなことでも、自分がやってみようと思ってやるのであれば何ともないし、結構おもしろがることができるのに、教師に強制されていると感じたとたんに、自分の勉強時間を管理されているという感覚になって、やっていることがとても苦しくなったりします。強制することだけでなく、はじめに書いた「外発的動機による動機付け」の一番の問題も、ここにあるような気がします。「一番になれたらすごい」「○○中学入ったらバラ色の未来が待っている」「百点とったらゲームを買ってあげる」などなどの言葉で釣られて勉強していた子どもたちは、ある日自分が誰かに誘導されていると感じる時が来ます。私の知っている「やる気のない大学生」の多くは、大学に入れば何かすばらしいことが待っていると思っていたのに、現実には特に楽しいことが待っているわけでもなく、失望してやる気を失っています。何かを無理にやらせることが必要な場合もあるのでしょうが、「学ぶ」ということに関しては、本人の自覚を待つ以外に方法はないような気がします。なぜなら、強制力が働かなくなるときが必ず来るからで、人はその時、自分をどうコントロールすればいいかという問題に直面するのだと思います。強制力を働かさないで、競争させたり、モノで釣ったりせず、学ぶような方向に持っていくのは実に難しいです。けれども人が「内発的動機」によって学びはじめるということは、そこから人生観が変わるというようなかなり大きな変化なので、教師としての仕事はおしまいという気がします。そしてこういう教育を私は「教えない教育」と呼んでいます。
2004.08.24
「やる気がなくてもやる方法」の一つが「毎日やる」ということなのですが、「習慣化する」ということなのかも知れません。「習うよりなれろ」などと言いますが、物事の多くは、頭で考えて、こうすればいいとやることよりも、何度も繰り返しやっていくうち身に付くことの方が多いような気がするのです。だからとりあえず「毎日」を基本にしてやり続けるということ。大事なのは「続ける」ということですから、一日おきでも、週に一度でも、「続ける」ことでやる気をコントロールする方法が身に付くような気がしています。いま続いているのは、毎週水曜日のバレエ。4年と3ヶ月になります。はじめは好奇心、それからバレエが好きで、すごくやりたかった時期がありました。それから、自分が上達しないのがよく分かっていきたくなかった時期も…それでもほとんど休んでいないのは、「水曜日はバレエ」と決めて言い訳しないようにしているからで、いまはどんな状態でもやめようと思わないのです。それには4年の体験がモノをいうのかもしれません。やめようと思ったけど無理にでも行ったら体が楽になったり、精神的に楽になった体験など…実家に帰ってからの朝の散歩も続いています。2週間くらいになりますか、毎朝30分くらい歩いています。間で二日くらい休んではいますが。実は「続ける」コツは、「あきらめない」ことかも知れないと最近思っているのです。三日坊主というのがありますよね。私は、日記に関して長いこと三日坊主でした。楽天日記は続いていますが、書けない日があっても、気にせずまた書き始めるということで続いています。三日坊主を何度もやれば、それは三日坊主ではなくなるわけです。(このやる気シリーズも二日に一度書いています…二日坊主?)大学生を相手にするときには、こういう話をしてもなかなか実感として分かってもらえないので、毎日のフランス語の勉強の記録を書いてみてほしいと言って、一月分の記録表を配ることにしています。記録をつけることで「毎日続ける」ということがどういうことか分かるだけでなく、自分の一ヶ月をふりかえってみることができるのです。やる気に左右されないで、生きるには、自分がどれほどやる気に左右されているか、自覚することからはじまるのかも知れません。ここで大事なことは「自覚すること」なのです。人から、やる気のある時だけやっているじゃん、と言われても、親から「やる気がなくてもやらなきゃ」と言われても、人は動かないモノです。自覚の話は次に続きます。
2004.08.22
やる気に左右されないというのは結構難しい。でも、あまり考えないで手をつけるというのが大事というのを書きました。それでも、なかなか手をつけられないことがあります。実は私もその口で、やらねばならないことを一日延ばしにしたり、勝手に言い訳をしてしまうのです。例えば、「今日はものすごく体がだるかった」とか「子どもがいろいろうるさかった」とか…言い訳をしてしまうのは仕方がないとして、こんな場合自分を追い込むことを時々やります。つまり、仕事のように締め切りがあればやるのですが、そうではない場合は自分で締め切りを作ります。例えば、「いついつまでにやります」と宣言してしまう方法。相手は、簡単に「できなかった。ゴメン」と言い訳できない相手に限ります。私がよくやるのは、大学生を相手に宣言すること。これはなかなか言い訳しづらいです。「いついつまでにできなかったら、一万円払う」と誰かに約束するのも有り?とにかく、自分だけではなかなか締め切りが守れないので…誰かの力を借りるのは有効かも知れません。ある一つのことをやろうとするときには、こういう方法が効きます。でも、もっと難しいと思うのは、毎日少しずつ何かをやるという場合です。「教えない教育」に出会うまで、毎日何かを少しずつやるということがそれほど大事だとは思っていませんでした。例えば何か論文を仕上げるにしても、いいものができれば、どんなやり方をしてもいいような気がしていました。でもよく考えてみると、ひらめきとか、アイデアみたいなモノはなかなか出てこない。出てこないモノを、出てこないからやる気がでないと思い、やらないから、いつまで経っても手をつけられなかったりする…結局、できるだけ毎日こつこつ何かをやり続けるということから、アイデアもひらめきも、それから力もついてくるのだといまは思っています。学問=勉強も、考えてみればスポーツととてもよく似ています。毎日ちょっとずつやることでその積み重ねが力となるのです。私の教えているフランス語などは、全くそのままです。時々思い出したように3時間やるのと、毎日30分やるのとでは、間違いなく毎日やる方が力がつくというのは、はっきりしています。そんなわけで、毎日こつこつやることの工夫が、実は「やる気がなくてもやれる」一番いい方法なのかも知れないと最近は思っています。だって、毎日やるとなると、やる気のある日もない日もやってくるわけですから…では次回は、最近やっている「毎日やる工夫」についてどうすればいいかという話を書いてみます。
2004.08.20
「やる気」が難しいのは、「やる気を出したい」と思っても、やる気を出す方法は案外難しいからです。よく「やる気を引き出す教育」などという塾のキャッチコピーがあったりしますが、その実態が何かというと、競争をさせて、人よりできる自信を持たせるとか、いい成績を取ると報償を与えるというようなものです。おとといの新聞に関西の私立大学が、成績の結果によってマイレージのポイントを与え、海外旅行に行けるようにするということを決めた記事が載っていましたが、これで大学生が勉強するようになるのかというのは私にはとても疑問です。というのは、競争させ順位をつけたり、報酬を与えたりするのは皆、外側からあれこれと刺激を与えることで、外発的動機と言います。「百点取ったらお菓子を買ってあげるよ」と言うような、モノで釣ることをやってみたら分かりますが、その時は効果があっても、次第に効果はなくなってきます。これは、飽きるのか、モノをもらってもうれしくなくなるのか、よく分からないのですが、一過性でその時だけしか効果がないことは確かです。要するに、その人の中に「やりたい気持ち」が生まれてくることをしないと『やる気』にはつながらないからなのでしょう。内側からやりたい気持ちが生まれてくることを、内発的動機と言って、これが実際には、なかなか生まれにくいというのは、一人ひとりの実体験から分かると思うのです。私が考えるのは、内側から「やりたい気持ち」が生まれるというより、やりたいとかやりたくないということと無関係に、「しなければならないことはする」という姿勢が身に付くことが大事なんだろうということです。対策の一つは「やりたいとかやりたくないと考えないで、とりあえず取りかかること」前に糸井重里さんが脳について学者に話を聞いた『海馬』という本を読んだとき、「やる気というのはやり始めてから出てくる」と書かれていて、すごく納得したことを思い出します。とにかく手をつけてみるというのは、やる気のない時の対策の一つだと思っています。え、手をつけるのにやる気が必要?それにも一工夫いるかも知れませんね。じゃあ、それについては、また明日。
2004.08.18
息子が帰省で楽しみにしているものの一つにラーメンがあります。「久留米ラーメン」というの、最近は結構有名になっているようですが、博多のラーメンとはひと味違う豚骨ラーメン。実家の近くの「大龍ラーメン」はいつ行っても人の列ができている、小さなラーメン屋さんです。しばらく並んでから、息子と二人ラーメンを食べました。カウンターだけ15席くらいしかない小さなお店。湯気の上がる帳場に三人の人。ひとりが年配の人で、後の二人がアルバイトの若い男の子。とにかく、あまりきれいとは言い難いお店なのですが、ラーメンはおいしいのです。さて、ラーメンを食べていると、頭の上から水滴が…?と思って、見てみると、がんがんかかったクーラーの排気口に水滴が一杯…うまい具合にラーメンどんぶりには入らないところなのですが、気持ちは良くないので、お金を払うとき、お兄さんに「ぞうきんあったら、拭いておいた方がいいよ」とさりげなく言いました。お店を出るときお兄さんが素早くぞうきんを持って拭きに行くのが見えました。「やる気あるね~」と息子。すごくいい感じでした。また、食べにこようと思いました。それからちょっとやる気のことを考えたのです。うつの母親がしょっちゅう「やらんといかんと思うけどやる気がなくて…」というのです。やる気の問題は本当に難しい。「教えない教育」の平井雷太さんは、「やる気がある、ないと、やるやらないは別」と言われるのですが、その話を聞いたときエッと思いました。「やる気がでてから」と思っているうちに何もしないまま時間が経つことってないでしょうか。問題は確かに、やる気があるかどうかではなく、やるかどうかです。やろうと思わないでも、スッとからだが動くというのが本当は必要なのかも知れません実はこれは教育においてもとても大事な問題だと思っています。この話の続きは明日書きますね…
2004.08.16
父は大正12年生まれです。つまり平成16年8月14日で81歳です。取り立てて病気をしているわけでもなく、偏屈なだけでぼけてもいないようなので、健康です。これってやっぱりありがたいと思います。毎年、お盆に帰省しているときは、父の誕生祝いをしてきました。今日は腕をふるって料理を作ります。メインは牛肉のたたき。サラダとフライドポテト。それから前菜にトマトの薄切りと、スライスチーズを交互に並べて、きゃらめるさんに習ったバジルペーストをちょっとだけかけました。これは、イタリア料理だとモッツアレラチーズですが、市販のスライスチーズでも、結構おいしいです。普段はバジルの葉を散らして、オリーブオイルとバルサミコ酢をかけたりします。牛のたたきは、もも肉の固まりを塩こしょうとニンニクのすり下ろしをまぶしてしばらく下味を付けてから、フライパンの強火ですべての面を焼き付けてから、ワインを入れて、しばらく蒸し焼きにします。急いで切ると、赤い血が出てくるのでさめるまで待って切るのがコツです。肉を焼いた後のフライパンに少し水を入れて、こそげ取り、塩こしょうをしてグレービーソースも用意しますが、我が家はみんな、お醤油をたらして食べるのが好きです。娘がもらい物の缶詰のスープを作ったので、フルコースになりました。赤ワインで乾杯。誕生日に間に合わせて、昼の飛行機で帰省してきた息子(高校2年)も交えて、誕生会です。もっと子どもたちが小さい頃は、模造紙にプログラムを書いて、ちゃんとしたパーティーにしていました。子どもたちも私もピアノを習っていたので、余興にひとりずつピアノを弾いたりしていました。夫は帰っているときもあれば、いないときもあります。写真が趣味の父がたくさん写真を撮って、毎年の写真が残っています。子どもたちが年々年を取って、手がかからなくなるにつれて、私たち大人は年を取っていきます…それは当たり前のことなのですが、時間の経つのをなんだか惜しいような思いがするときがあります。こうして元気でみんながそろうのが、父への一番のプレゼントなのかも知れません。父は若い頃からだが弱くて、20歳まで生きられないかも知れないと言われていたのだそうです。そのおかげで、戦争に行かないで、軍需工場で働くことになり、終戦を迎えたのです。人の人生って、自分の意志だけで動いているわけではないのでしょう。折からお盆。命の連なりについて、ちょっとだけ思いを巡らせています。
2004.08.14
昨日の日記を書かなかったのは、実は父とケンカをしてしまったからです。夕飯を私が作ることが分かっているのに、必要のない材料を買ってきて、「これを料理してほしい」というので、それが原因でケンカになってしまいました。書いてみるとなんということもないのですが、父は80歳。偏見と思い込みの固まりのようなところがあって、今日食べておいしかったら、明日もあさっても同じものが食べたいという人なのです。まあ、それもいいのですが、私にしてみればあれこれメニューを考えているのに…と結局は父の「わがまま」に反発するような形になってしまいました。当然といえば当然ながら父は「80歳にもなった私が買い物に行ったものに文句をつける」といって怒り、母が「私がうつで家事ができないのがわるかった」と謝り、まずい雰囲気を察知した娘はさっさと二階に上がってしまいました。父と私は、どうも性格がよく似ているようです。カッとなりやすく、すぐ反射的な行動に出て、後で後悔するところなど、そっくりです。父は若い頃は、怒ると怒鳴っていました。けれど、最近はさすがにその元気はありません。その代わり、愚痴を言い始めます…さて、この結末、どうなったかというと、私もまいっていたところに、父は何でもなかったようにやってきて、ちょっとばかり反省したふうでした。母が後で「ごめんといっておいて」と言われてきていましたから、父も反省したに違いありません。要するに甘えているんでしょう。80歳ともなれば、子どもに近くなってくるんでしょうか。そう思いつつも、なんだか割り切れずにいます。自分が父親を年寄りだからと、何でも許すことができないことに、ちょっとがっくりだったのですが、よく考えてみると、ケンカをするというのは父と対等ということでもあります。お互いに感情をぶつけることができるのは悪くないのかも知れません。そのおかげなのか、今日はお互いの関係はうまくいっています。いつもだと帰る頃に爆発することを考えると、今年はいいのかも知れません。いつかは父と母と暮らさなければならないだろう、その時はどうなるのだろうとちょっと不安もあるのですが、考えるのはやめようと思います。親の年齢を考えると、私の力ではどうにもならない何かが起きるのかも知れません。どんなことが起きても、起きてからどうするか考えればいいさと、そんな風に最近やっと思えるようになってきました。
2004.08.13
今日、午前10時30分にサイレンが鳴りました。59年前の久留米空襲の日、サイレンとともに、黙祷をしました。59年前父は鳥栖の軍需工場で働いていました。母は女学生で、やはり工場でボタン付けなどの仕事をしていたそうですが、その日はたまたま休みだったので、家にいたそうです。父は工場の中で空襲警報を聞き防空壕に避難して、出てきたときには久留米の家のあるあたりは一面火の手があがっていたと言います。工場の仕事は解散となり、父はとぼとぼと歩いているところを、工場長の車に乗せてもらって、久留米まで帰ってきました。筑後川を渡るとき、火事がひどくて、もう一本下流の橋に迂回して、家の近くまで乗せてもらったら、やけどやけがの人たちを乗せるために、車を使うのでおりてくださいと言われて、車を降りたそうです。もう、家は焼けてないだろうと思っていたら、近くまで来ると無事だったことが分かって、大喜びだったそうです。父が無事帰ってきたので、祖母やおばさんたちも大喜びだったでしょう。8月11日はお盆前、祖母はお墓の掃除に行こうとして、空襲のサイレンに気がつき、家に戻って無事でした。もし、この時父が亡くなっていたら、私はこの世に存在しないのかと思うと、なんとも不思議な感じがするのです。問わず語りに59年前の話をする父と母ですが、もう二度と戦争はしないでほしいというのは、戦争を体で感じた父母の世代の切実な思いだと思います。普通に暮らしている一般市民を巻き込まない戦争なんてあり得ません。イラクを見ていても、犠牲になるのは普通の人…いったいいつまでこんなことを繰り返すのでしょうか…祈りだけでは何も変わらないのかも知れないと思いながら、それでも祈ります。この世でもっとも尊いものは、一人ひとりの命だということを心に刻んでおきたいと思います。「命どぅ宝」沖縄で覚えた大事な言葉です。8月は平和のために私にできることは何なのか、そっと考えてみる月でもあります。
2004.08.11
実家の母、つまり私の母親はうつ病です。5年くらい前に体調が悪く、病院で検査を繰り返しても何も異常が見つからなかったのです。でも、食欲がなく横になってばかりいて、あまりにおかしいので、心療内科の診察を受けました。結果は「うつ」。付き添いで病院に行った私は、医師が「自殺したいと思ったことがありますか」と聞くのに、母が「はい」と答えるので、かなり動転しました。それから5年が経過し、はじめの頃劇的に効いた抗うつ剤も、しばらく良くなったり悪くなったりを繰り返すうち、あまり効かないような感じです。だけど、いまもかなり調子が悪いというのですが、私が来てから食欲はあるし、それなりに家事もしています。何というか、病気と共存するというのはこういうことを言うのかも知れません。はじめはかなりショックでした。母の精神状態が悪いと私まで憂鬱でした。でも、何かが起きたとき、なぜ起きたかと原因を探るより、起きることに意味があると考える方がいいと最近思っています。それで母がうつになるのも何か意味があるんだろうと思うことにしました。母がうつになって、いいことがあったかというと、それがあるんですね。大正生まれで、何もかも家事はお任せの父が、仕方なく夕食の買い物に行くようになりました。45年間の亭主関白は見事に変わりました。それから、買い物好きで、いろいろと高くて役に立たないものを買うのが好きな母は、うつになるとすっかりけちになるのです。おかげで、年金生活にふさわしい生活を送っている父と母です。まあ、何事もいい面と悪い面があると考えた方がいいのかも知れません。しかもうつが良くなるととたんに気前のいい母になるのです。何か買ってくれたりするのだから、うつ明けが楽しみ?うつになって良かったとは言えないのですが、ぼちぼちつきあい方も習得してきたのかも知れません…どんな大変なときでも「良かったこと」がちょっとでも探せたら、楽な生き方ができるような気がしています。
2004.08.10
学生時代は夜型で、早起きが苦手でした。低血圧を言い訳にいつも朝寝坊をしていましたが、結婚してからはなかなかそうも行かず、朝寝ができないのを不満に思っていました。娘が高校生になってからは、お弁当作りのために5時半起きがはじまって、それから3年間は早起きでした。大学生になって家を出た今年4月から、ちっとも早起きができなくなっていました。実家に帰省していると、父と母が早くに寝てしまうので、夜更かしをするときりがないのもあって、だんだんリズムがおかしくなる傾向にあります。今年は、朝の散歩をすることにしました。今日で2日め。6時半に家を出て、約30分の散歩を楽しんでいます。勿論ちょっとやせるかも知れないという期待も込めて…実家は住宅街にあるので、家の並ぶ中をどんどん歩いていきました。早足で歩かないと効果がないらしい…実はこのあたりに来るのは何十年ぶり。10分も歩くとJRの踏切に出るのですが、フッと小学生の時の記憶がよみがえりました。このあたりは一面たんぼだったはずです。たんぼの中にぽつんぽつんと家があったような記憶がかすかに残っているのですが、すっかり家だらけになって、様子が変わってしまっていました。何せかれこれ30年以上も前の話なんですね~アイスクリームをお店で買ったら、急いで食べないと家の冷蔵庫に入れても解けてしまっていた時代です。若い人には想像もつかないかも知れませんが、冷凍冷蔵庫がなくって、普通の冷蔵庫の一番上に氷を作るところがあっただけ。そこにアイスクリームを入れておいても、だんだん解けていくのです。本当はやっちゃいけない「買い食い」をしながら学校から帰ったこともあります。中学生の時はそのあたりが通学路でした。自転車通学の友だちと、友だちが自転車を押しながら、歩いて帰った記憶もかすかに残っています。密かに好きな男の子だったりしたことも思い出します。あの頃のドキドキって、どこに行ってしまったんでしょうね。ただの散歩で感傷的になっているあたりがもうすでに年だよな~と思いながら、足を早めました。芙蓉の花が咲いていました。オシロイバナも…花だけは昔と同じです。さて明日は何を思い出すのか、ちょっと楽しみです。母の体調が悪くちょっと気がかりな帰省だったのですが、おかげで(?)なんだか快調です。
2004.08.09
帰省して、生まれてから結婚するまで住んでいた家にいるのですが、時々何とも言えない懐かしさを感じることがあります。皆さんが懐かしさを一番感じるのはどんなときですか?フランスの作家のプルーストは、マドレーヌを紅茶に浸して一口食べた瞬間に過去の記憶がよみがえってきたことを書いています。これが「失われた時を求めて」の中の、もっとも有名な場面なのですが、そのほかにも、石段でつまずいた瞬間に思い出がよみがえる場面などもあります。私が一番懐かしさを感じるのは「におい」です。実家のにおいがどんなにおいなのか、よく分からないのですが、木造の木のにおいなのでしょうか。それから庭に出ると土のにおい。季節によっては薫り高い花のにおいだったりします。お仏壇の線香のにおいも、ちょっと懐かしいかな。私にとってのフランスの思い出は、コーヒーの香りです。はじめて目が覚めたフランスの朝は、コーヒーの香りで充満していましたから。実家の朝も、しばらく前までは母の作るおみそ汁のにおいではじまっていました。けれど私が帰省すると、朝ご飯を作るのは私の役目になっています。娘が大学生になって、私が大学生の頃そうしていたように、2階の二部屋を占領して、朝寝をしています。娘にとっては私の作るおみそ汁のにおいが、懐かしいにおいなのでしょうか。私の顔を見て、たくさんおしゃべりをして、今日は鹿児島に帰省する友だちにくっついて2泊3日の旅に出た娘です。今頃、向こうの家族といろんな話をしているのかも知れません。大学生の娘の机を占領して日記を書いていますが、久々に学生に戻ったような懐かしさです…
2004.08.08
福岡空港に下りたらみどりの色が優しい色でした。日差しも幾分控えめ。でも、暑い!もしや沖縄より暑い?実家にパソコンがないため、夫のノートパソコンを持っての移動です。片手におみやげのマンゴーも持っているので、もう大変。肩こり~それでも、両親の笑顔と娘の「お帰り~ん、お帰りでいいのかな~」(大学生の娘が実家に下宿中)という声に、ホッとしています。父も母もどうやら元気そうだし、明日からしばらくはふるさとで実家の大掃除やら、おいしいものを作ったり…。と言うわけで日記も簡単に報告まで。しかし暑いですね。噂通り沖縄の方が暑くないかも…
2004.08.07
明日帰省します。私が生まれ育ったのは九州、福岡県の久留米市というところです。古くは久留米がすり、中年の方は松田聖子とチェッカーズでおなじみ、新しくは…知りませんが…沖縄に来てから10年はホームシックばかりでした。今日、実は友だち二人とお昼ご飯を食べたのですが、私たち3人は沖縄に来てから大体20年。かれこれ、17,8年前に同じ団地の一階、二階、三階に住んでいました。というか、2階の友だちだけが引っ越したのですが…子どもたちが小さかったので、一緒に遊ばせたり、時には預かったり預けられたりの子育て仲間でした。あの頃は沖縄はまだまだ昔のままで、本土のものが手に入りにくかったのです。はじめて沖縄に住んだのが6月。店先の野菜が、はじめはレタスもキャベツもあったのに、だんだんとなじみのないゴーヤーやヘチマ、エンサイなどに変わっていって途方に暮れたのを思い出します。二人はヤマトヨメ(本土から来たお嫁さんを呼ぶ言い方。あまりいいニュアンスではない)なので、親戚づきあいにも苦労していましたが、私は結構脳天気に沖縄暮らしをしていました。と言うか、年子だったので必死で子育てしていました。私が「結婚して沖縄に住む」と言ったとき、友だちのひとりは「よくあんなところに行けるね」と言ったし、ずいぶん同情されて早く帰ってこれるといいねと言われたものです。それがいまや沖縄ブームとやらで、沖縄に住んでいると言うとうらやましがられる次第。なんだか不思議な気がします。琉球人差別が残っていた時代、本土でつらい経験をしたおじいさんやおばあさんが、本土出身者につらく当たるのも仕方がなかったのかも知れないのですが、苦労している友だちは多かったです。その頃、空港に向かうときは幸せいっぱいで、帰ってきて濃い緑の並木を見るとがっくり沈み込んだものでした。沖縄があまり好きではなかったのです。ところがいまは沖縄もふるさとも大好きです。福岡空港についても、那覇空港についても「帰ってきた」って思うのですから、ふるさとは二つあるのかも知れません。これってとっても幸せなことかも知れません。久留米も暑いだろうな~荷造りをしながら、ちょっとだけワクワクしています。
2004.08.06
昨日から、頑張って掃除をしております。お掃除すると、ダイエットになるかも(?)といらぬ事を考えるのですが、特に体重計には変化なし。私がなんだか毎日掃除をしているのを見た息子が「おかあ、なんで掃除にはまってる?」と聞くのですが、よくわかりません。もともとまめな掃除ができない人で、「発作的大掃除」が得意です。それにどういう訳か、家族みんなが「発作的大掃除型」なのです。息子は試験期間2週間前に、発作が起きて大掃除をします。発作が起きればいいのですが、なかなか起きないと散らかってすごいことになっています。私はいま発作中なので、夫の机を見たとたんムラムラと…なんせ、給料明細とウイルスバスターの更新手続きと、自動車保険証と誰かにもらった名刺と、などなどがごっちゃごちゃ!発作的に整理をはじめました。そしてわかったこと。お片づけの法則その1。捨てるものと捨てないものとを分ける。その2。捨てないものは、同じ種類のものを集める。たぶん、これだけすれば片づけはできると思いました。うむ、発見である。ついでに風呂場もなんとかしようと思うのですが…沖縄移住希望の方にお知らせします。沖縄に来るとなんでもかびます。あらゆるものがかびますから…カメラのレンズから、カーテンに至るまで。私もカビたことがあります(笑)平均湿度は70パーセントくらいでしょう。いまは夏で一番低くて60パーセントです。梅雨時は90パーセント。なんでもかびます。友だちがアメリカ家具の素敵なのを買いました。ソファー用の机で、机の真ん中がガラスになっていて、中にものを入れて飾れるようになっています。新築の家なので、素敵な外国雑誌を開いて飾っていて、いいなあと思ったのですが、次にいったときは見事かびておりました。新築の家は湿気が多いのです。沖縄のうちは鉄筋ばかりなので、コンクリートの湿気が残っているという話を聞きますが、本当かどうかわかりません。素敵な新築のアパートなど借りるときはご注意ください。とにかくなんでもカビますぞ。
2004.08.05
土曜日の帰省を控えて、大掃除をしています。大学が休みになると、ず~っと溜めていた掃除をするのです。まあ、つまり日頃はほとんど掃除をしていないということで…それも台所と風呂場がすごい。台所は、考えようによってはよく料理をしているということであるかも知れません。美しい台所と、おいしい料理は両立不能と思っています。「台所が汚れるから」と作らない料理があるのはいかん。おいしいものを食べるのが優先なのだ。しかし汚れているなあ。きれいになった台所を見ると、いままでよくこんなところに住んでいたなあと思うのですが、忙しいときはちっとも気にならない。いい性格ですよね~自分の仕事ぶりに、ちょっと満足して、買い物に出掛けた先で娘の電話を取りました。大学一年生の娘、留学試験の一次合格だったとのこと。「いま、国際交流科から電話があった」と興奮さめやらぬまま。行きたかった大学には合格できず、少し妥協で、浪人するよりもといった大学ですが、留学には最短だったかも知れません。留学先はイギリスと決まっているのですが、不思議なことに昨日、イギリスにいる親友のリサから久しぶりの手紙が着いたらしい。娘が行くことになったら、リサは大騒ぎするでしょう。担任だったミスターPも、仲良しのジェニーもルーシーもみんなにあえるね。なつかしい顔が浮かんできました。でもきっとみんなでっかくなってわからないかもしれないな。小学生だったから。とにかくはめでたい。2次試験の合格を祈っているところです。大きな声では言えないが、留学資金をどこから出すか、それもちょっと気にはなるのですが…
2004.08.04
どうもこの頃体が重いのです。友だちが下着で2キロやせた話も気になるし、よしよし、ダイエットしてみるか…と言っても、いつもより運動しようと決めただけ。大学が夏休みに入ったので、授業で動き回ることもなくなって、パソコンの前に座りっぱなしになる予感…何か手軽にできる運動はと考えたら、歩くことでした。この暑さでは朝早くか夜しか無理。そんなわけで6時に目覚ましをセットして、今朝は歩きました。息子の弁当を作らない日は歩くと決めました。猛暑の夏ですが、さすがに朝は涼しいです。が、10分も歩くと、汗がでてきます。いい感じ…団地の周囲を30分で回ってきます。実は我が団地は高台にあるんです。で、歩くのが苦痛でした。もっといいところにあったら、ウオーキングするのにねえと思っていたのですが、ある日ふと、こういう坂道が多いウオーキングコースって、カロリー消費量が高いんだと思いました。なんだ、よく考えてみれば、いいコースなんですね。まだ緑が残っているところを歩くので、鳥が鳴いたり、蝉の声がしたり、ちょっとだけ自然の中にいる気がします。なんだか朝早いとぼんやり歩いているお年寄りが多いような…それに、ラジオ体操帰りのチビにもよくあいます。子どもは元気だよね~気持ちよく汗をかいて、早起きは三文の得。これはホントです。だって十円ひろったもん。
2004.08.03
美容室に行きました。娘の入学式以来ですから、なんと4ヶ月ぶり。おお、いくらなんでも、間が空きすぎです。7月に入ってバレエ教室はおやすみの生徒さん続出で、二人とか三人だけ。先週からウオーミングアップが中学校の部活のような柔軟体操になっています。バレエ教室はじまって以来(?)という硬い体の私に、先生が乗っかってギューッと体重を掛けようとして「テ、テ、テレーズさん、髪が真っ白…」つまりはヘアマニュキュアが取れてしまっているのでした。40代半ばともなれば、しらがもあります。それもかなり…幸か不幸か頭のてっぺんから後ろに多いのです。「テレーズさん、自分で見えないからいいよね」と美容室で笑われています。だったら、この際真っ白になるまで染めないでいようかとときどき思うのですが…イギリスのおばあちゃんたちが銀髪でローラアシュレイなど着ているのに実は少し憧れているので…でも、いかんせん、顔が童顔である。白髪の似合わないことおびただしく、学生諸君に混乱を与えてしまうような気がするので、おとなしい色に染めております。美容室というのは、四方山話の宝庫ですね~私の髪を切ってくれるAさんは、実に15年くらいの行きつけです。どうも、髪型とか、流行に疎い私は、子どもが小さくて、仕事もしていて、とにかくドタバタの頃から、「なるべく手入れのいらない髪にして」とお任せしていました。そのまんま、座ると勝手に切り始めるAさんです。一昨年の夏、突然「たまには思い切り短くしたら」と「ん?」と迷っている私に「似合うはず」とどんどん切り始めたのにはあきれましたが、鏡の中の自分は、確かに思いがけない自分でした。シャンプーが楽ちんな夏を過ごしましたが、最近はさすがに「教師に見えるように切ってよ」と注文をつけるようにはしています。そのAさんに、ダイエット下着の話をしたら、「今さらどうするの。楽に生きるのが一番よ~」と言われてしまいました。Aさん、実にたんたんと稼いでいます。カットの腕は見事なくらい。なぜかと言えば、髪を洗っても、タオルで乾かせば整った髪型になるのです。でも、この15年値上げもせずやっています。ちなみに今日はカットとヘアマニュキュアで4500円。「あんまり多いと断るし、最近はなじみのお客さんしかやらないよ」と商売っけもなし。5年くらい前、借りていたところから、家を建てて一階に美容室を作ったときも、使える機具は全部持っていったのです。「なるべく借金は少ない方がいいさね」と堅実。「ローンを払って、食べて行ければ十分」というAさんは気負いもありません。お連れ合いとも家計は別。いざとなったら一人になっても別に困らないと言っています。知っている限りでこんなに名実ともに自立した人はいないのですが、本人はたんたんとしたもの。「テレーズさん、どんな体型でも、健康が一番よ。楽に生きるのがいいさ~」自立した女は何にも縛られないのである!
2004.08.02
大学生とテストを作るようになったのは、4年くらい前ですが、実は私が思いついたことではありません。私が大学に勤め始めて、十年が経過したとき、夫が大学からのイギリス留学の話を持ってきて、二つ返事で子連れで一年間イギリスに行きました。その時、仕事の仲間から、いま日本を留守にすると帰ってきたときあなたの仕事がなくなるよと、さんざん忠告されたのですが、イギリスの誘惑には勝てませんでした。だって、一年も外国に住めるなんて、これを逃すと二度と来ないと思ったからです。とりあえず夫は仕事で行くんだし、なんとかなるだろうと思っていました。すごく面白いイギリス生活をすごしましたが(その事は追い追い書きます)案の定帰ってきたら仕事がありませんでした。非常勤講師というのは一年雇いで失業保険もないし、なんの身分保障もないおそろしい仕事なのです…3年間のブランクの後、やっと教師の仕事に復活したのですが、そのときの授業をとっていたの女の子がUさんでした。大学の座席は自由なので、いつも一番前で熱心に聞いています。ふと見るとノートを英語でとっていました!私はイギリス滞在の後だったこともあって、興味津々。「聞いてもいい?」と言って、授業中Uさんの話を聞いたことがあります。なんでも両親の仕事の関係でアメリカに行き、そこで試験を受け大学に合格し、医者になるための勉強をしていたけれど、アメリカで医師免許をとっても日本では使えないことがわかり、学費もとんでもなく高いので、両親の帰国とともに日本に戻り大学を受け直したそうです。お医者さんになりたい理由は何?と聞いてみると、阪神大震災がきっかけでした。家が壊れて九死に一生を得たUさんはその時、医者になろうと思ったそうです。おそらくは目の前でなくなっていく人をたくさん見たのかも知れません…アメリカの大学は、学費が高いからもっとみんな真剣に授業を受けますよ。それに、先生が一方的に講義することはあまりなくて、学生のプレゼンテーションが主で毎日必死です。とそういうので、「日本の大学とアメリカの大学とどっちがいい?」と聞いてみたのです。私はてっきり日本の学生の生ぬるい大学生活を批判するのだろうと思いました。ところがUさん、一瞬迷った後「日本の大学」と答えてくれました。どうも、アメリカは競争の中でみな窮窮としているらしい。日本のおだやかな友だち同士の結びつきにホッとしているようでした。よく学び、よく遊べを地でいっている感じのUさんは、試験前の一時間を質問の時間としてとってあった私に、「先生、どこが試験に出るという話をするんだったら、いっそテストをみんなで作ろうよ」と言ったのでした。「あ、それ面白いね。やってみようか。」とそんなふうにてはじまったのが第一回目のテストを作る実践でした。やってみるとこれはなかなかよかったのです。みんながどこが大事がということを考えるので、半年間の総まとめになります。それから、振り返って考えてみると、教師のためではなく、学生自身のためになるテストのやり方になっていることに気がつきました。Uさんはいい成績でフランス語の単位を取り2年生になりました。ときどき大学で会うと挨拶をしてくれるのですが、医学部はキャンパスが違うのでだんだんあわなくなりました。去年の夏、とんでもないところでUさんの名前を見ました。それは沖縄の海で起きた、海難事故の会見でした。Uさんはクラブの責任者だったようですが、そのクラブの部員の女の子がおぼれかけたのを助けに行った男子学生が、自分の救命胴衣をその子に渡し、救助を待っている間に力尽きて亡くなってしまったのです。悲しい事故でした。Uさんは疲れ切った表情で、何ともいえない悲しい目をして新聞の写真に写っていました。阪神大震災で悲しい経験をたくさんして、やっと元気にお医者さんを目指して生き生きとすごしはじめたUさんになんという過酷な運命なのでしょう…その心の中を思うと、私はやりきれない思いでいっぱいでした。連絡先もわからず、あえて探すこともしないまま一年が過ぎました。でも、もしどこかであったら、こんなふうに伝えたい。あなたに起きることは、どんなつらいことも、みんな意味があるんだと。どうしてそんなことが起きたかを考えてみても、何も変わりはしない。過去を悔やむのはやめて、つらいだろうけれど、あなたに起きたことをこれからどう生かすかを考えてほしい…医者としてこれから何度となく人の命に関わる場面に立ちあう事でしょう。その時に、患者を治療の対象としてでなく、人として扱える医者になってほしい。神さまはときに人に過酷な運命を担わせると感じることがあります。でも、きっとそれは、その人が耐えるだけの力を持っているからなのでしょう。Uさんの幸せを心から祈っています。
2004.08.01
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