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フェイブルマンズ [ スティーブン・スピルバーグ ]コーチングセッションと映画の感想が混ざってしまうんだけど、切り離すことができないので一緒に書こうと思います。まず映画、これはスピルバーグの自伝的映画なんだけど、両親の関係にスポットが充てられている。その両親であるが、優秀でお金も稼ぐ自分の使命にまっすぐなエンジニアの父そして、芸術肌で自由奔放結局家を浮気してでていってしまう母この二人の物語だ。詳細は省くが、父としては妻に対して、不自由ない暮らしをさせているし、優秀だし、子供たちと遊ぶこともするし、旅行にも行っているし、問題ないと思っていると思うけど、自由奔放な妻にとっては、何か心を満たされない感覚、その感覚に従わないと自分が自分でなくなってしまう、そこに合理性はないんである。思うに、この父は少し、アスペルガー的なとこもあるんじゃないかとつまり、どれだけ頑張っても人の気持ちというところをくみ取る力は劣っているのだ。これを見て自分と自分の妻の関係に当てはまっている部分も多く、かなり共感した。さて、コーチングセッションに戻ろう。今回のセッションで最後であり、別にヒーリングを実施したわけではない。では、何をしたかといえば、本来の自分の確認作業だ。本来の自分とは何か?それはこのブログ記事でも否定をした アスペルガーな 自分だ自分は共感力が高いことを評価され、優しいとも言われているのにアスペルガーな訳がないそれなのに母親からアスペルガーと言われて怒りを感じたわけではあるのだが、実は、本来の自分はアスペルガーであり、見せかけの共感力ややさしさは本来の他人ではなく、自分の投影として勝手に作った他人像に対して自分がやっていただけということが分かったというのは前回書いたブログ記事の通りだ。そして、今回のセッションで大きかったのは、いかに自分が社会的価値観に囚われているか。例えば、友達がいないこと。昔、友達がいないとからかわれたことこれは、おそらく、本来の自分はアスペルガーであり、心を許せない友達なんていらないけど、社会的価値観で友達をつくらないと寂しいやつと言われてしまうだから、作ろうとしていたのである。本来は無理やりなんて作りたくない。一人でもいいんである。そう考えたとき、過去の友達関係の傷がすっと楽になったのを感じた。また、小学校高学年~中学校にかけての辛い記憶も、自分がいまこうやって自立するプロセスを通るために、過去のカルマを解消するためにやっているんだと、そう思うと起こることすべてに意味がある。そして、将来像に戻ると、一人で書斎で自分の半生を文章にする自分がいた冒頭に戻って晩年に自分の自伝を作るスピルバーグのようであるwそれはつまり、自分は一人でも満足感を感じることができるし、文章を書くのは好きだと思えるはずである。なので、文章を書くという分野で少し、起業というか副業をやってみたいと思う。
2024.09.22
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【中古】 聖なるヴィジョン / ジェームズ レッドフィールド, James Redfield, 山川 紘矢, 山川 亜希子 / KADOKAWA [単行本]【宅配便出荷】を読みました。究極的に言えば、自分のヴィジョン(生きる意味)を毎朝ちゃんと確認することで不安や恐怖ではなく、ワクワクして過ごすことができるそして、そのヴィジョンとは社会や世界のために自分がなすべきことであるこう理解しました。そして、それは前の記事で書いたように究極のビジョンを持てば、自分を肯定しつつも究極の自分に対しては足りないところを認め向上していこう変わろうとしていこうという気持ちを持つことができるのではないかとただ、そのために必要なのは神秘的な体験と言っているつまりは覚醒これが何か、今の段階では覚醒してないので想像にはなるのだが、おそらくはこの究極のビジョン自分の生きる意味に対するある意味での確信ではないかとつまりは、そうとしか考えられないというある種の軸のようなものができるのではないかとそして、確信に至るためには今の社会的規範が邪魔なんであるつまり、社会からの洗脳それを、宗教的洗脳で一回ぶっ壊す。これが神秘的体験と呼んでいる正体なのではと。では、宗教的洗脳に至らなければ聖なるビジョンを得られないのか?といえば、それは分からない。けど、自分的には一度、この宗教的洗脳を受ける必要があるのではと思う。詳細の記述は避けるが、明らかに洗脳の手法を取る新興宗教的な会合に参加し今後もやっていこうと思う会合に行っている間、明らかに洗脳の手法が連発し、また、物質的価値観での購入の強要(返答性の法則を利用した)があってうんざりしてしまったが、宗教も利益を得なくてはいけない関係で、そういった側面も一般的信者の観点から考えれば仕方ないのだろう。しかし、私の推測ではあるが、大衆的存在になる前の教祖の存在、そして教祖がある種神秘的体験を信者に与え、宗教的洗脳を実施できるノウハウを持っているのは確実である。つまり、おそらく私は宗教的洗脳を受けるであろうことは予測できる。この記事を後から宗教的洗脳を受けた自分が読んだ時には自分は宗教的洗脳を受けていないと思うかもしれないが、まあ、そう思っている時点で宗教的洗脳を受けていると思ってもらってよい(笑)ただ、さらに自分が生きやすくなるためには、宗教的洗脳もやむなしだとは思うのだが、ここで一つ約束をしてほしい。それは、宗教的洗脳を受ける前に自分が頑張ってためたお金を使わないでほしいということだ。具体的に言えば、前職で貯めた1k万のことである。これは、宗教的洗脳ではなく、自分が周りに感謝をし、自分の力で生きていくために貯めたお金だなので、宗教的洗脳を受けた自分にそのお金を使う資格はない。それさえ守ってもらえれば、今の自分からこの後の自分に対する文句はない。まあ、5年くらいたって我に返って、社会的洗脳と宗教的洗脳から解脱し、覚醒した存在になってくれればと切に願う。
2024.09.14
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【中古】 幸せになる100か条 / 江原啓之 / 徳間書店 [新書]【メール便送料無料】【あす楽対応】タイトルの通り、自分にはある瞬間 焦って→もう無理 となってしまうことがある焦ったタイミングで誰かに助けてほしい!となって自分を保てなくなってしまう。その理由が分かった。それは焦ったり、パニックになったりするときは1個だけでなく、いろいろなことにせかされているのだつまり 問題の数 である。ちょうどサウナに入っているときにこの焦りがでたそのとき、いやな気持になったが土曜日のこの余裕のある時間に起きたのはチャンスだ!と思い考察することを決意した。まず、その時は朝から風俗に行くかどうかで悩んでいたネットの評判で見てよさそうだと昨晩調べていて考えたからだ一方で、サウナにも行きたかった。土曜の朝はサウナに行くのが習慣化していたからだ。これが一つ目の問題、心と コスパの競合本来心で決めればよいものを、どうしても外の価値観で選ぼうとしてしまうコスパで選ぶことで、それが正しいか確信を持てず、ずっと悩むことになってしまう「本当はどうしたいのか?」と聞くのがポイントで、このときはサウナを選んだそしてサウナの中で、もう一度この問題が出た。しかし、サウナではもう1つの問題が出たそれは、せっかくサウナに来たのに、風俗行くかどうかで悩むことでサウナに集中できなくてもったいない という問題である。ここで、本当は2つの問題があるのに、あたかも1つの問題のように感じてしまっていたつまり、サウナに来たからにはちゃんと集中して楽しまないといけない という義務みたいなものと、風俗に行くべきかどうか という自分の本心が分からないという問題である。こうやって問題が複合化したときに、焦りという感情が出てきて、自分の中で耐えるのが辛くなり、誰かに頼りたくなってしまう。さらに、サウナの暑さというストレス(問題3)が加わって、もうパニックである。しかし、ここは、サウナ、問題3はサウナから出て水風呂入ればすっきりする。さらに、外気浴すれば強制的に問題2のサウナに集中するということができるそうすると問題1にだけ集中して、家に帰ってゆっくりして決めるか ということに落ち着くこの経験を経て、問題の解決法が分かった。まあ、オチとして、フリーで若い年齢層の学園系風俗に行くぞ!と心の声に従った結果、事務的対応をされて ぐわーーー となったのであるが、自分の心の声に従った結果であればすべてが経験ととらえることができるので、(マッチングアプリやっても、こういう人と、マッチングはしないほうがいいな、とかせめて風俗くらい、相手に気を遣わずに自分をさらけだしていきたいな、とかもっとバリアを張らずにつぎはやってみよう、とか)それは後悔しないのである! ということで最後本の内容に少し触れて終わりにしたい孤高に生きる孤独であるというのは怠け者孤独は自分が他者とのコミュニケーションを上手にとれば癒せる孤高とは依存心を持たず良質な時間のみを使って人と関わること心に従い、孤高に生きよう
2024.09.08
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【中古】生きるためにつながる /日経BPM(日本経済新聞出版本部)/石鍋仁美(単行本(ソフトカバー))を読もうとしたけど、さらっと読むくらいで読めなかった。と、いうのも、こうやって「つながろう」と考えるのって自分からしたら何回目だよって感じなんです。例えば、大学時代に引きこもってサークルも入ってなくて鬱々としていたときそして、大学院時代出会いがなくて恋人を探そうとしていたときそして、仕事に余裕が出来て、けど実家でやることがなかったとき妻が外泊が多くなり、休日にやることがなくなってしまったときそして今、妻に裏切られ、精神的支えを失ってしまってつながりを求めているとき過去何回も何回も、コミュニティに参加しようとしましたが、結局めんどくさいし、ひとりでいたいという思い込みがあってどうしても初回がめんどくさかったりだとか、途中からめんどくさくて行かなくなるだとかそういったことで毎回断念している。今回も妻に裏切られて支えを失って、一人で悶々としていることを親やコーチに相談すると、やっぱりなんかサークル参加してみるだの集まりに参加するだの、地域のイベントに参加してみるとかそういったアドバイスを言われている。んで、今日もなんだけど、大雨なわけだよね。それで、土日病院行ったり、イベント行ったり、サウナ行ったりしていてもそれでもなんかエネルギーを持て余した感じにしてしまった感があるのはなぜなんだろう?体力の問題なのか?つながりの問題なのか?意味ある事の問題なのか?ひとりだったらだめなんか?????逆に一人でないと休めないと思っているからなのか??????全然わからん。ただ、満たされていないという思いがあるのは確か。その場合は「羨ましい」と思う感覚が大事と聞いた。どういう時に羨ましいって感じるか友達と話す高校生? No地域でイベントやってるみなさん? NoITでコワーキングスペースでみんなで勉強してる人たち? Noひとりでも自由に過ごしている人? うーん、どうかな家族や恋人と楽しく買い物に来ている人? Yesそうなんだよね。自分が目指しているのは別に趣味の仲間や、サークル仲間とか地域のつながりとか、会社の仲間とかそんなのを本質的に求めているわけじゃない。愛し合える人がいて、土曜日と日曜日一緒に買い物に行ったり出かけたり家で過ごしたりするそれだけでよかったんだよ。そういう幸せの価値観をもっているんだ。だから、それを目指すと決めた瞬間にやる気がでるんじゃないかと、そう思った
2024.09.01
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