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朝、起きるとすぐに着替えをして、いつものようにテラと一緒に散歩に出かけます。玄関を開けるとテラがしっぽを大きく振りながら「早く、早く!」と擦り寄ってきます。出かけるまではちょっと面倒だけど、外に出て冬の澄んだ空気を吸い込むと、やっぱり気持ちいい。特に今朝は、冷え込みが強かったので、澄み切った真っ青な空が広がっていました。満開に咲いている椿の花を摘んでいると、空が朝焼けで輝いてきました。今日も朝日がきれいだなあ~。こんなきれいな日の出を自分一人で見るのはもったいないな。みんなにも見せてあげたいな~。そんなことを考えながら散歩していました。そのとき、そうだこんな自分の感動をみんなに伝えられれば、自分も嬉しいし、みんなも嬉しいんじゃないかって思いました。いくら自然の豊かなところに住んで、きれいな景色を見ていても、自分ひとりだけじゃちょっと寂しい。感動を分かち合える人がいるから、感動も嬉しさも大きくなるんだ。それができるのが、ブログの良さなんじゃないか。そんなことを考えていたら、のんびり散歩なんかしていられなくなりました。家に飛んで帰って、デジカメをもって、屋上のデッキに行き、大島から昇る日の出の写真を何枚か撮りました。ちょっと朝日が雲に隠れてしまったけど、もっときれいな写真が取れたら、またアップするので楽しみにしてください。↓そんなことで今日の日の出の写真です。
2005.01.31
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いつもやすらぎ通信お読みいただきましてありがとうございます。やすらぎ通信はこれまで、やすらぎの里から配信していましたが、登録件数が増えるにつれて配信のエラーが時々出るようになってきました。そこで、次回の配信よりメルマガの配信サービス「まぐまぐ」を使って配信させていただく予定です。その際に、やすらぎの里にご登録いただいていたアドレスをみなさまに代わって、こちらの方で「まぐまぐ」に代理登録させていただきたいと考えております。ご存知の方も多いと思いますが、「まぐまぐ」は日本最大のメルマガ発行サイトです。メールアドレスなど個人のプライバシーに関するセキュリティーは充分信頼できるものと考えております。また、配信の登録、解除はこれまでよりも簡単、確実になりますのでご安心ください。しかし、それでも困るという方もいらっしゃるかもしれません。その場合は通信が届いているアドレスから、その旨、返信していただければ、こちらで登録を削除させていただきます。その場合は「まぐまぐ」からの配信はされません。お手数をおかけいたしますが、どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。そのままご登録いただいていた方には「まぐまぐ」より下記のような代理登録のメールが届くと思います。--------------------------------------------------------------まぐまぐです。メールマガジンの登録確認メールです。登録メールアドレスは ○○○@△△△△です。※これは、下記のメールマガジン発行者によっておこなわれた「代理登録」です。発行者へ登録依頼をした覚えがないなど、登録に不審な点がある場合は、直接発行者の問い合わせメールアドレスizu@y-sato.com まで連絡してください。次のメールマガジンに、発行者によって代理登録されました。●メールマガジン名: やすらぎ通信●マガジンID: 0000148704●データタイプ: ノーマルテキスト●発行周期: 隔週刊●発行者連絡先: izu@y-sato.com●関連Webサイト: http://www.y-sato.com/--------------------------------------------------------------また、今回「まぐまぐ」から配信させていただくのを期に、内容を一新する予定でいます。いままでの「やすらぎ通信」はやすらぎをテーマにした内容と、やすらぎの里の料理のレシピ、やすらぎの里からのご案内などをおもな内容にします。さらに、もうひとつメルマガを発行する予定です。タイトルは「体内リセット」◇◆◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇ 『 体内リセット 』 ~だれでもできる簡単な方法で、からだをリセット!~ ストレスや疲れで、へとへとになったこころと身体をリセットできる 簡単・お手軽、それでいて効果のある方法を紹介します。◇◆◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◇◆◇ こころとからだをリセットするための、すぐに試せる簡単な方法、ダイエットや健康に関するお役立ち情報を紹介していく予定です。「一度にふたつもメルマガ出すの?先生、大丈夫」と心配される方もいらっしゃるかもしれません。これまでのやすらぎ通信の内容をテーマごとに2つに分けて出そうと思っていますので、安心ください。どちらも隔週で出す予定でいますので、毎週どちらかのメルマガがみなさんに届くということになると思います。(すこしさぼって締め切りに遅れる日もあると思いますが・・・。)やすらぎ通信にそのままご登録いただいていた方には「体内リセット」の代理登録の分も上記のメールが届くと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。寒さが厳しい日が続いています。どうぞみなさんお身体に気をつけてお過ごしください。 やすらぎの里 大沢
2005.01.30
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一週間コースに参加したことがある方だったらわかると思うんですが、最後の金曜日の夕食は、自然食のコース料理です。この料理を美味しく食べたいために断食をするんですという方もいるくらいです。しかし、実は次の日の土曜日の食事はもっと美味しいんです。金曜日の夜はちょっと洋風な感じのお料理ですが、土曜日は和風のコース料理となっております。地元の旬の食材を使った、滋味あふれる食事にはファンが多く、この食事を食べに週末に来るんです。というリピーターも多くいます。一週間コースの方は土曜日の朝でチェックアウトになるので、残念ながらこのお料理は食べられないのです。ただ、土曜日は一週間コースの方がいないので、1泊だけなら結構予約に空きがある日が多いんです。1泊だけでも気持ちのいいマッサージを受けて、のんびり温泉に入って、ヨーガをやって、美味しい夕食を堪能して、ゆっくり休む。次の日は朝日を眺めながら露天風呂に入って、朝の体操をやって、いい空気を吸いながらお散歩して、お腹が空いた頃に朝食をしっかり食べれば、1泊だけでも結構いいリフレッシュになりますよ。ちなみに今日の献立は次の通りです。1、青柳と菜の花、独活のからし酢味噌和え2、伊東産金目鯛とごぼうの煮物3、車麩のフライ4、のっぺい汁5、菜飯6、ゴマのブラマンジェ
2005.01.29
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やすらぎの里に来たことがある人ならみんな知ってる、やすらぎの里の愛犬「テラ」。絶大なファンもいる、やすらぎの里の隠れた人気者なんです。「いつもテラスにいるからテラ」とか「断食をやっているところだから寺?」と思っている人がいますが、「テラ」とはラテン語で大地とか地球という壮大な意味があるんです。いつもテラスでのんびりとお昼寝をしている姿が、みんなのこころを和ませてくれます。「テラ」はメスのゴールデンレトリバーで、今年で8歳になります。そろそろ顔に白いものが混じり、年を感じさせるようになってきました。小さい頃からたくさんのゲストの方に囲まれているせいか、どうも自分は人間だと思っているようです。テラスでみんなが楽しそうに話していると、「なに楽しそうに話しているの、私も仲間に入れてよ」って感じで、斜めの視線を送ってきます。私が仕事でバタバタしていると「ずいぶん忙しそうね。ご苦労様」って顔をして寝そべっています。なんにも持たず、なんの心配もせず、いつも穏やかな顔でテラスに寝そべっているテラは私の師匠でもあるのです。私もいつかはテラのように無為自然の境地になれるよう、日々精進の毎日です。↓↓お気に入りのベンチの上でお座りをする「テラ」
2005.01.28
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いつも疲れていて、寝ても疲れが取れない。肩や腰が凝ってつらい。食べ過ぎて胃腸の調子が悪い。ストレスがたまって、いつもイライラしている・・・。以前はもっと元気だったのに、いつからこんな状態になってしまったんだろう。そう感じるときってありませんか?なんかすっきりできる方法ってないかしら。あるといいですね。私もそう感じるときもあります。一応、社長業もやっていますので、それなりにストレスも感じるときもありますし、疲れもたまります。パソコンでエラーが多くなると取りあえず、再起動しますよね。それでだいたいの問題は解決していますよね。人間も簡単に再起動できればいいと思いません?できるんです。それが「体内リセット」という方法です。こんど、「体内リセット」というタイトルでメルマガを出す予定です。詳しい内容が決まったら、お知らせしますので楽しみにしていてください。
2005.01.26
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治療とリラクゼーションを担当していた久次米先生が、今日で退職です。タイ古式マッサージなどの技術もあり、治療のレベルが高かくてゲストの方の評判もいい先生でした。野見山先生が辞めた後、私の右腕としてやってくれていたのでとても惜しい人材でした。もともと彼は神戸で治療院をやろうとしていたのですが、いろんな事情があってあきらめていた経緯がありました。また、神戸にはお母さんが一人暮らしをしていて、長男の彼はいずれ関西に戻らなければいけない身でした。昨年末にやすらぎの里によく来てくださる経営者の方から、「治療院を始めたいんだけど、だれかいい先生を知りませんか?」と声をかけられました。私はすぐに久次米先生が浮かんだのですが、自分の右腕になっている人材なので、他にいい人がいればと探していました。しかし、なにか自分の中でひっかかって、すっきりしない気持ちがありました。自分の右腕とはいっても、その人間の将来につながることなら応援してあげるのが、上司としての責任ではないのか?自分もたくさんの方の力で独立することができたんだから、今度は自分が後輩の応援をしてあげる番なんだ。そう考えて、久次米先生に「こんないい話があるから、がんばってみたらどうだ」と話しました。面白いことに、その後すぐにやすらぎの里で働きたいという鍼灸師の先生(現在の小池先生)から応募がありました。こういうのをシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)というそうです。たぶん、久次米先生にも小池先生にも、そして私にも必要なタイミングだったのでしょう。久次米先生は3月頃に大阪で鍼灸・マッサージの治療院を開業する予定です。詳細がはっきり決まったら、HPでも紹介する予定ですので、大阪のみなさんは楽しみにしていてください。
2005.01.24
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ やすらぎ通信 Vol.40 平成17年1月23日発行 mailto:izu@y-sato.com http://www.y-sato.com━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■ 今回の目次 ■■断食にはどんな効果があるの? ●断食のダイエット効用 ●断食をするときの注意点 ■情報スクランブル ●書籍紹介「ガラクタ捨てれば自分が見える・風水整理術入門」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■断食にはどんな効果があるの?テレビや雑誌で「断食」がたびたび取り上げられていますね。「ファースティング」や「プチ断食」なんていう言葉も使われるようになって、一般の方にも抵抗がなくなってきたんでしょうね。「断食」辛そうだけど、効きそう。だけど本当に「断食」って効果があるのかしら?今回も前回に引き続き、そんな疑問にお答えしていきます。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●断食のダイエット効果断食というと減量のためにおこなうものだと思っている方も多いようです。確かに食べないわけですから、当然体重は減りますが、体重を減らすためだけなら低カロリーの食事をして運動をしても同じことです。断食の本当のダイエット効果は減量というよりも、心身の浄化と味覚のリセットにあるといってもいいでしょう。断食をすると味覚や嗅覚が敏感になり、刺激的な味に慣らされていた味覚が自然な素材の美味しさを感じられる味覚にリセットされてきます。動物は本来自分の身体にいいものを美味しいと感じる味覚を持っています。草食の動物が草を食べるのはダイエットのためでなく、ビタミンを補給するためでもありません。それが美味しく感じるから食べているだけです。人間のように「これがいいからと」頭で考えた知識で無理に食べたりすることはありません。人間にも他の動物のように身体にいいものを美味しいと感じる味覚が本来ありました。しかし、何でもやわらかく調理され、刺激的な味付けに慣れてしまい、本来の味覚が狂ってしまっているのです。断食をすると動物本来の味覚が戻ってくるので、人間にとって理想的な食事(=素材の味を生かした伝統食)を美味しいと感じられるようになるのです。この味覚が狂ったままだと、身体にいい食事=美味しくない食事ということになりいずれ我慢の限界になり、また以前の食習慣に戻ってしまうのです。どんなに身体にいいと言われてもまずいものでは続きません。身体にいいものを美味しいと感じる味覚さえ取り戻すことができれば、好きで食べているものが身体にいいものになるので、自然に適正な体重になってきます。───────────────────────────────●断食をするときの注意点断食を効果的におこなうためには大原則があります。それは断食した日数と同じ日数だけ段階的に増えていく食事(回復食)を取るということです。断食をするとお腹の中が空っぽになるので、食べ始めるときに消化の良い流動食のものから徐々に増やしていかないと胃腸に大変な負担がかかってしまいます。急に消化の悪いものや固形物を入れると胃が痛くなったり、気持ちが悪くなって吐いてしまうことがあります。空腹の時は身体が栄養を欲しがっているので吸収も良くなっています。そこに急に高カロリーのものをたくさん食べると普段以上に吸収されて、体重はあっという間に戻ってしまいます。そのような負担を減らし、効果を充分に引き出すために考えられているのが回復食なのです。この回復食をしっかりおこなうことこそが断食を効果におこなう上で最も大切な注意点なのです。やすらぎの里を訪れる方の中には、自己流の断食や極端な減食や菜食をして体調を崩してしまった方も見られます。断食は確かに劇的な効果が見られる治療法ではありますが、それだけに場合によっては危険もともなう方法でもあるのです。今まで何度もリバウンドを繰り返している人やストレスがたまっている人は、自宅での断食は向きません。そのような方は一度専門の施設にいって正しいやり方を体験してから、自宅でおこなうようにするといいでしょう。■情報スクランブル●おすすめの書籍「ガラクタ捨てれば自分が見える・風水整理術入門」 カレン・キングストン著 小学館文庫「風水」怪しそうだけど、なんだか気になりますよね。中国四千年の歴史が生んだその場所のエネルギーを読み取る学問です。その風水も整理された空間がなければ効果が上がらないそうです。そこで「スペースクリアリング」により身辺を整理して、ガラクタを捨て、滞った気を除くと自然の流れにそって心も整ってきます。さらには、ガラクタを溜め込んでいると、気が滞るだけではなく、肉体に余分な脂肪までも蓄えるというのです。確かにダイエットが必要なのは身体だけではなく、生活全般、生き方そのものなのかもしれません。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■メルマガ紹介「趣味で起業して、30代で隠居する方法!」起業って、近頃よく聞きますよね。起業というと、なにかすごい大変なこという感じがしますが、インターネットが普及した今は昔に比べるとずいぶん起業しやすい時代になったと思います。「もう今の会社ではやっていられない」そんなストレスを抱えて、もんもんと仕事をしている人も多いのではないでしょうか。一度しかない人生ですから、好きなことが思いっきりできたらいいですよね。このメルマガの面白いのは起業してただ収入を増やそうというのではなく、その人が本当に好きなことをして、時間のゆとりも持ちましょうというのを目的にしているところです。そんなおいしい話ってあるの、という方は一度読んでみてください。登録はこちら → http://search.mag2.com/reader/Magsearchこの方のHPから申し込める無料の14日間集中メールセミナーもおすすめですよ。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■編集後記今年は暖冬のせいか、花の咲き出すのが早く、水仙はもうすっかり散ってしまいました。寒桜も例年より2週間ほど早く咲きだしたので、もう満開になっています。ゲストの人と一緒に行くドライブで、いつも立ち寄る「さくらの里」では菜の花と満開の寒桜がきれいに咲きそろって、一足早い春を感じさせてくれます。椿の花もだいぶ咲き出してきて、伊豆は一足早く春に突入です。もう寒いのはこりごりとう方は、一足早く春を感じに伊豆に遊びに来て見ませんか。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■ お問い合わせ▼やすらぎの里 TEL 00557-55-2660 電話受付時間 (AM9:00~PM9:00)izu@y-sato.com 資料請求 お問い合わせ http://www.y-sato.com 通信の登録・削除 予約状況 予約申し込みhttp://plaza.rakuten.co.jp/ysato/ やすらぎの里新着情報・日記───────────────────────────────
2005.01.23
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いやーまいっちゃいました。パソコンの調子が悪くて、ここ2日位夜なべで修復作業をしていました。しかし、これを仕事にしている人は大変ですね。ストレスがたまってやすらぎの里に来たくなる人の気持ちがよく分かりました。やっぱ、頭も身体もバランスよく使わないとだめですね。本日、土曜日は一週間コースの方が帰る日です。やっぱり帰る日は晴れていると気持ちいいですよね。今週はずーと天気がよかったので、ゲストの方もみんな元気でニコニコ顔で帰っていきました。その顔を見るのが楽しみでこの仕事をやっているようなものです。それにしても今日は気持ちよく晴れ上がりました。屋上の露天風呂からは大島がきれいに見えています。真っ青にすんだ空を眺めていると、深呼吸をしたくなりました。大きく息を吸い込んで、身体中に澄んだ空気を取り込んだら、なんだか気持ちがすっきりしてきました。さあ今日もやるぞー!
2005.01.22
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火曜日の今日はゲストのみんなとドライブの日です。ドライブはこの頃の定番で、桜並木→さくらの里→一碧湖→城ヶ崎のつり橋→お土産物屋というコースです。途中のさくらの里では寒桜が満開になっていました。日中は日差しもあってポカポカ陽気で、桜は満開でなんだか春が来たような気がしました。一碧湖ではいつものようにお楽しみの○○○があり、ゲストのみなさんから歓声が上がりました。運転手でもあるので、毎週行っているわけですが、みんなの喜ぶ顔を見るとなんだかこちらまでわくわくしてくるのです。下の写真はさくらの里で満開になった「寒桜」です。さくらの里は菜の花も咲き出して、一足早い春を感じることができます。
2005.01.18
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「やすらぎへの道のり」を掲載してから、たくさんの方からメールやお葉書をいただくようになりました。「やすらぎへの道のり」の続編はもうしばらくして、自分の気持ちの整理がついたら、つい最近のことなども公開していこうと考えています。こんなにたくさんの人が見てくれているのなら、みなさんに楽しんでもらえるような内容にしていかなければと思います。今日はゲストの出入りがなく、時間があったので写真のアップの仕方を勉強しました。やってみると以外に簡単なものですね。写真のサイズを規定の大きさにするのがちょっと手間でしたけど。これからは、リアルタイムなやすらぎの里の映像もご覧いただけると思います。とりあえず、今日は天気がよくて海の向こうに大島がきれいに見えました。屋上の露天風呂の隣にあるトレーニングルームからはこんな感じで海を望むことができます。ここはスタッフのお気に入りの休憩場所にもなっているのです。
2005.01.17
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やすらぎの里は引越し当初はしばらくゲストの数も少なかったが、しばらくすると雑誌やテレビの取材が増えてきて予約が混み合うようになってきた。ゲストの数が多くなると、症状の重い疾患の方や心理的な問題を抱えている方も多くなってきた。癌や心臓病、腎臓病、膠原病、うつ病、摂食障害・・・。あまり重い病気の方はお受けできないと断っていたが、本人にどうしてもと頼まれると、断りきれない場合もあった。夜は、スタッフがみんな家に帰るため、夜間の管理はすべて私と家内がやっていた。症状が不安定な方がいる週は、安心してゆっくり眠れない日が続く場合もあった。また、精神的に不安定な方の場合は夜中に何度も電話で呼び出されることもある。そんなことがあっても帰るときの元気な顔を見ると、その大変さもすっかり飛んでいってしまう。大変なことも多いけど、こんなにお客さんに喜んでもらえて、感謝される仕事は他にはないと思う。私のような人間でも、少しはみんなの役に立てると思うと、本当に嬉しい。現代のようにめまぐるしく変化する時代を生きている人たちが、走り続けるのを少し休んで、自分自身を見つめ直し、心と身体のバランスを取り戻す、そんな場所になれたらと思っています。30歳でフォルスを始めて、今年40歳になります。10年間走り続けて、なんとかここまでやってきました。これからは少しペースを落として、じっくり歩いてみようと思っています。かみさんも10年間、朝から晩まで本当によくやってくれました。そんな、かみさんにもやすらぎの時間を取らせてあげたいと、しみじみ思います。子供達もこんな無鉄砲な私によくついて来てくれました。そんな、けなげな子供たちにもごほうびをあげたいと思っています。今年の私の目標は、家族でグアムに旅行に行くことです。できたらいいな。やすらぎ・・・。それは自分自身にとっても永遠のテーマのようです。やすらぎへの道のり 「終わり」
2005.01.16
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限られた予算の中で全体の雰囲気を作り出すために、設計にはさまざまな工夫がされていた。30年前そのままの水周りはすべて取り替えられて、新しいものに変えられた。照明はできるだけ間接照明にして、落ち着いた雰囲気になるようにした。治療室は以前、マージャン部屋と卓球室だったところを改装して作った。壁、床、天井、照明、すべて取り替えられて、見違えるようなアジアンチックな癒しの空間が出来上がった。この治療室の大きな窓からは、一年中緑を絶やすことのない、しっとりしたシダの葉が眺められ、よりアジアの雰囲気を高めてくれる。この緑が見える窓際にあるマッサージベットに寝そべると、青い空とみずみずしいシダの緑を見ることができる。窓の外の自然を感じながら治療を受けられ、とてもリラックスできるとゲストの方にも喜んでもらっています。この施設には温泉があり、お風呂は大、中、小の3つのお風呂がついていた。定員を考えれば充分だったが、どうしても屋上の眺めのいいところに露天風呂を作りたかった。日中は目の前に大海原を望み、夜は満点の星空、極めつけは満月が映し出された海の幻想的な眺め。この眺めをなんとしてもゲストの方にも見て、感動してもらいたい。それもただ見るだけではなく、温泉に入りながら見れたらどんなに気持ちいいことだろう。設計士の先生に無理にお願いして、屋上に露天風呂とサウナと水風呂を作ってもらうことにした。屋上での工事だったので、材料から何からクレーンで屋上に上げなければいけないので大変な工事だった。出来上がった露天風呂は、作ってくれた大工さんも、「わしもいくつも露天風呂を作ったが、こんな眺めのいいお風呂は初めて作ったよ」というほど、すばらしい眺望の露天風呂になった。
2005.01.15
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「自然と健康」2005年2月号に「プチ断食ダイエット」として、断食を使ったダイエットの記事が特集されています。断食のメカニズムや週末を使った半日断食のメニューなど10ページにわたって詳しく紹介されています。「自然と健康ホームページ」http://www.oassis.ne.jp/health/home.html
2005.01.14
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何度か伊豆に通っているうちに、いい物件が見つかった。元国鉄の保養所だったところで、今は民間の企業が温泉旅館として使っているところだった。大きな温泉が付いていて、広い大広間もあり、個室に使えそうな小さな間取りの部屋が何室かあった。特に気に入ったのが屋上からの眺めでで、目の前に海に浮かぶ大島や大室山が見渡せる絶景の眺めだった。ここに露天風呂を作ったら、さぞ気持ちいいだろう。ゲストの方もきっと喜んでくれるに違いない。そんなことを考えていると夢が膨らんできた。話が具体的になってきたので、小淵沢のフォルスを売却したいと不動産屋に頼んでみた。思いがけずにすぐに見たいという方が現れた。その人はなんと伊豆で高級旅館をやっている社長さんだった。一目見て気に入ったらしく、話はとんとん拍子で進んでいった。小淵沢の施設を伊豆の方に売って、伊豆に移転するというのも、何かご縁を感じるものがあった。話が進むときには、一気に進むもので、それから伊豆の物件の方も急に具体的になってきた。何度か不動産屋や銀行との交渉を重ね、なんとか契約に持ち込めることになった。両方の物件の契約が決まり、さらに処理しなければいけないことが多くなった。関連の役所への手続き、引越しの準備、改装工事の打ち合わせ、出入り業者の選択などなど・・・。伊豆の施設はもともと国鉄が作った建物なので、基本的な作りはしっかりしていた。しかし、築30年以上経っているので、さすがにつくりの古さは隠せない。改装は旅館の改装を専門に手がける設計士の先生にお願いすることにした。「和風とアジアの雰囲気をミックスさせた、くつろげる空間にしたいんです」とお願いした。設計士の先生もこのような施設は始めての経験だったらしく、いろんなアイディアを出してやってくれた。
2005.01.13
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思い立ったらとりあえず、行動してみる、細かいことは後から考える。さっそく、新しい場所探しが始まった。東京や名古屋、関西など大都市圏からのアクセスが良くて、温暖で温泉があって、自然が残っている。そんな条件をクリヤーできるのは伊豆しかなかった。フォルスを始めたころは銀行の信用もなく融資も少ししか受けられなかったが、今度は5年の実績があったので、銀行の信用も少しはできた。フォルスをやっていた5年の間にバブルの整理がすすみ、伊豆の不動産の相場もさらに下がってきた。特に、企業の健保組合の保養所はどこも閉鎖続きで、古い保養所の売り物件はたくさんあった。思い切るなら今しかないと腹を決めて、小淵沢と伊豆を往復する日々が始まった。片道5時間、通常通り仕事をこなしながら、毎週のように通い詰めた。自分の休みにしている水曜日は朝4時に起きて、車で5時間かけて伊豆に行き、不動産屋に紹介してもらった物件を見たり、周囲の様子を調べた。夕方に伊豆を出て、真夜中に小淵沢に着く。次の日は朝7時30分から朝の体操をして治療をする毎日が続いた。普段も新しい施設のプルグラム作りで、毎日深夜まで案を練っていた。こんな毎日が続き、寝る時間も削っていたが、不思議なことに疲れはほとんど感じなかった。新しい施設の計画を立てていると「こんなのがあったら、きっとゲストの方が喜んでくれるだろうな」とか「こんなこともできたら、もっとみんな嬉しいだろうな」などと考えていると、ひとりで興奮してきて、寝てなんかいられなかった。
2005.01.12
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フォルスを始めて3年目になるとゲストの数も増えてきて施設が手狭になってきた。特に個室を希望する人が増えてきて、増築をするか、建物を壊して新築するか、それとも別の場所に移転するか考えるようになってきた。空気の澄んだ八ヶ岳は大好きな場所だったが、標高が1000mもあるため、寒いのがつらかった。私たちは北国の生まれなので寒さには慣れているが、東京や関西から来るゲストの方には氷点下の寒さは厳しすぎるようだった。11月から4月までは冬で、一番寒い1~2月の最低気温は連日マイナス15度にもなり、日中も氷点下の日が続く。温かいところだったらゲストももっと気持ちよく過ごせるのではないか。毎年冬になると文枝とそんなことばかり話していた。また、フォルスのお風呂は家庭用より少し大きめのお風呂が2つだけだったので、毎晩近くの日帰り温泉に車で送迎をしていた。雪が降る日や路面が凍っている日は運転にもかなり神経を使った。施設内に温泉があれば一日に何度でも入ることができるし、天気が悪い日も温泉さえあれば、温泉三昧の一日もいいではないか。4年目になるとそんな思いがますます膨らんできた。温暖で冬にも気軽に行けて、温泉があって、個室が何室か取れるようなそんな施設に移ろう。ただ、施設を移転させるだけではなく、その施設を核にして、近くにお年寄りや社会とうまく関われなくなっている人達が一緒に暮らしながら、社会復帰できるような施設も作りたい。そして将来的に、そんな施設が一体となってその周辺が現代人のやすらぎの里になっていけたらと思うようになってきた。小淵沢で始めたころは食生活からライフスタイルを改善していこうという考えから「ライフスタイル改善センター・フォルス」という名称にしていた。「フォルス」とはFood(食)とHealth(健康)を合わせて自分で作った言葉だった。しかし、5年間施設を運営してみて、少しずつ自分の気持ちも変化してきた。なかなか普段の生活ではライフスタイルを変えようと思っても、現実には難しい人もいる。そんな人にも、ここにいるときだけでも、やすらぎを感じて欲しい。そして、そんな体験の中で、その人なりの気づきを感じてもらえれば嬉しい。そのような思いを込めて新しい施設は「やすらぎの里」という名前にすることにした。
2005.01.11
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始めたタイミングがよかったのと時代の流れに合っていたのだと思う。開設当初から人数は少なかったが、途切れることなくゲストが来てくれた。おかげで返済などはなんとかしのぐことができた。フォルスを支えてくれるメンバーの方も少しずつ増えていき、施設も徐々に整備されていった。始めは体操やリラクゼーションは食堂でやっていたが、すぐに手狭になりトレーニングルームを増築した。半分以上自分たちで作ったようなもので、杉の板張りの室内は木の香りがしてゲストにも評判が良かった。その次にお風呂を手直ししたり、お布団も羽毛布団に換えたりと少しずつ設備が充実していった。スタッフもゲストで来た人で、お手伝をしたいという人が、研修生として入ってくれるようになってきた。おかげさまで2年ぐらい経った頃には、家族で一緒に出掛けられるだけのゆとりもできるようになった。研修生の人達は色々な問題で行詰り、フォルス知ってゲストとして滞在し、働きたいと申し出た人達だった。その研修生の人達は同じ研修生の仲間や、ゲストの人たちとの出会いの中から、自分の進む新しい道を見つけて巣立っていった。自分がいろんなことをやってきて、それが今の仕事の原動力になっていると思っているので、研修生の人たちにもたくさんのことを経験してもらいたかった。八ケ岳の暮らしで自分を見つめ直し、より自分らしい生き方を見つけてくれたら、同じ仲間としてこんなうれしいことはないと思っている。2年目になると雑誌の取材も来るようになり、それを見た人たちがいろいろな目的でフォルスを利用するようになった。ここを始めるまでは年配の方が中心になると思っていたが、意外に若い人が多く、若い人ほど大きな悩みを抱えている傾向があった。そのようなゲストから心理的な問題が身体に与える影響の大きさを教えられた。特にアダルトチルドレンといわれる心に傷を負っている人たちには、自分の家族のことも含めて小さいころの親子関係の重要性を痛感させられた。トラウマといわれる心の傷は何をやっても満たされない不全感や自己否定の感情を生み出す。その感情を無意識のうちに避けるために何かに依存して生きていくようになる。その対象がアルコールや、過食、過度な仕事、不倫などに向けられ、その結果さらに自己否定感が強くなる。今の世の中をよく見てみると、これはなにも特別な人たちだけの問題ではなく、今という時代を生きているすべての人は、多かれ少なかれそのような傾向をもっているのではないか。その傾向がある線を越えているかどうかで、問題になるかならないかが決まるだけなのだと思う。そんな時代を生きている人たちが、走り続けるのを少し休んで、自分自身を見つめ直し、心と身体のバランスを取り戻す、やすらぎの場所がますます必要とされていると感じるようになってきた。
2005.01.10
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それから毎週のように伊豆と小淵沢の往復が始まった。不動産屋との打ち合わせ、金融機関との折衝、役所関係の届け出、許可、新しい施設に必要な買い物、改装工事の打ち合わせ等々・・・。しなければいけないことは山ほどあった。それも仕事をしながらだったので、普段通りに仕事をこなしながら準備を進めていた。休みの前の日に伊豆を出て深夜に小淵沢に着いて、車で仮眠して日中用事を済ませ、夜に戻るというハードなスケジュールだったが、自分のやりたいことができるという充実感があったので大変だとはあまり感じなかった。むしろ忙しくなればなるほど力がみなぎってくるような感じさえしてくるのだった。資金のゆとりがなかったので引っ越しはトラックを借りて全部自分でおこなった。引っ越してからオープンまで2週間、その間に掃除、草刈り、備品のチェックなどやらなければいけないことが山ほどあった。日中は買い物で時間がつぶれ、掃除や片づけは深夜までやっていた。そんな無理がたたって情けないことにぎっくり腰をおこしてしまった。あまりの痛さに立ち上がることもできず、トイレにもはっていくようなしまつで、貴重な準備期間の何日かを寝たきりで過ごすことになってしまった。オープンしても治療師がぎっくり腰で治療はできませんというのではあまりにも情けない。気持ちばかりは焦るもののだれも治療してくれるわけではないので、操体法をひたすらやって自分で治療し、なんとかオープンまでには完治し、元気に新しいゲストを迎えることができた。オープンは平成8年8月1日だった。始めの頃はまだプログラムも完成されたものではなかったが、その分とにかく一生懸命にゲストと向き合っていた。それがゲストの方にも伝わっていたらしく、始めの頃に来て下さったゲストの方は、今でもリピーターになってよく来て下さる方がたくさんいる。治療には技術的な部分だけではなく、相手を思う気持ちも治療効果にずいぶんと影響しているのだと思う。整体や鍼灸などという技術を通して治療師の「気」が伝わり、それが相手の治癒力を高めていくのだ。そういった意味ではオープン当初は過剰なほどの「気」を発していたのだと思う。今考えてもあの頃はよくやったと思う。朝起きてお茶の用意をしてお風呂とトイレの掃除をしてそれから朝の体操、治療をしていた。家内はまだ生まれたばかりの玄を背中に負ぶって、掃除から調理までほとんど一人でこなしていた。一日中フル回転で働いて布団に入ると、すぐに死んだように眠る毎日だった。だけど自分でやっている、そしてみんなが喜んでくれているという充実感からかあまり疲れたとか大変だとは思わなかった。
2005.01.09
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自己資金はあまりなかったので、両親を説得してなんとか協力してもらおうと頼み込んだ。おまえがやりたいことをやればいいといっていた親もさすがに、いざ実家以外のところに本拠地を構えるということになると、あまりいい返事はしなかった。それは、もう私は実家に帰るつもりはありません、と宣言しているようなものだったからだ。それでもなんとか強引に両親を納得させ、理解を得ることができた。両親から借金するだけでなく、両親にも借金をさせ、当然、自分も借金をして物件を探しはじめた。その頃私は30歳、上の子がまだ3歳、下の子が生まれたばかりだった。なにもよりによってこんなときに大借金をして勝負をかけなくても、と親が心配するのも無理はない。もちろん私にも不安はないわけではなかった。しかし自分の夢がかなうという期待の方がもっと大きかった。伊豆に住んでいたのではじめは伊豆で探していた。伊豆は地価も高くなかなか自分の手の届く範囲では思うような物件が見つからなかった。ようやくなんとか手の届きそうなところがあったと思い、その気になっていたら違う人に決まってしまい、結局伊豆はあきらめることにした。今度は首都圏からの交通の便を考え、東京にいたころバイクでよく行った八ケ岳の周辺で探すことにした。開発が進み建て込んでいる伊豆に比べると八ケ岳は広々してまだ田舎っぽさが残っていた。電車で来る人にも便利がいいように特急の止まる駅がいいと思っていたら、小淵沢にちょうどいい物件が見つかった。周りの建物から離れていて駅や高速のインターからもさほど遠くない。ペンションをやっていた人がやめて空き家になって2年くらいになっていた。2年も人が住んでいなかったので庭は草がぼうぼうになり、木製のテラスは腐ってぼろぼろになっていた。しかし基本的なところはしっかりしているし、中は意外にきれいな状態で保存されていた。ぱっと見はおんぼろのようになっていたが、手直しすれば見違えるようにきれいになると思った。
2005.01.08
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鍼灸学校を卒業し無事に国家試験にも合格したところで、東京の治療院で働くことにした。世田谷の三軒茶屋にある治療院で患者さんの数も多く忙しいところだった。しばらくして代々木上原に分院を出す話があり、新規の治療院を立ち上げることに興味があったので自らすすんでオープニングスタッフに加わった。新しい治療院は始めこそ暇だったものの、しばらくすると口コミで患者さんが増え始め順調に軌道に乗り始めた。この治療院から歩いて10分ほどのところに以前提携診療所になっていた幡ヶ谷診療所があった。この診療所は川勝先生という先生が院長をしていたが、私が食事療法の施設に興味があることを知ると伊豆の保養所でスタッフを募集しているらしいと教えてくれた。すぐに電話をして詳しい話を聞いてみると、調理の経験があって、ペンションでも働いたことがあり、治療師の資格があるなら文句なしなので、できるだけ早く来てほしいという返事だった。そのころには新しい治療院も軌道に乗っていたので、院長に事情を話してやめさせてもらうことになった。オープニングスタッフだったのでいろんな思い入れもあり後ろ髪を引かれるような気持ちもあったが、自分の中にある滞在型の総合的な施設で働いてみたいという気持ちは押さえようがなくなっていた。東京を離れ、伊豆での新しい暮らしが始まった。北国で育った私たちには伊豆のうっそうとした緑は新鮮だった。東京の治療院にいるときはどこかで仕事として割り切って働いていたが、伊豆での仕事は自分の関心のあることだったので、毎日張り切ってやっていた。ただ、思い入れがあるぶんだけしばらくすると理想と現実のギャップを感じるようになってきた。ゲストにもっと喜んでもらうための仕事よりも事務仕事の方に追われているような感じだった。そんな中で仕事をしているうちに自分で独立してやってみたい。自分の力を出し切ってのびのびと思うようにやってみたいといつも思うようになってきた。そんなときに日経新聞の取材が来て新聞に記事が載ることになった。この反響がものすごいものだった。その時にみんなこんな施設を求めている、ただその受け皿になるような普通の人が違和感なくいける施設がないだけなんだと確信した。そう思うともう自分でやりたいと思う気持ちは抑えきれなくなっていた。
2005.01.07
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鍼灸の専門学校は3年間で入学金や授業料もばかにならない金額で、蓄えがほとんど底をついてしまった。文枝が働いてくれていたおかげでなんとか生活できている状態だったが、不思議と将来に対する不安は二人ともまったく感じていなかった。どんなことをしても食っていくくらいならなんとかなるという妙な自信が海外の生活で養われていたようだ。朝は新聞配達をして、昼学校に行き、夕方からは治療院の手伝いと漢方の勉強会、あの頃は本当によく勉強したと思う。学ぶというのがこんなに面白いことだと25歳になってはじめてわかった。学校に入って半年ほどで学校の勉強だけでは限界を感じて、個人的に漢方の勉強も始めた。鍼灸院と漢方薬局をやっている先生のところで漢方と鍼灸を学び、治療院の手伝いもさせていただいた。ここの先生が素晴らしい先生で、漢方や鍼灸などの東洋医学だけではなく、易や四柱椎命、風水、気功、精神世界など幅広い分野で独自の世界観を持っている先生だった。学校ではなく私塾のような形で個人的に教えているだけだったが、医師や衆議院議員、薬剤師、鍼灸師、普通の主婦など多彩なメンバーでおこなわれ、先生は現在の松下村塾だといっていた。先生は時々東洋医学から話が脱線して精神世界の話になるのだが、それがまた先生という人を学ぶいい学習になっていた。私はこの先生から東洋医学の神髄を徹底的に教え込まれた。この先生は素晴らしい先生にもかかわらず、筆無精で本を出されていなかったので、全国的にはあまり有名ではなかった。そのおかげで、本当に手取り足取りマンツーマンの様な形で教えてもらうことができた。私がいまゲストの方にアドバイスしているさまざまな健康法の要になっている体質の見分け方は、ほとんどこの先生に教わったといってもいい。またそれ以上に先生の生き方を通して、常に学び続ける姿勢と、物ごとの本質を見る大切さを身をもって教えていただいたような気がする。たまたま2次募集でそこにしか受からなかったので暮らすことになった仙台で、それも学校以外のところで出会えた先生との出会いは、私の人生の大きなターニングポイントになった。
2005.01.06
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お手伝いをすることになったのは信州の安曇野にある「シャロム」というペンションだった。自然食に詳しい人なら名前ぐらいは知っているその世界では有名なペンションでした。わたしはここで始めて自然食と出会うことになる。ちょうどその頃のわたしは料理屋で作っている料理に少し疑問を抱いていたのだった。日本の割烹料理屋でも仕事をしていたのだが、その料理を本当に美味しいと思えなかったのだ。海の幸が豊富な三陸で育ち、家の前でとれた野菜を食べ、その後、仕事で生鮮食料品の仕入れを経験していたおかげで食べ物の素材だけはいいものを食べていたからかもしれない。もっと素材の滋味あふれるようなそんな料理を模索していたころだった。そんな時にそのペンションで自然食を食べて「この味だ、自分が食べたかったのは」と思ったのだ。ときどきゲストの方から「なぜこのような食事を始めるようになったのですか」と聞かれることがあります。私の場合は、身体にいいからとか、自然食の思想にひかれてとかいうわけではなく、美味しかったからというただそれだけで自然にそうなったのだった。そんな単純な動機だったからこそ無理なく長く続けられているのかもしれない。自然食以外にもペンションでは大きな出会いがあった。それは自然農法を実践している福岡正信さんの書かれた「わら一本の革命」という本だった。田んぼにクワも入れず、肥料も農薬もやらないで種を蒔くだけの農法で一般のやり方よりもたくさんの収穫をあげている。自然農法は植物が自然に育つ方法とできるだけ同じ状態にして人間が手をかけるのを最低限に減らしている農法で、植物の潜在的な力を最大限に活用した方法です。「無為自然」という哲学を実際の生活の中で実践して、現代農業より成果を上げているというのにショックを受けた。「そうだ、人が手を加えなくとも、自然はよくなる力を持っていて、人間はそのお手伝いをすればいいだけなんだ」この本を読み終えたあと、ずっと自分の中でくすぶっていたものが解けたような気がした。しばらくはその興奮が続き、まじめに百姓でも始めようかと考えたりもしたが、自分の進む方向とは少し違うような気がしてきた。福岡さんの説いている哲学をなにか自分なりのやり方で実践できないものかと思うようになってきた。ペンションの仕事は自分に向いていると思った。なによりも自然の中で暮らしながらたくさんの人たちと出会うことができ、人のお世話をして喜んでもらえるというのは大きな魅力だった。しかしペンションを自分の生涯の仕事にするかというともう一つ踏み切れないでいたのだ。 もっとなにか、もっと自分が納得できるものはないかとどん欲に自然食から農業、哲学の本を読みあさっていた。たまたま本屋でそのころ活動が始まったホリスティック医学の本を見つけた。ホリスティック医学とは西洋医学だけではなく食事や心理、東洋医学、ヨーガや気功などさまざまな方法を組み合わせて、人を全体的に見ていこうという医学である。これを見て俄然、東洋医学に興味をもち始めたのだ。ペンションでの暮らしで自然食やヨーガはすでに実践していたので、東洋医学を勉強し治療する技術を身につけそれと宿泊施設を合わせれば面白い施設ができるぞと思った。そう考え始めたらすぐに実行に移さなければ気がすまないので、すぐに鍼灸学校の入学案内を取り寄せた。すでに1月だったので1次募集は締め切られており2次募集の応募に間に合うのも全国で2校だけだった。すぐに両方に願書を出してそれから受験勉強を始めた。急に思い立って申し込んだので知らなかったが、思っていたより入るが難しいらしく倍率も結構高いのだ。2校のうち仙台の学校になんとか合格し、久しぶりの学生生活を仙台ですることになった。
2005.01.05
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帰国してしばらくは何もする気が起こらなかった。インドや東南アジアを放浪していた時は毎日が新しい刺激の連続で、生きているという実感が手に取るように感じられる毎日だった。そんな体験をしてしまったので、自分の中でくすぶっているエネルギーを適当な娯楽では解消できなくなっていた。自分はこれから何をすればいいのか、何ができるのか、そんなことばかり考えながら毎日をもんもんと過ごしていた。しばらくして、もうじっとしていられなくなり、行く当てもないまま文枝と二人で旅に出ることにした。お金も余りなかったので、軽自動車のバンの荷台に布団を引いてそこで寝泊まりしながら、キャンピング用の調理器具で自炊していた。はっきりした目的があったわけではなかったが、インドで出会った仲間達と話しながら考えていた、ユースホステルやペンションのような宿を見て周れば、何か新しいヒントが得られるのではという単なる思いつきで飛び出したようなものだった。東北から上越、信州、関東と見て回ったがたいした成果は得られないまま、また東北に戻ってきた。旅ももうそろそろ終わりになる頃、ペンションの雑誌を本屋で立ち読みしていたら信州の安曇野にあるペンションのオーナーの記事が掲載されていた。「自給自足の生活を通して、皆さまのお世話をしたい」というような内容で、建物を自分たちで建て小さな畑を作りながらペンションをしているという。 もう旅も終わろうとしており、何か一つでも手掛かりを見つけて帰りたいと焦っていたこともあり、すぐにそのペンションに電話をした。「何でもいいからお手伝をさせてください。給料もいりません、寝るのは車でもいいです」「とにかくなんでもやりますから」と必死にお願いをしたら、「それじゃあ1ヶ月後に来てください」と言ってくれた。とりあえず次にやることが決まり新しい目標が見つかったので、久しぶりにやる気満々で家に向かった。
2005.01.04
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インドはやはりすごかった。空港に着くなり闇の両替屋や物売りが群がってきた。町は人であふれかえり、道端には土の塊になっているような老人がうずくまっている。その迫力にうろたえていると、物乞いに「あなたにはお金がある、お金のないわれわれに与えるのは自然の摂理だ」と言われて、たじたじになったこともあった。インドには日本人の旅行者も結構いて、なかには半年、1年と滞在している人も珍しくない。長くいる人は個性的な人が多く、そんな人たちとの出会いもインドの魅力のひとつだった。同じ宿になった人たちと毎晩のように夜遅くまでいろんな話をしていた。そんなことを繰り返しているうちに、こんな風にいろいろな人が集まり、それぞれの思いを話せる場所。そして、そこがきっかけで新しい人生を歩みだせるような、そんな場所が日本にもあったらいいなあと思うようになった。もともと旅が好きで日本中を単車で駆け巡っていたし、調理の経験もあったので、ユースホステルかペンションのような宿を自分でやってみたいと思うようになった。インドの次はパキスタンに向かいヒマラヤの峠を越えてシルクロードに向かう予定でパキスタンのビザを取得したのだが、国境付近で民族紛争があり峠が閉鎖されていることがわかった。厳しいヒマラヤ越えの旅を前に上がっていたテンションがすっかり冷めてしまい、旅の疲れを急に感じ始めた。特に一緒に旅していた文枝の気力や体力がそろそろ限界にきているようで、旅もこの辺で終わりにして日本に帰ろうということになった。
2005.01.03
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葬式の後、しばらく実家で特に何もせず毎日をすごしていた。そんなある日、父が「お前またオーストラリアに行っていきたらどうだ、このままここにいてもみんなで傷をなめあっているようで、かえって踏ん切りがつかないから。お前たちが向こうに行って、自分の好きなことをやって楽しんでいると思うだけで、父さんや母さんは新しい希望が湧いてきそうな気がするよ」と言ってくれた。このままここで暮らしていくのも憂鬱だけど、今自分がいなくなったら両親が寂しがるだろうと考えると踏ん切りがつかず、ただ悶々としていた時だったので、その言葉で決心がついた。オーストラリアに行ったから何かが変わるとは思っていなかったが、なにか始めることで、弟の死にけりをつけたかった。 再び日本を離れることになった。今度は直接オーストラリアに行かずに、まず香港に行くことにした。香港では安宿に泊まりながら市内をめぐり、飽きた頃にオーストラリアに向かった。2度目のオーストラリアはもう自分の庭のようなものだった。住むところも仕事もすぐに決まった。ドイツ人の借りているアパートに間借り(シェアー)して、以前働いていたレストランで、また働かせてもらうことになった。2度目になると勝手を知っている分だけ、新鮮な感動も少なく、半年働いてビザが切れたところで、オーストラリアを出ることにした。その頃はオーストラリアよりも東南アジアに興味が移っていた。オーストラリアを出て、まず始めに行ったのがバリ島だった。バリの空港を出て、乗合タクシーに乗り、町中に向かう途中で見えるものはまるで日本の戦後を思わせるような光景だった。久しぶりに胸の高鳴りを覚え、なんだか急にワクワクしてきた。クタビーチのそばにあるロスメン(民宿)に泊まりながら、ぶらぶらと散歩するのが日課のような毎日だった。街をぶらつくのが飽きた頃にレンタルバイクを借りて島を1週する旅に出た。バリはいつでも島中のどこかでは祭りが行われているというほど、お祭りの多いところで、バイクで走っている間もたくさんのお祭りに出くわした。島の内陸部では水田が段々に連なっていて、ところどころに椰子の葉で吹いた民家が点在し、それはのどかな景色が広がっていた。バリ島で2週間ほどすごしシンガポールに飛び、そこから陸路でマレーシア、タイへと向かった。タイのバンコクにしばらく滞在し、以前からのあこがれだったインドへ行くことにした。バンコクから今にも落ちそうなほど揺れるインディアンエアーに乗りなんとか無事にカルカッタに到着した。
2005.01.02
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明けましておめでとうございます。今年も新年は、ゲストのみなさんと一緒に屋上のデッキで初日の出を拝むことから始まりました。今の時期は朝日がちょうど大島の頂上から昇ります。大島全体に後光が差すように明るくなり、朝日が昇ると海が照らされ、みんなから歓声が上がります。昨日が雨だったので、心配していましたが、朝からすっきりときれいに晴れて、きれいな日の出を見ることができました。昨年はいろんなことがあったけど、きれいな空と日の出を見ていたら、今年はなんだかいい年になりそうな気がしてきました。お昼からは子供と一緒に初詣にも行き、穏やかなお正月を過ごしています。今年一年がみなさまにとって良い年になりますように。世界中のすべての人が幸せに暮らせますように。
2005.01.01
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