( 承前 )
奥浜名湖銀輪散歩3日目(16日)の日記になります。
ホテルを出て、東都筑駅から西気賀まで電車で移動し、西気賀駅からの銀輪散歩とします。
電車(気動車)がやって来ました。9時58分発です。無人駅ですが、写真のお方は、この線の何処かで保線工事をして居り、その工事作業員の安全確保のため、各駅に人を配し、無線で電車の通過を知らせ合っているのであります。
浜名湖佐久米・寸座・西気賀ですから3つ目の駅で下車。前日に走った道を車窓から眺めたりしながらの短い鉄道の旅であります。ブログ的にはこういうのもアクセントになっていいのでは(笑)と思ったりも。
西気賀駅の写真は(その4)に掲載していますので省略しますが、10時5分着。わずか7分の乗車でした。駅舎内で自転車を組み立てていると同じ自転車族の男性二人が駅舎内に。彼らはクロスバイク。都筑、三ケ日の方へと走って行ったので小生とは反対方向。小生は西気賀小学校の前を通って東へ。
小学校手前の横断歩道の下に「旧姫街道」の標識。国道362号は旧姫街道と一部で重なっているようです。昨日(15日)はこの先で自転車道に入ったのであるが、今日はそのまま国道を行く。
昨日お弁当を買ったコンビニ「サークルK」の前の交差点で国道は左に直角に折れているのだが、小生は直進し、小森川に出る。この川沿いに北上し国道362号がこの川を渡る小森橋の手前の川辺に万葉歌碑がある筈と見てのコース取りである。
小森川と葭本川の合流点まで川沿いに下ってから、小森川を遡上することとする。前日までと違って今日は晴れ渡っているので空の色を映して川面も青く見える。
歌碑は直ぐに見つかりました。
霰降り
遠江
の
吾跡川楊
刈れども
またも生ふといふ 吾跡川楊(万葉集巻7-1293)
<霰の降る音のトホ、そのトホではないが、遠江の吾跡川の楊よ。刈ってもすぐにまた生えて来るという吾跡川の楊よ。>
「鹿島」に係る例(霰が降ると「かしましい」から。)
あられふり鹿島の崎を波高み過ぎてや行かむ 恋
しきものを(7-1174)
「吉志美」に係る例(降る音をキシキシと聞いたから)
あられ降り 吉志美
が 岳
を 険
しみと草取りはなち妹が手を取る(3-385)
(注)吉志美が岳=吉野の山の一峰と見られるが不詳。(左注に作者が
吉野の人うましね<味稲>とあることから)
「遠津」に係る例
霰降り遠津大浦に寄する波よしも寄すとも憎くあらなくに(11-2729)
(注)大浦=湖北の大浦とするのが多数説。
霰降り~寄する波=「よし」を導くための序詞。
吾跡川=浜松市北区細江町の跡川説。
細江町下気賀説(都田川と井伊谷川が合流する辺り)
小森橋付近説
浜名川説(角避から遠州灘に斜めに開削された水路。松山と大倉戸
の中間位に旧河口があったと推定されている。)
楊=ネコヤナギ。川やなぎ。再生しやすい植物の代表的なものとされる。
やなぎこそ伐れば生えすれ世の人の
恋に死なむをいかにせよとそ(14-3491)
右側の石柱には「吾跡川楊之古跡 是ヨリ南壱町拾五間
」とあるので、130~40mほど川沿いに引き返してみたが、それらしきものはない。天竜浜名湖線の手前に東屋のようなものがあり、距離的にはその辺りかと思われたが特に目に付く表示もなく、古跡なるものの位置は不明のまま、先へと進む。
小森橋を渡って国道362号を東へ。葭本川に架かる葭本橋を渡る。
葭本川沿いにいい道があるので、それを行くことに。上の写真の右に見える白いフェンスの道である。国道362号と並走しているようなので、迷うことはあるまい。やがて道は細江中学の前で、カーブして来た国道と交差する。再び国道を行く。
間もなく目を引く建物が目に入る。本陣前公園とある。建物の奥の小さな公園では大勢の幼稚園児達が先生に引率されて遊びに来ていました。
姫街道の気賀宿本陣がこの付近にあったのでしょう。
目指すのは細江公園山上の万葉歌碑であるが、その登山口はこの神社の裏手にあるので、立ち寄って行くこととする。
細江神社拝殿の右隣にあるのが藺草神社という珍しい神社。その由緒などもなかなかに面白い話です(下掲参照)。
細江神社の裏手から細江公園への登り口がある。ハイキングコースとあるから自転車を連れて登る変人は吾輩位なものか。広い舗装道路を行くのが正しい選択なんだろうが、「近道ハイキングコース」とあり、「近道」とあっては抗えない。しかし、これは失敗であったよう。階段の多い道にて自転車には不都合極まるもの。急がば回れ、という古人の言を思い出すべきでありました。
ということで、本日はここまで。( つづく )
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
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