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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。旅の出る前の私の体重は、70kg プラマイ0.5kg位。この体重は、記憶が定かではないけど15年くらいは続いていると思われます。身長が178.5cmだから、理想的な体重とされているようです。でも、旅の期間中に、少し太ってしまったんですよ。4月1日に島を出て、最初の予定地の京都に8日間いました。この時は、京都市街から外れた大原や鞍馬、嵯峨野や高雄といった所をウォーキングしていましたから、毎日が結構な運動量でした。京都から北軽井沢、益子、茨城、そして水沢温泉に至っては、ほとんど運動はなし。食っちゃあ寝、食っちゃあ寝の繰り返しで、島に帰った時は2.5kgオーバーの72、5kgでした。「こりゃあ、いかん!」と・・・。19日の夕方のジョギングはいきなり体が軽く、あわや記録更新かと思えるほどの好調さ。走り終えて、風呂上がりでの体重計の数値は72、4kg。「う~~ん、変わらん!」20日は、たまっていた作業を朝からビシバシ。食事もいつも通りにモリモリと。そして、夕方の風呂上がりの後の体重計の数値は、なんと70、6kgとなっている。あれ、ちょっとおかしいかなと思ってもう一度体重計に。体重計は狂ってはいなかったのです。2日間で急激に2kgの減量です。そして、昨日の夕方の測定は、70.0kgいつも通りのベスト体重に戻ってしまった。思うに、私の体の調和という観点から、常にその状態を維持しようと、自動的というか、きっとハイヤーセルフと繋がった仕組みが展開されこのようになるのではないかと。「願えば叶う」という言葉があります。これは、宇宙の仕組みの一つでもありますね。思いが(想念が)現実となる仕組みです。地球がアセンションした後は、アセンションを選択した人達に訪れる現象です。5次元以降の世界では、それが当たり前の世界と言われています。思えば、それが現実となっちゃう世界。素敵ですね。それが、波動形態の低い今の3次元地球では、具現化するスピードが著しく遅くなっている。でも3次元でも、より5次元的に生きている人には、「願えば叶う」ということが確実に起こり始めているのでしょう。「調和に生きよう」と選択した人へのご褒美かもしれません。私の場合、5次元に片足を突っ込んでいるのかな。やはり、今までの常識とされることは、私には該当しなくなってきているのかも。私にとっての2012年は、ドキドキの年のようです。さすが京都。こういうところにも気配りが。美しいですね。
2012.04.23
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。ついに、長旅から島に戻りました。18日間だったでしょうか。その間の車の走行距離は、ほぼ3000キロ。よく、走りました。旅の最後の締めくくりは、秋田県の田沢湖近くの水沢温泉郷にある「露天風呂 水沢温泉」という湯治宿です。http://www.tsukamoto-sogyo.co.jp/mizusawa/index.html部屋からの眺め。田沢湖が、夕日に燃えています。火事で全焼し、新しく新築して数年しか経っていません。湯治宿と言えば、古ぼけた感じで、プライバシーはあまり守られないといったのが多いと聞きますが、ここは違いました。まず、大変清潔で台所も機能的。私達がお世話になった部屋は、3階洋室でツインベッド。(8畳部屋と言われましたが、もっと広い)オートロック式ドア、ウォシュレット付トイレ、洗面台、冷蔵庫、金庫、テレビがついていました。(冷蔵庫の冷えが甘かったけど) 一泊2人利用で4000円/一人。勿論、湯治ですから素泊まり料金で、食事は自炊です。連泊すると、これが3000円まで下がりました。(日~木で5月いっぱいとのこと)詳しくは、問い合わせしてください。男性用露天風呂肝心の温泉が、これまたいい。乳白色した、ちょっと熱めのお湯。熱いのが好きな私にとっては、近頃のぬるめの温泉が多い昨今、お気に入りとなりました。59度のお湯が、毎分1800リットル出ているそうです。毎度のことですが、たくさんの本を持ち込み、寝る、食べる、温泉に入る、本を読む、そして昼寝、瞑想といったことを繰り返します。部屋から眺めた夕焼け電線が、気になるね。食材の買い物は、20分くらい離れた所に大型スーパーマーケットがあるので、不便は感じません。東北の小京都と言われる角館まで、車で1時間弱。大変快適で、何日でも居られる感じ。予約の場合、ネット予約よりもTELが早いようです。近くにある水芭蕉の群生地。ちょっと時期が早いかな。今日は、2時間かけてブログ記事を書いたんだけど、自分のミスで消してしまった・・・とほほ。だから、旅のご報告を・・・我が家の桜は二分咲き位かな。
2012.04.20
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。今回の旅は、結構いろんなところを駆け巡っています。軽井沢から栃木の益子へ移って、ちょっと器のお買いもの。益子からすぐ隣の茨城に移って、袋田の滝に寄り道。ここは、日本3名瀑の一つだそうです。ちっとも、知りませんでした。その3つとは、那智の滝、日光華厳の滝、そしてここ。シーズン前のため、どこに行っても観光客はほとんどいません。人混みが苦手な私にとってはラッキーです。茨城から、今度は仙台を通り越して秋田に移動。東北の小京都として有名な角館のしだれ桜はどうかなと、・・・やはり、ここもまだ冬の真っただ中。今年の桜は、5月連休あたりとか。それじゃあとなって、お昼ご飯でも食べて、、、と。秋田と言えば、比内地鶏。その比内地鶏を使った親子丼をいただきましょう。比内地鶏は、地産地消で県外流失はなされません。地元に行かないと、食べられない比内地鶏。親子丼と言えば、いつも行く「十兵衛」さん。武家屋敷が並んだところをちょこっと離れた所に。地鶏と地鶏の卵を2個も使った、豪華な親子丼。1575円と、少し贅沢なランチですが、美味しい出汁のきいたお吸い物といぶりガッコ、キノコの白和えもついてですから、決して高くはないですね。(食べるのに夢中で、写真撮らなかった)そして、その日からの宿、角館から1時間くらい離れた湯治場に向かいます。旅をしながら思うこと。その場所場所に、人がいて生活があって、生き方がある。1億2000万人いれば、その数だけ生活があり生き方がある。一人の人間ですら、こんな自分あんな自分、それの正反対の自分もいて、その時の波動のレベルで多次元的な自分、多種多様な自分を生きている。そのすべてを受け入れ許し、愛したい。でも、まだまだそれが出来ていない自分を時々発見します。一口に言えば、我の強い自分が時々顔をのぞかせる。好きになれない生き方をしている人と交わる時、完璧に許しきっていない時がある。どんな生き方だって自由だと、口で言って、心で思っていながらですよ。その発端は、きっと私の少年期にまで遡るのかもしれない。いや、もっともっと前の、前世からの宿題のような気がする。今生では、子供のころからの貧乏生活。絶えることのない両親の夫婦喧嘩、そして中3の時の離婚。自分が強く生きていかなければ駄目だった。非行と暴力の中で、勝って行かなければならなかった。18歳で今のカミさんと出会い、19で結婚、20で父親。家族にだけは、自分が味わった貧乏だけはさせたくないと、しゃかりきに。23歳くらいから、数十名の組織のトップを任され、そのほとんどの部下が自分よりも年上で、舐められちゃあいけないと背伸びのしっぱなし。その時は、自分の個性を強烈に前面に打ち出し、どうあるべきか、こうあるべきだというものを確立してきたのかな。だから、自分がこうあるべきと信じていることに、その範疇にはいらない人は受け入れられなかった。議論して、論破するのが好きだった、快感だったのかな。「戦って勝つ」というのが、自分と家族を守る唯一の方法と考えていた。その生き方を、島に移り住む少し前まで、ずっとしてきたように思います。40歳くらいになって、なんかおかしいと気付き始めて、今までのそれら一切を捨てようと決心したのが島に来てからか。そして、かれこれ20年。もう一度、原点に帰ろう。今までのことは、過去生からの宿題として生きてきて、もうかなり天にお返ししたと思われます。(勝手な自己評価?)3次元という制約の多い次元に身を置いて、統合の中で「個」を生き、「個」に生きながら「個」とは「無」なのだという宇宙の真理を認識する。今となっては、さして難しいことではないと思われるのですが、「満足」の領域には至っていないのかな。旅というのは、日常を解き放った状態の連続です。「目」で見えているのは虚像で、義務や権利、常識や日常を解放した時に見えてくるものが、自身を高みに導いてくれる道標であろうと思います。こういう旅をさせていただけることに、心から感謝いたします。
2012.04.16
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。いやはや、今の京都市内は観光客でいっぱいです。皆さん、桜を追い駆けている感じ。今年の京都の桜は、7~10日遅れている模様。だから、早咲きの桜を見て回っているみたい。4月8日は、お釈迦様の誕生日。これに合わせたイベントもいろいろあるようです。だから、私達はなるべく市中心部から離れた大原や鞍馬、高雄、嵯峨野あたりを散策していました。この画像は、市内から少し南に下がった醍醐寺の桜です。どうです、5分咲きといったところですが、美しいでしょう。まるで、天が私たち日本人を温かく見守っている感じ。「いろいろあるけど、心配しないでね。」っと。被災地の復旧が遅れているようだけど、なるべく心配しないように生きたいね。必ず、いいように収まると信じましょう。さて、昨日は京都に別れを告げて、今は軽井沢にいます。北軽井沢の山の中を車で走っていたら・・・野生のキツネ君が出没。何と、おねだりしてきました。煎餅があったので、食べてもらったら・・・何と、警戒心を忘れてぽりぽりと。大変、人懐っこいキツネ君。私達が出す波動に、安心感を覚えたのかな。
2012.04.10
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。今回の旅の拠点も、やはりウィークリーマンションです。生活する一切が完備された、短期賃貸マンション。場所は、金閣寺のすぐ隣。日中は、観光客が絶えない所。昨日は、街中から一両編成の電車に乗って嵐山駅へ。電車に乗るのは、10年ぶり?まるで遠足で電車に乗った子供のように、一番前の位置に張り付いていました。(笑)線路脇の桜が満開だったら、さぞ美しかったでしょうね。でも、そしたら人で動けないというお話も。さて、どっちがよかったのやら・・・まだ、時間が早かったため、とても静かな嵯峨野路を散策。嵯峨野の道端で微笑んでいるお地蔵さんそして、ここのお目当ての一つ、祇王寺へ。嵐山から奥嵯峨野に入ってしばらくの所。平家物語で語られた悲恋のヒロイン白拍子・祇王、祇女姉妹ゆかりの尼寺です。まったく派手さのない、「庵」といった質素な門構え。白拍子(しらびょうし)祇王(ぎおう)の話は、“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…”で始まる「平家物語」の巻第一「祇王」で語られています。平安時代末期、時の権力者であった平清盛(1118~1181)に寵愛されていた白拍子・祇王は、ある日の出来事で突然捨てられてしまう。悲しみの祇王は、母と妹とともに都を去り、山里で尼となり生涯を送ったという話。苔の美しい庭でした。竹林と竹垣の通路も美しい。祇王は18歳の時に母・刀自(とじ)に連れられて、妹・祇女(ぎにょ)とともに京へ出て白拍子の生活を始めます。白拍子とは?平安時代後期に流行した歌舞の一つです。都での祇王と妹の祇女二人の歌と舞いの見事さはたちまち評判となり、当時の最高権力者である平清盛の知るところとなります。ある日、清盛に呼ばれた祇王は御前で舞うこととなる。清盛は、祇王の見事で気品のある舞い、そして何よりもその美貌に心を奪われ、直ちに自分の別荘・西八条殿に住まわせ寵愛しまし。清盛の寵愛を得た祇王は、母や妹の面倒までもみてもらい何不自由の無い生活が始まります。そんな時に現われ出たのが加賀国(石川県)から出てきた16歳の仏御前(ほとけごぜん)という名の白拍子。仏御前の舞いも見事なもので評判となり、その自信からか仏御前は清盛の屋敷へ行き、舞をお目にかけたい申し出る。祇王を寵愛していた清盛は「祇王より上手い白拍子がいるはずも無い」と門前払い。それを見ていた心優しい祇王は、自分も舞を見ていただいたことがあったので、仏御前を不憫に思い「一度だけでも…」と清盛をとりなしたのである。寵している祇王の申し出に、清盛も仕方なく仏御前の舞いを観ることにした。 最初はイヤイヤ見ていた清盛も、見事な歌と艶やかな舞いにたちまち心を奪われ、昨日までの祇王への寵愛はどこえやら、心は仏御前に移ってしまい「ここに居よ。」と清盛に言われる。仏御前は、それは本意ではない「舞いをお見せしたかっただけ、自分は帰る」と願い出たが聞き入れられることではなかった。あろうことか清盛は、「仏よ、祇王に遠慮するな。お前がそのように言うのは、祇王がいるからだな」と祇王を屋敷から追い出してしまった。祇王は、あまりにも突然の清盛の心替わりに驚き、涙ながら屋敷を出てという。その後も清盛は無神経さを発揮している。ある日、祇王の家へ清盛の使者が訪れ「仏が退屈しているので参上して慰めてほしい」という。祇王には行く気もないので断ろうとしたが、母に諭されてやむなく参上し舞うこととなる。元々、祇王に気のない清盛は、一舞いすると帰してしまう。この清盛の無神経さ、悔しさ、悲しさに祇王は自害しようとするが母の必死の説得で自害は断念するも、世を捨て仏門に入るのである。この時、妹・祇女そして母・自刀も髪を剃り、三人で嵯峨の山里にあった小さな庵(今の祇王寺)で念仏三昧の静かな暮しに入るのである。時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の表戸を叩く者がいた。恐る恐る表戸を少し開け、隙間から覗くと、そこには白い衣で覆った仏御前の姿があった。仏御前は涙ながらに「もともとは、舞いを認めてもらいたい一心で清盛様の前で舞ったもの。心ならずも祇王様を追い出しことになり、悔やまれます」と、切々と自分のとった愚かな行為を憂いた話をした後、覆っていた白衣を脱ぎ捨てる。そこには髪を剃った仏御前。仏道に入ろうと決意してやって来たのである。この姿をみた祇王は、「まだ17歳の若さで現世を捨て、往生を願うは真の大道心」と快く庵へ迎え入れ、その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした4尼は往生したと書かれている。 と・・・ちょっと長かったけど、お許しください。祇王、祇女、刀自の墓祇王の木像「驕る平家は久しからず」ですね。戦国武将の陰で、大義の前に踏みつけられてきた存在が今も昔もあるのですね。私も、組織の中で生きてきた時代に、同じようなことをしてきたのかと思うと、心が痛みます。だからか、以前は結構好きだった覇を争う歴史物は、今は一切触れません。戦うことや競うこと、争うことの愚かさを、60歳にして知らされましたから。島に移り住んで20年、やっと少しずつ人らしくなってきたのかな。(笑)仁和寺のツツジです。
2012.04.05
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。今、京都にいます4月1日、前日の春の嵐から予想を超えて穏やかになった海。船が出るようなので、思い切って朝一の船に飛び乗り、スタットレスから夏タイヤに履き替えて、一路京都に旅立ちました。瓦礫撤去作業が3月21日で終わり、島の岸壁かさ上げ工事や道路工事といった一連の復旧工事が本格化する前に、ちょっとした小旅行です。本当は、四国お遍路に行きたかったのですが、そこまでの時間は許されそうにありません。では、ということで、京の都の桜でもと、カミさんと二人で高速道をひた走りました。とりあえず、石川県?の徳光SAまで行って、そこから歩いて行ける温泉に入って車中泊。4月から、高速料金も通常に戻り、今までよりは割高です。ETC休日割引で50%かな。でも、旅立ちたい気持ちのほうがそれを上回ります。でも、タイヤを変えたその日に、会津から新潟、富山と、吹雪状態。横風も強く、外気温度は0度前後。例年の春とは全く違っています。「60歳からは第2の青春」と言う方がいます。確かに、そういう気はします。「青春」とは、就労や扶養の義務、過去の人間達が作った常識から自身を解放し、未熟な自分に勇気をもって行動し、その体験の中から「自分」を探し出す旅です。60歳を過ぎ、多くの義務感の中で生きてきたそれまで、これからはそれまで以上に「自分」というものを見つめられるチャンスでもありますね。否、何も見つめなくともそれも本人の自由な選択。第2の職場を選び、そこに情熱を燃やすもいいですね。私の場合、少々貧乏してでもいいから心の自由を選択したい。なるべく3次元的世界から離れ、心の飛翔を試みたい。近頃、般若心経に写経を通じて毎日はまっておりますが、全272文字中「無」という文字が21文字もある。これについて書きだすと長くなるので、それは後に譲りますが、3次元社会で大切とされれているものは、すべてが「無」ということ。だから、3次元の中にいて「無」を生きるのではなく、5次元に魂を置いて身のみを3次元の中の「無」を生きるということなのかな。まあ、その前に何が「無」なのかを解らないといけませんね。60歳を過ぎると、そういう思考の幅が増え、何に価値観を見出すべきなのか、選択すべきでしょうね。今年の京都の桜は1週間遅いと言われていますが、ここ清水寺傍の二年坂のしだれ桜は3分咲き。手前の禿げ頭が目立ちますね。なんせ、人、人、人の波少し、疲れたかな。
2012.04.03
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