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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。厳しかった残暑が、嘘のようにガラッとめくれたページのように秋めいてきましたね。今、旅先です。ちょうど台風が来るということで、復旧業者も観光客も島には来島されないだろうという読みから、プチ旅を楽しんでいます。一昨日は、日本百名山の一つ、栃木県の那須岳を登ろうと勢い込んで行きましたが、山頂付近は濃いガス、強風と雨に祟られ諦めて下山いたしました。やはり、台風の影響を受けているようです。今頃島では、荒天対策を講じているだろうなと思いながら。昨日は、以前から気になっていた那須高原にある「ステンドグラス美術館」に行ってきました。ここは、中世の貴族の館が残る英国のコッツウオルズ地方の石造りの建物に、1800年代中心のアンティークなステンドグラス、パイプオルガンやオルゴールが配され、非日常の世界に身を浸すことができます。日本に居ては、なかなか体験することのできない中世の教会といった所です。「想い」というのはエネルギーです。神社仏閣にも相通ずるところの厳粛な空気は、多くの人達の「祈り」という想念が作り出した空気かな。心を震わすパイプオルガンの響き、多くの人が祈ったであろう礼拝堂、・・・なぜか、涙がこぼれてしまった。過去生のどこかで、こういう場所で一心に祈りをささげた自分がいたような気もします。あまり教会美術には興味が薄かったのですが、頭の中で否定?していたような中で、実際にこの身を置いてみると、キリスト教も仏教も、どんな教えでも相通ずるものなんだなと。先日、アメリカで牧師さんをやっていらっしゃる日本人の方が私に会いに来られて、2日に渡り話を聞かせていただき、させていただく機会に恵まれました。やはり、多くを語り合ったその中でも大きな共通点は「感謝」でした。前回の記事に書いた「唯識」(ゆいしき)という教えも、結局は「感謝」というところに行きつきます。日々の日課をこなしていく毎日に、その中の一瞬でもいいから「ありがたい」という想念で身を包みたいですね。もし、那須に行く機会がありましたら、ステンドグラス美術館を覗いてみてね。入館料が1200円となっていて、ちょっと高いな~と思っていましたが、入ってビックリ見てびっくり、1200円以上の感動がありますよ。(変な言い方だね)1000円に割引になる前売り券が、主なホテルのフロントで買えるようです。(宿泊客を装った方が自然かな~)ステンドグラス美術館館内は撮影禁止なので、他所から画像をお借りしました。
2012.09.29
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メールはこちらからようこそ、お越し下さました。ペンション晴耕雨読のホームページをアップしました。http://www13.plala.or.jp/seikoudoku/以前からのHPは、ある事情により閉鎖してしまいました。それから、多くのお客様から問い合わせ等があり、それではということで急きょ安直なHPを作りました。今回のは、いたってシンプルで簡単なもので月額480円のHPです。今後少しずつ、体裁を整えていきますね。さて、今年の暑い夏は平年なら30度に届く日は少ない島でも、連日それを裏切られています。でもここに来て、朝晩はすっかりと秋めいてきて、早朝ジョギングの再開ができるようになりました。お客様も、ぐっと少なくなりましたからね。やはり、夕方よりも早朝の方が走るのに気持ちがいい。朝食前だから、走るエネルギーは体の中に貯めこんだ脂肪を燃やします。その燃焼度は、夕方の1.5倍とか。まず、血中脂肪から始まり、内臓脂肪、皮下脂肪と移ります。疲れの原因である乳酸が筋肉に残らない程度の心拍数で走ればいいのですけどね。心拍数を120程度に抑えればいいのですけど、どうもそれ以上に走ってしまう。今は、平均で125~135くらいか。これは、有酸素運動と無酸素運動のギリギリの境。ただ、走った日の午前中は、少し下半身に疲れが残るかな。8kmを60分かけてゆっくり走るのですけど、高低差100mのアップダウンがありますから心拍数も上がります。61歳という年齢からすると、少しやり過ぎかも。いつも、折り返し地点のお地蔵様に手を合わせ、こうして自分が存在していることへの感謝の気持ちを伝えます。そして、般若心経を唱え、マントラを唱和する。最近は、この般若心経にのめっています。「般若」とは、「人には知ることのできない原理」を指すそうです。ここで言うところの「人」というのは一般的衆生を意味します。多くの一般大衆には、とても知り得ぬことのない宇宙の真理を「般若」というのですね。般若心経は、それを解りやすく紐解いた大乗仏教の入門書と言えるかもしれません。そして、般若心経を語るには、避けて通れない「唯識思想」があります。「唯識」は、4~6世紀にインドの無著(むじゃく)と世親(せしん)によって大成されたものが日本に伝わったもの。私がよく引用させていただいている「目の前に展開される現実とされるものは、自身の内面の投影である。」という考え方が、この「唯識思想」です。般若心経の「空」という思想、「無」という概念に通じます。これは私の・・・否、求道者の永遠のテーマでもあり、これからも当ブログで私なりの観方を展開していきたいと思っています。さて、唯識で言うところの「内面の投影」というのは何なのか。これを一言で言えば、自分自身の波動レベルがどれだけかということかな。刹那刹那の波動ではなく、過去生から今生までの総合的波動レベルを意味します。未精算のカルマから、3次元世界の最終章と言われる今生での「調和」レベルが問われます。その調和の度合いによって、現実が展開されていくということか。糖尿病で例えるなら、採血時の血糖値がどうあれ、血液中のヘモグロピンA1Cの数値が、過去数か月の実態を写し出す「糖尿病値」ということを内科医の先生が言われます。人間の波動とは、もっともっと長期のスパンでの総合人間力とでもいえるのでしょうね。勿論、現実とされる事象に、本人がどう向かって行くかが調和度を高めていく要諦であるのはご承知の通り。不都合な現実が展開された時、学びの為の不都合ですからそれを逃げていたのでは前には進めませんね。そこには「感謝」という、調和に戻す強力なすべを為せば前進できます。そしてまた不都合、それを感謝。更にまた・・・・・これの繰り返しで、波動レベルがどんどん上がり、目の前の現実から一切の不都合が消滅されていきます。私が島に移住しようと決心した20年前、子供のころからの極貧生活から家族には金の苦労をさせたくないというトラウマが育ち、強かったお金への執着心。その命の次に大切と思っていたお金が、どんどん強制的に奪われたあの頃。そして、島での移住先の家の全焼というアクシデント。さらに、消火活動での一酸化中毒による入院。生死を彷徨った中での、いただいた命。そして、1年半前の地震と津波・・・・・そんな、選択の余地すらない強制的な天による剥奪。無理やり私から余計なものをどんどん剥ぎ取られ、生かされた命のありがたさと、心からの「感謝」を学ばせていただいた。通常の不都合を展開させて・・・なんていうものではなく、もっと波動アップのスピードを速める手立てとして、こんな形で「調和」への道をつけて下さった。そして今、私の目の前からは「不都合」というものは消滅したかのような平穏な日々。ありがたいですね。「鏡(かがみ)から、我(が)を取ると神(かみ)になる」と言われています。私達のすべきことは、「唯識」という大乗仏教の哲学を学ぶことではなく、自我が織りなす不都合という形の「不調和に生きているよ」という教えを謙虚に受け入れ、それを超えて安らぎの心静かな日々を送り、究極の目的である「解脱」に近づこうということですね。今日はこの辺で。キノコ雲のような・・・・・田代島の向こうの、奥羽山脈にその身を隠そうとしているお日様
2012.09.13
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