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入院する前の晩しばらくお酒は飲めないなと思って串焼きのお店に行って生ビールを飲んだ。その頃には食欲もなくお腹が痛くて横になっていたのに、お酒を飲むと痛みがまぎれて食事が出来た。正月にも特別に熱燗で5合くらい飲んだりしていた。それなのに1月15日は生中を1杯飲めなくて、半分と食事をして帰った。こんな状態なら入院は仕方がないなとあきらめました。 昨日から真夏日で気温は30度を越えました。今日は学校へ行って昼間は暑かったのでジンワリ汗がにじんでました。電車の中はクーラーがきつくて上着を着てましたが、夕方帰ってきてお風呂に入ると思わず「ビール飲みたい」と叫びました。肝機能が正常値より1桁違うので、アルコールを肝臓に送り込んで負担をかけられないのであきらめるしかありません。今晩のおかずは餃子だったのでなおさらです。2日で1升飲んでいた自分がお酒を止められるとは思いませんでした。一晩で1升ワインとか今後二日酔いになるほど飲むことはないだろう…どうかな?
2004年05月31日
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最近こればっかりだけど、喉が痛くてつらいのよ。熱いものが特に駄目で、口の中ではさめていても喉を通過する時に熱さを感じて引っ掛かる。大丈夫なのかな?土曜日はモルヒネを飲もうかと思ったもの。でも飲んだら病院行ってみてもらわなければならないだろう。今度の外来はのどと鼻をファイバースコープで見てもらいたい。
2004年05月30日
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今日の夕食は焼肉だった。お肉をいっぱい食べれるなんて退院直後なんか考えられなかったから、焼肉は私の食事メニューに入っていなかった。 駅ビルのお肉専門店でカルビとロースを100グラム、牛タンを200グラム買った。以前なら3倍くらい買っていたが、今はグラムあたり3倍の高いお肉のほうを注文した。そして本格キムチとサンチュもなくてはならないのでしっかり揃えて準備OK。 久しぶりの焼肉はまず牛タンから、本当は生ぐらいやわらかく食べたいけど、火をしっかり通してまず塩でいってみた。「おいしい」入院中もお弁当にしてもってきてもらったけど、また食べられるなんてうれしい。キムチは小腸を縫い合わせた手術をしてから、1週間後に食べたら痛くてのた打ち回った。それから怖くて食べないようにしていた。本格的なキムチは辛いだけでなくおいしいので平気だろうと思った。一緒にサンチュにまいて食べてみる。「おいし~い」辛さもサンチュで緩和されちょうどいい。ビールは飲めないがホッピーで( ^_^)/▼☆▼\(^_^ ) カンパーイ
2004年05月29日
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昨日の午後、弟の子供が生まれたと母から電話があった。女の子で母子ともに元気だと言っていた。弟は自分に似ているとすでに親ばかぶりを発揮していた。本当によかったね、おめでとう。 なんか昨日の事があってからすぐに新しい命の誕生を聞いていろいろ考えた。とにかく丈夫に育ってくれれば良い。やさしかったら言うことない。ついでに器量もよくて、それからそれから… なんか叔父さんも喜んでしまった。 今日は体調が悪くて、のどに激痛がありまた右耳の奥がビーンと痛んだ。ごはんを飲み込むのも痛くて引っ掛かるような感覚があった。痰がからんだわけではないけど咳払いをしていた。おかげで脳の右側に頭痛があるし、目も急にしょぼしょぼして横になっているしかなかった。
2004年05月27日
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今日は朝から体調が良く、いよいよ気力が出てきて顕微鏡を出して仕事をする気になった。一つ気がかりなことがあってセットせずにしまっていたのだ。それは精子がどうなっているのか心配で確認するのが怖かったからだ。抗がん剤治療をしてきたので副作用として精子の減少はやむを得ないかなとは思っていた。 机の上に掃除しながら顕微鏡をセットして、あとはプレパラートを作るだけにしてからサンプルの採取をした。採取後とりあえず1枚プレパラートを作って見てみた。ほこりしか見えない。選んだところが悪かったかなと思い、別の3ヶ所からつまんで3枚作ってみた。しかしどれも水分だけで精子の死骸もなかった。 こんな時はショックに思わなければいけないものなのか??まるで他人事のように、精子がないですね・・くらいに思っていた。2年前は隙間がないくらい元気に泳いでいたのに。比べるまでもない。減少ではなくまったくなくなっていた。 抗がん剤をやめて13ヶ月はたっているのでそろそろ回復してきてもいい頃だろう。免疫抑制剤は精子の減少とは無関係なのだろうか?ホームページで検索してみたが減少とは書かれていても、なくなるとは書いていないぞ。どうなっているんだ。 現代人の精子の数が減少しているといわれている。私は自分の元気いっぱいの精子を見ていた。なんで何もないのだろう? まあとにかく今度の外来で先生に訊ねてみよう。精子がなくなるとは言われてなかったし、これから以前の半分くらいに戻れば十分なのでその可能性を聞いてみよう。
2004年05月26日
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昨日外来に行った折、雇用保険受給資格決定に係わる病状証明書を記入してもらうべく、どうしたらよいか主治医にたずねた。雇用保険受給資格は働く意欲のある人に給付するのが建前になっているので、加療中であるが就労可能でなければ資格がない事になる。医師が病状を見て就労が可能か否かを判断するわけだ。 最初に先生は「もう少し後にしましょう」と言った。私は軽作業なら簡単に証明してもらえるものだと考えていたので拍子抜けしてしまった。家計が破綻しているのでなんとかして欲しいとお願いしたが、「事情はわかるがもう少しがんばってください」と言われた。その時に「今すぐに働くわけではないから」と駄目押ししてみたが、「ぶり返すかもしれないのであせらないでゆっくりしましょう」と念をおされました。そこまで言われたら引き下がるしかないなとあきらめました。 良く考えてみると、先生が慎重に治療してくれたおかげで良くなったので、先生の言いつけは守らなくてはいけないわけです。私がもう病気が治ったように感じているのに「体調が悪くても無理しちゃうでしょ」と先生はまだ心配していました。確かにまだ退院して4ヶ月。働き出すのは来年の4月にする事を、先生と私は目標として合意しました。 本当に生真面目な良い先生でいいかげんな私にはありがたいです。働き出したら確かに無理しちゃうし、また今無理しようにもすぐ疲れちゃって迷惑かけるからもう少し我慢します。 体力の目標をプールで1時間に2キロ泳げるように、また塔の岳へバカ尾根を登って降りてこれるようにします。一歩一歩がんばるしかないね。 (鉄棒にぶら下がるのがやっとで懸垂が出来なかったショック)
2004年05月25日
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退院して4ヶ月たちました。気がつくと4ヶ月たっていたという感じです。とにかく時間のたつのがはやいです。1日あれもこれもと欲張って動き回っているつもりが、30分やって30分休んでいるので効率が上がりきってないのだと思う。とにかく時間がもっと欲しい!!…なんて毎日お休みしている人が言う事じゃないよね。反省 今日は1ヶ月に1度になった外来に初めて行ってきました。1ヶ月ぶりで久しぶりのはずだけど、実際行ってみるとなんか今も入院してる気分になりました。採血の結果は良くなっているみたいだと言われ一安心しました。素人目に見ても栄養も取れてるみたいだし、炎症反応もない。体重は退院時54キロから62キロに増えたし、顔色もいいので問題なしでした。しいて言えばまだ貧血がひどくて、なるほど息切れがする数値だと納得したぐらいです。 お腹の調子とか目の乾きなどの慢性GVHDについて聞かれたので、歩くときにまだヒザとかかとが痛くなる事、顔(特に額)の皮膚がホロホロ落ちる事、のどに狭窄感があり熱い物を飲み込む時に痛いし、耳の奥に痛みがありますと答えました。そしてのどに免疫抑制剤が引っ掛かった事を伝えました。先生は「食道が薬でただれると危険ですから、気をつけて飲み込んでください」と言っただけで、触診したり検査をしましょうとは言わなかった。けっこう飲み込むのが大変で苦労しているのにと思いました。この調子でもう少し見ましょうという事で、新たに解禁になった事もなく、薬もそのままで変化なしです。 せっかく銀座に行ったので、フランス料理のランチを食べました。お店の雰囲気もしゃれてるし、料理も本当においしくて満足しました。コースなんてえらい久しぶりだったので『生きていれば良いことあるものだ』と心の底から感謝しました。
2004年05月24日
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以前から耳の掃除は、頭まで湯船に入って耳の中の垢をふやかしてから綿棒でぬぐい取っていた。3,4日前からなんか耳に不快感があって昨日から鼻の奥、のどの上の方ぐらいから右耳の奥が痛み出した。中耳炎とかそんなにじゃないと思うけど、なんかじくじくする。おかげで目の上ぐらいにも頭痛を感じる。別に日本の北朝鮮に対する弱腰外交のNEWSを聞いたからではないけど… もう一つあってとにかく最近眠くて前は6時間するともう寝られなかったのに、最近は6時間じゃ起きれなくなった。今日は電車に乗って学校に行ったが東京駅に着いたのがわからなくて、扉がしまり掃除の人に起こされた。こんな事は初めてだった。 睡眠は免疫反応の最もたるもので寝ている間に身体を整えるそうだ。病気で熱が出れば寝て休む、寝る子は育つし睡眠・休養・栄養は必要なことだ。という事は現在も弟の血液幹細胞が活躍してがん細胞と戦っているのかもしれない。GVHDは我慢するからがん細胞をやっつけろ!! がんばれ正義の細胞たち!!
2004年05月22日
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およそ1ヶ月前に入院した会社の先輩の見舞いに行った。あれから1ヶ月先輩は放射線治療を18回行っていて、「本来は今日も行うはずだったが土日と連続3日間休みになった」と言っていた。下痢がひどいらしく1日に20回行ったそうだ。トイレは共同でその階に4つしかないので大変らしい。私も8ヶ月は水下痢だったけど4人で1つのトイレだしウォシュレットだったので快適だったけど、先輩の病棟は条件が悪いので同情しました。 下痢の原因は放射線治療にあるらしい。大腸が原発でお腹のリンパ節に転移していたのだから仕方がないが、放射線はボデーブローを食らっているようだと語っていた。あと7回当てたら、半年間2週間に1度の通院の抗がん剤治療が待っているそうだ。 先輩はがんセンターに見舞いに来て、ホテルみたいないいところだなと驚いていたので、今の病室は狭いし先生も忙しくて回診も来ないと言っていた。同じ治療を受けるのにこんなに差があるなんて不公平はあるよね。 先輩は入院して2ヶ月たつが、「1年まるまる入院してたのはすごい」と改めて私が大変な状況だったと思ったようだ。先輩も半年たつてから私を見たとき『もうだめかな』と思ったみたい。知り合いの間でも「みんなだめだと思っていたよ」と教えてくれた。先輩もだんだん弱ってきているがまだまだ耐えられると思う。もっと弱った人を見たけど、結構私より早く退院したりしてたから先輩も大丈夫だ。
2004年05月21日
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今日の午前中は雨が降ってなかったので散歩に出かけた。出かける時ははつらつとしてスタスタ歩けるが、帰ってくる時は足を引きずり疲れきっている。総合公園は1周2キロ弱だから散歩をする高齢者が多く気合をいれて歩いていた。私の歩く速度は抜かれることがあっても抜くことはなかった。 やっぱり顔色って大事だよね。健康状態やご機嫌までわかるのだから、まずお医者さんは顔色を見ます。普段の私たちも何気なく気にして鏡を見ています。 免疫抑制剤や抗ウィルス剤・抗細菌剤などは、室内の強い光にも皮膚が反応するので長袖の着用を勧められている。身体の皮膚は安定してきれいになったが、顔の黒さがいまいちとれていなかった。 今日は顔がかゆくて鏡を見ると、日焼けして皮がむけるように、おでこがふけのように皮がうきあがっていた。触るとふけのようにパラパラ落ちて地肌が白くなった気がした。きれいになってよかったが、頬骨のところがまだまだ黒くて病人と言えばわかってもらえる顔をしている。
2004年05月19日
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それぞれの項目について資料を整理してから書こうと思ったが、膨大な量になりそうなので、まずは使用した薬から日記で少しずつ書いていこうと思う。麻薬系鎮痛薬【オプソ】 入院直後からお腹の痛みにはモルヒネが処方されていた。抗がん剤の効果がきれてくると必ず決まって、明け方痛くて目が覚めるほどお腹が痛み出しモルヒネシロップを水でわって看護婦さんが持ってきてくれた。聞かなくて30分で3回30ml飲んでようやく落ち着くことが多かった。化学治療が進み身体が弱ってくるとモルヒネの副作用が出るようになって、吐き気がするのでモルヒネは止めてくれとお願いしたほどだ。 しばらくモルヒネは処方されなかったが、退院が近くなるとオプソが緊急時に便利ということで処方された。オプソはモルヒネシロップを携帯に便利なように製品化したもので保存も出来て管理が簡単だった。 退院してから、我慢の出来る痛みの時に飲んでみたが、効き過ぎて翌日もだるくて気持ち悪くし、お腹の動きが止まって便秘になって大変だった。モルヒネは覚せい剤とは違うのだろうけど、気持ちの良くない薬である。 【商品名】 オプソ内服液10mg ( Opso )一般名: 塩酸モルヒネ ( morphine hydrochloride )【規格】 10mg/本【適応症】 中等度から高度の疼痛を伴う各種癌における鎮痛【用法用量】 通常,成人には塩酸モルヒネとして1日30~120mgを1日6回に分割し経口投与する. なお,年齢,症状により適宜増減する. 用法用量に関連する使用上の注意 1.臨時追加投与(レスキュー・ドーズ)として使用する場合:本剤の1回量は定時投与中のモルヒネ経口製剤の1日量の1/6量を目安として投与すること. 2.定時投与時: (1).初めてモルヒネ製剤として本剤を使用する場合:1回5~10mgから開始し,鎮痛効果および副作用の発現状況を観察しながら,用量調節を行うこと. (2).定時投与時の投与間隔:1日量を6分割して使用する場合には,4時間ごとの定時に経口投与すること. ただし,深夜の睡眠を妨げないように就寝前の投与は2回分を合わせて投与することもできる. 【副作用】(5).減量:連用中における急激な減量は,退薬症候があらわれることがあるので行わないこと.副作用等により減量する場合は,患者の状態を観察しながら慎重に行うこと. (6).投与の中止:本剤の投与を必要としなくなった場合には,退薬症候の発現を防ぐために徐々に減量すること 以上
2004年05月18日
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治療でブルーになっている方々へ 【時間がたてば、生きていて良かったと思えます】 今日の夕方温泉に行った。なんて書くとすごいようだけど、平塚市は駅の西側と総合公園の北側に温泉が出るんです。地面を1500mぐらい掘ると出るみたいで、結構しょっぱくて肌がピリピリする良いお湯だ。1年以上も入院しているとまるで浦島太郎のごとく新しくお風呂やさんが総合公園の北側に出来ていた。平日の入館料も700円と充実した施設からするととてもリーズナブルだと思う。 お風呂施設は大露天温泉岩風呂,各種ジャグジー,電気風呂,サウナとゆったりとスペースをとってあって使いやすい。マッサージやエステ,仮眠室と食事所もあってゆっくり出来る。 今日は一通り試して入ってみた。のぼせるので少しずつだったが、もともとサウナは好きなので、特別に10分入って久しぶりに玉のような汗をかいた。1年半ぶりにサウナに入って水風呂につかると、血液が体のすみずみまでめぐるようで生き返る様な気持ちを感じました。 ついでに退院のご褒美として自分にマッサージをプレゼントしました。マッサージも久しぶりで病後の回復を一層すすめてくれそう。風呂上りで血行が良いところを揉んでもらうのだから気持ち良さに意識が深みに落ちていくようだった。 マッサージの後は水分補給が大事。すぐアセロラジュースを300ccビタミンCを補給した。家にもどってからアルコール禁止の私はホッピ-の焼酎抜きを飲んで、おいしい水餃子スープをラーメンどんぶりでたっぷりいただきました。さらに食後はバナナヨーグルトジュースを飲み干しました。絶飲食1ヶ月の後は125mlのジュースを2時間かけて飲んだのに、その時の『もう食べられないんじゃないか』という不安はどこへいったのでしょう。飲み食い出来る喜びをお腹の底から感じています。 入院中はなかなか自由に出来ないけれど、退院して良くなればお風呂も入れるし、マッサージも出来て『生きててよかった』と必ず思えます。時間はすぐにたちます、気長に考えましょう。
2004年05月17日
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今日は朝から天気が良かった。私の部屋は、さえぎる建物がなく富士山が大きく見える。空気は初夏の感じがしてすがすがしかった。 午前中から駅前周辺へ買い物に出かけた。2時間ほど歩き回ってからトンカツ屋で昼食をした。カツはもちろんキャベツまで1人前をしっかり食べた。体重は1ヶ月前より2キロは太ったのですっかり普通の人になってしまった。 食後イスから立ち上がるとひざとかかとに痛みを感じた。買い物を両手に持って横断歩道で止まった時、しゃがみたくなるほど疲れていた。 また日差しが強く気温も25度になって暑く感じるのだが汗をかかなかった。免疫抑制剤を服用している間は、皮膚が弱くなって体温調節が出来ないため、熱射病などに注意することと言われる。確かに電車のクーラーが寒く感じる。家に帰るとドッと疲れが出る。出かける時ははつらつとしているが、まだまだ本調子にはほど遠いという事なのだろう。
2004年05月15日
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夕食の時にテレビを「救命救急生命の最前線」テレビ朝日にまわしたら真剣に見いってしまった。脳血管疾患や心臓疾患をテーマに、緊迫の救急医療を密着取材して驚異の医療テクノロジーを分かりやすく解説していた。また患者やその家族の人間模様も伝えていた。 大阪市にある病院は、脳卒中・脳外傷治療を専門として最新テクノロジー設備が完備されていた。ここに救急で搬送された患者さんは治療を受け後遺症が軽く元気に退院していった。脳梗塞は後遺症が残るものだと思っていたので驚いた。良い病院に搬送されて治療を受けられて幸せだと思いました。 もう一人は心臓弁膜症と診断されたプロボクサーの闘病で、もう一度リングに立ちたいという想いを先生方はかなえてあげる話だった。心臓の手術は患者がびびってしまうけど、先生は治るからがんばれと励ます。先生のほうが怖いはずだと思ったので、先生はすごいなと尊敬しました。 もう一つ事故や病気の後遺症で意識の戻らない患者の体内に装置を埋め込み、脳に電気を流し刺激を与えて回復させようという治療法を行っている愛知県の病院の話。追突され植物状態『植物状態って変な言葉だと思いませんか?? 意識のない状態を言うのだろうけど、なんか植物と人間を一緒にするなと思うし、植物にも意識はあるだろうと…妙にひっかかる言葉だと思う』の女性に希望の光が見えてくる。 また30半ばの男性が寝たきりの状態からリハビリを始めるまで回復した話もすばらしいかった。家族や先生やスタッフに支えられて本人も努力し食事が出来るようになるなんて感動しました。 今回の番組でとにかくあきらめてはいけないと言う事を改めて思いました。おきてしまったことは仕方ないけど、病気や怪我が早く治りますように心から祈ります。
2004年05月12日
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私の身体は日増しに暑さを増してゆく気候のように、日に日に回復しているようだ!!…と思う。朝畳に敷いた布団から起き上がるのがつらい。ベットから起き上がるのはとても楽だ。布団も片付ける必要も無い。 畳から起き上がるのは腹筋と腕の力を使い、立ち上がる時は足の力が必要となる。まずかかとをつけるのが痛いし、腰も良く延びていて戸惑うほどだ。そして布団をたたんで押入れに入れると息が切れる。日常生活の労働が身体に必要かがよくわかった。 しばらく便秘が続いていたが今日は調子が良く、ここ1週間でさらに体質改善したみたいだ。カスピ海ヨーグルトは3月27日から毎日食べている。4月16日にお腹の動きを止める痛み止めも止めたし、5月2日からはごはんににがりを入れて食べている。食事の分量は野菜が4,糖質が3,植物性タンパク質が2,動物性タンパク質が1の割合で食べているし、カルシュウムやミネラルも充分過ぎるほどで一層肉がついてきた。 今朝は食事の後軽くヒネり出した。夕方風呂の前に大量に健康的な物がでた。出口がヒリヒリしたが、ウオシュレットだから気持ちがよかった。今はウオシュレットなしの生活は考えられない。 毎日こんな状態が続きますように、本当にウンチさんありがとうと声をかけた。
2004年05月11日
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いやー先週は引越しで大変でした。荷物が少ないはずなのに、なんか動きが悪いみたいで…以前の30%の力しかない感じです。荷物の搬入は両親に手伝ってもらって部屋の片付けは彼女と二人でボチボチやってます。 重い荷物を動かし、同じ姿勢を続けると腰が曲がらないほど痛くなります。(これも筋トレになる)余り整理して来なかったので段取りが悪いし、おかげでホコリがすごいので、のどが痛いです。1時間に2回はうがいをしないと気管支をやられそうに感じました。1時間作業して30分休みといった感じで情けなかったです。 一つの部屋をきれいにして、次の部屋と荷物を移動してようやくパソコンのスペースと回線を確保しました。とりあえずしまっただけなので、これから少しずつ引っ張り出して整理しないととても片付きません。なかなか捨てられない物も半分ぐらいゴミかもしれない。もしあの時死んでいたら全部ゴミなんだろうけど。 『生きるって執着する事なんだ』となんか考えてしまいました。まあもともと蒐集癖があるからか、生き残ることにも執着したみたいです。 自立ってかなり労力が必要で、これに仕事に行きながら生活を成り立たせるのは大変だと感じました。どうしても以前の自分と比較してしまいます。その時も同じように疲れたんだけれど、スピードと量が違うんだよね。仕事から帰ってから同じ量が出来たんじゃないか?とか考えると情けなくてブルーになったりしますが、だんだん片付いていくのが気持ちよくてがんばれそうです。
2004年05月10日
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引っ越しの荷物を片付けているからか?!喉がタンがからんだみたいになんとなく気持ち悪い。朝ごはんを食べる時もそうだし薬を飲見込むときも、喉に引っ掛かる感じで痛みを伴う。GVHDと思っていても、物を飲み込む時の苦痛は毎回だとうんざりする。 昨日愛車のスーパーカブを引き取りに行ってきた。マンションのバイク置き場に1年5ヶ月放置していたためバッテリーはいかれ、ガソリンは蒸発してキャブレターにカスだけを残していた。引取りに来てもらって動くように調整してもらっていた。オイルも交換してもらい1万4千円だった。 昨日は試運転としてゆっくり帰ってきたのだが、今日は直線の長い134号線を江の島に向かって走っていた。初夏の陽気が気持ちよくて、スロットルはついつい全開になった。日差しにはレイバンの真っ黒なサングラスがちょうどよかった。 今日の江の島は波もなく午後1時に最干潮で潮が引き磯遊びには絶好のコンデションだった。私の目的である海藻の採集は干からびる時間が長くて水温も上昇したので条件が悪く、勢いがなくなっていた。 それでも2時間30分ほど磯を歩き回った。歩いている時はそれ程でもないのだが、うちに帰ると足が棒のように動かなくなる。これも一種の筋肉痛でリハビリになっていいのだが、いつになったらヒザとかかとの痛みが取れて、何も考えないで歩けるのだろうか??
2004年05月08日
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部屋は全くと言って良いほど片付いていなかった。ゴールデンウイークが明け、役所は受付しているので手続きのことを聞きに行った。 まず高額医療費の係りへ行って申請書を提出。その後市県民税がどうなっているのか聞きに行った。窓口で去年の6月まで給料が支払われているので、それに対する課税が今月の18日に決定する。その前に確定申告をして控えを持ってきて欲しいと言われた。また固定資産税と車両税などは所持している限り特例措置はないとも言われた。 平塚市の税務署とハローワークは隣同士にある。税務署は暇そうなので後にして、ハローワークへ行くと人がたくさんいた。話には聞いていたが現実は厳しいものだと痛感した。受付から担当者まで女性でテキパキと事務処理をしていた。私が病気をしていてと話すと、「本当は離職してから一ヵ月以内に代理でも延長届けを出してもらわないといけない」と言われたけど事が事だけに出来る限りやってもらえた。やりとりの要旨 1)軽作業でも働ける証明書を主治医からもらえないと、就職出来ないので受給資格がなくなる。2)本来は離職後1年以内に給付を受けないといけない。3)給付を受けられる最大延長は手続きをして3年である。 病み上がりでも療養が必要でも、求職しなければ給付しませんよという態度なのです。名前と生年月日だけで雇用保険が幾ら支払われて、もらった事無いのもわかるくせになんか理不尽な言い方なんだよな。とりあえず一生懸命やってもらってありがたかった。 平塚税務署はすぐ話を聞いてもらえた。要旨は次の通り1)納税は義務。2)還付は権利であって、放棄は自由。3)医療費は5年度さかのぼって申請出来る。4)源泉徴収票と医療費の領収書と保険関係の支払い証明書をもってくればその場で申請が出来るとの事。早速書類を整理しなくちゃ。たとえ1円しかもどって来なくてやるだけ損でも、しっかり提出しようと思う。
2004年05月06日
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昨年の正月に手術の傷を癒すために、1日だけ那須塩原の温泉に行って以来1年5ヶ月ぶりに温泉に行った。温泉などの公衆浴場は雑菌が多く移植患者には敷居が高いものである。免疫力を落とす薬を飲んでいるうちは、やはり治療中なので感染症にならないよう注意している。 神奈川県山北町にある中川温泉は、胃腸や傷口に効能があり、遠くなく温泉始めはここからと決めていた。久しぶりの浴場は湯気が気持ちいいが、湯船に使ったとき独特な温泉の臭いを感じた。正直まだ湯船に頭をつける気にはなれなかった。露天風呂は内湯より温度が高めで、半身浴が良いのだがあいにくの雨で出来なかった。いつもは1時間は入ってふらふらになるまでガツガツ入っていたけど、今日は着替えをいれても30分とあっさりだった。芯から暖まるし、1時間ぐらい寝てからもう一度入りなおしたかった。 移植後の生活も、人ごみにいても良いとか、公衆浴場に行っても良いとか、刺身や生卵を食べても良いとか、いろんな壁があるが一つ一つ解禁されていくのはうれしい。次は何が解禁になるか?お酒はまだまだ先だよね。
2004年05月04日
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退院して100日がたった。他の人よりかなり慎重に診て貰っていたので、再び入院することもなく順調に社会復帰している。「もう少し経過を見ましょう」と言われても、『本当はどうしていいのかわからないだけじゃないのか』と思っていました。何か治療するわけでもなく、ベットで寝てるか病棟内を点滴ポンプを連れて散歩しているだけで無気力でした。 まあ今から思えば痛み止めで、常に意識が朦朧としていました。その時は気がつきませんでしたが、薬漬けになって弱りきっていた感じです。 精神的には、退院して日を追うごとに気力が湧いてきました。気力と体力のアンバランスで精神が不安定になってイライラしたことは、一日の中でも何度も繰り返してありました。薬を減らしていくにつれて、不安も消え意識がはっきりしてきたと思います。 薬の注意書きに『高所での作業、車の運転や危険を伴う機械の操作などは十分注意してください』と書いてある。しばらくして運転した時は『出来るじゃん』と思ったけど、その一ヵ月後にその時を思い出してみると『事故らなくてよかった』とこわくなった。今は長く運転しても平気だし都内も要領よく以前のように走れる。 引っ越し荷物が片付かないけれど、午前中9時前に冷蔵庫が届き、予定のスペースへ納めてもらった。大きくて使い勝手がよさそう。食事が生活の基本だからよろしく頼むね。 次は動かなくなった。1年半雨ざらしにしたスーパーカブを引き取りに来てもらった。ガソリンは蒸発してキャブレターがつまってバッテリーもなくなっていたのでエンジンがかからなかった。まだ220キロしか乗っていなかったので整備して乗れるようにしてもらう。 午後1時にウオシュレットの取り付けに来てもらう。自分でも付けられるがそれは新しい家の話で、古いマンションにはトイレにコンセントもなく取り付けてもらう。慣れてる人でも30分以上かかるのだから私がやってたら、道具もないし丸1日かかっただろう。早速使ってみると使いやすく、これのない生活は考えられなくなった私は満足しました。 ゴールデンウイークだというのにすぐに来てくれて助かりました。退院して100日目のご褒美にしたは、十分すぎるほどだと感激しました。
2004年05月03日
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朝5時に自然に目が覚めた。引越しするので興奮していたのかもしれない。6時に出発ということで、おにぎりと少しのおかずを持っていくことにした。私が厚焼き玉子とソーセージを炒めた。しばらくして母が来たのでおにぎりをにぎってもらった。父は車に残りの荷物を積み込みスタンバイOKで待っていた。高速がすいていたため、1時間40分ほどで来てしまった。 荷物自体は、普通の台車4台分だからたいして多くない。まあ乗用車に乗るくらいの量だからたいしたことはないけど。 荷物を出している時、猛烈におしっこに行きたくなって9階の自分の部屋までもたない気がして、目の前の公園のトイレに駆け込みました。何気ないことだけど初めて軽く走れました。100m位の距離を軽やかに走れてびっくりしました。いままでは30mゆっくり走るとかかとが痛かったので止めていたんだけど興奮していたせいかな。すごくうれしかった。 30分で荷物を入れて少し拭き掃除などをして買い物にみんなで出かけました。冷蔵庫が小さかったので、大きな冷蔵庫とトイレのウオシュレットを買ってもらいました。その他押入れ収納などコマゴマしたものを買い昼食をはさんで4時間も買い物に時間がかかりました。 部屋に戻ってから母は障子の張替えをしてくれました。なんとなく心配でこっちに引っ越させたくなかったんだろうけど、最後は一生懸命やってもらいました。父はまた明後日来ると言って車を運転して行きました。朝早く起きて荷物運んでもらって大変だったと思います。両親は帰ってすぐ休んだとの事でしたが、翌朝のラジオ体操には起きれず昼頃まで横になっていたそうです。 なにから何までお世話になりっぱなしで親不孝な息子で申し訳ございません。人並みの状態に戻れるよう、無理せずゆっくりがんばりますのでしばらく見守ってください。
2004年05月02日
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明日埼玉の実家から平塚の自宅に引越しをする。以前から引越しをする目標をゴールデンウィーク中に決めていたので順調でうれしかった。 朝から部屋に広げていた荷物を、すぐ運べるように段取りしていた。着る物や保存用の蔵書関係をごそごそ片付けていった。 本宮ひろし全集とも言える単行本約100冊と雑誌をまとめてBOOK OFFへもっていった。俺の空,さわやか万太郎といった青春時代の思い入れがぎっしり詰まったマンガ達だった。買取査定が25分かかって、結局270円にしかならなかった。まあ焼却処理するよりましだけどね。置いて帰っても良かったかなと真剣に思った。 今後の事を聞きたいと母親が言ってきた。最初は冷静に話そうと思ったらしかったのだが、治ってよかったと思っている気持ちと、もう少し面倒を見たかった気持ちが交錯し、ブルーなほうのナーバスになっていった。落ち込まれると私もつらい。表面的に良くなったと分かっていても、入院時の心配や今後の不安が一気に爆発したようだ。泣かれるとさすがにつらい。私も心配かけたなとねぎらってやるしかない。病気だけではないのだが、いろいろな心配をかけて申し訳ないと思っている。 親元を離れて生活するのは、まだ早いと思われるかもしれなけれど、普通にしていたいなと思っています。いままで元気が出るように面倒を見てくれてありがとう。まだまだ心配をかけますがよろしくお願いいたします。 明日朝早いけどよろしく頼むね!! 2004年5月1日
2004年05月01日
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