日常 0
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先々週の火曜日母が目眩がすると言って不安になり、翌日病院に連れて行くと、季節的なものであまり心配する必要もないと言われた。しかし、いつも元気だった84歳の母が元気をなくした。不安だった。就労移行支援には行っていたけど、私も調子悪くなった。イライラして衝動買いをするようになった。ちょっと躁状態だった。この前の日記に書いたマクドナルドへ行ったのもそんなときだった。行くはずだった企業実習にも行けなくなった。これではいけないと思い、かかりつけの精神科医へ・・・不安定と言うことで薬が増えた。睡眠も足りていない。薬もらって徐々に落ち着いてきた。それでもスマホ買い換えたりもした。しかし、今週の日曜日、知合いの先生と毛馬肛門から中崎町までウォーキングした。好天で心が洗われ、適度に運動したことで落ち着いた。今週躁状態が徐々に落ち着きつつある。まだ睡眠は足りていないけど・・・母も元気になってきた。ボチボチ・・・焦らず行くしかない・・・では・・・
2023.10.26
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先週の月曜日から昨日まで2週間の企業実習に行ってきました。実習先は1月に行った企業で2回目でした。実習に行き1週間前企業の方が就労移行支援に来られて今度は2回目だから厳しく観ますと言われた。少し不安だった。そして先週の月曜日実習が始まった。今回私は普通に仕事に行っているように淡々と仕事することが目標だった。しかし2回目と言うこともあり、よく見せようとして少し緊張し、焦った。3日目朝しんどくて1時間半遅刻した。ちゃんと電話もしたし、就労移行支援にも連絡した。そして先週の金曜日就労移行支援の支援員さんが来られて簡単に振り返りした。そこで結構厳しいこと言われ落ち込んだ。時間管理と報連相ができていないと・・・週末思い切り悩んだ。そして月曜日行ったが頭がぼーっとして早退した。でも火曜日から気を取り直し、支援員さんとも相談し、課題を乗り越えていった。木曜日あたりから仕事に行っていることが日常になってきて目標を達成できた。昨日振り返りがあり、遅刻や早退があったけどよく頑張ったということだった。今回自分の双極性障害という病気と向き合うことが多かった。仕事をする上で今の自分がどれくらいできて、それにあわせて計画を立てることが大切だと言うことがわかった。また来週から就労移行支援でぼちぼちやります。では・・・
2023.05.27
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今日A病院に行ってきた。担当の先生はいい先生だ。しかし、これから仕事をしていく中で火曜日通院は苦しい。土曜日にしたい。すべて先生に打ち明けて話した。先生は快く、決めるのはあなたですからと言ってくれた。紹介状を書いてくれた。A病院は前の病院の先生の私が手に負えなくなって入院するために紹介してくれた病院だ。一昨年半年入院し、病気を根本的に治療してくれた。その時は若い優秀な先生に診てもらった。退院してからはベテランの先生に診てもらった。いろいろ思い入れのある病院だった。今日はその食堂でご飯を食べたり、喫茶店でスイーツを食べて堪能した。仕方ない。仕事をする上で病院を変えることは・・・2年半どうもありがとうございました。
2020.11.24
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今日2週間ぶりに精神科の病院へ行った。今日は早めに行って血の検査をした。そして診察。仕事を辞めたこと。その後もあまり調子よくないことを言った。そして母が最近私が薬に対して拒否的なっていると言った。すると先生がこの薬は高血圧の人が血圧を下げる薬が必要なのと同じように絶対飲まないといけない。でないとまた病気が再発すると。その時気づいた。仕事をしていて調子がだんだん悪くなっていくと、薬のせいにした。しかしいやいやだったが今まで飲んでいたので飲んだ。それでも調子が悪いので時々飲まなかった。やはり薬は効くと思って飲まないと効かないものだと思った。今日からしっかり薬を飲んで運動をよくして次の就職に備えたい。では・・・
2020.07.07
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今大変苦しい状況にあります。今週の月曜日、仕事でたいへん無理をしてそれ以降調子が悪い。学校の動画授業の動画作成で無理をしてしまった。そして今週中にもう1本動画を作らなければならない。この苦しい状況で・・・精神科の病院の方は先月2ヶ月分薬をもらったので来月行くのですが、これも調子の悪い原因となっています。今まで1ヶ月ごとに行っていたのですが、2ヶ月も空くと少し不安になってきます。コロナ対策とは言え、1ヶ月にしておくべきでした。でもこの状態を受容し、何とかいい方に持っていき、仕事の方もこなしていかないと。まあ何とかなるさの気持ちでやるしかないですね。調子の悪さはいつまでも続くものではないですし。こんなことを言っていますが、明日になったらケロッと調子よくなっているかもしれないし。まあ焦らず、余裕を持っていくしかないですね。ボチボチね、では・・・
2020.05.20
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昨日今年最後の精神科の通院でした。今月に入って何となく調子が悪く、少し心配でした。母と通院しました。先生に話を聞いてもらいました。最近少し沈んでいますと言いました。具体的に言うとどういうことですかと聴かれました。答えられなかったので、母に息子さんの調子はどうですかと聞かれた。母は何となくいろんなことがあって落ち込んでいるようですと母は答えた。病的なものではなく、対事象的なものですねと言われた。私は調子のサイクルがあまりよくないのといろんなことがあったためですねと言った。先生はそうですねと言われた。このように先生は短時間で的確な処置をしてくださった。薬はそのままでいこうとのこと。毎月1回主治医の先生にアドバイスしてもらっているので安心です。先生はベテランで病院の副院長をされています。しかし性格は気さくでざっくばらんです。時々冗談も出ます。しばらくこの先生に頼っていこう。今年も終わりですね。みなさんよいお年を。
2019.12.25
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昨日今年最後の精神科の通院でした。今月に入って何となく調子が悪く、少し心配でした。母と通院しました。先生に話を聞いてもらいました。最近少し沈んでいますと言いました。具体的に言うとどういうことですかと聴かれました。答えられなかったので、母に息子さんの調子はどうですかと聞かれた。母は何となくいろんなことがあって落ち込んでいるようですと母は答えた。病的なものではなく、対事象的なものですねと言われた。私は調子のサイクルがあまりよくないのといろんなことがあったためですねと言った。先生はそうですねと言われた。このように先生は短時間で的確な処置をしてくださった。薬はそのままでいこうとのこと。毎月1回主治医の先生にアドバイスしてもらっているので安心です。先生はベテランで病院の副院長をされています。しかし性格は気さくでざっくばらんです。時々冗談も出ます。しばらくこの先生に頼っていこう。今年も終わりですね。みなさんよいお年を。
2019.12.25
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みなさん、お久しぶりです。実は3月から昨日まで鬱病で精神病院に入院していました。去年から調子を崩し、仕方なく入院しましたが、はじめの3ヶ月は良くならず、たいへんでした。6月からは一気に元気になり、昨日に至りました。こんなに入院したのは初めてです。そこでいろんなことを経験しました。いろんな人に出会いました。長い人生を考えてみると、いい休養だったと思います。しばらくは自宅療養です。ボチボチ行きます。
2018.08.26
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この前のブログで散歩しようと書きましたが、続きませんでした。5月に入って気分も新たに頑張ろうと思ったけどダメでした。しかし、徐々に元気になってきたので、今週もう一度散歩にトライしました。短い距離です。でも続けることが大切。毎日15分歩きました。すると昨日の夜はすごくしんどかったのです。しかし、寝る前は楽になりました。今朝も早く起きれました。今日は元気です。今まで昼間でもベッドに転がっていたのに、今日は全く。買い物にも行きました。もちろん散歩も。タイミングがよかったのかなあ・・・でも続けることとが大切。これで鬱が完全に取れてくれれば・・・
2017.05.11
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4月に入ったころから不調で、仕事まで辞めてしまった。辞めたのは4月中旬。よくなるだろうと思ったが、いっこうによくならない。自分でも鬱かなと思っていた。家に閉じこもってベッドにゴロゴロしているだけ。無理やり映画や買い物に出かけたりもした。疲れるだけだった。先週土曜日かかりつけの精神科医に行くと、これは明らかに鬱で、休養が必要です。必ず治りますと。それから焦ることなく思い切り休養した。母の理解もあった。昨日あたりから持ち直してきた。風呂で鼻歌が出るようになった。元気な証拠である。今朝も早く起きれた。ずいぶん改善した。でもまだ完治していない。今日は散歩でも行ってこよう。仕事は5月に入ってからだ。ぼちぼち・・・長いトンネルだった・・・
2017.04.27
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6月に入って、急に眠れなくなった。その前からも、今の職場はプレッシャーを感じると思っていた。はじめ、眠りが浅かったり、中途覚醒だったりだったが、だんだん眠れなくなった。仕事は週3日なのに、何でこんなことになるのか?予習のプリントが作れなくなる。まあ、今の職場ははじめから何となくあわなかった。いくら非常勤講師でベテランだと行っても、何も教えてくれない。すべて自分から聞いてまわった。生徒たちは人なつこいが、テンションが高い。合わせるのがたいへんだ。でもいろいろあったけれど、最終的に眠れなくなり、先週の土曜日、かかりつけの神経科に駆け込んだ。状況を説明し、診断書を書いてもらった。そして学校に連絡すると、今までは非常勤の場合大概クビであった。その方がすっきりするし、病気の治りも早い。しかし、今回は少し待ってくれ。1学期もあと少しなので、先生の穴は教科でもつ。2学期以降はゆっくり考える。うれしいような、でも無理だ。私には合わない職場だ。もう思い切って以前やりたいと思っていたことをしようと思うのに。迷惑をかけた。でもこっちも早く病気を治したい。どちらにしても、神経科の先生にもらったクスリで早く熟睡できるようになること。でないと疲れもとれない。神経科の先生は今状態が良くないから、とにかく休んでくださいと・・・今夜もしっかり寝よう・・・では・・・
2016.06.25
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教員採用試験落ちてから、ずっと軽い鬱だった。やたらとストレスがたまり、やたらと食う。そして眠れない。でも、この前書いたように、いつもどおり当たり前に、毎日していくと、鬱が飛んだ。今はすごく楽。昨日少し、興奮しすぎて眠れなかったけど・・・やっぱり、鬱は苦しい。
2013.09.13
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やっと絶不調だった5月が終わろうとしている。最近調子はまあまあ、いい方向に向かっている。それにしても苦しんだ。ゴールデンウィークはしんどくてほとんどリラックスできなかった。それからも調子の悪い日が続き、二つの歓送迎会にいけなかった。仕事の方も予習におわれ、大変だった。そして医者には通っていたが、薬でも大変だった。食後に飲んでいたルーランをウィンタミンに変えるところまではよかったが、夜寝る前のルーランをやめるかどうか。脳が崩壊するような感じがして、記憶が一部ぶっ飛んだりもした。それで、昼間にルーランを飲んだりしたが、やっぱりよるしんどい。脳崩壊。結局ルーランはやめました。それでいこうと思う。この間母や生徒には迷惑をかけた。調子は徐々によくなりつつある。ボチボチいこう。6月がいい月でありますように。まあ、マイペースでいくだけです。
2012.05.31
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ゴールデンウィークから調子が悪かったが、ようやく元気になってきた。先週もひどかった。自分で物事が判断できなくなり、行くはずだった歓送迎会にも行けなかった。そして今週月曜日、病院へ行き、食後飲んでいたルーランをウィンタミンに代えることになった。すると少しずつマシになってきた。仕事も楽になってきた。まあ、薬だけではなく、悪いバイオリズムから抜け出せたのかもしれない。でも新しい優秀な薬より、昔からの薬の方が効くとは・・・まあ、昔から薬を飲んでいる私にとっては、その方が合っていたのかもしれない。しかし昨日の朝方、脳が崩壊するような症状に襲われた。記憶もみんなぶっ飛んだかと思ったが、自分で努力してみた。この間自分で何でも考えるようにしている。医者や薬に頼る前に、自分で何とかならないか考える。そうすると何とかなるものである。大変苦しかったけど、何とか抜け出せた。次波が来たときもまず自分で考えよう。その上で医者に頼ろう。
2012.05.19
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今日は授業は2・3時間目だけで帰ってきた。5月の終わりごろいったん調子がよくなったのに、6月に入ってまた悪い。今週も月・火と眠れず、水曜日は眠れたが授業をしていても眠たかった。そして今日は朝起きたら頭が働かない。何とか学校に行って授業はしてきたが、それ以上は出来なかった。学校には慣れてきたが、その分テンションも上がって、薬が変にきいているのかもしれない。特に寝る前に飲む薬。そして自分ももっと頑張ろうとする気持ちが強くなりすぎて、焦り気味である。これからはもっと気持ちをゆっくりもって、焦らず行こう。来週休みをもらったので、薬で調子悪ければ病院へ行こう。とにかく焦らず、ボチボチ行きます。
2010.06.10
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最近少し睡眠がおかしい。早く目が覚めるが、熟睡感もないが、しんどくもない。すごく変な感じだ。でも、高校に復帰してから本当に調子のよかったことはない。でも乗り越えてきている。それでいいんじゃない。思いっきり調子がいいとか、思いっきり調子が悪いとかより、調子が悪いながらも何とかやれている。今、学校にも慣れてきて頑張りたいという気持ちが強い。でも心がついてこない。仕方がない・・・マイペースでやるしかない。頑張れないんだもの・・・人生ってそんなもんだ。何とか自分と折り合っていかないと・・・では・・・
2010.06.08
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先週通院し、先生から万全じゃないと言われた。先週も調子悪かったけど、今週も調子悪かった。今週は月から木と熟睡できなかった。水曜日の晩はあまりにもしんどいので、9時前に布団に入った。それでも熟睡できなかった。でも、10時間くらい布団に入っていたので少しマシになった。今週は学校でもいろんなことが起きた。ずいぶんストレスを溜め込んだ。昨日帰って、夕食をとり、一度ごろり・・・1時間くらい寝ていたか・・・それから起きて風呂に入ったり、日記を書いたり・・・そしてTVを観て寝るのが遅くなった。眠れたが、朝起きたがしんどい・・・朝食を取り、ネットを少しやって家事をしてまたごろり・・・ちょっと調子悪い・・・?4月はそうでもなかったのに・・・まだ万全ではないのか・・・季節的なものか・・・?まあ、どちらにしても規則正しい生活をしていこう。今は無理が利かないみたい・・・ボチボチいきます。
2010.05.15
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現在、ほぼ元に戻ったが、病気になってここまで来るのに約3年かかった。中学校で2学期から荒れたクラスの担任になってからおかしくなり、3年前の春一番おかしかった。講師だが、仕事も辞めた。統合失調症になってしまった。一人で何もかも背負ってしまった。まわりに信頼できる先生がいなかった。親友を頼ればよかった。母に不動尊の道場に無理やり連れて行かれた。余計にこじれてやめた。4月に入り、これも母にセカンドオピニオンを求め違う病院に連れて行かれた。でも、そこの先生がいい先生で、見てもらってもよかったのだが、ずっと見てもらっている先生に見てもらった方がいいとその先生は言われ、結局元に戻った。そして治療再開。セレネースに替えエビリファイ使うもあわず、結局セレネース。6月から8月にかけて郵便局のアルバイト。東北への旅行。そしてまた10月から12月にかけ、郵便局でアルバイト。ここで膝を痛める。翌年、ハローワークで仕事探すも行くことでしんどくなった。派遣のアルバイトするも、あまりに過酷な仕事にすぐやめる。4月から郵便局で長期のアルバイトするも、痛めた膝が悪化して7月にやめる。夏の終わりに沖縄の久米島へ旅行。うじうじしているところに、中学校から講師をしないかの話。散々迷ったが仕方なく行く。始め1~2ヶ月の予定が半年に延びて、3月のはじめにうつになり途中でやめる。薬が替わる。寝る前にレスリン追加、食後にセレネースに替えてルーラン。治療とリハビリに専念する。散歩、英会話、天声人語を書き写す。6月にバイト許されるも、どこもこの40男を雇ってくれない。そして教員採用試験、そしてバイトが見つかった、知的障害の子どもの相手をする仕事。7月下旬から8月中旬まで。長崎へ旅行へ行こうと思ったら、40℃の高熱。9月に長崎旅行。そして高校の講師をするために布石を打つ。するとまた高熱、今度は肺炎になった。何とか治りかけたころ、ある高校から講師をしないかと。10月からはじめる。やればやるほど元気になってきた。でも暮れには薬のことで先生ともめたりした。しかし年が変わるとがらっと変わった。調子がいい、以前のように動ける。でも試行錯誤しながら何とかやり終えた。そして今年度の講師を待ち、今の学校に決定し、勤めている。こうしてみると、ほんと試行錯誤です。でも決して諦めなかったことと、絶対治ると思っていた。それは若い時、今の先生と一緒に治した経験があったから。それにまわりに信頼できる親友や友人、先輩がいた。14年間高校で講師した経験もあった。いろんな人の力を借りて3年で治すことが出来た。もっと苦しんでいる人もいるし、もっと早く治る人もいる。でも決して諦めないで下さい。そうすれば絶対治ります。
2010.04.17
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昨日は1ヶ月ぶりの通院日でした。病院に着くと、患者さんは少なく、すぐに診てもらえました。この間精神が安定していたこと、講師の話を待っている時でもいらつかなかったこと、講師の話が決まったこと、同窓会のこと、去年自殺した友達のこと、教員採用試験が受けられるようになったこと、離任式で一発芸をしたこと、新しい学校のことなどです。先生はすべて受け止めてくれて、新しい学校では、肩の力を抜いてやって下さいと・・・薬もいままで通りで、特に変わったことはなかった。私が若いころも、最近も病気から立ち直ることが出来たのは、いろんな人の助けがあったからだ。先生もその一人。大きい存在である。あとは家族と親友。特に親友の存在は大きい。かけがえのない友、それが私を立ち直らせてくれた。その友はみな、大学時代に知り合った。自分が思い悩んでいる時である。それでも自分はラグビーもやり、ゼミの友達とも関わり続けた。そうして出来た友だから、そう簡単には崩れない。中には見捨てていった人もいた。でも残った友は貴重である。これからも親友を大切にしていきたい。
2010.04.11
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今、本当に元気になってきた。好きな仕事をやっているおかげもある。長年付き合ってきた先生にちゃんと治療してもらっているおかげもある。いろんな友人や家族、職場の人に支えてもらっていることもある。ただ、去年、再びうつを発症してここまで元気になれたのは、一時期確実に治療に専念したことにあると思う。去年3月中学校で働いてた時うつになったが、それから6月までの3ヶ月治療に専念した。先生から新しい薬をもらい、慣れるまで我慢した。少し元気が出てくると、散歩に行くようになった。そしてラジオ英会話を聴くようになった。そして天声人語を毎日書き写すようにした。こうしたことをほぼ3ヶ月した。自分の中にも早くアルバイトしたいという気もあったが、我慢した。これでずいぶんよくなった。まだまだ不完全だったけど・・・でも自分でしっかりリハビリをした。それからアルバイトを探したがなかなか見つからなかったけど・・・今、心の病で苦しんでいる人に言いたい。決して焦ってはいけないということ。焦って仕事に戻ったり、アルバイトをしても同じことを繰り返すだけである。ここは神様が休養しなさいということで、じっくり休養し、鋭気を養うこと。そして少し元気になってきたら、自ら自分にあったリハビリをすること。最終的には自分の体も心も自分で治さないといけないと思うのです。病気なのに、やたら目ったら外に出たがる人がいますがそれはいけません。自分の心と体の許す範囲で、とどめておくべきです。さっきも書いたように病気は神様の与えた休養です。ゆっくり休んでください。では・・・
2010.03.17
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私は今高校で非常勤講師をしています。話がなかなかなかったが何とか仕事にありつけました。でも、決して無理をしていません。高校の講師はできると思ったからやったし、必要以上のことはしません。非常勤なので授業さえキッチリやればいいのです。それでもしんどくなることもあるし、眠れないこともある。でもそこで、頑張ろうとか逃げようとか思いません。ありのままの自分と上手に付き合ってあげることです。しんどい自分があれば、無理をせず、休みであれば寝るし、眠れなければその日は頑張って眠れるのを待つ。そしてあとは自分の欲求に従って生きる。何とかしようなんて思いません。具体的に話すと、生活する上で最低限のこと、仕事も含めますが、それ以外はやらない。時には発散もしますが、それは逆に後に疲れを残すだけです。自分の体と心と上手に付き合わないと、病気を悪化させるし、逆に上手に付き合っていくとだんだん元気になる。これは心の病だけに限ったことではありません。この年になると自分の体のことがいろいろわかってきました。自分の状態に応じて生きていきたいと思います。皆様も心と体に気をつけて。
2009.11.03
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今、散歩から帰ってきました。散歩は4月下旬に始めたんだけど、だいたい毎日している。でも、中学校講師をしている時おかしくなって、休職したころは何もできなかった。医者に行くのもタクシーだった。しかし、軽い抗うつ剤のレスリンを処方してもらい、セレネースがルーランに変わり、家で休養しているうちに病気は少しずつよくなっていった。その間もいきたいところには行った。京都のサクラ、甲子園の高校野球。そして病院にも歩きと電車で行けるようになり、ゴールデンウィークに突入。ここでいいことがあった。従弟の結婚式で叔父や伯母から優しい言葉をもらったそして5月中旬からラジオ英会話と天声人語を写すことを始めた。それからは平凡な日々の積み重ねである。家事を手伝い、天声人語を写し、ネットでいろいろ遊び、散歩に行き、ラジオ英会話を聴き、それを写す。そして母の儀式。それで1日が終わっていった。今日散歩に行って、明らかに自分が元気になっていることを再確認した。平凡だけど、薬にしろ、それを続けることがいかに大切か。結局それが病気を治すんだ。これからもマイペースで行きます。
2009.06.02
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今日は午前中、病院へ行ってきました。行くと、患者さんが多く、ずいぶん待たされました。その間もずっと本を読んだり、メモをみたりして座っていました。そして診察。この1週間安定していたということ。少し早朝覚醒があったこと。日課である、散歩、ラジオ英会話、天声人語を写すことは欠かしてないと言った。これからのことは、まず、高校から講師の依頼があった場合、行こうという気持ちになれば行けばよい。その気になれなければ行かない方がよい。あと、アルバイトだが、体ががたがたで今肉体労働ができない。できるのは事務とかレジくらい。しかしあえて探さず、今のペースで行って、頼まれればやると言うくらいの気持ちで行く。中学校の講師はしない。薬はいままで通り。これで2週間。その間、健康診断もあるし、整形外科や歯医者、耳鼻科などに通う。そして体を万全にする。まあ、こんなもの。ボチボチいきます。
2009.05.26
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いきなりですが、心の病にかかった時、心の病といってもいろいろありますが、うつ病、統合失調症、パニック症候群などなどありますが、自分の素直な心に従って行動することがベストだと思うのです。鬱で自殺したくなったらどうするのかという人もいると思うのですが、自殺は結局まわりのいろんな状況の中で耐えられなくなってするものであり、素直な自分の気持ちではないと思うのです。心の病になった時、家に閉じこもりたいと思ったらこもればいいと思う。体を動かしたいと思えば動かせばいい。音楽を聴きたいと思えば聴けばよい。心の病になっている時は、心のエネルギーは落ちているので、あまり何もしたくない場合が多い。そんな時でも、自分の小さな欲望に従っていくのがいい。暴れたい時もあると思うが、暴れたい時は暴れてもいいと思う。自分の心を解放し、小さな自分を育てていくことが大切。でも、それだけではダメですね。やはり専門医に診てもらわないといけない。行きたくなければ親や伴侶がいれば行ってもらえばいい。一人で行けなければついてもらって行けばいい。歩いて行けなければ車やタクシーで行けばよい。行ってみて医者が合わなければ変えればいい。すぐに変えることは勧めません。心の病はそんな単純なものではありません。医者には自分が思っていることはできるだけ何でも言うべきだと思います。コミュニケーションを拒否する医者は避けるべきです。その上で、医者の言うことはできるだけ聞くべきです。そして次に行った時、薬など変わった場合とか、いやどんな小さなことでも医者にその内容を報告すべきだと思います。医者とは二人三脚で行かないと病気は治りません。そんな中で自分の病を自覚し、それに立ち向かっていくことが大切です。しかし、そんな時でもしんどくなる時もある。そんな時は心を休めばいいと思う。とにかく本当の自分が思った通りすればいい。後ろ向きになることもある。それは仕方ない。あと、家族の協力、これが一番大切。なかなかわかってもらえない場合が多い。私もそうだったが、自分が病気と闘っている姿勢がわかるようになると、わかってもらえるようになってくる。そこまで大変だと思いますが・・・元気になってくれば、いろんなところに行った方がいい。そしていろんな人とふれあう方がいい。ただし、これも段階的にね。基本的には、焦らず、慌てず、諦めず、の精神でゆっくりといくべきだと思います。私も含め、皆さんの病気が治りますように。では・・・
2009.05.16
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最近調子がいいとブログにも書いてきましたが、ここにきてちょっと調子を崩しました。それは一昨日の晩、去年の秋から母にやってもらっている儀式を、もう調子がいいからいいといってやりませんでした。するとその夜、熟睡できず、早く目も覚め、ご飯も食べたのですが、どこか調子が悪い。それで、午前中何度もベッドで寝ました。でも調子がよくならない。昼からは何もできない状態が続きました。夕食を食べ、散歩に行きましたが、それでもダメ。そしてやっぱり母に儀式をやってもらうことのしました。そうすると少し治まりましたが、まだまだ調子悪かったです。そして寝て、今日もそこそこの時間に起きましたが、朝食を取りまた小一時間寝ました。そしてやっと調子が少し戻りました。やはり、ちょっと調子がいいからといって今までやってきたことを止めてはいけない。また病気が治っていくのはそう簡単なものじゃない。365歩のマーチじゃないけど、3歩進んで2歩下がる的なものだということ。そういうことにあらためて気づかされました。まあ、ボチボチやっていきます。
2009.05.02
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この前、京都へ行ってサクラに感動したので、ちょっとしんどかったけど、造幣局のサクラの通り抜けに行ってきた。きれいな桜を見ようと思ったが、それよりも難敵は人混みだった。人、人、人。これでは今の精神状態ではどんな桜を見ても感動しない。ストレスがたまるだけである。なんとか最後まで行ったが、疲れていた。そして梅田に出て、欲しいものがあったので買い物したが、そこでダウン。急いで電車に乗って帰った。家に帰ってうちの飼い猫シロとずっと一緒に寝ていた。夕方になって疲れはとれたが、違和感は残っている。もう当分遠くへ行くのはやめよう。散歩すらできないのだから・・・つらいけど我慢するしかない。それより、今日のように焦って体調を崩すのがもっと恐い。ゆっくり行こう。
2009.04.16
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昨日は通院日でした。昨日は患者さんが少なく、先生も診察をゆったりとってくれました。この前もらったレスリンという抗うつ剤は、最終的にはいい方に働いてきたこと、眠れるようになったこと、でも集中力や持続力は衰えたままであることなど話し、そして長年飲んできたセレネースという薬が、副作用が多いので、違う薬に変えて試してみようということになり、先月から少しずつ飲みかけたルーランという薬に変えました。そして薬局で薬をもらい、レストランで食事をし、教員採用試験の説明会に行ってきました。これも元気な時に応募していたので行くか行かないか散々迷ったのですが、若い人とふれあえる、数少ない機会だったので行きました。でも、最近の若い人は真面目というか、みんながそうするからするんだと思うのだけれど、教員採用の説明会ごときに、みんなスーツなんだね。まあ、リクルート活動の一環と思えばわかるけど、わたしたちの時代と比べると、隔世の感があります。わたしたちの時代は説明会自体がなかったし、面接以外の試験は私服で行っていました。そして去年採用された先生達のパネルディスカッションもあったんだけれど、ああ、こういう子が通るんだということがよくわかりました。最近の子は私たちのころに比べ、地に足が着いているんだなと思いました。ただ、こいつはただ者じゃないという破天荒なやつが少ない気もするんだけど・・・昨日はバテました。このブログも昨日書く予定だったのですが、疲れ書けませんでした。まだまだ体力も精神力も戻っていなと感じた昨日でした。
2009.04.05
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今日は通院日だった。中学校の講師を事実上辞めてから初めての通院日。患者さんがいっぱい。それに加え、初診の人が多い。ずいぶん待たされた。途中、ミスドへ行ったり、昼食取りに行ったり、診察は1時半頃だった。先生も疲れていて、今日は特に薬等の変化なし。とにかく休養しなさいと。自分が言い出した同窓会も今は行かない方がいいと。講師の話があっても今は受けない方がいいと。とにかく、今は治療に専念しろと。自分の心を大切にしないと。地道にゆっくりいこう。焦っちゃ行けない。
2009.03.21
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今週ずっと学校休んでいる。その間もいろんなことがあった。月曜日、学校に行けなかったので、採点したテストなどを、母に学校に持って行ってもらった。次の日も行けず、こんどは成績表を母に取りに行ってもらった。とにかく行けなかった。そして次の日、管理職に、診断書が出ているのだから病休にしてくれと言った。でもそれを持って成績をつけにいつか自分が絶対に学校に行かなければならない。取りあえず、今日までの病休にした。そして3日がかりで成績をつけ終えた。普段なら何時間でできることなのに・・・この1週間授業をしていない。他の先生には大いに迷惑をかけた。でも、できないのだ。頭が働かない、すごく疲れやすい・・・来週、成績をつけにいくだけで終わるかもしれない。でも、諦めてはいけない。自分のモットーである、毎日毎日を大切にする、そして、焦らず、慌てず、諦めず。自分に負けたら絶対ダメだ。
2009.03.13
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今週は最悪でした。月曜日、非常に不安定な気持ちで学校へ行きました。何とか授業はこなせたものの、本来の自分の授業にはほど遠いものでした。そしてその日会議があって、それがすごく長くなり、すごく疲れました。火曜日は、すごく自律神経がおかしく、立っているのが精一杯でした。もう限界だと思った私は、夜、校長先生の家に電話し、明日からの勤務は無理ですといってしまった。しかし、校長先生は、あと少しだし、リラックスしてやってくださいと言われた。次の日はもう体も心も悲鳴を上げ、休んだ。そして木曜、金曜と何とかごまかしながら行った。そして来週からテストだというのに、この混乱状態で、テストが作れず、相方に頼んだ。みんなに助けられながら何とか乗り切った1週間だった。そして、昨日帰り、病院へ寄った。心のエネルギーが落ちていること、思考力の低下、頭の中がごちゃごちゃ、活字が入ってこない、など先生に言った。そしてこの状態薬で何とかならないかと聞いた。現状の薬では限界だった。新しい薬としてルーランという薬を追加してもらった。薬にはたよりたくないが緊急事態である。昨日、そして、今日朝と服用したが、頭のごちゃごちゃや、活字が入らない等が少し改善された。そして、今日、久々に父に手を合わせた。何か救われた思いがした。少し落ち着いたのである。やっぱり、父には毎日手をあわさんとダメだ。3月がいい月になりますように。2月は自分の気持ちの面でも負けていたかな・・・いろいろあったけど・・・早く体調をもどさないとね。支離滅裂ですみません。
2009.02.28
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今日、昼から梅田に出かけた。梅田の駅について、商店街を歩いていると、体に変な重みを感じた。そうだ統合失調症になったのが2年前の今頃だ。何とか修学旅行で生徒をスキーに連れて行ったのだけれど、あとはもうダメだった。あの時、寝ている時、意識を失いそうになったことがある。寝ている時だからよくわからないけど、あの時一度死んだ気がした。でも生きている。007じゃないけど二度死ぬのかな。そして堂島ロール買いに行ったら長蛇の列。腹痛がひどくなってきたのでやめた。昨日調子よかったので薬昼夜と抜いたのがいけなかった。今日は朝から飲んでいるが、まだ治りきっていない。喫茶店で休憩。ケーキセット。そして別のロールケーキを買って帰った。しつこいなこのお腹の風邪は!
2009.02.07
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さっきまで、教育テレビで統合失調症の番組を見ていた。統合失調症を発病し、やっと信じ合える先生に巡り会い、父も一緒に語ってくれた。いろんな言葉を家中に貼り、今、漫画を書いている。そんな彼女の話だった。自分も2年前、統合失調症になった。中学校の講師をしていて途中から担任を持ち、それが激務だった。そして講師をやめ、家に引きこもった。しかし、母が不動尊の道場に無理やり連れて行き、病状はこじれた。幻聴が聞こえ、一人で外に出られなかった。しかし、元教えがからメールが来て元気をもらい、少し出れるようになり、徐々に病気は回復に向かった。その間も病院に通い続けた。そして郵便局の短期のバイトも始めた。フリースクールのボランティアもしたが、長続きしなかった。そして去年の3月、病気になった中学校の卒業式に行き、その生徒に、「先生の授業受けられて良かった。」と言われ、再び講師を目指すも枠がなく、郵便局のバイトを始めた。しかしそのバイトがきつくてからががたがたになった。そしてやめて鬱々としていた。そして沖縄の久米島へ行った。良かった、一生住んでもいいと思った。猫のメリーが病気になり、弟と毎日病院の日々。そんな時、前の学校の信頼していた先生から、中学校で講師をしてみないかの電話。高校へ行きたかったので迷ったが行った。ちゃんとしゃべれなかったり、判断が悪かったり、試行錯誤の去年だった。年末、ある先生から私の悪いところを指摘され、悩んだ。でも、親友との再会、教え子との忘年会、大学時代のラグビー部の忘年会。いろんなことがあり、自分で去年の日記をまとめ、自分なりに今年の方針を出した。真面目にいこう、とシンプルに決めた。そして今年生徒と接している。ずいぶん、以前の感覚が戻ってきた。まだまだだが、自分に表情が出てきた。とにかく少しずつ元気になってきた。仕事をしていてしんどいこともあるが、何とか立ち向かえる。今日も久しぶりに、若い先生達と馬鹿話をした。こんなこと前の学校以来のことである。でも焦らずボチボチいこう、信念を持って。統合失調症は必ず克服できる。
2009.01.16
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2度目の精神的な病気をして今立ち直りつつありますが、精神的な病気の特効薬は、重病の場合を除き、やりたいことをすることだと思うのです。私自身、若い時病気をし、ずっと病院へ通っていました。ある程度治って、いろんなアルバイトをしました。そこで自信をつけ、教職という仕事に就きました。はじめはしんどかったけれど、好きなことだから我慢できた。1年間乗り切ってそれがまた自信になりました。私は音楽を聴くことが好きでいつもそばには音楽がありました。それからは順調でずっと高校の講師をしていました。しかし40過ぎて中学校の講師になりました。そこで過度の負担のため、再び病気になってやめました。統合失調症です。それもある程度治ると、またバイトをしましたが、若い時のように自信にはなりませんでした。そしてこのたび、再び中学校講師になり、体も心もどんどん元気になりました。まだ完調ではありませんが、いい方向に行ってます。私一人の例で悪いのですが、心の病を持っている人は病気に埋没することなく、自分のやりたいことをすることです。どんなちっぽけなことでもいい。やりたいことがわからない人はなんでもすることです。また、鬱の人は何もする気もおこらないかもしれないけれど、自分が小さい時に好きだったこととかをするべきだと思います。復職、就職に関しても同じです。やりたい仕事をするべきです。そうすれば苦労が苦労でなくなるので、病気は快方へ向かうと思います。心の病はまじめな人がかかりやすいので、まじめな人は努力するから、好きなことをやれば、きっと病気は治ります。一元患者の意見ですが、参考にしていただければ幸いです。
2008.11.03
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今日朝起きた時、おかしかった。朝から頭の中が空洞のようになっているみたいで・・・疲れてる。三日前はフリースクールのボランティア、一昨日は大学時代の親友との再会、飲み会、昨日は通院日。以前の自分だったら普通にこなしていただろう。しかし今日これだけ疲れが出るというのはまだまだ病気が完治していないからだろう。通院日は別として、それぞれ楽しかった。フリースクールのことは前に書いたが、親友との再会も楽しかった。しかし、通院日含め、これだけ違うことが続いたので疲れたのだろう。まあ、これからは無理せず、ボチボチやっていくつもりです。心のエネルギーがゼロにならないように。
2008.09.21
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お久しぶりです。と言うのもやっとパソコンを少しばかりさわれるようになったからです。前の日記を書いた後、ほとんど眠れない日も含めて、一睡もできない日が5日続きました。もうその時はしんどく、違和感を感じたので、バイトを休ませてもらいました。しかしそれからずっと家にいます。医者に相談したり、診察にいったりして薬とかもらっているのですが、精神的調子の悪さはいっこうに改善されません。今日は祝日。医者に相談すらできない。今日はとりあえず、じっとして、薬を飲んで寝るしかないか。絶対治るという医者の言葉を信じて。
2008.07.21
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心の病は現代病といわれる。日本でも、戦後まもなくのころの農耕社会ではほとんどなかったと思われる。ただ、ある意味、本当の意味で脳に係わる病気や例外的なものはあったと思う。また、戦前戦中の異常な社会ではあったのではないか。しかし高度経済成長社会が進行する中、物質的な豊かさが得られる中、農村社会や漁村社会はつぶれていった。ただ、このころはみんなが貧しく、みんながだんだん豊かになっていった。ある意味連帯感があった。しかし、オイルショック以降、核家族化が進む中、効率化が求められるようになってきた。農村、漁村から若い人がいなくなり、大都市に人があふれる。社会の大半がサラリーマン化していく。そして日本は世界第2位の資本主義国になる。そしてやってきたのがバブル。バブルが崩壊して、ますます効率化が進む。日本企業も、それまで家族的な日本的経営をしていたが、終身雇用制は崩れ、サラリーマンにとっては会社というよりどころもなくなる。心の病はバブルがおこる少し前から顕著になってきた。効率化や、先が見えなくなってきた社会になってきてからそうなってきた。人間が人間らしい生活を送れなくなってきてからである。われわれの世代はそのフロンティアーといえるだろう。それ以後さらに社会は変化し、個人にかかる負担は重たくなり、それを支える、家族やコミュニティはさらに脆弱になった。そして景気悪化のため、大量の非正規労働者を産むようになった。その上に効率化。子どもの社会でも、少子化、管理教育、遊びの変化の中で、不登校が一般的になってきた。また小泉純一郎政権の悪政によって社会が完全におかしくなった。マスコミに踊らされる国民。まともな人間が生きにくい世の中になった。私自身、2度も心の病になり、ずいぶん生き方が下手だなあと思う。でも、要領よく生きれる人間だけが、いわゆる勝ち組になれるような社会はおかしい。この格差社会の中、心の病になっても病院にも行けない人がいるかもしれない。また、心の病になった人が諦めてしまう社会になりつつある。最近、良心的な人たちが弱者と共に生きようという動きもあるが、心の病の人を孤立化させないように行政も動いて欲しい。これからどういう社会になるか、それは一人一人にかかっている。思いやりのある社会になって欲しい。
2008.06.08
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今日は通院日。患者さん少なかった。しばらく待つと順番が回ってきた。先生に最近落ち着いていること、朝早く起きれていることなどを言った。薬が減った。朝・昼・晩に飲んでいたセレネースが半分に減った。これで楽になる。最近効き過ぎていたから。そしてアルバイトも無理のない程度でやってもいい、就職活動もボチボチなら。セレネースが半分に減ってまだ少し落ち着かないけど、慣れていくだろう。薬に影響って大きいんだな。本当は飲まないに限るんだが、仕方ない。では・・・
2008.03.01
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この前元に戻ったと書きましたが、そうではありませんでした。起きるとまあ普通だったのですが、睡眠がおかしく、熟睡できなかったり、途中で起きてどんどん自分がダメになるような感じを感じたりと・・・元気もなくなって昨日病院へ行ってきました。安定剤として飲んでいるセレネースを倍にすること。睡眠前にもセレネースを飲むことでした。今、ずいぶん落ち着いています。ちゃんと睡眠もとれました。でもまだまだ本調子ではありません。新聞も読めないし、外に行く気もしない。先生もしばらくは休養だと・・・今年に入ってから就職活動だと行って頑張ってきましたが、途中悩むことが多く、その上まだ病気から完全に立ち直っていなかったんだ。土台ができていなかった。昨年崩れた自分の土台はまだまだ強固なものではなかった。そこへ少し無理するとこける。今の状態はその結果だったんだ。これからどうすべきか。やはり土台作りをしなければならないだろう。単純なバイト後1年くらい続けなければならないか。わからない。とりあえず今は休養。
2008.01.29
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ブログ仲間に助けられずいぶんよくなったが、今日ほとんど以前の状態に戻った。あの後もいろいろあったんだけど、昨日NHKで「フルスィング」というドラマを見て気持ちがすっきりした。私はあの主人公のような先生を目指していたんだ。一人一人を大切にする教師。間違ってなかったんだ。たまたまうまくいかなかっただけだ。そして今日大阪女子マラソン。福士加代子は独走したが、途中からペースダウン。しかし、最後何度もこけてゴールインした。悲壮感はなかった。彼女は笑っていた。彼女なりに楽しんだんだろう。この精神も見習いたい。明日からはマイペースで行く。焦らない。仕事がなくたっていいじゃないか。永遠にそうする訳じゃない。やるべき時にはするんだ。自分の呼吸を感じながら・・・
2008.01.27
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ここんところ少し調子が悪かった。去年バイトやっていたときはあんなに調子よかったのに・・・今年に入って就職活動に重きを置くようになった。バイトはしていない。ハローワークいったり就職雑誌で探したりするが思うようなのがない。自然と心が焦る。いったい自分は何がやりたいのだろう?迷路に入っていく。ここで自分を見失い、止まってしまう。それでももがく。今日もハローワークへ行った。頭がパニックになった。本の病気に戻りかけている。薬で何とか踏みとどまっているが・・・いったいどうすれば・・・とりあえず何も考えず休養。
2008.01.22
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今、NHKで震災から生まれた歌についてやっていた。その中に平原綾香のJupiterがあった。Every Day I Listen to My Heartひとりじゃない頭が痛くたって、寝られなくたって、リストカットしようと思ったって、変なものが見えたり、聞こえたりしても、一人で死にそうにつらくても、一人じゃないんだ。同じような苦しみをもっている人はたくさんいるんだ。諦めちゃいけない。絶対大丈夫。そんな時Jupiterを聴いてみて!
2008.01.18
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今日、今年初めて病院へ行った。今日は雨だったが初めての土曜日だったので、患者さんが多かった。ずいぶん待った。途中、ミスタードーナツや本屋さんへいった。診察は特に問題もなく、薬も変わらず、先生も今年がいい年になりますようにといってくれた。ただ、就職活動がうまくいかないといったら、合間にバイトでもいれてからだ動かさないと、考え込んじゃうよ、といってくれた。後もう学校の先生はするかしないか聞かれた。何もすることがなかったらするしかないですね、といった。帰りしな短期のバイトをしようと思って、バイトのフリーペーパーをたくさん持って帰った。家に帰っていいのに電話したが、みんな埋まっていた。まあ、仕方ない。ボチボチ行くしかない。
2008.01.12
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私は高校3年生ころから心が少しおかしかった。半分病気で半分まともな大学生活。苦しかった大学院生活。そして就職したものの、そこで完全に発病。そのころ心の病なんか社会でほとんど認められていなかった。なまけもの!なんて言われた。でも大量に若い人が精神神経科に行くようになったのはこのころである。いつも行く病院でお互いの悩みを語ったものだった。必死だった。ひたむきだった。だって社会はわたしたちの存在を認めてくれない。どうしたら治るか、いろんなことやってみた。でも、なかなか治らない。医者は「長いつきあいになるでしょう。」と・・・そうして何とか治って社会復帰を果たしたのだが・・・私の主治医は「薬は支え、病気は自分で治す。」と言う。私もある程度治ってからいろんなアルバイトをした。鬱状態の時抗鬱剤が効き過ぎてバイト先でめちゃくちゃなことをしてしまった。一つのバイトを自力でやり遂げて自信をつけたり・・・海外旅行にも行った。初めて勤めた学校で全然うまくいかなかったけど、パフォーマンスで乗り切ったり・・・現在、未だに心の病に対する誤解は多い。でも、以前に比べずいぶん理解も広がった。そこで出てくるのが、患者側の意識の問題だ。大変苦しんでいる方もたくさんおられる。でも、軽く「わたし、うつ」なんて言う人もいる。心の病を焦って治す必要はどこにもない。でもやっぱり、どこかにひたむきさが欲しい。ガン患者だって一緒じゃん。治る気のない人は治らない。病は気から。
2007.11.29
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昨夜も熟睡はできなかったが、うつらうつらまあまあ眠れた。こういう状態が4日ほど続いている。眠剤飲んでいるのに、逆効果だ。こういうことは時々ある。まあ正常になるまで我慢しよう。ビデオがつぶれていたので一昨日Video付きHDD付きDVDプレーヤーを買った。それが今日到着した。2月に病気になってビデオの録画しようとする気すらなくしていた。少し前向きになったかな。来月からバイト。ボチボチ頑張りまっさ。
2007.09.29
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昨日、一昨日と眠剤を飲んでいるのに眠れない。少しだけ寝れるんだがすぐ起きてしまう。今日は前任校の体育大会を見学に行くはずだったのに・・・若い先生には絶対に行くと行ったはずなのに・・・体が動かない。何でだろう。今まで熟睡できていたのに。悪いバイオリズムと言ってもちょっとひどい。三日眠れんことはないと思うので・・・せっかく昨日ウォーキングはじめたのに・・・まあ、焦っちゃダメか・・・
2007.09.28
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今日は通院日。朝早く起きたけど、何か心に余裕がない。駅まで20分歩く。電車に乗って10分。歩いて3分。私が通っている病院は予約制ではないので、待たされるときは待たされる。今日は何かしんどい。待つけど遅くて、おなかが減ってきた。12時過ぎてやっと診察。今までの経過について話す。少し調子悪いと・・・先生は、大きく崩れたと言うことはなく普通の人にもある悪い流れですね。悪いバイオリズムにあるということだ。そして薬もらって、レストラン。ここのランチがおいしい。でも食べてまっすぐ帰った。フラフラだった。帰って3時間ほど寝た。少し楽になった。・・・と通院日になるとしんどくなることがよくある。今は元気だ。
2007.09.22
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8月は調子よかったんだけど、9月に入って少し調子が悪い。日によってはもちろん、月によっても、年によっても調子がいいときと悪いときがありますね。そこで出てくるのが占い。占いでもいろいろある。星占い、四柱推命、六占星術・・・何も占いは心の状態だけを見るものじゃないけど、参考になる。私が見るのは、雑誌ぴあの星占い、インターネット、MSNの星占い、niftyの星占い、この辺を総合して判断している。こんなものは人によって違うし、信じない人もいろ。でも、これが結構当たるんだ。悪いときは予防できるし、いいときはそれでいいし。ところで細木数子の六占星術によると、私は今年まで大殺界で、見事当たっている。当たるも八卦当たらぬも八卦とはよく言ったもんだ。細木数子によると今月は悪いらしい。まあ、ほどほどに・・・
2007.09.06
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心の病と行って最近出てくる有名人を上げるとすると、雅子妃殿下と朝青龍だろう。前者から行くと、本当にかわいそうである。彼女が外交官をしていたりりしい姿を思い出すと落差が激しい。宮内庁ははっきりとしたことは言わないが、たぶん心の病だと思う。皇太子殿下もいくら好きだからと行っても立場を考えないと。雅子妃殿下は外で働いてこその人。宮廷みたいな閉鎖ところにいれるべきではなかった。彼女の人生を台無しにしてしまった。紀子様みたいにもっと適応できる人を選ぶべきだった。もし秋篠宮家に男児が誕生していなかったら、天皇制自体未だに論議しているところである。でも、雅子様はかわいそうである。後者だが、サッカーをしていたとか、家が大金持ちであるとか、わがままだとかそんなことどうでもいい。高校時代から日本にきて、角界に入り、最高峰を極めた。彼にとって相撲が取れない、これほど大きなショックはないと思う。モンゴルに帰るときの彼の顔は病気である。解離性障害、私もなったことある。病気とペナルティとを整理できない相撲協会の愚かさには驚く。・・・とぼやちゃった。コメントくるかな・・・?
2007.09.01
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最近本が読めない。読めるときは読めるし、全く読めないわけではない。新聞なんかさらっと見て読みたい記事だけ読むし、インターネットのニュースも同じ感じ。しかしこの本を読もうと思って買った本がはかどらない。病気になってからだ・・・以前はハウ・トゥー本ぐらいなら読めた。中学校という激務の中でも・・・でもこれにはサイクルがある。読めるときは読めるのである。これは普通の人でもあることだと思う。だから心の病の人は波が大きいんだと思う。しんどさにおいてもそう思うし、性欲もそうだ。一番調子が悪いときは男として終わったと思った。これもサイクルがあってあるときはある。私の場合年もあるけど、病気以前に比べてがた落ち。また回復してくるんだと思うけど・・・昨日元気になってきたと書いたが、まだまだ正常には遠い。でも信じている。絶対によくなる。
2007.08.31
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2月に倒れ、そのあと3月までは最悪でした。仕事で疲れ果てたのは心だけでなく、体にもきてました。ふらついてまともに歩けない。ろれつが回らなくて何を言っているのかわからない。薬のせいもあったのでしょう。とにかく誰にも会いたくなかった。ずっと引きこもっていた。ひどいときは風呂の入り方やご飯の食べ方まで怪しくなった。薬はどんどん増える。そんな時、ずいぶん前の教え子からメールが来た。先生元気、みたいなものだった。それがうれしかった。少し前向きになれた。薬もエビリファイに変わった。少し元気になった。でも、ふらつき、ろれつは全く治らない。エビリファイははじめはよかったのだが、結局合わず、セレネースに戻った。この辺は前に書きましたね。とにかく歩いた。小さな目標をつくってクリアしていく。クリアできなくてもくよくよしない。はじめよろよろ歩いていたのが力強くなった。アルバイトに行こうと思うようになった。一つ一つの課題をクリアしていくごとに病状はマシのなっていった。そして今回の東北旅行。無事、一人で行って帰ってこれた。最近、ふらつきも少ないし、はっきりしゃべれるようになってきた。自分でわかる。よくなっている。次の段階だ。またアルバイトするか。頑張ります。
2007.08.30
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