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場所はJR和歌山駅又は南海和歌山市駅から新和歌浦行きバスに乗車、不老橋バス停近くにある「和歌の浦アート・キューブ」で、6月17日までおこなわれています。
さて、西本幸雄さんといえばプロ野球ファンにはおなじみの方ですよね。リーグ優勝を8回もしながら、ついには日本一になれなかった悲運の監督。ご本人は8回も選手権(日本シリーズのことを西本さんはこうおっしゃってました)に出られたんだから、ってよくコメントされておられましたが、内心はそうじゃなかったでしょうね。
あと一歩で日本一になれそうだった1979年、近鉄バファローズの監督として挑んだわけですが、あの伝説の「江夏の21球」で成し遂げられなかったのはあまりにも有名です。
でもそこから遡ること19年前の1960年、大毎オリオンズの監督として挑んだ西本さんにとって初めての日本シリーズ、相手は万年最下位球団とよばれた大洋ホエールズ。当時の大毎は「ミサイル打線」という強力な打線が売り物だったのに、これが不発。しかも大洋に4試合全て1点差のストレート負けを喫してしまうわけです。しかも、あまりに不発のミサイル打線に業を煮やしたのかスクイズを敢行したものの、これも失敗してシリーズの流れを変えてしまうという有様。せっかくリーグ優勝を果たしたのに、名物オーナーだった永田オーナーの逆鱗に触れて監督を解任されてしまいました。
そんな西本さんはプロ入りもオリオンズだったわけで、選手、コーチ、監督としてオリオンズ一筋の活躍に選手が贈ったと言われる貴重な盾も展示されていました。残念ながら写真に撮ることは出来なかったのですが、西本さんの人柄が偲ばれるような内容になっていました。
その他にもパネル展示も数々ありまして、一塁を守る現役当時の貴重な写真もあったのですが、その中に1999年に大阪ドームで行われた近鉄と巨人のOB戦での写真もありました。実はこの試合は私の亡き父親と見に行っているんです。亡き父は南海ホークスのファンでしたが、同郷の西本さんは好きだったようです。
また、これは関西ローカルでしか放送されていなかったようですが、西本さんが亡くなって何日か後に西本さんを追悼する番組が深夜に放送されていまして、それを展示場のモニターで放映していました。私はリアルタイムでみていましたので、今日はチラ見だけでしたが、その中で1970年から1977年まで南海の監督として西本さんの阪急や近鉄と対戦していた野村克也さんが「何とか一度でいいから、日本一にさせてあげたかった」というのは偽りのない言葉じゃないかと思いました。
ところで、今回の展示会では約40種類の貴重な品が展示されているそうですが、和歌山はこの西本さん以外にも箕島高校の監督だった尾藤公さんや戦前の伝説の大投手と言われる嶋清一さんといった野球界の偉大な選手がおられるわけです。そんな野球王国の和歌山としての「野球記念館」みたいなものをつくってくれないですかねぇ。歴史的価値のあるものもたくさんあるだろうし、それらを見て野球をするものとして感じるものはたくさんあると思うんです。なんとかならないものでしょうかねぇ・・・。
話を戻して、先にも書きましたが、この展示会は17日までおこなわれています。
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