ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2016.09.02
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カテゴリ: 外国史
クロニクル 清国、科挙を廃止

1905(明治38)年9月2日

111年前のこの日は、日露戦争の講和条約がほぼまとまりつつあった時でした(正式調印は9月5日)。そのまさに同じ時期に、清国政府は、ようやくというべきなのでしょうが、科挙制度の廃止に踏み切りました。

科挙制度は、中国歴代王朝の官吏登用試験として、隋代の598年に導入されて以来、何度かの改変を経ながら、営々と続けられてきました。導入時の触れ込みは、「高級官僚を門閥貴族が独占する弊害を排し、自らの能力に応じて、官吏を志願する道を士庶に平等に開き、有為の人材を登用する」ことと、されていました。

そこでは、国家及び君主が厳密な試験を課すことによって、君主独裁と国政の中央集権化を図ることが、目標とされました。この科挙制度は、隋唐時代を経て、宋の時代に州試・省試・殿試という3段階制が整い、また朱子学が採用されて、完成の域に達しました。

明・清時代には、科挙に加えて、学校制度も整えられましたが、競争の激化と厳しい受験戦争の結果、財力のある者しか受験勉強を続けることが出来ず、広く人材を集めるという、当初の趣旨は忘れられ、弊害ばかりが目立つようになっていました。

とりわけ、アヘン戦争以後の欧州列強との接触や交渉、改革の必要性の高まりの中では、慣例を重視し、古来からの方式を善しとする訓練ばかりを積んだ官僚機構は、全くの機能不全に陥り、改革阻害勢力としてしか、機能しなくなっていました。バブル崩壊後のどこかの国の官僚機構の姿が、浮かびますね。

1894~95年の日清戦争の敗北は、改革の機運を強めましたが、なお保守派の勢力が強く、それから10年を経て、ようやく科挙制度の廃止に至ったのです。

しかし、とき既に遅く、幹の腐った清帝国は、それから6年後の1911年、孫文ら革命派の蜂起によって、あっけなく滅びさりました。 





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最終更新日  2016.09.02 12:22:05
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