偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2014.11.02
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 本日も墓参の日記になりました。と言っても本日は月例の我が家のお墓参りであります。いつもの道中にあるお寺の門前に掲示の言葉から始めましょう。

言葉2014.11.02.

選ばず 嫌わず 見捨てず  ―竹中智秀―

 これは「摂取不捨」という弥陀の本願の働きを説明した親鸞の言葉を言い替えた言葉ですな。我々は、自身の欲するままに選択し、自身の意に染まぬものはこれを捨て、という「取捨選択」の生き方をしているが、阿弥陀様はそんな我々をも見捨てず我々を救済すべくいつも傍に寄り添っていて下さるのだ、という「弥陀の本願」を説明する言葉としてよく使われる言葉。
 歎異抄は高校一年生の時に「歎異抄入門」という文庫本を下校時に立ち寄った八尾の商店街の本屋さんで見つけて読んだのが最初。その時店番をしていたお婆さんから「若いのにこんな本を読むなんて感心や。」と言われたことを記憶している(笑)。
<参考>歎異抄第1章
 「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなり、と信じて念仏申
 さんと思いたつ心のおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけたまうなり。
 弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とするべし。」

皿池の諸仏 (皿池の諸仏)

 墓参の後、墓地を歩いていると「皿池之諸仏」という石碑が目につきました。皿池というのは、自宅から小学校への通学路の道脇にあった大きな溜池であったが、今は埋め立てられて中学校の敷地になっている。その埋め立て工事の際に堤防にあったものや池の底から発見されたものを此処に祀っているのであろう。埋め立てられたのは30年以上も昔のことであるから、これも30年以上も前から此処にあったのだろうか。今まで気が付かなかったとは迂闊家持とは言え、迂闊過ぎます。見ても見えず。「選ばず」ではなく「選んで」生きている吾輩は選んだ物しか見えていないという訳であります。
 <追記>上の「一文字墓」というのが気になり「相撲取り」の名前ではないかと
     調べてみたら、果たしてその通りでありました。我が家の墓の近くにも
     江戸時代のものと思われる「森ヶ谷墓」というのもある。これも何やら
     力士のそれのように思われるが、こちらは今の処よくは分からない。
「鴻池の村相撲と力士・三笠山」

お地蔵さんも阪神タイガース (阪神タイガースの帽子を被った石仏)

 そして、次に「選んだ」吾輩の目に入ったのはこんな可愛らしい石仏。墓石の傍らに墓石に寄り添うようにして建てられているから、このお墓の持ち主が個人的に設置されたものであるのでしょう。高さ数十センチの小さな石仏(石像)である。その小さな頭にぴったり合ったサイズの野球帽を被っている。これはこのお墓のお家の方がこの石仏のために誂えたものに違いない。何か悲しい話がこの石仏設置の背景には潜んでいるのでは、と想像されたりも。
 それはそれとして、この石仏も先頃の日本シリーズでは阪神タイガースを応援したのではないでしょうか。その応援と言うか、祈りも空しく阪神日本一の夢は潰え去りましたが。

里の秋 (里の秋)

 墓地の裏は直ぐに山。墓地そのものが山の西斜面に存在するのであるから、里の境界がこの墓地ということとなるのでしょう。少しばかりの畑があってその先は山頂へと広がる雑木林である。
 紅葉(黄葉)は未だ左程には進んで居らず、柿の実が秋らしい佇まいを見せている。
 帰途は少しばかりしぐれましたが、傘を必要とするほどの降りではありませんでした。
 とりとめもない、墓参に関連しての散歩のお話でした。






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最終更新日  2014.11.03 09:23:05
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こんばんは  
御仏の心など凡人にもてるはずもなく、

選ばず、嫌わず、見捨てずといわれてもなかなか難しいですね~
(2014.11.02 21:16:33)

Re:墓参・摂取不捨(11/02)  
こんばんは(^^♪

歎異抄を高一の少年が読むなんて、すごい子です(@_@;)
私なんか、もしも今 読んだとしても わかりません(>_<)

目は、心を表すと言いますよね。
見ているようで見ていない。。。
私の目は “ふしあな”の場合が多いです。

生駒山の紅葉も 見ていない間に アッ、すごい 紅葉!! と変化している事に 気付くかもしれません。

でも、生駒山は顕著な 美しい紅葉を見れない山ですよね。 (2014.11.02 21:22:27)

Re:こんばんは(11/02)  
けん家持  さん
ふぁみり〜キャンパーさんへ
 まあ、現世に生きる我々は「選択」なしには生きて行けないし、好き嫌いの感情も脱することは不可能、捨てるということも時に必要なこと。これは我々にそうありなさいという意味での言葉ではなく、み仏の慈愛は、我々の心が如何様にあれ、このように我々に注がれて居り、それによって我々は生かされているのだということを自覚しなさい、というような意味なんでしょうね。他力信仰の根本の教えでしょうか。
 信心深くもない小生が解説すべき事柄ではありませなんだ(笑)。不信心家持なほもて他力を説く、でありました。
(2014.11.02 21:55:59)

ひろみちゃん8021さんへ  
けん家持  さん
 歎異抄入門、という文庫本、左程難解なものではなく、新約聖書の言葉と対比しつつ、親鸞ンの他力の教えを分かりやすく解説したもので、高一の少年にもそれなりに理解が出来るものでありました。もっとも、その少年は聖書の言葉の方により興味を持ってしまって、教会に通うようになり、洗礼まで受けてしまったのですから、やはり親鸞さんも呆れてしまわれたことでしょうか(笑)。理解することと分かるということとはどうも違うようであります。
 節穴の目はヤカモチのそれのことです。見ても見えぬものの何と多いことでしょう。
 西日本の山は常緑広葉樹が多いですから北日本の山のような紅葉は望むべくもありません。しかし、生駒の山も今月終わりから12月へ、黄葉が進み、西日に照らされて、時に黄金色に輝くこともありますので、捨てたものではありません。
(2014.11.02 22:08:50)

Re:墓参・摂取不捨(11/02)  
ふろう閑人  さん
『選ばず 嫌わず 見捨てず』なかなかうんちくのある言葉ですね。
お寺の前に書かれている言葉、私も見るのが大好きです。 (2014.11.03 01:37:31)

ふろう閑人さんへ  
けん家持  さん
 短い言葉というのは、読み手が補足して解釈することとなるので、幾通りもの解釈が可能となりますから、それだけ意味の積載容量が大きいということが言えますね。
 この『選ばず 嫌わず 見捨てず』というのもそれで、この言葉が使われている背景や使われ方の一般的な在り方を別にすれば、色んな読み方が出来る言葉です(笑)。
 説明尽さない言葉というのがいいのでしょうね。説明し尽すと必ず矛盾や破綻が生じるというのが現実の世界であり、言葉というものが有する限界というものでありますから、言葉・文章は短いものである方が強い力を持つ(笑)。
(2014.11.03 09:44:26)

Re:墓参・摂取不捨(11/02)  
siinomi1566  さん
お久しぶりです。
ご指摘ありがとうございました。
未熟者より、またお教え下さいませ。m(__)m (2014.11.03 15:31:53)

siinomi1566さんへ  
けん家持  さん
 最近は自作の俳句をご紹介されていて、いいことだと思います。小生は脇句を付けたりする悪い癖があり、貴姉にお叱りを受けてから、コメントは差し控えさせて戴いていました。それでも、時にのぞかせて戴いていました。小生は俳句については余りよくは分かって居らず、貴姉のようないい句は作れそうにもありませぬが、俳句入門あれこれ、楽しみに拝見させて戴きたきものと存じ居ります。
 プラつぶにてご連絡申し上げようかと思ったのですが、相互にフォローしていないことで、それは使えず、という訳で一般のコメントで記載させて頂きました。

(2014.11.03 16:01:31)

Re:歎異抄  
 歎異抄との出会いはたしか50代の後半、梅原猛「地獄の思想」という本ではなかったかと思います。
 何か不思議な衝撃を受けました。それから何冊かの入門書を読みましたねえ、いまも本棚にそのまま置いてあります。ところがどうしてもわかりそうでわからない。
 結局投げ出したままになっています。もう少し歳を重ねてからもう一度読んでみようかと思っていますがどうなりますやら。
 このブログを読んで眠っていた歎異抄に対する思いが目を覚ましたかもしれません。
(2014.11.03 16:38:55)

ビッグジョン7777さんへ  
けん家持  さん
 小生の歎異抄との出会いは15歳。今は亡き叔父から薦められて読んだ倉田百三の「出家とその弟子」の流れで、何となく読んだ本でありました。少し出会いが早過ぎたかも知れません。歎異抄の言葉と対比して記載されていた聖書の言葉から新約聖書を読むようになり、その関連でキリスト教会を紹介されて行ったのが日本基督教団の小阪教会。そこで、現在の若草読書会の面々との出会いがありました。親鸞さんの申し様ではありませぬが不思議な縁に導かれての出会いでありました。仏教関係の本を読み出すと並行してキリスト教関係の本を読み出す。キリスト教関係の本を読み出すとマルキシズムの本を読み出す、といった具合の脈絡もない当時の読書の仕方でしたが、思想も宗教も結局は身についたものにはならなかったようです。
 「分かる」というのはどのレベルで分かるかが問題。分かったようで分からないというのが凡愚の姿、在り様かも知れません。小生も長らく歎異抄は読んでいませんが、あらためて向き合ってみると若い頃には見えなかったものが見えたりと年齢相応の新しい感慨があることでしょうね。
 それにしても、最近は所謂「読書」なるものをすることがとても少なくなって来ていますが、これは生命のエネルギーが衰退しているということを示すものであるのかも、です(笑)。
(2014.11.03 18:05:06)

けん家持さんへ  
siinomi1566  さん
なかなか教えて頂けないので、有難かったです。
ただ、『週刊 日本の歳時記 秋の暮』に長谷川櫂氏の記載では、
去年より又さびしひぞ秋の暮   蕪村
となっていますので、「さびし日」が正しくなります。
新仮名・旧仮名の類句は、ご指摘の通りですので、入れ替えました。
ありがとうございました。m(__)m
(2014.11.03 19:14:37)

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