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今朝五時半起きで海に行き、磯の調査をしてから海藻を採集した。八時に車に戻ってから貧血ぎみで頭がいたんできた。そのまま戻ってきて、午前中は足をあげて寝ていた。ちょつと張り切りすぎたかな?午後からは昨日と同じ作業をこなした。すごい回復力におどろいた
2004年06月30日
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お金をもらって調査する仕事より大学の研究のほうが内容が濃い分大変だ、というよりこの教授の執念が異常なんだと思う。けさは5時30に宿を出発して海で海藻採集。8時に自炊で朝ご飯。9時30から18時まで(一時に一時間昼食)教えながら標本作り自分の事は出来ず。夕食後の四時間が集中して顕微鏡を見れる時間だ。このような一日があと六日続く。携帯メールは打ちづらくて嫌いだ。
2004年06月29日
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朝6時から起きて、ごはんも自炊して、一日中動き回った。栄養が偏っててライフパックの他に、リポビタンDを飲んだ。以前は栄養剤なんて飲まなくてもよかったのに…つばを飲み込むだけでも、のどがだんだん痛くなって来た。0時四十分
2004年06月28日
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> 今朝7時に宮古に着いた。なかなかバスは寝れないものだけど、2回起きそうになっただけでほとんどほとんど熟睡出来た。でもエコノミー症候群のように、身体がこり固まってしまった。 着いてすぐに、山登りで樹木の観察会に参加した。小学生もいるのでそんなにハードじゃないと思っていたので、標高差508mで3時間のコースと聞いたときは騙されたと思った。でもすずしかったし道は腐葉土でやわらかかったので、久しぶりに気持ちよく汗をかいた。歩き終えて3時間たった今、かかとは痛いし、膝がガクガクし始めた。
2004年06月27日
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今日の午後、センターに行ってきました。のどの腫瘤(こぶ)を見てもらうためだった。腫瘍があることはわかっていたので、いつ取るのか予定が立つだろうと思って行った。腫瘍は生検用に疳子で引っ掻いて少し取り、悪性かどうか確認する。1週間ほど時間がかかるという事だった。良性なら全身麻酔で大きく取り、リンパ腫なら違う治療(放射線とか化学療法か?)を検討するでしょうとの事だった。 1時半に呼ばれて診察室の中に入った。頭頚科の先生は、若くてにこやかなのにすぐに乱暴だと思った。口の中を除く時にぐいぐい器具をいれた。そしてファイバースコープを鼻から入れるときも、麻酔なんかつけないアルコール綿で拭いてそのまま入れてきた。たのむからキシロカインゼリーを付けてくれと思った。先生が腫瘍を確認してから今日生検用に取りましょうという事になった。 3時過ぎ外来患者がいなくなってから、診察室に呼ばれた。口をあけてキシロカインをのどちんこの奥にスプレーされた。何回かつばと一緒に吐き捨てるうちに、だんだんむせなくなってきた。麻酔が効いてきているのがわかった。鼻からスコープを入れて見ながら口の中に疳子を突っ込んで取った。3度取ってから吐き気が起きてむせた。先生がスコープを抜いたので終わりかと思ったが、しばらくしてもう1度と言われた。なんか説明不足だし、あとどのくらい我慢すれば良いのかわからず不安になった。何回か取れたか取れないのかわからない状態だったが、結局米粒の半分ぐらいの塊を5個取ったようだ。 もう1度診察室を後にし10分後出血してないか確認して、次回の予約をして終わった。会計を済ませたら結局4時近くになってしまった。3時間ぐらいは飲み食いしないでくれと言われた。お昼から水分もとってないのでのどが乾いた。 帰宅途中も買い物をして、時々うがいはしていたが、自宅に帰ってから8時にプロポリスを入れた水を飲んでみた。違和感は特別無かった。いつものように痛いのでこんなものだろう。熱い豆腐のスープを飲んでみたが問題なし、食後も麦茶を500ML以上薬と一緒に勢い良く飲んだ。 のど以外は本当に元気はつらつなので、明日から岩手県の海に実習に10日間行くのだけれど、「息苦しくなったらすぐに来てくださいね」と言った先生の言葉が引っ掛かるよな。でもお泊りは久しぶりなので楽しみです。
2004年06月25日
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『電池が切れるまで』---最終回でしたね。子供の病気は治りやすいと言うけれど、大人と同じような治療をするのだから大変だと思います。痛いし気持ち悪いし、大人でも泣きが入るのに本当に頭が下がります。 骨髄移植をした女の子は「私の電池は私だけのものじゃない」と言いました。子供心に生きる意味を知るんですよね。苦しいから死んで楽になっても良いけど、家族を悲しませたくない。病気になるとひしひしと感じます。今は苦しくても1年経つとすごい元気になれてよかったね。 去年は『白い巨塔』でがん治療がメインでした。これからもいろいろな医療を題材にしたドラマを放送して、幸せな自分を感じて欲しいと思います。 大きな御世話だけど、自分で命を絶とうとしている人へ言いたい!! 死ぬのはいろんな事情があっての事だからやめろとは言いません。もし五体満足で健康ならもったいないと思います。健康な身体以上に、ほかに何か必要ですか?『電池が切れるまで』がんばりましょう。
2004年06月24日
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3ヶ月ぐらい前からのどが痛いと言ってきた。4月26日と5月24日の外来診察の時にも痛むんですけどと先生には伝えたが、触っておしまいだった。6月21日は、地元の耳鼻咽喉科へ行って診てもらってくれと紹介状をもらった。理由はがんでもないのに患者をどんどん回すなと頭頚科の先生に言われるからだそうだ。おかげでがんの転移がそのまま放置された形になった。 今日午後紹介状をもって総合病院の耳鼻咽喉科を受診した。先生は一通り話を聞いた後、まず耳の奥を見てくれた。のどの神経とつながっているので、のどが痛いと耳の奥も痛くなるそうだ。耳は問題なし。そして鼻からファイバースコープを挿入してのどを見た。いったん抜いて「食道の上の右側に大きい腫瘤と腫瘍があります」と言って、今度はビデオを用意した。 再び挿入してみた後、プリントアウトしようとしたらビデオテープが入っていなかった。結局3回も出し入れされて何すんだと思った。その後映像を見せてくれ説明してくれた。「息苦しくないですか」と聞かれ、「こんなものだと思っていました」「大きく取らないと生検が出来ないので、ガンセンターで診てもらって下さい」との事でした。 確かにコブみたいに声帯を隠しているし、「悪性か良性かわからない」と言っていたが腫瘍はバッチリ見えてるし、先生は紹介状に返事を書いて戻そうとしているし、なんかわかっていたけど見ちゃったなって思いました。 内視鏡で取れないのかと思いましたが、「全身麻酔をかけるようになるでしょう」と言われた。血が肺にはったりしないようにと検査なのか手術なのかわかりません。 お昼過ぎセンターに連絡したところ担当医がおらず、かわりの先生が対応してくれ、あさって金曜日のお昼過ぎ頭頚科で見てもらえるようになりました。のどに症状が出てリンパ腫が発見されることが多いのは、扁桃腺などのリンパ節がのどに多いからだけど、悪性じゃない事を祈るしかないね。 まあ1回は再発すると覚悟してたから、なんかショックがないよね。また治るさと普通に考えています。
2004年06月23日
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今日はひと月ぶりの診察に行ってきました。特別に検査をするわけではないけど『お変わりありませんか』って確認の診察です。 診察の問題点は右のどと右耳の奥の痛みだけ。便秘は問題点にならないし、貧血で階段の上り下りがきついのもぜいたくな悩みだ。ここの咽喉科はがんじゃなければしっかり見てもらえないので地元の先生への紹介状を書いてもらう。たまにGVHDでのどの痛みを訴える人がいるそうだけど、私の物が通る時の痛みも同じなのか? がんセンターへ行くとなんか安心する。外来の患者さんはみんな元気で、がんは治るんだよなと改めて感心する。そりゃあいろいろ不便な事も不快な事もあるだろうけど、よくなって良かったとうれしくなってくる。 一番の楽しみは昼ごはんなんだよな。築地なのでおいしいものがいっぱいある。入院してた時はそれどころじゃなかったが、外来で来たら毎回おいしいものを食べるんだと決めていた。希望どうりになってうれしい。まだお刺身は禁止なのですし屋には行かないが今後の楽しみは非常に大きい。 また買い物もいい、珍しい輸入食材も手に入る。調味料やおいしそうな魚、包丁を研いでもらったりとなんだか用事を作って楽しんでいる。
2004年06月21日
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弟の赤ん坊に初めて会いに行ってきた。生まれて3週間で、まだ外には出られないので、弟夫婦はどちらかの母親に手伝いに来てもらっている。 初めての対面で『赤ん坊ってこんなに整った顔立ちしてたっけ?』と思うほどかわいかった。まだ目が見えてないらしいがこちらを見てにこやかにしていた。無用に泣かないし良く手足を動かして元気な子だとも思った。 弟と私は学年で3年違う。弟は発育が早く、私が自転車の補助輪をはずすとすぐに、2歳半で自転車に乗れたし、かけっこも私のすぐ後ろをついて来たので、同学年の子とは格段に早かった。でも高校生の頃には普通人になっていたけど。 なんとなく利発そうな子なのでお医者さんになって叔父さんにアドバイスして欲しいと思いました。・・・なんてうれしくて過大な期待をしてしまいました。 私の全身に散らばったのがん細胞を駆逐する強い弟の血液幹細胞。その血液を受け継ぐ娘はとても元気に育つに違いない。まあ人間健康でやさしかったらそれで十分だけどね。
2004年06月20日
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病院から移植後の口腔トラブルについてアンケート用紙が届いた。造血幹細胞移植後に起こる前処置による副作用の種類や程度その対処について質問に答えていくものだ。 移植後は免疫力が落ちているので、口の中に炎症が起こりやすい。出現時期や痛みの程度は人それぞれだと思う。私は味覚障害が特にひどかった。ミネラルウォーターなのに生ゴミのような臭いを感じて食事は臭いを嗅いだだけで吐き気がした。 特に前処置から1ヶ月目がひどくて、部屋に食事を運んでこないように看護婦さんにお願いしたほどだ。ちょうど退院できるかもという時期で、同時期に移植した患者さんも食事を断っていた。 2ヶ月が過ぎたら味覚も戻ってきて気にならなくなった。歯磨きは、毎日朝食後とお昼寝の前と夜中に寝る前の3回はやっていた。うがいと歯磨きは仕事と思ってトイレにあわせて習慣にしていた。それからしばらく口腔に関するトラブルは無かった。 移植して1年後、貧血がなかなか戻らないので鉄剤を飲むことになった。歯に色がつく事があるので重曹などで磨いて下さいと注意書きがあった。確かに歯に茶色い色素が沈着していた。歯科の先生に診てもらったところ免疫力が下がっていて虫歯になったと説明を受けた。「一度ついたらそれ以上良くなる事は無いので進行が遅れるようしっかり磨いてくれ」とのことだった。そしてしっかり磨いても色は落ちない。「スケーラーなどで掻き落とすと神経が出てきてドツボにはまるよ」とも脅かされた。 そして今日現在口腔より、喉と耳の奥だよ痛いのは!! 炭酸は飲み込む時チクチクささる感じがする。せっかく温かくなって冷たい炭酸飲料が楽しみなのに。熱いのも辛いのもダメだ。本当に転移じゃないよね。慢性GVHDならしかたがない。その他の生活は不満はあるけどぜいたくは言えない。働いてないだけで、普段はとても忙しくして生きがいを感じている。今後の治療の参考になるんだったら積極的に協力しようと思った。
2004年06月18日
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今日は研究室の食器洗い用スポンジについて。【S君すぐに察してくれてありがとう。でもネタに使わせてもらうよ。気にしないでね】 研究室でコーヒーをいれてくれるのだが、最初は断っている。ついでくれるカップがコーヒーのシブがこびりついている。また洗ったとしてもスポンジを見ると変色しているので、それで洗ってもなんか細菌が繁殖してそうだ。ちょっとびびって断ってしまう。コーヒーは好きなので飲みたいけれど… まさかスポンジを自分専用においとくわけにもいかないので、自分のカップを自分で管理すればいい。 洗い場は薬品も調味料も一緒だけど間違いが起きたことがない。以前みたいに何があっても平気じゃないので、とりあえず用心している。クラス100にいた時は、箸をトレーの上に置くのも嫌だった。しかし今はそんな事は気にもしない。でもつり革をつかんだ手は帰ってからすぐ手を洗わないと気持ち悪い。 もう一歩進んで刺身や生卵が食べれるようになったら、常識的な範囲で平気になると思う。非衛生的なインドの屋台で、平気でごはんを食べてた自分を改めて尊敬する。
2004年06月15日
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夕方図書館からの帰り道、鉄棒で身体を伸ばそうと八幡山公園によってきた。足を上げてももの裏を伸ばしたり、肩の関節を伸ばしたりしていた。2週間前にも同じような事をしていた。その時に逆上がりが出来るかやってみたけど、足も振り上げられないし腕も伸びちゃってまったくダメだった。本当は懸垂逆上がりぐらいしないとトレーニングにならないと思っていたけど現実はきびしかった。 ところが今日は身体が軽かった。最近学校に頻繁に行くようになったのがトレーニングになったみたいで、2日家にいたら身体が軽く感じていました。ひと通り身体を伸ばしてから、逆上がりが出来そうな気がして挑戦してみた。一瞬足が上で止まったものの巻き込む事が出来くるっと回れた。懸垂逆上がりじゃないけど、とりあえず出来て良かった。でも前回りして降りて着地すると足が痛かったけど…。
2004年06月13日
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昨日がんばりすぎたのか?今日は講義に出るのがやっとの状態だった。研究室の机に向かうが横になりたかった。貧血みたいで頭に血が回らない感じだで頭が痛む、のどが痛くて耳が痛くてイスに座ってられなかったので帰ってきてしまった。 家までの帰りは2時間半かかるので余裕を持って帰らなければならない。途中で力尽きそうになったら東京駅からタクシーでセンターに行けば何とかなるだろう。 無事に家に帰って来れてすぐ横になりました。足を上げて横になるだけで楽になるんだよね。さっき起きたところだけど頭が重い。お風呂に入って映画でもゆっくりみよう。(でもなんか始めちゃうんだよな)
2004年06月11日
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最近イスに座る時間が長いので足がむくんでいる。靴下を脱ぐとゴムのところが締め付けられていて、そこから上はなんかお肉がプニュプニュしている。イスの生活は慣れると楽だよね。子供の頃からそういう習慣だったら、白人みたいにスラッと真っ直ぐな足になったかな? という事で今日以前机と本棚を作りつけてもらったリフォームと特注家具の工務店に行ってきた。以前はイスやソファーより直に座ったほうが好きだったので、机も座卓のように低い物を作ってもらった。それをイスに座って使えるように高さをあげてもらうように頼んだのだ。一回座ると立ち上がるのがおっくうなので、今回の変更はヒザやカカトにやさしいと思いました。前も自分の希望で設計してもらったので使い勝手は良かったし、予算も少なくてすみそうで完成が楽しみです。
2004年06月09日
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昨日と今日はずーっと学校にいました。朝は9時には研究室午後は19時過ぎまで実習と1日中机に向かっていました。体力と気力が無いととてもやってられません。 研究室の教授はもともと元気な人でしたが40代前半に大病をして、田舎で暮らそうと現在の仕事をあきらめた事があったそうです。しかし今はこんなに激しく仕事する人がいるのかと思うほど一年中動き回っていて、その研究姿勢には頭が下がります。そんな教授に今後について相談しても「がんばれな」しか答えがないだろうとわかっていてました。やはりごちゃごちゃ言わず「自分の為だろうに」とニコニコ言われて無言の励ましを感じました。 気がついたら土日を除き往復5時間かけて出かけるわけですからすごい体力だなと思います。いいやいいやで過ごすとすぐ休んでしまうので、出来るなら生活のリズムが出来て良いかもしれません。疲れない程度にしたいのですが、目は乾いて痛くなるし、ずーっとイスに座っているので足がむくむし、のどが痛くて食事もおっくうだし、肩こりと頭痛がたびたびおこりますが外へ出るとそんなことは言ってられません。でも毎日外に出てられるだけでもすごい進歩で、慣れたら完璧に仕事をこなせられそうで楽しみです。
2004年06月08日
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昨日江の島に行ってきた。快晴で波もなく天候は申し分ないのだが、人が多くてなんか騒がしかった。潮がちょうどお昼に引くので、その時間に合わせていくとバーべキューの臭いがプンプンして気持ち悪くなってくる。私の欲しい物と観光客の遊びは違うので困ることはほぼない。人々は磯の生物を見て、かにや貝を採っても海藻は無視なのでひどく荒らされる事はないからだ。 岩屋のから山二つへ戻っていく階段はあいかわらずきつかった。平なところは人々を抜かしていけるのだが、のぼりは追いつかれないように必死だった。まだ貧血なので呼吸が苦しいし頭も痛くなった。あれだけ暑かったのに長袖でうっすら汗ばむ程度で代謝の悪さを感じた。 昨日は出かけたから気がまぎれたが、今日は雨で家にいると耳も痛いしのども痛い何もする気がしない。これっていつも思うけどのどに転移してないのかね?せきばらいしただけでもビクッとするし、ごはんも飲み込むのが痛い。のどの痛みはいつまで続くのやら…
2004年06月06日
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昨日(3日木曜日)の夜は、実家にお泊りした。学校へは平塚より八潮のほうが近いので、3日連続で行くときは泊まらしてもらおう事にした。久しぶりだと近況報告が長くなって、結局身体は休まらないが疲れはじゅうぶん取れました。 1ヶ月前まではこの部屋の世界だったんだよなとなんか部屋が狭く感じた。小さいながらも自分の家に戻るとやはり世界が広がるね。はじめは遠慮がちに行っていた学校も、本格的に行きだしたらほぼ毎日かかりっきりになって身体の心配をしている暇もなくなりました。 予想はしていたけど、忙しく走り回るんだろうなと思ってました。前はこの状態に仕事があったので、そりゃ体力を過信していたので、身体は壊れて当然だったと思います。身体が急に老いた事を除けば今の生活は充実していると思います。そしてときどき横になって休みをとれるように、もう少し時間がほしいな。
2004年06月04日
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先週から2日に1回は研究室に行くようになった。それまで大学までドアtoドアで2時間30分。1回往復すると5時間もかかってしまう。研究室は横になれないので家に帰ると疲れがどっとでる。それでも帰り道『これってすごい回復じゃない』としみじみ思った。 確かに退院して4ヶ月たったけど、最初の2ヶ月は薬漬けで自分の部屋で入院していたのと同じ状態だった。それから1ヶ月は動き出す準備。そして1ヶ月前から家事も自分でこなしてきた。そして勉強意欲が出てきた。ここまでは順調で振り返るとびっくりするほどだ。なんか疲れそうだけど、好きなようにやろうと思う。
2004年06月02日
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10日前にお見舞いに行った先輩が今日退院した。パソコンは座らなければ打てないからとメールも止めていた。放射線もきつかったろうな。でももう退院出来たのだから体力も落ちなくて良かったと思います。あと半年の化学治療も元気に乗り切れるでしょう。 先輩は私がもう駄目かもと思っていたので、「なんと言っても横ちゃんのお見舞いが一番力づいたよ。横ちゃんの元気な存在を見ているだけで大きな励みになりました」とお礼を言われました。 まあ私の体は2千7百万円もかけて治してもらったので、簡単に死ぬわけには行きません。私もあと25年は働かねばなりません。もう無理はしないでしょうが、少しでも社会のお役に立てれば幸せです。
2004年06月01日
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