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日曜日、何となく体調がスッキリしないまま、一日を過ごしました。夕方になってオットと買い物に行き台所に立っているとき、フッと私はこの時間が好きだなと思いました。特に料理上手というわけでもないですが、台所でことことやっている時間が好きです。家族がみんな家にいて、ゴハンを作っているという状況が…買ってきたサンマに塩をして、おみそ汁のダシをとって、サツマイモをゆでて…狭い台所でぱたぱたしながら、最近何かというと「ご飯を作るのがイヤ」という母のことを思い出しました。もうすぐ結婚50年を迎えるのですから、主婦業も半端じゃない母のことを…「私もイヤなときはあるよ」と答えながら、相手の気持ちに共感するのは本当に難しいと思います。アタマでは理解しても、気持ちをあわせることは難しいのです。だからと言って演技が下手なので「わかる、わかる」と言えないなんだか半端な気持ち。共感というのが苦手です。同情というのも苦手。演技も下手だし~泣いている人のそばに行ったりすると最悪。うつの母に関わっても最悪です。自分の気持ちに正直すぎるのかも知れません。もらい泣きということができず、いつも固まっている自分を若い頃から好きではありませんでした。他の人と違うので、なるべくそんな場にはいないようにしていました。母は私が「大変」というと大げさにわかるわかると繰り返します。わかってもらわなくてもいいんだけどと思いながら、母はこんなふうに言ってほしいのだろうなと思うのです。でも、私にはその言葉が出てこないのはなぜなのでしょう。台所に立ちたくない時がある時にフッとあって、「あ、この気持ち」と思うこともあるのにです。妙にそんなことが気にかかる日でした。あ、もうこんな事を考えるのはやめて寝よう!
2004.10.31
ニュースでは新潟の地震のことばかりです。マスコミの報道は一時のような、無理やりプライバシーに踏み込んでいるような感じはなくなったのですが、何となく伝えたいことだけが切り取られているような気がして、斜めに見ています。被害者がかわいそうというような視点というのか…では、かわいそうではないのかと言われれば、そんなこともないのですが…何というか、何事もなく暮らしている人が、テレビの前でそれを見ていると、「私たちは何事もなくて良かったわ。今の平穏な暮らしに感謝しなければ」となっていきそうでこわいのです。十年くらい前、娘のクラスのPTA行事で、ひどくむかっ腹を立てたことがありました。それはダウン症の子どもの施設の所長さんを呼んでの講演会でした。企画の側にいなかったので、どういう意図だったのかいまいちわからないのですが、所長さんは子どもたちのスライドを見せながら、小学生にわかるようにダウン症の話をしていたと思います。それは障害児学級のない学校の子どもたちなので、街で見かけるダウン症の子どもや智恵遅れの子どもを差別しないでほしいという願いからだったように思います。お話しが終わって、子どもが感想を言った後の役員の挨拶に、ひどくショックを受けました。そのお母さんは、「私の子どもが健常で良かったとつくづく思いました。」と話されたのです。正直な感想だったのかも知れませんが、その言葉を口に出してほしくはなかったと思いました。気持ちはわからないではありません。でも誰かと比べて私は幸せだと言う発想は、好きではありません。他の子どもと比べることなく、その子自身が大事な存在であってほしい。人は、自分よりも不幸な人と比べることで自分の幸せを確認するのでしょうか。それから何年後かに、バングラディシュで勤務して帰ってきた先生を招いての講演がありました。世界でも貧しい国のひとつであるバングラディシュでは、ビニール袋を洗って売る仕事があるそうです。日本大使館の裏の草むらで、子どもたちがスーパーでただでくれるようなビニール袋を洗って干しているスライドを映したりしていました。それでも、子どもたちの目の輝きはキラキラしていて、3年の勤務が終わるとき、先生はバングラディシュの民族楽器を弾けるようになったと、それを披露してくれました。貧しい国であるけれど、そこから学ぶものもたくさんあったと、そういう話だったのです。ところが、最後に挨拶した役員さんが、「貧しい子どもたちに何かできることはないか」と言いはじめたのでした。先生が当惑しているのを尻目に、子どもたちの空き缶集めの話が進んでいました。私は、心の中で違う!と叫んでいました。貧しいからかわいそうなんじゃない。もしかしたら、親の期待に応えるため、思い切り遊べないこの子たちの方がかわいそうかも知れないよ、と。私たちのアタマの中は、ほうっておくと、お金がないひと=かわいそうというふうになってしまうのでしょうか。地震で被害にあった人たちを気の毒だと思うのですが、それに比べて私は…というふうに考えたくないと思います。もし私が地震にあったら、やはり同じように避難するだろうし、嘆くだろうけれど。うまく言えないけれど、募金をしたり、ボランティアをするのは、その人たちが気の毒だからと言うより、自分にできることをしたいからだと思うのです。そうしないと、お礼や感謝を当然のこととして求めてしまうような気がします。こんなことを考えてしまうのは、へそ曲がりなのだろうか…
2004.10.30
沖縄ののどかな一日です。新潟に送りたいようなポカポカ暑い(!)天気でした。二時間目の授業をはじめて、出席をとったら、ふらりとわんこが入ってきました。柴犬みたいな中くらいの犬。なんだかうれしそう。子どもなんでしょうか。人なれしていて、しっぽを振っています。「え、あんたもフランス語習うわけ?」と言ったけど、返事もせず教室をうろついています。大学生はちょっと面白がっていますが…危害を加えそうにもないので、「じゃあ確認テスト」とミニテストの用紙を配ったら、それぞれ書きはじめましたが、あちこちでわんこが邪魔をしています。お弁当の匂いがするんだね。Tちゃんの椅子の下で、カバンをくんくん。こりゃダメだ。集中できそうにもない。一番前でいつも落ち着いているMくんが、妙に焦っています。え、オッさんみたいなのに、犬がこわいの?意外!男の子に「出してくれる」と頼んだら、うまく連れ出せず、ついによいっしょっと抱えて出してくれました。別に抵抗するわけでもないわんちゃんです。慣れているね。きっとみんながエサをやって飼っているのかも…教室の外に出して、すばやくドアを閉めました。やれやれです。し~んとペンを走らせる音が聞こえはじめた中で、隣の教室からドッという笑い声。しめしめ隣の教室に行ったぞ。風邪の後遺症が残っているのですが、なんとかそのまま90分授業をしたら、わんこはいなくなっていました。もともと沖縄はのんびりしていますが、町はずれにある大学は、さらにのどかです。なんだかこの雰囲気が好きだよな~と思ったテレーズでした。
2004.10.29
地震で大騒ぎしている間に、イラクから日本人青年が拘束されたというニュースが飛び込んできました。なんともイヤな感じの男たちに囲まれて、「助けてください」と懇願している青年は、まだ24歳とか…イラクで活動していて人質になったというわけでもなく、旅行者であったらしいというニュースで、新聞の論調も、心なしかその軽率さを責める感じがあります。詳しいことがわからないので何とも言えないのですが、もし、自分の子どもだったら、危険がわかっているところになぜ行ったのか、行かせたのかと自分を責めるかも知れません。子どもと関わる中で、危険予知というのは、伝えるべきもののひとつなのだと思うのです。何度か子連れで海外に出掛けましたが、子どもたちをつれていると、否応なしに「危険」に敏感になります。子連れの旅行者は、割合ねらわれにくいともいわれますが…最初に出掛けたフランスとスイスの旅行では、息子が小学1年、娘が3年でした。一番ドキッとしたのは、スイスの街角で、息子が何気なくひろった注射針でした。ヨーロッパの麻薬の事は、漠然と知っていましたが、その注射針を見たとき、それで傷でも付けたら感染症になるかも知れないとドキリとして、むやみとモノをひろわないように、厳しくしかりました。その後、イギリスに住んでいたとき、子どもたちは歩いて10分ほどの小学校に通っていましたが、大体3時半に授業が終わるのですが、親が迎えにくることを義務づけられていました。はじめは迎えに行っていましたが、そのうち慣れてきて、ある日かなり遅れで迎えに行きました。二人で帰ってきてくれてもいいのにな…なんて思いながら。すると、がらんとした小学校の入り口で、二人と担任の先生が待っていました。私はあわててお礼を言ったのですが、しばらくして他の子どものお母さんから、「こんな静かな街だけど、数年前子どもが殺された事件もあったから、迎えに行かないと」と言われビックリです。本当にのどかな街だったのですけどね。それから子どもだけで帰ってこないようにと話しました。その後イタリアの旅行ではスリにあったりもしましたが、外国旅行では、日本にいるときより「危険察知」のアンテナをたくさん張り巡らしてねと、大学生にはアドバイスします。大都市ほど危ないようです。「日本人は平和と水は只だと思っている」と言われますが、鈍感になっていることは確かです。でも、娘がある程度大きくなって、夜になっても街を歩くことがあるようになって、日本の街でも危険なところはあるから、それは気をつけなさいよと話しています。女の一人歩きは危険な場所が、日本にももちろんありますよね。危険察知度は高い方が良いような気がします。自分に自身があればいいと言うものでもないから。(空手を習わせようかと本気で思ったこともありますが)そういえば、息子が中学生の時一人で本屋に行って「かつあげ」にであったことがあります。こわいニイニイに睨まれて、お金はないというと、ジャンプしてみろと言われたそうです。小銭がちゃりんと言うからわかるんでしょうね。いくらかとられたらしい。その話しを聞いて、思わず「警察に走ろうか」と思った私です。でも、息子の話を聞いていると、それで、彼なりの経験を積んだらしく、相手が集団の時はすばやく逃げるとか、あれこれ対策をたてているようでした。特に学校の中でと言うわけではなかったので、相手もわからずそのままになりましたが、大事な経験なのかも知れないと後になって思いました。いつもいつも親がそばについているわけには行かないのですから、どこかで、一人でも大丈夫な智恵を身につけて欲しいと思います。そのためには、小さな危険に身をさらすことも大事なのかも知れません。危ない、危ないと、親が前もって危険を取り除いてしまっては、一人になったときどうしていいかわからなくなってしまうような気がします。過保護で育った自分自身がそうなので、違う子育てをしたいと思ってしまうのかも知れません。親が子どもを心配するのは、いつの世でも変わらないと思うのですけど…
2004.10.28
カメハハさんが新潟にボランティアに行っているおかみとその周辺情報を集めて、新しいブログをつくっていました。新潟震災ボランティア*あなたにもできるネット支援で、現地の情報を見ることができます。りりま*ままさんもご自分のサイトで支援についての呼びかけをされています。みなさんのすばやい対応にびっくりすると同時に、感動しました。だって、遠く離れた沖縄にいてもできることがあるんだということ…ついついアタマで考えてしまい、なかなか体が動かない私にとっては、目から鱗が落ちる体験でした。正確な情報を広げていくということが、私にできることかも知れないなあと…メールで30人ほどにこのサイトの情報を送りました。そんなわけで、金曜日には元気あふれる大学生たちにも、これらのサイトについて宣伝しようと張り切っています。授業のフランス語より大事よ~ボランティアに行くという学生がいれば、出席扱いにするのだ!それよりまず、新潟周辺の出身の学生がどうなっているかを聞かなくちゃ。ところでカメハハさんのサイトには、ボランティアに行っている方の、マスコミ報道陣への怒りが書かれていました。考えてみればいつものことですよね。何かの災難にあったり、事故にあって悲嘆にくれている人にマイクを突きつけるのは…でも、取材の車が物品の搬入を邪魔していたり、報道陣が我が物顔に振る舞って何も手伝わないというのは、気がついていなくて、思いがけなかったです。そんな傍若無人のマスコミの人たちは、私たちテレビの前に座っている普通の人が見たいとのぞんでいるから、取材攻勢を繰り広げるのですよね。つまり、ハラハラどきどきしながらテレビを見ている私たちにも、マスコミの人たちの行動の責任の一端があるというわけで、それに気がついてドキッとしました。そう思ってみると不思議なもので、四日ぶりに救出された男の子が病院に運ばれる場面で、やけにはっきりと画面に映し出されていたけれど、あのテレビカメラは救急隊員の邪魔だったに違いないと思えてきたから不思議です。普段見ているテレビの画面に、カメラそのものが映ることはないのですが、実はカメラがプライベートゾーンに進入していることもたくさんあるのかも知れません。報道っていったい何なのだろうとしばし考え込んでしまいました。リアルタイムの報道を見ていると、まるでドラマのように演出されているような錯覚を覚えることがあります。報道というのは、見る側が見たいものを写したいと少しでもインパクトのあるものをとろうとするのでしょうか…インターネットで情報が入ってくる時代には、マスコミ報道は情報を広めるという役割から、見る人を満足させるという役割に取って代わりつつあるのかも知れません。ただの野次馬くらい始末の悪いものはないなあと、ちょっと反省。
2004.10.27
風邪をどうにかやり過ごし、夕方から復活の気配です。楽天日記もそうですが、仕事もいくつかしなければならないことを抱えており、気持ちは焦るばかりです。良く「仕事は忙しい人に頼め」と言うけれど、カメハハさん、りりまさんなど、活躍中の方は特に仕事を次々とこなしている気配です。テレーズも頑張らねば。いやしかし、30代の方々とはちと違って、40代になりますと、自分の体をだましだましやるしかないんですね~ちょっと悲しいところです。今日は本当は講義の日でしたが、休講にしてもらいました。昔はむりやりやっていたものです。というのも、休講にすると、後悔するから…なんだか自分が「やるべき事ができなかった」と落ち込んでしまうのです。自分の力を過信しているというか、自分の「できない」をちゃんと見極めきれていないと言うか…ダメなものはダメという開き直りがなかなか生まれてこないのです。この風邪で、ようやくちょっと開き直れたかなと思います。実は11月7日の日曜日、東京で、フランス語教育の研究会があって、そこで「セルフラーニング」の話をすることになっています。去年の3月にも大阪で同じような話をしたのですが、何もわからないから、体当たりでよかったのに、今回は妙に肩に力が入っています。日記を読んでくださっている方は、もうお気づきだと思いますが、「セルフラーニング」というのは子育てでも、教壇でも同じように使える方法なのです。だから、日記ではどうしても子どものことや、お母さんの悩み事に的を絞って書いていますが、これを大学の教師向けに話すとどうなるかという、いわば実験です。とんでもないですよね~申し込みをしておきながら、自分で自分のクビを絞めている気がすると、あらためて思っています。しかもセルフラーニングというのが、説明がなかなか難しい。それでも、やっぱり、セルフラーニング=教えない教育と出会ってから、教師として気がついたことや、楽になったことを伝えることで、誰かが何かに気づいてくれるかも知れない。そう思うと、ちょっとだけ頑張ろうという気持ちになります。りりまさんを囲んでのお茶会で私がもらったものは、自分のやることをもっと明確にしてもいいかも知れないという、決心のようなものでした。それから、コツコツやるだけでなく、もっと公にアピールする事も大事ということでした。具体的な活動に移すには、時間がかかりそうですが、やってみる気になっています。気長におつきあいください。それから、新潟の震災にすばやく対応されたみなさんに脱帽です。ヤポネシアのおかみはとっくに新潟にいるらしいです!考えないですばやく行動する力をうらやましいと思います。そして、人の温かさに触れることは、人を元気にするものだと思います。すばやく動いた人たちが日本中にたくさんいることに、とても、暖かい気持ちになりました。私に何ができるか、考えてみます。
2004.10.26
お見舞いの書き込みを頂いておりますが、風邪まだ悪化しております。今朝、家事をさっさと片づけた後、今日はひたすら寝ていようと思いました。野口整体でしたっけ、風邪は体に必要だから引くのだという考え方があるそうです。つまり体が休養を必要としているということなのでしょう。アレルギー性なので、とりあえず市販薬を飲んで、午前中3時間、午後3時間寝ました。鼻の奥の痛みがどんどん喉の方に移っているのがわかります。この状態で大学に行くと、頑張ってしゃべって、声をつぶして余計悪化させるので、すばやく休講の掲示をお願いしました。無理がきかないなあとつくづく思っています。こういうとき、持病をもちながら生活している人がすごいなと思います。体のどこかが悪いと不機嫌で、オットと息子に当たり散らしてしまいます。まったく…ニンゲンのできていないこと!とにかく明日一日寝込んでいようと思いました。神さまにおやすみをもらったと思うべしです。今日もおやすみなさい。
2004.10.25
昨日、糸満から帰るとき、鼻の奥が妙にむずむずしていて、んと思っていたら、今朝はドッと来ました。鼻からのどにかけてじがじがです。今日はダウンしていました。りりまさんの「ブログで成功している人は日記記入率が百パーセントです」という言葉がよぎって、とりあえずご報告まで。おやすみなさい。
2004.10.24
今日はダブルヘッダー。午前中は、息子の学校の進路講演会。NPO法人キャリナビというところの人が来て講演がありました。そして午後は、カメハハさんちのお向かいの民宿、ヤポネシアにて、楽天日記でアクセス数46万の横浜情報を発信している、りりま*ままさんをお迎えしてのお茶会でした。カメハハさんとは去年の今頃、私たちの主宰する講演会にチラシを見てこられてからのご縁です。何度かお会いするうち、情報起業講座で、私はカメハハ師匠の弟子になりました。楽天日記を勧めてくれたのもカメハハさん。インターネットがよくわからないのに、おそるおそるはじめてしまったのですが、それがご縁でみなさまとも繋がることになりました。りりま*ままさんとカメハハさんも楽天でのつながりのようですが、このお茶会にはなんとruby☆さんとぴーすぶるーさんも参加されていました。いつも画面上でお会いしている方に、実際に会うという体験ははじめてのことで、お話しをしているうち、あ~なるほどと思ってしまうのが面白かったです。お二人とも、夢を持ちつつ、一歩ずつ歩いていこうとされているのがよくわかりました。応援いたします。りりまさんからは楽天のページを見やすくする方法、アクセスをふやすコツをたくさん頂きました。日記を書きはじめてから5ヶ月くらいになりますか。やっと何かわかってきた気がします。ちょうど、このあたりで、自分の振り返りが必要だったのかも知れません。りりまさん、驚くほどの洞察力と根気で、あれこれリサーチした情報を惜しげもなく頂きありがとうございました。りりまさんの言葉で印象に残っているのは、「何かすごいことをしようと思ったわけではなく、目の前の小さな目標、例えば一日10件書き込みをするとか、アクセスをふやす工夫をするとか、そういうことを続けていったら、いつの間にかこうなっていました」大事なことは続けることです。そう、挫折しても、またはじめればいいのです。とにかく、続けること。大きな目標ではなく、自分のちょっと背伸びした目標に向かって、たんたんとやっていると、何かが開けるのです。これは、セルフラーニングの考え方そのものです。妙に納得の一日でした。
2004.10.23
語学が不得意な人って、大体文法が苦手ですよね。フランス語を教えるとき、なるべく、文法にこだわらないような教え方をしているのですが、今日は参りました。大学生が先週冠詞について質問をしていたので、今日は答えるつもりで準備をしていました。ところが、別にでた新しい質問にはうまく答えることができませんでした。フランス語でなくても、英語でも冠詞は難しいですよね。この場合、定冠詞か不定冠詞か?時々迷ってしまいます。とても不思議なのは、ネイティブスピーカーはあまりきちんと説明してくれないのです。「この場合はこう言う」で片づけるのがほとんど。なぜなら文法というのは、まず言葉があって、それを説明するためにつくられたものだからです。私たちは日本語を普通に話していますが、文法を説明せよと言われると戸惑うことがあります。それと同じです。英語でよくでてくるS+V+Oなどという5文型方式がありますね。アレも、ある文法学者の説が導入され、日本では一般的になっているだけで、他の分類の仕方もあるのだそうです。ただ、日本ではそれがよく使われているという事のようです。私がフランス語を習った頃は、文法がとても大事といわれ、冠詞についてもいろいろと悩んでいたものですが、だんだんと、まず、下手でも、少しくらい間違っても言葉を使ってみることが大事。それから文法的にきちんと、という風に考えるようになりました。それに一番効果があるのは、よく使われるフランス語を丸ごと覚えることです。初級だととても効果があります。英語が苦手な人に、中学校3年間の教科書を丸暗記しなさいと言いますが、アレは正しいと思います。文を覚えていると、いざというとき考えなくても文章が口から出てきます。あくまでも初級ですけどね。中級になったら、もっとちゃんと文法もやった方がいいのですが…大事なのは、会話→文法という順番で、文法→会話となると、まず間違いなくできなくなります。英語苦手の方、思い当たりませんか?そんなわけで、最近授業ではあまり文法を詳しくやらなかったのですが、この学生が突っ込んできたので、ちょっとばかり困ってしまいました。テレーズ、教壇で困るの図。誰です、見たいっていってるの!そしたら、学生自身が自分で辞書で答えを調べてしまいました。ま、それが一番いいんですが、テレーズの出る幕はありませんでした。悔しいので「今度から文法の答えはあなたに任せるから」と言ったのですが…まあ、教えない教育やっているかも知れません…がちょっと情けないかも…ちょっとばかり落ち込んでいるのですが、書いてみたら元気でてきました。要するに学生さんたちが勉強すればいいわけです…が、受験教育というのも困ったものだと思います。なぜかって?それは答えはひとつだと思わせてしまうからです。教師の答えが正しい答えでも、回答集の答えが正しい答えでもない場合があるのです。世の中の多くのことは、正しい答えはありません。だけど、何か自分なりの答えを出さなければならない。それがつらいところです。受験を通過してきて、それがうまくいっていればいるほど、正解を求める事が多いような気がします。正しい答え、うまく行くやり方を求めすぎる。自分の将来についても、勉強の目的についても、なんだか、答えを探しすぎてつかれているような気がします。本当は、明日生きているかどうかもよくわからないのが人という存在。とりあえずやってみる人生の中から何かが生まれてくると思った方がいいのにな。私が接している若い人たちを見ていると、ちょっとそんな気がします。受験勉強もほどほどにといったら、叱られるかしら…
2004.10.22
小学生の時から、「ランドセルで肩凝った!」と叫ぶ、ばばくさい子どもでした。でも、これは事実で、ものすごい肩こりです。肩が凝ると、気持ちが沈んでくる…というか、気持ちが沈んでくると肩が凝っている。どっちが先かわかりませんが、困ったものです。ということはどっちを先にほぐしても良さそうなものですが、心をほぐすのは難しそうなのです。というわけで、家の近くに新しくできた整骨院へ。整体、整骨院などなど、何カ所か通っていますが、どこも一長一短。新しいところがよかったら、ラッキー、という感じ。10月末までの無料券を持って行きました。できたばかりだから内装が美しいのはいいけれど、まだがらんとしていて、入っていくとどうぞどうぞと5,6人の白衣を着た人みんなで迎えてくれたのには参りました。アレは圧迫感です。でも、横になって肩をもんでもらったら、若いお姉さんの力が強かった。自分でも異常と思えるくらい凝っていたので、痛いけど気持ちよかったです。20分くらいマッサージしてもらったかな。その後、電気でマッサージして、帰ってきました。ちょっと楽になったなと思って帰りながら思ったこと。次に誰かを紹介するとただになる券をもらったけど、それより感想を聞いてほしかった。アンケートなんかしたらいいと思う。そしたら、即座に「みんなで出むかえるのはやめて」と書くでしょう。次に行こうと思ったとき、それを伝えているといないとでは違うように思います。みんなでお客さんをふやしたいと思って頑張っているのが伝わってきたけれど、それには意見を聞くのが大事かも。教師をしていても、大学生に何かを書かせるということをよくやります。授業についても意見を聞きます。そしてそういうとき、耳の痛い意見ほど、大事にしようと思っています。だって、自分のやっていることを振り返るために意見を聞くわけですから。でも、いいことを書いてくれて励まされることも多いけど…最近会社などで、クレームを手がかりに、商品を改善して会社を大きくしていこうという試みがあるのだそうで、確かに目の付け所がいい思います。でも、クレームってまず、ムッとするのよね。相手をムッとさせないクレームの付け方。自分がムッとしないでクレームを受け入れるやり方。模索中です。
2004.10.21
昨日の日記のコメントに、『「宿題はやってもやらなくてもいいよ…」って言っています。これって、いけない背中の押し方でしょうか』というメグさんの話が書かれていました。う~ん、私も時々言っていたような気がする。大学生にも時々言います。「あなたたちが勉強するかどうかは、私とは関係ないんだよ」って。そしてその後に「勉強は自分でするものだからね」って付け加えるかな。たぶんメグさんもそうだと思うけど、子どもが宿題をしなくてもいいと思っているわけではないですよね。私も大学生が学ばなくてもいいと思っているわけでもない。けれど、子どもが宿題をしないことで、親が困るのはおかしいんです。子どもが学ぶかどうかの問題だから、子ども自身が困らないといけないと思う。親が困ってしまったら、子どもは安心してしまって、困らないような気がする…メグさんの話も、子どもに自分の問題だと自覚してもらいたくての言葉かけなんだと思います。それで、子どもが宿題をやっているんだったら、きっとお母さんの「本当はやってほしい」という思いが伝わっているのだと思います。親子の関係って、人の数だけあるのだから、どんな背中の押し方もありだと思います。要はお母さんの思いがちゃんと伝わっているかどうか。子どもにちょっと聞いてみるといいかも知れません。「お母さんがこんなふうにいったとき、どう思った?」って。そういえば、この前、近所のお母さんが、こんな話をしていました。子どもを中学から自立させたいから、私は送り迎えはなるべくしたくない。でも、私立中学に入れると送り迎えをしなきゃいけないのよね。これってマズいかしら。子どもの送迎って、難しい。近頃は車がないと不便なことも多くて、バスで帰ってくるには時間が遅くて心配なんて、半分は親の都合で送り迎えをすることがあります。子どもが自立することは、なんでも自分でやることとちょっと違うような気がします。私は、子どもがお母さんに送ってほしいと頼んだら、やってあげたらいいんじゃないと答えました。頼まれてやる分にはかまわないでしょ。親の送迎が当然と思われるとマズいかも。それに、子どもをいっぺんに自立させようと思っても、それは難しいのじゃないかと思います。私はなんと子どもが小学校中学校と9年間も送り迎えをしていました。と言うか、朝はオットと一緒に出掛けるので、ほとんどついでに送っているようなものでしたが、帰りは結構大変でした。学校の終わる時間もまちまちで、子どもが待ちくたびれていたり…こっちが長いこと待たされたり…「お母さん、迎えが遅い!」と子どもが怒ったときはキレました。それから、子どもと話し合って、頼まれたときに迎えに行くことにしました。頼まれないときは子どもが自力で帰ってくるようにして…携帯電話を持っていない頃で、行き違いがあったり、時々トラブル発生。私が怒ることも子どもが怒ることもあったけど、こういうのって少しずつやっていくしかないんじゃないかと思います。やがて、お互いの都合を考えるようになっていきました。できればいつも子どもとにこやかに楽しく暮らしていたい。でも、時にはぶつかることも大事と思います。ぶつかることを怖れていては、イイ関係を作るのは難しい。これって、親子だけじゃないのかも知れませんね。
2004.10.20
沖縄は今日一日台風の風が吹きあれていました。沖縄に住む人は、ある意味で台風慣れしているので、すばやく台風対策をしてしまいます。我が家のように鉄筋の宿舎住まいであれば、停電さえしなければ結構いいお休みです。ヒヤヒヤものでパソコンを使っていましたが、台風はもうそろそろ遠ざかっていくようです。さて、けーしぃさんの書き込みで「やる気」の話、思い出したことがあります。私たちはどうもやる気というものをすごく大事にしてしまいますが、一見やる気がなさそうな感じでも、やる気はあると考えることがあります。例えば、フランス語の教室で、寝ている大学生。私は必ず「起きなさい!」と起こすのですが、これをやる気がないと見るかどうか…私は、休んでもたいして叱られもしない大学生がとりあえず教室に来ると言うことを、それなりにやる気があるのだととらえています。だから、彼らのやる気を援助するつもりで、起こすのです。「先生に起こされたら目が覚めるでしょ~」とかいいながら、背中を叩いたりします。ある意味で、やる気がなくなっていても大学に来るというのは、すごいかも知れません。ほめたりすることもないですが、やる気のない状態で何かをやることを手伝うのも仕事かなと思います。子どもが「やる気がしない」と言ってやらないときには、「やる気の問題と勉強をすることとは関係ない」と言い切ってもいいんじゃないかと思います。「やる気があってやるより、やる気がないでやる方がすごいじゃん」と言うかな。先日カメハハさんが日記の中でイチローのインタビューを紹介していましたが、イチローの言葉で印象に残ったのは、「イヤだと思うことをやる力が大事」ということでした。子どもには宿題はやった方がいいと言っています。なぜなら大人になれば必ず「やりたくなくてもやらなければならないこと」がでてくるからで、宿題をやるのはその練習ということでした。どうも私たちは「子どもにやる気を起こさせる」ことに力を注ぐ傾向にありますが、やる気があってもなくてもやらなければならないことに変わりはないわけですから…大事なことは、「やる気がなかったらやらなくてもいい」という考えを捨てることかな。相手が納得できるような形で、やらねばならないことをさりげなく押し付けるというか…背中を押すという言い方の方が抵抗ないかも知れませんが…これがもしかしたら、セルフラーニングをやる教師や親たちの仕事なのかも知れません。
2004.10.19
昨日の日記を自分で読み返しながら、ちょっと笑ってしまいました。だって、「やる気がなくても勉強できる」けど、その特効薬は何もないからです。それについてもう少し書かなければならないでしょう。やる気のないとき、とりあえず取りかかるという方法で、何かのきっかけが生まれるのは確かですが、セルフラーニングというやり方は、一人でやるのではなく、誰かと関わりながら学んでいく方法です。もともと、一人でなんでもできる人であれば、悩まないですよね!教師である私が、「これをやってみたら」という提案をするのはそのためです。一人で困っている人に対しての援助は、話を聞くことと、何か方法を提案することです。でも、それはあくまでも提案でなければなりません。というのは、何かをやるとき、そこに「自分で選ぶ」「自分で決める」という行為が生まれたときに、内側から何かが動くと思っているからです。指示や命令で動かしていては、そこに「自分のために学ぶ」という自覚が生まれることはないと思います。選択の中に「学ばない」という選択はありません。だけど、方法を自分で選んでいるのは間違いないところです。実はこのくだりを書きながら参考にしている一冊の本があります。これは、フランス語の学会の時にある先生に教えてもらった本で、「人を伸ばす力」というタイトルがついています。「人を伸ばす力」内発と自律のすすめ エドワード・L・デシ+リチャード・フラストところどころ難解なところがあったのですが、非常に共感するところが多くて参考になりました。誰かの学びを援助するときに大事なことがあります。それはその人の学びの自律性を大事にすること。「理由付け、承認、選択」が必要です。例えば、病気のための食事制限が必要な人がいます。でも、どうしても自分で守れない。その人を援助するにはどうするか。まずは、なぜそれが必要なのかという丁寧な説明によって理由付けをする。食事制限をすることを、承認してもらう。そしていくつかの方法から選択してもらうのです。この方法は抜群に効果が上がるそうです。相手が子どもであっても同じ事です。つまり、相手を一人の独立した人間とみとめ、自分で自分のことをコントロールことのできる存在であると見なして、対等に関わることが大事と思います。大学生の何人かは、やる気のないとき、無理にでもやらせてほしいと書いていましたが、自分がやらねばならないと自覚しているからそういうことが言えるのであって、必要ないと思っていることを強制されれば、反発しかないのではないでしょうか。学ぶことがどこかで自分自身への挑戦となっていけば、内発的動機が生まれるような気がします。ところで、ハリーさんが書き込んでくださっていましたが、実はセルフラーニングについて本にしようと思っているのです。カメハハ師匠の情報起業講座の最終目的が小冊子を書くことなのです。で、日記で書きながら、冊子をどう書こうか思案しているところですので、どうぞわからないこと、反論など書いて頂けるとうれしいです。
2004.10.18
夜に娘から電話がかかってきて「お母さんのホームページ、最近、老夫婦みたいじゃん」と言われてしまいました。まったく、息子がいないと、洗濯物も少ないし、ゴハンも張り切ってつくらなくていいくらいの分量だし…老夫婦です。今日はオットと知り合いの紅型作家、平井真人さんの展覧会に行って来ました。子どもがいないとこんなに家事が減るのかとびっくりしている次第です。さて、昨日の続きです。「内発的動機」というのは自分の中から沸き上がってくる「学びたい」という気持ちですが、それはなかなか生まれにくいというのは、昨日も書いたとおりです。「外発的動機」を駆使して、あれこれ競争させたり、脅したりすることは論外ですが、さりとてそのままでは、人は「学びたい気持ち」が生まれないままになるのかも知れません。そこで、考えるのは何かをきっかけに学んでもらおうという働きかけですが、「勉強しなさい」と言うだけでは、「わかっちゃいるけどできない」ということになります。それで、週に一度の確認テストの提案をしました。他の先生が「豆テスト」をしているのですが、この確認テストはちょっと違います。つまり、私がテストをするのではなく、自分で自分をテストしてもらうのです。方法は25問の日本語とフランス語の対訳が並べてあるワークシートを使い、自分で決めて、自分でテストをするのです。解答用紙は共通ですが、自分で日本語→フランス語、あるいは、フランス語→日本語を決めることができるし、問題数も自分で決めてかまわない。一枚目のワークシートが終わったら、2枚目のワークシートに進むという風にしています。これがつまり、私の提案です。一見外発的動機づけによるテストのように思えますが、自分で自分をテストするというのは、内発的動機ですね。自分が「あまりやりたくないけどやらなければならない」とわかっている大学生の場合は、それについて自覚してもらうことも大事と思います。なかなかやる気にならない大学生の背中を押すための確認テストです。前にやる気について書いたときに、「やる気がないときの方法は、とりあえず取りかかること」だと書きましたが、取りかかる課題が必要だと思います。フランス語の場合は何をしていいかわからないという学生もいるので、こんな風な提案をしました。大学生に限らず、子どもに「勉強しなさい!」としつこくいっても、なかなか勉強しないという悩みを聞きますが、やる気がないだけではなく、何をやっていいかわからないという問題もあるのかも知れません。大事なことは、進み具合が人によってまちまちでも、それを評価しないで、その人のやり方を認めるということかも知れないと思います。もちろん、ずっと同じところをやり続けて進歩が見られないときには、何らかの働きかけをしていますが…大人になると、自分で自分のモチベーションを高めることに苦労します。どうしても、やらなくなってしまう自分に時々うんざりもします。あらゆるチャンスをつかまえて、自分自身にも、まわりの人にも内発的動機を作り出す働きかけをするというのが、セルフラーニングなのでしょう。「きっかけが外発的動機であっても、それが内発的動機に変わることだってあると思う」と書いている学生がいましたが、もちろんその通りで、それが学校というものが生まれた理由なのかも知れませんね。
2004.10.17
息子の高校のPTAの新聞に、セルフラーニングについての記事を書かせてもらっています。今回は「内発的動機」と「外発的動機」について書きました。内発的動機というのは、自分の中から「学びたい」という気持ちがわき起こってくること。これに対して外発的動機というのは、外側からの働きかけです。例えば、ほめてもらいたいとか、勉強したら報酬がもらえるとか、あるいは、一番になる、入学試験に合格するなど…時には「勉強しないと○○になるよ」という脅しもありますね。外発的動機づけというのは、短期間に成果を上げるにはいいけれど、その後、学びたい気持ちを損なってしまうことが多い。例えば、入試に合格したら、それっきり勉強しなくなるとか…誰にもほめてもらえないとやる気をなくしてしまうとか…そんなことを書いて、内側から学びたい気持ちが生まれるような援助をするのが、教師の仕事かも知れないと結びました。さて、この文章を何人かに読んでもらったのですが、ふと、大学生はどんな感想を持つのだろうと思いました。そこで、金曜日の授業の時に、サッとこの記事を配り、B6の紙も配って、「何でも良いから感想を書いてごらん」と書いてもらいました。それはなかなか面白かったです。外側から圧力を掛けられて、試験のために勉強したものはちっとも身につかないことを多くの学生が書いていました。入試のために暗記した社会科は、すっかり忘れているらしい。だけど、「自発的に学ぶ」ことの難しさもしっかりわかっているようでもあります。多くの大学生が欲しがっているのは、どうも、「内発的動機」を生まれさせてくれることより、外側の圧力のようにも思えました。入試に合格してあこがれの大学生になって半年、すっかり勉強しなくなって、それなりに悩んでいるようでもあります。自分で自分のモチベーションをつくるにはどうすればよいか、それが、「外発的動機」の届かなくなった大学生の課題なのかも知れません。この話になると決まって、イチローを思い出します。自分自身の記録に挑戦することで、常に自分を高めていっているイチローを。結局、自分で自分をどう動かすかが鍵なのです。やる気の話の時にも書きましたが、やる気はいつかは失せるものです。やる気がなくなった時どうするか。それが分かれ目でしょうか。そのために必要なのが、自分を知ること。自分の癖というか…自分の力というか…私がやってみたいのは、学生の関わり方ひとつで、外発的動機にも内発的動機にもなりうる提案の仕方です。週に一度のテストを、そんなふうに持っていこうと思っています。この話はちょっと込み入っているので、続きは明日。
2004.10.16
修学旅行で息子のいない夜、オットも帰りが遅くて一人ボーっとしています。私はとんでもないさみしがりやで、結婚して、夜寝るとき一人じゃなくなって、心底ホッとしたくらいです。一人でねるのが怖い人なのです。隣に人の気配があるだけでホッとする人です。小さい頃は誰かと手をつないでいないと眠れなかったのをよく覚えています。でもなあ、と時々思います。40も過ぎたんだから、一人でいることを楽しめる人になりたいなと。誰かとワイワイいることも好きですが、一人の時間を優雅に過ごせるのが大人かなと思っているところがあります。生まれてこの方一人暮らしというものをしたことがありません。で、はじめて一人になった経験というのが、フランスでの一ヶ月の研修でした。結婚して子どももいたので、いきなり独身になったときはうれしかったけど、さびしかったですね。あまり勉強もできなかった。精神的安定というのがないとなかなか勉強がはかどらないとしみじみ思いました。どうも精神的な強さが自分にはないなあと思います。母が鬱状態になって長いのですが、うつになると一人がとても嫌だと言います。そんな母を父はうっとうしいと思っているらしいのだけど、母はいずれ父が逝ってしまって一人になったらどうしようとそんなことを考えるらしいのです。わからなくもないのですが…一人でいることが上手な人になるには、何が必要なんでしょうね。家族に恵まれているとなかなかつかない力ではあります。それでも、人生の終わりには一人になるかも知れず、それまで何か悟ることができるんでしょうか?一人の時はとんでもないことばっかり考えますね。それより、明日は、オットとおいしいものでも食べにいこうかな?
2004.10.15
高校2年生の息子、9月に行くはずだった修学旅行が台風で延期になって、明日からになりました。行き先が北海道とあって「何を着ればいいの?」と気にしていたのですが、なんと今日まで中間テストです。週末も机に張り付いて、買い物に行く気配がありません。と、昨日になって、「明日テストが終わったら買い物つきあって」と来ました。高校生になって、息子とショッピングなんて記憶がありません。娘とはよく出掛けるのですが…そんなわけで、今日はショッピングセンターのはしごでした。息子が私に反抗的な時期もあったのですが、とっくに過ぎて、お互い大人という感じになっています。日頃はあまりおしゃべりをすることもないのですが、車で移動していると、息子がいろんな話をしてくれます。クラスの友だちのこと、先生としゃべったこと…化学の実験のこと。中学の同級生が彼女ができたらしいこと…こういう時間は久しぶりだなあと思いながら、息子の話を聞いていました。そのうち、恋人ができたら、私とは出かけなくなるんだろうな~なんて思いながら。昨日、友だちの出産のお祝いに、病院に行きました。その人は40歳、結婚してすぐに子どもに恵まれ、トントン拍子に「母」になった人です。新生児室のガラス越しに、3120グラムで生まれたという男の子を見ながら、ず~っと昔、息子を出産したときのことを思い出していました。どんどんオッパイを飲むので、足りなくなって、ミルクを足したら、すごい勢いで平らげてしまう食欲旺盛な赤ん坊でした。あれから17年しか経っていないのか~~人の成長って案外早いのかも知れません。時々、私もドキッとするほど鋭い言葉を発することがあります。息子に教えられることも出てきました。親子というより、大事な仲間として、居てほしいと思います。私が迷ったときにはアドバイザーになってくれそうな感じです。自分が一人っ子なので、息子と娘の関係もちょっと羨ましいときがあります。年子なので、「お姉ちゃん」と呼ばないのですが、お互い頼りにしているフシがあります。早く大きくなってくれと言いながら、育てたのですが、こうなると、ちょっとさびしかったりもするのですが。子育て中のみなさん、子どもは、あっという間に大きくなりますからね。いまのうちいっぱい遊んでください。ところで買い物はショッピングセンターをはしごして気に入るものがなく、最後に行ったお店でそろえました。「7000円以上お買いあげなので、くじを引いてください」と言われてくじを引いたら、なんと、毛布が当たりました。得した気分です。さて、明日は5時半起きかな?4泊5日で、オットと二人です。
2004.10.14
昨日は何とも妙な落ち込み方でしたが、今朝になって、書き込みを見て感動してしまいました。書きっぱなしの日記に、コメントくださってありがとうございました。今日は元気になって、普通に戻っています。いろんな落ち込み解消法があるのだと思うのですが、最近私は体を動かすことにしています。たまたま今日はバレエの日でそれがよかったようです。落ち込んでいるときは、繰り返し繰り返し同じ思考がめぐってくるので「考えない」ためには、体を動かすことがいいようなのです。汗と一緒に何か出ていくのかも知れません。ところで昨日の落ち込みは尋常でなかったのですが、その感覚に思い出したものがありました。それは学校。教室という閉鎖空間で恥ずかしいことをしてしまったとき、手も足も出なくなるあの感じ…今でこそ、偉そうに教育を語ったりしていますが、テレーズは実におとなしく、引っ込み思案の子どもでした。大人から見ると、反応が地味で「何を考えているかわからない」子どもだったような気がします。それが時には教師の視線をひきつけてしまうんでしょうか?それとも、教師の発する何気ない一言に傷ついてしまう感性を持っていたのでしょうか。学校はちっとも居心地のいい場所ではありませんでした。自分が「恥ずかしい」と思うと、やることなすこと失敗してしまうのです。みんなの前で平均台をわたったら、何度も落ちてしまったり…「自信がない」ということが、どれほど人に影響を及ぼすか計り知れないですね~特に自分が苦手と思っているときにこれがくるのです。そしてもっと悪いのは、失敗してその後どうしていいかわからず、呆然としてしまうことです。下手は下手なりに愛嬌でごまかすということができないんですね~子ども時代にずいぶん損をしたかも知れません。教師になってみると、すぐ反応する生徒はすごく扱いやすいです。反抗はちょっと困るけど…黙っている生徒はなかなか不気味です。ところが、ところが、その中に、授業をとても楽しんでいる生徒が混じっていたりするんですね~結局、教師としては、すべての生徒とコミュニケーションをとりたいというスタンスで居ることになります。だって、昔の私のような生徒をそのままにしておくわけにはいかないでしょ。私は授業の後学生たちと話をするのを楽しみにしています。だけどね、昨日は「テレーズさん」って呼びかけてくるヤツがいるんだよね~ため口はかまわんから「テレーズ先生」にしておくれと思った私は、古い人間かなあ。きっぱり「やめて」って言えばよかったな。
2004.10.13
朝から変な感じだったのは、授業の準備がいまいちスッキリしなかったからなのでしょうか。まだ感触がつかめません。朝から失敗続きです。朝一の印刷室で、他の先生のプリント教材を、裁断してあげようとして失敗してしまいました。下手に手を出さねばよかったと後悔。授業の時間配分がおかしく、教科書が進みませんでした。ついつい雑談をしてしまったのだけど、どうも夏休みののんびり気分が抜けません。こういう日はエアポケットに入ったみたいに、感情がささくれ立っていて、何かしていないと落ち着かないので買い物に行きました。本屋さんで本を見繕ってみたけれど、なんだか吐き気がしてきてやめました。帰ってきてしばらく横になっていたのですが、朝から家事をしていないので、なんとか起き出して働きはじめたら、なんとか仕事をすることができました。こういう時の特効薬は家族です。こんな失敗をしてしまった~と言ったら、ちょっとスッキリしました。結局、いい人、万能な人でいたいのだけど、自分の現実にぶち当たり失望してしまうだけのことなのかも知れません。自分の失敗が許せないんだな~と思います。自分で自分のことを結構ドジだと自覚していないのだという結論に達しました。だめな自分を受け入れる、か。できそうでできないなあ。あ~あ。
2004.10.12
連休なのに(?)PTAの新聞の記事を書いていました。高校生の息子のPTAをやるなんて思っても見なかったのですが、3月の終わりに、「人がいないからどうしても」と声がかかり、魔が差したという感じでしょうか、引き受けたのでした。私のPTA歴は本当に長いのです。娘が私立の幼稚園に入って二年目、役員というものを引き受けないわけには行くまいと、引き受けたのが、そのまま父母会長ということになってしまいした。以来、ほとんど毎年、何かの仕事をしています。その結果わかったことは、PTAに求められている役割というのは、学校の手助けであり、それ以外の教育に関するあれこれの活動はかなり煙たがられるということでした。学校はなかなかに閉鎖的な場所なのです。が、そのままおいそれと引き下がるには若すぎました。それに学校に対する期待も大きかったのです。期待がそのまま、「こうしてほしい」という要求になっていき、いつの間にか親たちの先頭に立って、学校と親と教師とイイ関係を作ろうと奔走することになっていきました。それはそれでたくさんの仲間に出会い、楽しいこともつらいこともあったのですが、少々疲れてしまい、子どもたちが高校にはいると、もっと社会に開いたところで活動しようと決めました。いま思うと、苦しかった理由は、自分と違う考えの人を認めることができなかったことです。それが今年、思いがけず再びPTAに関わることになって、驚いたことは、自分がすっかり柔らかくなっていることでした。集まった5人は、どこからどう集めてくればこうなるのかと、自分たちで笑ってしまったくらい、違う経歴でした。しかも、考え方も、みな違うのです。その中にあって、話し合いはなかなか熾烈に進んでいくのですが、終わると結構スッキリしています。5人にはどうも共通点がありました。遠慮しないで言いたいことを言うという共通点が…新聞をつくるという目的でやっているわけですから、どこかで妥協せざるを得ないのですが、結局大事なことは完璧を求めないということかも知れません。ベストを尽くすが完璧を求めないというのが大事なのかも知れないとこの頃思っています。編集後記を書きながら、結構大変なPTAの仕事をやっていられる理由は何だろうと思いました。それは、楽しさの中にも次々にでてくる「大変」にあるのかも知れません。もし、楽しいばかりの仕事であったら、私はとっくの昔に飽きてしまっているだろうと思ったのでした。誤解を招くといけないのですが、「楽しい」ことが悪いわけではありません。ただ、楽しいだけではきっとつまらないだろうと思うのです。人はみんな自分が成長することを密かにのぞんでいます。年をとってもやはりそうなのだと思います。楽しいだけでは自分の成長がないとどこかで気がついています。けれど、何となく「楽で楽しい」方に流され、時々フッと魔が差したみたいに「大変」に向かいたくなるに違いありません。楽しさと「大変」の割合はもちろん、楽しいが多い方がいいに決まっています。楽しさが6で、大変が4。それとも7:3かしら…子育ても、仕事も、みんな同じかも知れないなと思います。
2004.10.11

台風のおかげでなんだかスッキリしない天気が続いた沖縄も、今日は良いお天気でした。真っ青に晴れた空を見ていたら、どこかに行きたくなって、お昼からオットと出掛けました。まずは、近くにできたおそば屋さんへ。うちのすぐ近くなのに、車を入れづらくてなかなか試してみることができなかったのです。通り過ぎたけど、Uターンして「行ってみるか」と試して正解。手打ちでなかなかおいしかったです。あ、沖縄そばですよ~沖縄そばやさんって、中とか大とか、「学生そば」とか「子どもそば」とかいう大きさの表示があるんだけど、店によって大きさはまちまち。それで「中ってどれくらい?」って聞いたら、お店のお兄ちゃん「180グラムです」「…」グラムで言われても、困っていると「お腹空いてます?」なんだか素人っぽくて、かわいいお兄さんでした。学生かも…お腹空いているオットが大、私は中にしました。あたりでした。手打ちで面が細く、私好み。おいしかったです。それから、運動不足の日々が続いているので、どこかに歩きに行こうと言うことになって、浦添大公園に行きました。いつも通る330号線から見えてるけど、一度も行ったことがないのが不思議…お天気なので、子ども連れがたくさんでした。きれいに舗装された遊歩道を歩いていくと、なんと「工事中」。立て札の近くに植えられたばかりの花が咲いていました。ちょっとばかり沖縄の秋をおすそ分けです。 ぜんぜん、秋って感じしませんよね。それから、子どもたちがたくさん遊んでいる滑り台やジャングルジムを見て戻ってきました。オットはすべりたそうでした。子ども連れだとよかったんだけどね、とちょっと残念そう。子どもたちが小さい頃はよく、日曜日に出掛けていましたっけ。沖縄はいまからが公園の季節です。やっと日陰が涼しい季節になりました。
2004.10.10
昨日の日記の書き込みに、あおい1964さんが、私の授業のやり方は子育てにも応用できるんじゃないかと書かれていました。鋭いです。その通りです。「セルフラーニング」の考え方は、教室でも家でも同じだと思います。いまは先輩ママとして、偉そうな(笑)口を聞いていますが、子どもが小さい頃は私も必死で、あれこれ悩んでいましたもの。どっちかというと「セルフラーニング」は子育ての悩みから行き着いたようなものです。「どうすれば子どもは一人で勉強するようになるか」という悩みから。そして気がついたら、それが自分の仕事ともつながることがわかってきたんです。大学生をどう援助すればひとりで学べるかということに…パラドックスのようですが、一人で学ぶためには、一人であれこれやっていてもダメです。「学ぶ」ことについて一緒に考えてくれる人が必要なのです。それが教師であり、親の役目かなと思うところがあります。それも、指導したり、誘導したりする人と言うより、一緒に学ぶ仲間である方が良いような気がします。だから、子どもといても、大学生といても、私自身も「学ぶ人」でありたいなと思います。「学ぶ人」=「悩める人」なのかも知れません…そして私にとって、もう一つの学びの場に、今日は行っていきました。沖縄セルフラーニングネットワークの集まりです。インタビュー・ゲームというゲームを通して、お互いにコミュニケーションを学ぶというのが今日のテーマですが、限りなくゆんたく(おしゃべり)に近い集まりです。誰でも参加できるので、人から人へと口コミで伝わっていって、集まった形ですが、今日の参加者は9人。本当に多彩な顔ぶれでした。障害を持ちながら、仕事を見つけて働いている男の子、ダウン症のお嬢さんを連れたお母さん、動物園で不登校の子どもたちのための居場所を作って運営している女性、雑誌の編集者、「美」についてトータルコーディネートの講師をしている人、ダイアナのトップセールスウーマン、その人が連れてきたダイエット中の女の子…ほとんどが初対面の人です。書きながらおかしくなってしまいました。ホント不思議な集まりですよね~今日ここにいる人は、今日この場所でなければ絶対に会わない人たち。でも、これがご縁というものです。そしてそうやって出会った人たちが、お互いに何かを学びあっていきます。実は、こういう場を開くようになって4年になりますが、いろいろな人が来ると言うことがすごく大事と最近思っています。ある程度の年齢になると、人は自分と気の合う人としかつきあわなくなります。仕事は別として、自分と同じ考え方の人とばかりいるようになってきます。それだと、自分の世界はとても狭くなってしまうと思うのです。実際5年くらい前までは私もそうでした。限られた人たち、一緒にいて心地よい人たちとばかりいました。でも、本当は自分と違う人と出会うことが大事だなと思うのです。価値観の違う人と出会うと、自分が揺さぶられる。そこからあらたな発見もあるし、出会いが何かのきっかけになることもあります。何を学ぶのかはその人次第です。これまでの経験から、人が集まる「場」を作り、お互い気兼ねなく話ができる場にしていったら、それぞれが必要なものをつかまえるということがわかっているからです。その人が本当に必要なものは、その人にしかわからないものなのです。ただ、最後に、その日の感想を書いてもらいます。それだけです。書くことで、一人ひとりが自分の「学び」を言葉にして伝えることができるのです。誰かが先生であるわけではなく、お互いにお互いの先生になっている不思議な場、それを作るのが私のライフワークかなと、この頃は思っています。
2004.10.09
ちょうど2時間目、授業をはじめてしばらくして、予告通り、「ちゃんぷるー」の取材の方があらわれました。なんと、子連れ。「子連れ出勤」の話を前に書きましたが、「子連れ取材」も珍しい。大学生たちはかわいいおチビさんが教室にやってきたので大喜び。今井さんとお連れ合いの奥田さんが子連れで教室に入ってくると、どよめきが起こりました。せっかくなので、お二人に自己紹介をしてもらいました。私のクラスはほとんどが一年生。目を丸くして話を聞いていました。自分の学生時代を思い出してもそうですが、学生というのはみんなハプニングが大好きです。とっても面白がっているのが伝わってくるのですが、肝心の私は緊張しっぱなしです。ふーっと深呼吸して、やっと教師の自分を取り戻し、予定通りフランス語で自己紹介をしてもらいました。前期に習った文章で、十分自己紹介ができるのです。最初からみんなの前でやるのは緊張するだろうと思って、まずは隣の人と…それから、前でやってもらいました。これって、結構緊張するんですよね。それはわかります。「やりたくない」気持ちと「やったらできるかな」という気持ちの真ん中にいる学生たちが大半です。実は私の仕事は背中を押すことです。つまり、やってみればなんとかできると言うことがわかっているので、ほんの僅かのやりたい気持ちを後押しします。言い換えたら強制力なのかも知れないです。学生はみんな先生が言うことに逆らうのは、マズいかなって思っているから。でもね、全部が習ったところだし、自分で文章を作るので、絶対できるんです。ホントに誰も立ち往生せず、チャンと自己紹介ができました。私はなるべく楽しい雰囲気の授業をしようと思っています。でも、それと、緊張感がないというのはまた別で、緊張感がないとなかなか身につかないと言うのも事実です。だから小さなハードルを作ります。別に授業でなくても同じ事です。じぶんができることばかりをやっていても、人はあんまり成長しません。ちょっとだけむずかしいことに挑戦することで、伸びていきます。だから、大きなハードルではなく、小さなハードルなのです。いきなりむずかしいことをやってもらうと、ダメだという気持ちの方が勝ってしまいますから…フランス語をはじめて半年で、みんなの前で、フランス語で自己紹介ができるって、すごいなと思います。今井さんはそれをカメラに収めていました。ある学生は、カメラに気がつくと、そっちを見てポーズを取っていました。思わず笑ってしまいました。全員が自己紹介を終えて、アンケートを書いてもらって、今日の授業を終えました。「先生、久しぶりだよね」って言ってくれた子がいます。なんだかうれしかった。終わった後で奥田さんが、「なんだか他の授業とちょっと違いますね」と言われました。それは、「一方的に指示するのではなく、相手の意志を尊重していますね」ということだったようです。私は一方通行の授業はしたくないのです。いつでも、インターラクションを起こしながら授業をしたいと思っています。だから、「~しなさい」が「~してくれる?」になるのでしょうね。もう、長いことこのスタイルなので、自分では気がついていませんでしたが…「ちょっと楽しみなフランス語の授業」であり、「イヤなことも気がついたらやっているフランス語の授業」だったらいいなと思います。さて、どんな記事になることやら。楽しみです。本当は、写真うつりがすごく心配なんだけど…(笑)
2004.10.08
昨日なんだか暗かったのですが、今日は元気になっています。今朝からいろんなメールが届いて、うれしいメールもあったので、そのおかげというのもあるのですが、やっぱり、大学に久しぶりに行ったことが大きいのかも知れません。8月9月と二ヶ月もお休みでしたから、久々に気持ちがしゃんとした気がします。大学は改装中で、非常勤控え室が引っ越しをしていました。非常勤控え室というのは、大学が抱えている百人近くの非常勤の先生が、とりあえず来るところです。非常勤講師というのは、自分の授業の時間だけ大学に行きます。そしてその時間の分だけ給料が出るのです。時給は結構いいのですが、勤務時間の関係で社会保険に入れず、仕事がなくなっても、失業保険をもらえないという、変な立場にあります。おまけに契約は一年で、何かあったら、すぐ、雇用を打ち切られるので、(予算がないというような理由もあります)将来の展望はほとんどないと言っていい仕事です。でも、私は、大学生に教える(教えない教育ですが…)のが好きで、この仕事をもらっていることを有り難いと思っています。仕事の報酬は給料だけじゃないんです。大学生たちの「面白い授業だった」とか「半年間この時間が好きでした」というような感想でいつも励まされています。私の方が元気をもらっているかも知れません。だから、今日は元気になったかも。だって後期の受講者名簿が来たのですが、40人全部が埋まっておりました。フランス語のクラスは、8クラスくらいあるのですが、私の授業がいつも真っ先にいっぱいになるのだそうです。人気のない先生は生徒が10人くらいで授業をしていたりします。学生の評価が人数にでるわけで、私はちょっと自慢しても良いのかも…でも、本当はちょっと困るんです。語学なので、25~30人くらいがベストなのです。人数が多くても少なくても、給料は一緒なんだけど…もちろんですが、人数が少ない方が教師は楽です。だから、ちょっと…まあ、明日になれば取り消しもあるかも知れないし、今日のところはよしとしましょう。明日は一人ずつ、フランス語で自己紹介をしてもらおうかと思います。夏休みの間に忘れてるんだろうな~こっちもしばらく遠ざかっているので、おあいこかも。さ、明日から、また忙しい日々がはじまります。
2004.10.07
みなさんお待たせしました。★☆メグ☆★さんからもずくの天ぷらのレシピが届いています。昨日の日記のコメントの★☆メグ☆★さんの署名から、とんでいってください。ついでに、プロフィールにこっそり写真をアップしました。一昨年になりますね。娘とパリに行ったとき、モンパルナス駅近くのクレープ屋さんで、向かいに座っていた娘が撮ったものです。13時間のフライトの後で、疲れ切った顔をしております…以後お見知りおきを…沖縄の方、どこかで見かけたら声を掛けてくださいませ。今日はいろんな事がことごとくうまく行かない日で、ちょっとへこんでおります。午前中のバレエでは、足も動かず、ぶざまな姿に本人もびっくりでした。いつもの先生が舞台の練習で、稽古に来れず、代わりの先生だったので余計…下手でも楽しければいいのですが、今日はダメでしたね~最初にプロのバレリーナのDVDを見たのがいけなかったのかな~その後、セルフラーニングネットワークという、私と相棒が主宰している小さなNPO団体の名簿の整理をしたのですが、これが骨のおれる仕事でした。毎月通信を出しているのですが、出会った方に「見本」として送っている通信の郵送費がかさんできて、財政を圧迫しているので、購読を続けるかどうかを聞こうということになったのです。返信用の葉書を入れて送ったのですが、帰ってきているものは一割もなく、電話攻勢と言うことになりました。「いつも読んでいます」と言われるとうれしくってニコニコ。「このところ忙しくって」といわれると、ちょっとショック…まあ、こんなのに、一喜一憂しても仕方がないのですけどね…相手が決めることなので…自分たちの仕事をコツコツやっていればいいのでしょうが…さらに夜になって、帰ってきた夫が、私の収入が微妙なところで扶養をはずれるということ。覚悟はしていたけど、ちょっとショック…最近、気持ちがなんだか落ち込みがちなのです。夏の帰省以来、スッキリしません。はっきりした理由があるんだったら、いいんだけど…何とも言えない不安定な感じ。あさってから、また大学がはじまります。大学生の顔を見ると元気になるかも知れないと思ったりしています。
2004.10.06
昨日、映画を見た後、「ちゃんぷるー」という雑誌を作っておられる今井さんとお話しをしました。カメハハ師匠経由で、「沖縄で面白い教育をやっている人を雑誌で紹介したい」ということでした。まったくはじめての方に、自分が何をしているかを話すのは結構むずかしいのです。だって、見ようによってはただのフランス語教師です。すごく社会的な活動をしているわけではありませんから…ちょっと困って、自分が書いたものを用意していきました。今井さんは、とても柔らかい感じの方でした。ただ、忙しそうでしたけれど…沖縄で忙しそうにしている人は珍しいので…「お話しを聞かせてください」と言われた後の、最初の質問がすごくよかった。なぜなら「セルフラーニングって何ですか?」という問いだったので、それが私の話したいことの真ん中にあることだったからです。セルフラーニングとは、一人で学ぶことです。でも、自学自習と違うのは、自分がやりたいことだけをやるのではないところです。やりたい、やりたくないで判断せず、自分に必要なものを学ぶのです。だから、一人ではできません。どうしても先生役の人が必要です。それが私の仕事なのです。普通、教師は、勉強をさせようとします。でも、本当は勉強は自分のためにするもの。だから、自分から学ぼうとするように仕掛けをします。テストを一緒に作ったり、宿題を自分で選んだり…そんな話をしていると、今井さんはとても面白がってくれました。実はテストの話は、わかってくれない人も多いのです。教師仲間にはいまいち伝わらないことがあります。でも、それがスッと伝わったことで、教育のことを真剣に考えてこられたのだということがわかりました。今井さんの次の問いは「セルフラーニングをやって何か変わったことがありますか」というものでした。これも核心をついた問いです。だって、「教師が楽になって楽しくなった」から。私がやっているのは、生徒が自立していくための教育です。自分で学べるようになるための手助けをすれば、人はどんどん自分でやるようになるから、私は楽になるのです。これは、子育てとおんなじです。つまり、子どもが自立するように育てれば、親はどんどん楽になって、楽しくなります。いまの時代は「教師」という職業は、お金はもらえて生活は安定するけど、つらいと思っている人が多いのです。休職している先生の数は、なかなか多いようです。でも、私は、教師は楽しいと思っています。前はそうではなかったのですから不思議ですね。「教えない教育」はプロセスを大事にするので、失敗やうまくいかないことが大事なのです。つまり、「失敗は失敗ではない」ということ。だから、安心して失敗できるし、そこからどう展開していこうと思うから、苦しくはないのです。「こんな教育が伝わっていったら、未来は明るいですね」と言われて、にっこり。一時間半くらいしゃべりまくっていましたが、金曜日、大学にも来られるとのこと。「当てますよ」と予告しておきました。(私は見学者は当てることにしています)自分のことを話してみると、自分で自分が整理できる気がしました。貴重な体験でした。生まれて初めての「取材」でした。
2004.10.05
もずくの天ぷらについての書き込み、いままでで一番多かったかも…レシピが待ち遠しいです。先日の日記に小雨さんの「ゆんたくって何ですか」というコメントがありましたが、沖縄の言葉で「おしゃべり」のことです。ゆったりした感じがして、好きな言葉です。さて、今日は忙しい一日でした。『センス・オブ・ワンダー』という映画を見に行ってきました。自主上映で一日2回だけの上映というので、那覇まで行きました。その後、ちゃんぷるーという雑誌の編集の方から、取材を受けました(あ、書いてみるとなんかかっこいい)。映画の方は、上映に奔走された方には悪いのですが、がっくりでした。何で?って…あまりに退屈で途中で寝てしまいましたもの…昼ご飯の後という時間も悪いのですが、ちょっと退屈すぎました。見終わって感じたのは、リアリティーとは何かということでした。つまり、事実そのままを映画に写しても、大したものは伝わってこないということ。この映画は、1960年代に環境汚染についての提言である『沈黙の春』という作品を書いたレイチェル・カーソンの最後の作品『センス・オブ・ワンダー』の舞台になった、アメリカの東海岸の四季を写しながら、作品の朗読を流すという作りでした。え、聞いただけで退屈そうって思いました?見事にそうでした。私は何を期待してたんでしょうね?ナビゲーターの年配の女性が、本に出てくる風景をいちいちなぞりながら、歩くのですが、なんだかちっとも実感が伝わってこないのです。しかもこの女の人が誰か、名前以外は最後まで不明でした。文学作品も、芝居も、書いているうち、作品が作者の意図を超えて、動き出すことがあるそうです。前もってある程度ストーリーや流れを考えて書き出しても、気がつくと作中人物が勝手に動き出す。つまり一人歩きをはじめるのだとか。そういう作品は、人を惹きつける力を持っています。映画も撮りながら、どんどん変わっていくということがあるそうで、ドキュメンタリーなどはある意味で、流れに任せると言う部分が面白いではないでしょうか。それを活かして編集するのが、監督の腕の見せ所のような気がします。それはこの映画には残念ながらありませんでした。「思いがけない力」は働かなかったのでしょう。ライブ感がないといったらいいのかな。だから思ったのです。誰かが「これ、きれい」と思ったものを、そのままカメラに写してもちっともきれいじゃないんだ、ということを。人の目とカメラは違うんですね。人の目は、やはり、網膜に写るものに、感情をプラスして見ているんでしょうね。誰ですか、あばたもえくぼって思った人。カメラマンが下手だっただけかなあ。たぶん「どうしてこの映画を作ることになって、なぜナビゲーターにあのおばさんを採用したか。それによって人がどんな動きをしたか」を撮った方が、環境問題をアピールするには面白かったような気がするのですけどね。勝手なこと書きました。関係者の方ごめんなさい。その後のインタビューは面白かったんだけど、眠いのでその話は明日書きますね。尻切れトンボでごめんなさい。
2004.10.04
沖縄は今日から、たぶん秋です。風がとても涼しく感じます。沖縄は11月が衣替え。まだまだ半袖で十分ですけど、何をしても汗をかいていた季節が終わって、ちょっとホッとしています。秋風が吹いているからなのか、ちょっと気弱になって、一日家にいるとなんだか暗い気分になりそうなので、オットに「一緒にドライブしよう」と誘って、出掛けました。このところ、南に出掛けることが多く、今日は玉城(たまぐすく)の「山の茶屋・楽水」というところを目指して行きました。例の宮本亜門さんのお家のある近く。「浜辺の茶屋」の姉妹店です。山肌に添うように建てられている建物の中には、わき水のでてくる岩をそのまま取り込んであります。ちょうど海に面しているので、景色がとてもいいのです。窓が開け放ってあって、風が涼しく、気持ちよくランチを食べました。ランチは沖縄料理。来ている人は観光客ばっかり…ガイドブックにあるんでしょうね~ゆしどうふ(柔らかい豆腐)や、ヘチマを見て、大騒ぎしている若い人たちに、なんだか楽しそうでいいなと思いました。20年の歳月が、私にとって、沖縄の料理を特別ではないものにしてしまいましたから…ゆっくりご飯を食べてから、奥武島へ。車で行くことのできる小さな島です。グラウンドで、野球をしている人たち。応援の人もいて、なんだかいいお休みのようです。海岸線を走ったら、車が停められるところがあったので、停めて海の方に歩いていきました。海岸線は砂浜ではなく、磯。潮が引いた後の潮だまりの中には、小さないきものがたくさん。ヤドカリがいっぱい。それから小さなさかな。毛むくじゃらの紐のようなものがでているのは、クモヒトデだとオットが言います。沖縄の海はいきものがたくさんなので、子どもたちが小さい頃、ダイビングスポットの真栄田岬によく連れて行きました。ダイビングスポットではなく、潮が引いた後の潮だまりが目当てです。小さな熱帯魚がたくさんいて天然の水族館。そんなことを思い出しました。奥武島では、熱帯魚はあまり見えなかったのですが、それなりに海岸を楽しんできました。オットも私も生き物が好きで、水族館の水槽を何十分もじ~っと見ていて平気な人です。目の前の貝が、ヤドカリか、それとも本物の貝かわからないものだから、二人でじっと見ていて、人の気配がやんだと安心したヤドカリがごそごそ動き出すのを楽しんでいました。夏ではこう行きません。暑くって日焼けが大変だから。これからの季節の方が遠出に向いているかも知れません。それから「有名な天ぷら屋さん」を探しに行きました。何年も前、ここに有名なおいしい天ぷらやさんがあると、知り合いのおばちゃんから天ぷらをもらったことがあります。おいしかったけど、やっぱり揚げたてを食べたい。そう思って、場所を聞いたのですが、「いつ行っても人が並んでるからすぐわかる」と言って場所を教えてもらえませんでした。(このアバウトさが沖縄です)どこだろうと島を一周したら、確かに人が並んでいました。あ、その紙袋、さっきの海岸でオッチャンが食べてたヤツは、その天ぷらだったのね。沖縄の天ぷらは本土の天ぷらとちょっと違って、衣が厚く、塩味がついています。特にさかなを細長く切ったものと、イカを細く切ったものがどこに行ってもある沖縄天ぷらの代表です。一個45円。さかなとイカと芋ともずくを買いました。お行儀悪いけど車の中で食べたら、カラッと揚がっていて、衣が薄くておいしかったです。私は実はもずくの天ぷらに何度か挑戦するんですがうまくいきません。この天ぷら、ちゃんともずくの味がしておいしかった…(★☆メグ☆★さ~ん、教えてくださ~い。)つきあってくれなかった息子は一日試験勉強だったようです。邪魔がいなくてよかったらしい…のんびりした日曜日でした。帰ってきたら、憂鬱な気分はどこかに消えていました。
2004.10.03
また病気が出て、宮部みゆきの『ぼんくら』を読み始めてしまいました。いま、上巻を読み終えたところで、下巻を読み始めるときっと夜中になって、日記を書きそびれるぞとパソコンに向かっています。カメハハさんの日記で、「自分の一日を見る」実行表のことが書かれていて、しまったと思っています。実はとっくの昔に一週間を書いてみたのですが、そのまま「う~ん」とうなって、何も書けずにいるのです。強いて書けば、予想通りだったというか…時間の使い方に問題があるというより、何をしているかが問題で、そういう意味では私に必要なのは予定表という気がしています。家事もだいたい手順が決まっていて、掃除をするのは二日に一回、洗濯も買い物も、毎日ほとんど決まった時間なのですが、予定の入っている日は手際よく片づいています。予定のない日はのんびりしているんだけど、実はやらねばならないことを後回しにしているという事実がひそんでおり…つまりは、〆切まぎわになすべきことをやっつけるというのが、いつものパターン。それにあらためて気がついたというわけで…「いついつまでに何をやる」と決めないと、何事も片づかないという至極当たり前の結論になってしまいました。コレが難問です。来週の金曜日から、後期の授業がはじまるのですが、後期のためのプリントを作ろうと思いながら、なかなか取りかかれない…ついでにいえば、カメハハ師匠の「お母さんのプチ・起業講座」の課題も、提出が遅れ気味です。やっぱり、予定をチャンと立てて、やらんとな~楽天日記をはじめたきっかけが、この講座なのです。小冊子を一冊作るための、情報収集というような意味があって、師匠の指南のもとはじめた日記ですが、結局は私にとって、一日を締めくくる大事なものになりつつあります。インターネットを機械を通してのコミュニケーションだと思い、少しななめに構えていたところがありますが、なんとなんと、この人との関わりの広がり方は、新しいネットワークです。3年半前に、「教えない教育」をテーマに、勉強(というよりおしゃべり)する小さな集まりをはじめてから、人から人へ、誰かが誰かを連れて来るというつながり方で100人近くの方と会いました。その時も、思いがけない広がり方をして、びっくりしたのですが、いまもそんな感じです。人が人を紹介して、人から人へとつながっていくことを「ネットワーク」というのかなと思います。日記だけで出会っている方たちと、いつか、本当にお顔を見て話ができるといいなと思います。沖縄にいらっしゃる方は、どうぞテレーズと「ゆんたく」しにいらしてください。来週、10月9日(土)には「インタビュー・ゲーム」を体験してもらう企画です。誰でもできるゲームだし、もしかするとどこかで使えるかも知れません。ちょっと宣伝のようになりましたが、日記を見てくださり、書き込みしてくださる方とあえるというの、なかなかワクワクします。そうそう、自分の一週間を書き出してみた方、ご感想をお待ちします!
2004.10.02
子どもはほめて育てなさいと、物の本には書いてありますが、ほめて育てた記憶がありません。実はハリーさんの日記に、「ほめると心配する」について書かれていて大いに触発されました。言葉のあやかも知れませんが、「ほめる」にはどうも、大したことでもないことを、むりやり賞賛するという感じがあります。そういえば、子どもが小さい頃、同じ年頃の子どもを持つお母さんが、自分の子どもをほめるのでなんだか気持ちが悪かった覚えがあります。「まあ、Tくん、ちゃんと片づけて、エライね~。ほら今度はご飯よ。よく食べて、すごいわ~」という調子。なんだか親じゃなくて保母さんみたいというのが私の印象でした。そういえば、私の母は私をほめるのが好きです。それも大げさに。小さい頃、人前でほめられたら、死にたくなるほど恥ずかしかったので、「ほめる」に過剰反応するのは、その後遺症かも知れません。いまでも私をほめて、それから、こんな子どもを産んだ私はエライと自分をほめています。つまり母は私がすごいことをすることが、自分の存在理由になっているのでしょう。従って私はわざとらしくほめるのはイヤで、子どもが何かすごいことをしたときは、ひたすら驚いていました。「すごい!」って。それもほめているうちにはいるのでしょうか。ほめて育てると、誰もほめてくれない大人になったとき、やる気が出ないといっている人がいました。私は反対です。わざとらしくほめられるのがイヤで、ほめられることをしたくないと思っていたので。ひねくれた娘なのかも知れません。いずれにせよ、親の反応によって、やるかやらないかを決めるというのも不幸です。それに、どうも「ほめる」には上下関係がつきまとって、対等ではない気がします。ほめる人はほめられる人よりエライのが普通じゃないですか。40を過ぎて母にほめられると、どこか違和感があります。ほめるの反対は「けなす」でしょうか。「けちをつける」とか…これは明らかにマズいですね。子どものエネルギーを奪ってしまいます。他の人と話していると、つい子どものことを謙遜してしまうことってあるんですが、それを子どもが聞いたら、かなりがっかりするようです。良くも悪くも、育つ中で親の存在は大きいですね。子どもと関わる上で大事なことは、自分が子どもだったらと考える想像力かも知れません。「いまほめられてうれしいか」ということなんでしょうか。たぶん、本当はみんなほめられるのは嫌いじゃないのだと思います。自分でもほめられるに値することをしたと思っているときには。
2004.10.01
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