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奥千本の山桜を見て、更に下って上千本に向った。昨日、ニュースステーションで吉野の桜を低空飛行でとった映像を放映していた。羽があったら空を飛んで見てみたい山だ。その中で山桜は、花と一緒に葉が出てくるようだ。奥千本の山桜は、みんなそうだったのでもう散り初めかと思ったが満開だったのかもしれない。上千本に行く前に水分(みくまり)神社があった。鳥居をくぐり境内に入った。かなり古い建物だ。桃山時代というから秀吉の時代だ。調べてみたら、次のようだった。 水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、 "みくまりが"御子守"(みこもり)となまって俗に子守さんと 呼ばれて親しまれている。 社殿は豊富(臣)秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊から なる桃山時代の大変美しい建築である。豊臣秀頼建立の社殿のようだ。 花苔や秀頼の影映し出し屋根とか周りに苔(こけ)の花が咲いている。そんな古いイメージの建物だ。ここになぜか西行像があった。次は、入口のほうからの写真です。 千年の社に咲けり花一本 秀頼の夢を紡ぎて花枝垂るここにも悲劇の武将の歴史があった。ここから下りは、上千本になる。写真の上のほうに蔵王堂が見える。大展望だ!更に下って行くと花矢倉展望台があった。義経の武将佐藤忠信の戦った矢倉である。武将佐藤忠信は、義経が奥州平泉(藤原三代の時代)へいったとき家来として従ってきた武将だ。武将佐藤忠信は、義経を逃がすためここで獅子奮迅し戦死した。年齢28歳という若さだった。 義経の武将の矢倉飛花落花上千本は、やや散り始めていた。 花吹雪く静御前を偲ぶごと又、この地は義経と静御前の別れの地であったとも書いてあった。一連の上千本の写真です。 奥千本上千本に花疲れやや疲れ気味の状態になった。リュックが肩にどっしりと食い込んでくる。出張の荷物が重い。とりわけ背広が重い。 こんなに重いものを毎日着ているのかとしみじみ思った。少し歩いて又神社のようなものがあった。雨師観音で後醍醐天皇の御幸の地ということだ。ここから先は、人が大勢でどこがどこだかわからなくなって道に迷ってしまった。(お腹が空いて来て力が出てこない)ようやく聞いて如意輪寺へ向った。次週に続く
2006年04月28日
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時間節約のため、竹林院(どこにあったか定かではないが)からバスに乗った。バスは、マイクロバスで林道(町道88号線)を奥千本に向った。このコースは、普通の林道で杉林(?)が続く道で、途中桜を見ることなく奥千本の登山口に出た。かなりの時間走ったようだ。(20分くらいかな?)バスにして正解だったようだ。もし歩いて登ったら、その日のうちに東京に帰れなかったと思う。降りたところには、金峰神社があり、この山の守り神のようである。桜を期待していたが、2、3本しか咲いていない。お参りをし、すぐ横の道下にある義経隠れ塔へ向った。 義経の隠れの塔や花いづこ薄暗いところにあった。義経は、追っ手に追われここに隠れたようだが、見つかり天井から脱したとかかれていた。この山には、義経の隠れた逸話がたくさんあるようである。楽しみが増えてきた感じだ!わくわくしながら歩いた!金峰神社の右手の登山道(石畳の道)をぐんぐん登った。結構急だ。奥千本の西行庵まで30分ほどかかるようだ。途中から、泥道になった。 春泥の深山の道や西行庵桜が咲いている様子がなく、不思議に思って人に聞いてみたが明快な返事がなかった。登って左に曲がり下ってようやく桜らしきものが見えた。ここが奥千本らしい。(約30本くらいだが)山桜がきれいだ。右下に西行庵がある。 散り初めし花千本の西行庵花千本の表現は現状に則さないが。鳥がしきりににさえずる。 囀りや深山の空を動かして西行庵、西行像をしばらく眺め感慨に浸った。西行の吉野山の歌 吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり あくがるる心はさてもやまざくら 散りなんのちや身にかへるべきなど、吉野の歌が60首ほどあるという。俳句の季語に西行忌(4月の季語)があるほど花の歌人だ。(又ひとつ勉強になった)鎌倉幕府直前の人だ。そういう意味では、義経と同時代の人となる。桜がちらりちらりと散る。 山桜しづかに己が身を散らす心を静かにし西行庵を発った。ここから10分ほどのところに宝塔院跡がある。蔵王堂と何らかの関係があるらしい。ここから1km先に女人結界の碑があるらしい。相当悩んだが往復30分は、時間的に無理を感じ、後ろ髪を引っ張られながら金峰神社に戻り、水分神社方面(上千本方面)へ向った。女人結界の碑の方へ行けば奥千本が見れたかもしれない。(結局、どこが奥千本かわからなかった。残念!)結構、登ってくる人が多い。途中、高城山展望休憩所があった。金剛山方面(?)を写したものだ。山桜が美しい。 千年の彩を深山に山桜ここから水分神社に向った。ここら付近から上千本のようだ。(まだ奥千本かな?)
2006年04月26日
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4月22日(土)奈良・吉野山を歩いた。前日、18:00頃近鉄線・大和八木駅に降り、江戸の町人の街並みが残る今井町,神武天皇御陵を見学し、橿原(かしはら)駅の旅館に19:30頃着いた。安宿で部屋番号7番というラッキーな番号だった。 卓袱台に草餅ひとつ旅の宿こんな感じの部屋だ。六畳一間にテーブルと出窓にテレビ一台の部屋でガラーンとしている。六畳がこんなに広いとは!夕食を食べ、就寝。翌朝6時に起き、朝食を摂り7:13発吉野行きの電車に乗った。8時くらいに着き、時間節約のためケーブルに急いだ。朝早いので人出が少なかったのですぐケーブルに乗ることが出来た。ケーブルから降りて道なりに進むと吉野山の総門がある。鴬の声が頻りに聞こえる。 総門をくぐり吉野に初音聞く朝早いからか宅配便が頻りに行き交う。 鴬や頻りに通る宅配便総門をくぐり少し進むと蔵王堂が見え、浮んでいるようだ。 天界に堂を浮かべて花は葉に下のほうの桜は、ほぼ散っていた。通り過ぎたところに小高い丘があったのでそこから撮影した。蔵王堂の入口だ。金峯山寺と書いている。この山の守りの寺か。調べる時間がなかったので詳細はわからない。 僧が来て石に躓く花の寺ちょっぴりおかしかった。次の写真は、丘(名前があったが?)から撮った中千本(?)の桜の風景だ。この上に上千本、奥千本があるようだ。期待が膨らんだ。周りの風景やお土産屋を見ながら、蔵王堂から勝手神社に向った。静御前が捕縛され舞いを踊ったので有名な神社だ。 桜散る舞塚の碑に偲び酒舞塚の碑があったが写真を撮ったつもりが写っていないかった。無念だ!この神社の横に後醍醐天皇の碑があった。 後醍醐の天皇の碑や紫木蓮近くに紫木蓮が咲いていた。静香御前、後醍醐天皇と悲哀の歴史を感じながら奥千本に向った。途中からバスが出ているので時間節約のためバスに乗った。
2006年04月25日
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残念ながら桜はまだ早かったが、ポツリポツリと咲いていた。少ない花の下でそれぞれの家族が食事していた。 百組の家族それぞれ花の下本人も食事をした。 おにぎりもふたつが良しや二輪草Made In 本人 のおにぎりを食べた。下のシートは、ちょっぴりかわいい。(安かったので買って持ち歩いている。おおよそのことは、気にしないタイプなので。)山頂からの風景ゴルフ場が見える。そこの桜は、満開のようだ。真中あたりの山が、両神山だ。(この山は、どの山からも見える)秩父市内だ。左の山は、無残にも削られた武甲山だ。 削られし山甦る春霞この後、和銅遺跡に向って下山した。(前回を参照してください。)途中、桃の花。 一族の墓を守りて桃の花お墓の前に咲いていた。 紺の空こぼるばかりに桃の花今週は出張のためブログは、来週までお休みです。追伸 俳句四季5月号埼玉の欄で俳句が佳作に選ばれました。 隔年の恩師の賀状届きたり たまには、いいことがあります。 選ばれたことに対して 忍一字この日を待ちて山の藤 ということで。
2006年04月19日
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秩父地方の桜が満開と言うことで桜のすばらしい美の山に4月9日登った。美の山は、元は’蓑山’と呼ばれていたが、美の山に変えたようだ。2年位前に、7人の集団自殺が発生した山だ。そのため二の足を踏んでいたが、桜に惹かれ3度目の登山だ。(標高はおそらく4、500m位なので登山と言えるほどでもない。)美の山は、秩父鉄道の親鼻駅から登り、和銅開珎の遺跡のある黒谷駅までの3時間コースである。上の写真は、黒谷駅からの写真だ。山の真中に、和銅と書かれている。 野遊びに和銅遺跡の道に出る本人(173cm)が小さく見える。いはゆる、貨幣の発祥の地ということだそうだ。 桜咲く和銅遺跡の曲がり道和銅遺跡、黒谷駅への下山の途中にあった。話を最初に戻すと、桜と和銅遺跡ということで親鼻駅から美の山を目指した。ここから、いつもは関東ふれあいコースを登るのだが、別のコースから登った。まむし草と思われる。(似た草に浦島草があるが、時期が異なるのとひげ?がないからまむし草と思った。) わが道の裏の顔して蝮草やや登ってうぐいすの声がする。 初音聞く汽笛のこだま山越えて同時にSLの汽笛の聞こえてきた。又、からすの声も。 鴉鳴く大空の中に初音聞く天気といい、うぐいすの声、汽笛の音、桜と申し分のない山だ。途中車道に出ると桜が程よい。更に、少し登ると 二輪草吾にも欲しや山の連れ 一輪を蔭に咲かして二輪草一時間半ほどで山頂付近にでた。桜が咲いていない。残念! 桜前線行くてに山の高みあり桜前線は、山を取り残して北上するようだ。2週間ほど早かったようだ。
2006年04月14日
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ようやく三毳山神社に着いて、一休みをして尾根道を歩いた。蝋燭岩だ。炎に似ていると言うがどうかな? 下野(しもつけ)の蝋燭てふ岩かげろひぬこの後も、名前のついた岩があったが、その上で食事をしている人たちがいて写真が撮れなかった。ひとつのピークに着いた。209.8mの低いピークだ。 春耕や飛び飛びにある村の森佐野市内だ。ここから下り、登りで最高峰(と言っても229m)に着いた。片栗の里は、これから下ってすぐだ。この下が片栗の群生地だ。まずは一輪を。 堅香子や祈るとも見ゆ嘆くとも 堅香子や懺悔のごとく群咲きぬ片栗の里の入口でクリスマスローズの展示会があった。そこから田園風景の中、JR岩船駅に向った。歩いて役30から40分ほどだ。その途中からの三毳山だ。 万葉の山を浮かべて麦青む2度目の三毳山でした。
2006年04月13日
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中国・桂林から帰国後4日目に天気上々の中、万葉の山・桜と片栗の三毳山に向った。東武日光線に乗って静和の駅で降りてタクシーで向った。登山口は、神社の入口から登る。まずは、万葉の歌碑を見てから。しもつけぬ みかものやまの こならのす まくはしころは たかけかもたむと書いてある。万葉集巻十四東歌にある歌だ。万葉の歌碑を眺めているとうぐいすの声が聞こえた。今年初めての声だ。 下野(しもつけ)の万葉の山に初音聞くこの地方は、下野の国と呼ばれている。県で言うと栃木県にあたる。ここから山登りが出来る。山といっても220m位の山だ。階段を登っていったが何故かきつい。まだ旅の疲れが十分に残っているようだ。桜が咲いていたがまだ五分咲き程度だ。 透き通る樹間に灯る桜かなまだ緑にならない林の向こうにも桜が見えた。寒桜と書いた札があった。寒桜なんだろう。 万葉の歌碑の山行く花電車電車の形をした乗り物が舗装道路をゆっくり走っていた。 日本武尊の足跡てふ岩や桜咲くこんな岩を見ながらゆっくり登っていった。この先に三毳山神社がある。さらに階段を登った。 石段の間から首出すすみれ草三毳山神社だ。この前で動かない女性がいたので丁重にお断りして写真を撮らせてもらった。ここで小休止した。なんだか疲れている。まだ30分ほどの登りなのに。ここから尾根道を歩いて片栗の里まで1時間半ほどだが明日にしたい。
2006年04月11日
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中国3日目、畳彩山に登った。下から石段が続く。 新緑の桂林の山ひと登りもう新緑にふさわしい気候だ。亜熱帯の地域にあたるので植物も初夏の植物だ。この山は、200m位で階段を30分くらいで登れる。80歳の人も登ってきたし、ガイドさんも上ってきた。ガイドさんは大変だ。我々より遥かに睡眠時間が少なく、4日に一回はこの山を登っているようだ。最終日は、桂林から広州まで案内してくれて空港で見送りをしてくれたがその時間が、14:00頃、その後すぐ次のツアーが日本から来る。おそらく14:30位だと思う。休む間もなく、我々を案内してくれたコースを又案内すると思うとこの職業も大変だ。5分くらい登ったところに洞窟がある。吹き抜けて反対側までいける洞窟だ。 吹き抜ける洞に漢詩や風光る壁に漢詩が書かれている。ここから頂上まで自由行動だ。暑い日だったが、山頂の360度のパノラマを見たいため休まずに登った。 風光る漢詩の国の山頂に一番乗りだ。他の人は、休憩しながら大分遅れて登ってきた。その間、360度の光景を写真に撮った。時計と反対周りに桂林の市内風景を撮った。 桂林の山河鳥瞰風光る十分に見尽して山を下り、途中大きな仏があったが写真を撮るのも拝仏も有料だ。 拝佛も儲けの国や春暑しその後、日本人が経営しているお茶屋さんに向った。中国茶をご馳走になった。(といっても商売だが) 新緑や桂林で買ふ茶器セット3日目は、これで夕食をして終りだ。ホテルに8時くらいに帰り、風呂に入ってテレビを見ながらゆっくりした。次の日は、5時おきだ。9時くらいに眠ろうとして、その前に冷蔵庫からビールを一缶だして飲んだ。ゆっくり眠れそうだと思ったが、お腹の調子が悪く眠れない。正露丸や胃薬を飲んでも治らない。一晩眠れなかった。朝、ご飯食べれるかどうか解らなかったが、パンを一枚食べた。体調がものすごく悪い。その体調で桂林空港へ。 春惜しむ桂林の山背(そび)らにし 吾が脳裏突き抜けてゆく春山河桂林から広州の空港へ。その後、何とかの有名な人の書斎(確か、陳さんといっていた)を廻って昼食をして広州の空港へ。]体調が悪くなんにも目に入らない。昼食は、飲茶料理だったが、何とか食べれた。食中りではないような気がする。悪酔いかな。それにしても缶ビール一本で。などを考えながら日本に飛び立った。 鳥帰る売子の欠伸免税店飛行機に乗る前、免税店の売り子が欠伸をしていた。日本に帰ってもお腹の調子が悪かったが焼酎を飲んで体内消毒し3日目に治った。治った翌日、快晴の天気の中、桜と片栗の咲く万葉の山・三毳(みかも)山へ行った。
2006年04月10日
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桂林3日目の朝を迎えた。この日は、朝早く起きたのでホテルの前を散歩した。 マンションの並ぶ大陸春の朝ホテルの向こう側は、マンションが林立している。ただ観光都市として世界遺産に登録されているため、上海のような高いマンションはない。 囀りや大陸の空広がりて鳥の声がうれしい。 大陸の曇天の空につつじ咲く躑躅がさいていた。もう初夏の感じを受ける日だ。観光客が増えてきた。 観光の一団溢れ椿落つ我々もバスに乗って、最初の象鼻山に向った。象の鼻に似ている岩の見学だ。 象山に象の目探す春の旅山全体を写真に撮るのを忘れたようだ。象鼻山から七星公園に向った。パンダがいるという。(パンダは見なくていいなぁと心に思いながら) 桂林のパンダの道に桃の花ガイドさんがパンダを自慢して話すが何も興味が湧いてこない。他の人も、小さい声で「パンダきょうみない!」なんて、だけどガイドは一生懸命説明していた。 桂林のパンダ人寄せ竹の秋 著莪咲ひて七つ星てふ岩を見るこの公園の由来が岩が北斗七星型に点在しているからと言う。駱駝岩だ。 駱駝岩頭でっかちに春暑しその頭に登った人がいたそうだ。一人は、台湾人で落ちて亡くなったそうだ。もう一人は、オーストラリア人で、頂上までは登れたが降りて来れなく消防車が出動したとのこと。登るのは、登れるが、降りて来れないそうだ。確かに、そう見える。だけどどこから登ったのか不思議でガイドさんに聞いたら、裏から登れるというので見に行ったが登れそうなところはなかった。その間、みんなが噂をしていたようで、帰ったら大笑いで出迎えてくれた。そのときは、何のことか解らなかったが。そこから桂林市の博物館に向った。景色に見とれて博物館の全体を写していない。水墨画の実演(大学の教授とのこと)を見て、中を案内してくれた。やはり最後は商売。翡翠などの装飾品を棚ごと販売するとのこと。150万円で日本まで送ってくれるとのこと。これは、昨年北京でもあったような記憶がある。 国宝も販売をして春暑しこの話を聞いて急に興味がなくなり、外の景色に遊んだ。外へでたら「千円!千円!」だ。どこへ行けば静かな場所があるんだろう!静かなよい景色だが。「千円!千円!」博物館の横から撮った写真だ。 中国の胡弓の調べ桐の花博物館の向かい側だ。古い建物が並び、博物館と対照的だ。奥に咲いている花が桐の花だ。ひとつの入口に「琴の工房」と書いてあった。この後、畳彩山に向った。この山を登った。低い山だが桂林市内を360度一望できる。次回は、その写真を載せたい。
2006年04月07日
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2日目の夜、桂林にある4つの湖を巡るクルージングに参加した。総勢15名ほど舟にのりライトアップの美しい湖を巡った。バスから降りて舟まで歩くが どこ行くも売り子後から春の旅小学生くらいの男の子と3歳くらいの男の子が薔薇を持って「百円!百円!」と寄ってくる。3歳くらいの子は百円と言えないのか「千円!千円!」と言っていた。時々、服にしがみ付いたりしているが、このときが危ないらしい。そちらに気を取られているとき、スリがポケットに手を入れるらしい。実際に被害はなかったが、スリに会った人がいた。ガイドさんと運転手さんが目撃してあわてて被害がなかったか確認していた。こういうときに便利なのが山用のベスト。ポケットが12個あるベストを上着の下に着て、貴重品はこのベストに入れておいたので安心だった。 春宵や街一周のクルージング4つの湖は桂林の街を一回りして繋がっているらしい。 春宵の湖に浮かびて金銀堂金堂、銀堂だ。日本の金閣寺、銀閣寺の真似なのか。レストランになっているようだ。湖の周りはライトアップされて幻想的だ。写真の技術が未熟なため良く映っていない。 春宵の湖千年の灯を点し 噴水も美しかった。(写真を撮れなかった) 千年の彩甦る噴水かな途中で、竹の筏に乗った鵜飼の筏が来た。 観光の鵜蹴落とされて魚を捕るなかなか湖に入ろうとしないので思いっきり鵜を蹴飛ばして水に突き落としていた。 観光の鵜クルーズ客に芸見せる観光船に添って進んできて時々顔を見せたりしていた。魚を採るのも上手だ。 思ひ出すやうに潜りて魚捕る鵜時々、思い出したように潜る。途中から、中国の三味線(バイオリンかな)で日本の歌を弾き始めた。やはり「北国の春」だ。一時間半ほどのクルージングでホテルに戻ったのは10時近くだ。中国語のドラマをテレビでみて缶ビールを飲み2日目は終わった。テレビの内容は、ほとんど解らなかった。
2006年04月06日
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桂林の河くだりの途中、鍾乳洞に寄った。鍾乳洞は、5、6年程前秋吉洞を訪れたが、大きさに驚いたことがある。この鍾乳洞は、秋吉洞よりもかなり大きい。何しろ、途中からトロッコにのり、次に舟に乗り、また歩く1時間半ほどのコースだ。暗いので写真が良く撮れていない。 啓蟄や功積むごとく鍾乳石しばらく行くと居酒屋があった。お酒を飲ましてくれるところだ。奥が居酒屋になっている。 春灯や鍾乳洞の居酒屋にそこを通り過ぎたら、歌声が聞こえる。元気だ。 一妻多夫の民族歌ふ春の歌何を歌っているか解らなかったが、まあおおよそ春らしい歌だろう。ガイドさん曰く。中国の少数民族で、一妻多夫の民族という。結婚すると一妻一夫になるらしいが、独身時代は、一妻多夫の関係を持つらしい。ツアー客の老女性が「まあ、うらやましいこと!」だって。途中からトロッコに乗って、船に乗り継いだ。 水温むトロッコと船で洞遊覧舟は、デズニーランドのそごう館にある小舟に乗って廻るような感じだ。そごう館から人形を省いたような感じだ。すばらしい鍾乳石がたくさんあったが写真がうまくとれていない。 春洞に象牙積むごと鍾乳石象牙が積まれたような感じの鍾乳石がたくさんあった。また、船に戻りライン下りがはじまった。(昨日のブログ参照)陽朔(ようさく)の街についた。 日本の歌弾きて迎へる春の街「北国の春」だ。街を歩いていくと、4、5人ほどが、笛や三味線のようなものを奏でていた。又、アメリカ人の観光客が多く英語の看板が目に付く。何となく落ち着く建物だ。ここからバスで桂林に戻った。途中の光景は大きな田舎の雰囲気だ。 大陸の大きな田舎耕やして やせ牛の鋤を曳きたる春耕かな3日間宿泊したホテルだ。少し休憩し、食事に向った。その後、オプションのナイト・クルージングにむかった。
2006年04月05日
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広州は、緯度でいうと台湾より南に位置し、香港まで車で2時間ほどの人口は3000万人ほどとガイドさんが言っていた。桂林は、広州から北西(と思う)へ飛行機で1時間弱の位置にある。前日の夜、雨が降ったので霞がかかった山水画の世界に期待を寄せた。ホテルは、3日間とも桂山大酒店(4つ星)でツインのルームだ。ベットひとつ余分だが、追加料金を払ったので使わにゃ損ということで荷物置きに使った。朝食(中、洋食のバイキング)を済ませバスに乗り込む頃、小雨が降ってきた。これは絶対に山水画の世界と確信をもった。日本のNHKテレビが3ヶ月間泊り込みでこの世界を写したそうだが。後でガイドさんが曰く。「90%の景色を見れた」と。船に乗った瞬間、身震いするほどの景色だ。 河下る十重に二十重に山霞む「晴れていればいいのに」と言う人がいたが、「いや、これがいいんだ。これを見るために来たんです。」と言ってやった。「なるほど」と言っていたが。 シャッター音高鳴る春の河下り一斉にカメラからシャッター音が。少し落ち着いて。 春景や写真撮り合ふ河下り 山霞む濃淡映す大河かな ぐんぐんと迫る山なみ春の航 駱駝の瘤浮かべるごとく春山河 釣鐘のやうな山なみ春霞む一時間ほどで、途中の大鍾乳洞に立ち寄った。鍾乳洞は、次回に回したい。鍾乳洞の探索を終え、船の中の昼食だ。船の中でも物売りが激しい。食べ物、アクセサリー、絹製品等々。瑪瑙(めのう)の印鑑が無料で配られた。名前を彫るのに900円かかるという。(これが商売なんですね!) 春旅に瑪瑙の印をおみやげにちょうど欲しかったので一個頼んだ。そうしたら躊躇していた人たちがみんな頼みだした。みんな欲しかったのだろうか。なんとなく悪いことをしたような。一緒に座った夫婦が、タニシや川えびの唐揚げを食べたいと言うので割り勘で頼んだ。 田螺食ひ桂林の河下り行く昼食を摂っている間も景色が過ぎ行くので、ひとり立ってデッキへ向った。すると、竹で作ったいかだを必死になって漕いでいる二人がいる。何をしているんだろうと思ったら、我々が乗っている船に近づいてきて物売りをしている。 筏漕ぎ物売る人や河霞む桂林は、どこへ行っても物売りだ。 仙人の飛び出て来さう春山河 見尽くして見尽くし飽かぬ春山河 桂林の山河見尽くせず遠霞途中、鍾乳洞を一時間半ほど散策したが、9:00から14:30までの船旅だった。桂林市陽朔県に降りた。 春山河見終へ売り子に囲まるるええい!うるさい!遠くから、「北国の春」の笛の音が聞こえてきた。桂林の人たちもこの歌はみんな知っているらしい。
2006年04月04日
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3月25日(土)中国の広州・桂林へ3泊4日の旅に発った。昨年も、同じ頃、上海、蘇州、北京に3000年の歴史を訪ねて春の旅をしている。今回は、桂林の山水画の世界に浸る旅である。中国旅行の料金は、この3月末が一番安い。北海道、九州、沖縄などより安いような気がする。しかも全食事付き(朝、昼、夕)であるため心配なしでいける。 桜咲く日の出とともに外つ国(とつくに)へ朝4時に起きて始発の電車に乗り成田空港へ。途中、うっかりして乗り継ぎ駅を乗り越した以外はアクシデントもなく無事ついた。 こころいま外つ国にあり鳥帰る連絡用に、中国で使える携帯電話をレンタルし出国手続きをした。途中、荷物に入れたライターが危ないと言うことで時間が取られたが順調に通過した。免税店でピース1カートン購入し飛行機に。 離陸する音響き来る春飛行 順調に行けば、成田10:00発、広州現地時間14:30着(時差1時間)に着く。 大陸の雲上を飛ぶ春の旅順調に着いた。 霞立つ大陸の地に着陸す 日本に繋がる空や春霞荷物を受け取り、現地案内人の所へ。ところが、ひとりどこかで迷ったらしく来ない。飛行機に乗ったかなど確認、1時間以上たってから現れた。反対側に下りたらしい。通常、真直ぐ素直にくれば間違いがないはずだが、へそ曲がりな人もいたものだ。予定より1時間以上遅れ、広州の観光に。 望郷や外つ国になる花粉症 大陸の遥かかなたに春の山孫文が、辛亥革命を起した発祥の地・広州の中山(ちゅうざん)記念公園へ。孫文は、中山とも呼ばれたらしい。孫文の服は、日本に亡命したときの服で中山服と呼ばれかなり流行したらしい。 中山服着たる孫文春暑し又、この記念堂は日本とも関係が深く、20年位前(確かではない?)に西城秀樹がきて「北国の春」(千昌男の歌)を歌って、この広州では「北国の春」が国民歌のように歌われている。桂林でもそうだった。いわゆる誰でも知っている歌だそうだ。 日本の歌広まりし地に春惜しむ観光案内の間にまた一人はぐれそうになっている。一生懸命自分のツアーを探している人がいた。 ツアー客一人はぐれて残り鴨空港に遅れてきた人だ。本当に困ったものだ。この人のために全体が遅れるのはやりきれないので迎えに行って離れないように言ってやった。ここから食事のレストランに移動した。 解放てふ道をパトカー山笑ふ ハンバーガー店満員の春の街途中のバスの風景だ。こんなところでの食事だ。 春灯や赤煌々と夕餉食ふ広州料理を9人テーブルで食事をした。中国では、9が縁起がよいようだ。食事後、桂林へ行くために飛行場へ向った。雨が降り出してきた。 春愁や定刻に出ぬローカル機中国の国内線は「安全第一」で時刻は二の次と聞いていたのでゆっくり待った。21:05発桂林行きだ。 春愁や言葉通じぬ大陸に何かを一生懸命放送しているようだが言葉がわからない。テレビのお笑い番組を見てすごした。(東芝製テレビだった) 永き日やお笑ひショーの異国語にこの間、同じツアーの男性が「いつもなにかひとつ忘れるんだ。今日は、傘を持ってきたが靴を忘れた」と話かけてきた。よくよく見るとサンダル(スリッパ?)姿だ。中国のガイドさんに思いっきり笑われていた。ようやく慣れてきて放送が何を言っているのか少しわかった。遅れると言う放送だがそれ以外わからない。 繰り返す遅延の放送春愁ふようやく1時間半ほど遅れ飛び立った。 春飛行大挙乗り来る中国語蜂の巣をつついたように喋って乗り込んでくる。もう少し静かに出来ないものだろうか。 春飛行うなぎの寝床にゐるごとき細長い飛行機だ。(右左とも3席の飛行機)雨と気流で揺れに揺れた。機内アナウンスの声が動揺していた。桂林に着いたのは、現地時間24:00頃、日本時間午前1時頃。行李と書いてある。荷物のことだ。こんな言葉に出会うとうれしい。学生時代に、親が買ってくれた竹行李が未だに家にあるがそれを思い出した。桂林空港だ。荷物を受け取ってバスに乗り込んだ。ホテルまで30分ほどかかる。ホテルに着いたら荷物がないと騒ぐ人がいた。(サンダルで来た人だ!)よくよく聞くと広州で乗せた荷物がホテルまで自動で届くと思っていたらしい。みんなが桂林空港で荷物を受け取って運んだのが解らないのだろうか。やれやれ!ていうことでベットに入ったのが2:30頃(日本時間3:30)だ。あさ6時(日本時間7時)起きだ。
2006年04月03日
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