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というわけで3日間お疲れ様でした、ってとこですね。最終日はいろいろ朝から聞きましたが、そうだなぁ……特筆すべきはなんだろうなぁ……ケフェレックのリサイタルがホールCでありました。あの中でバッハのBWV147のコラール、ケンプ編のものですが、あの演奏が思い返すと今日一番だったかなぁ。本当にいろいろあったんですけどね。でも、特筆するならそれかなぁ。でもこれ多分私個人の思い入れの問題でしかないんだと思うんですけどね。まぁ、でもそういうものだよね…
2026年05月06日
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遅いお昼を兼ねて休憩中…あと3公演です。
2026年05月05日
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最終公演もほぼ時間通りで無事終了しました〜(そのあとちょっと呑んじゃった)家に帰ってゆっくり総括しようと思います。お疲れ様でした♪
2026年05月06日
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というわけでLFJ2026の2日目も終了しました。 今日は1番の驚きは#234、広瀬悦子の演奏に乗って伊藤花りんが展開したサンドアート。これは確かに見ないと分からないですが、展覧会の絵の演奏に合わせて、スクリーンに投影された砂絵の、これはキャンバスというのか、その場でリアルタイムで絵が作られていく。それも全曲余さず。いや、プロムナードは別ですが。すごいというか素晴らしかったのは、その過程を音楽に合わせて我々も見ている訳ですが、その過程も見ているから、見ている側のイマジネーションも更に膨らむんですね。例えば、「古城」。演奏と共にまず古城が描かれていく。ほぼ完成か、と思ったら、その古城の上から、その絵を崩しながら何かを描いていく。現れたのはギターとそれを演奏する男。ギターに隠れて古城は半分以上見えないのだけれども、見ている我々はそこに一度古城が完成形で描かれたのを知っている。残像ではないけれど、その記憶の上にギターを弾く男を描いて重ね合わせる。凄いです。 我々はなんとなく絵のような形あるものは時間的に静的で、出来上がったもののように思っている。一方で音楽は時間と共に移ろうもので、動的で、固定されないものだと思っている。このサンドアートは、「絵」であろうとも、時間と共に移ろうもので、しかもその移ろいを味方につけて表現に出来てしまう、というのを見せてくれました。こんなものが見られるとは思ってみなかった。 KAJIMOTOの社長さんに聞いたのですが、この人、他にもネタがあるそうで、来年以降も期待出来るかもしれません。それに、砂絵は手元で描いているけれど、それを投影しているので、実はD7のような小さいところでないとできない、というわけでもないので。 まぁ、しかし、冷静に考えると、これって全然音楽の話してないな(笑) まぁ、いいか。このサンドアートなんて、これで通常のコンサートやろうとしたら大変だろうと思うんですよね。LFJの1時間程度のコマだから出来るとも言えるし。これぞLFJというものかも知れません。 レ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンとか、アンサンブル・マニェティスとか、この辺も良かったですね。 来客数は.....今日は、少ないなと思いましたですね。特に日が落ちると途端に人が減る。公演にはそこそこ人はいるんですが。 では、明日はいよいよ最終日です。もうちょっと頑張ろう。
2026年05月05日
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夕方撮った国際フォーラム…今はもうこんな感じ。展示ホールは20:10で締めるらしいですが、その時間までコットンクラブpresentsの演奏があるようです。一服したらラス前だ…
2026年05月05日
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あ、やってるやってる…大盛況でした。夕方からサイン会もあるようです。
2026年05月05日
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というわけで初日終了です。 今日良かったなと特に思ったのは、最後の137、ジャン=バティスト・ドゥルセの、映画にインスパイアされての即興ピアノ演奏。クラシックではないですかね。ちょっと小曽根真の演奏に似た趣はあります。ああいう楽しさ。ただ、ジャズのフォーマットではないな。クラシックかと言われるとそれともまた違うか。それがまた面白い。最後の、ベルイマン監督の「ファニーとアレクサンデル」を材にした即興、これがなんともいえず良かった。この映画知らないんですけどね。というか多分ちゃんと見たことあるのって、ロスト・イン・トランスレーションくらいじゃないかな。それもまた別の意味で面白くて、私は日本人なので、日本人として、異国として描かれる東京というものを主題にしてあの映画を観てしまっているのですね、きっと。だから、ドゥルセの演奏は、私の持つあの映画のイメージともまた違っていて、でも確かに異国にあっての孤独感とか違和感とかいうものは感じられて、これは面白かった。その意味では、いつか、ベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」も観てみないといけないのかなと。 あと、133の、アンサンブル・マニェティスによるカルダーラを中心にしたプログラム、これも面白かった。久々のバロック爆発ですね。 今年は人が多いのか少ないのか、知人に言わせるとやはり少なめじゃないか?とのこと。私の印象としては、昼間はむしろ去年よりも多いんじゃないか?という印象で、でも、夜、19時くらいになると、潮が引いたように人が減ってるな、という感じ。つまり、皆健全なんだよきっと.........22時過ぎまで聞いてちゃいけないんだよきっと....... まぁ、明日も懲りずに朝から晩までですけどね。
2026年05月04日
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まぁ、23時前だからね、こんなもんでしょう。最後はD7で237。デキシーランド・ジャズというかまぁお祭り騒ぎ。ちょっとスッキリしたかもしれない(笑)また明日〜
2026年05月04日
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晴れた!昨日一昨日と曇りがちのはっきりしないお天気でしたからね。ビール日和です。でもその割に最高気温はそれほどでもないようで。というわけで3日目です。最終日。今日は朝からですが、その割にやや余裕ありそうな…でもないか。まぁ、最後まで楽しんでいきましょうか。
2026年05月05日
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最初で最後のホールA!いってきます。
2026年05月05日
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みなとみらいホール 15:30〜 2階舞台脇 モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 <アンコール> モーツァルト:クラリネット五重奏曲 K.581 〜 第2楽章49小節から マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調 クラリネット:松本健司 NHK交響楽団 指揮:ファビオ・ルイージ オーチャード定期は今回はみなとみらいの回。というか次シーズンでオーチャード定期自体終了だそうで、まぁ、いいんですけどね。元々持ってた席は消滅してしまいます、ということだそうで、正直勘弁してくれと思うのですが。東フィルはちゃんとしてね......... で、今回は、ルイージが出ます。マーラーの5番で、サントリーのBプロと同じなのかな。オーチャード定期ってのはある意味自称他称「コア」なファンは普段は鼻も引っ掛けないくせに、こういう時だけしたり顔でやってきて埋め尽くすので、ちょっと嫌気がさしてきます。その割につまるところは皆ただのミーハーなんだよなぁ.....これ、たとえばメインがラフマニノフの交響曲とかだったら、全然入りが違うんですよ、きっと。まぁ、別にいいけどさ。 もうなんとなくお分かりでしょうが、正直、あまりいい評価はしてません。御承知置きの程を。 まぁ、こっちもピットに近い裏側席で聞いてるんで、よく言うよと言われそうな話であるのは承知してるんですが、ね。 モーツァルトは、恐らく弦五部が12-10-8-6-4の編成。正直、これは、モーツァルトとしては今時はかなり大きめの編成です。で、これで、クラリネット協奏曲をやる。しかも響き過ぎのみなとみらいで。いや、やれなくはない。間違っては、いない。ただ、これでどういう演奏になっているか?というと..... 私は、モーツァルトのクラリネット協奏曲は、結構繊細な作品だと思っています。五重奏曲のイメージに引っ張られているのかも知れないけれど、それなりに繊細な響きやニュアンスを要求する作品ではないかと。協奏曲ではあるけれど、たとえば20番以降のピアノ協奏曲のようなものとは少し違うのではないかなと。実際にどういう目的で、どういう演奏会を想定して書いたのか、調べるのめんどくさいので調べてないですが、ピアノ協奏曲なんかは「演奏会の目玉」なんですよね、やっぱり、あり方が。だから、どうしてもピアノにスポットライトを強く当てる形になる。 この日の演奏は、その系譜に連なるようで、更に先を見ているような。率直に言うと、私は、ベートーヴェンの初期のピアノ協奏曲に連なるような印象を受けました。オケも独奏も輪郭がはっきりしていて、聞かせようという意欲に満ち溢れているというか...........いや、聞かせちゃいけないなんてことはないんですけれども。でも、そうじゃない感が強いというか。オケで言えば、後期の交響曲、たとえば40番や41番みたいなものをこういう風に演奏するのはまぁありかも知れない。私は現代オケが現代オケとして、ピリオドチックなものでないモーツァルトをやるのは全然ありだと思っています。でも、この曲の場合は、この演奏は、そうじゃないと思うんですよね。これは古楽器演奏かどうかという問題ではないです。曲として何を中心位持っていくのか、そういうことだと思います。 そういう演奏が出来ないわけじゃないと思うんですよ。それは、アンコールの五重奏を聞けば分かる。やりゃ出来るんです、そういう風には。でもやらなかった。これは結局は好みの問題だと思います。私は好みじゃない。まぁ、それだけのことではあります。悪い演奏ではないんだろうけれどもさ。 後半はマーラー。 で、結論から言うと、いいとは思わなかった。どのくらいかというと、1月に聞いた東フィルを渡邊一正がバッティストーニの代振りで振った1番や、2月に聞いたアマオケの9番の方が良かった。 その辺の話は上記にリンク貼ったので見て貰うとして、簡単に言うと、何したいのか分からなかった。特に、オーケストラがどういうつもりで演奏してるのか、というのはつまり、この曲を、どういう音楽と捉えて、どのように再構成するか、というイメージがまるで分からなかった。 東フィルの時に書いたのだけれど、あの「巨人」は見通しの効いた、よく整理された演奏だったと思います。それは渡邊一正のアプローチであって、それが唯一無二の正解というわけではないのだろうとは思うけれども、オーケストラは少なくともそれに応えていた。ファビオ・ルイージのアプローチは、あまりそういう感じはしなかった。正直言うと、考えあんのかな?と思わなくもないくらい。いや、ルイージの問題というより、オーケストラの問題が大きいのだと思います。 いつも言うことだけれど、私はマーラーはあまり好きではない。いい聞き手ではないのです。だから、いつも「わっかんねーなー」と思いながら聞いている。それはその通りだけど、まぁ、そういう視点なりに思うところはあるのです。 で、そういう身で言わせていただくと、とっ散らかってるならとっ散らかってるなりに、どういう音楽なのか、全体としてどうなのか、個々の部分ではどうなのか、というのが無いと、本当に何やってるか分からなくなるのですね。1月に聞いた渡邊一正指揮東フィルの「巨人」は、指揮者もだけれど、オーケストラも限界はあるなりに、どうしようという意思が見えた。だから、ああいう音楽でも、私みたいに苦手な人間でも、見通しの効く音楽になっていたと思うのです。2月のアマオケの9番の場合は、まぁ、率直に言って失礼ながら未熟ではあるし、同列で論じてはいけないけれど、少なくとも「これどうするんだっけ」というのが見て取れた。マーラーという人の音楽自体が破綻しているけれど、破綻しているなりにまとめようとしているのが見て取れて、それが、音楽として一応形を成していることに繋がっている。 じゃぁ、N響は?一応プロオケなんだから、その先を考えて欲しいのだけれど、正直言うと、破綻している以上のことはなかった。ルイージの問題?それもあると思います。けれども、オーケストラ自体がその先を全然考えていないように見えた。マーラーの5番は5楽章あって、第4楽章が例のアダージェット。で、この5楽章、殆ど関係のない音楽に聞こえてしまうものですが - ちゃんと分析すると関係性はあるんでしょうけれど、正直、まとまりのないびっくり箱みたいな交響詩だか狂詩曲だかが5つ並んでるだけみたいに思ってしまうのです、私は - それをそれ以上のものに聞かせるのが、一つの音楽として聞かせるのが、いわば期待値だと思うのですが、とてもそんな風にやっているようには聞こえなかった。 いや、マーラーってそういうもんだよ、って?じゃ、東フィルの巨人とか、去年ザルツブルクで聞いたウィーン・フィルの10番は?私はよくわかってないけど、多分それだけじゃないんです。 あるいは、そういうとっ散らかったものとして聞かせるのがルイージの目的だったのかも知れないけれど、そうなのかしらね? 5楽章の頭、管が牧歌的というか、アルプホルン的な、伸びやかで長閑な、何も考えてないだろ、とまで言いたくなるようなメロディーを奏でるのだけれど、あれは、第4楽章のアダージェット、人気があるけれど、交響曲の1楽章として置くと、終わった時に少し息が詰まるような気分になる、それを柔らかに一掃してくれる一節なのだけれど、正直、どういうつもりで聞かせたいのか、分からなかった。聞いてる方はどういう風にこれを聞くのか、考えてるのかしらね。 最初から最後まで、なんならモーツァルトもそうなのだけれど、終わってみて一貫して思ったのは、音楽的に鈍いんだろうな、この人達、ということ。音楽性が無いとか、腕・技術が無いとか、そういうことはないんでしょう。N響は一応日本でトップクラスということなっているし。でも、率直に言うと、音楽的に鈍い、鈍感なのではないかな、というのが今回の感想。それは、恐らく、聴衆によって育てられてしまったのでもあると思います。 終わったら例によって大喝采で、如何にも「首席指揮者の名演を聞きにわざわざ横浜くんだりまで来てやったぜ」風の「うるさ方」が大喜びしてましたが、そもそもこれマーラーとしても楽しいのか?マーラー嫌いの私としては、そもそも楽しくはなくて、それでも聞いてみなけりゃ分からないと思うし、1月のようなこともあるから聞きに来るわけだけれど、最低の期待値以下だったのは事実。これがどうしていいのか、あの連中に、そもそもお前はどういうものがいい音楽で、それはどうして足を運んでまで聞く価値があると思っているのか、問い糺したいくらいで、割といつもそう思ってるわけなのですが、多分、音楽的に鈍いからなんじゃないかな、と思い至った次第。それがいいって言うんだから、皆そうなるよね。それは。 N響も、時期によって良し悪しはあるのだけれど、今はコロナ禍以上にダメになっってる気がするんだよなぁ。腕はあるんでしょうけれどもね。でも、腕じゃないのよ。まずこれはどういう音楽か、そのイメージをきちんと持てない以上、決して音楽としてよくならないのよ。ロックバンドとかが「音楽性の違い」とか言って解散するじゃないですか。大抵ありゃ全然違うみっともない、あるいはドロドロした理由を美しく言ってるだけだけど、中には本当にそういうのも3%くらいはあるんじゃないですかね。あれと同じですよ。 一度解散してみたらいいのかもね。解散コンサートとか言って荒稼ぎして。オケとして解散しろとは言わないけれど、一度団員総とっかえでオーディションしてみたら......同じか。あれがいいと思っている人間が多い以上、同じことだな。きっと。
2026年04月27日
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武蔵野市民文化会館 14:00〜 2階右手 バーンスタイン:「キャンディード」序曲 「ウェストサイド物語」〜 マリア / トゥナイト セレナード <独奏アンコール> ヴァインベルク:24の前奏曲 op.100 〜 第5番 (クレーメル編) ワーグナー:「さまよえるオランダ人」〜 「期限は切れた」 「ワルキューレ」 〜 「冬の嵐は過ぎ去り」 「タンホイザー」 〜 夕星の歌 R.シュトラウス:4つの最後の歌 〜 「夕映え」 「薔薇の騎士」組曲 <アンコール> R.シュトラウス:4つの歌 「明日」 op.27-4 菅野よう子:花は咲く テノール:ルチアン・クラズネツ ソプラノ:レーカ・クリストフ ヴァイオリン:ギドン・クレーメル バリトン:マティヤ・メイッチ バイエルン州立ゲルトナープラッツ劇場管弦楽団 指揮:ミヒャエル・バルケ 武蔵野市民文化会館の自主公演。昔、一時期、よく行ってたことはあるのですが、最近はあまり行きません。正直、企画がクセが強すぎて、来るお客もクセが強すぎて、そこまで行くことないや、と思ってしまったらもう行かなくなった。 なのですが、今年の正月にウィーン・リング・アンサンブルの演奏会をやるというので、久々に来たのです。その時、この公演のチラシがあって。で、例によって、細かいこと分かりにくくしか書いてないので、なんだかわからんけどクレーメルが弾くのか、休みの日だし、買っておくか、くらいで、ろくにプログラムもチェックせずに買ってたんですよね。なんかバーンスタインとワーグナーなのね、名曲集的なものか、くらいのノリで。で、会場に来るまで、「今日はクレーメルを聞く日」という認識でやってきたわけです。だから、殆ど何も期待してなかったんですよね。期待してないというよりただただフラット。一曲だけだけどクレーメルの伴奏なのね、くらいの勢いで。我ながらなんぼなんでも酷い話だ... ただ、言わせてもらうと、私、ミュンヘンには何度も行ってるけど、ゲルトナープラッツって何処にあるのか知らないんですよね。確かにミュンヘンにはStaatsoperの他にも劇場はある、という認識ではあるし、確か旧王宮の中だかに劇場があるんだっけか?くらいの記憶はあるけれど、ゲルトナープラッツ劇場というのは知らない。1865年に創設されたらしいんですが。ちなみにゲルトナープラッツ自体は、市庁舎があるMarienplatzの南東、ドイツ博物館の西にあたる場所らしいです。多分通ったことあるとは思うんだけれど... で、来てみたら、これ、どちらかというと声ものメインじゃないですか。とはいえ、歌手は知らない人ばかり。どうやらこの劇場の座付き的な歌手を連れた来たということらしいです。 結論から言うと、何の期待もなく聞いたせいもあろうけれど、結構良かったです。 まずクレーメルの話をするなら、私も何度も聞いたことある人ではないのだけれど、音がこんなに綺麗な人だったか、と認識を新たにした、というのが一つ。まぁトップクラスのヴァイオリニストだから、音が綺麗なのは当たり前だろと言われればそうなんでしょうけれど、まず思ったのがそのこと。技巧的にはどうなんでしょうね。流石に衰えはあるのかな、とは思いましたが、それは技巧派の極みのようなクレーメルなればこそ、と言うべきで、やっと普通の凄いヴァイオリニスト、ということでしょうか。ちょっとグルベローヴァを思い出しました。グルベローヴァも晩年は往年の超超絶技巧は影を潜めて、ただの空前絶後のトップソプラノに成り下がっていましたが - 成り下がってやっと空前絶後のトップクラスだったのですよ...空前絶後と言える程度に比較出来るようになったという....(個人の見解です) - 、クレーメルもそれに似たところがあるというか。ああいうの聞いて「このくらい弾く人は一杯いる」とかいう人もいるんでしょうかね。まぁ、私はヴァイオリンは詳しくないから、きっとよく分かってないんでしょう。 バーンスタインのセレナードというのは、要は協奏曲。聞いたことなくて、思いの外大曲で、ちょっと弾いて終わりなのかな、と思っていたけれど、そこそこ長い結構面白い曲でした。バーンスタインらしい、現代曲だけれどちゃんと旋律のある曲。 アンコールのヴァインベルクも聞いたことなかったのですが、しかし、あれ、あれが終わりで間違いないのかな?ちょっとよく分からなかった。演奏はやっぱりとてもいい綺麗な音で、もっと聞きたかったんだけどな。 歌手陣は、前半後半ともにまぁこんなものかな、という感じでしたが、バリトンはそこそこ悪くなかった。一番良かったのはソプラノでしょうか。特にアンコールのR.シュトラウスの「明日」はとても良かった。この曲は、グルベローヴァが、特に晩年、リサイタルで歌っていたけれど、いい曲です。これを久し振りに聞くとは思っていなかった。この佳曲をやっぱり綺麗に歌っていました。夕映にも良かったけれど、歌唱としてはこっちの方が気に入ったかな。テノールは....まぁ、可もなく不可もなく、かなと。 でも、正直言うと、こういうプログラムだと思わずに来たので、なかなか楽しめました。なんだろうな。上手い下手とか凄い凄くないとかいうことと違って、ちゃんと歌ってるんですよね。音楽になっている。「音楽になってない演奏会なんてあるのか」と言われそうですが......まぁ、ありますよ。音楽になってはいてもまるで音楽として楽しくないのとか。 オーケストラも勿論悪くない。正直、たとえば縦の線があってないとかいうことはあったと思います。上手い下手を言えば下手だと思います。でも、音楽になっている。引き合いに出すのもアレですが、先週聞いたN響の方が、きっと技術的には上手いのでしょう。たとえばバリバリの現代曲とかやらせたら、N響の方が上手く演奏するのかも知れない。でも、こういう音楽、というのはつまりショスタコーヴィチやストラヴィンスキーあたりまでだったら、きっとこっちの方が上です。なぜそう思うかというと、この人達は自分がどういう音楽をやろうとしているか、多分きっちり入っているから。 前に、日本の合唱団について、この人達一人で自分のパート歌ったら多分歌になってない、という話を書いたと思いますが、それと同じで、N響のあの演奏会では、一人一人がどういう音楽をやるのか、その中で自分がどういう音を奏でるのか、という見取り図があるように見えなかった。だから、技術的には「合っている」のかも知れないけれど、音楽として何やりたいのか分からなかった。 このオケは、何をやろうとしているのか、分かるのですよ。薔薇の騎士組曲なんか、決して綺麗に揃ってはいない。でも、何をやろうとしているのか、ちゃんとわかる。だから、音楽として楽しいのです。それがあるから、R.シュトラウスの歌曲がとても面白かった。歌唱だけじゃないんですよ。 指揮者は若手らしいですが、勿論悪くないのでしょう。 他を引き合いに出して褒めてしまうというのはちょっと失礼ではあるんですけどね。ただ、先週のそれからするととても良かったのですよ。本当に。まぁ、だからといって、次ミュンヘンによる機会があったとして、Staatsoperを振ってまで行くかと言われると、多分それはないんだろうなとは思うんですが。でも、本当に楽しかったですよ。
2026年05月01日
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新国立劇場 14:00〜 2階正面 ヴェルディ:椿姫 ヴィオレッタ:カロリーナ・ロペス・モレノ アルフレード:アントニオ・コリアーノ ジェルモン:ロベルト・フロンターリ フローラ:谷口睦美 ガストン子爵:金山京介 ドゥフォール男爵:成田博之 ドビニー侯爵:清水宏樹 医師グランヴィル:久保田真澄 アンニーナ:花房英里子 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:レオ・フセイン 演出:ヴァンサン・ブサール もう何度目の再演なのか、新国の傘が飛んでる椿姫です。 演出はもう言うほどのこともなし。意味無く凡庸、と言うのが私の評価。むしろ再演演出をどう構成するかがポイントだと思うのですが、ただ、正直、この演出、バレエ出さないんですよね。2幕2場のところ。個人的にはあれは地味に効いてると思っているのだけれど。調べたら、この演出、多分2015年かららしいのです。もうそんなになるのか。で、その頃からバレエが入ってないらしい。振付がクレジットに無いので。 あれを凡庸というのか、と言われそうですが、正直、個人的には昔藤原がオーチャードで成人の日絡みでやっていたニューイヤー椿姫の演出、アレの方が恐らく一般的には凡庸と見做されるのでしょうが、あちらの方がいいと思います。アレは特筆すべきものが物語に付与されていない凡庸さ。こちらは、演出の意図そのものが凡庸。後者の方がタチが悪いと個人的には思います。とはいえ、今更椿姫をどう演出するんだ、といったところなのでしょうか。バレエが出ないとコストも抑えられますしね。 あと、2幕と3幕を続けてやるのも個人的には好きじゃありません。なんかね、貧乏くさいっていうかみみっちい感じでやなのですよ。調べたついでに以前の新国の公演確認したら、昔は2回休憩入れてたんですよね。幕の設定っていうのもある意味作品の一部なのだから、そこに意味はあると思っています。時間が掛かるのは確かなんだけれど、それを言うなら休憩が増えて時間が伸びるとか文句言う以前でもうオペラ来ない方が人生幸せですよきっと。オペラのない人生というのもそれはそれでアリなのだから。私は嫌だけど。まぁ、オペラやるならちゃんと幕は幕で切れ、とは思います。 公演の話。結論から言うと、割と面白かった。ただ、正直、歌唱陣はどうってことなかったなと。外題役は一言で言うと2幕勝負のタイプ。随分喝采を貰っていたようですが、1幕に関してはコロラトューラを初め技巧的にもう一つで、華やかさも今ひとつ。ダメじゃないけど喝采するほどじゃない。3幕については、ドラマ性がもう一つ。2幕も、といって、そんなにいいわけでもないんだよなぁ..... いいとこ無いじゃん、とまでは言わない。ただ、まぁ、こんなものでしょう、といったところ。悪くはない。ただ、特筆すべきところがないだけ。難点が目立って無いだけでも十分ではあるんですが、まぁ、だからといって絶賛はしないよなぁと。 テノールとバリトンは、まぁ、その劣化版みたいなもので。決して良くはない。テノールはやや力量不足の感があり、バリトンはちょっと歌が雑。つまりは、アルフレードとジェルモンにはよくあるレベルの話で、これも特筆するほどでもない。そんなもんです。 では、つまらなかった?いや、実はそうでもない。というか、バレエのない2幕2場、これが良かった。 この場の最後の重唱、これは何度も書いた記憶があるけれど、ヴィオレッタの1番の見せ場はここでのヴィオレッタの歌い出しからの歌唱だと思います。アルフレードが「支払いだ!」といって夜会の場で皆が見ている前で金を払うというか叩きつけるとかまぁ演出で色々。どうでもいいけど、そういや、現代演出で、この場面でPaypayとかで振り込んだり、Bitcoinで支払ったりする演出ってどうしてないんでしょうね。今時現金叩きつけるとか全然現代的じゃない気がするんだけど。 まぁ、そんな話はともかく、金を叩きつけられたヴィオレッタは失神したりして、我に帰り自らを恥じるアルフレード、追い詰めておいて今更この場でアルフレードを叱責しつつ葛藤を独白するジェルモン、会衆、その中で一人素朴な旋律でアルフレードへの愛を語るヴィオレッタの歌。これこそがヴィオレッタの見せ場。ここをどう歌うかがヴィオレッタの真価が問われると思うのですが、この日の公演はここが良かった。但し、どちらかというと、これ、ヴィオレッタが格別良かったわけではないと思います。悪くはない。でも、ここに向けてコントロールしていたのは指揮者だと思います。これは指揮の勝利。ここを聞かせどころと定めたか、見事に凡庸な歌唱陣と合唱を引率していった。その過程でヴィオレッタの歌も見事に嵌めてみせた。 この場面での拍手も決して多くはなかったし、終演後も歌手にはそこそこ拍手は出ていたものの、指揮者とオケには普通程度の拍手しか出ていなかったけれど、この公演の真の立役者は指揮者だったと思います。ブラボーは彼にこそ相応しい。 あ、合唱は例によって何歌ってるかわからないものでした。オケは良かったですよ。ちゃんと何すればいいか分かってる類の演奏。ということは結局指揮者ということになるんでしょうけれどもね。 ただなぁ。もうそろそろ演出変えてみていいんじゃないかと思います。安上がりだろうとは思いますが、凡庸なんだもの。昔の藤原演出でいいと思うんで、ノイズの少ない演出で見たいなと思ったり。新演出でとんがったところを目指すのも、それならそれで悪くはないけれど。まぁ、日本のオケの年末の第九みたいなもんだろうから、今更どうかしてやろうと思わないのもわかりますけれどもね。
2026年05月02日
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ありゃ 2ヶ月ほったらかしでしたよ........ 忙しい上に、命には関わらないけど体調悪かったりで、全然書いてませんでした。まぁ、あんまり聞きに行ってなかったりするのではあるけれど、そうは言っても多少は行ってたりはするのでして。シフは仙台まで行ったしな。所沢は買えてなくて行かなかったけど。まぁ、その辺は連休中に書くとして。 そう。もうGWじゃないの。世間的には29日からでしょうが、早い人はこの週末からなんでしょう。自分はといえば、一応仕事はあるけれど、在宅にしたので、もう仕事場には行かない......というわけで、既にして曜日が怪しくなりつつあります。 で、GWですから、LFJです。結局、それなりに買ってしまいました。正直、手数料覚悟でぴあの先行も使ったら、ほぼ一般発売までに一応揃ってしまいましたとさ。頑張りはしたけれど、例年にない買いやすさ、ではあったかなぁと。やはり、ちょっとね、という人は少なくなかったのではないかなと。 今年はサプライズもなさそうで、割と大人しいLFJになるかなと。楽しみはしますけれどもね。
2026年04月27日
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で、大体は、次の日からやれあれが良かったのこれが良かったのって話を書くのですが、今回、ちょっと思ったことを。実はこれ、LFJに限らず前から思ってることでもあるんですが。 このところ毎年展示ホールに新星堂が出展していて、CDとかDVDのセール品を出していたりしたのですが、今年はありませんでした。何の気なしに「無いんですか?」と尋ねたところ、「最近は売れないので」とのこと。多分LFJの会場で、ではなくて、そもそもCDやDVDを普通に流通させて、その中で在庫が残ったりしてるからセールに出す、というのが成立しなくなってるんだと思うんですね。 会場でCDが全然売れてないかというとそんなことはなくて、出演者のCDを売っていて、それはそれなりに売れて(百枚も千枚もじゃないですがね)、サイン会に参加したりしている。でも、この機会に普通のCDを、というのは多分ない。会場だけじゃなくて一般的にCDが売れないんだと思います。まぁ、そんなことはわかってるんだけれど。でも、このシステムって、今時のアイドルビジネスと同じ構造ですよね。握手券もらうためにCD買う的な。今はそれすらないのかな。知らんけど。 要するに、CD聞かないんでしょうね。今は。実は、オーディオ関係の出展がガラス棟であって、そこでエントリーモデルとして数十万円クラスのシステムを聞かせてもらったんだけど、システムアンプの機能として「もちろん」ネットワークオーディも聞ける、という話から、ネットワークオーディオをやらない私は正直「時代遅れ」扱いになっちゃうんですね。いやそういう言われ方はしなかったけど。 ただ、数十万円クラスの「エントリーモデル」なんかで聞かない人の方が大多数でしょう、世間一般には。ネットワークオーディというよりは、Youtubeで聞くんでしょうね。聞くっていうのか疑問だけど。 ただ、よく言えば権威付けされていない、悪様に言えばなんのスクリーニングもされていないものでどう聞いていくのか。率直に言えば、クラシック音楽というのは、なんの予備知識もなく聞いて楽しめるものではあるけれど、あえて「勉強」せずともあれこれと聞いていくという観測の積み重ねによって、明らかに聞こえてくるもの、見える世界は変わっていく。正直、今ネットで拾えるものの積み重ねでそういう域に達することが出来るのか、というと、無理だろうな、というのが正直な感想です。まぁ、絶対に出来ないというものではないのだろうけれども。 で、そういうものの延長線上に、LFJの聞かれ方も出ているのだと思います。例えばホールB5やB7は、今は違う目的に使われてしまっていて、コンサートはやらないけれど、あれがあったから初回のベートーヴェンでの、イザイ四重奏団の全曲演奏会とか出来たんだと思うんですよね。やる方の意思もだけれども。 というか、そういうことを求められていないんでしょうね。そういう意味でのお客の方の変容というのも大きいと思います。いい悪いでなく。 ただ、もう一つ思うことだけれども、やはりお客の質が悪化してると思うんですよね。正直に言いますが、悪化。どう悪化しているか。マナーを知らない。まぁ、そうなんです。言ってみればそういうこと。でも、それが、以前言われていたようなものとは随分違っている気がします。 今年はかなり取りやすくなったけれど、今でもG409やD7のようなホールはチケット取りの難易度が高いです。言い換えると、チケット買ってる人は偶然で買ってるなんてことはまずない。確信犯的に「これを聞こう」と思って来ている。そういう、言ってみればガチ勢のマナーがおかしいんですね。一言で言うと、「公共の場」に出てくる準備が出来ていない人が増えている。当人達は「何がいけない!」って言うと思うんですよ。でもねぇ、例えば、演奏中に飴玉とかガサガサガサガサ延々やってたりするんですよね。LFJといえども音楽の演奏会で、クラシック音楽というのは静寂を基本にするものなのだから、原則、余計な音は出しちゃいけないんですよ。でも、どうみても、「私クラシック音楽好きなんです」風の雰囲気を漂わせてるような人が、ガサガサやってる。大体どのコンサートでもいましたね。私は、人が生きている以上避け難い音は基本しょうがないと思ってはいるけれど、飴だのティッシュだのはいずれ曲間がくるんだから我慢しろ、とは思ってます。鼻ズルズルとかも実はそうだし、調子が悪いならハンカチくらい手元に置いておけと。そうでなくたってくしゃみが出ることはあるんだし。でもねぇ。今の人は我慢しないんだよね。他にも、エレベーターで杖ついてる人と並んで立っていて、扉が開くや我先に降りようとするとか、自分が座ってて、誰かがその先に席に行こうとしても、座ったままだとか、そもそも座り方だのなんだの、君社会に出て来ちゃいけないよ、って人が最近は多い。何故社会に出て来ちゃいけないかというと、社会というのは、自分以外の人がいるところだからです。だから、それぞれの場に応じて、求められる態度というものがある。別にコンサートなんだからジーンズ履いてくるなとかそんなこと言わない。それより大事なのは、他者がいるという前提で振る舞うこと。それは「私に課せられた制約」ではない。今はそういう「制約」的なものは忌避されるべきと思われている節があるけれど、そんなことはない。それは「自分以外の人がいること」を保全するためのものなのだから。 大袈裟に聞こえるでしょうけれどもね。でも、結局、他者とどう折り合うかってのは、道歩いていても求められることなんです。それが出来てない。そして勝手に自分の思い通りにならないと言って文句を言う。 嫌な世の中です。別にLFJに来る人が特に悪いわけじゃない。社会の縮図通りで、ただ、そんなことも気付けない感性の鈍麻した人がLFJに限らず今のコンサートには溢れてる、ってとこなんでしょうね。 そういう人はすぐ上から目線とか言うんでしょうけれども、言い切って仕舞えば、そりゃ上からも何も君が下賤で卑しいから、自然と自分が勝手に下になってるんだよ、ってとこなんですがね。 LFJでのマナー、という話で言うと、震災前後くらいの頃の方が、小ホールだろうと大ホールだろうと、そういう意味ではもっとマナー良かったと思いますよ。音楽とか、他者に対する配慮、配慮でなくとも意識というものがまだあったかな。
2026年05月06日
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まぁいろいろあれど、来るのには変わりないわけで、LFJ初日です。 今年は比較的ロースタートなのですが、さてさて…… 今日は曇り空。夜半には雨も降るみたいですが、夏日になりそうだってことで、ままなりませんなぁ。 ともあれスタートです。
2026年05月03日
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まだ22時過ぎなんですが、深夜の趣がありますね… 今日の最後はジャン=バティスト・ドゥルセの、古今東西の映画にインスパイアされての即興演奏というもの。今日の午後まで売れ残ってたんですが、これが結構良かった。まぁ、何を求めるかで受け止め方も変わってくるかもしれませんが、私には良かったかな。中川英二郎とエリック・ミヤシロを振ってまで行った甲斐はあったかな。
2026年05月03日
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Cotton Club 19:30〜 LFJに登場のレ・ミュジシャン・ド・サン=ジュリアンが、前夜祭というには随分早いけれど、丸の内のコットンクラブでライブをやるというので行ってきました。1st/2ndの2nd。 セットリストとか無いんですよね.....いずれ出てくるのか、そういうの出さないのか、どうなんだろう。 内容的には、ケルト系のイメージで、アイルランド、スコットランド、イングランド、フランスの16世紀あたりから現代までのいろんな曲をやるというもの。ある意味雰囲気はあるけど無国籍的な。一応ケルティックということらしいですが、まぁ、ケルトって言っても広いし、古めの民衆系楽器やってると全部ケルトに分類されてしまうという説もあり........... バロックフルート/リコーダー/ミュゼット奏者、チェロ(あれはヴィオラ・ダ・ガンバでは無い筈)/ヴォーカル、シタール/テオルボなのか?、と、打楽器。オーセンティックなところを求めてる風では無いですね。難しく考えずに聞くのがいいなという感じでしょうかね。私はこういうの意外と好きなので、面白かったです。多分深く考えちゃいけない類の音楽かな。 本番?では、毎日登場、ホールCで2回、D7で1回あるようです。ホールCで聞くのは、ちょっと微妙かなぁ。Cotton ClubではPA入れてたようでしたが、少なくともホールCでは入れるだろうしなぁ。多分どっかで無料でも聞けるんじゃないかと思います。
2026年04月30日
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234、広瀬悦子の演奏で、ヴォルガの舟唄と展覧会の絵。 サンド・アートで伊藤花りんという方がアサインされていて、バックに何か見せるのかな…と思ってたら、確かに砂絵でした。なんとリアルタイムで絵を描いていく。全部。本当に全部の絵を。 これは凄かった。リアルで見ないと凄みが伝わらないと思いますが、どこかでチャンスがあれば是非ご覧になってみてください。
2026年05月04日
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昨夜夜半からの雨も上がって、暑くなりそうな5/4、2日目です。いや実際湿気が多くて蒸し暑いんですけど… 今日はそこそこ。まぁ、一応個人的には聞いていいだろうと思って買ったので、そこそこ大丈夫かな… 昨日に比べると朝の出足はロースタートなようですね。まぁ、昼くらいになればまた混雑するでしょう。
2026年05月04日
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ベトナム料理店の老舗、サイゴンの有楽町店の系譜を継ぐのがここ国際フォーラム地下のお店。長生きしてもらいたいものです。レバンテはもうなくなってしまいましたからね……ここでもサコッシュ貰えます。
2026年05月04日
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今年は人が引き揚げるのが本当に早くて、19時前なのにガラガラです。人出も少ないんですかねぇ…次まで時間が空くので、ビール飲んじゃう…
2026年05月04日
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あっという間に夜です。腹拵えに、有楽町駅改札横の荻野屋で峠の釜飯(陶器入り)があったのでこれにしました。1400円也。もう1公演あります。
2026年05月03日
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いよいよプログラムが発表されました。昨日からチケット抽選申し込みも始まりました。 https://www.lfj.jp/lfj_2026/performance/timetable.html ............................うーん。 まぁ、どっかで改めて書くつもりですが、そりゃ確かに自分結局は梯子するんでしょうよ。毎日行くと思いますよ。それは毎度のこと。ただ、この中途半端さ加減はなかなかだと思いますよ。 テーマの大河はどこ行ったって感じだし。出演メンバーは、まぁ、お馴染みの名前もあるにはあるけれど、半分くらいはあんた誰的な若手お披露目って感じだし。オケで言えば、千葉交響楽団って........... いや、LFJはそういうものを目指すんです、ってポリシーをはっきりさせて、そういう方向に全振りするならいいですよ、まだしも。けどさぁ、率直に言って、これはちょっと劣化版って感じがしますよ。それは随分前からそうではあったけれども、ちょっと閾値超えたかなという感じ。 で、このラインナップ概ね3,000円なんですよね。半分のコンサートで3,000円。 やる側の理屈はわかります。これでも儲けが出ないだの、出演者は手弁当だの、物価も上がってるし、だの、言いたいことはあるでしょう。でもさぁ、それはさ、あくまでやる側の論理、なんですよね。 聞く側はあくまで「半回のコンサートでこのラインナップで3,000円払って行くか?」ということになるんです。これは冷厳たる事実。 N響がE席値上げしてしまったので今は最低ライン2,000円で、しかも著名指揮者が振ると更に高くなるわけですが、それでもLFJの半回公演1つと同じ値段で、ファビオ・ルイージだのがフルサイズの交響曲とか振るのが聞けるわけです。 良し悪しはありますよ?どっちが楽しいかって問題でもあるし。でもさぁ、クラシックのコンサートとして見た時に、これ、聞くものなの? 正直、失礼ではあるけれども、このラインナップの人達が、自前でコンサート開いて、フルサイズでやって、たとえば4,500円くらいの値付けしたとして、どんだけの人が行くだろうか。そんなに行かないと思いますよ。若手って言っても、よく名の知れてる人達は別として。まぁ、私きっと行かないもの。 というか、これ4公演行ったら、さすがにネズミーランド行けるんじゃない?それとも5公演分?知らんけど。でもそういう戦いになりますよこれ。私はネズミに興味ないけどさ。 こういう比較もあれですがね。 アンドラーシュ・シフがこの3,4月に来日します。首都圏での休日の公演はないようで、近場だと仙台で3連休にやるらしい。チケット代が既に1万円くらいですが、首都圏から行くと、新幹線で行って往復2万円はするでしょ。計3万円コース。でも、どうでしょうね。LFJで10公演分として、その10公演とシフ1公演、どっちが期待値高いか、というと、収益に厳しいつもりの博打打ちの私としては、シフなんだよなぁ、やっぱり。まぁ、LFJにはケフェレックも入ってくるからあれだけど、そうすると5公演くらいまで絞り込んで賭け金半分にするのが妥当という話になりそうだなぁと。 ま、行くんですけどね、いつものように。結局。
2026年02月22日
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すみだトリフォニーホール 19:15~ 3階左手 R・シュトラウス:組曲「町人貴族」op.60 家庭交響曲 op.53 ピアノ:若林顕 指揮:上岡敏之 定期会員なのは第二夜の方なのですが、今回は行けないのが分かっていて、第一夜の方に来られるので、振り替えサービスでこちらの方にして貰いました。 という状況でこういうのもなんですが、行かなきゃ良かったんだなー、というのが結論であります。 まず、大前提として、眠かった。ま、その時点でダメじゃん、という話ではあるのですが..... で、これが「行かなきゃ良かった」の主因なのですが、私、あまりリヒャルト・シュトラウスの管弦楽は好きではないのです。いや、そんなら行かなきゃいいだろう、と言えば、そこはそれ定期会員だから、やれば聞きに行ってしまうのではあります。でも、わざわざ行かなくてもいいのではありますし、そこは自業自得なんですが。 何で好きじゃないか、ですけども。 昔、後輩が「リヒャルト・シュトラウスは管が大活躍するのが好き。それが聞きたさで聞いている。」てなことを言っていまして。「音」が聞きたいんだと。まぁ、確かにそういう聞き方というのはあるんだろうな、と思うのですけど、それだったら自分は必ずしも聞かなくてもいいかな、と思うのです。 音楽をそういう聞き方をしないから、ではなくて、それだったら、オペラの中から「これは!」と唸ってしまうような歌が出て来るのを探す方が早いから。自分にとっては、経験上そっちの方が面白いと分かってますので。 で、今日の演目も演奏も、そういう「音を楽しむ」方向だったわけです。まぁ、家庭交響曲なんてそれ以外の何物でもないかも知れないけど、前半の「町人貴族」もその路線だったとは想定外..... 家庭交響曲は、百人くらいはいるかという編成の半分が管と打楽器じゃない?という状況だからともかく、「町人貴族」は室内管の演目と言っていいくらいなのだけど、やっぱり同じ「鳴らします」路線。 勿論そういう路線もありなので、全否定はしませんが、それだったら... で、いまいちノらねーなー、と思いつつ睡魔にぼちぼち負けていた、というわけです。ま、行くのが悪いと言われてしまいますね。 なので偉そうなことは言えませんが、少なくとも家庭交響曲に関する限り、その路線としてはよく出来ていたのではないかと思います。あの狂騒的な音楽をそれなりに統制を取っていたのではないかな、と。その意味では、確かに上岡敏之、いい指揮者なのかも知れません。 ただ、この路線って、結局プレゼンスを前に出してなんぼ、という話なので、個人的にはあまり感心はしないんですよね。その意味では、「町人貴族」の演奏は少々気にかかる。それに、そもそもこの選曲も、そういう路線としては結構なんですが、敢えてこれを選ぶこの人の真意や如何に、という気はするのです。
2009年04月28日
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晴れた! どピーカン!これぞ五月晴れ!テンション上がる〜! しかもベースの気温は程々らしいのでそよ風そよげば実に爽やか! まーさーにービール日和@屋台村!! でも今日もシフトしかも遅番なのでビールあり得ない! つーかやっぱ眠いし… まぁ、洗濯乾燥したし、靴も磨いたし、ヒゲも剃ったし、中身は今更どうしようもないので勘弁して貰うとして、準備は調ったと。 今日も朝から聞きますが、リチェルカーレ・コンソートのソプラノがキャンセルだそうで、曲目大幅変更、器楽だけらしいんですよね。ま、その辺がちょっと残念だけど、どんなのを持って来るか期待しましょう。 それと、ホールCでのアンポンタン。(かなり疲れております) では、最後まで元気よく行きましょう…
2013年05月05日
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本当はもう少し前に書くつもりだったんですが、書きそびれてしまいました。まぁ、一般発売は今週末だし、まだ参考になるかもしれないので..... ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの泣き所の一つは、会場の国際フォーラムにあります。まぁ建物自体が問題があるとは言わないのですが、決して音楽ホールとしては優秀とは言えないのです。だから行かないとかいうことはないのですが、そういう欠点は欠点として知っておいて損は無いと思うので..... ちなみに、国際フォーラムの座席表はこちらでご覧になれます。 但し、元々自由配置のB5・B7は座席表は無いので念の為。☆ホールA 設定座席数実に5,004席という巨大ホール。はっきり言ってクラシックには大き過ぎます。東京で一番大きいクラシック用(専用じゃないけど)ホールはNHKホールでしょうが、こちらは大きいと言っても3千人程度です。しかも、ホールAは座席がとてもゆったりしているのです。そのこと自体は大変結構なのですが、ただでさえ大きくゆったりと空間を取っているホールなので、はっきり言って広くなり過ぎます。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに関する不評の最大の原因は正直言ってこのホールだと思います。 なので、ここで席を取るなら、出来れば1階の21列目まで、座席番号20番から50番まで、としたいとこですが、まぁ世の中そんなにうまく行きませんからね。私が買ったホールAの公演は悉く外れてます(涙) 本音を言うと、個人的には行きたくないホールです。公平に言って広い割には思いの外聞こえるのも事実ですが、やっぱりねぇ。ただ、どうしてもここでしか聞けない公演もあるので、それはもう覚悟を決めて行くしかないと..... 割り切って言えば、寝不足解消には最高のホールです。いや、本当に、座り心地いいんだこのホール。 それから、このホールはとにかく巨大で収容人員も多いので、人の動きがどうしても悪くなります。ハケが悪い。その点は要注意ですね。☆ホールC 収容人員1,490席と、国際フォーラムの中では最もコンサート向きのホールです。まぁ、その目的に作られたホールですから。但し、元々国際フォーラムは会議場ですので、このホールCも音楽専用ホールというわけではありません。 で、そのせいかあらぬか、このホール、どうも定在波があるような気がします。定在波というのは、その空間固有の「鳴り」があって、その空間内で音を出すと、その音の波の一部が共鳴して唸りを生じてしまう、と、まぁ大体こんなような事です。詳しくは辞書でもお調べ頂ければ幸いです(^^; 日光の鳴き龍とか、あれは定在波を逆に利用したものです。 で、通常、音楽ホールではこういう音が出ないようにするのですが、どうも、国際フォーラムの場合、例えば1階席の端の方に座ると、横に高い木の壁が迫るのですが、これがどうも唸りの原因になっているような。ちょっと響きすぎるのもあって、そういう問題が出てしまうようです。 それを除けば、まぁ悪いホールではないので、1階席の端の方は避けた方が無難かも。それ以外は大丈夫だと思います.... このホールではオーケストラ物の公演が多いですが、ここで聞く声楽曲も良いものです。今回で言えばフォーレのレクイエムやドヴォルザークのスタバト・マーテルなど、目玉の一つになりますね。 人の動線もこのホールは一番よく出来ていて、出入りでもたつくことはあまりないのではないかと。本当の「メイン」のホールはここかなぁ。 後のホールについてはまた明日にでも。
2007年03月12日
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https://www.tpo.or.jp/information/detail-20220112-01.phpあーあ……まぁ、マーラーの3番だからね。チョン・ミュンフン だしね。中止かぁ……特別演奏会とかやらないのかな。やらないんだろうなぁ。
2022年01月13日
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サントリーホール 17:00〜 2階右手 ヴェルディ:仮面舞踏会(セミ・ステージ形式) アメーリア:中村恵理 リッカルド:宮里直樹 レナート:池内響 ウルリカ:福原寿美枝 東京音楽大学合唱団 日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:広上淳一 GWに突入したのですが、近年のGWはLFJ以外は不作が多いんですよね。ただ、今年は、この土日にこの日フィルの公演と、藤原が新百合ヶ丘で「ロメオとジュリエット」をやるのと、東フィルの定期と被っておりまして。で、これと東フィルの定期にした次第。 で、なんというか…….....ま、厳しくなるんだけどね。 率直に言って、お客は大絶賛、やってる方も自画自賛、という感じではあります。気持ちは分からんでもない出来ではあるでしょう。でも、これ、なぁ...... まず、大前提として、これ、サントリーホールでの演奏会形式である、ということがあります。セミ・ステージというの、最近ホール主催の「ホール・オペラ」とかいうの、やってるのかどうか知りませんし、あれ見たことあったかどうかなのだけれど、舞台の前面に少し場所を取り、後方、つまりピット席の前、普段なら打楽器群が陣取るところを高めにして、舞台様にして、そこである程度演技出来るようにする。オケはその間に陣取る。こういうスタイルですが、これでやると、まず、歌唱陣は、位置によって、つまり舞台前か後方かで差はありますが、ざっくり言えば声的にはかなり楽です。そもそもサントリーなので、声楽的にはすごく楽なのですよ。新国立劇場はこれよりずっと厳しいし、東京文化会館じゃ今回のメンバーの幾人かは全然聞こえないレベルかと。その意味ではっきり言って「下駄履いてる」のは事実です。 とはいえ、そういう環境でやってよければいいじゃないか、とは言えるんですが。じゃぁ、よかったのか? 個々の要素はそれなりだと思うのですよ、一応。ただ、簡単に言って仕舞えば、てんでんばらばらっていうね… たとえば、リッカルド。声は確かに出てはいたでしょう。ただ、たとえば、ソプラノとの重唱になると、全然合わないんです。勝手に1人で歌ってる感じ。基本的にアンサンブルにならないんですよね。これ、皆そうなんですよ。レナートは声が篭ってる感じだし、アメーリアは基本声量が控えめ。サントリーだから聞こえるけど....の典型。でもそれ以前に、それで皆勝手に歌ってるから、重唱が綺麗に聞こえない。特にテノールはそうなんだけど、少なくとも今の日本では相応に力量がある人を揃えたのではあるのでしょう。ただ、これで絶賛するような出来かというと、決してそうではない。聞き映えはしますのでね。加えて、この日は出演者シンパ(おっしょさんの舞台に来たおでっさん多数という感じ)、関係者風、日フィルシンパみたいな感じの人、オペラなんでも行くんですよ的な人、が多数という感じで、まぁ、しょうがない部分はあって。というのも、これ、日フィルが新しく始めるという触れ込みの広上淳一がオペラをやるシリーズの第一回の初日ってことらしいので、まぁまぁやる方も来る方も気合い入れてきたのでしょう。そこまで色々あると、基本関係者くんな、黙ってろ、の私も、多少は仕方ないとは思ってしまわざるを得ないかと。実際ぱっと見悪くないですしね。 ただ、ねぇ.............. 正直、広上淳一の問題は少なくないと思います。 そもそも、仮面舞踏会というのは、意外に難しいオペラだと思います。主に指揮者にとって。 ヴェルディ中期の充実した時期の作品とは言えるのですが、例えば「トロヴァトーレ」「リゴレット」「椿姫」のような、音楽的には歌手に重きを置いたものとはちょっと違う。といって、「ドン・カルロ」のようにオーケストラの表現がうっかりすると歌手を喰ってしまいかねないようなのとも違う。これを別の言い方をするならば、歌手の、あるいはオケの勢いでどうにかしてしまえるような作品ではないのです。 物語としてもなかなか難しい。今回の公演はボストン版ですが、元を言えばスウェーデンが舞台。実際にあった王暗殺事件に脚色しまくった作品で、なので、幕切れはドラマティックではあるけれど、要は寝取られ男の復讐ということで、意外と地味。まぁ、世界の半分を統べる王家の愛憎劇(ドン・カルロ)とか、命懸けの恋(トロヴァトーレ、椿姫)とか、そういうのに比べると、軽いよね。運命の力ほどアクロバティックでもないし。言い換えればまだしもまともな話と言えるかもだけど、この場合の問題は、物語の勢いで持っていけるほどじゃないよね、ということ。 つまり、難しいんです。このオペラ。まとめてドライブしていくのが。指揮者の力量に掛かっている。今時だと演出家の力量か?でも、本質的なところではいじりどころがない話でもあるからねぇ。食指はあまり動かないのでは。 広上淳一、知ってるけどあまり詳しいことは知らない人なのですが、そもそもこの人そんなにオペラやってるイメージはありません。今回のプログラムの来歴を見ても、いろんなオケの話は書いているけれど、オペラは、シドニーで、まさにこの「仮面舞踏会」でデビューした、という以上の具体的なことは書いてない。 いや、いいんですけどね。今回これを選んだのも、最初にこれでオペラメジャーデビューしたから、ってことなんでしょうけれど......... 最初に書いた通り、個々の要素は悪くないんだと思います。ただ、率直に言えば、多少声が出ても、日本の歌手は基本的にはそんなに凄い実力があるわけではない。日フィルは今回はかなり頑張っていた方ではあると思いますが、しかし、そもそもオペラを知らない。合唱は、これは東京音大の合唱団ということだそうで、まぁ、アマチュアですよね。実は一番しっかりしていたと思いますが、これも、結局は引っ張ってあげないといけない。ほっておいてもそれぞれが勝手にドライブしていってくれる、とはいかない。要は、皆、指揮者がドライブしていかないと無理なんですよ。 それでも、作品が勝手にドライブしてくれるような力があれば、なんとかなってしまうものなのだけれど........仮面舞踏会は、なかなかそうはいかない。 だから指揮者が如何に統率するかが重要なのですが、正直言うと、広上淳一自身が、好き勝手やっちゃってるんですよね。力量不足というのかも知れないけど、というよりは、好き勝手やっちゃった感じ。 一番問題だったのは、オケのコントロールだったと思います。 このオペラが「勝手にドライブしてくれるものではない」というのは、恐らく「作品としての統合を指揮者なりの方で図ってやらないとまとまらない」ということでもあると思います。これが大変なわけです。全体としてどう構成していくのか、その中でこの場面をどう作るか、それを全体のバランスを含めて見通しを持って取り組まないと、まとまらない。 この対極が、トロヴァトーレあたりかなと。あれは、ドラマがどうとかいうより、ほぼほぼ15分毎の小景の集合体で、物語の連続性はあるとしても音楽的には殆ど「次行ってみよう」で済んでしまう。他の面では凄く大変でも、こういうまとまりに関しては、あまり神経を使わなくてもいい。言い換えると「仮面舞踏会」を成功させるには、そういうまとまりが必要なのだけれど........ まぁ、まとまってなかったよね。それは歌手とオケと合唱と、という以前に、オケの中でも、この場面で、この部分で、この楽器がどういう風にこのフレーズを奏するべきか、というのが、見通しがなかった。何処に向かって演奏を進めていけばいいのかはっきりしない。 結果、同じ幕の中、場の中でも、どうしてここでそういう演奏になるの?と首を捻ってしまうところが多数。歌手とのバランスでいえば、歌を聞こえるようにしたいのか、そんなことお構いなしにガンガン行きたいのか、よくわからない。聞こえたり聞こえなかったり。勿論歌手の良し悪し(上手い下手だけでなくむしろ調子の良し悪し)はあるけれど、それをどうにかするのがオペラの指揮というものでは。オペラはあくまで劇なので、歌手がやってることが見聞き出来てなんぼなんでね。好き勝手やっちゃいかんのですよ。指揮者が。 それでもなんとかなる作品もあるけれど......... 恐らくこの「酷評」はなかなか分からないんじゃないかと思います。個々の要素は、特に今時の日本なら、そう悪くないしね。でも、それをまとめきれてない、その結果、1+1+1=3ですらなく、よくて2.1、あるいはそれ以下というのが正直な実態じゃなかったかなと。 敢えて言えば、この場で何故「仮面舞踏会」やったんだ、というのが本音かなぁ。この陣容だったら、そうだなぁ、たとえば「トスカ」とかでも良かったんじゃないだろうか。あれも簡単じゃないけど、「仮面舞踏会」に比べればね。そういう言い方も申し訳ないけれど、唯一あまり悪く言う気がしなかった合唱が勝負するのは1幕のテ・デウムだけで、しかも歌い映えはするし。まぁ、そういうもんじゃないんだろうけれどもさ。 一応演出付いてましたが、まぁ、そう邪魔にならない程度にまとめてました、ってところでしょうか。ただ、謎のダンサーがついて回ってたのは、なんとなく分からなくもないけれど、あまりいいアイディアでもなかったかな。 終演後結構いい評価をする人が多かったようではあるのだけれど............まぁ、あれか、オペラ知らん人にはそうだろうし、今の日本のオペラばっかりの人だと、そうなっちゃうのかな。「つまらない」というのとは違うしね。
2025年04月27日
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