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前身の西鉄でエースとして活躍した故・稲尾和久氏の背番号「24」を永久欠番とすることを決めた西武は、この日、渡辺監督以下全員が1961年当時の「24」のユニホームを着用して試合に臨んだ。【読売新聞ネット版から引用】
西鉄ライオンズといえば、野球ファンにはおなじみのチームかと思います。昭和30年代のパ・リーグにおいて、南海ホークスや大毎オリオンズとしのぎを削った強豪チームで、昭和31~33年の巨人を倒しての日本シリーズ三連覇や昭和38年の二日連続のダブルヘッダーで一つも負けられない状況を4連勝でリーグ優勝を果たすなど、球史にその歴史を残すチームだったと思います。
名将三原脩監督以下、中西、豊田、稲尾といった名選手がそろっていまして、その当時は産まれていない私にとっても最近はYouTubeで見られるものもあるのですが、その当時の話を見聞きするとホント生で見たかったって思います。
さて、昭和30年代の西鉄のユニフォームと言えば、白地に黒い華文字で「LIONS」(ホーム用)あるいは「FUKUOKA」(ビジター用)と書かれていて、そのシンプルな色使いゆえに強そうに見えます。帽子のマークもニューヨーク・ヤンキースを模したような「N」と「L」を重ねたデザイン(一説にはこれを考案したのは豊田選手だったとか)もかっこよかったりします。
ところで、最近ではセパ交流戦の時に昔のユニフォームを着るという試みが行われることがありますが、今回西武ドームで行われた試合では先ごろ亡くなった西鉄のエース、稲尾氏の功績を讃えてその当時つけていた背番号「24」を永久欠番とすることと、監督を含めた選手全員が西鉄当時の「24」のユニフォームを着て試合を行ったとのことです。選手全員が同じ背番号で行うのは大リーグでも、黒人初のメジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンの功績を讃えて背番号「42」をつけて試合をすることは有名ですが、日本では珍しいですね。
ちなみに、稲尾氏の「24」が永久欠番になるのは実はこれで二度目だそうです。一度目は西鉄時代に永久欠番になったのですが、西鉄が球団を手放した時にそれも失効したとか。だから、その後の太平洋クラブライオンズやクラウンライターライオンズの時も、現在の西武ライオンズになっても「24」は他の選手につけられていました。現在ソフトバンクホークスの秋山監督も若い時に「24」をつけていましたし、90年代の西武黄金期には平野選手がつけていましたね。
野球ファンの中には、今回の件や復刻ユニフォームに関してはいろいろ批判があるようですが、私は温故知新じゃないけど新たに球団を持った会社がこういうことをしてくれるというのはありがたいことだと思っていますけどね。
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