PR
Freepage List
Comments
今日のウォーキングは第 1590 日目で、 8891 歩だった。
今日予定されていた小学校 4 年の放課後学習会はインフルエンザによる学級閉鎖で、中止となった。連れ合いは、ボランティアさん達とのランチ会に出掛けた。
夕方から大学の同期生の飲み会があるので、梅田まで出掛けた。グランフロントのたちばなが会場だ。新型コロナウイルスへの過度な対応は見られなかった。
***
西アフリカで治安が悪化して、 2019 年にアフリカ中西部で、テロが 700 回も起こったという。ニジェール、ブルキナファソ、マリの 3 カ国でテロによる死者は約 4000 人と、 3 年前の 2016 年に比べて 5 倍に増えたという。欧米もこの辺りの情勢にはあまり関与したがらない。従って、治安は荒れ放題で、難民も増加している。
今年に入ってからも、 1 月上旬にはマリとの国境近くのニジェール西部で、軍の拠点が襲われ 89 名が死亡し、マリ軍も警戒する中部で国軍の基地が襲われ、兵士等 20 名が死亡した。現在この地域は国際テロ組織の集結する地域となっている。
最近の日本では中国武漢発の新型コロナウイルスによる肺炎のニュースで持ちきりになっており、こうしたテロ事件が紙面から飛び散った(忘れ去られた)かのようだ。この非常事態に、中国や日本では感染者が広がらないようにと躍起になっている最中、テドロス WHO 事務局長はやっと緊急事態の宣言を行ったようだ。テドロスがエチオピア人であることから、極東の出来事には差ほど力を注ぎたくないというのが根底にあるだろうか。
エチオピア人にとって日本は遠い国であるように、西アフリカと言えば日本から更に遠い存在だということだ。
そんな、西アフリカの南、カメルーンで、西部のシュム=ラカ( Shum Laka )岩陰遺跡から約 3000 年前と約 8000 年前に埋葬された 4 体の人骨が出土し、その DNA 解析がこのほど初めて行われたという。
遺跡周辺は、高温多湿で且つ酸性土壌であるため、埋葬された遺体の大半は壊れ、 DNA はとっくの昔に分解していると思われていた。
然し、報告では、信じられないほど高品質な DNA の解析結果が得られたという。
解析した 4 体は子どもだ。約 8000 年前に埋葬された 15 歳の少年と、約 3000 年前の 8 歳の少年のゲノムを解読したほか、それぞれと同じ年代に埋葬された 4 歳児 2 人の遺伝子の 1 塩基多型( SNP 、遺伝子配列が異なる部分)も解析した。
解析結果から分かったことは、いずれの時代のものも、現代のカメルーン西部の集団とも、かつてサハラ以南の全域にバンツー語を広めた人々とも関連がなかった。解析された遺伝子はむしろ、中央アフリカの狩猟採集民のものに近かったというのだ。
すなわち、現代アフリカ人の約 3 分の 1 が話すバンツー語は、シュム=ラカ遺跡がある地域から農耕文化の伝播とともに広がっていったという、民族移動によるものでは無いと分かったのだ。そうなってくると、カメルーン発の民族拡大は大きく揺らぐことになる。
しかし、元々狩猟民族はカメルーンを含めてもっと広範囲に住んでいたということも考えられる。今回解析されたのは、たった 4 体の結果だけなので、この解析結果からバンツー語がこの地域で生じた可能性を除外するものではない。
同じ時期に複数の異なる集団がこの地域に住んでいたのかもしれないのだ。こうした発見がある度にそれまでの定説が瓦解するようなこともありうるのだ。シュム=ラカ遺跡は長い歳月の間にさまざまな祖先をもつ多くの人々に利用されていて、なかにはバンツー語を話す人たちの祖先もいた可能性があるということだ。
4 5000 年の隔たりがあるが、遺伝学的には非常によく似ていて、同じ時代の者同士は血縁関係にあったとみられる。 3000 年前の 2 人は、おじと姪か、異母(異父)兄弟というような血縁関係があり、 8000 年前の 2 人には、叔父といとこの子と言った血縁関係だ。
それらの DNA と現在カメルーン西部に住む 63 人の現代人の DNA を比較した結果、 4 体の DNA とは全く違った結果が得られたのだ。いずれにせよ、シュム=ラカ遺跡は家族を埋葬した墓地のようなものであったと想像される。
こうした DNA の違いは、どう言った場合にも良く起こり得ることのようだ。結論としては、人類の移動に関する可能性が又 1 つ増えたと云う事だ。
アフリカのこの地域の人間集団は数十万年の間に様々な交雑を繰り返してきていると思われ、そのことを解き明かす証拠としては、あまりにサンプル数が少ないと云う事だ。
狩猟生活は約 4000 年前から発達してきたとされているが、この 8000 年前のものも、 3000 年前のものは共に農耕生活をしていた痕跡が考えられている。
バンツー語は、こうして農耕生活をベースに使用範囲がサハラ以南へと拡散していったのであろうと考えられている。
また、研究チームは、サハラ以南のアフリカ各地に住む数十人の現代人、エチオピアで見つかった 4500 年前のヒト 1 人、南アフリカで見つかった約 2000 年前のヒト 3 人、シュム=ラカ遺跡の 4 人、フランスで見つかった 2 人、チンパンジー 1 頭、ネアンデルタール人 1 人の遺伝情報を含むモデルを作成した。
こうした解析の結果から、同じ時期にそれぞれ 3 つの集団がいたと推定された。こうした人間の集団は、思ったよりも早い段階で、分岐したことを示していて、アフリカ起源の人の集団は、 1 本の道を歩んできたのではなくより複雑な進化の道を辿ったと云う事だ。
このように、アフリカの人類史は複雑で、人類が生活した期間で言えば長期間に亘るため、遺伝子が進化するためには十分な時間があったと言うことだ。そんな例として、アフリカの人々の肌の色は、驚くほど多彩だ。ほかの大陸で見られる多様性をすべて合わせても、その豊かさにはかなわない。
このように多様な人類の発展を解明しようとするなら、もっと多くのサンプルを解析してみないとわからない。当時の集団の規模はどうだったのか、集団同士がどのような関係にあったのか、といった集団どうし関係のしかたなどを整理したり、現代アフリカ人と古代のアフリカ人との比較を試みたりと、その僅かな分岐点を丁寧に解析していかなければならない。
少なくとも、人間の祖先は広範な混血を繰り返しながら、アフリカ内での重要な 3 回の放散を行ったと言われている。
最近の報告例からも、アフリカのザンベジ川以南のマカディカディ塩湖と呼ばれる世界最大級の塩原が現生人類(ホモ・サピエンス)誕生の地であるとする研究が発表されたばかりだ。これも DNA の分析結果によっている。
こうした発表と今回の DNA の情報を共有しながら問題の本質に迫らなければ、まちまちなデータ数がいたずらに増加されていくだけで、本質から遠のいていくことになるかも知れない。
現在、ニジェールやマリでテロ行為を繰り返しているテロリスト達の DAN と古代人の DNA がどういった所で似かよっているのか、又どの点が異なっているのかを調べる事も興味のある事だ。
少なくとも、マカディカディ塩湖で得られた DNA
と今回のシュム=ラカ遺跡からの DNA
の関係が、どのような関連性があるかについては調べる必要があると思うのだが。