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藤 圭子(宇多田ヒカルの母君)が1970年に歌いヒットした曲である。「赤く咲くのはバラの花 白く咲くのはユリの花どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく・・・・」懐かしい演歌であるこの歌は「練馬少年鑑別所」で歌われていた曲を曽根幸明が補作したものである。 歌詞の異なる色々なバージョンがある当時、三上寛も「詩」を変えて歌っていた・・・「暗い歌だな・・・」としか思わなかった。先日 また Youtube でザッピングしていると三上寛の「夢は夜ひらく」が目に留まり、クリックしてみた・・・…………………………………………………………………………….七に 二を 足しゃ 九になるが 九 になりゃ まだまだ いいほうで四(死) に 四(死) を足しても 九(苦)になって 夢は夜ひらく・・・サルトル マルクス 並べても 明日の 天気は 分からなえヤクザ映画の 看板に 夢は夜ひらく・・・四畳半のアパートで それでも毎日 やることはヌード写真に 飛び散った カルピス 拭くことよ・・・八百屋の裏で 泣いていた 子供を背負った 泥棒よキャベツ ひとつ 盗むのに 泪は いらないぜ・・・夢は夜ひらく 歌っても 開く 夢などあるじゃなしまして 夜など 来るじゃなし 夢は夜ひらく 夢は夜ひらく・・・…………………………………………………………………………この歌は直ぐに「放送禁止」になったそうだ恐らく3番の歌詞が放送コードに引っかかったのだろう・・・≪四畳半のアパートで それでも毎日 やることはヌード写真に 飛び散った カルピス 拭くことよ・・・ ≫この箇所は男でないと理解できないだろう、悲しい男の性(さが)であるわずか40文字で男の空しさを語っている・・・しかしこの年齢になって聴いてみると全ての歌詞が何故か心に響くものがあった。現代の閉塞感・貧富の格差・未来への絶望感を・・・三上寛は40年前に予言して歌っていたのだった。
2012年04月15日
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私の好きな「大乗仏教」の言葉に「煩悩を絶たず、涅槃を得る」というのがある小生は煩悩の「塊」みたいなヤツだから「旨い焼酎飲みたい」 主治医から深酒さ慎むよう注意されている「可愛いお姉ーちゃんとHなことしたい」 現実可能かは別として妄想だけは健在である止めていたのに、まだ煙草を吸っている・・・ 小生「肺」に持病があるでもね、肉体にまだ魂が乗っているのだからそりゃ 「腹もへる」し「Hなこと」も考える・・・和英辞典で「煩悩」を調べたら「Desires」「Passion」???訳した人がちょっと○○かもしれないが、ニュアンスが少々違う欧米にはない概念なのか・・・紀元前後は自分よりも衆生の救済に当る「利他の行い」を尊いとした「大乗仏教」を「小乗仏教」と比較し蔑視した大乗仏教の般若経、法華経、阿弥陀経典は2世紀には既に「哲学的な高み」に至っていた救済という仏教思想の大乗仏教は「道教」と軋轢を起こし「漢典仏教」となり、チベット語に翻訳されて「ラマ教」に、印度の仏教寺院は13世紀初め「イスラム教」に釈迦の偶像崇拝として破壊され「印度仏教」は終わった仏教における「四諦八正道」諦とは「真理」という意味であり、四諦(したい)とは四聖諦ともいい「4つの聖なる真理」のことである4つの真理とは苦諦 : 苦という真理集諦 : 苦の原因という真理滅諦 : 苦の滅という真理道諦 : 苦の滅を実現する道という真理(→八正道)道は八正道に繋がるすなわち、苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)苦の滅は「実現すべきもの」(成就)苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)ということである八正道(はっしょうどう)は釈迦が最初の説法において説いたとされる涅槃に至る修行の基本となる、八正道とは 衝動、正見、正思、正語、正業=行動、正命=生活、正精進、正念=法を憶念、正定=修習つまり我が「自由にならぬ本質」を「自由にしようとすれば」苦が生まれるそして渇愛を滅却すれば寂静・清涼が訪れる・・・仏教哲学において「出生自体」が本人の最初の苦だという人は行いによっても渇愛がある限り、転生し生の苦は続く渇愛を仏教哲学においては愛は渇愛を表し、慈悲と明確に区別している仏教哲学は「難解」であるが、人生の生き方の「指針」を与えてくれる心の病を「罹患」し、いろいろと考える時間が出来て「このブログ」も始めたいろんな人が読んでくれていると分かって 今日も書いているのだが断捨離したとはいえ「理想」と「現実」「将来の夢」と「現在の自分」ギャップがありすぎて悩んでしまう・・・上から目線で 「今、起きている事には理由がある」と言われても若い方々は「えーっ」て なるのは百も承知で書き綴っているしかし、60年も人間をしてみると「過去」「現在」「未来」の繋がりがなんとなく見えてきて やはり「理由」があるのだと思う皆さんも 春(4月)になり いろんな 「決意」 をされるだろうが煩悩を絶たずとも、「意味ある決断」が出来ると感じているこの週末は、久しぶりに「瞑想」でもしてみるか・・・・・
2012年04月07日
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「うつ病」で寝たきりのころ、毎朝変な夢で目覚めた時折「怖い夢」で魘されながら目覚めた・・・「変な・・・」と私が表現するのは「夢」に脈絡がないのである・・・新卒時代の上司(その方は既に鬼籍に入られている)がでてきたり、夢を見ている「わたし本人」が小学2年生だったり今考えると、毎朝メモをとっておけば「ブログねた」になったのにと後悔してしまう・・・「古代人」の間には、睡眠中に肉体から抜け出した魂が実際に経験した事象が夢として現れるのだという考え方は広く存在した宗教的には夢は神や悪魔といった超自然的存在からのお告げであると考えた、この考え方は世界中に見られる古代ギリシアでは、夢の送り手がゼウスだとかアポロだと考えられていた『旧約聖書』においても、神のお告げとしての夢は頻繁に登場する夢分析の古典としてはジークムント・フロイトの研究が有名である夢の中の事物は、何かを象徴するものとして位置づけられているこれらは神経症の治療という臨床的立場から発展しており、夢分析は心理的側面からの神経症の治療を目的とした精神分析のための手法の一つであるフロイトは『夢判断』で、人が体験する夢を(顕在夢)と呼び、それは無意識的に抑圧された幼児期由来の願望と、この願望と結びついた昼間の体験の残滓からなる夢の(潜在思考)が、検閲を受けつつ「夢の仕事」によって加工され歪曲されて現れたものだとした現代の神経生理学的研究では、「夢」というのは、主としてレム睡眠の時に出現するとされ、睡眠中は感覚遮断に近い状態でありながら、大脳皮質や辺縁系の活動水準が覚醒時にほぼ近い水準にあるために、外的あるいは内的な刺激と関連する興奮によって脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されつつ、記憶映像に合致する夢のストーリーをつくってゆくと考えられているということは私の見た「変な夢」も私の脳の記憶貯蔵庫から過去の記憶映像が再生されたという事か・・・脳は忘れ去ることで、脳の均衡を保っているというのを何かの本で読んだ記憶があるしかし「忘れる」という事は脳から記憶が消去されるのではなく、記憶貯蔵庫が私たちの意識できないとても深い所に収められているのだろう・・・今は「変な夢」は向精神薬の副作用だと確信している正直もう二度と「あんな夢」は見たくはない
2012年04月05日
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今までに私が処方された薬だ抗うつ剤 ドグマチール パキシル ジェイゾロフト リフッレックス安定剤 デパス睡眠薬 マイスリー ユーロジン ロヒプノール レンドルミン処方された全ての薬には副作用があったドグマチールは、夜中に甘い物が急に食べたくなり激太りにジェイゾロフトは寝たきり状態に・・・全ての睡眠薬は、昼間もボーッとする・・・パキシルは「希死念慮」でヤバかったこれらの薬は「抗精神薬」といい、直接脳に作用する薬です。言い代えれば「覚醒剤」だ・・・・「向精神薬」はネットでも買える私も以前「通院前」はネットで日本では未承認のプロザックと睡眠薬を輸入代行者に依頼して入手していた輸入代行以外でも「抗精神薬」は買うことができるテレビで観た話だが、暴力団関係者が「生活保護受給者」に小額のバイト代を払いうつ病などのふりをさせて精神科クリニックに通院させ大量の「抗精神薬」を手にいれているそうでだ生活保護受給者は医療費免除ですから仕入れコストはバイト代だけなので匿名で暴力団関係者は「とても儲かる」と話していたこのようなことも生活保護受給者が減らない原因のひとつかもしれない・・・兎に角「向精神薬」はドラッグだ大量に「向精神薬」を処方するクリニックは早く止めたほうがいいと思う良心的な精神科医は必ずいるから・・・
2012年04月03日
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海堀あゆみ 近賀ゆかり 矢野喬子 鮫島 彩 田中明日菜 熊谷紗希 宮間あや 川澄奈穂美 安藤 梢 大野 忍 永里優季 矢野喬子 有吉佐織 etc…みんなよく頑張りました試合としては「良い試合」だった相撲で例えれば横綱同士の「がっぷり四つ」・・・オリンピックで「バロンドール澤」がいなくても大丈夫澤様はベンチに居てくれるだけで充分である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なでしこジャパン手応えのドローだ。FIFAランキング3位の日本は東日本大震災の被災地・仙台で同1位の米国と1―1で引き分けた。試合前には震災の犠牲者のため黙とうが行われた特別な一戦。日本は前半32分、近賀ゆかり(27=INAC神戸)がこぼれ球を押し込み先制。後半追いつかれたが、ライバルを圧倒する内容で、ロンドン五輪へ好感触の残る90分間だった。なでしこジャパンきっての“イケメン”が、冷え込んだ杜の都を一瞬で熱くした。前半32分。川澄の浮き球のパスに合わせ右サイドから走り込んだ近賀がゴール前の永里へパス。永里のシュートはGKにはじかれたが、こぼれ球に素早く反応した右サイドバックが左足を振り抜いた。近賀ゆかり1984年(昭59)5月2日、神奈川県生まれの27歳。4歳上の兄・健太郎さんの影響で小3から東汲沢サッカークラブで本格的にサッカーを始める。中学時代の横須賀シーガルズ、湘南学院高を経て日体大進学と同時に日テレ入り。11年からINAC神戸に所属。日本代表通算77試合5得点。1メートル61、53キロ。利き足は右。(スポニチ抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・近賀ゆかりは右SBなのに再三ゴール前に現れた・・・ そして左足でGKソロをかわしてゴールを決めた川澄奈穂美のプレーは瞬間CR7(C・ロナウド)を連想させてくれた・・・永里優季は潰れ役に徹した・・・ブラジル戦が楽しみだ・・・
2012年04月02日
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以前ブログで「うつ病」の原因を書き綴った。半年以上経過して、修正したい衝動に駆られ今PCのキーボードを叩いている。過去のブログを要約すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が「うつ病」に罹患した原因は(1) セロトニン仮説 (2)PTSD仮説 (3)「否定的思考パターンの固定化仮説」の3仮説である。(1)セロトニン仮説は、神経伝達物質であるセロトニンとノルアドレナリンが少なくなっているために意欲や気分をつかさどる脳の機能が低下し、抑うつ症状が起こる。セロトニンとノルアドレナリンの量を増やせば脳活動が活性化し症状が治まる。 神経伝達物質は神経細胞から出て別の神経細胞にある受容体にくっつくことで情報を伝達している。しかし使われないで余ると、またもとの神経細胞に再取り込みされていく。この再取り込みをブロックすればセロトニンとノルアドレナリンの量が増えると考えたのが抗うつ剤の仕組みである。(2)PTSD(Psttraumatic Stress Disorder)心的外傷後ストレス障害とは、強烈なトラウマ(心的外傷)体験が原因となり心身に支障を来し、社会生活にも影響を及ぼすストレス障害。様々なストレス性精神疾患を引き起こす元となる。またPTSDにより脳の海馬の破傷や縮小がMRIの画像診断によりうつ病患者のPTSDと記憶障害の因果関係が最近解明された。 (3)私の主治医のカウンセリングと「認知行動療法」の経験から私の「否定的思考パターンの固定化」は罹患した原因と予測できる。………………………………………………………………………………………………………….という内容であった。しかしその後「スキーマ」の自覚、及びCCHRから得られた情報も加え再度熟考してみた。※「スキーマ」とは認知行動治療の分野では「絶対的信条」とか「思考を規定する規範」を意味する(3) 私の「スキーマ」はとても傲慢な壊れやすいものだった為「否定的思考パターン」になってしまった。 (認知行動療法カウンセリングで実証可能) ↓(2)「倒産」「自己破産」という現実は強いストレスとなり私の脳の「海馬」にダメージを与えた。 その結果一般的にPTSDと言われる状態に陥った。 (脳のMRI検査で実証可能) ↓(1) セロトニン仮説に基づくSSRI.SNRI向精神薬を服用したが症状は改善しなかった。それよりも副作用に長期間苦しめられた。 (セロトニンの量の検査は精神科・心療内科では不可能である。仮説に過ぎない。)あくまで私のケースの観察を述べているのだが、「5分診療・大量投薬」する精神科から現在の「減薬」「断薬」に理解のある今のクリニックに転院してから、私は回復に向かった。脳機能の回復は「時間薬」が一番である。引きこもらず、寝たきりにならず、規則正しい生活、適度な運動をしていれば回復はもっと早かったのではないかと思う。向精神薬の副作用は私を寝たきりにしてしまったつまり私はアメリカ精神医学会の「罠」に落ちてしまっていたのだ・・・ここに「アメリカ精神医学会」を批判する数少ない精神科医の言葉を引用する。精神障害は医学的疾患ではありません。どの精神障害についても、それが身体的な症状であると実証できる、臨床検査や脳スキャン、X線、化学物質の不均衡のテストは存在しません。これは、人々が落ち込んだり、感情的あるいは精神的な強迫を経験しないということではありませんが、精神医学は薬を売るために、こういった感情や行動を「病気」として再度ひとまとめにしました。これは素晴らしいマーケティングキャンペーンですが、科学ではありません。 現代の精神医学において、精神疾患の遺伝的・生物学的原因に関する説得力のある証明は、いまだにただのひとつもなされていません。患者は、『生化学的不均衡』があると診断されているが、その主張を証拠立てるような検査は存在しないというのが実情である…正しい生化学的均衡とはどのようなものかという概念自体が現実には存在しません。デビッド・カイスラー、精神科医 「精神科医はみな、カメラやマイクで聞き取られたら、生化学的不均衡や病気、あるいはそのための検査やテストなどないと、萎縮して認めるでしょう。実際に行っていることは、例外なく、全ての患者に対してインフォームド・コンセントの権利を無効にして、『治療』の名の下に毒を与えているのですから、これはまさに犯罪にほかなりません」フレッド・ボーマンJr.博士、小児神経科医(出典 : CCHR資料)アメリカ精神医学会と製薬会社の依存関係に興味がある方は下記リンクをご覧ください。彼らの相互依存関係は1970年から40年以上続いている。向精神薬・抗うつ剤・製薬医療・医学の犯罪35http://www.youtube.com/watch?v=2Ykd93O1pbQ&feature=related
2012年04月02日
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香川信司がまたブンデス・リーガで得点した!シュツッツガルト相手に 4対4の引き分け後半、両チーム合わせて 7点という ノーガードの殴り合い!!!彼もチームも絶好調である。彼の調子が良いのか、チームの調子が良いのかたぶん両方の「正」のスパイラルだろう・・・「ボルシア・ドルトムント」 正式名称は「BV Borussia 09 Dortmund 」創設は1909年 クラブカラーは「黒と黄」 そう 阪神タイガーズと同じである。ホームスタジアムは「ズィグナル・イドゥナ・パルク」収容人員は81,708人現在監督は「ユルゲン・クロップ」2006年の夏、わたしはドルトムントの町にいた・・・結果的にあの「ドルトムントの屈辱」を見させられることとなるのだが・・・ドルトムントの町並みはどことなくゆったりしていて緑の多いのが印象に残っている。最近欧州のメディアで「香川信司」の株が急騰している。ドイツのサッカー専門誌キッカーは「後半はプレーに楽しさが見られた」と評し、今季3度目となる今節の週間MVPに選出した。スペインの一般紙エルパイスは「香川は日本のメッシ」と報じた。「技術があり、ネズミのような素早さを持つ選手であることに議論の余地はない。メッシと比較できる選手だ」FIFAバロンドールを3年連続受賞中のスーパースターと比較された。現在「ボルシア・ドルトムント」 は年俸大幅アップ提示で慰留に努めているが、まだ契約延長には至っていない。もともと経営が苦しく、価値が急騰中の香川を引き留めることは難しくなってきている。キッカー誌も「今ドルトムントで彼ほど希望と不安を提供している選手はいない」と報じた。香川がゴールを奪うたび、ビッグクラブ移籍が現実味を帯びてくる。「ボルシア・ドルトムント」 は21世紀に入るとクラブの株式を上場する経営戦略が裏目に出て巨額の損失を抱え込み、2004-05シーズン途中には債務超過による破綻寸前にまで追い込まれた。(何より問題だったのは成績を見込んで大金を出すことで、見込みが違えば大きな赤字となる)成績がダイレクトに株価推移に反映される株式上場は成績の良い時ならばクラブ経営の推進力をこの上無く高めるが、少しでも成績が下降すれば人気の有無に拘わらずクラブの経営体力を株価下落と言う形で奪っていく(特に痛かったのが2003-04シーズンのチャンピオンズリーグ予備予選敗退を始めとする低調な結果である)。そして120,000,000ユーロと言われる借金だけが残り、ゲルト・ニーバウム会長、現場最高責任者のミヒャエル・マイヤーがクラブを去ることとなった。しかし、このような低迷期にあっても数多くのサポーターがドルトムントに対する情熱を持ち続けスタジアムに集う光景は変わらず、スタンドからの地鳴りをも引き起こす熱狂的な大声援はドルトムントを強く後押しし続けた。2010年夏、クロップ監督の熱烈なラブコールによりJリーグ1部・セレッソ大阪のMF香川真司らを獲得。香川を始めケヴィン・グロスクロイツ、マリオ・ゲッツェ、ロベルト・レヴァンドフスキらがブレイクし主力の多くが23歳以下、スタメンの平均年齢が22~24歳という若いチームが完成、序盤から勝ちを積み重ねたチームは2010-2011シーズン前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成し首位で折り返し、圧倒的な強さで9シーズンぶり7度目の優勝を飾った香川信司は2010年7月1日、育成補償金35万ユーロ(約4000万円)でブンデス・リーガ1部のボルシア・ドルトムントに完全移籍。代理人のトーマス・クロートは以前ドイツでプレーをしていた高原から「香川という良い選手がいる」とアドバイスがあったことがきっかけで、ドルトムント行きに繋がったとしている。2009年12月にドルトムントのホーム試合に招待された香川は、8万を超える観衆が送る大声援に感激し、早い段階でドルトムントへの入団希望を伝えていた。わたし個人的には「香川信司」が「FC・バルセロナ」か「レアル・マドリッド」でプレーするのを早く観てみたいが、もう少しドルトムントで活躍するのも悪くないと思っている。 まだ彼は若いから。将来が楽しみな日本代表選手である。
2012年04月01日
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