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山がいつから荒れてきたのでしょうか。 だいたいの方は安い輸入木材た入ってきて、 国産の木材が売れなくなり、山で働く方が、 減ってきてからと思っているようです。 輸入木材が大量に入ってきたのは、オイルショックごろ 昭和40年代後半だったと聞きました。 しかし、森が荒れるのは実はその前から始まっていたのです。 むかし、ガスゴンロが普及する前は、かまどにてご飯を炊いたり、 料理を煮炊きしてきました。 その燃料は、薪や炭です。 お風呂ももちろん薪にて焚いていました。 それで、今日のタイトル、おじいさんは山に柴刈りにです。 雑木の森は薪や炭などの燃料をつくる林でした。 それだけではなく、ほとんどの森、雑木や杉や檜や松などの 森で落ちている小枝や杉の葉なども燃料となりました。 (雑木の落ち葉は燃料にならなかったようです) この、小枝や杉の葉を山に行って拾ってくる作業。 宮城では「こぼり拾い」と言っていたようです。 この作業、実は子供たちの作業のようで、うちの父や 母、農家の旦那さんからこの話を聞きました。 秋の農作業が終わってから、雪の降るまで間に 1年分の燃料を拾ってくる。 二ノ宮金次郎の像を思い出してもらえばわかりますが、 あんなものではなく、背中いっぱいに背負ってきたようです。 もちろん、燃料のない時代、各家庭がこぞって森に入る訳です。 森の中はそれは綺麗になるはずですね。 それがガスコンロや電気釜、お風呂もガスや石油で焚くようになり、 薪や炭、こぼり拾いが必要でなくなり、そして森が荒れ始めます。 そして安い木材が輸入され始めて、次第に森は荒れていくのです。 かつて森は植林をし、間伐、枝打ち、伐採を繰り返し、 そしてこぼり拾いによって綺麗に保てれてきてのです。 それが人々の暮らしが豊かになることによって崩れてきたのです。 なんとも皮肉な結果ですね。 写真は荒れ林の中です。
2007.03.31
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日本の森と言えば代表的なのは、杉の木 私も花粉症で苦しんでおります。 他には雑木の森、最近その保水力が見直されております。 そのどれもが植林をされてできた森です。 自然とは言いますが、実際は人口の森です。 日本の森はもともと、カシやシイなどの照葉樹の森でした。 資源の少ない日本では、その木を伐採し、木材を として使う、杉や檜の森。 薪や炭などの燃料として使うナラやクヌギなどの雑木の 森を造ってきました。 観光地で有名な松島の松、この松の森もその配列から 見ると、植林されたとの事です。 実際人里離れた原生林意外はほとんどが植林された 森のようです。 それの林を生活に使うために切り倒し、次の世代の 木を植えることで、森を守ってきました。 しかし生活が豊かになるとともに、森の木々の必要性が なくなり、森が放置され、木々の世代交代が行われなく なりました。 現在、ボランティア活動にて、森の維持管理をなされてい方も いらっしゃいますが、広い森の管理には限界があります。 日本文化である建築のための木材を後世に残さなければ、 いけないところはあると思います。 それ以外の部分は自然に帰してどうでしょうか。 この間NHKのハイビジョンで、吹上御殿の森を放送していました。 その森は必要最低限の管理をしているだけで、 東京の真ん中に素敵な森を造っていました。 森の放置イコール自然の減少にはなりません。 生活圏と離れた森は管理しないのも自然を維持する 一つの方法ですね。 日本は人口が減少傾向ありますが、それでも森を崩しての 宅地開発が時々行われています。 そして、その庭や公園に木を植える。 その足し算、引き算がどう考えても理屈にあいません。 人が住んでいるところには空いている家や土地があるのに、 そういうところにも目を向ける必要があるのでは。 写真は近くの加瀬沼の林です。
2007.03.30
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最近、二酸化炭素の排出量が増えて、 それが原因で、地球の温暖化が騒がれている。 二酸化炭素の排出量を減らす一つの方法として、 緑を増やそうという事は言われている。 私も庭師と言う仕事をしているので、 それに関わっている。 自分がやっている事と言えば、 木を植えるくらいではありますが、 実際それに携わっていると、世間が言っている事と 現実にズレを感じます。 庭の事から考えれば、実際庭木を植えれば、 緑が増えることになりますが、最近は庭はいらない傾向にある。 管理に時間とお金がかかるのが、嫌われる原因。 よそに緑が増えるのは歓迎だが、自分のところは 勘弁してと言うのが現実ですね。 街路樹や公園になると、利用する立場だと、 木々を増やしてほしいのですが、 管理をするお役所では、予算が無いのが現実。 どこの役所も財政が大変な状態。 低価格で仕事を出して、悲惨な状態に切られた木々を よく見かけます。 自分の仕事からは離れますが、森の問題。 安い外国からの木材が輸入され、国産材が高くて 売れず、森の管理ができなくて、森が荒れ放題。 ボランティアにて、森の管理をと言う運動も 起きていますが、広すぎる森の管理をするのは 困難な状態です。 などなど、実際は緑が増えればいいとは単純に 言えない問題になっています。 二酸化炭素は減ってほしいが、自分の所で 面倒なことは起きないでほしいというのが、 現実ですかね。 写真は記事とは関係ありませんが、梅の花です。
2007.03.29
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やっと今日の午前中に電子入札の登録が終わりました。 本当に業者の方には感謝です。 本当にありがとうございました。 私一人ではとうてい無理だったでしょう。 うちのネット回線がISDNだという事や、 県から送られて来た書類の1部を無くすなど、 こちらにも問題がありましたが、 プロがやってもこんなに時間がかかるのは、 はたしてどうなんでしょう。 公平性を求める、電子入札ですが、 これじゃ、資金力があるほうが絶対有利だよな。 格差社会と言うのは実感する。 公平が不公平を生む社会でもありますよね。 電子入札で気持ち的に疲れました。 仕事の方は、お手伝いで、移植作業。 こちらの方で肉体的にも疲れております。 なんか愚痴っぽいブログになってしまいましたが、 今日はサンシュウの写真で簡便してください。 宮城も少しづつ春が近づいております。
2007.03.28
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個人企業ではありますが、宮城県や塩釜市の 入札に参加しております。 宮城県が平成19年度より、電子入札を全面導入。 うちでは経費がかかるので、電子入札に参加しないつもりで いましたが、電子入札の登録をしないと、 入札に参加できないとの通知がきました。 は~あ、最近ほとんど入札しても取れないのに、 経費をかけて、登録する意味があるのだろうか、 宮崎県の東国原知事は中小の企業には郵便入札 と言っているのに、ほんと何とかしてほしいです。 まあ、これも仕事の為、電子入札をやってみることに。 まずは先日も書きましたが、ハードディスクの容量が 足りなくなったパソコンを交換(これにもお金がかかる)。 次に電子入札の業者より、電子入札のカードと接続のUSB、 ならびに4年分の使用料を購入(この金額がばかにならない)。 カードが家に来、書面上手続きが終わり、 まずは昨日の夜、電子入札の業者から、電子入札用のソフトの ダウンロードとカードの確認。 うちはISDNなので、全部終わるのに、2時間近くかかってしまった。 しかし、無事終了したので、とりあえず良かった。 さて、今度は宮城県の方に登録。 県のホームページを開けてみる。 電子入札の登録。9時~5時。 出た。お役所仕事。 仕方が無いので、今日の9時から登録することに。 ところが、途中まで行って、そこから先に進めない。 どうすることもできず。 うちのパソコンを入れてくれた業者の方に来てもらいました。 それでも、どうもうまくいかず。 業者の方も忙しいので、家を出たり入ったり。 県に電話して相談したり、カードの業者の方に相談したり。 何とか少しは進んだのですが、夕方5時になってしまい。 タイムアップ。 明日、続きをやってもらうことにしました。 それにしても、この先取れるか、どうか判らない 電子入札に、何でこんなにお金と時間をかけなければ いけないのか。 だいたい、ほとんどの人がパソコン素人なんだから、 もっと判りやすくしろって言うんだ。 というか、郵便入札で充分では。 庭とは関係ない話、今日だけ簡便してください。
2007.03.27
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庭というのは関われば関わるほど不思議な空間である。 庭というのは、自然と人の中間にあるもの。 最近そう思われて、なりません。 普通、人が作るものは素材は自然が生み出した物を使う。 庭ももちろん同じである。 人間が作ったほとんどの物は作られた時が完成形で、 時がたてばだんだん古くなっていく物である。 しかし庭は造られた時が完成でなく、時が経つごとに 変化していくものである。 管理が行き届いている庭は、時が経つにつれ、 古びれるどころか、まわりの空間になじんでくるものである。 草木が成長すること、石が苔むしてくること、 そこには時間の流れがどうしても必要なことである。 たとえば、苔寺と呼ばれ有名な西芳寺の庭は、造れた当所は、 木々も低く、池の周りには建物があり、 苔で被われた庭ではなく、中島などには白砂が敷き詰めれた庭でした。 この庭を造った夢窓国師が、はたしてこの庭の 今の姿を想像しただろうか、そんな想いがよぎります。 また一つの庭を造り上げていくには、 多くの人々がかかっわているという事。 たとえば銀閣寺の庭は、足利八代将軍義政が造りました。 もちろん彼が一人で造った庭ではないのは当然ですが、 銀閣寺の庭で目を引く、向月台と銀沙灘は江戸時代に 入ってから、荒れ果てた庭を修復する時に、埋まっていた 池を掘り出した再にでた、砂を盛り上げたのが、 始まりと言われています。 造られた当時から、さまざまな人たちが、 その時の庭の一番良い姿を求めて変化させていく、 これも庭の魅力の一つでしょう。 こんな風に時の流れと、多くの人々によって 変化を続けていく庭、まさに自然と人の中間に あるものと言っても良いのではないでしょうか。 写真は苔寺の庭です。
2007.03.25
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少しづつですが、暖かくなってきました。 夜になって久しぶりにまとまった雨になっております。 たっぷり降ってほしいものです。 1月の頭にまとまった雨が降って以来。 宮城の塩釜ではほとんど雨、雪が降っていません。 冬とはいえ、この乾燥は植物にはきつい筈です。 今日の写真は我が家の庭?出咲いている、 梅の写真です。 宮城もやっと梅が見ごろになりました。 白モクレンの蕾も白いところが見えてきました。 暖冬でも宮城の春は待ち遠しいものです。
2007.03.24
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今日の宮城はやっと、少し暖かくなってきました。 しかしまだ風が冷たいです。 桜が咲くまではまだ時間がかかりそうです。 実は花粉症なのですが、気温が上がっても わずかに症状が出た程度。 天気予報では今日花粉が飛ばなければ、 スギ花粉は飛びきったのではないかと。 そうであれば嬉しいですね。 いつも桜が散る頃までは苦しめられますから、 去年引き続き、今年も軽くてすみそうです。 今日の写真は先日剪定を終えたお庭です。 15年くらい前に造りました。 築山から、流れ、枯池を造り。 松やチャボヒバ、オッコ、サツキ、ツツジ等を植栽。 飛石を配したお庭です。
2007.03.23
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仙台市地下鉄東西線のケヤキ移植問題を 先日書きました。 書いたという事もあるので、実際見たほうが 率直な意見が言えると思い、おととい見てきました。 ケヤキの木は高さはあるのですが、思った以上に 太くなかった。 大木というには、細い感じがします。 太目の木は多少ありますが、太くない木が ほとんどですね。 50本移植のうち、31本が青葉通、19本が西公園。 西公園の方は見てきませんでしたが、多分公園の ケヤキの方は根が自由に成長することができるので、 太いと思います。 率直な感想は1本当たり3百20万は高いと思った。 実際私たちが同じ太さの木を移植するとしたら、 そんなにはかからない。 実際、移植したこともあるし。 移植後の養生に、つまり枯れないための管理費に かなりの予算をかけているようです。 それに道路のアスファルトや分離帯のレンガ等を壊す費用を どう見ているか判らないし、 青葉通を規制する費用がいくらかかるか判らないけど。 やはり1本当たり、3百20万は高すぎるな。 伐採案もあるけど、このぐらいの太さなら移植の方がいい。 あまり太くないので、木材としての魅力に欠けますね。 前回はしっかり予算をかけてと書きましたが、 それも限度があるなというのが、率直な感想でした。
2007.03.22
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おとといの夜。1月に行った、宇宙(そら)の会に また行ってきました。 毎回、それぞれの分野で活躍している方の お話を聞き、それについて集まった方々でお話し合いをする会。 今回は介護事業や、ホームヘルプ活動を長年やってき方が、 それを通じて、自分探しをするという、お話でした。 話を聞き、自分の事をつくづく考えてしまいました。 私はたまたま、植木屋に生まれた。 若い頃はこの仕事が好きでないが、他にできることも ないので、嫌々ながら続けてきた。 その頃は自分がこの仕事を本気で考える日が来るとは 思ってもいなかった。 30半ばを過ぎ、自分が考えてもいなかった状況に 追い込まれ、仕事と正面から向き合うようになりました。 そして庭の持っている力と魅力に引き込まれている自分がいました。 最近考えるのはなぜ宮城に生まれて、植木屋なんだろう。 植木屋であれば、むしろ宮城である必要はありません。 もっとこの仕事が、盛んな地域もあるはずだし。 近頃気になっているのは、「伊勢物語」の中にこの塩釜の記述が あること、ちゃんと読んだわけではありませんが、 確かこんな感じ。 地方転々と赴任した貴族の方が、 全国津々浦々歩いたが、塩竃ほど美しいところはない。 こんな感じの文章だったと思います。 今は美しさの見る影もありませんが、奈良、平安の頃は 隣町の多賀城が日本最北の役所のあったところ。 塩竃はその近くにある、別荘地とでも言ったところでしょうか。 京都と庭は切っても切れない縁があるし、 その京都と塩竃は平安の頃、関係が深かった。 関係ないのでしょうが、そんな事が考えさせられる一夜でした。
2007.03.21
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昨日紹介した垣根風の写真。 何を勘違いしたのか途中のものでした。 今日の写真が完成したものです。 シュロ縄がありませんでした。
2007.03.20
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去年の暮れ、家の屋根や壁が古くなったので、 リフォームしました。 その時玄関の所の目隠しの仕切りとでも言うのでしょうか、 それも取り外したので、自分でやって見ることに。 ヨシズを使って写真のように仕上げてみました。 建仁寺垣風も考えて見ましたが、 ちょうど材料がないのと、時間がかかるので、 簡単なヨシズで済ませました。
2007.03.19
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写真は早咲きのスミレの花です。 今日も風が冷たく寒い一日でした。 ここ最近天気はいいのですが、寒い日が続いております。 思い起こすと1月の頭くらいにまとまった 雨が降ったきり、ほとんど雨が降っていないです。 雪が少し降りましたが、ぜんぜん足りないです。 かなり乾燥しているので一雨欲しい物です。 今日は日曜でしたが、お客様の要望で仕事に行きました。 しかしこの景気の悪さはどうしたものか、 さすがにちょっと弱音をはいてしまいます。 この先宮城の植木屋の仕事はどうなっていくのだろう。 正直考えてしまいます。
2007.03.18
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宮城県に住んでいて、この問題素通りできないと思い、 ブログに書いてみる事にしました。 まずは今までの経過です。 私がニュースなどで聞いた事を基に簡単に書いてみます。 間違いがありましたら、お許し下さい。 仙台市の地下鉄東西線の工事に伴い、 青葉通のケヤキ、50本の撤去の必要性が出てきました。 当初は一部、移植。一部、伐採の予定でしたが、 今年に入って仙台市の梅原市長が、50本全ての移植を決定。 その予算案を仙台市議会に提出しました。 その移植にかかる費用。 ケヤキ1本が当たり、3百20万円。 総額、1憶6千万。 あまりの金額の高さに仙台市民に猛反対を受け、 たしか、仙台市議会で全会一致で秘訣されたはずです。 しかしながら、既に地下鉄の工事は始まっております。 来年度中にケヤキを移植ないし、伐採しなければならないのは 避けては通れない事態となっております。 それで、仙台市議会では1億6千万をいったん予算案に計上。 広く仙台市民に意見を聞いたうえで、今年の秋ごろをめどに、 ケヤキをどうするか、正式に決定するとの事が、今週の 水曜日に決まりました。 と言うのが今までの経過です。 ケヤキ問題について私の意見を書く前に、地下鉄の東西線の 事についてですが、この工事には個人的には反対です。 なぜなら、既にある地下鉄南北線は赤字です。 東西線の赤字になるといわれています。 そう言った意味で、地下鉄東西線には反対です。 しかし既に工事は始まっております。 それではケヤキ問題どうするか。 私は移植、伐採、どちらでも良いと思っています。 そのことで、多額の予算がかかることについては賛成です。 確かに1本当たり3百20万というのは、現実的レベルから 見ると、青葉通にケヤキがいかに大きいと言っても高い金額です。 しかし、確実に助けると言うのが前提であれば、この位の 金額をかけても良いのでは。 また伐採に賛成と言うのは、青葉通のケヤキぐらい太い木にならば、 伐採後、木材として充分利用可能だと思うのです。 切った後、生かせる道があると思います。 その場合も、かなりの大木です。 充分な予算をかけてほしいです。 私共も、街路樹の撤去の仕事をすることがあります。 伐採案がでると、生きている木を切るのは可哀そう だという意見がで、 では、移植となると、金額が高すぎると言う意見がでます。 本当に難しい問題です。 最近はホームセンター価格やシルバー人材センター価格が 一般的になりつつあり、植木にはお金をかけない傾向にあります。 実際は生き物を扱うし仕事なので、専門的な仕事もあり、 また危険を伴う難しい仕事もあります。 そういった意味で、この問題で、ケヤキを移植するのに こんなにお金がかかるという事を知ってもらえたのは、 たいへん意義のあることでした。 それともう一つ。 仙台市の青葉通、定禅寺通のケヤキは杜の都 仙台のシンボルです。 七夕祭りや青葉祭り、定禅寺ジャズフェスティバルや 光のページェントなどのお祭り。 それに観光都市仙台の顔として、どれだけ貢献してきたのか。 その辺を考慮に入れて頂いて、 良い答えを導きだしてもらいたいです。 写真は定禅寺通のケヤキです。 青葉通のケヤキの写真がありませんでした。
2007.03.17
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牡丹の芽がもうこんなに大きくなっています。 いつもは5月に入ってから咲く牡丹ですが、 今年は4月それ早い時期に咲きそうです。 今日の宮城もここ数日と変わらず、寒いですね。 彼岸を過ぎないと暖かくならないようです。
2007.03.16
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先日剪定を終えたお庭です。 実はこの庭、現在の施主様の先代の 旦那様が造ったお庭です。 石や植木はチェーンブロックにて移動し、 池まで造った、見事なお庭です。 先代が亡くなれてから当方で剪定を するようになりました。 素人の方でこのような庭を造るとは 脱帽です。
2007.03.15
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難しいテーマについて書いてしまったな、 書いてしまって少し後悔しています。 昨日は妻と侘び・寂び論で盛り上がってしまいました。 そもそもなぜ、この事について書いたかというと、 正直、私自身、侘び・寂びについてよく判って いないのです。 昨日も書いてはみましたが、まだしっくりとした 答えが見つからないそんな気持ちです。 それでもせっかく書いてので、 もう少し思った事があるので、書いてみます。 「どうだ私を見てくれ、私の姿は素敵だろう。 私はまだまだここに居続けるんだ。 そしてこの姿を皆に見てもらうんだ。」 そう訴えかけているようである。 昨日のブログにこの文書を書きました。 京都でこう思った時、私の頭の中に一つの 考えが浮かびました。 これは人間の生き方ではないか、 たとえば人は、一つの生き方を見つけ、 生涯のテーマとする、そしてそれを極めるため、 努力し続ける。 老いてなを、死を目前にしてなを、 更なる高みを願う人の姿に、 京都の古き物はダブって見えました。 侘び・寂びとはそんな人の生き様。 かなり飛躍してしまいましたが、あくまでも 個人的な意見です。 自分の中ではまだはっきりとした答えは見えていません。 これからも考えていきます。 やはり、少し書くのはやはり早かったようです。 写真は銀閣寺です。
2007.03.14
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昨日までの雪は昨日のうちにすっかり解けました。 それでもまだ寒い日が続いております。 今年は3月に入ってから、この冬一番の寒さです。 本当に異常気象にはまいったものです。 それでも暖冬の貯金が効いているせいか庭の アセビが咲き始めております。 今日は庭で延びすぎた木を切っておりました。 隣にだいぶはみ出しているので、伐採するしかありません。 家に庭は正直荒れています。 何とかしたのが本音ですが、今のところ 経済的に無理なのが現状。 将来ここに素敵な庭を造るのが、夢の一つです。 明日もこの続きです。
2007.03.14
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わび・さび 庭の仕事をしていると、どうしても考えなければ いけない言葉。 これもずいぶん長い間考えました。 わび・さび 漢字に直すと詫びと寂びである。 辞書で調べてみた。 侘び・・・質素で、物静かなおもむき。 寂び・・・もの静かでひっそりとした深いあじわい。 正直区別がつかないし、 日本の文化を 表しているのに強い力を感じられない。 更に考え。 詫びは侘しいであり、寂びは寂しいであることを思い出す。 更に辞書で調べて見る。 侘しい・・・さびしくて、たまらない。 静かでさびしい。 まずしい。 とある。 寂しい・・・心が満ちたりない。ものたりない。 静かで心細い。 もの悲しい。 とある。 どうしてもマイナス思考になってしまう。 これが日本の文化を表現する言葉なのか 更なる疑問が沸いてくる。 私が京都を旅して感じて事がある。 ここからは私個人の考えなので、そう思って 読んでもらいたい。 京都で拝観してきたお寺や、竹垣、町中の 町屋などは古いものが多いが、私には そのどれもが輝いて見えた。 それらは 「どうだ私を見てくれ、私の姿は素敵だろう。 私はまだまだここに居続けるんだ。 そしてこの姿を皆に見てもらうんだ。」 そう訴えかけているようである。 たまたま、お寺の中を拝観している時に、 新しく作られた場所を通ることがあった。 白木の柱になぜか違和感を感じてしまった。 宮城に居る時、古き物より新しき物に憧れた。 しかしながら、京都では古き物の方が はるかに輝いて見えた。 京都という町がそうさせるのか、 物本来の美しさがそう見せるのか。 それを感じた時、これが詫び・寂びの心では と感じた。 また京都で見た庭は偶然まわりに誰もいない事があった。 その時、静けさはあったが、心満ちたりないものも、 物足りないものもなく、私の心を充分満たしてくれるものであった。 まだ考えている途中ではあるが、 私の考える詫び・寂びは。 侘び・・・そのもの本来の姿。 寂び・・・そのものが変化していく姿。 ではないかと。 この言葉、避けては通れない言葉なので、 何とか魅力的な言葉にならないかと考える日々です。 写真 竜安寺、方丈、石庭を見て座っている床の板。
2007.03.13
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昨日の夜も雪が降り、今朝の天気は 晴れていますが雪景色の朝です。 ここ2、3日は寒い日が続いていますが、 それまでは暖かかったので、黄梅の花も いつもより早く咲きました。 もうじき満開ですが、突然の寒さと雪に 驚いているようです。 花が早い年は梅などがそうなのですが、 寒さが戻って、霜が降りたり、雪が降ったりして、 実の生り具わいが悪くなります。 人間にとっては早く春の花が見れるのは嬉しいですが、 植物にとってはやはり寒い冬が良いようです
2007.03.13
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庭を造る際、石の魅力をどう生かすか。 それが重要になってくる。 最近はお客様から石をいらないとか。 植木を大事にするあまり、年月の経った 庭の植木が成長して、石が見えなくなるという 事がよくある。 その辺をどうしたらよいのか、ここのところ 考えていた。 私が父から教わった事は、庭を造る際、 石組を芯として、すなわち骨組として、 それに樹木や下草にて、 肉付けをしていくという事。 判っている事だが、それをどう表現するのか はっきりとした答えが出なかった。 京都の庭を見てどの庭も石がはっきりと見える 事に気づく。 石組にて景色を表現していることに気づく。 その景色の後ろや間に樹木が植えられ、 そして前に苔が生え、色彩を表している。 これだと思った。 つまり石組にてまず水墨画の風景を描く。 そしてその背景や間に草木にて、彩色していく。 庭を風景として描くことができる。 そんなわけで、 石組にて景とし、草木にて色とする。 未熟者ではありますが、考えて見ました。 当たり前の事ですが、普段仕事をしていると、 雑念が多く、忘れてしまうことです。 もちろん例外はあります。 広い庭では、樹木による景も素敵ですし、 茶庭である路地や、坪庭となればまた話は変わります。 最近人気の雑木の庭も樹木による景は優先されますね。 とは言え、石を使う庭では、その魅力を 充分に引き出す方法が必要ですね。 写真は圓徳院の庭です。
2007.03.12
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暖冬傾向が続いていましたが、 3月に入ってから寒くなっています。 昨日の夜から雪が降って今朝方2センチぐらい 積もりました。 うーん。 今年はもう雪が無いかと思っていましたが、 やはり、すんなり春は来てくれません。 それでも地面が暖かいので、土の部分や アスファルトの上はもう解けております。 予報によれば、今日は一日中降ったり、止んだり、 今週も寒い日が多そうです。 ここへ来てへはに足踏みですね。 福寿草の花が凍えそうです。
2007.03.12
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先日剪定を終えたお庭です。 曇りがちでよくは見えませんが、 お庭の後ろの風景も素敵で、借景が 見事な庭です。 お庭用の飾りですが、井戸を庭の景色と してあります。 他に石橋や飛び石など見所の 多いお庭です。
2007.03.11
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今日は宮城県の塩釜市で帆手祭りなる、 春を告げるお祭りがありました。 帆手祭りは昔、塩釜で大火があった際、 神様の心を静めるために行われた祭り というのが始まりだった思います。 お神輿が塩釜の街中を一日かけてめぐります。 家の近くも通ります。 たまたま家で仕事をしていたので、 見に行き写真を撮ってきました。 帆手祭りは天気が荒れる祭りで有名です。 寒い一日ではありましたが、 今日は幸い雨も雪も降りませんでした。
2007.03.10
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京都から帰ってきて1カ月以上がたちました。 季節は冬から春へと思ったら、暖冬だった1、2月 とはうって変わって、3月は少し寒い日々が続いています。 この1カ月、思ってる以上にいろいろな事があり、 私の中の心の変化はめまぐるしいものでした。 京都へ行った事は自分にとっては大きな収穫でした。 庭本来の姿を見る事ができ、自分が進むべき方向が 決まったように思えます。 さすがに本場はすごいと言うのが正直な感想です。 宮城で長い間悩んでいたことも、3日間で解決できました。 今自分の心にある庭の形が理想の庭なのかなと 言う実感がひしひしと沸いてきます。 後はこれをこれからどう生かしていくか。 今の宮城の庭の現状を考えるとかなり難しいものが ありますが、何とか良い方向に向かっていきたいものです。 写真は龍吟庵・方丈西庭です
2007.03.10
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龍吟庵の方丈の西庭も重森三玲の作庭である。 この庭はもっとも重森三玲の庭らしい庭と言っても 過言ではないだろう。 方丈西側に広がる空間に、龍が海から天空に 舞い上がろうとしている姿を表現している。 阿波の青石にて龍を。 白川の白砂にて雲を。 若狭の黒砂にて海を現している。 南側の竹垣にて、稲妻を。 北側の竹垣にて、雷を表現している。 この庭を見ているとき、どうしてもイライラして、 仕方がなかった。 これは庭なのだろうか、そんな疑問が沸いてきていた。 帰ってきてからもずっと考えていたのであるが、 庭は本来、時が過ぎれば変化していくものである。 しかしこの庭は、石、白砂、黒砂、竹垣、すべての 配置が決まっていて、変化することを許さない 庭である。 たとえ千年の時が過ぎても、この庭は造られた時の 姿のまま存在しなければならない、そう主張しているのである。 そんな時ふと思ったのが、これを絵画や彫刻と同じ、 芸術と見たらどうだろうと。 たまたま作品を造った場所が庭で、 使った材料が、庭の材料だったといすれば、 変化を許さない、芸術と言っても過言ではないだろう。 庭は自然と人間の中間にあるもの、しかし三玲の庭は 時として限りなく人間に近いものが見られる。 彼が庭師のもとで修行したのではなく、西洋画を学んだり、 数多くの古庭園を実測調査したことが、独特の庭を 造りだしたのだろう。 いろいろ悩んだすえ、この庭も好きな庭の一つになりました。 偶然だと思うのですが、この庭は1964年(昭和39年)、 辰年に龍吟庵に造られました。 私の生まれた年です。 普段は見れないこの庭を、特別拝観にて見ることができたのは 何か縁があったのでしょうか。 長々と紹介したきた京都の庭ですが、 この龍吟庵にて終わりとなります。 いま思い起こしても本当に楽しい旅でした。 またいつか京都の庭の旅行きたいものです。
2007.03.09
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方丈の東側には敬愛の庭と呼ばれる坪庭があります。 大光国師の幼少の頃のエピソードが庭となっております。 国師は仏道に入られる前、ある時熱病にかかられ、山中に 捨てられたそうです。 その折、狼に襲われた国師を2頭の白黒の犬がお守りしたそうです。 真ん中に横たわる石が国師、その横に白黒並ぶ医師が国師を お守りした犬、まわりが狼たちとなっております
2007.03.08
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龍吟庵は1291年(正応4年)に東福寺 3世無間普門が壮健。 庭園は1964年(昭和39年)に重森三玲に よって造られております。 龍吟庵は普段は公開しておりませんが、 私が行った時、冬の特別公開をしておりましたので、 拝観すことができました。 方丈南側の庭は無の庭となっており、 白砂だけが敷き詰めてあり、他に一切何もありません。 先日テレビで、南側というのは観音様がいらっしゃる 方角だという事を聞きました。 これを聞いた時、京都へ来て方丈南側の庭園が 広い空間が取られている謎が解けました。 お寺の庭園で南側の無駄を排除するという事は 大事な事のですね。
2007.03.08
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東福寺から、龍吟庵に行く途中に 偃月橋という橋が架かっております。 この橋を渡ろうと思ったら、橋の柱に虫食いの跡が。 えっと、思って橋の床板を見たら、薄い。 しかも隙間が開いていて、下が見える。 さすがに普段高いところになれている私でも、 正直、この橋大丈夫か、と思ってしまった。 古いものが素敵な京都ではありますが、 これはちょっと怖かったです。
2007.03.08
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東福寺、方丈の北庭も重森三玲の作庭です。 使われている四角い石はもともと方丈の南側に 敷かれていたもの。 これも再利用にて、苔と組み合わせ、見事な市松模様に。 昭和の初めに庭にこのデザインを用いるとは、驚きの限りです。 彼が西洋画を学んでいた一端がうかがえます。 実際庭を見る前から思っていたのですが、 彼の発想には独特のものがあるようでなりません。 実際、庭を見るとその思いが深まるばかりです。
2007.03.07
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東福寺、方丈の東庭も重森三玲の作庭です。 この庭には円形の石柱が7つ。 この7つの石柱にて北斗七星を現しております。 この石柱、実は東司(とうす)。 東司と言うのは、禅院におけるトイレの呼称です。 「いっさいのものを捨てない」 という禅の精神から、重森三玲が以三和尚に廃物利用を 頼まれ、苦心の末勘考え出した庭です。 庭を造る際、ある物を利用すると言うのは 私どももよくやりますが、 さすがにトイレの再利用までは無理です。 確かにお茶の路地では庭に雪隠を造ることが あるのが日本の庭ですが、どんなに魅力的な 石でもそれを庭に使うとなれば、 お客様に嫌われるのが、現実ですね。
2007.03.07
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東福寺は1255年(建長7年)関白九条道家創建した 臨済宗東福寺派大本山。 現在の方丈は1890年(明治23年)の再建で、 庭園は1939年(昭和14年)に重森三玲が 完成させてものである。 重森三玲は昭和の作庭家である。 日本美術学校にて西洋画を学び。 その後京都に移り住み、華道や茶道を学ぶ。 1934年(昭和9年)室戸台風の襲来により、京都の庭園が 大きな被害を受けた。 それを見た重森は全国の古庭園の実測調査を決意する。 自費を投じて約500の庭を実測し、その研究成果を 『日本庭園史図鑑』全26冊(戦後『日本庭園史大系』全35冊に発展) にまとめた。 そして1939年(昭和14年)弟1作となる東福寺庭園を 完成させる。 しかもこの東福寺庭園は当時方丈の建設等で資金的に余裕が なったため、重森三玲がボランティアで受けた仕事であった。 自らの資金力にてこれだけの仕事をする。 重森三玲はっきり言って恐ろしさを感じます。 東福寺方丈南庭は巨大な石が特徴的な庭です。 長い石を横に伏して、その前に石を立てるなど、 とうてい発想できるものではありません。 伝統的な庭の手法と、斬新手法が交じり合った庭。 これから紹介していく重森三玲が単なる作庭家でない 事を伺い知ることができます。
2007.03.06
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芬陀院の東庭は重森三玲の石組の庭です。 重森三玲は昭和の作庭家であり、 東福寺の多くのお寺の庭を手がけております。 重森三玲の庭がこの東福寺で痛烈なまでに 私の心の突き刺さってきました。 それがどのようなものであったかはこの後、 東福寺、龍吟庵にて紹介していきます。
2007.03.05
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今回の旅で最後の訪れた東福寺。 東福寺では、東福寺、龍吟庵、芬陀院を拝観しました。 芬陀院へは最後にたずねたのですが、 内容を書いていく上で、こちらから紹介したほうが 良いようなので、順不同にて紹介していきます。 芬陀院は元亨年間(1321~24)に関白一条内経が壮健。 南庭、鶴亀の庭は室町後期の画僧雪舟の作と伝えられている。
2007.03.05
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智積院を後にし、いよいよ最後の目的地、 東福寺に向かうことに。 東福寺も大仙院のように多くのお寺が、 集まったお寺です。 東福寺内は車が通れるアスファルトの道路があり、 その道路の途中に車が通行止めの木でできた橋、 臥雲橋が現れます。 臥雲橋からは通天橋が見ることができます。 この通転橋、紅葉の名所として有名な橋です。 紅葉の季節には通天橋のまわりを赤く染める もみじの映像や写真をよく見ることができます。 通天橋は今回は通りませんでしたが、 実際に渡ることができます。 紅葉の季節通天今日から見る景色はすばらしい 事でしょう。 さて東福寺にはもうひとつ、偃月橋なる 橋がありますが、実はこの橋、驚きの橋です。 そのことは後から書くことのいたします。
2007.03.04
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智積院、講堂西側の庭です。 解説もないし記憶もあいまいになって きました。 写真にお楽しみ下さい。
2007.03.03
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やっとパソコンを新しくしました。 とは言っても本体のみ、事情があって、 ウインドーズXPです。 今までのパソコン、ハードディスクの容量が限界で 今にも止まりそうでした。 経済的理由もあり、我慢いましたが、どうしたても 新しいソフトを入れなければならない事に。 これは止まる。 やむなくリニューアル。 それでもまだISDNのまま、こちらも いろいろ事情があったこのまま。 そのうち何とかしなければ、とりあえず 少し早くなりましたので、今までより快適な ブログライフができます。
2007.03.03
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庭を見るとき、こんな感じが一番好きです。
2007.03.02
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智積院の一文字型手水鉢です。
2007.03.02
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庭園は大書院から見ることができ、 高き山におりなす、石組と皐月や躑躅の 景色は見事というよりほかありません。 ため息のでる想いでした。 真の庭を見る際、花や紅葉は邪魔をするものでありますが、 この庭の皐月は花の季節にもぜひ見てみたものです。
2007.03.02
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智積院、うーんと・・・? 正直どんなお寺かよく判らない。 解説を読んでみたけど、いまいち理解できない。 説明すると長くなるのでかいつまんで。 智積院は真言宗智山派の総本山。 1585年 豊臣秀吉の紀州根来攻めにて智積院も被災。 1601年 玄宥僧正(げんゆうそうじょう)が徳川家康より 東山豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興。 1667年 第7世運敞(うんしょう)、密厳堂(みつごんどう)などを 造営、旧祥運寺庭園の改修も始まり、1674年に完成。 となっております。
2007.03.02
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建仁寺を後に当初の目的に戻ることに、 今度は道を清水寺の方に戻り、 東福寺の方向に、まずは途中の智積院に、 私の愛読書「日本庭園をゆく」によれば、 ここにも素敵な庭があります。 建仁寺を出た頃にはお昼ごろ、 清水坂の下を更に南に進んだあたりで、 とりあえず昼食。 道路沿い長い石垣と塀があるなと思ったら、 智積院につきました。 写真は智積院の梅。 今思っても、1月の京都、3日間はとても 暖かかった。 朝夕は少し寒かったものの、日中は汗ばむ くらいでした。 天気に恵まれた京都の旅でした。
2007.03.02
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宮城県塩釜市の公民館にて、 明日から日曜までの3日間、 公民館祭りが行われます。 場所は東北本線の塩釜駅の近く、 エスプの後ろ側になります。 私たちの盆栽・山野草愛好会も盆栽や山野草を 展示、お近くの方は見に来て下さい。 私はソロの寄植えを出品しました。
2007.03.01
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丸窓から見る芭蕉、素敵です。
2007.03.01
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大きな手水鉢が目をひきます。
2007.03.01
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こんな庭もありました。
2007.03.01
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建仁寺には大雄苑や潮音庭の他にも庭があります。 庭の名前も詳しい由来もわかりませんが、 雰囲気がいいので写真で紹介します。
2007.03.01
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