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暮らしと生活の中から憲法第九条を見直すムーブメントから生まれた本です。 9パン、9Tシャツetc, お互いを尊重したルールの中で遊ぶこと、その遊びにさらなる他者を招き入れること。平和はそんなひとつひとつの点と点がつながりあい響き合うところからはじまると思います。 ヴァンダナ・シヴァさんとダグラス・ラミスさんとの対談。鶴見俊輔さんインタビュー。坂本龍一さんと辻信一さんの対談に加え、社会契約を徹底化し、交換的正義において平和憲法を確認し合おうという地域通貨の提案(「9はつなげる」)を関本が執筆しています。 9条の各国語訳もカヴァーの下に紹介されています。ぜひ手に取ってみてください。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆2005大月書店9LOVE (くらぶ)
2006年04月25日
先月、ピースボート船上で、若い人たちにおすすめの本を紹介する機会があった。僕は『老子』を紹介したが、この本が出版されていれば、真っ先に推薦していただろうと考えると、少し残念なことをしたと思う。ポジティブな響きを持つ書名に加え、777円という安さも魅力だ。以下、読んだばかりのメモです。//////////////////『世界共和国へ』で、柄谷行人はまずチョムスキーを援用し(p4)※、 国家 ネーション 資本 アソシエーションという4種類の交換様式図を『トランスクリティーク』に引き続き再解説している(p5,9)。そこには、不平等←→平等統制↑↓自由、といったベクトルが加わったため、資本/ネーション/国家/アソシエーションという4つの要素の位置付けが恣意的でないものとして理解できるようになった(p5,9,22,39)。「複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明すること」(p40)に成功していると言える。ちなみに、上の図の統制に関しては、プルードンに倣って、権威と言い換えてもいいだろう。また、プルードンに関する記述が多い点も指摘できる。最終章に「カントの構想」(p179)に引き続き「プルードンの構想」(p185)という節があるのだ。ただ、晩年プルードンが国際政治(フェデレーション=連合の原理を提唱した)に関して考察したことが触れられていないため、プルードンが国家を内側からしか考えていないということになってしまっている(p194)。プルードンがヘーゲルやカントよりもすぐれている点はアンチノミーを維持した点であって、なおかつそれを相互主義的な交換的正義の理念、連合主義にまで高めた点だ。プルードンのいう「真実社会」(p190、現実の世界と訳されることもある)はまた、疎外論と一緒には出来ない。なぜならプルードンにとっては政治、経済、宗教の三要素がアソシエーション内部(=真実社会)にアウフヘーベンされずに残っているからである。さらに、プルードンは交換銀行を国営で行うために議員(p191)となったことが重要であり、経済的革命(こちらの方が社会革命よりも用語的にわかりやすい)を目指す視点は一貫していたと考えるべきだ。とはいえ、プルードンとマルクスを安易に対立させていない点や(p12,26,191)、ルソーの社会契約論をプルードンが交換的正義において徹底化したとする評価(p187)は的確だと思う。プルードンに関しては、生産様式より交換様式(p20,27)を重視した点においては歴史的先行者なのだし、その重要性は明らかだ。不幸なことに他の思想家と比べ、テキストが入手しにくいため、岩波新書のようなスタイルで入門書が必要になると思う。細かく述べるなら、柄谷氏の過去の同種の本より良くなった点は以下(箇条書き)である。まず、ウェーバー(p90.124)、ウィットフォーゲル(p34)のラインを加えたことで、国家への視点が明瞭化し、マルクスの立場が比較的相対化された。。またモース(p21)、クラストル(p42)、サーリンズ(p46)、ポランニー(p49.83)への言及で、文化人類学的な互酬的交換の位置づけがはっきりした。アダム・スミス(p168)、アンダーソン(p164)についての言及でネーションのねつ造をめぐる説明も明瞭になった。モンテスキューの名前を出したので、「くじ引き」=民主主義説の説得力が増した (p54)。一言で言えば、全体的にコンパクトでわかりやすくなった点が何よりの収穫であろう。『原理』のような実効性はないが、この書の浸透は確実に世界を変えるだろう。初学者には参考文献一覧や索引があればと親切かとも思う。さらに、記述としてはガンジー等の具体例が加わればもっとわかりやすくなるのだろうが、それは読者個人個人の課題だと思う。※注『世界共和国へ』(p4)で紹介されている1970年(1971年は間違い)のチョムスキーの講演「未来の国家」(Government in the Future)が以下で聞けます。チョムスキー・インフォサイト?http://www.chomsky.info/audionvideo.htmhttp://www.chomsky.info/audionvideo/19700216.mp3Government in the Future. Poetry Center, New York. February 16, 1970.
2006年04月25日
11月13日、横浜学生映画祭で中国映画の短篇を3本見た。「再見童年」「火鍋」「草原」の三本だ。それぞれ国家(毛沢東など、権威の下での友情)/資本(都市、市場経済)/国民(少数民族の宗教的倫理感、互酬制)といった異なったレベルで物語を語っていて興味深かった。 ただ、一般的に言って中国映画は都市を描けていないということが問題点だろう。(農村を描くと傑作ばかりなのに)第五世代の映画作家はみな都市を描こうとすると失敗していると思うし、その点では香港のウォン・カーウェイなどには及ばない。それは映画作家が同時多発的な世界認識を獲得していないということだし、「映画=時間」(ドゥルーズ)という課題を明確に出来ていないということでもある(*)。 映画祭ではシンポジウムもあり日中間の交流もあった。ただ、個人的には日中というより北京と横浜といった中央機関を介さない都市と都市同志の直接的なつながりに希望があると思う(*)。 シンポジウムではデジタル基準の共有に関しても話題になった。ポストプロダクションの効率化、ライブラリーの充実、ネットを使った配信及び上映などにそれらは有効だということは疑い得ない。 当日佐藤忠男氏(*)が指摘した歴史認識の問題などは現在の日本側の課題だが、デジタルを利用して日中が共通の映画ライブラリーを持てばお互いの認識の共通の基盤としてかなり役立つだろう(交換による充実化の事例がかなりあるが、フィルムだとそれでもかなり大掛かりだ*)。ネット配信に関しても、技術的な課題というより、新たなアソシーエーションをどうやって築くのかという考え方の問題だと思う。 国家社会主義だけが社会主義(*)ではないということが中国側に対しても求められるのだ。 ゲストで招かれた方々が働く北京の撮影所全体は民主的に運営されているようだったが、今後は新たな市場経済(=都市)の中でどうやって映画産業(ハリウッドに対抗するアソシエーションとしてのそれ)を展開して行くかという課題をアジア全体で共有していると思う。注:*マフバルバフを例にあげるまでもなく、アジア映画はポストモダンの時期に突入している。*当日、日中の学生が日中関係の冷え込みに対して意識的だったことがせめてもの救いだ。*佐藤忠男氏はデジタル技術が高価になることを心配していたが、これは中間技術といった側面から考察すると、正当な疑問だと思う。*黒澤の『デルス・ウザーラ』などは(対ソ連及び対ロシアという)政治的な理由で中国では公式上映されていない。*シンポジウムでは日本側の平等主義的な映画制作のナイーブさを指摘する中国側の発言があったが、どちらも一長一短であろう。日本の学生が当日出品した作品で試みたように一つの作品内で平等を指向するよりも、チャン・イーモウらがよくやるように他の作品をつくる時に手伝い合う方が合理的で正しいは言えるかもしれない。この点では中国側に対して、「腐っても社会主義」ということが言える。
2004年11月13日
16日に新宿紀伊国屋ホールで、柄谷行人、大澤真幸、高澤秀次らが参加した「思想はいかに可能か」と題したシンポジウムが開かれたので聞いてきました。 柄谷さんは、何度もこのblogで触れていますが、その著作がアジアや欧米諸国で翻訳されていることからわかるように、日本が誇る数少ない知識人です。今回は岩波書店から刊行されている定本が完結したことを記念するイベントでした。 今発売中の「文学界」(11月号)でも同様の発言をしていましたが、やはり彼の憲法第9条に関する発言が注目に値すると思います。 改憲するなら国民投票をしてほしい、そうすれば国民は気がつくだろう、押し付けられた憲法なのかどうかを・・と柄谷氏は述べました。「超自我」というむずかしい言葉を使わなくてもいいから何とか説明したい・・・という、啓蒙的な身振り、わかりやすく語ろうとする姿勢が特筆すべきことだったと思います。 冒頭の大澤さんによる柄谷さんの業績の要約は全体として正しいものだったと思いますが、柄谷さんが文学から理論を経て社会運動へ行ったという誤解を与えるものだったかも知れません。柄谷さんの文学への関心は途切れておらず、理論的考察と絶えず併行したものだったからです。 僕がここで文学を重視したいのには理由があります。 先のシンポジウムでは、資本、国家、ネーションという三位一体をいかに脱構築し、今後アソシエーションをつくっていくかがテーマになりましたが、文学こそアソシエーション足りうるものだと思うからです。 例えば(仮説ですが)柄谷氏と中上健次の関係はアソシエーションであったのでは・・・ さて、僕は柄谷さんを「さん」づけで呼ぶわけは、NAM(代表をくじ引きで選び、地域通貨を事務対価に導入した組織)の運動に参加していたおかげで、本人と話す機会が何度かあったからです。 以前お会いした中で、ひとつ印象に残っているのは、彼が禁煙をしていたとき「医者はニコチンがないけれどある、と矛盾することを言っている」と怒っていたことです。神経にニコチンは穴を空けますから、その穴のコトを指して医者は「ないけれどある」という表現をしていたのだと思いますが、医者にしてはしてはちょっと(ラカン的な)変な表現だと思います。確かにニコチン状に穴が開けば、ニコチンはないけれど形はある、ということになりますが。 シンポジウムの話から脱線してNAMのことに触れたのは、会の後、久しぶりに会ったNAMの会員たちとひさしぶりに新宿で飲んでNAM(2003年に解散)のことを思い出したからです。 シンポジウムで、NAMの運動を外国でやればうまく行くことがわかっていたのに日本ではじめたことについて、柄谷さんが「僕は愛国的だから」と言っていたのが印象的でした。 また、柄谷さんはマルクスの「永続革命論」(僕はプルードンの系列弁証法を想起しますが)についても触れられていましたが、これは今後柄谷さんの新たな著作で明らかになるでしょう。
2004年10月17日
加川良という1970年代から活躍しているシンガーソングライターに「戦争しましょう」という名曲がある。 今日(3日)、実は下北沢ラカーニャという小さな店で加川良のライブがあり、観に行ったら、この曲が観客からリクエストされていました。客「『戦争しましょう』やってよ」加川「あかん、仲良くせにゃならん・・ところでイチローよかったね。涙が出た・・・」 加川さんはこんな感じで客をうまくあしらって、結局その歌は歌いませんでしたが、「戦争しましょう」は実は「反戦歌」の傑作なのです。 放送局など、現在はそうした逆説的な歌を受け入れる余裕がなく、滅多に放送されないのが残念です。 本当は歌詞を紹介したかったのですが、過激すぎて書けません。同曲を含むアルバム『教訓』(タイトル曲「教訓1」も反戦歌の名曲です)はエイベックスから販売されているので興味のある方はぜひお聞き下さい。
2004年10月04日
昨日(23日)、友人と横浜のJR桜木町駅高架線下を歩いていて衝撃を受けた。80年代から、市民が落書きを描いていた数十メートルにわたる壁が白く塗りつぶされていたのだ。 落書きと言っても、ヒップホップカルチャーではグラフィティーといって、重要な要素とされる文化である。 渋谷などで横行するような民家への落書きではないし、桜木町のそれは広く知られるようにレベルの高いものだった。 壁のそばを見ると横浜市による「アート再生」のプロジェクトだというチラシが貼ってある。だが、卑猥な落書きが描いてある柱には何の手も加えていないところを見ると、街を愛していない単なるお役所仕事であることが明白だ。 かつて、イタリアの映画監督パゾリーニは消費社会によるイタリア文化の均質化を、「大量虐殺」と呼んだ。それに倣って言えば、これは横浜の文化の大量虐殺だ。僕はペンキ代の一円でも税金が使われているかと思うと、憤りを覚える。 白塗の壁の後には、上品な絵が描き始められていた。しかしそれらはまったくストリートの強度に見合っていなかった(書類審査あたりでパスしたからだろう)。 グラフィティアーチストやヒップホップ愛好家は怒りの声を挙げて欲しい。そして冷静に新しいスプレーを用意して欲しい。
2004年09月24日
先日(22日)、京都大学のゼミの方を東京に招いて、小さな勉強会を開きました。 それは地域通貨をめぐる勉強会だったのですが、そこで行なわれたある地域通貨の副代表のTさんの報告が好評でした。 現在、日本に地域通貨はあちこちに400以上ありますが、地域を超えた全国式の地域通貨は案外少なく、代表的なものは三つぐらいです(これを市民通貨と呼ぶ人もいます)。Tさんの所属する地域通貨はその中の一つですが、Tさんが報告したその地域通貨でかつておこった問題点の数々は、ネットを使った連絡のあり方の問題点をほぼすべて網羅していて、これからネットを使って地域通貨を始めようとしている方々の参考になったようです。 各地にある地域通貨を横断的につなぐ地域通貨は、間をつなぐという意味でインターレッツと呼ばれますが、そのインターレッツの可能性を、京都から来た人を招く中で確認出来たのは収穫でした。 地域通貨、というより交換システムの一つであるレッツ(LETS)に関してはまたおりにつけ論考したいと思います。
2004年08月26日
横浜にある放送ライブラリーに行って来ました。ベアテ・シロタ・ゴードンさんを扱った憲法関連の番組を見るためでしたが、今後とも活用出来たらと思います。ただ、個々人が持っているライブラリーを公共的に、相互に貸し借りしあうようなシステムも必要だと感じます。肝心のテレビ番組に関しては今後又紹介出来ればと思います。
2004年07月27日
今日22日、イラクで人質となっていた高遠菜穂子さんらが、アラブ・ホープ・ネットワークを立ち上げました。 『イラク市民と語る~私たちにできること』と題された報告会のあった中野ZERO大ホールは満員で、今井さん、高遠さんの話をみな熱心に聞いていました。とくに、高遠さんがたった一人でやってきた人道支援の重さと、彼女の芯の強さを知りました。 アラブ・ホープ・ネットは、人質となった三家族への支援のお金をイラクの子供たちのために使うという計画ですが、そのネットワークはイラクというよりアラブ、アラブというよりアジアへつながっているような気がします。 今はまだMLかHPが立ち上がるだけのようですが、さっそく入会希望を出しました。 個人的にはイラクとのフェアトレードや地域通貨を通じた取り引きが出来ればと思います。帰り道、音楽家のOtoさんとホープマネーという地域通貨をつくりたいね、という話で盛り上がりました。
2004年07月22日
月明りに照らされながら夜の清里を歩いたポール・ラッシュさんがこの場所を気にいった訳が少しわかったような気がした
2004年06月06日
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