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丑寅の二人旅 第53弾 越後に日本のミケランジェロを訪ねて 2・3日目4月15日 今日の天気予報は雨、日本海沿いの弥彦村の弥彦神社・弥彦公園の桜鑑賞の予定を変更。越後湯沢の宿から近くの関興寺へ、臨済宗円覚寺派のお寺さん「味噌なめたか」のフレーズで親しまれている「越後のみそ寺」(その昔、上杉家家督争いの戦で諸堂が焼失しましが、大切な経典600巻は味噌桶の味噌の中に埋められて焼失から免れた事から御利益のある味噌としてありがたがられるようになりました)このお寺の本堂廊下にも見事な欄間がこの欄間、雲蝶作なら良いのですが、残念ながら作者不明何故か蛙が幸せのシンボルそれにしても豪雪地帯の湯沢・魚沼地域、4月半ばでも積雪が大量に残っています余談ですが、最近テニスのゲームで凡ミスが多発ボールを見ずに、パートナーのご婦人のお尻を見ていましたぁ、それじゃミスしますよね今回の旅で三つのお寺さんを参拝、煩悩を完全に断ち切ったので、もう大丈夫ですこの後雲行きが怪しくなってきたので、三条市の刃物・金物・園芸用品アウトレットで時間を潰した後、早めに湯田上温泉の宿にチェックイン4月16日 昨日パスした弥彦神社・弥彦公園で桜鑑賞、新潟市近郊の桜の名所早咲き桜から、染井吉野、八重桜と種類が多く、3月下旬から4月下旬までのほぼ1か月桜が楽しめるスポット、今は染井吉野が満開これはソメイヨシノ濃いピンクの枝垂れ桜これも枝垂れ弥彦山の頂上、標高634mはスカイツリーと同じ高さその頂上にはNHK並びに各民放のテレビ局の送信アンテナが林立、これもスカイツリーと同じ弥彦神社の奥之院も頂上に、奥之院参拝はテレビ・アンテナを仰ぐ形で弥彦山頂上は360度のパノラマで、北の斜面を下ると直ぐに日本海、空気が澄んでいると佐渡ヶ島が見渡せます、南は直ぐ下は弥彦神社、その先は越後平野・燕市・三条市・更に新潟市まで見渡せますが、霞んでいる今日は殆ど駄目です弥彦神社の本殿参道ですね魚のアメ横「寺泊漁港」に立ち寄り、今が旬の紅ズワイガニ、鰈を購入し帰路につきます ー 第53弾 「越後に日本のミケランジェロを訪ねて」終了です(石川雲蝶の作品、「問答無用の素晴らしさ」でした) -
2015.04.15
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丑寅の二人旅 番外編 ろうばいの郷群馬県安中市「ろうばいの郷」です蝋梅、約12,000本、これだけ集まると相当薫りますね甘い香り ー 番外編 ろうばいの郷 終了です -
2015.01.19
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丑寅の二人旅 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 4日目・5日目11月13日: 宿から眺めた温井湖の紅葉北広島町から舞鶴に向かいます、距離は425km程目的地は金剛院、829年創設の由緒あるお寺、真言宗のお寺、この時期は紅葉の名所として有名。文化財も多く、深沙大将立像は鎌倉時代の名仏師快慶の代表的な名品だとかこの日も、平日なのに多くの観光客で賑わっていましたそれでは評判の金剛院の紅葉を重要文化財の三重塔と紅葉山や渓流の自然だけの紅葉風景も良いけど、古寺等の建造物と紅葉のマッチングも良いですね小高い丘の上(石段を登ったところにある本堂脇)から紅葉を通して見下ろした三重塔、丑寅一押しのショットんん? 天邪鬼なモミジ、「俺は紅葉しないぞ!!」って今宵は、舞鶴から少し足を延ばして敦賀に泊まります11月14日: 帰路に着きますが、金沢は近江町市場に寄り道日本海のズワイガニ漁が解禁されたばかり、市場は蟹で溢れてます ー 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 終了です -
2014.11.14
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丑寅の二人旅 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 3日目11月12日: 岡山から広島は芸北に、広島県の北部には北広島町と安芸太田町が、その中で一番の紅葉の名所「三段峡」を選択全長16kmの峡谷、端から端までトレッキングすると5-7時間かかりますが、そんな時間は無い人、そんな疲れる事は嫌な人向けにぶつ切り・摘まみ食いコースがあるので、迷わずそれを選択最初は、三段峡正面口・長淵から2.7km先の黒淵まで行って帰ってくるコース、片道50分程このコースの景観は、前半は「静」、後半は「動」「静」の部分の紅葉を三つ姉妹滝再び紅葉をふたつ竜ノ口、30mの大岩が豪快に切り裂かれたと言われてます、本当に水の流れで裂かれたの??この辺りから「動」の世界にまたまた紅葉を二つ赤滝赤レンガを積み上げたような滝で、岩肌が赤いのは、微生物(珪藻類の中の紅藻類)タンスイベニマダラの影響。陽が当たると特に綺麗 またまた紅葉をふたつ黒淵に到着黒淵の対岸までは舟で、舟の母港は対岸にあり大岩に遮られて見えないので、掛かっている紐を引っ張ると対岸の母港まで張られた紐の先端の鈴が鳴る仕組み黒淵、周りを絶壁で囲まれた奥行き100m程の淵下の写真は黒淵の入口・ゲート部分ゲートを抜けると開けた淵に、対岸が見えますこれが舟の母港反対側から眺めた黒淵黒淵渡船の切符「往復券」、失くすと帰れませんハンザキ、オオサンショウウオ(大山椒魚)、矢印のところ2尾ハンザキ、この黒淵に棲息しているらしいです黒淵を渡ったところにある黒淵荘三段峡の反対側(上流側)からのトレッキング団体十数名が昼食中丑寅も肉うどんで腹ごしらえ肉うどん、量が少ない?? 食べかけです黒淵荘から戻り元の船着き場で下船ここ三段峡、もみじ(楓)が多いので赤が目立ちます余談ですが、モミジの切れ込みの数(切れ込みで出来た山の部分の数)、5・7が一般的とか?ここ三段峡には11個のモミジがあるそうですこれは9つこれも9つん?? 13-14個、2枚重ねでした元の三段峡正面口に戻り、上流にある次の観光ポイントの出発点水梨口へ車で移動、約30分(先ほどの黒淵荘から歩いて行くと3km/50分ですが、ぶつ切り・摘まみ食いは車で移動)ここは猿飛・二段滝・三段滝周遊コース、歩く部分は30+30+30分猿飛までの道程の紅葉水梨口-猿飛の景観は、先ほどの長淵-黒淵の景観に比べると極めて単調なので、写真も紅葉だけ猿飛に到着猿飛渡船、舟で観光これが猿飛、巨岩の岸壁で挟まれた狭い水路この岸壁を猿が跳んで渡っていたので猿飛とんん? ロープ? 猿飛渡船、櫓・エンジンで進むのでなく、頭上に何本も張られたロープを手繰って進みます狭い猿飛を抜けると広い淵にその淵に流れ込むのが二段滝二段滝だけど、一段です、昭和63年の集中豪雨で一段目が剥ぎ取られ一段に淵の中ほどに中洲が、二段滝を眺める為に下船すると、舟が戻って行き、中洲に取り残されることに取り残されて途方に暮れていると、次のお客を乗せて帰って来ました猿飛・二段滝から30分で三段滝ですが、時間が押しているためスキップ三段峡ぶつ切り・摘まみ食いコースは、更にもうひとつ、車で20分程移動して、聖湖の三ツ滝を予定していましたが、時間が無いのでパス今日は温井温泉に泊まります - 4日目に続く -
2014.11.13
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丑寅の二人旅 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 2日目-2旧遷喬尋常小学校から北西に車で20分、神庭の滝公園(かんばのたき)渓流と紅葉のショットを二つ神庭の滝の手前、下流、にある玉垂れの滝湧水から川に滴る滝ですねもう少し下からのアングルで撮れれば良かったかも本命の神庭の滝高さ110mは西日本一番、紅葉も今が盛り形は二段の滝神庭の滝から北へ車で40分、今宵の宿の湯原温泉美作三湯のひとつ、温泉街の街並みここにあるのが有名な混浴露天風呂「砂湯」混浴露天風呂番付で西の横綱に認定(誰が選定したんだ??)あちゃぁ! 裸が写っちゃいましたぁまっ、良いか! 男だし! 顔分かんないし!、お尻だけだし! お○ん○んは写ってないし!湯船は矢印の所の三つ、赤い矢印の湯船が熱く気持ち良いです入浴心得脱衣場、柱の右が男、左が女性用湯船側はオープンで丸見え、棚に置いた衣服・荷物が見えることで窃盗防止になるとして、丸見えにしているみたい湯船の様子、矢印の所に三つ、年中無休24時間入れます ー 3日目に続く ー
2014.11.12
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丑寅の二人旅 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 2日目11月11日:真庭市に向かいます旧美作は、現在は概ね4つの地区になるみたい(1)美作市:湯郷温泉、湯郷ベル (2)津山市:津山ホルモンうどん (3)鏡野町:昨日の奥津渓、奥津温泉 (4)真庭市:これから向かう所、奥津温泉から68km、旧美作って結構広い最初は真庭市南部鍾乳穴、しょうにゅうけつ??? いいえ、「かなちあな」9:30に到着、ゲートが閉じてます事前に調べた真庭市観光サイトの情報では、営業時間 9:00-17:00(11-3月は16:00)管理事務所に電話するも誰も出ない、20分程待って、再度電話、誰も出ない、閉鎖しちゃったのかな??仕方がないので紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)を撮影し、次の目的地に(家に帰ってから再度観光サイトを調べたら、あれぇ! 「営業時間 10:00-17:00」に変更されてますぅ!変更したなら、ゲートに案内板か何か記載しておいてよぉ)鐘乳穴から北に20分ほど、勝山地区勝山街並み保存地区、レトロモダンな雰囲気で売り出し中。その街並み暖簾も有名、商店のみならず一般民家も参加して「草木染」の暖簾を掲げる家屋が100軒まで増殖したとか郵便局も参加しました果実ですよね? 何の実なのかな?? それと横の飾り瓦?も気になります細い竹を吊るした暖簾?? カチャカチャ鳴ってうるさくないのかな??再度草木染暖簾をこれは? 下駄??これはお店なのかな? 川柳? 格言? 嫌味???が書かれて憎いほど鏡に写る顔のしわ納豆の糸は大豆の自己主張飽食の見本のような丸い腹またまた草木染暖簾、この車の暖簾は有名、勝山街並み保存地区の暖簾の代表格みたいこのモミジの暖簾、季節に合わせ取り換えるのでしょうね立派な菊でした、お寺の山門脇で別のお寺の境内にあった女の子の像、何となく観音様みたいな顔立ち勝山街並み保存地区から東へ車で10分程、旧遷喬尋常小学校跡(せんきょうじんじょうしょうがっこう)明治40年(1907)に建造された木造校舎、左右対称(シンメトリック)なデザイン中央部分をズームアップ校舎の屋根に聳える校章は帆を張った高瀬舟で「久世」をデザインしているとか。「久世」はこの辺りの地名、残されている原画では「久世」がデザインされているが、現物は少し違うかな??当時の机、二人掛け、机上面が蓋になっていて持ち上げて開けるタイプは懐かしい開校当時の写真、男性は右、女性は左に分かれて整列、明治ですねぇ左の女性部分をズームアップ、後方は女の先生方右の男性部分、生徒は男も女も皆着物姿学校にしては珍しい螺旋階段講堂の二重折上げの洋風格天井、後に宮大工さんも驚いたと言う精緻で贅沢な建て方工事費は18,000円は当時の町の予算の3年分だったとかこの校舎、平成2年(1990)まで現役、写真は昭和63年卒業記念古い伝統と文化の香り満杯の校舎だけど、生徒さんは? 周りが近代的なビルの校舎に代わって行く中で、古いままの校舎での勉強って、ある面有難迷惑かも?この校舎、現役引退後映画のロケに使われています、写真の習字は「ALWAYS 三丁目の夕日」の古行淳之介と鈴木一平、その他「火垂るの墓」「カーネーション」「大病院」「ごちそうさん」等の作品にもアートタッチのアングルで松と校舎何故か岡山県には古い校舎が残っています、下の写真は第38弾で訪問した隣り(南西)の高梁市にある旧吹屋小学校、1900年建造で2012年3月の廃校まで使用され、当時最古の現役木造校舎でした ー 2日目-2に続く -
2014.11.11
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丑寅の二人旅 第52弾 美作・芸北から舞鶴へ、紅葉も 初日11月10日: 訳ありで舞鶴の金剛院を訪ねる事に。この時期の金剛院は紅葉の名所、それならばその他の紅葉も期待しつつ中国地方はと目を向けると・・・・岡山岡山と言えば後楽園・倉敷・・・備前・備中・備後・・・ ん???・・・それだけではありません・・・美作を忘れていました美作、日本一の剣豪宮本武蔵の出身地、と言う事で進路は美作に余談ですが、日本一のMFは誰か??良く知りませんが中田何某って、誰も取れないパスを出していた様な、中村俊介?? うーん??丑寅的には、日本一のMFは宮間あやチャンですね、ワールドカップ/オリンピックでの、彼女のパス/フリーキック/コーナーキックからの得点率は群を抜いているのでは美作は宮間あやチャンのなでしこリーグでの所属チーム「湯郷ベル」のホーム・グラウンド湯郷ベル/宮間あやチャンの練習を眺めて湯郷温泉に泊まろうかと悩んだ挙句、奥津渓を眺めて奥津温泉に泊まることに、湯郷温泉・奥津温泉・湯原温泉を美作三湯と言います奥津渓です、もみじ祭りが開催される丁度旬の時期約1kmの遊歩道が整備された割とお手軽な渓谷奥津渓の紅葉、モミジの赤が良いですね紅葉、緑も混じると更に良い定番の紅葉と青空モミジ一色で奥津渓のもう一つの名物、東洋一の甌穴群甌穴とは水流が渦巻いて、河床にあった石の塊が数十万年の長い年月にわたって回転し、花崗岩の接触部に凹を生じ、次第に穴が大きくなり、その中に落ち込んだ石の塊がさらに穴の内部を穿ち大きな穴を形成したもの下の写真の赤丸で囲んだ部分、綺麗な円形の窪み、立派な甌穴奥津渓700mの間に十数個の甌穴があるらしいですが、写真は一つだけまぁ、一番立派な奴??だからOK忘れていました、もう一つの名物「足踏み洗濯」「足踏み洗濯」は、かつて熊や狼を見張りながら川に湧き出る湯で洗濯していた名残写真は「足踏み洗濯の親子像」日曜日・祝日の朝に、観光用に「足踏み洗濯」が実演されます姉さんかぶりに赤い腰巻きもかわいらしく、器用に足先で洗うしぐさはダンスをしているかのようで、奥津温泉のシンボル的光景だとか足踏み洗濯の洗濯場、普段は足湯になってます奥津渓から10km程離れた泉源渓谷の二軒屋の大滝上の写真、赤丸で囲った部分、これも甌穴らしいです道の駅奥津温泉岡山って、B級グルメ多いかも??きび団子、昔ながらの名物、B級グルメと言うと失礼ですね「ひるぜん焼きそば」「津山のホルモンうどん」堂々たるB級グルメ岡山県日生(ひなせ)のカキオコ(牡蠣入りお好み焼き)も負けず劣らずのB級グルメ因幡の白兎?? 因幡は鳥取でしょ!! 今日は奥津温泉に泊まります、秋の味覚「松茸ご飯」 - 2日目に続く -
2014.11.10
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 番外編スペイン各地でのショットを無作為に掲載してみましたマドリッドでのホテル、地下鉄Gran Via駅の直ぐそば、大手町みたいなところ、ビルがひしめき合って、隣の事務所ビル、手が届きそうこの事務所、チェアなんかお洒落ですそれと、このホテル、スペースが足らない、エレベータの床の幅(赤線部分)超狭い、3人で満員、スーツケースを持っていると一人だけ(2基のエレベータの内の1基)サクラダ・ファミリア、当分は工事中ですねセベーリャでの女性自転車軍団ヤモリ?イモリ?サラマンダ?のイラスト、良く見かけました、縁起物??カテドラルのファサード、ゲートの装飾サクラダ・ファミリア、将に工事進行中グラナダの路地サクラダ・ファミリア、塔の彫刻のズームアップコルドバのフラメンコ・タブラオ、分かり難いですが、露天セベーリャのトラム、外から見ると窓がない!バルセロナ ランブラス通り、アイスクリームの屋台(?)、各地にありますバルセロナ、食料品店サクラダ・ファミリアからの眺めカタルーニャ建築家協会に架かっている「ピカソの壁画」、通称「ピカソの落書き」バルセロナ地下鉄、綺麗です、座席は硬いバルセロナ、石畳の道観光用レンタル・サイクル? 無人貸出所みたいこれもバルセロナ地下鉄路地、バルセロナかな?マドリッド、プエルタ・デル・ソルでマドリッド マヨール広場近くにてマドリッドマヨール広場のゲートからセベーリャの静止大道芸、チップが入るとパーフォーマンス中断し握手 - スペインてんこ盛り終了です -
2014.10.13
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丑寅の二人旅 スペインてんこ盛り 8日目10月11日: 最後の大物観光「トレド」マドリッドから70kmの距離、マドリッド・アトーチャ駅から特急で30分程駅の自動券売機タッチパネルを操作、englishを選択、行先はトレド、片道/往復:往復を選択、往路の時間10:20発を選択、復路はオープンを選択、座席を指定、最後に確定を押すと、あれっ! 「自販機では買えません」の表示って、これまでの操作は何だったの??? 「早く云えよ!」窓口に行って、「トレド」と言うと、「ここでなく、長距離の窓口へ」別の窓口へ、番号札を取り順番を待ちます、「トレド 10:20発を」「満席でぇす」自販機では空席あったのにぃ!!!11:20発となりました、1時間30分程時間が空きましたソフィア王妃芸術センター、アトーチャ駅の直ぐ隣目玉は、ピカソの「ゲルニカ」、ミロ、ダリの作品もあります。兎に角「ゲルニカ」の展示室に直行、ゲルニカ鑑賞に30分駅に戻ります、ディスプレイにトレド行は15番プラットホームの表示、プラットホームは何処だ? 確か長距離は1Fの筈、ありました、手荷物検査をしてます、チケットを提示、「トレドはここじゃない、地下のプラットホームだよ!」、大慌てで地下に移動、地下にも15番がありました発車1分前で滑り込みセーフトレド駅、駅舎も由緒ある建物ここトレドもユダヤ教国家/イスラム教国家/キリスト教国家と変遷した都市その歴史上の都市は、タホ川に三方を囲まれた旧市街となってます旧市街(旧トレド都市)への入口としてタホ川に架けられたアルカンタラ橋アルカンタラ橋と旧市街の風景はトレドの定番のひとつ橋を渡り、旧市街からアルカンタラ橋を撮影トレドの旧市街って、直径1.4km程の広さ、半日や一日では全ては見れませんが、狭い路地が入り組んで、中心と言うか繁華街と言うか、兎に角皆が集まる起点はソコトベール広場(地理的には旧市街の東端に寄ったところ)ソコトベール広場へのゲートソコトベール広場、子供達が輪になって「かごめかごめ」みたいな遊び??ソコトレイン、1時間弱で旧市街を1周、さっそく乗りことに、チケットを買うとイヤホンが付いてきて、座席にあるジャックに差し込むとガイドが流れます7-8か国の言葉が選べ、日本語も先ほど通ったアルカンタラ橋このソコトレイン、大きな問題が、時計回りでトレド旧市街の外周を一周、常に右側に見所が、一列4人掛け、左の二人は可哀想ソコトレインからのショットですアルカサル(お城)トレドの定番中の定番の風景タホ川対岸から旧市街の眺める1枚目はタホ川とアルカサルが、2枚目でカテドラルが写り込む、2枚で1組ですワイドで撮影してみましたサン・フアン・デ・ロス・レージェス修道院ソコトレインの後は旧市街内部を歩いて散策カテドラル、正式名称はサンタ・マリア・デ・トレド大聖堂(Catedral de Santa María de Toledo)この大聖堂、スペインのカトリック教会で序列第1位だとか尖塔の高さも90m、セベーリャの大聖堂の97.5mより少し低いだけここでも変わった楽器を演奏する人がお洒落な娘さん道に迷ったので、一旦ソコトベール広場にトレド、グラナダ・コルドバ以上に路地が狭く、より迷路のように路地から小さな広場に繋がり、そこから再び路地に枝分かれ路地から覗くカテドラルの塔、これもトレドの定番ショットトレドは刃物が有名らしいです休憩がてら昼食にバル、昼食時には昼定食「Menu del dia」を提供するところも多いこのバルは、簡易定食ポイですが、ドリンク(ワイン/ビール/水)、前菜、メイン料理、コーヒー/紅茶で€11.00前菜から3種類ですパエーリャも前菜のひとつメイン料理から3種類トレドの街角ショットを数点アップソトコベール広場へのゲートから出ていく方向の眺め折角のトレド観光、夜まで粘り、タホ川対岸の絶好撮影ポイントへ、トレドの夜景マドリッド行最終列車21:30発で戻ります10月12日: マドリッドの中心プエルタ・デル・ソルは、ホテルから歩いて5-6分散歩がてら土産を物色何屋さんだったか? 現在10:00 時計は合ってますこの後、地下鉄で空港へ、40分で着きました帰りもエミレーツ航空 15:25発、ドバイ経由 成田にほぼ定刻の13日17:50着 - 番外編へ -
2014.10.12
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 7日目10月10日: コルドバ最後の観光は、ビアナ宮殿、ビアナ侯爵の宮殿で工夫を凝らした12の中庭(パティオ)が見どころ、その一部です11:30発の列車でマドリッドへ13:15マドリッド着、Renfeの特急、コルドバ ー マドリッド間ノン・ストップマドリッド最初の観光はスペイン王宮この王宮、勿論現役、但し、現国王フェリペ6世は別の所に住んでいて、公式行事の時だけ使用されますヨーロッパで一番大きい宮殿中庭から眺めたマドリッドの街内部は、流石に絢爛豪華天井絵も見事殆どの客室にはシャンデリアが部屋数は3,418以上だとか、・・・、「以上」って、数えてないのか? 秘密なのか?これだけの多くの部屋、賓客を泊めるのでしょうか? 泊めないでしょうね? せいぜい行事の合間の控え・休息の間としての使用でしょうね?こちらも豪華絢爛なダイニング・ルーム、ここでは間違いなく海外からの賓客を「お・も・て・な・し」でしょうストラディバリウスのバイオリン、五重奏の器:バイオリン3器、ヴィオラ1器、チェロ1器が保管・展示されています王宮の隣にマドリッドのカテドラル「アルムデーナ大聖堂」サンミゲル市場市場ですから、買って持ち帰えれますが、その場で食する人で溢れてます流石に腰を据えて食べる訳には行きませんが、摘まんで飲む・食べるって感じ適当に摘まみましたマヨール広場、四方を建物で囲まれて、青い矢印のアーチ状の部分・・・アーチ状の部分、広場への出入り口(下の写真)こちらは、マドリッドの中心、プエルタ・デル・ソル(太陽の門)ここでも大道芸、エイリアンかな?錆びたバイクと錆びたライダー、ライダーは本物の人間で空中に浮かんだ状態で静止。それなりに凄いけど、錆びたバイクとライダーって、何ですか? 映画の一コマ?「熊とやまもも」の銅像若い女の子の一群、観光?サンミゲル市場での摘まみ食いだけでは足らないので、バルにChampinones a la Segoviana(マッシュルーム セゴビア風)、生マッシュルームに刻んだ生ハムを載せてオリーブオイルで蒸し焼き、定番のタパス料理ソーセージ、こいつは凄く塩辛かった - 8日目に続く -
2014.10.11
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 6日目-210月9日 セベーリャから13:30発の列車でコルドバへ最速260kmで走ってますスペインの都市間移動で良く見る風景、赤い土と灌木、この写真の灌木は柑橘類みたい、ここには写ってませんが、オリーブの木も良く見ました。いずれも栽培されたもの(スペインの赤土と言えば、「赤土の王者:テニスのラファエル・ナダル」)コルドバ近くで見かけた小さな城? 砦?14:40 コルドバに到着最初はアルカサル外から見たアルカサル瓦礫? 在りのままで残す?城壁の上から見たアルカサル、なんとなく全体像が分かります壁画です、このアルカサル、建物、装飾もさることながら、一番の売りは庭園アルカサル城壁から眺めたメスキータ(この後に観光)自慢の庭園をアップします続いてメスキータ現在は聖マリア大聖堂(コルドバのカテドラル)メスキータ(mezquita)はイスラムのモスク、モスク--メスク--メスキータかな??メスキータのミナレット(塔:これもイスラムでモスクに付随する塔)、高さ54mメスキータの最大の特徴、馬蹄形の柱、イスラムの名残どちらを向いても馬蹄形の柱建物の根幹を成している馬蹄形、払拭するには建物を破壊するしかない仕方がないので、馬蹄形の中に十字架・キリスト祭壇ですか? 華麗で荘厳これはパイプ・オルガンこれも荘厳メスキータを後にし、ガイド・ブックにも紹介されているバル・サントス、バルだけど殆どテイク・アウト専門、トルテージャが評判、トルテージャ以外にも何かあるのか?トルテージャ、デカイんです、厚みが一人前は、薄く切られちゃいますこれもガイド・ブックで評判の「花の小道」うーん、「花の小道」って、狭い路地ですね、その先は小さな広場この辺りにユダヤ人街があるのですが・・・ローマ橋とカラオーラの塔ローマ橋はローマ帝国時代に架けられ、勿論その後破壊・再建が繰り返されましたカラオーラの塔は、イスラム時代にローマ橋・メスキータを守る為に作られた砦カラオーラの塔からのローマ橋・メスキータの眺めアルカサルから眺めたローマ橋(赤い矢印)、青がカラオーラの塔、黄色はアルカサル今日の観光はここまでの予定でしたが、突然フラメンコを思いつきました。元々マドリッドでフラメンコ観劇を考えていましたが、時間がありそうなので、ここコルドバでと思いついたもの。ホテルに戻りフロントでお奨めのフラメンコ・ショー(タブラオ)を予約して貰いましたショーは22:00から、タブラオはメスキータの外壁に沿った道の向かい側にメスキータのライトアップフラメンコEl Cardenalと言う名の客席3-40席のこじんまりしたタブラオ2時間のフラメンコを堪能し、本日の観光終了 - 7日目に続く -
2014.10.10
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丑寅の二人旅 スペインてんこ盛り 6日目10月9日:昨夜22:00にセベーリャ入り、今日の13:30発の列車でコルドバへ、セベーリャは最短の半日だけの滞在、世界遺産のアルカサルとカテドラルがホテルから徒歩圏内なので助かりましたホテルのあるヌエバ広場から眺めた印象的な建物 広場からは道が放射線状に出ているので、この様なアングルに最初は、アルカサル、入口のゲートイスラムの宮殿の跡に作られたスペイン王室の宮殿アラベスク? イスラムの模様・デザインぽいですよねイスラム色、残っているみたい絵は、間違いなくキリスト教時代収集されている美術品パティオ(中庭)、建屋と建屋の間には工夫されたパティオがこれもパティオ、数多くありますパティオだけでなく、広い庭もアルカサルからカテドラルへ、途中で見かけた大道芸二人のビジネスマン、携帯電話を掛けながら急いで歩いている姿で固まってます、スーツの裾も捲れたまま固まってますカテドラル(セビーリャ大聖堂)スペイン最大のカテドラル、世界でも第3位だとか、敷地は120mx83m、尖塔高さは97.5mカテドラル正面入り口、バルセロナの大聖堂の入口と全く同じデザイン、時代が同じだから??カテドラル内部格子の向こうに赤い服の司祭さんが居ます、それにしても壁とか金ピカですね鉄格子の中の金塗りの衝立キリストとマリア様の物語が何枚もの絵で描かれているらしいこれがその物語の絵の一枚一度大聖堂を出て、建物に沿って廻り込み尖塔「ヒラルダの塔」へ高さ97.5mの塔塔の入口にあるヒラルダ(風見)の女神像この塔、登れます、螺旋階段でなく螺旋の坂道イスラム時代に鐘楼としてのミナレット(尖塔)として作られ、馬か驢馬に乗って登る為に坂道にしたとのこと所々外を眺めながら登ります展望台に到着、実際は鐘付場ですよね、70m程度のところここからの見晴らし、凄く良いです下に広がるのは、カテドラル(大聖堂)そのものセベーリャの街、大きいです、アンダルシア最大の都市ですからこちら側、円形の建物は闘牛場ヒラルダの塔の上部、イスラム時代は78m程、後で増築したらしいです塔の天辺、ヒラルダの女神像、文字通り風見、風で回って向きを変えるらしいです - 6日目-2に続く -
2014.10.09
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 5日目10月8日:昨日谷を挟んだ対岸から眺めたアルハンブラ宮殿へアルハンブラ宮殿への入場は9:00、その中のナスル宮殿への入場は10:00で事前にネット予約済み、受付建物にATMみたいな装置があり、予約時に番号を打ち込んだクレジット・カードを挿入すると入場券が発券されます。ナスル宮殿10:00の入場の前に、アルカザバ(アルカサル:要塞)に。アルハンブラ宮殿には、アルカザバ、ナスル宮殿、カルロス五世宮殿、サンタ・マリア教会、ヘネラリフェ等々多くの施設があり、それぞれ時の支配者が違った年代に築いています。アルカザバは最も初期の段階にイスラム教支配時に建設城壁の外と城壁の様子を上から撮影、逆光なのが残念多くの小部屋に区分けされていたようです、竈跡みたいなものも城壁から眺めたグラナダの街、見晴らしが素晴らしいカルロス五世宮殿、1492年グラナダのキリスト教国家支配となった直後に建設されたもの10:00ナスル宮殿に入ります、一度に観光する人数を厳しく管理しています天人花の中庭(金の中庭とか、コマレ宮とか色々あったみたいですが、結構大雑把に見て回りました)結婚式ではないですよね、何か撮影みたいナスル宮殿は、イスラム教支配時代の建物アラベスク模様と言うのか、イスラム的な様式なのか??有名な獅子の中庭の獅子ですが、うーん・・・・、何かカピバラみたいこれもアラベスクなのか? この細かな彫刻・装飾がナスル宮殿の見所ナスル宮殿の隣にあるサンタ・マリア教会、勿論キリスト教国家になってからのもの谷を挟んで北側に位置するヘネラリフェ、ナスル朝時代は別荘だったとか庭園・花壇が見所「アルハンブラの薔薇」(映画の題名にありそうですね)アセキアの中庭と銘打たれたパティオ庭が3段になっているみたいで、ここは2段目かなここが一番上の花壇アルハンブラ宮殿観光を終えて、グラナダ中心部へイザベル広場のイザベル女王像、イザベル一世で、グラナダのイスラム国家(アルハンブラ)を陥落させた女王グラナダのカテドラル(大聖堂)、高さは45m他のカテドラルと違いゴシック様式ではないみたいですイスラム国家陥落後に建設されたので、キリスト教一色カテドラル裏、変った楽器を演奏してます死神ですねカテドラルの一部だと思います、Royal Chapel of Granada死神が居たならば、天使も必要グラナダの中心部のヌエバ広場で見かけた街灯の脚アラブ人街(昨日アルハンブラ宮殿のライトアップを眺めたサンニコラス展望台近く)ちょっと遅めの昼食、ガスパッチョが無かったので、それに似たスープホタルイカのフライ何だったか???18:30発のバスでセベーリャに22:00 セベーリャ着ホテルまでトラムでトラムの社内、綺麗ですこのトラム外から見ると窓が無いみたいですが、中に入ると普通に窓がありガラス越しに外が見れます、一種のマジックミラーかな - 6日目に続く -
2014.10.08
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 4日目10月7日: 夜行列車、グラナダ駅に07:30到着、そこから長距離バス(ALSA社)のバス・ターミナルに直行(スーツ・ケースはターミナルのコイン・ロッカーに預けます)「白い村」として、最近売り出し中の村フリヒリアナに向かいます、乗り換え地点のネルハまで約2時間。全車指定席の長距離バスだけど、途中で空席部分は路線バスに早変わり、隣町に行く子供達が乗って来ます白い村として、フリヒリアナ、ミハスが有名ですが、途中で下の写真の様な「この村も白いじゃないか!!」と言える場所が何か所かあったようなネルハで乗り換えてフリヒリアナ到着フリヒリアナ、白い村、のショットを数点アップします山の斜面に位置するので、坂道が結構キツイ観光ポイントは全て歩いて回れる広さですが、裏道・路地・枝分かれ、ちょっとした迷路みたい丘の上から眺めたフリヒリアナ「観光案内所」、中に爺さんと婆さんの人形が、偽りの観光案内所?・・・・、一応€1.00を入れると音声ガイドが流れますが、別の有人の観光案内所は、少し離れたことろにありましたネルハに戻りました、ネルハは地中海に面した綺麗な街ゆっくり散策した雰囲気ですが、グラナダに戻るバスの時間までと言う事で、一番の観光ポイントBalcon de Europa(ヨーロッパのバルコニー)へバルコニー周辺は、ホテル・バル・カフェが立ち並び賑やかこの日は気温も高くバルコニー下の浜辺には、多くの日光浴を楽しむ人々がヨーロッパのバルコニーですバルコニーから右・左の海岸線の風景ちょっと遅めの昼食、スペイン風コロッケと鰯のフライ、鰯のフライって、結構イケマスグラナダに戻り、ホテルにチェックイングラナダは今日の一泊だけ、夜景を楽しむのも今日だけと言う事で、休む暇もなく出発サンニコラス展望台、アルハンブラ宮殿を谷を隔てて眺める絶好のポイント人が集まってますアルハンブラ宮殿遠望奥の塔はサンタ・マリア教会、手前の建物はナスル宮殿少し夕日に染まったアルカザバ(アルカサル:要塞)ここで夕食、スペイン・バルに入ったつもりが、イスラム料理???レストラン看板にHALALとあります、ハラルってイスラムの調理方法ですよねタジン・ミートボールと・・・忘れましたアルハンブラ宮殿のライトアップ - 5日目に続く -
2014.10.07
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 3日目10月6日:バルセロナの宿、サンツ駅近くのアバ・サンツ・ホテル、朝食風景朝一番でサクラダ・ファミリアへネットで朝一番09:00の入場券をゲット(スペインの見所、アルハンブラ宮殿とかサクラダ・ファミリアとかは、希望の時間に入場しようとすると、前もって予約しないと難しいですね)塔の高さは現在92m、これもゴシック様式なのでしょうか?正面(ファサード)入口ゲート上部の彫刻、像と像の間が何か跳ね出したような、溶けだしたような、昨日のサンタ・エウラリア大聖堂のようなハッキリとした輪郭とは違った独特な雰囲気実りの果実が三本、横の塔の部分、やっぱり何か溶けだしたような雰囲気内部です、やっぱり凄い、荘厳光の傘に十字架・キリストあちらこちらにステンドガラス完成予定は2026年とか、建築が始まったのが1882年なので、144年間で完成の予定ですか未だ未完成ですが、既に教会として働いています、下の階(地下?)でミサが塔に昇れます、受難のファサードと生誕のファサードからそれぞれエレベーターで。受難のファサードから昇り、螺旋階段で降りる途中で色々眺めました先ほどの実りの果実です、果実を支えているのは葉っぱこれは鳩ですか、それと地上の風景螺旋階段の様子、見事な蝸牛、これはかなり下の部分入場口附近、10:00頃で人が多くなって来ていますサクラダ・ファミリア、現在塔の高さは92m、完成時は中央に170mの塔が聳えるらしいです、印象が丸っきり違っちゃいますよねベスト撮影ポイントのひとつ「池越えのショット」、ちょっと池の写り込みが少なかったですね現在11:50、次の観光場所カタルーニャ音楽堂の入場時間が、これもネット予約、13:00なので、昼食をスペインのオムレツ「トルティージャ」、野菜のトルティージャ、色が黒い、茄子入り??ピミエント・デ・パドロン(ピーマン or 獅子唐炒め)カタルーニャ音楽堂です、これも建築デザインの妙が観光ポイントですが、設計した人が、ガウディーを教えた教授であり、後にガウディーとライバル関係になると言うところも人気が出ているひとつかもやはり教授を務めた人の設計、ガウディーとは趣きが違います、ガウディーは奇抜過ぎて教授は務まらないかも建物の角っこ、斜めからのアングル、凄く良い音楽堂のホール、写真中央にあるのはパイプ・オルガン、その下には楽器を奏でる女神が何人か彫られています見学は、ツアーと言う形式で30人位でガイドの説明があり、「建物内部にバルコニーが・・・」「柱が・・・」と説明がありましたが、・・・・その柱ですホールの天井、平面のステンドガラスと思いきや二階席から眺めると、凸状のガラスでした音楽堂のホール全景次は、グエル公園、ガウディ設計の公園、ここもネットで予約、17:00入場少し離れた場所なので、とにかく地下鉄で移動、最寄りのレセップス駅近くのCafeで一休みグエル公園、無料のオープン・エリアと、時間指定の入場券が必要な有料エリアが、帽子の女性が検札官グエル公園、元々、ガウディとグエル伯爵が計画した分譲住宅として建設が着手、だけどぉ、当時の人々に理解されず、計画の60棟の内売れたのは2棟だけ、グエル伯爵とガウディが購入グエル伯爵没後、バルセロナに寄贈、公園として維持グエル公園のシンボル的な、二階部分の広場の曲がったベンチ、ベンチなのか??ここも公園のシンボル的な場所、写真上部の複数の柱で支えらているテラスみたいな所が、先ほどの二階部分の広場これが二階部分の広場を支えている柱昨日は日曜日でcloseだったランブラス通りのサンジョセップ市場SAMOSAってインドの春巻きみたいな奴、夕食用に購入ホテルに戻り、預けていたスーツケースをピックアップ20:00発の夜行列車(通称ホテル・トレイン)でグラナダへ洗面所・シャワー・トイレ付のコンパートメントです - 4日目に続く -
2014.10.06
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丑寅の二人旅 第51弾 スペインてんこ盛り 初日・2日目久しぶりの海外旅行、第32弾 西安・桂林・上海以来、4日夜 22:00 成田発、エミレーツ航空でドバイ経由 バルセロナにお金持ちの国の飛行機にしては、座席、結構窮屈、エコノミー、それもディスカウント料金では文句は言えませんか??ほぼ定刻通りの5日13:50 バルセロナ着スペイン国鉄Renfe、車内は綺麗、これで空港からバルセロナの中央駅Sants駅にホテルにチェックイン、殆ど休憩も無しに、バルセロナの繁華街ランブラス通りへ、夜遅くまで多くの人通りでごった返し、花屋、鳥屋、大道芸人、カフェテリア、レストランが並ぶ大通りランブラス通りの舗道にある「ミロのモザイク」、人通りが多くて、どうしても人が乗っかっちゃいます(ミロの特徴的な色使いですが、本当にミロが制作したもの???)ランブラス通りの風景を少しアップします通りの両側のアパートらしき建物の出窓、パーフォーマンスだと思いますマリリン・モンローこちらは、準備中?カフェテリアとバルセロナ・ギャル建物の装飾、傘と団扇と扇子(?)同じく装飾、竜と扇子とこうもり傘、三つの組み合わせがなんともランブラス通りから東に400m程、バルセロナのカテドラル「サンタ・エウラリア大聖堂」尖塔の高さは60m、1298年に建設開始で150年程掛かって完成(1450年頃)ゴシック様式でしょうか正面門、ファサードと言って良いのかな?ファサード、英語のFace、尖塔も含めて正面から見た全てがファサード?(ん?、サクラダ・ファミリアでは「受難のファサード」、「生誕のファサード」二つが、両方とも正面?)大聖堂本堂内部とステンドガラススペインの街並みって、広場と狭い路地広場が多い、そして、広場ではパーフォーマンスと大道芸がカテドラル前の広場での輪乗りの大道芸とそれに見入る人々カテドラル裏での演奏会こちらもカテドラル裏でのシャボン玉芸カテドラル近くのレイアール広場、ライブ演奏に合わせて踊っていましたバルセロナと言えば、ガウディ、ガウディ制作のひとつ、グエル邸グエル邸正面のオブジェグエル邸屋根に微かに見えるキノコ(?)華麗だけどやや重厚な建物とは対照的なポップなキノコランブラス通りの北の端「カタルーニャ広場」の噴水更に少し北上し、グラシア通りにあるカサ・バトリョ、ガウディーの作品ですカサは家・邸宅の意味で、「バトリョさんの屋敷」少し近づいて撮影独特の曲線、柱が骨を連想させるそうですが、出窓の枠も骨っぽいさらに北上して、カサ・ミラ(ミラさんの屋敷)修理中?大清掃中? 建物全てが幕で覆われていましたぁ隙間から建物内を覗きます、ガウディの奇抜な曲線が少し感じられたのが、せめてもの慰めスペインと言えばバル(Bar)カウンター奥に生ハムがずらりエビのアヒーリョ、バルでの代表料理と勝手に決め込んでまぁすこちらは、アサリのニンニク風味炒めカウンター奥に吊らされていたイベリコ豚の生ハムこれもバルの代表、パエーリャ「スペインてんこ盛り」は、次から次へ移動する大忙しの旅行、バルセロナは一泊だけ、夜景のチャンスも一度だけと言う事で、サクラダ・ファミリアへサクラダ・ファミリアのライトアップです現在 夜の22:00(日本時間だと6日05:00、4日22:00に成田発、機上で寝ましたが、ぶっ通しの31時間)、流石に疲れました - 3日目に続く ー
2014.10.04
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2014.09.05
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丑寅の二人旅 第50弾 おわら風の盆から能登と白山山麓 2日目9月2日:朝の散歩を兼ねて、富山城址公園に隣接する松川べり彫刻公園をぶらり散歩能登に向かいます、目的は輪島のちょっと先の白米(しろよね)の棚田(千枚田)丑寅は2008年にこの千枚田に来ていますが、当時は4月、田植えも未だで、「千枚田、稲が無ければただの荒地」状態でした上から眺めた千枚田、緑が映えます千枚田、世界農業遺産斜め下からの眺めこのソフトクリーム、千枚田のお米いり昨日は埼玉からの長距離ドライブと、夜遅くまでの、おわら風の盆観覧で疲れ気味、早めに和倉温泉の宿にはいります9月3日: 白山山麓の白峰村(今は白山市に統合)、白山の登山口で、福井県に隣接、江戸時代は加賀藩と越前藩が白峰村を奪い合って、争いが絶えなかったので、幕府の天領に最近は「絹肌の湯と雪だるまの里 白峰」で売り出しているみたいその絹肌の湯なのでしょうか? 白峰温泉総湯です昔ながらの佇まい・建物、村の殆どが重要伝統建造物群保存地区林西寺、信仰の山「白山」、その山頂にあった仏像が明治政府の神仏分離政策による廃仏毀釈から免れて山頂から降ろされた白山下山仏の8体が安置されていますそう言う歴史的価値もさることながら、山門横や塀の張り紙の文句がなんともはや・・・「かたとうふ」って、ここから白山スーパー林道を抜けたところの白川郷では「石とうふ」、割と近くの五箇山では「五箇山とうふ」、いずれも縄で縛って持ち運ぶ固い豆腐ですね江戸時代の建築様式、通称「与平」、仏壇出しの出っ張りと屋根の雪降ろし作業の為の備え付けの大梯子が特徴この大梯子、凄く良いですね蔵町、蔵が数棟集まった地区雪だるまの里に因んだ「雪だるまカフェ」改装中でした昔の大庄屋だった山岸家、白洲や牢屋もあったとか古い家並みと石積みに挟まれて通りミンジャ(水屋)、用水路です元来飲料水が乏しかったので、1km上流の川から水を引いたのが始まりで、村中にミンジャ用水路が走っているみたいこれもそのミンジャ飲料水が乏しかったって信じられない程勢いよく水が流れてますこちらはミンジャで大量の缶ビールを冷やす若女将 ー 3日目-2に続く -
2014.09.04
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丑寅の二人旅 第50弾 おわら風の盆から能登と白山山麓 初日-3結局16:00頃から降り出した雨で町流し昼の部は殆どが中止町流しを行う11の町内、それぞれ独自に実施・中止を決めているみたい、観光客は中止になるのか、中止になったのか分からず、通りから通りへと右往左往してます福島町の公民館か何かの二階で披露されていた舞台踊りおわら風の盆の踊り、大きく分けて舞台踊り、町流し、輪踊りがあるみたい未だ小雨のうちに殆ど唯一行われた昼の部の天満町の町流し(輪踊り?)輪踊りは、文字通り輪になって回っています、町流しと違って、誰でも輪の中に参加して良いみたいこの天満町、子供を中心に若い娘さんが多いですね昼の部(15:00-17:00)が駄目になり、どうすべぇと諦めかけた時、地獄で仏今町にある聞名寺の本堂の広縁で舞台踊りが始まりました聞名寺で踊っているのは地元の11町内の踊り手ではないのですが、この雨の中唯一実施されるので、有難い限り、 それでは聞名寺での舞台踊りのショットをお送りします男踊りですが、踊り手は女性ですね、男性が足りないのかな??女性が被っているのは鳥追傘、確か阿波踊りも鳥追傘ですよね女性の傘の種類って、鳥追傘の他は市女笠くらい??着物の魅力って、・・・、矢張り・・・、うなじ・・・ですか雨が強くなり、本堂の庇に張り付く人たち片足を高く上げたまま暫く静止するポーズは、男踊りのシンボル。後方はおわらの唄い手と囃し手、流石に張りがあり良く通る声こちらの男踊りも、片足上げて止まってます本堂庇の収容能力は僅か、あぶれた人は傘をさして境内に町流しが中止されているので、多くの人が聞名寺に集合腕を前に突出し、少し反り返るポーズは、女踊りのシンボルの一つかな??19:00近くになり漸く雨が上がりましたが、町流し本番の夜の部が行われるかどうか、アナウンス等は一切ありません演舞場での舞台踊り以外は、観光客の鑑賞用の踊りではなく、あくまで地元の為の盆踊りと言う姿勢が貫かれているみたいそれでも歌い手さんとか、踊り子さんとかが、こっそりと、「この辺りで待っていてください、向こうから流してここまで来ますから」、親切ですね一番人気の諏訪町の町流し夜の町流しの撮影、難しいです明るい雪洞が多くて、どうしても画面に入ってしまい、露出が・・・こちらは上新町の町流し、夜の町流しは風の盆の本番中の本番、道の両端は二重三重の人垣、遅れて辿り着くと、写真には他の人のカメラも写り込んでしまいますおわらの風の盆、写真を撮るのは昼の部ですね、人も比較的少ないし、夜の部の町流し鑑賞にはどうやら脚立が必須アイテムかも踊りの世話役さんみたいなお爺さんが「流し踊りが通過したら、反対方向に移動して! 踊りの後ろについて行くと団子状態・押しくら饅頭状態になって危険」と言っていた理由が分かりました流し踊りの進行速度凄く遅い「土佐のよさこい」とか「阿波の阿波踊り」の様に前に前に進む踊りじゃないですね、その場に留まって踊るのが基本の踊りみたい地元の人たちにとってはオラが町の盆踊り、観光客が帰り始める頃に繰り出して来ている公式の町流しは23:00終了ですが、その後夜明けまで踊り・お祭りは続くようですおわら風の盆、それなりに鑑賞しましたが、雨による中断、風の盆攻略作戦の失敗、不完全燃焼で未練が残りました機会があればリベンジしたいですね、こんどは脚立持参で - 二日目に続く -
2014.09.03
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丑寅の二人旅 第50弾 終わら風の盆から能登と白山山麓 初日-2越中八尾おわら風の盆、いよいよです富山駅からJR高山線で20分程の越中八尾(えっちゅうやつお)が「おわら風の盆」の舞台15:15の越中八尾駅、混んでます風の盆の昼の部の町流しは15:00-17:00、昼の部から楽しみたい人で溢れてます(昼の部から集まるのはよそ者が多いみたい)露店・屋台が凄く多い、一か所だけでなくあちらこちらに町流しは11の町のそれぞれのメイン・ストリートで、それぞれの町の流儀の踊りが独立して流されます。その全体の範囲は3kmに渡り、露店・屋台もそれに沿って展開している様ですが、町流しの邪魔にならない位置取りをしているみたい町流しの出番に備え移動しています鳴り物の三味線男踊りの子供達女踊りの娘さんところが、ここで不穏な雰囲気、雨が・・・八尾の入る前にチェックした「Yahoo天気」の雨雲ズームレーダーではかなり大きな雨雲が西から富山・八尾方面に、16:00頃から危ないかなって気がしてました予想的中ですここは「おたや階段」、鏡町の町流しを上から眺められる特等席なので、雨の中でも暫し陣取ったまま待機なのかな??ここは「日本の道百選」に選ばれている諏訪町の町流し通り、風情ある石畳、往時を偲ばせる佇まいの家々と立ち並ぶ雪洞、八尾で一番人気の町流しストリート - 初日-3に続く -
2014.09.02
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丑寅の二人旅 第50弾 おわら風の盆から能登と白山山麓9月1日: 記念すべき第50弾に相応しいテーマ「おわら風の盆」、今や全国区の認知度、だけど土佐の「よさこい」や阿波の「阿波踊り」程には全国区が前面に出ておらず、あくまで越中八尾のローカルな盆踊りに徹している様な・・・・、丑寅の勝手な解釈でぇすおわら風の盆は、昼の部15:00-17:00、本番の夜の部19:00-23:00富山市に入ったのが朝の10:30、 早過ぎます富山港展望台、立山連峰の雄姿を眺められる絶好のポイント但し、綺麗に晴れ渡ればの話ですが・・・・展望回廊窓ガラスに描かれた立山の峰々の指標線だけが虚しく・・・・「まぁ、当たりもあれば、外れもあると」気を取り直して、 次は展望台から徒歩1分北前船廻船問屋森家北前船、発祥は加賀、その航路の主役が日本海沿岸だったので、北前船廻船問屋は加賀、福井、富山、能登、新潟、酒田等々広がっています北前船、江戸時代は1年に1航海下りは、3月下旬頃、大坂を出帆、4 - 5月、航路上の瀬戸内海・日本海で、途中商売をしながら北上、5月下旬頃、蝦夷が島(北海道)に到着(日本海では対馬海流がフォローとなります)上りは(対馬海流がアゲンスト)、7月下旬頃、蝦夷が島を出帆、8 - 10月、航路上の寄港地で商売をしながら南下、11月上旬頃、大坂に到着北陸など各地の北前船の船員は、大坂から徒歩で地元に帰って正月を迎え、春先にまた徒歩で大坂に戻ってきたらしいです北前船、商品を預かり運送するだけの運送業でなく、商品を買い取り、それを売買することで利益をあげていたようです北前船、標準的には500-1,000石、長さ25-30m、幅8-10m、今で言う150トン位ですか???異常に多い今日の見学者に、館内のガイドさんが「皆さん、これから八尾?」全員が「はい! そうでぇす」、全員が「おわら風の盆」までの時間潰しでした北前船廻船問屋の次は、富山と言えば、越中富山の薬売り薬種商の館「金岡邸」昔懐かし配置薬(置き薬)小袋、レトロ調の懐かしいデザインこれも昔懐かし売薬進物ここにあるのは紙風船/ゴム風船/封筒、その他に扇子/塗箸/九谷焼湯呑なんかもあったらしいですが・・・、うーん、貰った進物・・・、紙風船くらいしか記憶にないなぁ反魂丹、越中富山の薬売りが富山の一大産業になった大元です余りに多く全国で売れたので、それをやっかんで揶揄した唄が「越中富山の反魂丹、鼻糞丸めて万金丹、それを飲む奴あんぽんたん」余談ですが、揶揄も、上述の唄みたいに上等ならば、それなりにOKですが、下等な揶揄だと本当に腹が立ちますね、「絶対許さない」みたいに・・・大人げないかな15:00の「おわら風の盆」に備えて腹ごしらえこれは凄い、富山市の糸庄の「もつ煮込みうどん」糸庄だけが提供している「もつ煮込みうどん」、他にどこの店も作っていません、なのに殆ど富山のB級グルメとして認知されそうな勢い50人くらい入れそうなお店は満席、一人のシェフが15個のガス五徳で手早く調理(煮込み)、多くのメニューがある券売機で食券を買うシステムですが、「もつ煮込みうどん」以外を注文する人、誰一人いませんでした(釜揚げうどん、天麩羅うどんもあるのですが・・) - 初日-2に続く -
2014.09.01
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「丑寅の二人旅」 第49弾 世界遺産 富岡製糸場2014年8月25日今年6月に世界遺産に登録された富岡製糸場、家からだと1時間半程で行けます。朝6時に出発すると、・・・・、到着時未だ開いてませんと言うことで、軽井沢の北にある浅間大滝で道草をん! 季節を間違えた?? 何故か、そこだけ紅葉が写真を拡大、うーん・・・、確かに紅葉・・・葉っぱの形、モミジぽいですよね浅間大滝を2ショット浅間大滝の直ぐ下流にある魚止めの滝ついでなので、軽井沢の白糸の滝に立ち寄り観光客多いですね正午過ぎに富岡製糸場に到着製糸場正門です富岡製糸場は明治5年(1872年)に完成・創業開始正門前は、商店が立ち並び、人々で賑わって、さながら門前町みたいさながら門前町の風景を3ショットボランティア・ガイドさんによるガイド・ツアーがほぼ30分間隔で実施されます13:00発のガイド・ツアーは3人のガイドさんで紅組・黄色組・青組の3グループが出発黄色組は東繭倉庫から出発少しごわごわした感じの繭糸の感触を体感させてくれます製糸場のメイン繰糸場の外観繰糸場の内部、日本で初めての建物の中央に柱のないトラス構造ビニールで覆われた製糸ライン、並んでいる自動繰糸機は昭和40年代以降に設置されたもの工女さんの寄宿舎富岡製糸場の操業は、明治5年(1872)の開始から昭和62年(1987)の操業停止までの115年間その間に、国営/三井/原/片倉と経営が変遷、上の寄宿舎は片倉の時代に設置とのことです今宵は、富岡製糸場近くの磯部温泉に泊まります - 第49弾 富岡製糸場 終了です -
2014.08.25
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2014.07.01
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丑寅の二人旅 第48弾 沖縄眞栄田岬再び 6月30日-7月3日 一昨年にシュノーケリングを楽しんだ沖縄眞栄田岬、昨年は丑寅間の意思疎通に問題があって行きそびれているだけに、満を持しての再訪です眞栄田岬の青の洞窟、沖縄本島でのシュノーケル・ダイビングとしては慶良間諸島に次ぐ人気のスポット、ここの利点は「マリンクラブのツアーに参加する」「個人で楽しむ」いずれでも簡単にできるところ眞栄田岬の海青の洞窟は緑の矢印の岸壁に、黒の矢印はボートエントリーのマリンクラブの船、赤い矢印の所にビーチエントリー(岸壁エントリー?)の階段マリンクラブの船眞栄田岬の駐車場、マリンクラブがダイビングの準備場所としても使用こちらは酸素ボンベの準備ウェットスーツの装着この階段(7-80m)を降りて海面にエントリーエントリー部分、結構混んでますさっそくエントリーして海中にハナグロチョウチョウウオフウライチョウチョウウオ、後ろの焦げ茶色の3尾はサザナミハギチョウハン、なかなか見かけない奴ウツボです、見難いですが画面中央縦に、未だ小さい、子供みたいですカクレクマノミ(ニモ)、眞栄田岬一番の人気者海底付近に居て、上には上がって来ない、ズームで撮って更に拡大だから画質が・・・ツノダシ、これも人気者、今回は割と良く見かけましたヤマブキベラ、左の頭が黄色の奴この黄色い奴、名前分かりませんこちらの黄色はフエヤッコダイシュノケラーは海面を移動ダイバーは海底を移動?ん?? ビキニのお姉さん?綺麗に潜っています、シュノーケリングですアメリカ人ですね、基地が近いので軍関係の家族みたいです - 其の二 に続く -
2014.06.30
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「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 4日目 急遽根来寺へ4月17日:「天空の城ラピュタ」そっくりだと、静かなブームになっている由良要塞の友が島砲台・弾薬庫跡への立ち寄りが却下されました、急遽行き先を変更し根来寺へ根来寺、鉄砲で武装した僧兵、傭兵集団としての活躍でも有名織田信長とは友好的でしたが、秀吉には怖れられ、秀吉の紀州征伐で焼き討ちされ、大塔・大師堂以外は焼失。小説では根来忍者がよく登場します、当時は特殊技能だった鉄砲と傭兵のスタイルから忍者集団をイメージしたのでしょうね根来寺の桜境内入口に置かれていた達磨、その意味するところは??光明真言殿、本堂ですかね? それとその内部国指定の名勝庭園根来寺の開祖は覚ばん上人、高野山で弘法大師の真言密教の布教に励んでいました、他の高野衆徒との間に不和が生じて、高野山を降り根来に移りましたが、根本は弘法大師の真言宗弘法大師像を祀った大師堂国宝の大塔秀吉の紀州征伐の焼打ちから残りました、高さ40m横幅15m日本最大の木造多宝塔多宝塔とは二層一階建ての塔で、初層は平面が方形/上層が円形、どうやら如来様を祀る塔高野山の根本大塔も多宝塔で大日如来様が、高さ50m四面30m・・・ん?、根来寺大塔よりも大きい??再建され木造ではないのかぁ大傳法堂、本尊は大日如来根来寺を最後に紀州を離れ、三重県は鳥羽に向かいます5日目 最終日 4月18日: 根来寺から家までは560km、一気に帰るにはちょっと遠いので鳥羽まで出て一泊しました鳥羽の海の写真を2題鳥羽から家まで491km、鳥羽から渥美半島伊良子まで24kmをフェリーで渡ると、その後伊良子から家までは342km、車での走行距離が149km短くなるのは大きいです、かなり楽になりますこれが中継地を鳥羽にした理由伊良子行のフェリーが到着しました乗り込んだ自動車、ワイヤー/タイヤ止めをしませんね、 サイドブレーキだけ、内海で穏やかな伊勢湾だからフェリー内部、今日は空いてますすれ違った貨物船、港まで未だ距離があるのに、自走でなく、タグボート3隻に曳航されてます豊橋の市街地、市電に「パト電車」の表示が、「振り込め詐欺に注意」の標語が書かれてました豊川ICから東名高速へ、安全運転で帰ります ー 「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 終了です -
2014.04.19
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「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 由良要塞跡吉野の桜を鑑賞した後、15日・16日は和歌山市中心部から北西方向15km紀伊半島西の端の海岸縁にある紀州加太に2連泊、淡路島までは紀淡海峡を挟んで10km程、この紀州加太には由良要塞跡が由良要塞(ゆらようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つで、大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られました当初の由良要塞は大きく3つの地区に分けられる。1903年5月、鳴門要塞が編入され鳴門地区が加わり4地区となる。生石山第一砲台跡由良地区: 淡路島の由良(現洲本市由良)を中心に要塞司令部が置かれ、要塞の心臓部友ヶ島地区: 友ヶ島群島の内、沖ノ島と隣の虎島から成り、由良地区と共に要塞の主力深山砲台跡加太・深山地区: 紀伊半島の加太町(現和歌山市加太)を中心に北部の深山地区に設けられた鳴門地区・旧鳴門要塞: 鳴門海峡に置かれた鳴門要塞が編入され鳴門地区に由良要塞の建設は、明治22年(1889年)開始され、日露戦争の明治37年(1904年)時点では全て完成していたみたい深山砲台跡加太地区休暇村紀州加太の駐車場に隣接している弾薬庫跡海岸縁の小高い丘に設置された砲台・弾薬庫跡28cm榴弾砲2基が設置されていた広場写真左上のトンネルの先に同じ様な広場、さらにトンネルと広場が続き、3か所の広場に砲台2基づつ合計6基の砲台が設置されていました。トンネルの縁には下に降りる階段があり地下の弾薬庫へ広場と広場を結ぶトンネルと地下に降りる階段地下の弾薬庫友が島は加太のすぐ近く、下の写真で手前の丘が加太砲台跡、地の島・沖の島(総称して友が島)、その沖の島に友が島砲台跡が、後方のぼんやりしている島影が淡路島(生石山第一砲台跡由良地区)友が島の要塞跡、その朽ち果てた砲台跡・弾薬庫跡が宮崎アニメの「天空の城ラピュタ」そっくりの風景だと静かなブームに、行こうとしたのですが、丑寅の片方が「強烈な駄目出し」 加太港です、友が島へはここからフェリーでたったの20分なのに - 4日目に続く -
2014.04.18
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「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 3日目は高野山4月16日:待望の高野山に宿の紀州加太から高野山までは66km、約2時間程高野山麓の橋本から高野山まで30km、山道なので時間が掛かります高野山金剛峯寺弘法大師空海上人が816年に真言密教の根本道場として開創(余談ですが、ほぼ同じ時期の787年に伝教大師最澄が天台宗の総本山として開創した比叡山延暦寺、高野山金剛峯寺と並び立つ日本仏教の原点の双璧「丑寅の二人旅」第26弾で比叡山延暦寺を訪問、その際、錚々たるお坊さんが延暦寺で修行した事実に驚いた記憶があります調べてみました、延暦寺で修行した後、独自の宗派を開創したお坊さん達 良源(慈恵大師、元三大師 912年 - 985年)比叡山中興の祖。 源信(恵心僧都、942年 - 1016年)『往生要集』の著者 良忍(聖応大師、1072年 - 1132年)融通念仏宗の開祖 法然(円光大師、源空上人 1133年 - 1212年)日本の浄土宗の開祖 栄西(千光国師、1141年 - 1215年)日本の臨済宗の開祖 慈円(慈鎮和尚、1155年 - 1225年)歴史書「愚管抄」の作者。 道元(承陽大師、1200年 - 1253年)日本の曹洞宗の開祖 親鸞(見真大師、1173年 - 1262年)浄土真宗の開祖 日蓮(立正大師、1222年 - 1282年)日蓮宗の開祖凄いですね一方、高野山金剛峯寺で修行して、独自の宗派を開創したお坊さん?? 聞かないです、何故??)高野山の総本山 金剛峯寺高野山町のユルキャラ「こうやくん」に迎えられて金剛峯寺の中に新別殿の広間でお坊さんから有難い講和を真言宗の奥義を簡単に言うと、「無常(常ならぬ)」と言う事で、弘法大師作の無常を解いた歌「いろはにほへと・・・」をお坊さんと一緒に二度唱和(演歌調の一寸変な節が付いています ) 色はにほへど 散りぬるを我が世たれぞ 常ならむ有為の奥山 今日越えて浅き夢見じ 酔ひもせず これで丑寅は解脱し悟りの境地に・・・とはいかないですねところで、このお坊さん「南無大師・・」と唱えました、「南無阿弥陀仏」ではなく。大師は弘法大師空海上人ですよね、阿弥陀仏(仏さん)でなく弘法大師と唱えるみたいですね広間にあった曼荼羅?この金剛峯寺の売りは(お寺さんで売りと言う言い方は不謹慎ですね)、日本最大の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」、2,340m2 雲海の中で雄雌2匹の龍が奥殿を守っている様が表現されているとか台所の大竈、これ現役です、重要行事の際には使用されます金剛峯寺から出たところの高野山の桜壇上伽藍に向かいます、伽藍とは本来僧侶が修行する閑静清浄な場所と言う意味壇上伽藍一番の見所「根本大塔」根本大塔の中央には大日如来・四方に金剛界四仏・周囲の16本の柱に十六大菩薩を配して曼荼羅を立体的に顕しています宿坊です、それにしても宿坊を一般客に解放しているお寺さん多いです、50軒以上ありそう高野山の山門「大門」一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年を超える杉木立の中に竹田信玄の墓碑と上杉謙信の霊屋が近くに在ったり、信長の供養塔、光秀の供養塔、豊臣家の墓所などえぇっ! 親鸞聖人の墓所って? 比叡山延暦寺で修行した浄土真宗の開祖なのに??花菱アチャコの句碑こちらは株式会社福助の慰霊碑日産自動車、小松製作所、建設業組合など企業・組合の従業員物故者慰霊碑が多くあります大霊園が終わる所に水向地蔵(地蔵さんにしては立派)高野山の一番の聖地「奥之院・弘法大師御廟」(写真奥の建物)手前の御廟橋から先は撮影・マイク使用・喫煙・飲食禁止 - 由良要塞跡に続く -
2014.04.17
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丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 2日目-2桜本坊に咲くしだれ桜愛称は「夢見桜」この桜本坊も役行者縁の道場で、山伏文化が多く残っているらしく、住職が法螺貝を吹いていました。ここにも鬼を従えた役行者の像夢見桜の隣で一輪だけ開いた別種の桜???中千本が終点辺りからキツイ上り坂になるので、上千本を通り越して奥千本口までバスで移動、ホテル花夢花夢(ホテル カムカムと呼ぶ)前にあるバス乗り場現在09:00、未だ空いてます、上から降りて来た11:00頃は300mの行列でした奥千本の金峰神社境内の桜を2題奥千本金峰神社から下ります布引の桜、花矢倉から上千本を見下ろす眺め水平方向に眺めた上千本2題桜の大群落一目千本が吉野の醍醐味ですが、一本桜にもスポットを赤とのコントラスト「桜と椿」桜に飽いたら少し緑にこれは・・・桜?? 梨の花???吉野山花見参道の風景を数題椎茸? 茸を干してますその干した茸で作った?? 美味しそうこちらは鮎の塩焼き花見な人達10:30頃になると花見客、増えてきました下千本から奥千本まで登って降りて、4時間たっぷりと吉野の桜を堪能飛鳥・吉野の奈良を離れ和歌山に吉野から紀州加太(和歌山市の北西の瀬戸内海の海辺の街)まで86kmの中で、奈良県五條市から和歌山県紀の川市までの36kmは京奈和自動車道の一部分が完成しており、快適かつ時間短縮になります - 3日目に続く -
2014.04.16
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「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 2日目4月15日:満を持して吉野山へ、渋滞無し・駐車場待ち無しで07:30に到着吉野の桜は「一目千本」、一目で千本の桜が見られると言う桜の大群落が売りその千本が吉野山の麓から頂上まで「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」とあり、開花・満開が2-4日づつ遅れて行きます(奥千本だけは7-10日遅れる)嵐山の桜、下千本駐車場近くのこんもりした丘の桜下千本の一目千本を2題下千本の名所「七曲りの千本」金峰山寺・蔵王堂、東大寺の大仏殿に次ぐ日本で2番目に大きな木造建屋、ここも桜の名所蔵王堂境内にある「四本桜」(写っているのは2本だけ、満開を少し過ぎています)御所桜、蔵王堂境内から吉野朝宮跡方面に見える桜中千本入口にある吉水神社「上に駐車場あります」の看板が、だけどぉ、その駐車場に続く道がこれ吉水神社からの一目千本、中千本を眺めますこの吉水神社、凄いですよ元々吉水院として役行者が設立した僧坊、鬼を従えた役行者の像1185年兄頼朝の追手から吉野に逃れた義経が静御前・弁慶等と隠れ住んだのがここ吉水院義経・静御前潜居の間ですここで静御前が詠んだ歌が「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」、義経千本桜の舞台もここ、さらに義経と静御前が最後に過ごした場所もっと凄いのは、南朝の皇居でした1336年に京都から逃れた後醍醐天皇がここを南朝の皇居と定め、南朝4代57年の歴史が始まっています(余談ですが、南朝はその後九州は菊池に逃れ、菊池一族に擁護されていますが、菊池と言えば熊女さんです)更に、1594年豊臣秀吉が行った吉野の花見の宴での本陣として滞在、秀吉愛用の金の屏風 ー 2日目-2に続く -
2014.04.15
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「丑寅の二人旅」 第47弾 吉野の桜と高野山 初日一度は行きたかった高野山、560kmの彼方、車で9時間以上、近隣で何処か見所は無いかと検索すると、 おおっ! ありましたぁ 吉野の桜、今が満開、この時期最高の見所「日本一の桜の名所」、高野山の脇役でなく主役かな?と言う事で、「吉野の桜と高野山」と銘打って出発4月14日: 初日は飛鳥観桜期の吉野、のんびりと昼前に到着すると、道路渋滞・駐車場待ちで桜観賞時間よりも車観賞時間の方が長くなると言う悲惨なことに、平日でも現地入りは08:00以前が鉄則らしいと言う事で、初日は飛鳥に新東名高速道路・浜松SAにあった可愛いオブジェ、楽器の街なのでピアノの鍵盤の上で踊っています余談ですが、06:00に家を出て、関越道練馬出口から環八経由用賀へ、駄目です渋滞でノロノロ、環八は使えませんね!!カーナビが自動で空いている道を検索し、いつの間にか山手通りへ、更に初台南から首都高に誘導され大橋JCTへ、東名高速に入ったのは08:00過ぎ、1時間以上の遅れ1時間遅れのまま14:30飛鳥に到着飛鳥の歴史の主役と言えば、欽明天皇・聖徳太子・推古天皇・蘇我入鹿・物部氏・中大兄皇子・中臣鎌足・大化の改新・天智天皇・壬申の乱・天武天皇見所は古墳群を中心とした史跡高松塚古墳です壁画で有名な高松塚古墳ですが、外から見たら、単なる小さな丘そしてこちらが有名な通称「飛鳥美人」の高松塚古墳西壁女子群像(もちろんこれは本物ではありません、模写したものです)本物は、10年掛けて、修復し劣化保護を施した後に2017年頃に古墳に戻す予定らしいです今では飛鳥と言えば高松塚古墳壁画、教科書にも載っている・・・、ん? 教科書で学んだ記憶が無い???壁画が発見されたのは1972年、丑寅が学んだ教科書には載っていませんね通称「猿石」です欽明天皇陵の西に隣接する吉備姫皇女王墓内にある奇石、ユニークな人面石像ですが、猿ではなく渡来人を象ったものらしいです4体の像にはその外見から『女』『山王権現』『僧(法師)』『男』とそれぞれに愛称がつけられている。僧以外は像の背面にも顔が彫られている二面石で、僧の背面には肋骨らしきものが彫られている、さらに一部の像には性器を露わにしたものがあるらしいです飛鳥と言えば、高松塚古墳・石舞台古墳等の古墳群逆に古墳と言えば飛鳥のイメージですが、飛鳥にある古墳の数は未発掘のものを含めて300基程だけ、奈良県全体にある古墳総数は6,000基、 さらに日本全国にある古墳総数は160,000基、都道府県別では兵庫県の16,000基余りが最多、飛鳥にある古墳の数は意外と少ない因みに古墳の定義は「3世紀後半から7世紀前半の間に造られた墳丘を持つ古い墓」らしいです欽明天皇陵、堀で囲われた墳丘欽明天皇陵、別の角度から古墳群、歩いて廻るには結構離れて点在、車で廻るとその場その場で駐車料金が発生、更に車が入れない路地も。そこでレンタ・サイクル、高松塚古墳まで超快適な下り坂、あっと言う間に到着ん? と言う事は、何処かで地獄の登り鬼の雪隠(おにのせっちん)元々古墳の横口式石槨の石室であったもの、数十m離れた場所にその底石(通称:鬼の俎)がありますこちらは亀石この亀石は川原寺の境界を表す標石であるという説がありますが、それとは別に、昔むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、ここ川原の間にけんかが起こり、長いけんかのすえ、湖の水を当麻にとられてしまい、湖に住んでいたたくさんの亀は死んでしまった、何年か後に亀をあわれに思った村人達は、亀の形を石に刻んで供養したそうです。今は亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻をにらみつけたとき、大和盆地は泥沼になるという長く飛鳥の代名詞を背負って来た石舞台古墳、墳丘の盛土が無くなり露出した横穴式石室です封土(盛土)の上部が剥がされているため、その墳形は明確ではないですが、2段積の方墳とも上円下方墳とも、あるいは、下方八角墳とも推測されています、また、一辺51メートルの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83メートル、東西81メートル)をめぐらした壮大な方形墳であったとのことライオンが伏せているみたい後ろから石室の覗く石室の中この石舞台古墳は蘇我馬子を埋葬したと言われていますこちらは石舞台古墳横の野外ライブ用の舞台古墳群のある国営飛鳥歴史公園内の風景です - 2日目に続く -
2014.04.14
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「丑寅の二人旅」 第46弾 東伊豆 河津と稲取 3月11-12日 河津七滝河津七滝(かわづななだる)の出合滝出合滝の標識の所に滝三つあるんですけど!三つの滝が出会っているのではなく、二つの流れが出会って滝に流れ込むことから出合滝と名付けられたらしいので、出合滝はどれか一つだけ出合滝候補1: これが一番形が良いです出合滝候補2: ちょっとショボイかも??出合滝候補3: 一番豪快、先の二つの滝からの流れがこの滝に流れ込んでいますが、これ人工が入ってませんか??? 滝口とか側壁補強みたいな???釜滝「伊豆の踊子」ブロンズ像と初景滝「伊豆の踊子」6回映画化されています、田中絹代・美空ひばり・鰐淵春子・吉永小百合・内藤洋子・山口百恵、このブロンズ像は山口百恵似?2回目から6回目は3-7年の間隔で映画化されていますが、6回目の1974年以降は映画化されていませんね伊豆と言えば魚料理カサゴの唐揚げと金目鯛の煮付け ー 第46弾 東伊豆 河津と稲取 終了です -
2014.03.13
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「丑寅の二人旅」 第46弾 東伊豆 河津と稲取 3月11-12日 吊るし雛この時期の東伊豆と言えば、「稲取の吊るし雛」河津桜と稲取の吊るし雛、時期が重なります稲取の吊るし雛(雛の吊るし飾り)、柳川のさげもん、酒田の傘福と並び日本三大つるし飾り雛の吊るし飾り、雛人形の周りに何やらいっぱい吊らされています雛人形は、一般的なお内裏様にお雛様、右大臣・左大臣、三人官女に五人囃子吊らされている飾りは多種多様画面左上ひときわ大きい円形は「七宝まり」、中央の赤い三角形は形通り「三角」(香袋)、右上のピンクは「桃」うさぎ、柿、金目鯛、にんじん、鼓、俵ねずみ、座布団 等々「這い子人形」、これは吊らずに布団に這わせています「金目鯛の鯛の鯛の吊るし飾り」鯛の鯛:鯛の胸鰭の付け根にある骨の一部、形が鯛そのものに似ているので「鯛の鯛」と呼ばれる、金目鯛は伊豆の名産品なので、金目鯛の鯛の鯛の吊るし飾りと洒落てみたもの。 あくまで特別展示用、実際に吊るすと野良猫/鼠が齧りに来て、お雛様まで齧られちゃいます吊るし飾り、飾りが多過ぎて、お雛様、隠れて見えません ー 続く -
2014.03.12
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「丑寅の二人旅」 第46弾 東伊豆 河津と稲取 3月11-12日この時期の東伊豆と言えば、河津町の河津桜2月初旬から咲き始める早咲きの桜、早咲きだけでなく、花期が1ヶ月以上と観賞期間が長いのも嬉しい桜。2月5日から始まった「河津桜祭り」、本日現在も未だに・・・ん?ん?・・・昨日3月10日で終了していました伊豆に入る前に、小田原から眺めた富士山河津桜です、ソメイヨシノより色がかなり濃い桜祭りは終了していても、花は満開状態、殆ど散っていませんが、葉が出て来ていますネ河津桜と遅れて来た花見客、濃いピンクに少し緑が入るのも悪くない・・・・・???河津桜と河津川河津桜と菜の花河津桜と菜の花其の2河津桜と菜の花其の3河津桜と菜の花とご婦人河津桜とお嬢さん河津桜と椿河津桜とポンカン河津桜とポンカン其の2 - 続く -
2014.03.12
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「丑寅の二人旅」 第45弾 茨城へ紅葉狩り 2日目11月19日: 大洗の宿から眺めた那珂川に架かる海門橋海門橋のズームアップ、後方の黄色い建物はこれから向かう那珂湊の魚市場那珂湊の魚市場、そこそこ規模も大きく、東京から近いこともあって賑わっています売られている海産物は、大物の良い値段のものから小振りの捨て値みたいなもの、那珂湊漁港で水揚げされた地魚、那珂湊で捌かれている鮭、北海道・三陸など日本各地からの海産物、ロシア・チリなど海外からの輸入物等々色々社会科見学の小学生が来ていましたそれでは魚市場のショットを数題こちらは一塩物の干物小振りのカレイとかは8-10尾で300-400円水揚げされたばかりの秋刀魚那珂湊の名物とも言える鮟鱇、大物は21kgで43,000円、良い値段、乾燥防止の為にラップが掛かっています小振りの鮟鱇は、無造作に積み重ねられてプロ顔負けの目利きのつもりで品定め、ホタテ/鮭/海老/穴子を、我が家用と、これから伺う松戸の登山家ご夫婦宅への手土産用とを購入松戸ではお昼にお寿司を御馳走になり、「海老で鯛を釣る」ならぬ「海老で寿司を釣る」大収穫に松戸から家に戻ると、窓の外が茨城に負けず劣らずの紅葉でした「丑寅の二人旅」 第45弾 茨城に紅葉狩り 終了です
2013.11.19
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「丑寅の二人旅」第45弾 茨城に紅葉狩り 初日11月18日: 茨城県の紅葉の名所、水戸の偕楽園、袋田の滝、花園渓谷、竜神峡、等々から筑波山と花貫渓谷を選択最初は筑波山標高871mの男体山と877mの女体山の二つの峰を持つ筑波山最近はパワースポットとしても脚光をガマ石とか、立身石とか、御神木の大杉とか個々のパワースポットが点在しますが、筑波山自体が筑波神社の御神体なので山全体、この地全部がパワースポット当然、筑波神社も強いパワースポット筑波神社のショットを3題山麓にある筑波神社、紅葉は今が盛りそれでは筑波山の紅葉9ショット、殆どが山麓これはケーブルカー沿線にある大モミジ?筑波山(男体山)の山頂、山頂は既に落葉状態登山対象としても人気の筑波山、東京に近い事もあって、この日も多くの登山家が標高900m足らずの山ですが、知り合いの登山愛好ご夫婦によると、勾配のキツイ山とのこと筑波山名物、四六の蝦蟇の油筑波山から茨城県北東部の花貫渓谷へ渓谷を流れる花貫川、紅葉の赤・黄色と対比する濃い緑の苔が妙花貫渓谷の紅葉 6ショット渓谷の随一の見せ場「汐見滝吊り橋」筑波山、花貫渓谷、茨城の紅葉はモミジが多いですね - 2日目に続く -
2013.11.18
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「 丑寅の二人旅」 第44弾 但馬から京都・滋賀へ 最終日10月12日:第42弾「長良川の鵜飼い、岐阜と滋賀」で訪れた長浜の黒壁スクエアを再度訪問偶然、テニス大会に遭遇、軟式テニスですね小学生?中学生?ジュニア?、それとも今流行のU14・U12とか?琵琶湖湖畔の豊公園に隣接するテニス・コート(多いですよ、10面はありそう、観覧席もあって)、多くの少年少女、人数から察するに長浜市の大会ではないですね、滋賀県の大会?、若しかしたらその上の近畿地方大会? みんな上手だし長浜駅前の秀吉と三成の出会い「三椀の才」の像黒壁スクエア、日本一の竪型万華鏡曳山まつり10月12・13・14日って、今日は12日長浜曳山まつりって4月の筈、良く見ると米原曳山まつり米原は隣町、行くしかないでしょ! と言う事で急遽予定を変更、米原にまつりの会場は何処? 取り敢えず米原駅へと、駅へのアプローチの跨線橋を渡っていると反対車線を曳山山車がこの跨線橋200mはありそう、上り坂部分80m、曳手の人数、ちょっと少ないかも?? 助っ人の外人さん米原曳山まつりを最後に「但馬から京都・滋賀」終了です
2013.10.12
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「丑寅の二人旅」 第44弾 但馬から京都・滋賀へ 4日目10月11日:パーク&ライド、車で出かけ、適当なところで駐車し、そこから公共交通機関を利用して最終目的地に入る。最終目的地は観光地でも都市部でもあり、通勤・仕事・観光いずれもあり要は最終目的地内が、駐車場が利用し難い・交通渋滞が酷い等の理由で、車での移動に不便がある場合に取られるシステム今回、パーク&ライドで京都観光をJR奈良線六地蔵駅のタイムス駐車場に止め、電車で東福寺駅に、京都駅周辺エリアの観光です東福寺駅近くの「つけもの屋」さん、創業元禄12年って甘味処? 料亭? 奥行きが深い? 町屋????跨線歩道橋から京都駅方面を最初は三十三間堂正式名称は蓮華王院 三十三間堂長いお堂の端から端まで10段に並ばれている1001体の千手観音菩薩立像は圧巻修学旅行の生徒さん1001体の千手観音菩薩立像が納められているお堂(三十三間堂)と修学旅行の生徒さん違う角度からお堂(三十三間堂)三十三間堂裏側、ん? 表側?、通し矢が行われる軒三十三間堂内部、千手観音菩薩立像は撮影禁止、スケッチも禁止仕方がないのでお堂外側のショットばかりを撮影、何ともはや、間の抜けた構図に仕方がないので、圧巻の千手観音菩薩立像を観終わって休憩中の女子高生をこちらは小学生?三十三間堂を出て、七条通りを真っ直ぐ西へ、本願寺へ途中で渡るのが鴨川おばんざい、ランチ・セットに選べるおばんざいん? これは東本願寺ですね本願寺(西本願寺)、世界遺産です国宝の唐門、角度を変えて3点龍谷大学、やはり本願寺に隣接次に堀川通りを南下し東寺へ向かいます東寺、世界遺産です東寺と言えば、五重塔(55mは日本最大の木造の塔)と講堂の中の21体の仏像で創られた立体曼荼羅21尊の仏様は、5尊の如来さま/5尊の菩薩さま/5尊の明王さま/6尊の天部さま東寺から京都駅へ京都駅駅ビル、完成当時は「軍艦みたい」とか言われましたが、今は誰も言いません京都タワー/駅ビル、完成当時は景観を壊すと批判されましたが、今は思いっきり馴染んでいるみたい駅ビルで抹茶を購入、電車で六地蔵駅へ少し足を延ばして、今日は滋賀県は琵琶湖の畔の近江八幡に泊まります - 5日目に続く -
2013.10.11
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「丑寅の二人旅」 第44弾 但馬から京都・滋賀 3日目10月10日:但馬北部の城崎温泉から但馬南部の養父市(やぶし)の天滝渓谷に 天滝まで片道1.2kmの山道、途中に幾つもの小さな滝を眺めながら往復2時間のトレッキング天滝、落差98m、兵庫県最大の滝、なかなか綺麗な滝ですアングルを変えてのショット 更に近づいてのショット天滝から1時間、但馬南部朝来市(あさごし)和田山「竹田城跡」標高354mの山頂に建つ山城跡「日本のマチュピチュ」「天空の城」と呼ばれて、最近急激に人気が出て来ました人気が出過ぎて、10日前の10月1日から300円の入場料が徴取されることに竹田城跡の観光其の壱:南東に2km程離れた立雲峡から眺める姿その姿を写生する人々これが其の姿、・・・・ ちょっと遠いですねphotoを拡大してみました、・・・・ ぼやけますねデジタル・ズームで最大15倍、三脚、セルフタイマーで撮影・・・・一眼レフ・望遠が欲しいこの辺りの地形の影響で、秋から春に掛けて早朝に朝霧が立ち込め、雲海に浮かぶ山城の姿が見られます、それがこの写真残念ながらこれはポスターです、この姿を撮影する為に、何日も近くに泊まる人もいるようです竹田城跡観光其の弐:城址巡り人気沸騰気味の竹田城跡、大型観光バスが数台大手のトラッピクス/クラブ・ツーリズムのツアーも「日本のマチュピチュを巡る」と記したツアー旗もツアー客、女性が多いですね若い人も居ましたこちらは、竹田城跡和田山の文字が入ったTシャツ、ボランティアのガイドさん?竹田城跡の石垣は殆ど昔のままに残っているらしいです・・・・石垣以外は何も残ってない??それでは竹田城自慢の石垣ショット数題本丸跡から南千畳方向の眺め????竹田城跡から眼下の眺め竹田城跡から眺めた播但連絡道路天守台から北千畳を眺める但馬を離れます、今日は三田(さんだ)に宿を、和田山から北近畿豊岡自動車道・舞鶴若狭自動車道を通り86kmの道程 - 4日目に続く -
2013.10.10
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「丑寅の二人旅」 第44弾 但馬から京都・滋賀 2日目10月9日: 昨晩から台風24号が九州の西から山陰・但馬を窺がっていましたが、予想よりも若干北寄りの進路を取り、直撃を免れました。朝7:00の時点で但馬の真北数十kmの日本海を進んでいる筈ですが、風は強めですが、雨は降っておらず、次第に遠ざかる方向なので、何とか観光はできそう城崎温泉から日本海に沿って西(鳥取方面)に26km程、香住漁港9月から漁が始まっている、この時期が旬の紅ズワイガニ「香住蟹」知り合いへのお土産を宅配便で香住漁港から更に西に10km、山陰本線餘部橋梁(あまるべきょうりょう)明治45年に完成した餘部鉄橋、全長310.6m・高さ41.5m、完成当時はトレッスル式鋼橋としては東洋一の規模を誇っていましたが、その規模もさることながら、下の写真の様に鉄橋と鉄橋を渡る「空中列車」の姿がこの上もなく絶妙で、餘部のシンボルとして名を馳せていました海岸沿いの鉄橋、列車運行規制風速は20m/s、日本海からの強風で遅延・運休が頻繁に発生平成22年に、列車運行の安全性向上と定時性の確保を目的として、アクリル製の防風壁を備えたコンクリート製新橋梁に架け替えられました現在の餘部橋梁(下から撮影)、旧鉄橋の橋脚の赤い鉄骨を残したままのデザインが良いですね横から眺めた餘部橋梁、橋梁袂の餘部駅に登る坂道からの撮影旧鉄橋橋脚越しの眺め餘部駅プラットホーム(城崎温泉行きの列車)この餘部駅、明治45年の完成当時は餘部に駅はなく、通勤・通学の人々は列車通過の合間を縫って、餘部鉄橋・線路の上を隣の鎧駅まで1.8km歩いていたとか、餘部駅は昭和34年に完成旧餘部鉄橋を記念して造られた「餘部空の駅」旧橋脚の上に線路と展望台を設置(写真の線路は記念の旧線路、線路の先に展望台、右側に現在のプラットホームと線路が)餘部空の駅展望台にある眼下覗き窓餘部鉄橋事故、昭和61年団体臨時列車が25m/sの強風で機関車と客車の台車の一部を残し、7両が脱線・転落、車掌1名と鉄橋下の蟹加工工場の従業員5名が死亡、6名が重傷、団体客174名を香住駅で降ろした後、回送で香住駅を出て10分後の惨事この惨事の犠牲者の慰霊観音像餘部橋梁から城崎温泉の南4.5kmのところ玄武洞公園160万年前の火山活動で出来た玄武岩の柱状節理柱状節理は、マグマ・溶岩が冷えて固まる時に、六角柱状なった割れ目(英語ではcolumnar joint)で、稀に五角柱・四角柱も、玄武岩質の岩石に多く見られるとか火山国の日本、柱状節理は至る所にあります、有名なのは: 福井県東尋坊(スケールの大きさは格別、これだけの規模は世界でも3か所だけとか) 北海道層雲峡大函 佐賀県唐津市七つ釜 宮崎県高千穂峡 北海道根室の車石は、放射状節理ここの柱状節理、形がハッキリしていて、縦・横・斜め流れ変化も面白い最初は青竜洞ほぼ全体を捉えた写真ですが、右側が少し欠けています全体的には縦に伸びた柱状節理、一部は斜めに流れています斜めに流れた柱の様子がハッキリと、左下から右上に柱状節理を蔦が覆い被さってこちらは右下から左上に次は玄武洞ほぼ全体像玄武洞の足元部分、縦に伸びた柱状節理が断ち切られた様に、断面がハッキリと垂直柱状節理と水平柱状節理の組み合わせ玄武洞には、青竜洞・玄武洞・白虎洞・南朱雀洞・北朱雀洞があり、規模が大きいのは青竜洞と玄武洞白虎洞は、全て水平方向の柱状節理だそうです白虎洞と朱雀洞、道が崩落していて立ち入り禁止玄武洞公園内の階段の踏み石、玄武岩柱状節理を使用そう言えば、城崎温泉の多くの宿の石塀・庭石など、柱状節理から切り出した石が普通に使われています城崎温泉に連泊、日本海の幸で舌鼓 - 3日目に続く -
2013.10.09
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「丑寅の二人旅」 第44弾 但馬から京都・滋賀 初日10月8日: 但馬の初日は城崎温泉へ埼玉から680km、久しぶりのロング・ドライブ 朝6:00に出発して、到着が16:00、流石に疲れました途中で播但連絡有料道路(姫路から和田山の63.6km)を走りました、播磨と但馬です志賀直哉の「城崎にて」で有名な城崎温泉、多くの文人・文化人に好まれた温泉地街を流れる堀のような大谿川(おおたにがわ)、川に掛かる多くの石橋、川に沿った柳並木、如何にも温泉街らしいレトロな風情を醸し出しています大谿川と柳並木この大谿川、錦鯉が泳いでいますが、城崎温泉に入る前に通った、少し南に位置する養父市(やぶし)は「鯉の囲い飼い」と言う鯉の養殖が有名で、昔は食用の黒鯉を、現在では観賞用の錦鯉も養殖大谿川に掛かる石橋、風情のある橋が幾つもあります大谿川と橋と灯篭と「城崎温泉元湯」、大きな石の表面をお湯が流れて、源泉でしょうね川・橋・柳並木の配置は昔ながらの温泉街ですが、射的場・ストリップ小屋と言ったお店は無くなり、モダンなショップに置き換わりレトロモダンな街並みに城崎温泉のある豊岡市は、昔は柳行李の産地、そこから発展し現在では日本屈指の鞄の生産地お洒落な鞄が並んでいますクマモンですが、何のお店だったか??? ソフトクリーム、このキャラ、良く見かけましたピンクで統一? 萌え系?城崎温泉は、外湯巡り発祥の地と言われ、浴衣を着て下駄を鳴らしての七つの専門の外湯巡りが城崎温泉の醍醐味(七つの外湯は宿ではなく、外湯専門の湯、御所の湯・鴻の湯・一の湯・柳湯・まんだら湯・地蔵湯・さとの湯)一番人気の御所の湯こちらは一の湯年配の人だけでなく若い人も浴衣姿と街並み外湯は、一部を除いて、朝07:00から夜23:00、朝食前に一風呂もあれば、当然夜の湯巡りも、ピンボケですが、夜の湯巡り風景さとの湯の前にある足湯平日なのに若いカップル、若い女性だけのグループも多く見かけました、休日だともっと多いでしょうね若い女性グループ、同じく温泉巡りが醍醐味の秋田県の乳頭温泉でも多く見かけましたが、乳頭温泉は温泉街が全く無いお湯だけ、こちらは温泉街も売りの一つ、対照的な二つの温泉地が若い人に人気なのは面白いですね日本海にほぼ面した城崎温泉、近くに蟹の水揚げ港として有名な香住漁港・柴山漁港・津居山漁港を抱える城崎温泉の味覚は松葉ガニ温泉街には多くの鮮魚店が、レストランも併設したところも但し、松葉ガニ漁は11月上旬から解禁、10月のこの時期は一寸小振りの香住蟹が旬、どちらもズワイガニですが余談ですが、松葉ガニのシーズンになると、多くの宿が「松葉蟹プラン」を売りにするので、宿代が高くなるみたいですね城崎温泉/但馬のもう一つの味覚は但馬牛、松坂牛・近江牛の素牛(もとうし)でもあります城崎温泉、1400年の歴史の古い温泉、若しかして寂れる方向なのかなと勝手に想像していましたが、どうしてどうして元気です、活気がありますミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで「城崎温泉」が「寄り道をして訪れるべき場所」を意味する二つ星(★★)を獲得しただけのことはあります - 2日目に続く -
2013.10.08
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「丑寅の二人旅」 第43弾 蔵王で涼んで上山温泉へ8月18日: 連日の猛暑、兎に角避難と言う事で、涼しい処、涼しい処・・・・・山の上だと涼しい=蔵王に行こう昨年蔵王のお釜に行き損なっているので、その再チャレンジも兼ねての蔵王に決定蔵王エコーライン沿いのこまくさ平、不帰の滝(かえらずのたき)を眺める展望台があります同じく蔵王エコーライン沿いの大黒天、石の大黒様が祀っているので、この場所の名前が大黒天、標高1432m大黒様が在る他には、これと言って観るべきポイントも無さそうですが、刈田岳への最終登山口でもあり、車でなく蔵王の麓からの登山者にとっては重要なポイントなのでしょう!?蔵王エコーラインから蔵王ハイラインを通って、蔵王のお釜に到着標高1600m、蔵王の主峰熊野岳が1841mですから、殆ど山頂気温20度程、思惑通り涼しいです蔵王刈田岳・熊野岳・五色岳の3峰に抱かれた円型の火口湖。 釜状なので「御釜」という名前がつきました。お釜のショットを4題、日曜日だからなのか結構人が多い 取り敢えず 蔵王で涼みましたぁ まぁ ひと時の涼ですけど蔵王を後に本日の宿がある上山温泉(かみのやまおんせん)に上山城址(当時の物は殆ど石垣の一部しか残っていません)この城址公園で音楽ライブ「かみのやま湯の音」が開催中湯の音の風景ショットを4題こちらは無料ステージこの人、アマチュア? かみのやま音楽祭 湯の音2013 歌う消防士だとか!?こちらの石垣横の階段を昇ると有料ステージです宿は城址公園のすぐ隣大きな露天風呂、 何故か大理石の玉がお湯の噴き出しに合わせて回っています夕食に出された刺身盛り合わせ、種類・量共に満足8月19日: 楢下宿(ならげじゅく)、上山にある宿場江戸時代の五街道の一つ奥州街道の脇往還(脇街道)だった羽州街道の宿場奥州街道は日本橋から宮城県・岩手県を通り青森津軽は三厩まで827km、一方脇往還「羽州街道」は福島県桑折町で奥州街道から別れ山形県・秋田県を通り青森の油川(殆ど青森市)で奥州街道と再合流の497km楢下宿のショット4題、昔の宿場町の面影は多くは残っていません一応楢下宿の名所「新橋」、江戸時代の物でなく明治時代初期の建造こちらは覗橋、上の新橋同様「メガネ橋」、明治初期建造楢下宿の名所、こんにゃく料理屋さん山形はフルーツ王国、サクランボ以外にもラフランス、葡萄、梨この時期は桃が旬、街道のあちこちに幟を立てた果樹園の直売所が桃を1パック購入して帰路にお盆明けの月曜日なのに、高速は交通量が多い ー 第43弾 「蔵王で涼んで上山温泉へ」終了です -
2013.08.18
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 最終日4日目7月12日: 最後に馬籠宿に、恵那峡からは車で40分程中山道の木曽路にある木曾11宿の中で一番南の端木曾11宿、元々全て長野県にありましたが、この馬籠宿のあった旧長野県山口村は平成17年、平成の大合併により岐阜県中津川市に編入されました(越県合併って、合併する市町村の関係者、主に住民、賛否だけで良いのかな? 県の行政は関係ないのかな??)馬籠宿の風景です道路から直角に伸びている細い登り道、これが旧中山道なのでしょうね馬籠宿から次の宿場に向かう、殆ど山越えの道宿場内もかなりの坂道、木曾11宿の中でも一番急坂では?復原された高札場外人さん、猛暑の中、女の子を肩車しての坂道を登り降り、体力ありますネ親子かと思ったら、どうやらお兄ちゃんと妹みたいですね可愛いバスガイドさん、猛暑の中、頑張っています可愛いバスガイドさんを最後に「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀終了です
2013.07.14
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 3日目7月11日: 滋賀から再び岐阜県に、目的地は美濃焼の本場多治見多治見?、2007年に40.9°Cの日本最高気温を記録した土地(同日22分後に埼玉県熊谷市も同気温を記録)余談ですが、その後の夏場の気温、40.9°Cに届きませんが、群馬県の館林がその日の最高気温を記録する事が多いですね連日の猛暑、日本一暑い街多治見で数時間も散策なんて無理、あまり早く到着すると大変な事にと言う事で再度湖北地方で一か所、賤ヶ岳古戦場を急遽追加途中の琵琶湖湖畔、某TV局の番組「鳥人間コンテスト」のプラットフォームですこのプラットフォームって常設?? だとすると琵琶湖の景観を壊していませんか??賤ヶ岳古戦場に到着、えっ! リフトが動いていない! リフトの休業日頂上標高422m、道程で1600m程だけどぉ・・・・、今日も暑いしぃ・・・・、元々計画になかった場所だしぃ・・・と言う事で下から写真を撮り、次に向かいまぁす湖北を離れる前に、琵琶湖名物「鮒寿し」を購入琵琶湖産の天然の子持ちニゴロブナを近江米1年以上漬け込んだ上質のもの滋賀を離れ、一路多治見に美濃焼のふるさと多治見美濃焼の代表の一つ志野もう一つの代表織部多治見のゆるキャラ「うながっぱ」ヤッパリ炎天下の歩いての散策は、思っていた以上の短さで終了、本日の宿の多治見の近くの景勝地「恵那峡」に速攻避難恵那峡近くにあったソーラー発電所 ー 四日目に続く -
2013.07.13
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 2日目-27月11日: 長浜から彦根に移動彦根と言えば、彦根城と言う事で彦根城にやって来て、最初に出会ったのは、彦根と言えば、「ひこにゃん」ひこにゃん、登場です(黄色丸の中)それでは、ひこにゃんのショットを五つ昨今「くまもん」とか「ふなっしー」に押されていますが、ひこにゃん人気は十分浸透しているみたいひこにゃん、何たって、ゆるキャラの元祖みたいなもの、ぽっと出の「くxxx」や「ふxxx」とは違います・・・・そうなのか??それにしても、この猛暑、ひこにゃん、ちゃっかり日陰にポジショニングしています扨て彦根城、築城400年らしいです藩主は、「桜田門外の変」で有名な井伊直弼の井伊家これは天秤櫓、国宝の天守閣、国宝の天守閣は全国で四つ、犬山城/松本城/彦根城/姫路城昨日に続き今日も暑い熱い長浜の黒壁スクエア、彦根城を歩き回ってヘトヘト15:00前だけど、取り敢えずホテルに入ります夕刻、陽射しが治まってから再度散策彦根城の大手前・京橋から続く夢京橋キャッスルロード、流行のレトロモダンな街並みこちらは夢京橋キャッスルロードから直角に曲がった一角、四番町スクエア、洒落た雰囲気です彦根駅に展示されていたバルブバルブ製造は滋賀県の最大級産業らしいです40年位前に彦根のバルブ工場に来た事があります、PEMEXと言うメキシコの国営石油会社向けの巨大バルブの契約でした余談ですが、弁のバルブVALVEの発音って日本人には難しいです、殆ど電球BULBになっちゃいます - 3日目に続く -
2013.07.12
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 2日目7月10日: 岐阜から滋賀に入ります、 琵琶湖の北、湖北の中心地長浜秀吉の最初の拝領地となった長浜(当時は地名は今浜)、琵琶湖周航の唄で「今日は今津か長浜か」と謳われる長浜戦国武将ゆかりの地で、近くに姉川の戦い古戦場、賤ヶ岳の戦いの賤ヶ岳があり、安土城跡も関ヶ原の戦い古戦場も遠くありません歴史マニア・歴女には格好の地秀吉・三成出会いの像(長浜駅前)鷹狩で強烈に喉が渇いた秀吉が、近くのお寺に立ち寄り、お茶を所望した際、お寺に学問修行に来ていた三成が最初は喉の渇きを癒すためにぬるいお茶をお椀いっぱいにして差し出し、2杯目はやや熱めのお茶を最初の半分にして差出し、最後の3杯目は小さな茶碗に熱々の濃いお茶を差し出した。 秀吉は、この三成の機転を評価して、小姓に取り立てたと言う逸話それをモチーフとした「三椀の才」の像余談ですが、同じようなお茶の逸話、明智光秀が盟友細川藤孝と密談すべく遠路を馬駆けで訪れた際、藤孝は招き入れた茶室で、最初にお茶でなくお椀にとろろ(山芋)を入れて差し出したと言うのがあります歴史ある長浜ですが、今旬なのが黒壁スクエアのレトロモダンな街並み (倉敷美観地区、鳥取県の倉吉、下田とかレトロモダンな街並みを配している処多いですね)街並みのショットを数点小洒落たカフェ何かの実演販売? 呼び込みではなさそう!洒落た御嬢さん達黒壁ガラス館、昔の第百三十銀行(別名黒壁銀行、1900年建造)、黒壁スクエアの名前の起源黒壁スクエア、その中心の一つがガラス細工黒壁スクエアの一角に、レトロモダンから外れた雑然とした感響フリーマーケット・ガーデンそこにあるのが「日本一 竪型 万華鏡」その姿がこれ、高さ8mだとか変化する万華鏡画像から1点更にもう1点、そう言えば、万華鏡って、ガラス文化ですね本当は、これが目当てだったのですぅ!!!人間万華鏡手持ちのデジカメを渡して、椅子に座ると・・・・・万華鏡の中にとりこまれますぅ!!残念ながら、今日は休み、どうやら土日祝日だけの営業みたい(上の写真は、貼ってあったサンプル画像)万華鏡の隣にあった出世太閤、太閤秀吉をモチーフとしたオブジェ曳山博物館曳山は山車の事、長浜曳山祭で引き回される山車4基を常に展示(山車は13基あって、毎年交代で4基が使われるそうです)長浜曳山祭は、飛騨高山の高山祭、京都の祇園祭と並び、日本三大山車祭りの一つ(高山祭は春と秋の二回あるのですよね)長浜曳山祭、最大の特徴、クライマックスは、山車の上に拵えた4畳半の舞台で演じられる子供歌舞伎街中で子供歌舞伎をモチーフとした壁画・オブジェを目にしますフィギュア・ミュージム、日本初のフィギュアのミュージアムだそうです当然ショップも併設ここでランチ・タイムになりました長浜の郷土料理「焼鯖素麺(やきさばソーメン)」昨今流行のB級グルメではありません、伝統ある郷土料理焼鯖をじっくり甘目に煮てあります(このお店では三日間煮込んでいるとか、骨も柔らかくなってます)農繁期である5月に、農家へ嫁いだ娘を持つ親が忙しい娘を気遣い、実家から嫁ぎ先に焼鯖を届ける「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来する料理だそうです湖北・長浜の琵琶湖には鯖はいない、近くの日本海からの鯖は一般的だったのでしょうか?それとも焼鯖と言えば若狭、若狭から嫁いでくる嫁さんが多かった??このお店で焼鯖素麺を食しました一番人気のあるお店はコチラ本当は、このお店に行くつもりだったのですが、本日は休み(ここが一番安い)長浜タワー、ちょっと錆が浮いているような?? - 2日目-2に続く -
2013.07.11
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 初日-27月9日:「天命反転地」の養老公園から岐阜市は長良川河畔のホテルにチェックイン、夜の鵜飼い観覧に備え、暫し休息長良川の鵜飼い、観覧船乗船広場は長良橋の袂に。少し上流に鵜飼い大橋が、鵜舟はそこまで上って、そこから鵜飼い漁をしながら川を下ってくるようです乗船・出船前の観覧船乗船広場の風景既に出船した観覧船 (出船は通常18:15/18:45/19:15の三回、但し今日は18:45/19:15/19:45の三回、どうやら日が長い夏場は出船が遅くなるみたい)帰宅途中の高校生広場にある鵜飼いのモニュメント像モニュメント像、正面から出船を待つ観覧船変わった形の観覧船???観覧船事務所、若い娘さんもチラホラ出船までの待合室雅?浴衣で観覧?? それにしては揃いの浴衣?観覧船船内の風景外国の方も、作務衣が似合う欧米系の人?こちらの男性(左端)はアラブ系?出船後、やや上流で川岸に停泊出船は1時間の間に3回、早く出た船は1時間半近く待機川面を流れる風の涼を楽しみながら、お酒・お弁当を頂くと言う趣向(この日の暑さ、この時間になっても、とても「涼」なんてもんじゃ!!!19:15は最後の出船タイムと思って選択したのに、夏タイムなので1時間も待機となりました)待機時間、嬉しい余興も、踊乗船前に見た変わった形の観覧船?は、これです! 踊舟乗船前に見た揃いの浴衣の娘さん、踊り子さんです20:30 鵜飼開始(通常ならば19:45に開始)狩り下り、鵜飼観覧船と鵜舟(鵜匠の船)が併走しながら川を下り、鵜が鮎を捕らえる様子を見せてくれます狩り下り、観覧船3隻がロープで横1列に結ばれ、この3隻に鵜舟1隻が併走観覧船の数に比べ鵜舟が少ない(鵜匠が少ない)、6隻(6人)その為に観覧船3隻に鵜舟が1隻と言う結果に丑寅、繋がれた観覧船3隻中で鵜舟の反対側、鵜舟まで距離があり最悪のポジションこの暗闇、距離があるとフラッシュも届かない、コンパクト・デジカメだと・・・撮影、難しい総がらみ 、鵜飼のクライマックス。6隻の鵜舟が川幅いっぱいに横隊となり一斉に鮎を浅瀬に追い込みます観覧船は浅瀬で、総がらみで鮎を追い込んでくる鵜舟を迎えます鵜舟・鵜飼いのショット数点手縄(たなわ)、鵜を操る縄、10-12本、と言う事は操る鵜も10-12羽鵜匠さんは忙しい! 片手で鵜10-12羽を操りながら、片方の手で篝火を絶やさぬように槇をくべます因みに、鵜匠、正式名称は「宮内庁式部職鵜匠」このショットは暗いながらも、そこそこ撮れました鵜匠の風折烏帽子(かざおりえぼし)、腰蓑、水面に首を出した鵜(写真左下)篝火が強いので、凄いショットに、まるで鵜匠の顔が燃えているみたい船の船外機(TOHATSU)、急に割り込んで来たTV撮影クルーの船漁が終わると、鵜を引き揚げます、船べりに整列した鵜(黄色の丸の中)同じく並んだ鵜(黄色の丸)、観覧船の船頭さんは揃いのTシャツ、織田信長のイラスト(赤の矢印)(岐阜は信長縁の地、鵜飼いを推奨・保護、鵜匠の言う呼び名も信長の発案だとか)踊り子さん達です鵜飼いと言えば長良川ですが、長良川の隣の木曽川でも行われています、更に全国では12-13か所で行われているとは驚きです更に中国でも鵜飼い漁があるとの事、 長良川の鵜飼いは、海鵜を使い、中国では川鵜(海鵜よりも小型)で獲物は鮎でなく主に鯉鵜を漁に使う様になった起源は、どうやら自然界で鵜が外敵に襲われた時、飲み込んだ魚を吐き出して飛んで逃げる習性かららしいです - 2日目に続く -
2013.07.10
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「丑寅の二人旅」 第42弾 長良川鵜飼い、岐阜と滋賀 初日7月9日: 長良川の鵜飼いは夜、それまでどうするか?岐阜市の近くで・・・・、ありました、「天命反転地」養老の滝が有名な養老公園内にあります天命反転地、凄く仰々しい?物々しい?名前それで? 何なんですか? それは? と聞かれると、・・・・何なんでしょうね??? と答えたくなりますパンフレットによると、「すり鉢状になった起伏のある大地に迷路のようなオブジェが点在する不思議なこの庭は、人間のもつ遠近感や平衡感覚を狂わせ、新しい身体感覚を得られるように設計されています」との事石を積み上げた小山、名前は「昆虫山脈」、・・・・??昆虫山脈の頂上にある古い手動式井戸ポンプ(水は出ません)写真奥赤い矢印のところ、「不死門」らしいです・・・・?昆虫山脈の次にあるのが、「極限で似るものの家」・・・??・・・益々仰々しいと言うか? かなり難解??? 極限で似るって何だ???これが、その外形です何やら屋根?天井?の形は岐阜県の形だとか・・・・北海道の形なら分かるけど、岐阜県の形って言われても・・・配置された家具、壁で分断されています、・・・ 何を意味しているのか?床? 地面? 地名が書かれています、どうやら此処は愛知県との県境、この家? パビリオン? で岐阜県を表現???「極限で似るものの家」を越えて行くと、天命反転地の中心「楕円形フィールド」下の写真は、「楕円形フィールド」へのアプローチ? 名前は「精緻の棟」・・・意味するところ分かりません「楕円形フィールド」を、少し上からの角度で眺めると斜めに建てられた家? 「極限で似るものの家」にあったようなオブジェと言うか、壁と言うか?迷路と言うにはお粗末な・・・・でっかい穿山甲の鎧みたいなオブジェ楕円形フィールドには大小五つの日本列島が描かれているらしいです写真のレンガ色の物体は、どうやら一番大きな日本列島の輪郭部分みたい楕円形フィールド外壁の上同じく外壁どうやら単に眺めるだけでは駄目らしいです。意識して相似を見つけたり、後ろ向きに歩いたり、目を閉じて歩いたり、繰り返し行き来したり、色々動作基準があるみたいです。パンフレットに細かく書かれていたのですが・・・・何せ今日は、あまりに暑くて、熱くて・・・取り敢えず一通り見て歩くだけで限界今日の暑さを敬遠したのか、天命反転地で出会った人、下のカップルを含めて数名でしたと言う事で、天命反転地の醍醐味まったく体感できず次回にリベンジを!!・・・次回は・・・無いかな?? - 初日-2 に続く -
2013.07.09
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「丑寅の二人旅」 第41弾 越中富山 3・4日目6月4日: 宇奈月温泉から富山湾へ、黒部漁港です前にも紹介しましたが、富山県は湧水名水の里、特に黒部と黒部漁港周辺の生地(いくじ)地区は、名水の里黒部・清水のまち生地の呼び名も生地、20近くの清水が点在し、通称「清水街道」の通りもあります(清水:「しょうず」と読みます)弘法の清水4段に仕切られた水槽で湧水を受ける構造は、郡上八幡・木曾福島宿の水舟とそっくり。上段は飲み水・煮炊き用水摂取、下段でそれぞれ野菜洗い・食器洗いを絹の清水殿様の清水、水量も豊富、単に観光名所でなく、実用に供されています、ポリタンクに摂取する人も協賛者名簿:協賛者って、この名水の専有利用者???前名寺の清水、境内にあるので、流石に水舟仕様ではありません前名寺にあった鬼瓦? 枯山水? 鬼瓦で峰を表現??名水の里黒部・清水のまち生地のキャラクター「ウォー太郎」(WATER・・・ウォーター・・・ウォー太郎)更にもう一つ水関係、魚津市にある日本一美しいと言われる東山円筒分水櫓やや上からのアングルで(円筒の直径は9.12m)分水櫓、文字通り水を分ける(分水する)施設この分水櫓は、三つの異なった用水に水を公平に分配・供給(下の写真には二つの用水溝が写っています)円筒分水櫓の構造図1本だけじゃ物足りません、5本のバーバーズ・ポールを組み合わせてみました!!! 魚津市と言えば、蜃気楼蜃気楼ロードの一角にある海の駅蜃気楼、蜃気楼撮影を狙って人が集まっています魚津市がHPに蜃気楼出現予想を出しています、この時期の出現予想値は日々20-40%、確率低くないです30分程粘りましたが、蜃気楼、現れず越中富山と言えば、「越中富山の反魂丹」「越中富山の薬売り」富山の薬売りと言えば、配置薬と売薬進物・売薬版画(錦絵)富山市民族民芸村売薬資料館に展示されていた売薬版画これはメンコ仕立てですね!建設中の北陸新幹線高架です長野からの延伸で、高架躯体だけならば、ここ富山のみならず、金沢まで完成しているみたい(名称を北陸新幹線とするか北陸長野新幹線とするか、もめています)富山湾に沿って能登半島側に廻り込み、雨晴海岸(あまはらしかいがん)これはJR氷見線雨晴海岸だけの絶景パノラマ、海越しに眺めた雪を頂いた立山連峰3000m級の山を海越しに眺める事ができるのは世界で3か所とか、ここ雨晴海岸だけとか???残念ながら、上の写真は、海岸にあった看板この日、晴天ですが、霞掛かっているのか、立山連峰、全然見えません雨晴海岸を最後に越中富山を離れます、石川県は能登の根元の和倉温泉に泊まります6月5日: 能登半島の中央にある能登空港から金沢までの約85kmの能登有料道路が今年の3月31日から「のと里山海道」に改名され、全線無料となってます和倉温泉からのと里山海道で金沢に、定番になりつつある「近江町市場で鮮魚の買い出し」金沢から一路埼玉へ帰ります ー 第41弾 越中富山 終了です -
2013.06.05
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「丑寅の二人旅」 第41弾 越中富山 2日目-26月3日: 宇奈月温泉散策です街並み黒部川に掛かる橋の袂にある街のシンボル的(?)モニュメント茂った木々から突き出た鉄骨のようなモニュメント、近くで見ると、こんな感じ(モニュメントの意味するところ・・・、解りません! 機械樹の侵略? 廃墟????)観光用レンタル電気自動車? 街角に設置されたブロンズ像、全部で27体あるらしいですこれは「将軍の孫」タイトルは「恥じらい」(左手が長過ぎ???)「花摘み」「エンジェル」鯉、捕まえたぁ!!!ペンギン??今宵も富山の名産を季節の前菜盛り合わせ(蛍烏賊の沖漬けも)蛍烏賊酢味噌和えしゃぶしゃぶ前の蛍烏賊しゃぶしゃぶ中の蛍烏賊白エビの天麩羅宇奈月温泉源泉蒸し??氷見牛、昨今各地にブランド牛が増えています豚のブランド化も負けていません、名水ポーク ー 3日目に続く -
2013.06.04
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「丑寅の二人旅」 第41弾 越中富山 2日目6月3日: 黒部峡谷トロッコ電車、宇奈月温泉(標高224m)から欅平(標高599m)までの約20kmを80分で走ります各車両は短いですが、全体は十数両編成日本一深いと言われている黒部峡谷ヨーロッパの古城をイメージした発電所の建物これも発電所だったかな? 赤い橋梁と白い建屋はそれなりに著名な建築家の設計だった筈猿橋:猿用なので手摺り無し万年雪です標高450m程度で万年雪???標高千数百メートルからの雪崩で落ちて来た雪が溜まって翌年の冬まで溶けない状態が繰り返されるとかトロッコ電車運行は5月から11月、12月-4月は運休写真の赤丸部分のコンクリート・トンネルは「冬季歩道」鉄道関係者が冬の間、点検等で行き来する歩道、宇奈月から欅平まで続いています、全行程を歩くと8-9時間掛かるそうですトロッコ電車、擦れ違いの時は、お約束の相互撮影終点欅平到着オーバーハングの岩、名前は「人喰岩」落石の危険も、希望者にはヘルメットも「石頭の人は滑落に注意しなさい!」って??「頭に落石注意」ですか!黒部峡谷を丹念にスケッチしています、後で油絵に仕上げるのでしょうね - 2日目-2に続く -
2013.06.03
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