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1954年に桐生高から東映に入団。左打ちの俊足選手として右翼を守り、高校時代には投手だったことで強肩好守でも知られていた。オールスター出場8度、ベストナインを3度受賞した。通算106三塁打は、福本豊氏(スポーツ報知評論家)が115本をマークするまでプロ野球記録だった。
1961年から62年にかけて記録した「900打席連続無併殺打」も2001年に金本知憲外野手(広島)に抜かれるまでプロ野球記録だったもので、現在もパ・リーグ記録。
東映一筋で18年間プレー。1962年の初優勝に貢献。2連敗でスタートした日本シリーズ第3戦、6回まで村山実に0行進だった7回に起死回生のソロアーチを右翼ラッキーゾーンに叩き込み、その後流れが変わって4連勝で日本一となった。
暴れん坊集団と恐れられた東映にあって温厚な性格でも知られ、落語が好きで寄席通いが趣味で落語家の知己が多かった。
通算2056試合に出場し、1977安打で大台に23本足らずに現役引退。122本塁打、打率は2割7分7厘。
現役引退後は東映(日拓)の2軍コーチ、太平洋クラブ(クラウンライター、西武)などの打撃コーチや1軍総合コーチやスカウトなどを歴任。西武黄金時代を支えた一人だった。【スポーツ報知から引用】
中西太さんの訃報のニュースを見ていたときに気がついたのがこのニュースでした。
毒島さん、私は現役当時は知らないのですが、本文にもあったように三塁打を量産されて福本さんに抜かれるまでプロ野球記録だったとか。毒島さんが在籍していた東映フライヤーズの本拠地は今はなき駒沢球場ですが、ロ右翼91m、センター121mで福本さんが在籍していた阪急ブレーブスの本拠地も今はありませんが西宮球場で、ここもほぼ同じ両翼92m、センター119m。今の球場と比べると狭い部類に入る球場で三塁打となると、相当足が速くないといけないのですから、お二人ともすごい記録だと思います。
さて、毒島さんが在籍していた東映フライヤーズといえば、「けんかのプロが野球をしている」と言われるくらい荒っぽいチーム、別名「暴れん坊軍団」。土橋正幸、山本八郎、張本勲、少し後には大杉勝男、大下剛といった見た目にもヤバそうな人ばかりのチームを落語好きな極めて温厚な毒島さんがキャプテンを長らく務めていたというのもすごいことだと思います。おそらく、暴れん坊軍団の連中が「人格者の毒島さんに恥をかかせるわけにはいかねぇ」ということで従っていたのだと思うのですが、もしかすると毒島さん自身が「絶対触ってはいけないヤバい人」だったのかなぁってね。温厚な人ってそんな感じの人がたまにいるでしょ・・・。ブチ切れたら誰も止められないっていうのかな・・・。
それはさておき、毒島さんは現役引退後は西武ライオンズのコーチやスカウトを務められ、スカウトではなかなか敏腕スカウトだったそうです。
ところで、「毒島」って「ぶすじま」って読むのですけどなかなか珍しい名字ですよね。私の本名も珍しい方ですが、毒島さんに似ていて読み方が少々異なっているんですよ。
毒島章一さん、お疲れさまでした・・・。
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