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【がん闘病いくら必要か】 突然がん宣告をされたら、自分の身体の心配より先に、生活はどうなるのか?そして医療費はいったいいくらかかるのか?を考えるであろう。一般論でもいいからその答えを求めるであろう。私はそうだった。しかし治療によって内容も期間も違うので、症状によって十人十色という感じで目安にもならない。 私の場合の医療費を公開しますので参考にして下さい。詳細はホームページ『支払った医療費』を参照して下さい。 その他のがん治療費は愛知県一宮市山下病院の治療実績データに基いた『入院治療や手術の費用』より抜粋。【悪性リンパ腫の入院治療】1回目入院 15日 腹空鏡手術 腸閉塞2回目入院 374日 化学治療 同種末梢血幹細胞移植国健保無-医療費総合計- 約2千650万円 3割負担 -支払い総合計- 約820万円 ◎食道がんの入院手術平均258万円(3割負担77万円)最小199万円 最大465万円 ◎胃がんの入院手術平均137万円(3割負担41万円)最小102万円 最大203万円 ◎食道・胃・十二指腸がんの内視鏡治療平均45万円(3割負担14万円)最小21万円 最大70万円 ◎大腸がんの入院手術平均111万円(3割負担33万円)最小91万円 最大140万円 ◎大腸ポリープの内視鏡治療平均14万円(3割負担4万円)最小12万円 最大19万円◎直腸がんの入院手術平均180万円(3割負担54万円)最小140万円 最大301万円◎肝臓がんの入院切除手術平均247万円(3割負担74万円)最小164万円 最大552万円 ◎肝臓がんの入院内科的治療平均86万円(3割負担26万円)最小34万円 最大163万円◎乳がんの入院手術平均105万円(3割負担32万円)最小84万円 最大163万円
2004年04月30日
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【自己負担金】 入院治療費が月々どれくらいかかったかわかったところで、高額医療費制度などを使い自己負担金額を調べてみた。高額医療費申請用紙控えを基に計算した。診療年月日(期間):平成14年11月分から平成16年3月分まで実日数:404日総費用額¥25,944,750(病院の取り分)一部負担金の額¥7,805,009(支払った金額)申請金額¥7,018,020(戻ってきた金額)よって自己負担額は¥786,989 食費約20万円と、額医療費の上限(¥40,200/1ヶ月)の14ヶ月分ぐらいを足すとだいたい合っている。13ヶ月は入院していたから部屋代と食費と考えるととても快適だと思う。(食事がおいしく感じられれば)【高額療養費制度】 高額療養費を申請する場合、私は行政からみて一般というもっとも大多数の世帯区分に属する。基礎控除後の所得合計が650万円以上の上位所得者(サラリーマン年収約900万円以上)でも住民税非課税の区分でもない。(一般の最低レベルである) 高額療養費制度は1ヶ月にかかった医療費自己負担分が一定の額を超えると越えた金額が払い戻されるという公的な償還制度である。がんなどの病気で多額な費用が必要とされる時「だれでも安心して治療が受けられる」という意味ではこの国の国民皆保険制度の根幹を成すものである。【お見舞い】 私の場合身内は別にして、19人から¥155,000円と様々な品物をお見舞いに頂いた。退院してから快気祝いとして¥91,500円を返した。¥63,500円は使途不明のおこずかいとなった。【保険関係】 一つの例として、神奈川県民共済保険は、入院特約に加入して(月々2000円掛け捨て)入院保障は106日が限度。手術費用が出て合計66万円 ※保険は種類や条件によって保障がいろいろあるのでそれぞれご確認下さい【生活費】 私には子供がいませんので、マンションのローンと管理費とプラスαぐらいでした。仕事が出来るようになるまで月額の生活費×1年分+100万円の保険に入っていたほうが良いでしょう。そして100万円の内訳は自己負担金は1ヶ月約7万円として考えています。◎まとめ 血液のがんは費用がかかります。放射線や化学治療などで長期入院が必要ですし場合によっては骨髄や幹細胞移植も治療の選択肢となります。注射や薬も高いですし特殊な費用が多いのも事実です。 しかし健康保険に加入していれば、3割負担でいいのです。高額療養費制度を使えば自己負担の医療費は県民共済など1つに入っていれば大丈夫です。さらにがん保険に入っていれば休業中も補償はバッチリです。 私は日本に生まれてよかったと思います。たとえ血液のがんになったとしても何も恐れることはないからです。納税と勤労の義務を果たした本人か家族がいれば、何も問題はありません。他のがんと違いがんと診断されても、がん成金にはなれませんが、全てをなくすわけではありませんから前向きに治療を受けて良かったと思います。
2004年04月29日
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社会復帰について3段階の目標を立てた。第1ステージとして、実家で心配なく生活が出来て気力が出る事。第2ステージとして、自宅で心配なく生活が出来て体力がつく事。第3ステージとして発病前と同じ仕事を行える事。 自宅で3ヶ月を過ごし、暖かい季節になってようやく自分本来の生活を取り戻したくなった。実家ではゆっくり休んで、鋭気を養う事が出来た。両親は後半年ぐらいゆっくりしてと言ってくれるが、そうそう迷惑もかけられないだろう。目の届かない方が心配なのだと思う。(実はそれが狙いだったりして) ゴールデンウイーク明けから第2段階に進むことになった。身体の調子は上向きだし、気力も充実してきている。昨日は自宅マンションの掃除をしてきた。両親には、ベランダと洗面所をピカピカに磨いてもらった。私も彼女とリビングと和室の掃除、生活道具の廃棄などを行った。1年と5ヶ月家主不在で暗かった部屋が、明るく生き生きと喜んでいるように感じた。 2度と家を空ける事のないように、力を込めて拭き掃除をした。
2004年04月28日
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同種末梢血幹細胞移植において、移植後GVHDの症状が出ることによって、患者の免疫状態を把握し、症状と効果に折り合いをつけるように適切な処置をする。 GVHD(Graft:移植片 Versus:対 Host:宿主 Diseese:病)は、移植後100日位までの急性GVHDと、2年程度症状が続く慢性GVHDがある。症状は免疫抑制剤の量を調整して移植片と宿主のせめぎあいのバランスをとるわけだ。一概に移植片が優先し、宿主が多少我慢を強いられる。よって宿主の患者はGVHDを感じつつ生活しなければならない。 これでがん細胞が消滅してくれるのだから、感謝はしても文句を言ってはいけない。(本当はうんざりした)GVHDは人によって症状がちがうので、ここでは私の場合を嫌な順や、現在の程度順に紹介する。【のどの狭窄感】風邪のひき始めで、扁桃腺が腫れるような感覚。硬いもの熱いものを飲み込む時、ひっかかってすごく痛みますよね。咳払いしたって治るもんじゃないです。そんな感じがずーッと続いてます。最初は喉に転移したのかとびびってしまいました。【便秘】つい最近出てきた症状。お腹の動きを止める麻薬系の薬を使うと便秘になるが、薬を止めても入院が長かったので腸の動きが悪くなっている。センナなどの下剤やカスピ海ヨーグルトを毎日飲食しているが効果なし。4日溜まると下腹がポッコリして、すごい量が出たあとうずくまるほど痛む。【目の乾き】入院中からパソコン画面を見ている時に感じた。一般社会でも感じるだろうが、急に目が開けていられなく位に目が収縮して、やはり病的だと思う。疲れてくると現れるが目薬一発で30分は大丈夫なのでいい休憩になる。日差しに弱いのでサングラスをかけるようにしている。【皮膚】入院前は脂ぎったオジサンだったが、移植後は毎日オリーブ油を塗っていた。塗っても皮膚がパリパリ乾いて、まるでフケのような状態になる。蛍光灯の灯りでも日焼けをするらしく、顔や手が不自然に黒くなる。今年になって塗る頻度は少なくなって、3月からは全く塗らなくてもよくなった。最近は帽子をかぶっていたのに、顔が日に焼けて皮がむけた。少し黒さが残る。【肝機能障害】アルコールの取りすぎによるものと結局同じ状態だと思う。1桁検査値が違うのは、私の場合薬の飲みすぎによる。良いものも悪いものもより分けて、文句を言わずに良く働くのでストレスが溜まるのだろう。ネオーラル(免疫抑制剤)の長期使用は移植患者の宿命なので仕方がない。【腎機能障害】尿酸の値が高い。ぜいたくに食べて痛風の状態ではなくやはりネオーラルが腎機能も悪くしている。水分を大量にとって排尿も頻繁に行っているのだけれど、これも仕方がない。【下痢】なくなった唯一のGVHD。入院中はひどかった。私の場合便は看護婦さんが計測することになっていて、形状や重量を記録されていた。(出来ればコピーが欲しい) 最初は恥ずかしかったが、慣れても1日10回も呼び出すのは忍びなかった。色は尋常じゃない場合が多く、形は無く水様だった。移植後から12月まで約8ヶ月毎日だった。さいわい痔にもならず今の便秘と比べると回数が多いだけでましだった。今思えばベットの腰の辺りには防水性のシーツがひかれ気分悪かった。以上です。症状が出ない人、重篤に出る人それぞれみたいです。私も目も見えて大変な人を見たり、下痢で24時間で9リットルという信じられない下痢の人もいたりですごい話はたくさんあると思います。私は期待にこたえられません。あしからず。
2004年04月27日
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すごく調子がいいので長々と書きます。 今日は2週間に1回の外来診察の日。身体の調子もいいし、1年経って初めての診察だから、なんかありそうな期待を持って行きました。 まず採血から順調でした。検査士は男の人で乱暴にされて内出血するかもとびびっていたら、注射針を刺したのがわからないくらい上手でちょーラッキーでした。 すっかり気をよくして疼痛科へ。予定時間より早かったけど先生は現れて、診察というか世間話風に「もう使ってないの?なんともない?」と聞きました。私は「10日前からつかってないし。3日前から非常に快調だ」と答えました。「うちの科の患者さんの中で、良くなって止めた人は珍しいんだよね」先生はカルテに診察終了と書いてくれた。 病棟担当の同世代の先生は、いつも心配してくれていたので、「もう必要ないくらい良くなった」と伝えてくれるみたいだ。手放しで喜んでくれそう。 また、なんかあったらいつでも来てくれと言ってくれた。なるべくお世話にならない事を願いたい。 確かに末期の患者さんのケアという意味合いが強いので、治って使わなくなる人はいないと思う。それは先生の握手と看護婦さんの拍手でわかった。喜びの声は待合室にまで聞こえていた、と一緒に来ていた母親から聞いた。 昼食を築地場内のうなぎやさんで、焼き鳥丼と手羽先定食を楽しんだ。おいしい焼き鳥とタレのかかったご飯が食べたくて前回から決めていた。予想通り香ばしくて、ゆっくり食べられて大満足だった。 1時から精神科での診察。先生とは1ヶ月ぶりなので「調子良さそうですね」とにこやかに言った。それから私が「やる気が出始めた事」「入院中の日記を公開し始めたこと」など、病気を見つめなおす精神的な余裕ができた事を声高に話し始めた。先生は時々合いの手を入れる程度で、私の話をしばらく聞いていた。最後に「私の所はついでに顔を出してくれればいいですよ」と精神科でも治療の必要がないと言ってもらった。 移植の先生は予定より2時間待ってから診察がはじまる。「調子良さそうですね」とここでも言われた。先生方は私の弱っていた顔を知っているから、みんな驚いてくれてるようだ。一通り触診をしてからデータを見て「異常値は経過を観察しましょう」と悪い方向にはない事を強調された。また「この調子を維持しましょう」と薬の減量と制限の緩和は見送られた。 最後におそるおそる「移植して1年経ちましたがなにか解禁されますか」と聞いてみた。「普通は刺身などの生ものも解禁になる時期ですが、お腹の病気なのでもう少し…」と言われました。「温泉はいいですよ、皮膚のGVHDに気をつけて」うーんヤッター!!!!海はばい菌だらけだから駄目だけど公共のお風呂はいいみたいです。また一歩病気以前に近づいた気持ちです。すばらしいプレゼントになりました。みなさま心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
2004年04月26日
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病院の臭いって何だろう。入院中は見舞いに来る人の健康的な太陽の臭いみたいなものを感じたものだ。それが汗だったり埃だったと思う。病院自体は、イメージのような消毒とか薬品臭いと感じたことが無かった。もちろん看護婦さんの化粧もそれ程気にならなかったが、なんか勘違いしたおばさんの厚化粧の臭いには本気で嘔吐した。 ところでなんでそんな事を思い出したかと言うと、お風呂に入ったとき、入院中に使っていたボデーシャンプーを使ったからだ。ビオレUを久しぶりに使うと、まさに入院中の臭いだと思った。なんかハンドソープもミューズを使っていて臭いがまさに入院中だった。 鎖骨下側のIVH(中心静脈カテーテル)からヘパリン(血液凝固防止剤)を注入する時、入れてる最中は5秒ぐらいなのに、血液が鼻をめぐるのでヘパリンの臭いを感じたものだ。1年近く4回も左右交互に入れ替えていたので今でも思い出せる。 絶食を始めたばかりの時や薬のせいで吐き気で苦しんだ時は、同室の人の食事の臭いが耐えれなかった。入院の後半自分に運ばれた食事も、臭いが嫌でそのまま下げてもらった事が何度もあった。味付けも全てがイヤになったいた。 トイレは換気扇がよく回っていて不快に思ったことがなかった。本当によくよく考えてみても臭いのないところだった。考えてみれば、毎日手術着みたいな格好したおじさんおばさんが、アルコール消毒しながら掃除しているから当然かもしれないけど。
2004年04月25日
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退院が1月24日だから丸3ヶ月が過ぎた。最初の1ヶ月は食べても、トイレに行っただけでも疲れて、寝ていることが多かった。2ヶ月目はいすに座る時間が増えたが、部屋から出る事は少なかった。そう考えると2ヶ月間は自宅で入院しているのと変わらなかったろう。でも上向きに進むための療養だから、力をつけるために必要だったんだと今は思える。 【1ヶ月目】退院直後は精神的に不安定で、起きている時は身体が思うように動かない焦燥感がつよかった。意識が朦朧としていれば良いが、少し頭がクリアになると呼吸が苦しくなるような不安感があり、退院した不安、仕事のこと等いろいろ考えてストレスになったのだと思った。デパス(精神安定剤)を飲んで、深呼吸をするとしばらくしてから気持ちが落ち着いていた。 身体は弱りきっていた。自宅の階段がめんどくさくてトイレや食事に下に降りるのもおっくうだった。ラジオ体操がトレーニングになるほどで、腕も上がらないし、筋を伸ばすのも痛かった。ベットやイスから立ち上がるのも大変で、まして床に座って立ち上がる時はヒザに力が入らなくて悲しくなった。 【2ヶ月目】1ヶ月が過ぎると痛み止めも少しずつ減らしていき、意識がはっきりしてきた。精神的にも安定してきてデパスを飲む回数が減っていった。積極的に外に出る機会が増え、買い物に出かける時車の運転をした。今から思えば意識が混濁していて、痛み止めを使っている人が運転をしてはいけないと思う。事故を起こさなかった事が幸いであった。 身体は食事に正比例するように元気が出てきた。食事が苦痛から待ちわびるようになって、硬いもの油っこいものも量は少ないが摂るようになった。1時間ぐらいかけて本屋へ往復したり、ラジオ体操も楽に出来るようになった。でもまだヒザは力が入らずジャンプが出来てなかった。テレビのお姉さん達のようにしっかり体操できることを目標にしました。 【3ヶ月目】2ヶ月が過ぎると暖かい日が増えてきた。暖かいと身体を動かしたくなります。退院していままで病気に向かい合う事ができなかったけど、生還した貴重な体験を公開しようと思えるようになりました。今年度いっぱいは仕事はしないで、療養してゆっくり身体と心を整えていこうと決めたら、気持ちが楽になりました。そして言いようのない不安感は薬の量が減る事と正比例するように減って行きました。 イスに1時間ぐらい座ってられるようになって、食事も増えてくると、片付け物とか資料整理をやる気がでてきました。電車に乗って出かけられるようになったし、調子がよければ1日中遊んでいられます。しかし次の日はゆっくり休養しないときびしいです。次の日も普通に行動できる事が次の目標です。【体重と食事】1月24日 54.5キロ 外食は味が濃くて食べれない2月24日 58.3キロ 半人前がちょうどいい 食べる意欲が出る3月24日 59.3キロ 無理すれば1人前食べれる お腹がすくようになった4月24日 61.0キロ 1人前を食べている 辛さに少しずつなれた【最後に】薬を飲んでいる間は身体を治しているので元気が出ない。元気は薬がいらなくなってから自然に湧き上がっていくものだと思う。いまは薬を減らしている時期で、反比例するようにやる気が出てきている。この調子で発病以前と同じ状態を目標にプラス思考で生きてゆきたい。 でも半年ぐらいで再発する確率が最も高いんだよな。でも2年でも油断出来ないし、5年でもゼロになるわけではないのだから予防しないといけませんな。なるようにしかならないけど無茶をしないように気をつけよう。 2004年4月24日
2004年04月24日
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たばこの害について、各人うすうす気がついていたと思う。私も完全な習慣になって17年間毎日20本を喫煙していた。しかもヘビーなハイライトをフィルターの近くまで吸い込んでいた。その量たるや12万4千本も消費して、費用は1箱200円で考えて約124万円も使った。身体に悪いだけでなく、まさにお金に火をつけて灰にしたようなものだ。毎日200円づつ貯金すれば20年ちょっとで1,500,000円も貯まるところなのに。 しかし当時は、仕事の合間に一服という感じで気分転換になったり、食後のハイライトは特別おいしく感じていた。 がんを経験して、今はがんの原因の一つではあることは認めざるを得ない。私の場合はお酒の飲みすぎもあるし、精神的なストレスもあったと思う。 がんとたばこの因果関係はよく話題になるが、たばこがなかったら、がんにならなくて済んだ人がどれだけいたか?たばこ消費税はがん患者にかかった医療費を差し引いても、十分な財源に成り得たのか?調査して公表してもらいたい。がんになりにくくするためにも禁煙をぜひ勧めたい。【たばこがなければ、毎年9万人がん患者減 厚労省研究班】 たばこがなかったら、国内で毎年約48万人発生しているがん患者のうち、約9万人はがんにならずにすむはず。厚生労働省の研究班(班長・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部部長)が23日、喫煙とがんについての調査報告と試算結果を発表した。 研究班は、90年から約10年間、岩手、秋田、長野、沖縄など8県に住む40~69歳の男女約9万人を対象に追跡調査した。 期間中にがんにかかったのは、約5千人。男性で最も多かったのは胃がん(がん患者のうち26.3%)で、次いで肺、結腸、肝臓が続いた。女性では乳がん(同17.7%)、胃、結腸、肺の順に多かった。 喫煙者のがんの発生率は、これまで吸ったことのない人に比べ、男性で1.6倍、女性では1.5倍。禁煙している人のがん発生率も、男性は非喫煙者に比べ1.4倍で、過去の喫煙の影響が見られた。 発生率は、1日の喫煙本数が多くなるほど高くなり、本数が少なくても長期間吸っていれば高くなった。 こうした発生率の差をもとに、日本全体でのがん発生率を計算したところ、男性ではがん全体の29%にあたる約8万人、女性ではがん全体の4%にあたる約8千人がたばこが原因でがんにかかったと推定された。 津金班長は「たばこが原因で死亡した例では肺がんが代表的だが、胃や結腸、肝臓などさまざまな臓器でがんのリスクを高めていることが裏付けられた。禁煙後、たばこの影響がなくなるのは10~20年後。早めの禁煙を」と話している。 (04/23 19:58)朝日新聞
2004年04月23日
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2003年4月22日が移植日だったのでちょうど1年たった。私はミニ移植だったので自分の骨髄の中を完全に空にはしなかった。移植前処置の大量化学療法も軽めだったので身体はだるくなかった。生着(ドナーの幹細胞が血液を作り始めること)も順調だったし、移植後1ヶ月で自宅療養に入れるところだった。 しかしお試し外泊で自宅に帰ったのが悪かったのか、熱は出るしお腹は痛くなるしで調子を崩し、そのまま入院治療を続けることになった。典型的なGVHDで下痢はその後7ヶ月、皮膚疾患は10ヶ月も悩まされた。現在も皮膚は弱くなっていて紫外線に弱く顔はまだどす黒い。のども狭窄していて扁桃腺痛みたいな感じがまだ続いている。目はドライアイで乾燥すると痛く目薬が手放せない。 移植後食べていけない刺身や生卵など生ものは、早い人で半年したら解禁になるのに私はまだだめ。アルコールももちろん駄目。温泉もプールもどんな菌がいるかわからないから駄目・・・とよく自分でも我慢しているなと感心する。 あえて言わせてもらえば、制限がなくなるのは楽だけど特別我慢しなくても困っていない。無茶して苦労するのは自分だから大変だとは思わない。でもなんか一つ1年のお祝いに解禁して欲しいなと思います。ゲロゲロや高熱で弱りきっていた頃はもう昔のことで、今は1日がとても短く感じている。2年5年10年もあっという間にすぎるだろう。無理せず楽しく生きて生きたい。
2004年04月22日
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最近まで見舞ってもらう立場だった私が、お見舞いに行って来ました。『病気のことばかり考えるからホームページは作らないほうが良い』と助言してくれたパソコンの師匠が直腸がんで治療入院した。中堅の働き盛りで面倒見の良い先輩は、私を見舞って気にかけていてくれた。 私が病室に行くと先輩は「切ったらすぐ退院と軽く考えていた」と語った。リンパ節に転移していたようで放射線を25回と抗がん剤の治療が予定されているようだ。 まだ入院して間もない先輩は、心配されてあれこれ尋ねてきたが、副作用の事や治療費や生活の事など、けっこう大変な事もおおげさに明るく答えていた。二人とも楽しそうなので、とても病気を語っている雰囲気がない感じだったろう。 私も最初は不安でいっぱいだったが、いろんな検査や治療をして少しずつ覚えていった。身近に重篤ながんを患った人がいなくて、気休めばかり言われて苛立ったこともあった。体験者と先生では話す内容も受け取り方も違うと思う。 まあ先輩も私の弱ってた頃を知っていただけに、見舞いに来れるほど、元気になった私を見たことが一番の励ましになったと思う。私も人のお見舞いが出来たことがとてもうれしく感じた。
2004年04月21日
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雨に濡れた空気のにおいが春の朝を感じさせてくれた。ストーブには火をつけなくてもなんか汗ばむようだ。東京では17.8℃もあるという。日中は27度を越え7月中旬の陽気になったそうだ。変温動物の私もTシャツでも汗ばむほどだった。 これ幸いと部屋の本を片付けた。死んだら持って行けなし、他人にはゴミに思われたろう。思い切って処分しようと思った。200冊ぐらい程度のいい本を持って古本買取の店へいった。査定は引き取る本を並べただけ数量を書いて値段が出た。2300円1冊10円かいわかりやすかった。背表紙が日に焼けてしまったものとかがことわられた。本はかさばるし重いのでいい運動になった。 帰ってきて夕食がとてもおいしく感じた。いつもの踵痛があるのとのどが痛いことを除けば身体は順調だ。寒いとじっとしているしかないもんな。
2004年04月20日
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いままで一体いくら自分の病気にお金がかかったのだろうか?1500万ぐらいはかかったろうなとは思っていたけど、合計でなんと2700万円以上もかかっていた。健康保険に加入していなかったら払えないよな・・・ 次回はいくら戻ってきたのかを調べます。【医療費】 初めて病院行ってから2004年4月12日までの医療費と支払った合計の一覧です。記入してないものもあり合計は違います。総合計が正しい数字です。国健保無-医療費総合計- 27,166,323 3割負担 -支払い総合計- 8,355,375 -がんセンター入院まで-医療費合計 1,266,713 支払い合計 404,2152002年 支払い小計11月 213,455 入院1回目緊急手術12月 104,540 入院2回目 腸閉塞12月 71,880 がんセンター検査-がんセンター入院から退院まで-医療費合計 25,285,420 支払い合計 7,752,2202003年 支払い小計01月 202,260 抗がん剤治療02月 293,790 CHOP03月 380,170 EPOCH歯科 5,74004月 831,130 同種末梢血幹細胞移植04月 148,340 ドナー入院費05月 859,470 絶食06月 916,510 肺アスペルギウス症07月1,314,660 肺アスペルギウス症 抗生物質大量投与08月 648,350 胆のう炎09月 423,020 10月 21,590 PET検査東病院10月 693,490 11月 443,330 絶食12月 352,780 絶食2004年01月 208,730 -退院後外来治療-医療費合計 614,190 支払い合計 198,9402004年 支払い小計02月 114,84003月 80,130
2004年04月19日
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金曜日の夜から痛み止めのオキシコンチン錠を飲まなくした。以前止めた時は呼吸が速くなり不安感やイライラがあった。確かに急にやめたからかもしれない。昨日の昼間はそんなことも無く1日を過ごせた。すがすがし新緑の水元公園を3時間も歩きまわり、夢中で小さな草花の撮影をして疲労困憊だった。ゆっくり休むより身体を動かしていたほうが気分転換になっていいようだ。 昨日の夜は弟夫婦が来たり子供の頃のアルバムを見たりして、24時過ぎにお風呂に入って1時ごろ布団に入ったんだけど、今朝は6時にすっきり起きれてラジオ体操までしたからね。あったかくなったし天気がいいし気持ちもいい。お腹がすいてきたので非常に良い方向に向かっていると思う。
2004年04月18日
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入院してる時から明け方は、必ずトイレに起きる習慣がついた。今朝は5時20分に起きてもう一度寝ることが出来なかった。なぜなら寝汗をかいていて、暑いはずだけど布団をはいでいると寒くなる。免疫抑制剤のせいで体温調節がうまくできないらしく、寒いと耐えがたいほどつらいし、逆に暑くても汗かかないほど新陳代謝が悪いのです。 そして96時間ぶりの便通。朝ごはんの時ヨーグルトを180ccほど食べた後お腹がはって気持ち悪かった。夕方自然にその時はやってきた。薬は飲んでないので腸の動きを縮める物は無い。とにかくよく出た。大腸の長さ分だけ出た感じだ。しばらく座っていたが痛みも取れないのであきらめた。もう少し残っていそうな感じだけど、すっきりしないんだよな。
2004年04月17日
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久しぶりに会った友人から「まだやせてますね」と言われた。確かに今より10キロは多かったからそうだろう。割ときつめだったズボン腕2本分ぐらいだぶついている。 風呂上りに全身を鏡に映してチェックした。ボロボロだった皮膚もきれいになって、背骨のまわりの筋肉もついてきた。退院前に湯船に入って背中を寄りかけたら、背骨が当って痛かった。背筋がなくなっていた。今日はそんな事感じなく普通に入れるようになった。 朝出かけるのでオキシコンチン飲んだけど、夜から切っていこうと思う。お腹ぐるぐる鳴り出した。
2004年04月16日
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肝臓ガンの末期にきくようなもの知っていたら教えてくれと言われた私の回答:私の経験では薬漬けになっている時は、身体にいいとかいうカプセルも液体も飲む気力が無くなって、正直に言うとこのまま死んだら楽だろうなと思いました。特別何か始める事は患者としたらいい迷惑だと感じてました。逆に一つ一つ止めてくれたほうがありがたかった。 治すために補助的に使った薬は、ガンにも効くけど正常な身体も蝕んでいきます。今も薬を少しずつ止めることが回復を早めさせてくれたと信じています。 私は発病する前からプロポリスをたまに飲んでいましたが身体は壊れました。弟の血液幹細胞を移植してもらい、弟の免疫力が私のガン細胞と戦っています。時間がかかりますがじっくり身体を修復してくれています。 私は病状と移植を教えてくれた医者と自分を信じて良かったと思います。末期から生還した体験談はたくさんあります。ようは患者さんの心の持ちようで、患者さんが希望するものならたとえお金がかかっても良いと思います。情報はたくさんあり、縁があれば試せばいいので、たとえ承認されてない新しい抗がん剤でも、メシマコブでも褐藻類に多く含まれるフコイダンでも信じればなんにでも効果はあると思います。 なによりも順番に薬を止めていければ一番身体に良いと私は思います。患者さんの1日も早い回復を心よりお祈りいたします。
2004年04月15日
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鎮痛剤オキシコンチン錠を日中だけやめることにした。すでに1日1錠2回になっていたのでこれが最後の段階になる。1年強烈な量を使ってきたから抜けるのも時間がかかる。移植前からモルヒネの水薬を4回も使ったり、それでも下痢が止まらなかったのだから、いかにお腹の中がめちゃくちゃだったのかよくわかった。 モルヒネ系の薬を使うと健康な状態では、眠気やお腹の動きが止まってしまう。私もそのような状態に近くなった。違うところは脱力感がひどいことだ。息苦しいような不安感に襲われるが、デパス(精神安定剤)を飲むほどではない。久しぶりに昼間ゴロゴロ寝っころがっていた。おかげで夜は頭がさえそう。 今日は目もよく渇いて長く開いていられないので、だるいしやる気が無かった。のども狭窄していてGVHDが強く出ている。とにかくこの状態を乗り越えればと耐えている。
2004年04月14日
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部屋の片づけをしていたら日記が出てきた。1993年平成5年1月13日名古屋の骨髄バンク事務所へ取材に行った。当時の代表は骨髄バンクを立ち上げた大谷さんが対応してくれた。所在地は明かさないようにクギをさされたことを覚えていた。 取材はテレビ朝日のスクープという番組のドキュメンタリーで内容は、骨髄バンクへの登録を呼びかけたテレビCMに出演した20歳の白血病の女子短大生が間に合わずに亡くなった・・・といった内容だった。当時CMは全国で放送され私も関心を持っていた。 13日はお通夜で14日は葬儀だった。彼女には付き合っていた彼氏がいて、治ったら結婚しようと約束して励まし続けていたのだ。お通夜にも一晩中付き添っていた。14日の葬儀の出棺の時は写真を持たしてもらっていた。気丈に振舞っていたように思え余計に涙をさそっていた。 それから10年後の同じ月に、私は血液のガンにかかってしまった。私は弟と白血球の型が全て合って移植を受けられた。移植技術も進歩がめざましく快方に向かっている。あと10年もしたら悲壮感の無い病気になっている事を祈りたい。
2004年04月13日
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人のうわさも79日って言ったっけ? きょうは2週間に1回の外来診察の日でした。都内は車も少なめで予定より早く着きました。受付して検尿、採血(今日の男性は針を打つのも上手でよかった)待っている人は少なめで順調。そのまま歯医者さんへ、移植して1年になるので歯を見てもらった。移植の患者さんは歯ぐきが痩せてくるらしい、私も根元が出てきた。現状維持が良くて、虫歯が出ないようにブラッシングをしっかりやるように指導。ちょっと診てもらっただけで何もしてもらっわなかった。続けて疼痛科へ予約より早めに診てもらう。オキシコンチンは夜だけ1錠服用。便秘用にアローゼンを28包出してもらう。 12階へ行って看護婦さんに顔を見せに行く。「すっかり元気で普通の人だね」と言われおかげさまでと笑顔笑顔。新年度で病棟担当の先生や看護婦さんも移動になっていて、なんかもの悲しかった。残っていた看護婦さんは、みんなでとった写真をとても喜んでくれた。 昼食はてんぷらを食べた。外来の楽しみはなんと言っても築地での食事だ。量を少なくして安くしてくれればいいのに。私も1人前食べ切れなくて。やはり大盛りを食べる人は体格もいいね。 午後は診察「データも問題ないし順調ですね。薬はそのままで」と言われほっとしました。タンパク質や脂の吸収が良くなっていて正常値です。尿酸が高めなのと、まだ貧血でしたが増えていて良くなってきています。免疫抑制剤ネオーラルと細菌用のゾビラックスが2週間分出されました。 帰り道銀座の明治屋で輸入品のジャムを買いました。カスピ海ヨーグルトに入れて食べる用のものです。早速夕食後にいたばきました、とにかくうまくて最高でした。いつもは高麗人参や漢方薬の入ったはちみつでしたが、ジャムもよかったです。毎食おいしくて食べ物には感謝です。
2004年04月12日
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今日出さないと中4日のローテーションになってプロ野球の先発ピッチャー並になってしまう。昨晩からアローゼンを1包飲んでトイレを期待した。朝は気配も無かったのでもう1包追加した。入院中は9時間から12時間以内にもようしてひねり出せていたすばらしいききめの下剤だった。 それ以上に痛み止めのオキシコンチンは、12時間で1錠に減ったのにお腹の動きを止めてしまっている。夜まで出なかったので自然にはあきらめて、風呂に入る前浣腸で出すことにした。10分もたたずにしゃがむととにかく驚くほど出た。もう終わりだろうと立ち上がるとまた来るのでしゃがんでりきむ。だんだん痛くなってきた。腸管を動いていったので刺激されて痛むのだ。すぐ横になりたいが立ち上がれない。5分ぐらいして落ち着いたのでお風呂に入って温める事にした。少し楽になったけどまだ痛むのでオプソ(モヒ水)10mgを飲んで早く寝るつもりだった。着替えるとまた便意をもようしてトイレに駆け込んだ。それほど出なかったが便はゆるくなっていた。 オプソは良く効いて飲んで2分ほどで痛みがうそのように収まった。モルヒネ系の薬はお腹の動きを止めて麻痺させるから嫌いだけどしかたがなかった。おかげで日記をつける気になったが、現在飲みほして30分経って猛烈な眠気が襲ってきた。 日頃の便秘対策として朝と夜はカスピ海ヨーグルト150~200CCを食べて、昼は酸化マグネシウムを0.5g飲んでいるので便が硬くなることは無い。さすがにたまってくるとお腹がはって気持ち悪くなる。便秘は薬のせいなので先生のお許しが出たら、すぐやめて毎日快食快便の生活を送りたい。
2004年04月11日
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今週は日記を公開したり、大学へ行ったり気分一新!良い方向に動き始めた1週間だった。毎朝6時20分に起きる。階段下りてトイレ。顔洗って体重計に乗る。そして胃液の出ていない状態で、プロポリスをおちょこ1杯に3滴ほど入れて一気に飲み干す。部屋に戻り雨戸を明けて太陽の光を身体にあてる。朝の空気も春らしく気持ちがいい。6時半ラジオ体操、多湖さんと岡本さんがさわやかでお気に入り。身体がほぐれ血のめぐりが活発化する。ぽかぽかして気持ちが良くなり気持ちの良い1日が始まる。どんなに遅く寝ても1日の始まりが快調だと全てうまく行くような気がする。 痛み止めも1日2錠10ミリグラムに減った。いままでのだるさがうそのように、イスに座ってこれが打てる。ごはんは3食50品目食べているようなバランスのよさなのでやる気もみなぎるのかもしれない。夕食が終わってゆっくりしながら食べれる喜びをありがたく思った。
2004年04月10日
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社会復帰計画の初期ステージ“人ごみに慣れる”電車にのって大学に行って来ました。主治医からは電車OKを許可してもらっていた。満員電車に30分立っていても平気だった。人ごみの流れに身をまかせるのもうれしかった。ご心配かけた教授としばし現状について話をする。特に痛み止めの薬と血液検査の数値について。研究室の入り口に自分のお出かけ先表示磁石が残ってありがたかった。荷物が山済みの部屋の中で久しぶりに自分の机に座った。午前中3時間だったがリハビリの第一歩だった。すぐ1日中作業しそうだけど無理しないように気をつけよう。帰りに乗り換えの階段で少し息が切れ、登りきったところでゼーゼーしたので深呼吸をした。そのうち毎日通っても身体のだるさを感じなくなるだろう。人並みって大変な事をしているのだと初めて感じました。
2004年04月09日
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入院中は絶食を2回やっていて1回目は1ヶ月、2回目は2ヶ月と長くて、そのうち水を飲むことも忘れ、食事を我慢できないという人がいればなんか軽蔑したりしました。リハビリのジュースが飲み込めなくて食事の時間が恐怖に思えていたりしました。だんだん固形物が増えて食事らしくなってきても、量も食べれないし、このまま食べれないままかもしれないと悲しく感じました。 退院して2週間ぐらいはお粥でしたが、お米は水っぽく炊いてもらったらおいしく食べれるようになって、そこからは勢いがつきました。1ヶ月後は肉や魚もおいしく感じられて、2ヶ月して気が付くと3食しっかり食べていました。最近はお腹がすく感覚を思い出しました。時間になると我慢できないほど食べたくなるのです。いやしくて1食も抜かず食べていた昔に戻ってきました。おかげで身体の肉付きがよくなって、特にお腹周りは要注意という感じです。最高20キロ近く落ちたのであと2,3キロで標準体重です。お腹がすく感覚はないと便利だけど怖いし、あっても耐えがたい苦痛なんですね。どっちかというと食べれる喜びには感謝です。
2004年04月08日
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春の大潮は汐が引いて豊かな海を感じられていいですね。昨日も行こうかと迷ったけど、風が強く波も高そうだったのでやめました。しかしそれほど悪くなさそうなので天気の崩れが遅れているんだと考え今日も中止にしておいた。今朝起きてみたらまだ崩れてないじゃないか。今日しかないと思って8時半に自宅を出た。暖かく車の渋滞もなかったので横浜横須賀道路を衣笠で降りて秋谷、葉山御用邸前、逗子を通る134号線を江の島目指してドライブになった。新緑の萌える景色を見たかったのと好きだった海岸線を1年7ヶ月ぶりに懐かしくみたかったからだ。 今日の陽気はピーカンで最高20度を越え大体の人がTシャツ姿で散歩か日向ぼっこをしていた。葉山マリーナの前あたりでシラスを巻く船が操業していたので生シラスが手に入るかもと期待した。しかし小動で聞いてみたがまだみたいで20日過ぎに来てくれと言われた。もしやと思い茅ヶ崎でも聞いてみると、やはり取れていないと言われたのでそうなんだと納得した。 11時半に江の島到着。汐が一番引く12時半ごろを狙っていろんな人が集まる。釣り、デート、磯遊びの親子ずれ等、平日なので休日の3割程度の人数でうるさくなくてちょうどいい。今日はいい天気で汐もいいからと遊びに来れる人って仕事とかどうしているんだろう?私はリハビリ中だから許されるけど。磯を歩いていると岩と岩を飛ばなければならない時がある。そんな時昔ならヒョイって意識しなかったけど、いまは遠回りでも確実にゆっくりになった。結局2時間半歩き回って汗をかいて気持ちよかった。なんか海とか植物からパワーをもらったようでやはり外に出ると元気になる。動けるなら夢中になって歩き回るのも悪くないと思う。 3日土曜日以来便秘が続いていた、特に今朝から出かけるのにお腹がはっていて大丈夫かなと思っていたら、久しぶりに出ました納得いく量。朝晩カスピ海ヨーグルトを200ccづつ食べていたのに出ないからお腹が張って大変だった。出口に硬くなって出ないのではなく、腸の動きを止めていたため。ハッチアウトしそうなところに身体を動かしたから出たのだろう。50センチぐらい繋がってでたので、まさに一本グソ(失礼しました・・・反省)でスッキリしました。 歩き回るのもいいけど、家に帰り夕食後階段をあがったらかかとが痛かった。明日の朝はひざが痛くて階段下りるのきついんだろうな。トホホッ・・・でも疲れているのに遅くなっても起きていられるのは海パワーのおかげだと思う。
2004年04月07日
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20時からテレビ朝日で【命の最前線!!警告SP名医が明かす!がんで死なない7カ条】手術30分3日で退院&末期がんが切らずに消えた最新治療▽患者300人大調査…肩コリ・腰痛が?▽赤ちゃんとがんが同時に…子宮全摘出涙の決断▽ダメ医者を見分ける法。がん治療の最前線に密着。「がんで死なない七カ条」を挙げながら、発生のメカニズム、予防、最新検診装置、驚異の医療法、さまざまな分野のがん治療の名医を紹介する。司会・堺正章。ゲスト・飯島愛、伊集院光、柴田理恵、鳥越俊太郎、藤村俊二ほか。「三十分でがん撃退」では、胃がんや大腸がんなど日本人に発生率が高い四つのがんを取り上げ、治療の最前線を紹介する。「となりの煙が死を招く」では、非喫煙者が吸い込む副流煙の実態を明らかにする。ほかに、食生活とがんの関係やがん予防に役立つ食品、がんの早期発見法を紹介。また、最新のがん治療法や検査法、適切で最新の施術を受けるための方法なども伝える。という番組だった。内視鏡治療の名医は父親の胃がんを4年前に内視鏡でとってくれた人で、すごい先生だったんだと盛り上がっていました。苦痛と思われがちな内視鏡が上手で、最初の話では3分の2から全部摘出する予定がその先生のおかげで切らずに済んだんですよ。身体の負担が軽かったようだし、現在はうるさいぐらい元気にしています。 番組で取り上げられていた人々は、自分にあった治療が受けられ生還した人だったのであって、ガンは治るような希望を持たせられる内容で共感できた。やはりポジテブに考えたほうが楽しく生きられて幸せだろう。外科的な手術が痛そうだけど、従来の負担が多かった分、辛そうじゃなく楽に過ごして見えたので最新の治療はいいね。あと10年後20年後が楽しみです。 今日の身体の調子モルヒネの痛み止め貼り薬を2錠から1錠に減らしたので便秘が終わるかなと思っていたけど。変わらず出ないのよ。腸の動きを止めてしまっているね。また3日出なかったので明日出なけりゃ浣腸だお腹張ってきていやな感じ。食後精神的には脱力感があるし、口が乾くしどきどきして禁断症状だろうと思えました。寝て耐えるしかないのです。調子悪い。
2004年04月06日
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退院して70日が過ぎた。桜が満開になり暖かくなると身体もようやく目ざめてきた感じで今までを振り返っても暗くならないような気がしてきた。3日前に入院中に撮りためた写真を整理しようという気になりようやく始めたところだ。退院したらリハビリを兼ねて整理しようと思っていたのだが、治療中のチューブにつながれた自分の笑っている姿を直視出来なかった。みじめだったわけでもないし、苦しんだ事も手帳を見なければ思い出さないのになんか胸にこみ上げるものがあって整理出来る心境じゃなかった。無気力な状態は吐き気や薬の副作用でも移植の後遺症でもなく、全て体力がない事から来ているように思えた。1年の入院生活は体力を奪い階段がいやでトイレがおっくうだったし、座って立ち上がる事がヒザに力が入らないし踵が痛くて苦痛だった。健全な精神は健全な体に宿る・・・誰が言ったのかまさしくその通りだとしみじみ思った。5年後10年後に思い出しても忘れてしまいそうなので、どのように治っていったのか公開できる範囲で主観的な思いと客観的なデータを残そうと思う。(無理しないように)
2004年04月05日
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