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丑寅の二人旅 第85弾 中越へ、帰りに毛の国11月11日: 今回は新潟県は中越新潟県、西から上越、中程の中越、東の下越、それと佐渡の4つの地域に分かれます上越は、上越市・糸魚川市・妙高市の3市だけで、雰囲気は殆ど白馬・大町(信州)の延長、丑寅のお勧めは上越市高田寺町、南北2km東西250mの中に64のお寺さんと1つの神社が犇めいています 小さなお寺さんが多く、境内にバスケ・ゴールがあったりして、生活感が溢れてます最初は昨年から急激に人気が沸騰した清津峡渓谷トンネル1996年に完成した観光用トンネル 場所は十日町市ですトンネル入口日本三大渓谷の清津峡渓谷、従来の渓谷遊歩道・登山道は1988年の落石死亡事故以来通行・立ち入り禁止に「何とか渓谷の観光を」と言う声が地元及び観光客から多数寄せられて、その結果造られたのが長さ750mで4カ所の見晴台を備えた観光用トンネルトンネル内部、ところどころに照明トンネル完成当時は人気を博しましたが、「殆どトンネルを歩くだけ、渓谷も思いっきり観られないんで、つまらない」と言う事で、観光客が激減第一見晴台「つまらない」と言われたトンネルでしたが、「2018年第7回大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」で、マ・ヤンソンMADアーキテクツの作品「Tunnel of Light」でリニューアルされ激変 この1年で観光客3倍に急増第一見晴台からの眺め、岸壁は柱状節理下越は、新潟市を抱え人口は県の53%、丑寅のお勧めは村上市の塩引き鮭が吊された風景第二見晴台、まん中の小屋はトイレ、個室に入ると便座に座ってマジックミラー越しに渓谷の絶景が見られると評判に第二見晴台からの眺め、川の流れが青っぽいのは濁りがないから?トンネル内部照明佐渡は、一島一市、お勧めは、金山跡産業遺跡、金山坑道の1つに当時の採掘の様子を復元した模擬坑道展示と周辺に点在する選鉱場跡・製錬場跡・搬出機械など、それとたらい舟第三見晴台、ミラーと照明、2018年の作品のひとつですよね第三見晴台からの眺め、やっぱり柱状節理(クリックで拡大します)何か異次元の世界? 多くの眼に見られているみたいな第三見晴台、反対方向からの写真 ミラーを見上げてみましたトンネル最深部、パノラマ・ステーション(4つ目の見晴台です)人気の元はこの写真、インスタ映え・フォトジェニック、この写真を撮るために多くの人が集まって来ます外の風景とそれが床に映り込んで皆さん兎に角撮影人が入ると、そのシルエットが良い感じにこれも2018年の作品の醍醐味ですか?パノラマ・ステーションからの眺め、同じく柱状節理と青い水(クリックで拡大します)数m渡り水を張って外の景色が映り込ませていますトンネル営業開始は8:30ですが、8:20時点では10人程度でしたが、9:30時点では次々と団体さんが中越、丑寅のお勧めは、十日町このトンネルと国宝縄文火焔型土器「雪炎」、小千谷・旧山古志村「牛の角突き(闘牛)」、魚沼市西福寺の日本のミケランジェロ石川雲蝶作天井画9:30時点で、既に大型観光バス7台パノラマ・ステーションでの写真はインスタ映えして良いのですが、確かに清津峡渓谷を満喫するには、「トンネルを歩いているだけでつまらない」となりますね何とか渓谷に沿った遊歩道が復活出来ると良いのですが因みに日本三大渓谷は清津峡渓谷(新潟県)・黒部峡谷(富山県)・大杉谷(三重県) ー 初日-2 に続く ー
2019.11.11
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丑寅の二人旅 第84弾 安達太良山とほるる 2日目10月24日: 初日泊まった土湯温泉の宿の庭こけしは東北の文化、福島県もこけしがいっぱい「安達太良産とほるる」の「ほるる」に向かいますいわき市石炭・化石館ほるる、石炭と化石の博物館、どちらも土を掘るですねイワキクジラ、古代の鯨の骨格、いわき市でその化石が発掘いわき市は化石が凄く多く出土されることで有名こちらは石炭、見るからに、黒光りして良質そうアンモナイト化石、実物です、売るほど出土されるみたい、実際に併設の売店で小さなアンモナイト化石売ってました、¥3000くらいアンモナイト・化石って売って良いんだぁ(クリックで拡大します)恐竜展示場、マメンチサウルス22m草食恐竜、中国産、トリナクロメルム、首長竜でひれが長い、等々古代の亀ですね(クリックで拡大します)米国産の、別名オオナマケモノ、現代のナマケモノに雰囲気は似てます身長7mもあって、メッチャ強そう現代に居たら無敵かもしれませんが、当時恐竜時代では、ティラノサウルスの餌だったかもアンモナイトですが、他のより100倍くらいデカイです(クリックで拡大します)ランベオサウルスの子供、実物化石、アメリカ産肉食系みたい、ジュラシック・パークで人間を捕食していた奴かなここから石炭です 石炭産出量で本州最大の常磐炭鉱(今の北茨城市辺りからいわき市の範囲)でしたが、安政年間から明治初期は、家族単位での採掘、小さな穴(坑道)で採掘する小規模な「狸堀り」でした(クリックで拡大します)家族経営の狸堀り事業、なのでお母ちゃんも駆り出されます、坑道はメッチャ暑いので、着物を脱いで、おっぱいも出しています少し進化して、ハンマーと鏨も使っています だけどお母ちゃんはおっぱいは出したままかなり進歩して、レールとトロッコ、ヘッドライトも使っています、1家族でなく2家族共同作業みたい なのにお母ちゃん、隣の親爺におっぱい見せていいのかな一気に機械化、昭和30年代、サイドダンプローダーです企業化されているので、お母ちゃんが駆り出される事もなくなりました水風呂に入っています 機械化されても坑道は暑い、体温上昇を冷ますために水風呂が設置されていました、昭和30年代です常磐炭鉱の最北部に位置する「いわき坑道」ですが、この辺りは特に温泉の出水がメッチャ多く、1tの石炭を掘るのに40tの温泉を廃棄する作業だったらしいですガス事故でしょうか、事故現場に向かう救護班ダブルレンジングドラムカッター、昭和45年頃炭鉱町の井戸端会議 昭和30年頃、盥が大きい、1-2年すると金盥になった筈何故かアポロ展が開催されていました、関連性は「石」月の石?「いわき市石炭・化石館ほるる」ですが、石炭は常磐炭鉱、化石は(1)アンモナイト等の化石が多く出土するだけでは弱いのですが、何とフタバスズキリュウと言う首長竜の骨の化石が、このいわき市で発掘されて、「日本には恐竜の化石は出土しない」とする定説を覆しましたなので石炭と化石ですそれと石炭も化石も古代の生物、完全に消化されたのが石炭、消化不良なのが化石かな24日はいわき市に泊まる予定でしたが、台風19号の災害で浄水場が破壊され、宿周辺が13日から断水状態、宿もそれ以降今日も休業、なので予定を短縮して帰ります ー 第84弾 「安達太良山とほるる」 終了です ー
2019.10.24
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丑寅の二人旅 第84弾 安達太良山とほるる10月24日:山頂付近まで紅葉して山全体が燃える安達太良山ですが、今年の紅葉は遅れています山麓、冬はスキー・ゲレンデ、ここから眺める山は、「微かに色づいているかな」みたいなゴンドラの下、少しだけ紅も遠方は二本松市? 市街地ではなさそうです(クリックで拡大します)中腹ですが、黄色がそれなりに拡がっていますが、紅はポツンポツンですねゴンドラの山頂駅から徒歩5分、薬師岳展望台、智恵子の碑「この上の空がほんとの空です」、高村光太郎の妻智恵子・智恵子抄の智恵子・「東京には空がない」と言った智恵子40年以上昔、叔母がこの「東京には空がない」のプレーズに「大きなお世話!」と憤慨していました、大阪のおばちゃんでしたが薬師岳展望台から五葉松平を眺めています、この辺りは標高1330m、山が燃えるところまでは行ってません、3分燃えですか薬師岳展望台、山の下は二本松市でしょうか(クリックで拡大します)陽が射した五葉松平、黄色・紅が薄く拡がっています、もっと濃くなると這松の緑とのコラボが良くなるのですが安達太良山山頂1699mへの登山道40分程登って仙女平分岐、残念ながら紅葉は山頂付近でも3-4分でした麓のあだたら渓谷自然遊歩道は、紅葉が見込めないのでパス、磐梯吾妻スカイラインをドライブします磐梯吾妻スカイラインからの眺望、この辺りは駄目でしたが、途中標高1600m辺りからの山々の眺めは結構紅葉していました、走りながらの眺めだったので写真ありません(クリックで拡大します)スカイラインのほぼ終点(高湯温泉側)、つばくろ谷と不動沢橋と紅葉磐梯吾妻スカイライン、台風19号の影響で10月20日まで全面通行禁止、諦めていたのですが、21日から通行禁止が解除されました ー 2日目に続く ー
2019.10.23
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丑寅の二人旅 第83弾 蓼科、妙義山それと中之条 2日目9月8日は台風15号が関東を直撃、9日の未明に埼玉県南部が暴風域に入りました スマホで台風情報・予報を頻繁にチェック、我が家が台風の進行方向の左に位置したので、暴風は弱めに、更に風向きが北・北北西となったので、暴風の南側ベランダへの直撃は免れた模様9月9日: 長野県の蓼科から群馬県の妙義山に、最初は妙義神社この辺りのパワースポット妙義神社総門、この先に165段の男坂を登ると、絢爛豪華な本殿・弊殿・拝殿があるのですが、昨日の横谷峡散策で膝が痛く、登坂断念(クリックで拡大します)そして妙義山、奇岩と奇峰の妙義山ですが、遠くから眺めた方が際立つみたい先程の妙義神社よりも高い位置にある中之嶽神社こちらもパワースポットデッカイ大黒様が顔を出していますその大黒様、高さ20mデッカイ岩、轟岩、これが中之嶽神社の御神体楽山園、群馬県甘楽町小幡にある大名庭園江戸初期に織田氏によって造られた小幡藩邸の庭園小幡城なるお城があったみたいです今日は磯辺温泉に泊まります、宿は、かんぽの宿磯部かんぽの宿、数カ所を閉鎖するみたいですが、この磯部も年内で閉鎖らしいです最近は、かんぽの宿に泊まることが多いのですが、コスパは最高だと思います建物は豪華さはありませんが、しっかりした造りで(安普請ではない)、料理は幾つかランクがあって、いずれも値段以上の質・量民間の宿では、平日は閑古鳥が鳴いている事も多いのに、かんぽの宿は平日でも結構多くの客が入っており、民業圧迫ではと思うこともなので、何故閉鎖するのか不思議です9月10日: 群馬県中之条に行きます、行われているのは中之条ビエンナーレ2019ビエンナーレは「2年に一度」と言う意味のイタリア語で、2年に1度開かれる美術の祭典その起源はヴェネチィア・ビエンナーレで、100年の歴史があります日本では、2000年代から中之条の他神戸・琵琶湖・姫路城など十数カ所で行われて来ましたが、中断されているところも中之条ビエンナーレは2007年からで、今回は第7回です中之条ビエンナーレ、展示会場は中之条駅から旧六合村・四万温泉など30-40km四方に点在薪ストーブにディスプレー、紙屑と燃焼している場面、意味するところ分かりません旧廣盛酒造の建物内での展示、????どうやら鹿ですね屋外展示も紙屑ですねフライパン、薬罐・・・、吊されたミラーに映る映像がキモかも?2017年の作品らしいです存在感があります台所に湧く虫? 拡がり・移動は蟻っぽいその虫っぽいものの拡大がこれ(クリックで拡大します)今回観た中での一番のお気に入りです ー 第83弾 蓼科、妙義山そして中之条 終了です ー
2019.09.09
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丑寅の二人旅 第83弾 蓼科、妙義山それと中之条9月8日:今回の目玉:蓼科高原横谷峡ん? 2ヶ月前の7月9-11日の第82弾の「松本・八ヶ岳・蓼科・小渕沢・甲府」と微妙に被っているし、八ヶ岳に比べてスケール・ダウンしてる?前回の当初予定は八ヶ岳北横岳登山、その後横谷峡散策だったのが、梅雨がいつまでも続いたので、北横岳登山はロープウェイ山頂駅の坪庭周遊にステップダウンし、横谷峡はスキップなので、今回はリベンジと言う事で(クリックで拡大します)横谷峡最初の目玉乙女滝、水量が凄まじく豪快マイナスイオン指数20000個/ccの標識がマイナスイオンって、どうやって測るのかな? 指数の基準は何?何処?暫く歩いて、霧降の滝、小さいですが形が良い霧降の滝を横から眺めます、茶褐色の土は鉄分??この横谷峡の渋川の水は、かなり強い火山性酸性の筈炭焼窯の跡(英語ではCharcoal Kiln)これも目玉の一つ一枚岩、茶褐色の色と滑らかな水の流れが秀逸(クリックで拡大します)最大の目玉の王滝、形が良いですね、それと周りの緑との調和も横谷峡入口からここ迄1時間10分程、ここから最深部(最上流部)までは30分ほどで、そこにあるのがおしどり隠しの滝個人的には王滝よりもおしどり隠しの滝が好きですが、今回はスキップ昨年2018/6/4「第74弾岐阜・長野・山梨ごった煮風」で訪れたおしどり隠しの滝です(クリックで拡大します)滝の底・側壁に生えている、酸性の水に生えるチャツボミゴケが良いですね 王滝、一枚岩辺りにはチャツボミゴケは無かったのは、下流に行くにつれて、火山性酸性成分が徐々に希釈されるからでしょうか?チャツボミゴケ(茶蕾苔)、緑なのに茶?(クリックで拡大します)おしどり隠しの滝の近くにあったのが御射鹿池、これも昨年訪れたもの横谷峡散策は、普通に歩いて往復3時間程度蓼科高原にある無藝荘、映画監督小津安二郎の仕事場だったところを記念に残しています往年の大女優原節子が主演した作品など多くを創っています、1927年から1962年まで、最後の作品が「秋刀魚の味」、残念ながら観たことがありません芸術の森、彫刻公園にあった作品? 椅子?続いて女体を3つ ー 2日目に続く ー
2019.09.08
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丑寅の二人旅 第82弾 松本・八ヶ岳・蓼科・小渕沢・甲府 2日目7月10日:梅雨の晴れ間、八ヶ岳北横岳2480mを目指します北八ヶ岳ロープウェイで標高2237mへ(クリックで拡大します)まずは目の前に拡がる溶岩台地「坪庭」広さ10万坪、北横岳は坪庭周遊コースの途中から登山道に分岐シロバナヘビイチゴ、この時期の坪庭散策路では高山植物を楽しめます「枝がぁ」、南を指しているのかな? さしずめ方角指示樹、それとも風向計ハクサンシャクナゲ、高山植物、概して小さいので可憐溶岩とハイマツなどが織りなす造詣、面白いコイワカガミ(小岩鏡)、坪庭には高山植物の女王コマクサ(駒草)やチングルマ(稚児車)が生息していないので、コイワカガミが女王様コケモモ、7月上旬なのに高山植物少なめ、梅雨が本格的で気温が上がっていないからでしょうか?高山植物と溶岩台地の造形美に見とれて、北横岳登山口分岐を見逃して・・・、ありえません、そんなこと、分岐点で遠くの北横岳山頂を眺めて「遠いなぁ、疲れそう」、と言う事で、坪庭周遊に切り替えました坪庭周遊たっぷり1時間、その後、麦草峠方面への森林浴コースに入りますコースの入口は熊笹、そう言えば坪庭には熊笹は生えてなかった?森林浴っぽいのか? 苔が凄い、独特の苔模様北八ヶ岳独特の現象「縞枯」、森林浴コースは縞枯の中みたいですね、熊笹・苔・縞枯、それぞれが関係しているのかな?標高2237mでの散策合計2時間を満喫して、北横岳は登りませんでしたが、麓の蓼科高原へ先程と同じように、またしても苔の世界蓼科大滝への道ですが、苔も売りにしています苔と羊歯岩を包み込む? 飲み込む? 食岩樹?(クリックで拡大します)10数分で蓼科大滝です蓼科を最後に山梨県に移ります、最初は小淵沢の平山郁夫シルクロード美術館シルクロードに魅せられた画家平山郁夫のシルクロードを描いた作品と、シルクロード(西アジア)各地から集めた仏像などが展示されています仏陀立像だと思います顔立ちが日本の仏像とは全然違います、お髭まで生えてますこれも顔立ちがぁ・・・、鼻がでかい右下は、弥勒菩薩前の鼻のでかい仏様よりは仏様らしいお顔ですが、弥勒様の独特な慈悲深いお顔とまでは・・・シルクロードですから、土漠に駱駝(クリックで拡大します)夕陽と土漠と駱駝同じ小淵沢にある中村キース・ヘリング美術館キース・ヘリング、ストリート・アーティストの先駆者らしいです人・犬を簡素化した形で沢山組み合わせている作品が多いですね意味するところ、何を表現しているのか、分かりにくかった沢山の男性器と女性器を表現したとする作品もありましたが、男性器はわかりましたが、女性器は分からなかったですこちらは企画展の大山エンリコイサムの作品、このデザイン、郊外の塀・ビルの壁などへの落書きにありますよね平山郁夫シルクロード美術館・中村キース・ヘリング美術館、一部の作品を除いて写真撮影OKなのが嬉しい7月11日:最後は山梨県立美術館、通称ミレー美術館右の人がミレー目玉は「種をまく人」と「落ち穂ひろい 夏」常設展はミレーと同時代のバルビゾン派の画家の作品特別展「黄昏の絵画達、近代絵画に描かれた夕日・夕景」が開催されていました常設展・特別展合わせると疲れるほどの作品数写真撮影はNG、なので美術館外の彫刻を撮影 ー 丑寅の二人旅 第82弾 松本・八ヶ岳・蓼科・小渕沢・甲府 終了です ー
2019.07.10
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丑寅の二人旅 第82弾 松本・八ヶ岳・蓼科・小渕沢・甲府7月9日: どうせ今年も空梅雨、7月初旬は猛暑だろうから、北八ヶ岳ロープウェイで標高2237mへ、そこから北横岳2480mまで往復2時間30分の登山、その後標高1250mの蓼科高原の宿に泊まれば涼しいだろうとところが出発日が近づいても、一向に暑くならず、空梅雨どころか、「これぞ梅雨」状態なので、急遽梅雨・梅雨寒対策として博物館・美術館など5カ所をスペアとしてリストアップ、9-11日の天気次第で臨機応変に行き先を組み替える事にそして9日、いまいちの天気、天気予報だと翌日の方が晴れそうなので進路は八ヶ岳でなく、松本市に日本浮世絵博物館、企画展「江戸ワンダーランド 見世物の世界へようこそ」江戸の見世物小屋の様子や出し物、更には当時の隅田川界隈の様子などを描いた浮世絵が展示されています(クリックで拡大します)隅田川に架かる橋、凄い数の屋形船に遊女夕涼み? 船、絶対衝突してますよねこちらは船の数もさることながら、橋に群がる人人人橋崩れますよね場所は両国橋みたい浮世絵らしい絵柄歌川国芳、歌川芳豊、橋本貞秀、歌川芳春等々の浮世絵が展示されています虎ですね 江戸時代以前の浮世絵・襖絵・屏風絵には、虎はこんな感じで(虎模様と言うか豹模様と言うか)描かれています化け物小屋(お化け屋敷)ですね柳川豊後大掾と言う手品師を描いた絵(クリックで拡大します)歌川芳藤作「柳川豊後大掾 龍宮浦島の曲」手品師が玉手箱から龍宮の浦島太郎と乙姫を出現させる図、大蛸は?両国の力士ですか浮世絵の次は、松本市美術館(クリックで拡大します)庭に展示されている草間彌生のチューリップチューリップを別の角度から「考えるかぼちゃ」、美術館ロビーにあります草間彌生の作品以外にも彫刻とか書とかがありましたが、ちょっと印象薄いみたいな写真撮影NGでした、OKの美術館も増えているのですけどね美術館の次は、国宝松本城(クリックで拡大します)現存する日本最古の五重天守5層5階に見えますが、5層6階です3階部分が屋根に隠れて窓の無い階・部屋になっています松本城の城下町の縄手通りを散策縄手とは縄の様に狭い道/土手道と言う意味合いで、お城のお堀と女鳥羽川(めとばがわ)の土手に挟まれた狭い通り、そしてシンボルのカエル大明神ですが、大蝦蟇に乗って現れる児雷也かと思いましたかって女鳥羽川にカジカエルが多く生息していたので、蛙が通りのシンボルに縄手通り脇にある四柱神社、しめ縄を輪っかにした茅の輪、3回くぐると願いが叶う最近TVのニュースで、茅の輪の藁を毟り取る輩が増えて、茅の輪が裸になる被害が出ているとか松本市から蓼科高原に移動し、今宵の宿に宿のホテルに併設されていると言うか、蓼科高原芸術の森彫刻公園の敷地にホテルが建っているのか彫刻の一部です ー 2日目に続く ー
2019.07.09
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丑寅の二人旅 第81弾 わたらせ渓谷鐵道、足尾銅山そして大谷(おおや)5月13日-2 足尾を離れて宇都宮市大谷町へ最初は大谷資料館この辺りの地面・山・丘の地質、全てが大谷石かも資料館への道のあちらこちらに大谷石が露出して資料館前庭駐車場の岩壁も石を切り出した跡が地下迷宮みたいな資料館の地下内部、広さは140mx150m 野球場がすっぽり入る(クリックで拡大します)地下内部の気温は年を通じて8度C、結構寒い、終戦直後は政府米の貯蔵庫として使われました1919年から1986年までの期間を掛けて大谷石を切り出して出来た巨大な地下空間現在は、観光以外に、コンサート・演芸場・写真/映画のスタジオ・地下教会などに使われています各種イベントの記念写真みたいです大谷寺、大谷石の塊と言うか小山の岩壁にお堂を貼り付けたみたいですね(大谷寺パンフレットから)ご本尊 大谷観音(千手観音)高さ4mの磨崖仏(日本最古の石仏と言う説(寺伝)も) 磨崖仏ですから岩壁に彫られています千の手と千の目、手のひらに目があるのですね、ちょっと怖いかも810年の弘法大師の作と言われていますが、最新の研究ではバーミヤン石仏との共通点が見られることからアフガニスタンの僧侶が彫ったと考えられています(日本のシルクロード?)(大谷寺パンフレットから)こちらは脇堂に磨崖仏、釈迦三尊・薬師三尊・阿弥陀三尊、三体一組で合計9体の仏様が彫られています(クリックで拡大します)大谷寺直ぐ傍の公園に巨大な平和観音高さ27m千葉鋸山日本寺の石切場に彫られた百尺観音は33mかな?平和観音、やや遠景5月14日普通藤は藤棚で横に這わせますよね、何故か縦に這わせていますさくら市こうと野菜直売所にて ー 第81弾 わたらせ渓谷鐵道、足尾銅山そして大谷(おおや)終了です ー
2019.05.14
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丑寅の二人旅 第81弾 わたらせ渓谷鐵道、足尾銅山そして大谷5月13日: 足尾銅山の目玉は、昨日の製錬所跡・引き込み線跡等の所謂産業遺産と江戸時代から昭和までの坑道での鉱石採掘の様子をリアルな人形で展示した坑道展示坑道展示は、足尾銅山三大坑口(小滝坑、有木坑(本山坑)、大通洞坑(通洞坑))の通洞坑の一部に設けられていますトロッコで地下に入ります、乗っている時間は5分程度最初は江戸時代展示場、着物に頰被り人形が妙にリアル、腕が動いたり、喋ったり銅鉱石採掘は金槌と鏨表情が良いですね足尾銅山の採掘は江戸初期から400年、掘られた坑道の総延長は1,234kmお役人と坑夫のやりとりリアルな人形で当時の様子を再現した展示は、佐渡の金山と同じ、人形の雰囲気もそっくりなので、人形・展示は同じ会社が請け負ったのかな?水替人夫、排水作業では無さそう佐渡の金山では湧いてくる大量の地下水の排水が大きな作業で、「金採掘は地下水との戦い」と解説されていましたが、足尾銅山はそれほど大量の地下水が湧き出た訳ではなさそうです(クリックで拡大します)江戸時代の坑夫は出勤したら着てきた着物を脱いで素っ裸に手に持っているのはお弁当らしいですこの後用意された作業着に着替えます、そう言えば坑道内の坑夫、皆同じ着物です着物の洗濯は雇い主側がやってくれたのでしょうね、それとお弁当支給も(クリックで拡大します)明治・大正時代の坑道削岩機を使っています、この削岩機はどうなのか分かりませんが、電動でなく圧縮空気の削岩機も使用されていました地上に動力所と呼ばれる圧縮空気を作るコンプレッサーがあって、そこから圧縮空気がホースで坑道に送られます明治・大正時代の坑夫、洋服姿と着物姿、職種で区別していたみたいな昭和ですレールとトロッコ、昭和からですか?発破です、遠隔操作でダイナマイト爆発(クリックで拡大します)お弁当タイム、一番左の坑夫佐藤浩市似アルマイト製弁当と薬罐この頃は防塵マスク着用、手拭は江戸時代から変わらずに坑道展示、佐渡金山の方が距離も長く人形も多かったみたい、但し向こうは江戸時代の再現だけでした通洞坑口、坑道展示の入口、トロッコで入ります、帰りは歩いて戻り、少し離れた出口に寛永通宝製造(鋳造)の様子・プロセスが人形で展示上はその一コマ江戸時代(後期)貨幣価値:1両は現在の10万円程度、1両小判1枚で10万円、大判は10両なので100万円その下に二分金/一分金・一分銀/ニ朱金・二朱銀/一朱金・一朱銀/文があります銭4,000文(寛永通宝4000枚)=1両なので寛永通宝1枚(1文)は25円 (クリックで拡大します)足尾町の地図、橙色丸は本山エリア(最大の製錬工場が)、緑色丸は小滝エリア(小滝橋・小滝坑口・浴場跡)、赤丸は通洞エリア(坑道展示があります、変電所跡・動力所跡もあります)、古河掛水倶楽部は足尾駅近く本山製錬所跡から北に600m、銅親水公園からの旧松木村・松木渓谷方面の眺め何やら禿げ山ポイ、それと大規模な足尾砂防堰(砂防ダム)足尾鉱毒事件、製錬過程で発生する鉱毒ガス(主に二酸化硫黄)の煙で樹木が枯れ、見事に禿げ山に木が枯れると山崩れが、それにより松木村は廃村に山崩れの土砂を防ぐ砂防ダム、それと植林、昭和31年から本格植林を実施、漸く緑がその下流、数段に砂防ダムが ー 2日目-2に続く ー
2019.05.13
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丑寅の二人旅 第81弾 わたらせ渓谷鐵道、足尾銅山そして大谷(おおや)5月12日:最初はわたらせ渓谷を列車の車窓から楽しみます群馬県みどり市の大間々駅からわたらせ渓谷鐵道に乗り込みます、終着駅の栃木県日光市足尾町の間藤駅まで、2時間半掛けて往復、車を大間々駅に駐めているので往復せざるをえないのです乗り込んだわたらせ渓谷鐵道の列車、1両編成、列車と躑躅列車と躑躅もう1枚駅プラットホームの列車レストラン「清流」が有名な神戸駅(「こうべえき」でなく「こうどえき」)、駅弁ならぬ「唐揚げ」「カレーパン」販売お目当ての新緑、躑躅の赤がワンポイント・アクセント渓谷の新緑を楽しみましたが、写真はこれ1枚だけわたらせ渓谷鐵道、そこそこ速く、硝子越しの撮影駄目でした大間々駅に戻り、今度は渡良瀬川(渓谷鐵道)に沿って車で走ります、同じ区間を1往復半ですね(富弘美術館パンフレットから)神戸駅近くの草木湖畔の富弘美術館、星野富弘氏の作品を展示(24才の時に頸椎損傷、筆を口に咥えて多くの詩画を制作)殆どが花・植物が題材、添えられている詩も絶妙続いて沢入駅(そうりえき)にある陶器と良寛書の舘舘外壁に貼られていた陶器のタイル双頭の亀の背中に8頭の像、その後ろに鯉、その上に鷹が翼と腕を拡げて亀は地球、像は人類、鯉は人間の社会、鷹は宇宙、翼と腕は宇宙のエネルギーだとか続いて今回の目玉のひとつ足尾銅山その前に足尾の躑躅を古河掛水倶楽部、古河鉱業の迎賓館、外国人技師などを招聘していたので、基本的に洋風(白壁の洒落た建物と奇妙な枝振りの赤松の組み合わせが妙)現在も古河機械金属(株)の新入社員研修などに使われる現役、だけど、廊下などミシミシ・ギシギシ、あまり快適とは場所はわたらせ渓谷鐵道足尾駅近く掛水倶楽部に隣接する「課長社宅」こちらは「役員社宅」、課長社宅の5倍くらいデカイ足尾での鉱石採掘1610年(江戸初期)に江戸幕府直轄で始まり、1877年(明治10年)に古河市兵衛が経営に乗りだし、1905年に会社として古河鉱業が経営こちらも社宅、それなりの幹部用?江戸時代での銅生産ピークは1,200トン/年、一時廃山状態に、明治に入り新たな坑道開発と最新技術導入で復活、1906年には7,500トン/年(日本全体の40%)を生産間藤水力発電所跡(わたらせ渓谷鐵道終点の間藤駅近く)山頂から渡良瀬川原にある発電機まで直径1mの鉄管で繋ぎ、落差318mの水力で発電(発電量は400馬力とか) 写真は直径1m鉄管の名残1890年に造られ、日本最初の水力発電所という説も本山製錬所への引き込み線の鉄橋わたらせ渓谷鐵道は現在の終着点間藤駅から本山製錬所まで伸びていました(クリックで拡大します)古川橋と本山製錬所跡、間藤駅から北へ約600mのところ道路用鉄橋でしたが、馬車鐵道を走らせていたみたいです古川橋、1890年完成、長さ50m、幅4.6m トラス式鉄橋、見るからに頑丈そう本山製錬所、常に最先端の精錬法をつくり出し世界中から注目されていたらしいです 古河鉱業の主力製錬工場でした(クリックで拡大します)本山製錬所、足尾銅山での鉱石採掘は1973年に閉山、ただし本山製錬所は輸入鉱石を原料に1989年まで操業本山製錬所跡の大煙突本山製錬所の直ぐ近くにある本山坑(鉱石を採掘する坑道)は足尾で最初に削岩機を使った坑道小滝坑口、本山製錬所から直線距離で西南西に2kmのところ、ただし道程にすれば、大きくU字で走ることになるので10km江戸時代からの古い坑道小滝坑口に繫がっているのが小滝橋(引き込み線の鉄橋: 鉱石の運搬・坑夫の移動)(クリックで拡大します)小滝橋と新緑の緑、橋の向こう正面に見えるのが小滝坑口小滝坑道は江戸時代に盛んに採掘され、掘り尽くしたと思われていましたが、明治19年に坑口から485mの切り止め(坑道の終点)から9m掘ったところに採鉱直利(銅鉱石を多く含んだ鉱脈)が発見され、その後更に違う方向に30m掘ったところに三枚樋大直利を発見小滝坑道・選鉱所・製錬所として再開・最発展しました古河市兵衛は「先人は1600尺の深きを極めながら、僅か30尺掘進を辞したばかりに、この天恵を翁に譲った」記しています小滝選鉱所跡、煉瓦の土台? 壁?小滝浴場跡、坑内作業を終えた坑夫が汗と汚れを落としました小さいですね、浴槽は幾つもあったのかな? ー 2日目に続く ー
2019.05.12
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丑寅の二人旅 番外編 越生の五大尊花木つつじ公園5月3日、つつじ祭り真っ最中、満開です幟?旗? 何故か丘に沢山の幟が祭りなので、山車も花木つつじ公園なので、つつじ・ツツジ・躑躅公園ですが霊園でもあって、西国三十三ヶ所写し霊場コース・板東三十三ヶ所写し霊場コース・秩父三十四ヶ所写し霊場コース・四国八十八ヶ所写し霊場コース、それに五大尊堂なる本堂もありますと言う事で、写真はつつじ・ツツジ・躑躅だけ(クリックで拡大します)「売約済」の札が、販売もしているのですね ー 番外編 五大尊花木つつじ公園 終了です ー
2019.05.03
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丑寅の二人旅 第80弾 遠州は遠州三山と掛川・島田も 2日目-2島田宿から再び昨日の袋井市は法多山尊永寺へ遠州三山の一つ、725年創建、高野山真言宗のお寺さん山門は国指定の重要文化財黒門、袋井市指定文化財迫力満点の不動明王神仏習合の山、法多山、境内にある双葉神社、鳥居の向こうにあるのは?色とりどりの帯が結ばれています、「結縁乃帯(けちえんのおび)」願い事をする願掛けで、「結縁」が転じて「縁結び」の言葉に厄除観音ですので、名物厄除け団子、この時期は「厄除け桜だんご」昨日は桜祭りでした同じ袋井市の医王院薬王院油山寺、遠州三山最後の一つ山門ですが、山門らしくありません元々掛川城の大手門、それを移築しました礼拝門です、油山寺、創建は701年の古刹礼拝門を入った境内、真言宗のお寺さんです「宝生殿ごりやくめぐり」と称して方丈・宝生殿・書院内部を巡ります長さ120m、世界一大きな大念珠(数珠)襖絵宝生殿の天井画薬師千体佛礼拝門の屋根に十六大菩薩医王山薬王院油山寺、「医」と「薬」2文字も、なので目(眼病)と足腰にご利益がと言う事で、「め」の絵馬が鈴なり白龍の天井画(クリックで拡大します)三重塔、国の重要文化財薬師本堂です、霊験あらたか薬師本堂内の薬師如来厨子だと思います3日目 4月2日: 宿からの景色 ー 第80弾 遠州は遠州三山と掛川・島田も 終了です ー
2019.04.02
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丑寅の二人旅 第80弾 遠州は遠州三山と掛川・島田 2日目4月1日: 最初は島田市、焼津の宿からは22km(クリックで拡大します)蓬莱橋です、897.422m、世界最長の木造歩道橋としてギネス認定されました大井川、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の大井川に架かっています橋が架けられたのは1879年(明治12年)「897.4mの長い木橋」を捩って「やくなし の ながいきばし」「厄無しの長生き橋」江戸幕府の旧幕臣が茶畑として開拓した牧之原台地と東海道の島田宿を結ぶ為に掛けた橋、なので産業用の橋、現在でも法律上の分類は「農道」その旧幕臣は、どうやら勝海舟らしいです橋のこちらが島田、向こうが金谷、その先に茶畑が拡がる牧之原台地牧之原台地の茶畑開拓は、産業育成は勿論ですが、川越人足の失業対策も兼ねていたみたい蓬莱橋から眺めた富士山 雲に隠れて 今回の旅では富士山が何度もクッキリと眺められて、但し綺麗に見られたのは高速道路走行中ばかり、なので写真はありません蓬莱橋から西に6km、島田宿大井川川越遺跡江戸幕府は、江戸防衛の観点から大井川に橋を架けず、渡船も配置せず、なので人々は川越人足に担がれて川を渡ることに川会所・番宿など当時の街並みイラストせき跡、大井川が氾濫した時に、堰を設置する為に木の板を嵌め込んだ場所川札のねだん、川越(川渡し)料金、今で言う運賃その時の川の深さで運賃が変わりました一番安いのは股通(股下・膝辺り)で48文(¥1,440)、肩車だとこの値段大高欄蓮台:駕籠を蓮台の上に乗せています、担ぎ手16人、手張(補助者)4人、台札(川札32枚分)なので合計52枚の川札(水深が浅い時で¥74,880)が必要半高欄蓮台:駕籠なし、担ぎ手4人、台札(川札4枚分)合計8枚(¥11,520)平蓮台: 担ぎ手4人、台札(川札2枚分)合計6枚(¥8,640)肩車(かたくま): 担ぎ手1人で川札1枚、写真では手張(補助者)が1人付いているので、合計2枚ですかこの川越人足、女性のお尻を触るなどのセクハラする不埒者もいたみたい川越人足の集合場所の番屋、一番宿・二番宿と呼ばれました川越人足の姿は、裸・二重廻し(垂れの模様は「浪に千鳥」又は「雲に龍」)人数は、島田・金谷それぞれに350人と決められていましたが、幕末にはそれぞれ650人程に増加、なので川越制度廃止に伴い失業対策を兼ねた牧之原台地の茶畑開拓は急務だったのでしょうね島田宿の桜満開、ソメイヨシノではないですねそば処ですが、カフェでもあり、お婆さんの集い処でも ー 2日目-2に続く ー
2019.04.01
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丑寅の二人旅 第80弾 遠州は遠州三山と掛川・島田も 初日-2袋井市から隣町の掛川市に移動資生堂アートハウス、美術館、特別展「椿つれづれ」の最終日椿を題材とした絵画・陶芸・蒔絵など、常設展は彫刻が主体モニュメント、題名は??「後脚で立つ馬」掛川城に行きます掛川城隣にある「大日本報徳社」、二宮尊徳の報徳思想、写真は以前の学舎大日本報徳社の正門と大講堂、NHK放映中の「いだてん」で写真のアングルで明治時代の建物としてロケ・使用されたとか掛川城遠景建造は室町時代中期、今川家が所有、その後徳川家が領有し、何度も武田家との戦の舞台に 一時期豊臣秀吉方の山内一豊が入り、江戸時代になってからは複数の徳川の譜代大名が入っています大手門、市の区画整理? 現在はお城敷地からポツンと離れた処に気が付かず見落とす人も天守閣 復元再建ですが、木造で復元された日本最初の天守閣らしいです初日の観光終了、今日は焼津に泊まります ー 2日目に続く ー
2019.03.31
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丑寅の二人旅 第80弾 遠州は遠州三山と掛川・島田も3月31日: 最初は萬松山可睡齋、静岡県袋井市にあるお寺さん、遠州三山の一つ 創建は応永年間の1394年-1428年、曹洞宗のお寺さんですが、今回の目玉はど派手な雛祭り「ふくろい遠州の可睡齋ひなまつり」1月1日から3月31日期間なので、最終日に滑り込みぃ萬松閣の受付脇のお迎え雛壇 雛人形・雛壇・雛飾りがメイン会場の瑞龍閣1F/2Fを中心に、本堂などへ繫がる廊下・縁側・階段踊り場、至る所に設置されて、何処に何があったか分かりません(クリックで拡大します)廊下に並んでいます牛車も駕籠も庭に面した縁側ですね(クリックで拡大します)32段1,200体 圧巻の雛壇天井まで届いています その天井の模様が良いですね日本三大つるし雛の一つ山形県酒田市の「傘福」、応援出演ですね「傘福」のアップつるし雛(吊し飾り)定番の「さるぼぼ」さるぼぼ 伸身型さるぼぼ 屈身型(青丸)と別の吊し飾り階段脇にも舘の中に鎮座されてます竹の中に、かぐや姫ですね こちらも竹を組み合わせてブランコですか?「ひなまつり」は1月1日ー3月31日の長丁場、今日見たのは謂わば常設展、山門前の「階段飾り」とか「等身大お雛様」とか期日限定の特別展は今日は見れませんでした室内ぼたん庭園、室内温度管理で早く咲かせましたお雛様の競演に牡丹で一休みって感じお釈迦様涅槃図、下の方に描かれている象の姿が・・・お寺さんなので、仏像やら厨子やら色々仏教関連の見所もあるのですが、お雛様に振り回されて、素通り状態須弥壇ですね(クリックで拡大します)東司(トイレ)です、烏枢沙摩明王(うすまさみょうおう)、所謂「トイレの神様」、日本最大の烏枢沙摩明王像らしいですそれと、この東司、戦前の建物ですが、当時の建築の粋を極めた見事なもので、当時から水洗トイレらしいです曹洞宗ですので、大本山永平寺(福井市)と大本山総持寺(横浜市)の二つを大本山として戴いています山門烏天狗ですよね(クリックで拡大します)インド・ガンダーラ様式の護国塔、日露戦争の戦没者慰霊として建造、何故インド・ガンダーラ様式にしたのでしょうか? ー 初日-2に続く ー
2019.03.31
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丑寅の二人旅 番外編 密蔵院 安行桜3月18日 埼玉県川口市安行の里の海寿耶麻満福寺密蔵院に来ています桜祭り真っ盛り山門、このお寺さん、1469年中興とありますが・・・、開祖は???本堂です お庭に、弘法大師の像がありましたので、真言宗? お寺のHPに宗派の記載が見当たらない(クリックで拡大します)本堂内の曼荼羅、立派です安行桜 お寺さん自慢で売りの安行桜 少し早咲きの桜、お彼岸には満開安行桜は、沖田桜との別名も この辺りの地名「安行」から安行桜??染井吉野よりもピンクが濃い 八重ではないですが、もっこりした印象が(クリックで拡大します)こちらのワインレッドっぽい桜も満開 どうやら寒緋桜みたいです本堂前の小振りなお庭水掛け地蔵尊、足元に童が二人阿弥陀三尊像こちらは大日如来様(クリックで拡大します)十六羅漢様十六羅漢、色々なお姿茶筅です 茶筅供養塚 ー 番外編 蜜蔵院 安行桜 でした ー
2019.03.18
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丑寅の二人旅 第78弾 近江で紅葉狩り、諏訪にも寄り道 3日目11月28日: 豊臣秀吉と石田三成の出会いの場「米原市の大原観音寺」に行く予定でしたが、(寺の小僧だった三成が、鷹狩りで立ち寄った秀吉に、最初の一杯は大きな椀にぬるい茶をなみなみに、2杯目は少し熱めのお茶を普通の椀で、3杯目は小さな湯飲みに濃い熱々のお茶を献じた「三椀の才」の舞台)、秀吉も三成もさほど好きじゃないしぃ、紅葉の名所でもなさそうだしぃ、と言う事で予定を変更彦根市の名勝玄宮楽々園(通称:玄宮園)に(クリックで拡大します)池泉回遊式庭園と池泉・枯山水庭園を併せ持った彦根藩お抱えの庭園で、藩主の慰樂の場・交際の場・饗応の場として使用紅葉・松の緑・橋が綺麗に池に映り込んでいます池・松・紅葉が良い感じ(クリックで拡大します)ちょっと暗い? 構図と池への写り込みが好き松が良いですね、茅葺きの建物は料亭だったのですが、最近閉店したとか庭園にある茶室の活け花庭から眺めた彦根城天守閣、玄宮園は彦根城お堀の直ぐ横移動します、近江から諏訪へ、長野県諏訪市へ、距離にして250km程諏訪高島城、有名じゃない?諏訪の浮城と言われ、日本三大湖城のひとつ、因みに他の二つは松江城と膳所城 松江城は有名だけど、膳所城(滋賀県大津)も知らないなぁ諏訪高島城趾、今は公園諏訪湖畔に建てられた城ですが、その後干拓埋め立てで、現在では諏訪湖から直線で600m程離れてしまい、湖城の面影ありません公園にあったモニュメント、お題は「いらか」、・・??それと鴨次に行きます清龍山長円寺の百体観音山門、左横に大銀杏そして境内、左奥に大銀杏自慢の大銀杏の紅葉の終焉水琴窟:「小さい音色ですので耳をうんと近づけてお楽しみ下さい」と書かれていますこれは何ですかね?今日は諏訪に泊まります11月29日(4日目)鼈澤山 仏法紹隆寺山門、小さいですが、綺麗ですねお寺の自慢は四つの庭最初は安土桃山の庭江戸の庭明治・大正の庭もう一つの昭和の庭は見つけられず庭の名前、どうやら庭が造られた時代らしいですお寺のもう一つの自慢は大銀杏の紅葉ですが、既に銀杏の絨毯境内・参道の松が見事、松其の一松其の二松其の三諏訪湖湖畔で見掛けた水陸両用バス諏訪から一路帰路に着きます ー 第78弾 近江で紅葉狩り、諏訪にも寄り道 終了です ー
2018.11.29
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丑寅の二人旅 第78弾 近江で紅葉狩り、諏訪にも寄り道 2日目-2金剛輪寺、湖東三山2番目に訪れたお寺さん、パンフレットにも「湖東三山まん中のお寺」との記載が黒門(総門)金剛輪寺、741年創建場所は、滋賀県愛知郡愛荘町、湖東三山それぞれ市町村が違うのですね白門、庭園への入口黒門があって、白門があって、もうひとつ赤門は見逃しました最後に控えし門は、二天門(重要文化財、室町時代建造)本堂の前、デッカイ草鞋参道の紅葉池を配した名勝庭園、庭の造作は百済寺に軍配が庭そして後ろに紅葉本坊明寿院の3間通しの額縁紅葉 なんだよ!人が入ったよ(反対側から額縁風景撮影中の人が写り込みました)(クリックで拡大します)紅7分緑3分で決めてみました千躰地蔵が並ぶ長いキツイ登りの参道本堂(国宝:鎌倉時代建造)と通称「血染めの紅葉」(クリックで拡大します)三重塔(重要文化財:鎌倉時代建立、別名「待龍塔」)と紅葉金剛輪寺、長くてキツイ参道と2箇所の違った趣の紅葉(庭園周りと本堂・三重塔周り)が楽しいですね続いて湖東三山最後の西明寺へ前庭の紅葉、紅と緑が混じり合った具合が嬉しいですねナンテンでしょうか?西明寺は、滋賀県犬上郡甲良町、834年創建お寺自慢の「桜と紅葉」、 前一面に咲いているのが不断桜不断桜、小さな花です、春秋冬年3回咲くみたい(クリックで拡大します)二つ目の自慢は、名勝庭園蓬莱庭、緑とのマッチングが素敵この苔が嬉しいですね本堂(国宝:鎌倉時代建立)と三重塔(国宝:鎌倉時代建立)国宝制度が出来て最初に指定された国宝がこの本堂、そして第2号がこの三重塔(HPから)本堂に多くの仏像が並んでいて実に壮観、いずれも平安・鎌倉・室町時代のもの撮影OKでないのが残念 撮影OKにすれば参拝客もっともっと増えるし、お賽銭もはずむのになぁ(HPから)三重塔も拝観出来ます、別途特別拝観料ですが、一面の壁画と大日如来様撮影OKでないのが・・・・・定番の紅葉の向こうに三重塔お寺さん自慢の3・4・5・6番は本堂・三重塔・仏様・壁画近江国の教林坊・湖東三山の紅葉、いずれも凄いです因みに湖南三山も紅葉の名所 ー 3日目に続く ー
2018.11.28
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丑寅の二人旅 第78弾 近江で紅葉狩り、諏訪にも寄り道 2日目11月27日: 紅葉狩りに邁進します近江八幡市安土町、観音正寺・観音寺城・安土城趾・信長の舘を全て無視して、紅葉の名所「侘び・さびのかくれ里」教林坊へ表門竹林もナカナカのもの小高い山に建てられたお寺さん、配置の妙、上から紅葉越しの眺めが素敵教林坊、聖徳太子によって605年創建紅葉燃えてます境内に入れるのは、春ゴールデンウィークの土日祝日休日と秋の紅葉シーズン併せて50日程度だけ庭と書院と紅葉と(上からの眺めの妙)本堂、ご本尊?(クリックで拡大します)教林坊一番の自慢:遠州庭園(桃山)の苔の緑と紅葉の紅水琴窟です年間50日程度の公開日の内40日は紅葉シーズン(後半20日はライトアップも)、紅葉には絶対の自信ですね 小さなお寺さんです東に移動します、今回の紅葉狩り主役の一つ湖東三山百済寺、金剛輪寺、西明寺、近畿地方の紅葉の名所なので紅葉スポット・ランキングbest3内かと思いきや、best10にも入っていない、精々17位辺りです仕方がないですね、上位には京都の東福寺・東寺・清水寺・嵐山など有名処がいっぱい、更に箕面の勝尾寺、奈良の談山神社も上位にありますし、同じ滋賀県ではメタセコイア並木が新興地なれど上位に最初は百済寺、寺伝では606年に聖徳太子創建滋賀県東近江市にありますこの季節は池を配した池泉廻遊式庭園と紅葉が自慢池の向こう側が山になって、紅葉が燃えて見下ろした池の周辺もナカナカのもの一面真っ赤も良いけど、松の緑が入るのも嬉しいですね(クリックで拡大します)木の幹まで赤く染まって(クリックで拡大します)遠望台からの眺め、澄み渡っていると琵琶湖、更には比叡山が見えますお寺さん自慢の遠望デッカイ草鞋の仁王門この百済寺、自火や信長の焼き討ちで、創建当時の建物はほぼ焼失この辺りの産品なのか? 松茸、1パック¥3300、それ程高くないのでは? (途中の道端で、「百済寺松茸始めました」の看板が)近江牛コロッケ・松茸フライ・松茸ご飯・よもぎ餅湖東三山2つ目のの金剛輪寺に向かいます ー 2日目の2に続く ー
2018.11.27
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丑寅の二人旅 第78弾 近江で紅葉狩り、諏訪にも寄り道11月26日: 最初は近江国・甲賀いちいの観音 櫟野寺(らくやじ)、滋賀県甲賀市にありますが、近江国・甲賀との言い方には一寸違和感が紅葉の名所ではありませんが、取り敢えず紅葉の様子ですそれと五色幕(緑丸)千体観音?(緑丸)と仏旗(オレンジ丸)仏旗(ぶっき)は、宗派関係なく、仏教である事を示す旗らしいです上の五色幕と同じ配色ですね 五色幕も仏教を示しています本堂の天井画(櫟野寺HPから)秘仏、日本最大座仏十一面観音菩薩様 ご開帳は33年に一度で、今年がその33年目、10月6日から12月9日までの期間「いちいの観音」の謂れは、「いちい」と言う樹で彫られた観音様そして「いちい」を漢字で書くと「櫟」、櫟野寺の櫟です(櫟野寺HPから)こちらは、薬師如来様、甲賀三大仏のひとつ両方とも3m程の仏様、2体が並んでいると迫力がありますえーと、十一面観音様は一刀彫り? 薬師如来様は寄木造り甲賀なので、矢っ張りありました「忍びの里」近江八幡市に移動します「與平さん」 お蕎麦屋さん近江八幡市、近江商人の街並み・景観を整えています「鉄砲町」、織田信長が鉄砲を造らせたのかな?「薬師町」、薬師・薬ですね近江八幡市の歴史的観光スポットは「八幡堀周辺」と「安土町周辺」の2箇所、現在は「八幡堀周辺」に来ています八幡堀、支流ですね 近江商人、琵琶湖を利用した水運物流、船は八幡堀で城下町まで乗り入れヴォーリス学園近江商人、一説では近江八幡・五箇荘(現在の東近江市五箇荘)・日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町)の3箇所の発祥(集合?)とか、五箇荘が一番多かったとか、「てんびんの里」など近江商人舘跡は五箇荘に多く残っているみたいです近江商人・大坂商人・伊勢商人(日本三大商人)、「近江泥棒・伊勢乞食」と言う悪口も近江商人をルーツとする会社多いですよ、丸紅・伊藤忠・大丸・高島屋・東レ・ワコール等々近江商人など由来の史跡・観光スポットを無視して向かったのは普陀山妙法寺山門は小さいですね本堂です、1733年開山の黄檗宗(おおばくしゅう)と言う余り聞き慣れない禅宗本堂のお仏壇何と言っても、秘仏「護船観音(ごせんかんのん)」、ご開帳は100年に一度赤丸の厨子に中に居られます(お寺さんブログから)1200年前に観音大士慈覚大師が難破した船の竜骨を彫ってお作りになりました船に乗られて棹をお操りになっておられます、仏様としては珍しく横を向かれておられますのは、船を操りながら進行方向をご覧になっていらっしゃるからです嵐に遭遇し沈没寸前に観音様が現れて船を操ってお救いになりました観音様、船の上でも雲に乗っておられます(近江商人物流船の守護)であらせられます100年に一度のご開帳、前のご開帳は住職が学生だった47年前、えっ!? 今年は住職代替わりと言う事で、特別臨時ご開帳新住職、愉快で・人懐っこくて(失礼)・話し好きで(失礼)・楽しいお方、梵唄(黄檗宗お経、唐音で読んで、音楽的な旋律、太鼓・鈴・木魚・シンバルもどきで奏でるお経バンド:CD出せば売れるのでは、あるいはYouTubeで行きますか)、イラスト入り経本読み聞かせ頂き、お茶菓子までご馳走に、楽しい一時でした写真は、お経本・携帯鈴(柄/座布団/鈴)・お茶菓子 ー 2日目に続く ー
2018.11.26
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丑寅の二人旅 第77弾 茨城県は袋田の滝、それと10月2日: 台風24号が日本列島直撃、1日に出発するか2日にするか二転三転して最終的に2日出発に最初は本命の袋田の滝東京外環道から常磐道で、ところが外環道に乗る前から酷い渋滞、更に外環道に乗ってからも常磐道に入るまでずっと渋滞、結局1時間半遅れの4時間掛かっての到着茨城県大子町袋田、茨城県の殆ど北の端、あと5kmちょっとで福島県袋田の滝入口、多くの土産物屋さんこちらはお店ではないですよね大八車の車輪、レトロなブリキ看板(たばこ/米/キッコーマン醤油)、木製の農機具、でっかい天狗のお面いい味を出している神社 お寺さんだったか?39年前(1979年)に完成した観瀑用のトンネル(クリックで拡大します)袋田の滝、第一観瀑台からの眺め、一番近いので迫力が第一観瀑台はこんな感じ 霧状の噴霧で濡れます遠足の小学生日本三名瀑のひとつ(那智の滝、華厳の滝、袋田の滝)(クリックで拡大します)第二観瀑台からの眺め、滝全体が見られます 袋田の滝って、三段滝ですねトンネル内にあった不動尊袋田の滝から南に20km、茨城県常陸太田市龍神大吊橋こんな感じです観光用吊橋で、歩行者専用、生活道路(橋)の役目も今のところなし(クリックで拡大します)長さ375m、1994年完成当時は歩行者専用吊橋としては日本一の長さそれでもやっぱり思った通り、「ふるさと創生事業の交付金」が費用の一部として使われていました渡り賃は310円だけど、観光客はどれほど??? 大丈夫??秋の紅葉は素晴らしいのですそれと、高さ100m日本一、バンジー・ジャンプ・スポット橋の中央にバンジージャンプ飛び降り場が若者10名程が集まっていたので、バンジーで飛ぶところを撮影しようと暫し待っていたのですが、 「飛ばんのかい」と言う結末にあーあと言う気分で次に向かいます、大洗町、位置的には南北で言うと、茨城県の中央「めんたいパーク大洗」屋根に乗っているのは、勿論明太子カネフクが運営する見学出来る明太子工場明太子を作ってますこちらは各種明太子商品の販売偶々立ち寄った宿近くのお寺さん願入寺、味のある山門デッカイ梵鐘、デカいです境内にあった、ピカチュウも10月3日: 大洗町の宿の目と鼻の先那珂湊おさかな市場いい物は、それなりの値段ですが、規格外(小さい)はメチャ安い鮟鱇、旬は冬? そのせいですか? 小振りですね最早捨て値、3尾300円(30cmくらい)規格外ばかりに眼が行きました ー 第77弾 茨城県は袋田の滝、そして 終了です ー
2018.10.02
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丑寅の二人旅 第76弾 富山県、石像から高岡大仏も、それと 3日目9月4日: 昨夜は、井波の木彫りと瑞泉寺を散策した後、隣町の庄川温泉泊まり 宿は3-4軒しかないような小さな温泉郷温泉が凄く良い、炭酸鉄泉と炭酸水素塩泉の2つの違った泉質食事も最後の観光は、立山麓の上市町にある大岩山日石寺(クリックで拡大します)お寺さん自慢の三重塔725年創建ですから、古いお寺さん自慢の三重塔ですが、よく見ると、1・2・3階とも壁がありません建築時にお金がなくなったので、壁付けなかったらしいです今では、それが売りになってます(クリックで拡大します)立山の山岳信仰の一端として、最盛期は21社60坊を数えたと言いますから、現在のお寺が21個あったようなもの正式名称は真言密宗大本山 大岩山 日石寺大日堂(クリックで拡大します)一番の自慢磨崖仏(不動明王像)大岩に彫られた仏様、彫った後に雨風を凌ぐために本堂を作ったのかな??八体仏六本滝、滝行の場、6本なので6人纏めて?お寺の直ぐ隣、千巌渓(クリックで拡大します)十二支滝なので12本十二支のそれぞれのご本尊が龍の乗って、龍の口から滝が、ですね阿覚窟山門百段坂、お寺の脇を麓から登る様になっていて、これが門前町ですそして、この門前町の一番の名物が「大岩 そうめん」大岩山日石寺を最後に家路に ー 第76弾 富山県、石仏から高岡大仏も、そして 終了です ー
2018.09.05
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丑寅の二人旅 第76弾 富山県、石像から高岡大仏も、それと 2日目-2高岡市4つ目の顔、瑞龍寺確か富山県唯一の国宝が瑞龍寺、観光案内に「国宝瑞龍寺」と紹介されています国宝が無い県もあるので、さぞ誇らしいでしょうね堂々たる山門、これが国宝です(クリックで拡大します)瑞龍寺が好んで使う絵柄「緑に映える境内」、緑の向こうに仏殿、これも国宝もう一つ、緑と仏殿と山門と更にしつこく、緑と仏殿と法堂(左)、法堂も国宝お寺の境内に芝って珍しいですよね、普通は玉砂利か庭園窓から境内を眺める仏殿内部、総欅造り、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁は建築技法の妙らしいです法堂内部、 格天井の絵は狩野派烏瑟沙摩明王東司の守護神ですので、まさに「トイレの神様」です日本最古で最大級です瑞龍寺門前に門前町がありません唯一2軒あったお店のひとつ、甘味処内部高岡市から西に20km、小矢部市宮島峡全国的には殆ど無名、知る人ぞ知ると言うのも憚れます??この宮島峡の自慢は3つのナイアガラ(クリックで拡大します)一の滝、落差3m先客が居ました、我々が行くと、何故かソソクサと帰っていきました写真真ん中の丸、甌穴ですこちらも見事に丸い甌穴(クリックで拡大します)一の滝、上から見ると、よりナイアガラっぽい(クリックで拡大します)二の滝これは二の滝もどき(クリックで拡大します)三の滝、一番インスタ映えしそう奥にも滝の流れが3つの滝周辺を含め、この川「子撫川」2km程度の流域に、12体の有名な裸婦像・ヴィーナス像・人魚像のレプリカが設置されています三の滝上流川の中の人魚像 一番人気のヴィーナス宮島峡から南に25m、南砺市井波へ瑞泉寺の前に伸びる門前町「八日町」門前町ですが、お土産やさんなどの賑わいはほぼゼロ代わりに木彫りのモニュメントが並んでいるのは木彫工房ここ井波は「日本一の木彫りの町」を自称しています地酒販売店はありました木彫り工房内部、殆どの工房、覗くことが出来ます唯一のお土産屋さん?瑞泉寺山門(クリックで拡大します)山門から本堂と太子堂(左)を眺めます正式名称は、真宗大谷派 井波別院瑞泉寺別院(本山に準ずる)ですので、位の高いお寺さん 1390年創建井波の彫刻の妙「雲水一疋龍」彫刻もさることながら、屋根裏の垂木・虹梁も凄いです本堂内部、中央上欄間部分の彫刻「唐狭閒迦陵頻伽」瑞泉寺の彫刻、井波の木彫り妙なのか? 瑞泉寺建立・彫刻の為に、木彫り職人が集まり・育ち・居着いたのか?(クリックで拡大します)太子堂、結構ゴテゴテ、それが良いですね瑞泉寺から600m、井波木彫りの里・道の駅 ー 3日目に続く ー
2018.09.04
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丑寅の二人旅 第76弾 富山県、石像から高岡大仏も、それと 2日目9月3日 城下町として栄えた高岡市に移動高岡市1つ目の顔:土蔵造りの街並みは、山町筋、右端の家屋が土蔵造りこの土蔵造りは、明治後期の建築距離にして2・300m程の区間ですか高岡市2つ目の顔: 高岡と言えば、高岡大仏、山町筋から600m程道の彼方に大仏さんシルエット、町の中に大仏ってナカナカ交通信号の向こうに大仏さん(クリックで拡大します)石灯籠、手水、間違いなくお寺さん大仏さんアップぅ大仏さん横から大仏さん後ろから(クリックで拡大します)大仏さん、下から、ベスト・アングルらしいですが?ところで日本人が好きな、丑寅も好きですが、「日本三大・・・」、「日本三大大仏」と言えば、奈良の大仏(14.7m)、鎌倉の大仏(11.39m)はスンナリ確定、3つ目が問題江戸時代は: 京都方広寺の大仏(高さ19m)/1798年焼失戦前は: 兵庫大仏(神戸市能福寺、高さ11m)/1944年解体現在は: 岐阜大仏(岐阜市正方寺)、高さ13.7m)と高岡大仏(高岡市大仏寺、高さ7.43m)が競っていますが、どうやら三番目は空位と言う説が有力みたい富山市にもありましたが、ここ高岡にも市電(トラム)、市電と並走して走っていて右折に気を遣います通常設けられている右折レーンの位置が市電の軌道、なのでそこに入って停止出来ない、なので本線上で停止するしかない、更に対向車線の直進車だけでなく、右後ろから直進してくる市電も要確認基本は「軌道に入らない、横切るだけ」「市電は急に止まれない」続いて高岡3つ目の顔、金屋町(鋳物師の町並み)伝統産業、銅器/銅鋳物製品の工房・販売店が並んでいます金屋町エントランス公園、水のモニュメント金屋町らしい、地元小学生の銅鋳物作品(クリックで拡大します)金屋町街並み、特徴的な「千本格子」(地元では「さまのこ」と言います)銅器・銅鋳物の町なので、銅像(余談ですが、2018年9月からの「吉永小百合さん出演のJR東日本大人の休日倶楽部のCM」、この金屋町がロケ地ですね、この体操銅像が出てました)えっ、「鐵瓶屋」、銅の町なのに 女の子は銅像だけど中は? 鉄瓶でぇす梵鐘の製造過程、資料館です高岡市、銅器(香炉・仏具など)全国シェア85%、梵鐘(お寺の釣鐘)70%だとか ー 2日目-2に続く ー
2018.09.03
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丑寅の二人旅 第76弾 富山県、石像から高岡大仏も、それと9月2日 最初は富山市の「ナニコレ 珍百景」、石像と石仏富山駅から17km、富山市牛ヶ増(うしがませ)(クリックで拡大します)「おおさわの石仏の森」、500体程の石仏が整然と? 雑然と? 設置されて これは3つ目の塊 3つ4つの集団になっているみたいです(クリックで拡大します)これは第1集団?(クリックで拡大します)基本は石仏ですが、これは銅像、位が高い仏様?そして石仏の森から800m程離れたところに、「ふれあい石像の里」が(クリックで拡大します)こちらは割と整然と 2列3列で向かい合って行儀良く並んで座って基本は、仏様でない石像ですが、1塊だけ仏像集団が赤丸部分、大仏さんみたい(クリックで拡大します)「ふれあい石像の里」最大の特徴は、素人さんの石像誰だぁ? このおっチャンとおばちゃんは みたいな実在する人物の写真(正面・側面・後ろ姿)を送って、中国の石工に作らせたとか「おおさわの石仏の森」「ふれあい石像の里」、併せて1290体、2005年頃から始まったらしいです、全て中国で製作、船で輸送、1000トンとか3000トンだとかこの石仏の森と石像の里、神通川の辺、赤丸は神通川第二ダム本日のメインイベント「おわらの風の盆」に行きます越中八尾駅から踊り会場の11の町に向かう道には、今日が稼ぎ時の露店がケバブですが、アラブ人? トルコ人?大串焼き、値段もソコソコ、見た目には上質の肉みたい最近の屋台、安かろう悪かろうじゃないですね聞名寺境内、右の本堂の軒で踊りが始まります2014年に来た時、雨で2時間中断している間、この本堂の軒だけ、踊りが続いた有り難い場所足を上げて固まる、男踊り2014年に来たときは、夜の踊りの撮影は、アングルを色々変えてみても、街灯の強い光が入り込み、撮影としては悲惨な状態なので、今回は撮影は昼の部で、夜は踊りを楽しむ方向でだけど、撮影した昼の部は、矢っ張りちょっと寂しいですね ー 2日目に続く ー
2018.09.02
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丑寅の二人旅 第75弾 千葉は鋸山から成田山他 2日目・3日目7月24日続き: 成田山新勝寺から千葉県北の端の佐原へ香取市佐原、隣は茨城県潮来市佐原の見どころ・顔は、① 小江戸と呼ばれた宿場町=古い街並み ② 水郷の郷 ③ 伊能忠敬の活動拠点佐原の街並み: 利根川沿いに位置し、霞ヶ浦、江戸川・江戸への水運交通の便も良く、宿場町として繁栄し、小江戸と呼ばれました 残っている古い街並みは、さほど広くない、小規模かな?半鐘 佐原観光名物 舟巡り: 小江戸さわら舟巡り(小野川沿いの古い街並みを巡る)と加藤洲十二橋めぐりの二つがあります因みに隣の潮来市には、「前川十二橋めぐり」があります佐原も潮来も、利根川・利根川支流・霞ヶ浦・北浦が造る水郷ですから伊能忠敬旧宅、商人で測量家、当時の測量器(コンパス?)伊能忠敬旧宅から外を眺めました樋橋(ジャージャー橋)、本来は人が通る橋ではなく、水路として樋を川を跨いで通したもの水を町の東から西(ん? 西から東)に流したくて、樋を掛けたもので、その後、人が渡れる橋に改造したもの横利根閘門(よことねこうもん): 日本のパナマ運河???閘門(水門)外側からの眺め霞ヶ浦・北浦・利根川・江戸川・江戸を水運交通で行き来する霞ヶ浦と利根川を結ぶ横利根川、利根川と横利根川の水位が違うので、およそ90mの距離の両端に水門(閘門)を造り水門を片方づつ開閉することでそれぞれの川の水位と合うように調節し、船を安全にそれぞれの川に移動させた水門開閉の機械・歯車1922年に完成し、全盛期は年間60,000隻余りの船が往来二つの閘門の間(90m)、船はここで水位調整を待ちますこの横利根閘門、今も現役、年間1-2,000隻の釣り船・レジャー・ボートが往来します横利根閘門の位置、水戸・北浦・利根川・江戸川・江戸と船で行けそうですね7月25日: 最終日、 水郷佐原あやめパークでハス祭り ー 第75弾 千葉は鋸山から成田山他終了です ー
2018.07.25
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丑寅の二人旅 第75弾千葉は鋸山から成田山ほか 2日目7月24日: 房総から成田に移動 成田山新勝寺 940年開山 真言宗ですから弘法大師系列ですね総門です、2008年建設と比較的新しい、なので国宝ではないです総門から仁王門方面を、何やら露店が露店の正体、薬味売り???仁王門、国の重要文化財仁王門の提灯、築地魚河岸が奉納大本堂(左)と三重塔、大本堂は1986年建造、未だ新しいですね節分の芸能人・関取の豆まきが有名三重塔、垂木などへの煌びやかな彫刻囲碁を打ってます各層の屋根下は「極彩色で彩られた雲水紋の彫刻」って表現で良いのかな御祈祷に聞き入る人お坊様釈迦堂、1858年建立 重要文化財、現在の大本堂が出来るまでの本堂でした さらにその前は光明堂が本堂でした額堂、1861年建立 重要文化財御信徒から奉納された額や絵馬を掛けます掛けられた額成田屋ですね 寄進された市川團十郎像平和の大塔、1984年建立成田山新勝寺の名所は、何と言っても、参道(クリックで拡大します)成田山の参道と言えば、鰻屋捌いてます(黄色丸) それと、 焼いてます(オレンジ丸) ー 2日目-2に続く ー
2018.07.24
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丑寅の二人旅 第75弾 千葉は鋸山から成田山ほか 初日7月23日: 連日の猛暑 逃れる様に旅に 目指すは南房総、ん? 避暑地じゃ無い東京湾アクアライン初めて走りましたぁ展望デッキから川崎市方面を、換気の「風の塔」(黄色丸)、モニュメント「カッターフェイス」(緑丸)反対の木更津方面をPAとしての「海ほたる」、施設はショボイ トイレは少なくて汚い06:00時点で飯食わせるところ、1カ所だけ 最近の他高速道路のPA・SAは充実しているので、それに比べて失望考えてみれば、川崎-木更津15km、ここで休憩必要ないかぁ、通過すれば良いんだぁ最初は鋸山、日本寺、東口管理所から入ると直ぐに大仏さんですこの日本寺、開山は725年と凄く古い、開いたのは行基さんかっては、七堂・十二院・百坊と凄い境内・施設だったらしいです 今は1堂か2堂だけ? 弘法大師も修行されたとか鋸山、正式には乾坤山(けんこんざん)、なのでお寺さんも、乾坤山日本寺(クリックで拡大します)ご本尊はこの大仏さん「薬師瑠璃光如来」、石の大仏さん、高さ31m、奈良の大仏さん18mよりも随分デカい日本寺境内の石段総数2,639段、これは日本一(金比羅さん1,368段、山寺1,070段)と言う事で、一旦山麓まで降りて、ロープウェイロープウェイから川崎方面の眺めこの選択は正解 この日は熊谷で41.1℃の日本最高気温を計測した日本一暑い日でした日本寺名物の「地獄覗き」 地獄覗きデッキですねロープウェイ山頂駅から地獄覗きデッキまで結構キツい 傾斜がキツい、肥満の人5回は休憩が必要 地獄覗きデッキへのアプローチこれがその地獄覗き、地獄の底を覗く? 100mの深さだとか地獄の底から見上げて、黄色丸が地獄覗きデッキ この地獄の底にあるのが「百尺観音」、高さ30m地獄に落ちた亡者を救ってくれるのかな?(クリックで拡大します)1966年完成ですから、そんなに古くはないです北口管理所、日本寺5カ所の出入り口の一つ、一番山頂に近いところ北口ですから、ここから出ると山の北側に向かいます日本寺は、実質的に鋸山の南半分、北半分は別の世界北口から出てロープ手摺り等の急勾配の下り坂戻りは半端なくキツかった たいした距離ではないのに、翌日は脹ら脛パンパンこれがお寺さんとは別世界の北半分、石切場跡 ラピュタの世界放置され朽ち果てたブルドーザーその他にも何やら機械類何ですかねぇ? 荷物搬送ロープウェイ(索道)支柱??車力道? 荷車を引く為に石を敷いてあります石切の跡、マンションみたい切り出された石は房州石、主に建材として使われます、石塀や石灯籠も建材として有名な栃木の大谷石よりも少しグレードが落ちるのかな切り通しになっていて、少しの苔と奥からの光と緑の木立、良い雰囲気この石切場の操業は、江戸時代1780年頃から1982年までの約200年間ラピュタの世界と称される「石切場跡」は600-700mの範囲ですね岩舞台・観音洞窟・吹抜洞窟・絶壁階段など名前が付けられ、観音菩薩の彫刻・ビリケンの落書きなんかもあるみたいですそれと鋸山、標高329mと低い山ですが、下から登る人は登山届を出すみたいです鋸山(日本寺、石切場跡)を終了し、外房方面に君津市にある「濃溝の滝」(亀岩の洞窟)(クリックで拡大します)洞窟の中を滝(単なる流れ?)が流れてます最近ネットで評判、インスタ映えするとか上の写真でも洞窟奥の光が手前の川面に映っていますが、朝日の具合によっては、光の筋が射して光のハートを形作るらしいですこの濃溝の滝、洞窟は人工のトンネル川廻し(河川曲流短絡工事)と言う土木工事で岩山を刳り貫いたトンネル大きく蛇行した川の湾曲部分をトンネルや切り通しでショートカット(川廻し)し、水が流れなくなった湾曲部の川跡を水田にする新田開拓事業そして開拓した新田跡は現在木道に(上の写真)この新田開拓技法は、全国でもこの房総半島南部だけで行われた開拓事業 江戸時代から明治に掛けて450カ所以上行われたとか この辺りで有名な養老谿谷にも川廻し跡が残っているとかそれと、「濃溝の滝」も「亀岩の洞窟」も正式名称ではないみたい、誰かがそう呼んだ事から言われるように因みに濃溝は、元々農業の溝(水路)の「農」が間違って「濃」になってしまったとか ー 2日目に続く ー
2018.07.23
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丑寅の二人旅 第74弾 岐阜・長野・山梨 ごった煮風 4日目6月7日: 山梨県山梨市の西沢渓谷前日の雨から打って変わっての晴天植林ですね 細長いポリ袋が被せられて、動物に食べられない為でしょうか西沢渓谷は秩父多摩甲斐国立公園の中に螺旋状に階段西沢渓谷遊歩道は、甲武信ヶ岳などへの本格登山の入り口余談ですが甲武信ヶ岳は、甲斐(山梨)・武州(埼玉)・信濃(長野)に跨がる山緑が濃い(クリックで拡大します)西沢渓谷一番の見せ場七ツ釜五段の滝(上の部分ですね)(クリックで拡大します)七ツ釜五段の滝(下の部分)この一番の見せ場の滝は、谿谷遊歩道の一番奥にかって木材搬出に使われたトロッコ(森林軌道)山から塩山市までの36kmを結んでいました 昭和8年から昭和43年まで活躍トロッコ拡大、台車(赤矢印)、ブレーキ(緑丸)、レール(黄矢印)下りは勾配を利用した自然自走(ブレーキ操作だけ)、上りは馬にトロッコを引かせました(昭和20年頃からは一部区間をディぜール機関車で牽引)西沢渓谷遊歩道、上りは川に沿って、鎖場など、結構キツイ一方、下りは森林軌道跡(赤丸)に沿って緩やかな下り坂「ひこいっちゃんころばし」(彦一さんが転がり落ちた)、トロッコを操作していた彦一さんが、操作ミスで、馬と一緒に沢に転がり落ちた場所お手軽な遊歩道と嘗めて掛かったら、往復タップリ4時間、結構キツイですが、晴天の下、新緑が気持ちいい ー 第74弾「岐阜・長野・山梨ごった煮風」終了です ー
2018.06.07
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丑寅の二人旅 第74弾 岐阜・長野・山梨 ごった煮風 3日目6月6日:朝から雨 信濃デッサン館・無言館は昨日訪れた前山寺の隣無言館は信濃デッサン館の分館で、戦没画学生慰霊美術館、先の戦争で出征し戦死した画学生の遺作・遺品を展示殆ど作品は展示・出展用に準備されたものでなく、出征した後の部屋・物置にひっそりと残されたもの 東京美術学校卒業・在学の人が多かったです無言館前庭にある、戦没画学生の名前が刻まれた記憶のパレット本家の信濃デッサン館、村山槐多、関根正二、立原道造など「夭折の画家」と呼ばれる、若くして逝った画家のデッサンを中心に展示何故か現在休館中無言館の第二展示館(傷ついた画布のドーム)、天井画は画学生の習作ドームの一室が美術関係の図書室に昨夜の同じホテルに宿泊した「無言館ツアー」の人達も来ていました、講義室で無言館のレクチャーを受けてます 写真は皆さんのお弁当千曲市に移動、 最初は荒砥城山城ですが、殆ど砦ですね石垣はあります、尖った木の柵と奥には櫓荒砥城築城は1550年頃? 11年間に渡る川中島の戦いでは、基本的には上杉方対武田勢への最前線に位置するので、奪われたり・奪い返したり防御柵越しに、兵舎と櫓、ナカナカの構図(クリックで拡大します)櫓の上から兵舎と向こうの館櫓からの千曲川周辺の眺望荒砥城の山を少し下ったところに観音寺(善光寺大本願別院)がありますが、善光寺大本願別院とはどう言う意味なのか???? 知識不足で・・・・本堂の天井に龍の絵天井の龍、何処から眺めても眼が合います、と言う事は、天井の龍は全て「八方睨み」??観音寺の直ぐ隣、澳津神社(澳津彦命と澳津姫命を祀って、唱い文句が男女和合の神様)ご神体です澳津神社から8km、姨捨ですJR篠ノ井線姨捨駅、全国でも希なスイッチバックの駅急勾配の路線、一旦駅を通り過ぎてから停止し、それから後退しながら別の線路で駅に入る、再前進しながら更に別の線路に入り次の駅に向かう赤丸のところ、多くの線路が、スイッチバック用?あれっ、青丸に列車(急行?)が、停止も後退もしないで、通過して行きましたスイッチバックは各駅停車だけ???(クリックで拡大します)姨捨駅からの千曲川・善光寺平の眺望、日本三大車窓のひとつだけど、雨だと眺めがいまいち(クリックで拡大します)姨捨、もう一つの売り、姨捨の棚田田植えが終わった直後のこの時期、1枚1枚の棚田に映る「田毎の月」が有名 今夜は駄目ですね今宵の宿のクジラのオブジェ ー 4日目に続く ー
2018.06.06
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丑寅の二人旅 第74弾 岐阜・長野・山梨 ごった煮風 2日目6月5日:岐阜市から北に35km、到着したのは「名もなき池」場所は岐阜県関市板取「名もなき池」ですが、通称「モネの池」として超有名に(クリックで拡大します)この池らしいショット、澄んだ水に泳ぐ鯉と睡蓮ほか水棲植物元々何の変哲もない農業用ため池、1999年ごろ、近くの花農家さんが池の雑草を除草し、睡蓮を植え、そこに偶々近くの住人さんが、家で飼えなくなった鯉を放ち、その後色々偶然が重なって、モネの作品「睡蓮」そっくりの池に(クリックで拡大します)そして、フランスの画家クロード・モネの作品「睡蓮」を思わせるショット モネの「睡蓮」は1作品だけでなく連作(30以上の作品があるみたい)、池一面に数十の睡蓮の葉を描いた絵、3-4枚の葉と花だけをアップした絵等、少しずつ違った顔が(クリックで拡大します)連作、色々な顔があるので、もう1枚モネの「睡蓮」の雰囲気のショット(クリックで拡大します)こちらは、池の底まで見通せる澄んだ水を強調した1枚今の時期に咲いている睡蓮の花(左寄り白い花)と丸い葉、コウホネの花(右寄り黄色の花)と尖った葉池の水が濁らないように色々工夫されて、日々メンテナンスしているみたいただし、モネの「睡蓮」には鯉は描かれていない?朝の10時ですが、既に多くの人が近くの喫茶店、モーニングならぬモーネング池に行かず、河原で戯れる二人再び長野県に戻ります、上田市まで260km最初は獨股山前山寺樹齢700年のけやきの樹参道本堂、茅葺きの屋根、同じく茅葺きの向拝が立派このお寺さんの名物に「くるみおはぎ」が、基本は予約が必要とか前山寺、真言宗のお寺さん(空海さん系列)(クリックで拡大します)前山寺の自慢の三重塔、「未完成の完成の塔」と言われていますこの塔には縁と手すり(勾欄)が一層だけで、二層・三層にはありません 最初から付けるつもりがなかったのかと言うと、縁の板を乗せるために、横に四角い貫が出ているので、始めは縁をつけるつもりだったが、何らかの理由でやめてしまったみたいその他にも各所にやりかけと思われる所があり、この塔は未完成だとだけど、元々塔は上るものではないので、縁や勾欄は飾り、飾りをとってしまうと、この形になるので、「これでいいのだ」という学者さんも、それと、飾りがなくても綺麗に調和しているので、「未完成の完成の塔」と言われるように今宵の宿の別所温泉に移動(クリックで拡大します)こちらは安楽寺の八角三重塔、国宝です新緑と三重塔、インスタ映えしそう北向観音境内の「愛染かつら」の桂の樹 川口松太郎が、この樹に着想を得て書いた恋愛小説が「愛染かつら」愛染かつら、何回も映画・TVメロドラマになっています、最初の映画の主演は田中絹代・上原謙こちらが北向観音本堂、長野市善光寺の南向観音と向かい合っています北向・南向、両方を参拝しないと「方参り」になるとか常楽寺の茅葺き屋根の本堂、先程の北向観音は常楽寺の一部(400mほど離れてます、飛び地ですね)常楽寺境内の「御船の松」、横に拡がって船みたいに、樹齢350年上田盆地の西半分「塩田平」、信州の鎌倉と呼ばれ、古刹・名刹が多く、お寺詣でも面白いですそれでは、別所温泉の色々な顔を塩田平眺望消防団芍薬お湯かけ地蔵さん裏路地、山間の温泉地、狭い土地にギッシリと外湯です、これは真田幸村隠しの湯 他に三つの外湯があります猫の置物、ホテルの飾り猫の置物その2つるし飾りのオブジェ、青丸は無料の「味噌汁」、今宵の宿です ー 3日目に続く ー
2018.06.05
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丑寅の二人旅 第74弾 岐阜・長野・山梨 ごった煮風 初日6月4日: 一応主役のある旅ですが、脇役も目立って それでタイトルはごった煮風最初は長野県蓼科、御射鹿池(みしゃかいけ)池の奥は緑の林、水面は穏やかに林の木々を綺麗に映して、無理矢理にでも緑を強調(クリックで拡大します)御射鹿池が有名になったのは、日本画家東山魁夷の代表作の一つ「緑響く」、この池をモチーフとして描かれたのが「緑響く」更に更にこの池を有名にしたのは、2008年頃から頻繁に放映されたシャープ液晶TV 「AQUOS」のCM「緑響く」と御射鹿池を背景に吉永小百合さんが白馬と触れ合うCM上の写真、その絵・画像の雰囲気、下半分も池に映った木々の緑(クリックで拡大します)この池の水、強い酸性です なので、魚は棲んでいないので、濁りが少なく、水面への木々等の映り込みが綺麗御射鹿池から流れ出る水路、緑の苔、酸性の水を好んで生息するチャツボミゴケ御射鹿池から北へ600mにあるのが、横谷峡の散策コースの東側最終点、「おしどり隠しの滝」(クリックで拡大します)3段4段?横に長く流れ落ちる綺麗でナカナカ豪快で周りの新緑と滝の壁・川底の緑がマッチして 思わず、「おぉー」と(クリックで拡大します)お釜(滝壺)の形が良いですね 水量が豊富で豪快滝の壁・川底の緑、チャツボミゴケ この川の水も強い酸性長野県蓼科から岐阜市に移動します、220km/3時間30分程の道程途中でアクシデント、中央高速途中の飯田山本ICで追い出されますこの先の恵那トンネル出口で事故だとか 一般道で恵那山トンネル(中央アルプスを貫く8.5km)を一般道で走る・・・峠越え・・・料金所から一般道へのアプローチも渋滞してノロノロ、時間ロスはどれ位になるのか一般道への交差点一歩手前で、天使の声「名古屋方面開通しましたぁ」Uターン、再び高速道路へ岐阜市到着、今回の主役のひとつ長良川鵜飼い鵜飼い観賞は、屋形船の観覧船、30人座れますね鵜飼い観覧船、乗船は6:15/6:45/7:15、だけど鵜飼いそのものは1日1回6:15乗船組は、鵜飼いが始まる前に、観覧船で夕食・ビール、週に1-2日は踊り船が出ます、踊りを見ながらの食事も「狩り下り」、観覧船が船団を組み、鵜舟1隻と並走して川を下り鵜飼いを観賞、今回は観覧船3隻が互いを縄で結わえて一つの船団を組みました鵜舟・観覧船の並走、かなりの速度、撮影は難しいぃ鵜は泳いでいる魚を獲ります、魚を脅かしながら川下に追い込み、鵜は逃げる魚の白い腹を見つけて咥えます青丸部分は隣の観覧船の舳先(クリックで拡大します)写真、ボケボケ 赤丸:鵜匠、 青丸:とも乗り、 黄丸: 鵜こんな風に撮りたかったなぁ (パンフレットから)水中で咥えた魚、水面に顔を出して、咥え直してから飲み込みます、その時に魚が跳ねるのが見えることがあります鵜の首を手縄で括っていますが、その括り加減で、小さな魚はお腹(胃)まで落ちて行き、喉で留まった魚が漁の獲物「総がらみ」、鵜舟(5隻)が川幅いっぱいに横一列になり、一斉に魚を浅瀬に追い込む、これが本来の漁鵜飼いの獲物は鮎ですが、鵜は鮎を選んで獲りません、目の前の魚何でも獲ります鮎以外は鵜の餌となります(クリックで拡大します)最後に鵜を舟に引き上げ終了、この時魚3-4匹餌として与えます黄丸:鵜匠、赤丸:引き上げられる鵜これが鵜飼いの獲物 鵜飼いは5月11日から、鮎漁解禁・放流直後、未だ鮎は小さめ赤丸は稲葉山城(岐阜城)、斎藤道三・織田信長が居城に、鵜飼いはこの山(金華山)の麓の川で長良川の鵜飼いが一番有名ですが、日本全国では12箇所で行われています、中国では民芸文化財でなく、今尚実用の漁として続いているみたいです ー 2日目に続く ー
2018.06.04
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丑寅の二人旅 第73弾 富士山周辺で花見とお寺と、日本三大○○も 3日目4月7日: 今朝夜明け時、漸く富士山が現れました前回の富士山周り観光「(続)甲斐で見るより、駿河良い」では、3日間一度も富士山が見られずなので、雲に隠れる前に、写真撮りまくり夜明け直前の富士山(天辺に笠雲)、手前の湖は田貫湖(クリックで拡大します)日の出直前、僅かに朝焼けが右肩に太陽、湖面にも太陽雲が中腹を横切って行きます(クリックで拡大します)この日、富士山は、3時間ぐらいで隠れました田貫湖から北北東に70km山梨市に「雁坂道」(山梨県塩山から埼玉県秩父に抜ける国道140)沿い、川浦口留め番所、簡易関所ですねこの番所観光、偶々の産物、この後の渓谷・滝散策の為の駐車場を探したら、偶々この番所の駐車場が笛吹川沿いの集落、三富上釜口、現雁坂道からはかなり下ったところこの辺り、桜は未だ満開この桜、蔦に寄生されまくってます、苦しくない?集落にあった、小さな祠猪避け? 鹿避け? 電気柵です集落から更に川(笛吹川)に下って、清水渓谷一之釜、釜沢滝一之釜、女滝(クリックで拡大します)そして、一之釜滝(男滝)山梨市指定の名瀑 インスタ映えの滝として少し評判に 最近TVでも紹介されましたここから更に上流に数km行けば、有名な西沢渓谷がここから一旦南下し、その後東に走り山梨県大月市に桂川に架かる奇妙な橋(手前)、トンネルに繫がっている、列車・トロッコ軌道?上から覗いて、水道橋でした 分かりにくいですが、水が勢いよく流れてますそして、お目当ての猿橋(クリックで拡大します)猿橋は、下から見上げてこそ猿橋この木組みの妙猿橋、山口県岩国市の錦帯橋、富山県黒部市の愛本橋と並び日本三奇矯(愛本橋に代わり、長野上松町の桟(かけはし)、徳島三好市のかずら橋が入る説も)今回の旅、4つの日本三大○○が 日本三大だるま市: 毘沙門天妙法寺 日本三大山門: 身延山久遠寺 日本三大巨桜: 神代桜 日本三奇矯: 猿橋富士山周り、南から西、北、最後は北東の猿橋と巡りました ー 第73弾 富士山周辺で花見とお寺と、日本三大○○も 終了です ー
2018.04.07
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丑寅の二人旅 第73弾 富士山周辺で花見とお寺と、日本三大○○も 2日目4月6日: 下部温泉のある身延町は富士山のほぼ真西、距離で20-25kmのところ、そこから北に1時間20分の走行山梨県北杜市実相寺実相寺、周りは畑、その先に桜(クリックで拡大します)神代桜(じんだいざくら)国指定の天然記念物、天然記念物としての名称は山高神代ザクラエドヒガンザクラで樹齢1800年とも2000年とも言われています 日本最寿の桜福島県三春町の滝桜(紅しだれ桜)、岐阜県本巣市の淡墨桜(エドヒガンザクラ)と並び、日本三大巨桜の一つ幹の太さ、半端ないです神代桜、実相寺境内の端の方、周りを神代桜の娘達(?)が固めてますエドヒガンザクラ、ピンクが濃いですねエドヒガンザクラ、少し遅咲き?、今が満開実相寺、もう一つの自慢の黒松境内には多くの桜の樹、3-40本はあるかな、それと 多くの種類とユニークな桜もこれは、岐阜県本巣市の淡墨桜の子桜黄色いのはラッパ水仙こちらは、昨日訪れた身延山久遠寺のしだれ桜の子桜更に、更に、福島県三春町の滝桜の子桜日本三大巨桜の子桜を全部持って来た、・・・やり過ぎでは(クリックで拡大します)境内の至る所に桜、ここは本堂前昼前から風がやや強くなり、桜吹雪が楽しめました風に舞う花びらを狙ってシャッターを・・・ 駄目でした、花吹雪、撮れず今度は南東に30km走り、山梨県笛吹市八代ふるさと公園この公園だけでなく、笛吹市ほぼ全域で3月下旬ー4月下旬期間、笛吹市桃源郷春まつり例年なら未だ桜ソメイヨシノですが、今年は既に桃桃の生産量、市町村別ランキングで、笛吹市は全国一、なので桃源郷7月、桃食べ頃に桜も残っていました 枝垂れの八重桜この公園、元々古墳だったみたい写真中央横に走っているのはリニア実験線の軌道、少し離れた所にもっと長い軌道があって、リニア・モーターカー走行が見られます移動します 南に15km 富士五湖の一つ西湖の近く、西湖いやしの里根場茅葺き屋根の家が20軒程河口湖町が設立・運営する野外博物館と言う位置づけ元々あった根場集落が台風被害・土石流被害で移転した跡地に茅葺民家を復元伝統工芸の製作・展示・体験の施設江戸時代の娘っ子コスプレ体験も吊し飾り工房、飛騨の猿ぼぼ、稲取の吊し飾りもそこそこ観光客が来てましたが、日本人は居なかったみたい中国・東南アジアが9割、欧米系1割かな南に20km走り、田貫湖畔の宿に泊まります ー 3日目に続く ー
2018.04.06
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丑寅の二人旅 第73弾 富士山周辺で花見とお寺と、日本三大○○も 初日-2道の駅とみざわから北上、今回の旅の目玉のひとつ「花見とお寺」の身延山久遠寺日蓮宗の総本山です最初は門前町の風景身延山久遠寺自慢の山門、京都の南禅寺・知恩院とならび日本三大山門です山門、横から山門と紅しだれ桜(クリックで拡大します)紅しだれの向こうに山門 今、紅しだれ櫻が満開菩提梯、287段の石段、凄く傾斜が急上から眺めると、急傾斜が良く分かります(クリックで拡大します)菩提梯を登って、境内 左に五重塔、右に本堂・仏殿など本堂(左)と祖師堂祖師堂向拝の彫刻、良いですね(クリックで拡大します)鐘楼と五重塔シャンデリアみたいそれでは花見へ 身延山久遠寺、桜の名所お寺さん自慢の一番の枝垂れ桜(白)、あーぁ完全に葉桜、例年より1週間速い少し遅咲きの紅しだれ桜、今が満開 境内から外れた西谷の紅しだれ桜紅しだれ桜、山門前・境内・西谷で咲き誇ってます「魔女の宅急便」、身延山久遠寺と何か関係が??身延山限定の桜餅?身延山山頂1,153mにある奥の院、ロープウェイの高低差763mお勤めに向かうお坊さん(ん? 食事かな?)斜行エレベーター、西谷駐車場と境内を結びます、菩提梯を登るのが嫌な人は、これを 無料です身延山久遠寺を離れます、北へ20分程走って今宵の宿の下部温泉郷、下部温泉駅(身延線)下部温泉、貴重な混浴岩風呂があります 政府・自治体は新たに混浴風呂を許可しないらしいので 今ある混浴風呂は貴重 ー 2日目に続く ー
2018.04.05
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丑寅の二人旅 第73弾 富士山周辺で花見とお寺と、日本三大○○も 初日富士山周りでの観光は、2013年5月/2016年7月「甲斐で見るより駿河良い(嗅いでみるより、するがよい)」に続き3度目2016年は、一度も富士山を眺められずなので、今回は「花見とお寺と」とタイトル変更4月5日:最初は、富士山の南、静岡県富士市、毘沙門天妙法寺日蓮宗のお寺さんなのに、日蓮宗でしょ? 何で? 何これ?(クリックで拡大します)これが、その境内左が毘沙門堂(本堂?本殿?)と客殿は日本風、中央奥は練成道場(インド・パキスタン風)、右手前は中国式龍神香炉堂(クリックで拡大します)龍神香炉堂、どう見ても中国ですね(クリックで拡大します)更に目玉塔、何ですか?この目玉、ネパール式だとかこの塔の中/地下は、150mの洞窟で七福神等が展示もしかすると、これが本堂? 日本風ではないですが鐘楼、普通に日本風、何故かホッとしますお寺の名前になっている毘沙門天それでは、目玉塔の中、洞窟に入ります七福神を主体に色々な物が展示されてます毘沙門天象、左右象はインド?中国?の神様福禄寿ですね、下にあるのはヒンズーの神様?(クリックで拡大します)寿老人(緑の丸)、ヒンズー教の神様?(青丸)、童の絵は中国風でしょう(赤丸)緑丸の寿老人青丸・赤丸部分ですが、ヒンズー教の神様? 顔が縦に3連/腕が6本、凄いです それと中国風童恵比寿天、恵比寿天は七福神の中で唯一外国由来でない純日本原産の神様交歓の図インドの布袋のルーツと書かれていますこれは弁財天ですか、中国風陶器画ですね本堂にあった大達磨超オリエンタルで奇抜なお寺さんですが、高崎市の達磨寺・調布市の深大寺に並ぶ日本三大だるま市が開かれるお寺さんです余談ですが、富士市、この辺りは昔から製紙業が盛んな土地、写真赤丸の煙突、製紙工場です西北西に移動します 岩本山公園(同じく富士市)ミツバツツジが満開お目当ての桜も、未だ未だ健在 ソメイヨシノですかね(クリックで拡大します)こちらは艶やか、ピンクが濃くて、八重桜しだれ桜も見頃この公園、桜よりも梅が有名、花は終わって、小さな梅の実が出来始め梅の時期は、空気が澄んで、梅と富士山が絶好のコラボに桜の向こうに、富士山があるのですが・・・・多くはないですが、芍薬も今が見頃芝桜でしょうか? 桜草?(クリックで拡大します)富士市の街並、製紙工場の煙突も、その向こうは駿河湾再度移動、西北西に、山梨県に入ります山梨県南部町、道の駅とみざわ筍の形、電話ボックス、えぇー、今どき電話ボックス???筍が名産品です 「朝獲れ筍」も売ってました ー 初日-2に続く ー
2018.04.05
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丑寅の二人旅 第72弾 草津で温泉三昧久しぶりと言うか、丑寅の二人旅では初めての列車の旅大宮駅から特急草津3号列車内部車窓、熊谷駅近辺、線路がいっぱい、確か秩父鉄道も走っている筈車窓、高崎駅近辺、操車場かな?ここまでは高崎線、ここから上越線に入ります車窓、新前橋駅近く、妙義山ですね(オレンジ⇩)写真はありませんが、この辺り列車右側に榛名山と赤城山が見えます車窓、渋川駅近辺、ここからは吾妻線車窓、中之条駅、四万温泉への最寄り駅終点、長野原草津口JR吾妻線、途中で一時期物議を醸した八ッ場ダム工事現場を通る筈ですが、どうやらダム横の山壁をトンネルで走っているみたい、何も見えません草津温泉玄関バスターミナル、モニュメント(湯もみ?)温泉まんじゅう、本家ちちや湯畑広場湯畑(クリックで拡大します)湯畑湯樋(湯ノ花採取)湯畑広場、大口開けて足湯(クリックで拡大します)湯畑、湯滝(クリックで拡大します)湯畑広場(クリックで拡大します)ホテルの太鼓ショー長野原草津口、上野行き特急草津2号草津、天下の名湯、観光よりもお湯・温泉、温泉三昧が全てですね車窓の風景・ベストショットを期待していたのですが、特急は速いです なかなか難しかったです - 第72弾 草津で温泉三昧 終了です ー
2018.02.12
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丑寅の二人旅 第71弾 名残りの紅葉? 美濃・三河 2日目-3・3日目香嵐渓・足助の豊田市(西三河)から奥三河の新城市に移動かの有名な長篠の戦いの古戦場「長篠の戦い」と言われますが、主力部隊が衝突した主戦場は、長篠城から西に5km程の設楽原(したらはら)戦いの様子を学ぶ為に、設楽原歴史資料館に日本戦史上初めて鉄砲隊を編制、大量の鉄砲が使われた長篠の戦い騎馬で攻めかかる武田軍を、馬防柵越しに鉄砲隊で迎え撃つ織田・徳川軍の絵図信長が準備した鉄砲は3000丁鉄砲が注目された戦いだけに、資料館には多くの鉄砲が展示、長篠の戦いとは無関係の鉄砲も設楽原で400年以上続いている火おんどり、一種の火祭りですね長篠の戦いの後、間もない頃に、多数の戦死者を葬った信玄塚から大量の蜂が発生し、人々を刺しながら飛び回りました、戦死した武田軍の亡霊だと考えた村人達が、霊を慰める為に、鉦や太鼓のお囃子にのって、大松明(長さ2-3m・太さ80cm)を燃やして振り回しながら踊り供養したのが祭りの始まり 戦いでの武田軍の戦死者は10,000人と言われていますが、5,000人程度だったと言う説も写真は藁を編んで松明を拵えている様子ですね資料館に飾られていた能楽の絵この地は能楽が盛んですが、長篠の戦いで功績のあった長篠城主奥平信昌が、この地に築いた新しい城(新城城)の落成祝に観世宗主を招き祝能を催したのが始まりで、その後庶民の間で広まっていったとか富永神社の祭礼能として、プロでなく素人が舞う全国でも珍しい奉納能織田信長が考案した馬防柵(復元)土屋昌次、武田の武将、馬防柵の2重を突破、3重目で鉄砲隊の一斉射撃で討ち死に長篠から設楽原にかけて、馬防柵・信長本陣跡・各武将の陣地跡・真田/甘利など主たる武将の討ち死に場所等多くの碑が 80箇所近くあります設楽原から長篠城趾史跡保存館に色々展示されていますが、一番人気は、多分これスーパー足軽「鳥居強右衛門」のレリーフ長篠の戦い、発端は武田軍15,000人が長篠城への攻め込み対する長篠城主奥平昌次は500の兵で籠城兵糧庫を焼かれ落城寸前、鳥居強右衛門は志願して、密かに城を脱け出し、徳川の岡崎城に駆け込み、援軍要請のミッションを達成援軍の朗報を報告すべく長篠城に戻る間際で武田軍に捕らえられた強右衛門、「援軍は来ないと叫べば、命を助ける上に褒美も授ける」との武田軍の申し入れに従うふりをして磔台に、ところが「援軍は直ぐ来る! 頑張れ! ファイト!」と大声で叫び、激怒した武田兵に刺し殺されましたレリーフ右下: 長篠城の堀を泳いで脱出する強右衛門レリーフ左下: 武田軍に捕らえられる強右衛門レリーフ上 : 磔にされた強右衛門、ふんどしから黒々とはみ出してる・・・毛?・・リアルなの?こちらは、強右衛門の像、凄くリアル 表情が(クリックで拡大します)長篠の戦い絵図織田・徳川軍勢38,000+長篠城手勢500、武田軍15,000双方の犠牲者数(通説)は武田側10,000、織田・徳川側6,000圧勝と言われる割には織田・徳川側も犠牲者多すぎますそれと何故か残されている武将の討ち死に場所の碑は、武田勢ばかり??長篠城趾、石垣も何も残ってません 丘の下、凹んだところ、堀跡ですか?「長篠の戦い」歴史勉強が終わったところで、本日最後の観光「鳳来寺山」へ鳳来寺と鳳来山東照宮がある鳳来寺山、東海地方有数の紅葉の名所、香嵐渓には負けますが朽ち果てた? 廃屋? と紅葉鳳来寺本堂、簡素ですこの鳳来寺、NHK大河「女城主直虎」の虎松(菅田将暉演じる)(後の井伊直政)が、今川氏の刺客から逃れる為に身を寄せたお寺さんコチラは、三大東照宮の一つ、鳳来山東照宮(クリックで拡大します)鳳来寺山定番ショット、小さな一本松の向こうに鏡岩と紅葉と緑、アングルが悪かったぁ(クリックで拡大します)悔しいので、画像編集で明るさ調整 手前の小さな1本松、少し見えます(クリックで拡大します)鏡岩ショットがだったので、雲海ショットでリベンジ(クリックで拡大します)雲海その2(クリックで拡大します)雲海その3宿のフロント(クリックで拡大します)湯谷温泉の宿から、川の流れが3日目23日、奇岩・渓流とアドベンチャーの乳岩(ちいわ)探索を予定していましたが、雨が残っていたので、滑落が懸念されたので取り止め真っ直ぐ帰宅 ー 第71弾 名残りの紅葉? 美濃・三河 終了です ー
2017.11.23
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丑寅の二人旅 第71弾 名残りの紅葉? 美濃・三河 2日目香嵐渓の紅葉狩り堪能、続いて足助の街並み散策へ足助は、尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道の宿場町、物資運搬や人の通行の中継地足助の街並み、古い面影を残しつつ、モダンなスパイスも、面白いです丁度昼時、うなぎ屋さんの人集り俵を吊して、何ですか???最近売り出し中のマンリン小路、渋墨(?)の黒壁と漆喰塗籠の白壁のコントラストこめ助、人気のおにぎり屋可愛いギャルも観光してますお肉屋さん「井筒亀」シシコロッケは、猪肉のコロッケこちらも井筒亀、老舗の料理屋さん、名物のひとつが猪鍋そして店先に吊された猪肉を捌いた後の猪毛皮「たばこ屋」と言う名の塩問屋、尾張・三河の塩は、当地の最大の物流商品のひとつ、最盛期には足助に14もの塩問屋があったそうです豊田信用金庫、現在足助は豊田市に編入されていますこれは避雷針緑の矢印は妻入家屋、赤の矢印は平入家屋、建屋の様式ですが、足助は両方が混在する珍しい街並み古い広告看板、ツバメの巣跡が10個も(クリックで拡大します)足助の街並みで忘れてはならない川沿いの石垣・石積み階段と家並み ー 2日目-3に続く ー
2017.11.22
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丑寅の二人旅 第71弾 名残りの紅葉? 美濃・三河 2日目11月22日: (クリックで拡大します)今朝の冷え込みが強かったからなのか? 恵那峡を跨ぐように低い雲が東濃を離れ一路三河は香嵐渓に(クリックで拡大します)香嵐渓、中部地方No.1の紅葉の名所左にコンモリと紅葉の塊「飯盛山(254m)」、右に流れるのは巴川、香嵐渓の定番のショットこの絵も、色・アングル(クリックで拡大します)定番の待月橋と紅葉 定食中の定食「焼き肉定食」ですが、悪くない待月橋、橋があれば渡りたくなります 若くて可愛い娘さんも、アベック(死語)なのがこの待月橋からの眺めもグー(死語?)(クリックで拡大します)その眺めがこれ大きな石・岩もごろごろと、左に紅葉、燃えて(萌えて)今が盛りの香嵐渓もみじ祭り、人が湧き出てますお猿さんも、竹馬もどきで参上もみじ祭り、お猿さん以外にもイベント・パフォーマンス、これはシンセサイザー演奏演奏者IZANAGIって、有名なんですね、後で知りましたこちらは、IZANAGI控え室(小屋)兼CD・DVD販売店紅葉の下のシンセサイザー、眺めとサウンド両方を楽しむ娘さん、スタイルが良いですね(お尻も)吊橋香嵐橋、紅葉・緑・川面・吊橋・朱の欄干・青空、いい感じ飯盛山の中腹にある香積寺の境内飯盛山の頂きで香嵐渓、紅葉 真っ盛り ー 2日目-2に続く ー
2017.11.22
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丑寅の二人旅 第71弾 名残りの紅葉? 美濃・三河11月21日: 紅葉狩りには「ちょっと遅くない?」と言うタイミングでの出発向かうは美濃・三河最初は、美濃の東の端(東濃)の中津川市(長野県との県境)(この東濃、2015年10月に「第57弾 飛騨高山 秋の高山祭「八幡祭」と東濃も」で来ました あの時は瑞浪市のギネス認定のデッカイ美濃焼3点に驚き、恵那市の岩村城の元祖女城主を逆さ磔にした織田信長に憤慨しながら、坂折棚田石積みの妙に感動)付知峡(つきちきょう)、全国区ではないですね、「知る人ぞ知る」レベルでしょうか?峡谷の入り口に食堂兼お土産やさん、歓迎看板が8枚 JTB/阪急トラピックス/クラブツーリズムの名前も意外と全国区になって来ているのですか? 本当かな谷、結構深い それとツア客居ます、歓迎看板、見栄を張った偽りではなかったみたい紅葉残ってましたぁ落葉が進んでますこの吊橋、一度に渡るのは3人まで観音滝、そこそこ綺麗で豪快(クリックで拡大します)その他に、不動滝と仙樽の滝がある筈だけど、アチコチで進入禁止で足止め、見れませんでした(クリックで拡大します)この辺りは、完全に落葉 写真の見映えもアングルも悪いですね実は大失態しました 付知峡、上記の不動滝コースの他に、やじろ橋・イワナの里への別のアクセスが必要だったのです そちらではエメラルド・グリーンの渓流が眺められた筈なのに全国区じゃないなんて莫迦にした罰が当たったみたいです付知峡での消化不良を引きずったまま辿り着いたのは道の駅「花街道付知」(この辺り国道257、裏木曾街道と言うらしいです)にあった古道具屋??鎌、鑿、笊自分の影が写真に映り込んで・・台無しに・・中津川の山城「苗木城」、標高432mの山頂、築城は一説ですが、1526年 このお城の売りの一つは自然の巨石・巨岩を石垣の基礎とか櫓台の一部に組み込んだ築城在りし日の苗木城模型、白い部分、巨岩だらけ(クリックで拡大します)苗木城遠景、ちいさなお城、写真右上コンモリした部分、これがお城全体奥は雪を冠した恵那山みどころ其の二、このお城だけで6種類もの違った石積みの石垣が見られます上の写真は、谷積み技法による石垣、うーん石を45度に傾けて積んでいるのが特徴ノミ切り加工整合積み、ノミを使って積石の各辺を直線的に加工、隙間が無くピッタリと積み上がっています切込石整層積み、石の形を調整して積み上げる、面自体はあまり加工しない、比較的小さな積石を使用野面石乱層積み、石の形・大きさはマチマチ、向きも不規則、要は適当 技術的には初期の石積方法、戦国時代によく使われました打込石乱層積み、積石の形が不規則、比較的大きな石を使用三の丸にある大矢倉、巨岩を石垣の基礎として利用してます(クリックで拡大します)本丸口からの三の丸にある大矢倉の眺め、なかなか良い絵に(クリックで拡大します)大矢倉拡大(クリックで拡大します)本丸の天守を下から仰ぎます手前の石垣は、野面石乱層積み本丸天守跡、巨岩が石垣の一部になってますね木の格子は最近造られた天守展望台(クリックで拡大します)みどころ其の三、天守からの眺め、真ん中は木曽川、奥は雪を冠した恵那山、間の街は中津川市街、凄く絵になる眺め、雪の恵那山が綺麗に見えるのはラッキーだとか冒頭に紹介した女城主の城「岩村城」(ここから南に約20km)と苗木城は共に、この地の地頭遠山氏が治めるお城戦国時代に突入すると、織田と武田の板挟み、両者と親戚関係を結ぶなど領地安堵に奔走織田と武田が同盟を結んでいる間はOKでしたが、両者の戦いが始まると大変 美濃は織田勢、隣の信州は武田勢、苗木城・岩村城共に境目、常に衝突の最先端 武田に占領された女城主(織田信長の叔母)の岩村城を奪回すべく織田軍が攻め立てた時の戦闘拠点が苗木城、と言う事で、苗木城と岩村城・女城主は深い関係がとは言え、清酒「女城主」からの連想はNHK女城主直虎ですよねピュアな心(岩村の清酒 女城主) ー 2日目に続く ー
2017.11.21
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丑寅の二人旅 第70弾 大井川と大井川鐵道の奥大井 最終日3日目の最終日にして、漸く晴れ川根温泉付近の大井川に架かる鉄橋、SLが走るところが見れます茶畑の茶葉をアップ、この時期は茶摘みは??雨で延期していたメイン・イベント、接岨峡温泉駅から八橋小道(やっぱしこみち)ラブロマンスロードに入ります何ですかね? 道端に、こけし?犬返り橋(クリックで拡大します)宮沢橋(みやんざわばし)、長さ62m、階段式吊橋としては日本一の長さだとか黄色丸部分、階段になってます水楢橋椿橋、朱色が特徴、対岸からも、井川線からも見えます栃の木橋桜橋以上6つの橋、八橋小道(やっぱしこみち)の8橋に、2つ足りません欅橋は、下の南アルプス接岨大吊橋を渡らずに、真っ直ぐ行けば在ったみたいですもう一つ桑の木橋、桟道と勘違いして、見落としたかも南アルプス接岨大吊橋、車は通れないみたいだけど、生活用? 観光用?八橋小道の出口です、ここから奥大井湖上駅に向かいます(クリックで拡大します)最近では奥大井の一番の目玉とも言える奥大井湖上駅の眺め左右のレインボーブリッジに挟まれた所に湖上駅が湖上駅部分の拡大レインボーブリッジ、線路脇の歩道を歩いて湖上駅に奥大井恋錠駅(おくおおいこいじょうえき): 「こじょう」と「こいじょう」、錠をパイプに掛けて縁結び祈願雨で計画を大幅に変更、当初は千頭から接岨峡温泉駅までしか乗らない予定の井川線(南アルプスあぷとライン)を、千頭から終点の井川まで、それも往復おかげで、とびっきりの秘境駅「尾盛駅」も見られたし、井川に面白い所があることも発見だけど、井川散策が宿題となりました ー 第70弾 大井川と大井川鐵道の奥大井 終了です ー
2017.10.18
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丑寅の二人旅 第70弾 大井川と大井川鐵道の奥大井 2日目-2接岨峡温泉駅を過ぎた辺りかな? 線路に平行に走る吊橋かなり危なそうな吊橋、名前分かりませんカーブでの列車撮影その4狸が2匹(焼き物、信楽焼?)のこの駅、井川線一番の秘境駅「尾盛駅」某TV番組で紹介された同じ井川線の川根小山駅の比ではありませんなにせ駅に通じる道がありません車で行ける道がないと言う事です(歩く道、獣道はありますよ)尾盛駅、駅舎跡ではありません、宿舎跡です尾盛駅を過ぎて、関の沢鉄橋、現時点で日本一の川底からの高さ70.8m 関の沢鉄橋を速度を落として走る列車からの谷底の眺め昨日訪れた新接岨大橋の近くに、この関の沢鉄橋を眺める展望台があるはずだったのですが、道が見つからず断念しました奥泉ダム、割と小さめ? 慎ましやかなダム、堤体部分も赤と白が映えて綺麗 こちらは井川ダム、灰色でモンスターみたいに、立ち塞がるって感じ大井川水系で一番大きいダムかな? 発電容量62,000kw終点の井川駅に到着、トンネルを抜けて直ぐにプラットホーム反対側にも線路とトンネルが 立ち入り禁止ですが この先は何が??井川駅の外、閑散としてます井川の集落(井川本村)は、ここから井川湖に沿って徒歩70-80分ですが、井川湖渡船(所要時間15分)が就航 生活航路ですねだけど本数は10時台、11時台、14時台、15時台の4本 なかなか厳しい駅舎にあった南アルプスの井川社有林の紹介図ここは南アルプスの麓、ここからも赤石岳3120mなどへの登山に行くのでしょうね但し、どうやら南アルプス登山は、長野県・山梨県側からの方が一般的みたい井川駅舎の風景、同じ列車で降り立ったのは10人程度前述の井川湖渡船で本村に渡り、集落を散策して、井川大仏・夢の吊り橋・廃線小道などの遊歩道で井川駅まで2時間掛けて戻る計画を・・・、雨ぇ・・本降りぃ・・で断念井川駅に11:16到着(17分遅れ)、降り立った乗客全員が11:28発千頭行きで帰ります「全国鉄道むすめ巡り」なるものがあるのですね全国の32の鉄道事業者が参加、東武鉄道・秩父鉄道・伊豆急行・三陸鉄道・伊豆箱根鉄道等々それぞれの鉄道の車掌さんに扮したアニメっぽいキャラのスタンプのスタンプラリーとそのキャラのフィギュアの販売みたい現在開催されているのは、2017/2/11-2018/5/31期間ここ大井川鐵道のキャラ、名前は井川ちひろ「鉄道むすめ」って、この車掌さんかと思ってました途中ですれ違った列車の車掌さんも若い女性でした井川を出発、最初の駅、閑蔵駅、多くの乗客が降ります(黄色の丸)、路線バスへの乗換えですねこのまま電車で行くと、千頭着は13:14、一方路線バスだと12:20、1時間近くも早く到着します車掌さん(赤矢印)、降りる乗客の改札業務です接岨峡温泉駅、丑寅は継続して電車に乗ってます本降りの雨、次の予定もどうなるか? もはや急ぎませんそれと、路線バスの道は、その殆どを、昨日車で走ってます長島ダム駅、今度はアプト式機関車を先頭に連結、列車を引っ張る形ですが、急勾配の下り坂、引っ張るよりも、ブレーキを掛ける役目ですかね長島ダム、連日の降雨でダム湖の水位が上がったのか、放水が2本にいちしろ橋、井川線とは垂直方向に、大井川を跨いでいちしろ橋、産業遺産にも登録された橋、当初は鉄道用の橋、後に井川線のルート変更に伴い、いちしろ橋以降の線路が廃線となったので、自動車用の橋に昨日訪れた両国吊橋、これを過ぎると直ぐに終点千頭です路線バスよりも遅い電車故に、往復客は、先程の閑蔵駅で乗り換えて時間短縮更には、遠方から車での南アルプスあぷとライン目当ての観光客、千頭駅発10:19に、10分とかの遅れで、乗り遅れた場合、6番目の奥泉駅まで(車で7分程)走れば、同列車の奥泉駅発10:49に追いついて乗車可能大井川鐵道、SLが有名、毎日走らせています千頭駅に停車中のSL期間限定なのか? 機関車トーマス/ジェームスも運行している筈ですが、見当たらないので、自販機の絵で代用千頭駅の転車台、プレートを見ると、英国製みたい向かいに駐車していた車、ダッシュボードのフィギュア、背が高すぎ、色っぽ過ぎで、運転の邪魔ではps 訂正: 尾盛駅、車の道路のみならず、歩いて行く道もありません周辺に民家もありません。 ダム建設の為に造られた駅、作業員の宿舎が駅敷地内に設置されていました ー 3日目に続く ー
2017.10.17
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丑寅の二人旅 第70弾 大井川と大井川鐵道の奥大井 2日目10月17日:一晩中降っていた雨、朝になっても止みません寸又峡散策、90分を雨の中は・・・、2009年に一度来てるしぃ・・・と言う事で、計画を大幅に変更 寸又峡散策をスキップ、予定に無かった、南アルプスあぷとライン、千頭ー井川全線を往復、車窓を楽しむ事に千頭駅です、南アルプスあぷとライン(井川線)始発列車、09:12千頭発ー10:59井川着、1時間47分の電車の旅客車の内部、5-6両編成ですが、車両間は内部で移動出来ません山岳列車なのでカーブが多く、一番後ろの客車に乗ったので、こんな感じで写真が撮れます千頭を出て暫くは茶畑が拡がって大井川鐵道は、閑蔵線バスと言う路線バスを走らせています、千頭から井川線終点一つ手前の閑蔵駅まで電車が1時間29分に対してバスだと、なんと30分これが色々な意味を持つのですよね3つ目の沢間駅と土本駅の中間で、3本の川が合流、緑丸印は寸又川(昨夜の寸又峡からの流れ)、黄色丸印は横川、もう一つは列車の反対側で合流している本流の大井川カーブでの列車撮影その2茶畑が拡がってます 昨日の「小山の吊橋」近くの秘境駅「川根小山駅(5つめの駅)」を過ぎた辺り井川線(南アルプスあぷとライン)の中では大きな駅、奥泉駅(6つ目の駅)、井川線の3つの有人駅のひとつ(後の2つは始発駅千頭と終点井川) 数人が乗り込んで来るみたいこの電車、ワンマン運転でなく、車掌さんが乗ってますこの車掌さん、結構大変です 無人駅での乗降客の切符の改札、主要駅への到着時間案内、先程の路線バスとの乗換え接続時間案内、更に沿線の観光ガイド奥泉駅で、何故か? それまで前方に乗車していた車掌さん、ホームを走って最後尾の客車に乗り込みましたこの車掌さん、シルエットから女性みたい、しかも若くて可愛い泉大橋、目立ちます、赤く奇麗なフォルム7つ目のアプトいちしろ駅に到着(クリックで拡大します)ここアプトいちしろ駅でアプト機関車を最後尾に連結アプト機関車(写真右側)が、ディーゼル機関車(写真左側)に近づいて来ます、ここで車掌さん(青の雨ガッパの人)の出番、赤と緑の二本の手旗でアプト機関車にGO/STOPの指示を出してます奥泉駅(一つ前の駅)で、車掌さんが最後尾に乗って来たのは、この作業に備えてですね最後尾からアプト式機関車が、車両を押して走る形に、反対に千頭行きの場合は引っ張る形に更に、車掌さん、アプト式機関車とディーゼル機関車の連結作業のジョイントの接合・電気ケーブルの接合の手助けも 右側のアプト式機関車、デカイ、ディーゼル機関車の二廻り程でかいアプト式の秘密がここに通常の2本のレールの真ん中、黄色丸の部分、凸凹のレールが3本走ってます、この凸凹レールがラックレール このラックレール(凸凹レール)の上を、アプト式機関車の歯車車輪(ピニオン)が、歯と凸凹を噛み合せて走ります ラックレール(凸凹レール)と歯車車輪(ピニオン)で走る鉄道がラック式鉄道、アプト式はラック式鉄道方式の一つで、ラックレール2本・3本を凸凹の位相をずらして設置する方式だとか長島ダム、昨日車で来ました 井川線から眺めた長島ダムアプト式走法は、アプトいちしろ駅からここ長島ダム駅までの一駅区間だけその区間、1.5kmで89m登ります、その区間内で1000mで90m登る(90パーミル)、日本一急勾配の線路があるとのことアプト式機関車、ここでお役御免、切り離しです次のひらんだ駅とその次の奥大井湖上駅の間の長いトンネル、そのトンネル内壁に、沿線の風景を映した幾つもの写真パネルがそれなりに速度を落として走ってくれましたが、写真撮影は難しかったです(クリックで拡大します)カーブでの列車撮影その3 前方の赤い鉄橋はレインボーブリッジ、その先に奥大井湖上駅(10番目の駅)、そしてその先に更にレインボーブリッジと続きます対岸からのレインボーブリッジに挟まれた奥大井湖上駅の眺めが絶景で、湖上駅で下車して、その絶景を眺め、、途中の八橋小道(やっぱしこみち)ラブロマンスロードなる遊歩道を通り、隣の接岨峡温泉駅まで歩くのが定番の人気に、最近では、寸又峡を凌ぐ観光の目玉にも ー 2日目-2に続く ー
2017.10.17
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丑寅の二人旅 第70弾 大井川と大井鉄道の奥大井 初日-2大井川本線終点から2番目の青部駅青部駅プラットホームと駅舎の一部 当然無人駅駅の直ぐ裏、大規模な道路建設、ダンプがひっきりなしに行き交っていました奥の赤い矢印の所、トンネルが完成してました(クリックで拡大します)青部駅から100m程、青部の吊橋、長さ100mワイアーと底板だけの、これも揺れるための構造?青部地区と崎平地区を結ぶ生活道路(橋)の筈ですが、何故か、現在は通行止め大規模道路建設工事にのせいなのかな? なにせ橋の袂が工事現場ですから青部駅から青部の吊橋に行くのに、諸に工事現場を突っ切るのですが、駅に戻る時、それまで居なかった工事現場交通整理員がすっ飛んで来ましたこんな所に、列車が駅に到着していない時間に、人が通るとは思わなかったのでしょうねここまでは大井川鐵道の大井川本線の沿線、ここからは井川線(南アルプスあぷとライン)沿線に入ります川根両国駅両国吊橋、長さ145m下を走るのは、井川線(通称 南アルプスあぷとライン)(クリックで拡大します)これは頑丈です 底板もきっちり詰まっていますし、底板の両端を添木で補強、なので揺れも僅か小山の吊橋、長さ84m、映画「ガメラ」(古いぃ)の撮影に使われたとか川根小山駅から徒歩1分の場所最近この川根小山駅、某TV番組で秘境駅として紹介、この駅を通勤・通学他生活で定期的に使用している人は居ないと言う結論だったかな? 近くに集落はあるのですが 但し、南アルプスあぷとラインには、もっと凄い秘境駅があるのですよ(クリックで拡大します)この小山の吊橋も、底板が詰まって、頑丈小山の吊橋を渡って100m程のところに、大井川水系電力発祥の地が1910年に造られた発電所跡 跡地、小さなスペース、テニスコートの半分程度発電量も1400kw、小さいですね南アルプスあぷとライン(井川線)沿線に入って、流石に登り坂がキツイ川根小山駅ー奥泉駅ーアプトいちしろ駅ー長島ダム駅、特に厳しいアプトいちしろー長島ダム間を走ってダムに到着(クリックで拡大します)長島ダム、計画から29年を経た2001年に完成(長期化事業ダムと言うらしいですね)大井川水系で唯一の多目的ダムであり、唯一の水力発電を行わないダム中部電力が大井川水系での水力発電に注力しているのに、このダムは発電しないって、長期化事業ダムと言い、何となくキナ臭い背景が放水してます(赤の矢印)、 放水の飛沫がかかるので「飛沫(しぶき)橋」(黄色の矢印)ダム天端からの眺め 飛沫橋も井川線終点一つ手前の閑蔵駅まで走り新接岨大橋、下から見上げると大迫力南アルプスあぷとラインから少し外れて、寸又峡に接岨峡とか井川とか、人気の場所が増えて来てますが、やはり一番人気は、今でも、寸又峡みたい朝からズッと雨、弱雨だったのが、寸又峡に到着と同時に本降りに夢の吊橋、猿並橋、飛龍橋など、1時間半程度の散策路、雨カッパも準備万端 時間の余裕もあるしと言う事で、取り敢えず宿に入って、雨が弱くなるのを待つことに寸又峡での宿の紹介でも川根茶香炉、この辺り川根本町の一番の名産は川根茶、大井川鐵道沿線は茶畑だらけ花瓶でしょうね? 鬼の絵、この作風見たことが、有名な作者でしょうか?ホテルのロビー露天風呂、微かに硫黄の匂い焼き魚はあまご雨脚が弱まりません、明朝一番に散策も出来ると言う事で、今日は終わりと ー 2日目に続く ー
2017.10.16
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丑寅の二人旅 第70弾 大井川と大井川鐵道の奥大井10月16日: 静岡県は奥大井、南アルプスを源とする大井川の上流部が造る峡谷の景観と大井川の沿って走る大井川鐵道が織りなす面白い場所奥大井は、2009年11月26日に、「丑寅の二人旅」第16弾 静岡県 奥大井と駿河湾の旅で来ましたが、その時は寸又峡だけの駆け足と言う事で、今回はじっくり腰を据えて、と言っても2泊3日ですが最初は、大井川鐵道大井川本線地名駅地名駅駅舎駅舎内部、本箱が、列車待ち時間の暇潰しに読書? うーん、1時間に1本ないですねぇ、時間帯によっては2時間に1本「乗車券発売所」と書かれてますが、今は無人駅この駅の名物は、この短すぎるトンネルトンネルの由来説明立札:日本一短いトンネル(長さ11m)との表示大井川鐵道を跨いでいる荷物運搬用のロープウェイ「川根(電気)索道」に吊された荷物が落下した際に、下を走る鐵道の列車への直撃を防ぐ為に建造された防御用トンネル大井川鐵道の全線開通に伴い、川根索道は1938年にその役目を終了、その後撤去されましたが、トンネルだけは残りました 因みに、川根電気索道は滝沢(現藤枝市滝沢)から沢間(現本川根町千頭沢間)までで、主な荷物は、上り(山側へ): 米・衣料品・雑貨・セメント・食料下り(平野部へ): 茶・しいたけ・木材完全に産業流通索道ですね(クリックで拡大します)反対側からの姿日本一短いトンネルですが、厳密に言うと、トンネルとは自然の山を刳り貫いたもので、この様な建造物はトンネルの範疇に入らないらしいです列車がトンネルを通過する瞬間、赤い矢印がトンネル、黄色矢印は地名駅のプラットホーム奥大井の見所のひとつは、大井川あるいはその支流に架かる多くの吊橋最初は塩郷の吊橋横から見た塩郷の吊橋、大井川に架かる一番長い吊橋、長さ220m真下から見上げると・・・、ワイアーと板だけ、綱渡りじゃないんだから 見るからに揺れそうな構造(クリックで拡大します)正面からの全景、220m 長いですねぇ道路(車が走ってます)と川を跨いで、かなり揺れますよ水路橋、中部電力の大井川水系での水力発電所数は13箇所、発電所と発電所の間を導水隧道で水を引く事も、1940年頃の導水隧道の名残の水路橋見所の二つ目、映画やドラマのロケで使用されるレトロな駅舎、前述の地名駅舎もその1つ中でも人気の田野口駅舎田野口駅プラットホーム、赤丸は駐車されていた地元の車、それなりに通勤駅なのですね(クリックで拡大します)田野口駅舎、何に使うのか? でっかい梯子(赤の矢印)が数本駅舎中には、レトロなだるまストーブ大井川鐵道は映画・ドラマのロケ以外にも、駅舎を使った撮影会・各種イベントへの貸し出しに積極的みたい ー 初日-2に続く ー
2017.10.16
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丑寅の二人旅 第69弾 スッカン沢踏破、塩原・日光も 3日目最終日9月2日: 日光湯元から金精峠を通って帰ります帰路で寄り道しながら撮影した諸々を以下に掲載この山は? 日光白根山?またたび尾瀬丸沼です丸沼に注ぐ水の大半は湧き水だとか赤丸のところから水が湧出て、沼に流れて行きます釣り人、見づらいですが赤丸部分に胸まで水に浸かった釣り人が市場に何故か蒸気機関車が色々な種類のカボチャ丸沼高原、グラススキーです ー 第69弾 スッカン沢踏破、塩原・日光も 終了です ー
2017.09.02
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丑寅の二人旅 第69弾 スッカン沢踏破、塩原・日光も 2日目-2日光なので、やはり日光東照宮五重塔ですが、五重塔って本来お寺さんのものですよね(クリックで拡大します)小学生で溢れてます 遠足ですね三猿(緑の丸)に見入る人達三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)定番の鳥居越しに陽明門を撮影またまた遠足の小学生、9月1日に遠足??陽明門花鳥壁画(陽明門横)陽明門、沢山の竜と獅子が口を開けて唐門眠り猫(左甚五郎作)それにしても、東照宮はケバケバだな東照宮見学終了、日光田母沢御用邸記念公園に、皇太子だった頃の大正天皇の静養地閲見の間、椅子がありますが、天皇は座りませんね大臣の授与式でも天皇は立ったままです 食堂、床の柾目の板組みが凄い襖は豪華ユニークな丸窓、勉学の間かな?これも襖が豪華こちらは皇后やお付きの女官の建物、これまでの天皇関係の建物に比べて天井が低い御用邸建物、外からの眺め、木造ですが、それなりに重厚ですね防空壕です御用邸庭、標高634mと表示、東京スカイツリーと同じ高さをアピール、そう言えば東照宮参道にも634mの標識と郵便局出店がありました、何故か日光はスカイツリーと同じ高さを強調してます今日の宿の奥日光(日光湯元)に向かいます湯の湖宿の夕食レストラン、囲炉裏で沢山の鮎が炭火焼きその鮎が出てきました、柔らかく、甘みが、骨・頭全部食べました ー 3日目に続く ー
2017.09.01
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丑寅の二人旅 第69弾 スッカン沢踏破、塩原・日光も 2日目9月1日:塩原温泉から日光に移動宿の中庭越しの風景、赤松の具合が気に入りました日塩もみじラインの途中、緑に浮かぶ塩原ダム 緑のいまいち鮮やかでないのが(クリックで拡大します)沢登り? 日塩もみじライン沿いの太閤下ろしの滝から繫がっている沢の中に、高校生と先生標高1000m位の沢の水、女子高生の「冷たぁーい」叫び声(クリックで拡大します)太閤下ろしの滝、2段の奇麗な滝滝を見終えて戻って来たら、生徒さん達、ずいぶん下流まで移動していました沢登りにしては、リュック・ロープ等装備持ってない、ウェットスーツ・ライフジャケット・ヘルメット、それに沢を下ってる日光に到着、最初は日光山輪王寺、706年開山の天台宗の三本山のひとつ、古いお寺さん ご自慢の三仏堂(本堂ですね)は修復中、中に入れますが、見学出来る箇所は制限されてます修復の為の囲いと三仏堂の写真の幕(ネットのパンフレットからの転写)三仏堂、と言うか、輪王寺の最大の自慢、デッカイ3体の仏像、右から千手観音/阿弥陀如来/馬頭観音見学出来ますが、格子の向こうで見づらいですね修復中の三仏堂、修復作業を眺められる天空回廊(7階建て)を設置、期間限定の新たな見所に ここは2階修理道具の展示虫食いでボロボロになった柱天空回廊7Fからの眺め、三仏堂の屋根 ー 2日目-2に続く ー
2017.09.01
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丑寅の二人旅 第69弾 スッカン沢踏破、塩原・日光も 初日-2スッカン沢から塩原温泉方面に拡がる八方ヶ原、幾つもの散策路・遊歩道があるみたいです塩原温泉に向かいます田圃アート、稲の実り具合が不十分なので、未完成ですか?もみじ谷大吊橋、下から眺めると、又違った趣が(クリックで拡大します)塩原温泉郷は山間の地、高原火山の山系と箒川の渓谷、七十余りの滝、散策路・遊歩道がいっぱい竜化の滝遊歩道の柱状節理(赤丸)、高原火山の噴火の溶岩からの柱状節理、玄武岩でしょうね(下の写真も柱状節理)(クリックで拡大します)竜化の滝の手前にある、風挙の滝と滝を真剣に撮影しているご夫婦竜化けの滝への沢の様子(クリックで拡大します)そして、竜化の滝、塩原滝十選の中で一番大きな130mの3段滝今日は塩原温泉に泊まります、塩原には11の名湯が、源泉と言う事でしょうか? 元湯?参考までに11の名湯は、中塩原・上塩原・元湯・新湯・古町・門前・畑下(はたおり)・塩釜・福渡・塩の湯・大綱 ー 2日目に続く ー
2017.08.31
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