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物凄く久しぶりに、この楽天広場の日記用に登録しているメールサーバーの受信分を整理してみた。おびただしい数のメルマガと、たまに大切なお友だちからのメールがごちゃまぜになっていて、一通り整理をし終えるのはちょっとした修養とも言える時間となった。この1~2年の間は、完全に放置していたのでメルマガとちょっとした購入に関わるメールしかなかったけれど、徐々に時系列を遡っていくと、その当時仲の良かったお友だちとのやり取りや、過去にアップした日記の控えを発見した。その頃の日記を読むと、うんと背伸びした表現で、その時々に感じた歓びや悲しみを、精一杯書き綴っていた自分がいた。それからも、ほんとうにピンボールのようにあちこちぶつかりながら、色々な物を呑みこみながら(いくらか消化不良気味ではあってもね)、今に至るわけだけれど、あんたが心配していたほど、この未来もそう悪い物じゃあないよ、と教えてあげたくなった。ハロー、数年前のあたし。未来のあたしは、なんとかやっています。
2012/06/24
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なにかが足りないなァと思っていた。地下街の果物屋をふと通った時に気付いた。今年は、ベリーニを飲んでいない。もちろん、桃の冷製スープも。はっきりと甘く、馨しく、それでいて初々しい、あのしっとりとした桃の果肉を連想すると、心のどこかがそわそわと蠢き出す。名残のうちに、作ってみよう。また巡りくる夏が約束されているとは限らないのだから。
2011/09/14
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あたしは、食べたいと思う店に行って食べたいものを食べる。 同じように、仕事をしたい人と一緒に仕事をする。 そしてこれは、誰にも止められない。
2009/10/29
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今月はいつもに比べて更に激ジョブ。しかし忙中閑あり……というわけではないけれれど、今日はわりと早めに仕事を片した。この時間にオフィスを出れば、まだデパ地下をさらっと回るくらいはある。考えてみたら、自宅で料理をするのはずいぶん久しぶりのことだと気づいた。料理をするのは好きだ。それほど得意でもないし、レパートリーも多いわけではないけれど、なにかを成し得たという達成感はあるし、根本的に美味しいものは好きなのだ。料理をしながら調理器具を片していくので、食べ終わった後が取り立てて億劫になることもない。……ないのだけれど、自分のため「だけ」に作る料理というのはなんともつまらないもので、やり始めれば3ビットのおつむりのあたしのこと、夢中になってしまうのだが、作り始めるまでに盛大な気力を必要とするのである。デパ地下を見回ると、マッシュルームの良いのが安く出ていたので、切れていたパルミジャーノと併せてかごに入れた。いつも買う鶏屋のおばちゃんとも目があったので、砂肝とモモ肉も少量買うことにした。新鮮なマッシュルームは適当にスライスしてオリーブオイルを少し、ブラックペッパーを適当に挽き、パルミジャーノを削ればとても美味しくなる。モモ肉はカンカンに熱したスキレットで皮目からぱりっと焼けば塩コショウだけで十二分に美味しい。結局、いつもそうなのだけど、晩ごはんの買い出しは外食一食分よりも多めに買ってしまう。そのたびに、二、三回に分けて食べたら良いから、けして高くはないよね、と自分に言い聞かせる。しかし、次に自炊する日が何日後になるのか考えてみるとこれまで随分と食材を無駄にしてきたものだと反省もする。長いこと掛けて飲んでいる純米自然酒の最後の一合をアテに、ひとりで食べていると、それは唐突にやってくる。あたしは心を侵食していくそれのことを、便宜上「虚無」と呼んでいる。「虚無」はいつも暴君のようにあたしをなぎ倒し、打ちのめして服従させる。ひとりの時間は好きだ。これまでも、ひとりで過ごす長い時間を歩んできた。でも、いまは-------。振り返ってみると、あたしの時間には、たくさんのひとと繋がった記憶が残っている。仕事上で知り合ったひとたち、オフのときに知り合ったひとたち。そして、ウェブサイトで知り合ったたくさんのひとたちも。たくさんのひとたちとの会話の記憶によって、「あたし」が成り立っている。いま、そのひとたちがいなくなったら、どうなるのだろう。すべての始まりには、終りがある。それはどのようにやってくるのだろう。突然の吹き荒れる嵐によって吹き消されるのだろうか。それとも、淀んだ潮流に沈み込んでしまうのだろうか。それを予想することは、いまのあたしにはできない。であるならば------その時が来るまで、悔いのないように、うんといっぱいお話をしていよう。喩えそれがくだらないことであったとしても。喩えそれが帰結の無い話題であったとしても。
2009/04/21
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初恋の人からお手紙が届きました。--------------------------------------------------------------------------------ユウリィ、元気?もうそろそろダイエットは終わったかな?今ごろユウリィは理想体型になっていることと思います。ユウリィが「もっと私に興味を持ってくれる人と付き合う」と言い捨てて別れたあの日から、もう18年が経ったんだね。月日が流れるのは早いものです。この手紙を書いたのは、特に用事や理由があるわけではないんだ。ただ昨日友達と会ってユウリィの話題が出たから、ひさびさに思ったままでも何か書いてみようと思って。びっくりさせたかな。今あのころの付き合いをあらためて考えてみると、ひどい恋愛をしていたなぁと思います。基本的にモテたし人気者だったユウリィに対し、おれは地味で日陰の存在だったから、いつもジトジトして迷惑をかけていましたね。おれに「堂々としてよ。いいところもたくさんあるんだから」と勇気付けながら、だんだんと距離を置いていったユウリィが今でも忘れられません。あ、そういえばユウリィからしてみれば、おれは初恋の相手なのかな?付き合った当初はやけにユウリィが不安げだったのをよく覚えています。「手はつないだほうがいいの?」「週に何回会えばいいの?」って、正直うるさい(笑)付き合い始めのころは、勢い余って、ユウリィが「いつか結婚してもいいけど」とか言っていましたね。言い方は素直ではなかったけれど、その気持ちは嬉しく思ったものです。後先考えずにそういうことが言えてしまうところもユウリィらしいですね。全体的に言えば、おれはユウリィと付き合えてよかったと思っています。だいぶ自由人なユウリィに疲れたところはあったけど、おかげでかなり精神力が鍛えられました。いろいろ書いたけど、おれはユウリィが大好きでした。これからもユウリィらしさを大切に、そろそろサインペンでアイライン描くのはやめて(笑)、新しい誰かと幸せになってください。またいつか会いましょう。では。P.S. うちに黒魔術の本を忘れていったよね?そのまま持っているので返します。--------------------------------------------------------------------------------念のために申し上げておきますと、あたしはサインペンでアイラインは書いたことはありません。http://letter.hanihoh.com/
2009/03/16
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クルマに乗るのは、好き。ピアニストのように繊細なドアノブをそっとつまみ、ドアを開けてクルマのシートに滑り込む。イグニションキーをひねり、ガスペダルをわずかに踏み込む。ずっと眠っていたエンジンは少しだけぐずついたが、すぐに火が点り、冷え固まっていたクランクが、ピストンが動き始め、排気管から水蒸気が白煙となってたなびき始める。冷たさに硬直しているリアスクリーンを割らないように慎重に幌を畳み、昨日から決めていた曲をオーディオで掛ける。そろそろとガレージから這い出てみれば、輝きを失いつつある星たちのまたたきが見えた。風は強く、冷たい。あたしは首に巻きつけたマフラーと目深に被ったキャップを合成風に飛ばされないようもう一度確認してステアリングを切り込み、ハイウェイのランプを上る。最初のコーナァを抜けると、コバルトブルーに染まった空がスクリーンいっぱいに広がり、あたしは右足の踏み込みを抑えられなくなる。速度計と回転計の針が踊り、そこだけはあの長い半島で生み出されたクルマの末席に名を連ねていることを主張すべく、エンジン音と排気音にキャビンは満たされる。シンバルとトランペットとティンパニがかき鳴らされ、あたしはオーディオのスイッチを切る。どのみち聴こえないのだし----あたしはこのクルマのシンフォニーがたまらなく好きなのだ。東の空に低く垂れこめていた桃色の綿菓子のような雲が払拭されたころ、岬の先端にたどり着く。そこから見下ろす海はターコイズブルーで、強風に押されて潮目が激しく流され、コットンのような泡がちぎれて飛ばされていた。いまごろになって、もう少しシーツの感触を楽しむ誘惑に駆られたあたしは、家路へと舵を向けた。人懐こいウミネコがあたしの車にまとわりつき、しばらくの間並走して競走した。花粉が舞い始めるまでの間、あと何回クルマ遊びができるのだろう。すっかり日が昇ったころ、あたしはベッドにもぐりこんだ。
2009/02/01
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新年明けましておめでとうございます。遅筆に磨きのかかり過ぎているユウリィ日記、「あたしには神さまが見えない」を読んでいただいている皆さまに、こうしてご挨拶ができるのは、暗いニュースであふれる昨今では私事ながらいささかの喜びと感じ入る次第です。年始の抱負を掲げるのは、なんとも気恥ずかしく、またそれをすることで自分がもっとも自分自身にとって大切だと思う心の余裕、換言すればくつろぎを失うような気がして、心の弱いあたしはつい怠けてしまいがちです。それでも、何事か抱負を掲げること自体は年に一度くらい、人並みに清々しい誓いを立てたような気分に錯覚できることでもあり、悪くもないのかなァなどと、甘えんぼうの自分に気づいてみたりもしています。そんなあたしが、この年始に立てた抱負とは、「テレビに映らないようにすること」 ……というのは冗談で、 「『ほんとうに大切なものほど、身近にあるもの』であると、日々忘れないでいること」 です。 どうか、皆さまにとっても素敵なできごとがたくさん現れる一年になることを願ってやみません。Celebrate New Year!!
2009/01/05
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毎年のことだけど、ボジョレーヌーヴォは憂鬱な風物詩だ。なにせ、解禁日が決まっていて待ったなしだし、普段はワインを飲まないひとたちもみんなこぞって飲む。それだけに普通ではありえないトラブルが頻発する。また、それだけではなくて、あたしの友人たちも一様に「ヌーヴォ、飲みたいよねぇ」と誘ってくるのである。飲みたいのは構わないし、どうぞご自由に……と言いたいところなのだけれど、両脇を抱えられてずるずると引きずられ、大量のボジョレーヌーヴォのご相伴に与ることとなる(もちろん翌日はとんでもない宿酔いとなる)。……なるのであるが、それが今年は少し状況が異なっていて、市場ではあまり騒がないし、作柄もイマイチ。ボスからも「そんなに売らなくていいから」なんて、なにか悪いものでも食べたんじゃないかと思われるような発言が飛び出したりして、盛り上がりに欠けること甚だしい。そんなわけで、今年は初めて「レストランに」「ボジョレーヌーヴォーを」「しっとりと」飲みに行った。こんなボジョレーは生涯初めてのこと。たしかに、しっかりとした味わいというのには少し距離があり、ソムリエ氏が「ゆうちゃんは知ってると思うけど、あまり期待しないでね」と仰るのもむべなるかな、と思った。けれども、お祭り騒ぎが落ち着いたように肩に力の入っていないヌーヴォは、するりとあたしの中に流れ込み、ほんわりとした酔い心地が残った。特段「これは旨い」などと喧噪するものではないが、ボトルが空くころには、こんなのも良いな、と素直に思えたのである。高層ビルからの街の明かりは、乾燥した冷気のせいで瞬いて見えた。その瞬きのひとつひとつに、ちいさな幸せが内包されているように思えた。
2008/11/23
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願えば叶う。なんてことはいつも考えておらず、ドライに割り切っているいつものあたし。でも、願い、その方向に傾注してみることで、叶うこともあるんだなあと実感しました。さる週末の二日間、某所にて限定のバールを出店することができました。もちろん、テーマは「たこ焼きとワイン」。まあ実際のところ、延々とたこ焼きを焼いていたわけですが。予想をはるかに超えるたくさんの方たちに来店していただき、くたくたになった疲れも気にならない楽しい時間になりました。「たこ焼きとワインってなんじゃそらー」とか言いながら、善男善女が立ち飲みでピカルディのコップで大盛りワインを飲みまくり、たこ焼きを食べまくっていたのはある種の清々しさがありました。立ち寄っていただいた方たち、ありがとう、ありがとう。不満が無いわけでもなくて、もっと色々と遊びたかったなァ……。ポトフで洋風おでんとか、大皿料理も充実させてみたかったなァ。ワイン=スノビッシュっだって捉えている人たちへのアンチテーゼにちょっとはなったのかな。「薪窯貸し出せるよ~」とか、言われちゃうと、次はピッツァなのだろうかと妄想してみたりして。
2008/11/03
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「提督、我々には、船団が無傷で済む選択肢など残されていないのです。今日、苦しみを受けねばならないのなら、明日、よりよいものを得られるための苦しみを選ぶべきです。今日より明日は絶対に良くしなけりゃなりません。それが我々の仕事です」……心の一遍に留めておくべき言葉。
2008/08/25
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この日記を書いている時点で、一昨日のことになるのですが……何週間も前から決めていた予定をドタキャンされ、ぽっかりと空いてしまった雨の日の土曜日。こんな日は読みかけのミステリを片手に、滅多に顔を出さない近所のカフェにでも行ってのんびりと過ごそうと思いました。ですが、その下町のカフェに着いてみると、普段は閑古鳥が鳴いているのに、その日に限ってほぼ満席。なんでも常連さんたちだけでたこ焼きパーティをするのだそうで。ああ、ソーシャルネットなんとか、ってやつですか。お昼ごはんはしっかりと食べてしまった後だったので、若い衆がせっせとたこ焼きに勤しんでいるのを横目に、聞いたことのないオーナーお勧めの豆で淹れてもらったコーヒーをずずず、と飲みながら読書しました。しかしこう、じゅーじゅーと芳ばしい香りを放ちまくりながらたこ焼きを焼いている脇で読書にはなかなか集中できず、あたしはついつい空想してしまうのでした。たこ焼きって、日本を代表する粉モノだよねぇ。粉モノといえば、美味しいガレットを食べていないナァ……。近所に美味しいガレットを出すお店ってないもんねえ。あっ、もしかして、たこ焼きの粉をそば粉にしたらどうなんだろう。具材はタコではなくて、スモークサーモンとか、グリュイエールチーズとか、エリンギとか、アンチョビとか。バジルペーストを掛けてみたり、ディジョンマスタードを添えても面白いかも。それなら、プロヴァンスかなんかのロゼをデュラレックスのコップで出して……そう、そんな感じの気軽なたこ焼きワインバーなんて、結構良いんじゃない? たこ焼きひと舟(1プレート?)500円。ワインもコップで500円。 ワインバーって言うよりも立ち飲みパールのような勢いでがんがん飲んでがんがん食べる(大皿料理も500円)。10坪くらいで繁華街に出店したら、結構イケるんじゃないかなァ……。あえて普通のたこ焼きは出さない方向で。ソース味はカベルネと合うから良し。醤油味は不可。あっ、でもあたしは醤油味の外カリッ中ふわっが好きだったんだ、どーしよう……。……などと妄想していたら、午後の緩い時間はあっという間に過ぎゆき、日が暮れて雨も上がりました。お江戸や上方ではこの業態、あるみたいですけど。おらが町で誰かやらないかなァ……。プロデュース料はカウンターの奥の席で良いです。あと出来ればたまに美味しいワインを与えてください。
2008/08/23
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昨夜は、ほとんどの人が初顔合わせという、さながらグータン・ヌーボーのようなワイン宴会をしました。 場所は裏通りに一本入ったざっかけないフランス料理屋さんで、悶絶クネルや、ル・クルーゼの鍋一杯のブイヤベース、巨大なフォア・グラの姿煮とか、期待通りの豪快料理を堪能しました。 合わせたワインは、グリーンポイントの泡白、マルケス・デ・ムリエタのカッペラニア、プリモ・パラテュームのジュランソン・セック、バーレム・メンデルソンのピノ。 帰り道の途中でみんなからメールが続々とやってきたのも、グータンヌーボーみたいだったな。 久しぶりに気持ちの良い酔い心地の夜でした。
2008/08/22
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先週末いっぱい、海の近くのレストランに請われてサービスのお仕事をしてきました……というか、正直に言えば、ここのところ暑いながらも木陰に入ると吹きわたる風が涼しくて、ちょっぴりおセンチになってしまったというべきなのでしょうか。過ぎゆく夏を惜しむ気持が湧き上がり、せめてなにかひとつくらいは夏らしいことをしたいなァと思いめぐらし、穏やかな水面と無邪気な入道雲を眺めに行きたくなったのでした。 実際のところ、仕事場に入ってしまえばいずこも同じで程度の差こそあれ煉獄ではあるわけですが……行き帰りの小旅行はなかなかに気分の良いもので、太陽光が降りしきるハイウェイをONA ONAと共に疾走すれば黄色い小舟の操舵室はバカンス気分になりますし、深夜に常夜灯のともる工場群を横目に眺めればザイオンに紛れ込んだアンダーソン氏の気分。 仕事を終えて、みんなで乾杯したくて持ってきたヴァン・ムスを飲んでいるとオーナーさんが、 「いいねえ、絵になるねえ」 と仰る。何のことが判らなくて、はあまあ、とか惚けたことを言っているとマネージャーさんまでもが、 「なんかこう、ゆうちゃんがグラス持っていると様になるんだよねぇ。なんで!?」 とか言って持ち上げてきました。 それは単に酔っ払い研究所員たるもの、日々酒に親しみ酒のなんたるか解明に努めているからに過ぎないからで、要するに飲兵衛なだけなのではないかと思うわけですが、悪い気はしないというか、かなり恥ずかしくて、ちょっぴり嬉しかったのです。 そう言えば、昔バーの先輩に、ワインをテイスティングするときはぼそぼそと背中を丸めてするのではなくて、堂々とカッコ良くおやりなさいと言われたんだったっけ。そんなことを思い出した一日でした。
2008/08/20
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夏はあたしの天敵のような季節だけれど、良いことが無いわけでもない。 喩えばそれは、白桃のベリーニを飲んだ時。 そして、旬のイチジクと生ハムを合わせた時。 ここのところ、八百屋さんやデパ地下を覗けば、てろんとした赤紫のイチジクたちが「今年も美味しいよ~」と声を掛けているような気がしているので、いつ食べようかな、なんて思っていると、取引先でいつも怒涛の勢いでお世話になっているSさんが、 「このサンプルの生ハム、ゆうちゃんにあげる~」 なんて仰る。このタイミングの良さはさながら青いネコ型ロボットのようだわさ。 そういえば、先々月に買っておいたリースリングがあるからそれと合わせたら美味しいんだろうな、なんて妄想を膨らませて本日は帰路に着いたのでした。 イチジクを適当にカットして、生ハムを散らしてオリーヴオイルを廻し掛け、黒コショウをガリガリっとすれば、白ワインのおつまみが出来上がり。 合わせたリースリングは甘酸っぱくてむっちゃ美味しいや~ん。 メルボーンから二時間半、ストラスボーンレンジってとこで造ってるらしいねんけど、ミネラリィでグリセリンたっぷりでリースリングの王道やんか。マクフォーブスって作り手らしいねんけど、全然知らんかったわー。ワイン屋さんいわく、ここのワイン入れてるのんがまた変ったインポーターらしいんやけど、すいすい飲めてまうで。きっとこれもバイオダイナミクスのワインなんやろうけど、そんなん関係なく飲めてまうで。しかも飲み進むとだんだんしっかりした酸が現れてきて飲み飽きないってゆうか。 (〃゚ o ゚〃) ハッ!! 気づいたらあやしい言葉遣いになっていました。 このままの勢いだと簡単に一本飲んじゃいそうだけど、半分くらい取っておいて、変化を見てみたいなァ。 そう言えば最近ちゃんとドイツのワインって飲んだことなかったナ……。ヒンメルライヒとか今飲んだら、なにか天啓が得られるかもしれないね。
2008/08/05
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人は二度死ぬ。一度目は、あたしの知らない、どこか遠くで。湿った暗灰色の空から落ちてくる雨だけが、彼を見つめている。二度目は、あたしの心の中で、死ぬ。モノトーンの写真の中に、控えめに微笑む顔を見つけたときに。斃れた路上に、献花したときに。そして、あたしの心がそれを諒解したときに。
2008/06/28
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長いこと付き合ってきて、その存在が当たり前になっていたマイぱそこんが、予兆もなくクラッシュした。これまで幸運なことにぱそこんが完全に壊れてしまうことなど、経験したことがなかったから、何が起きたのかを理解するまでにしばらく掛かった。友人が組み立てていった(怪しげな)パーツの寄せ集めだったあたしのぱそこんは、マイナートラブルは頻出していて、毎度のことながら困ったものだと思いつつ(時には声にもして)いたのだけれど、呆然としてしまった。考えてみたら、ずいぶん、がんばってくれていたのかもしれない。きみが我が家に来てから、いろんなことがあった。いい時も、そうでない時も、いつも家に帰れば一緒だった。ありがとう。そして、さようなら。
2008/06/27
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今日は新入社員(そむりえ・五年目)のトレーニング・ディでその方とほとんどマン・ツー・マンだったのですが……屈託の無い無知の一端を垣間見てしまったような気がして、げんなりとしています。憚りながら、ワインを取り扱う業界の末席に名を連ねていて、「まーあたしよりいーかげんでワインについて無知な人はいないでしょ」というのが、あたしの人事考課の物差しなんですけど、「いままで飲んで最も印象に残るワインってなに?」「えっと……ラトゥールです!」「ラトゥールの何年なの?」「……判りませんっ!」あたしはすかさず、(あー、たぶんお嬢ちゃんの頃に彼氏にでも飲ませてもらったのかしら)と、脳内補完しましたよ。まさか最近じゃないでしょうよ。いやほんと。ワイン、特にボルドーのワインがヴィンテージによって大きく表情が異なることを知らぬわけではありますまい。小姑みたいになっちゃうので、子細書き連ねるのは止めますけど。すごく可哀想になりました。なにがって、彼女にサービスを受けていたお客さんたちが。先日面接をした方はとてもハキハキとした好青年で、ワインは詳しいと仰っていたのですが、次第に雲行きが怪しくなってきたので、「あのう、あたしの話している内容って、判りますか?」「えっと、大体は判りますっ!」「喩えば……MLFって判りますか?」「いえ、ちょっと判りません!」「じゃあ、一般的なボルドー右岸の主要品種って?」「それもちょっと……」「どんなブドウ品種を知っていますか?」「カルベネ(原文ママ)とシャルドネなら知っています!」「グルナッシュは? プリミティーヴォは? セミヨンは? ススマニエッロは??」「いやあ……どれも聞いたことが無いですねえ」「……」別にブドウ品種をいくら諳んじられたとしても褒められるものではありませんし、記号の詰め込みこそがいまの空虚なワインサービス業界の遠因だとも思うのですが……それにしても。いままであたしが近しくさせていただいていた方たちは、それはもう銀河よりも広範な造詣と海溝よりも深いサービス精神の方が多く、ひたすら稲穂のように頭を垂れるのみだったのですが……どうやらそう(ばかり)でもないらしいようです。新卒の子たちなら、諒解できるんですよ。誰でもが犯すとおり一辺倒のミスならば、フォローのしようもありますしね。でも、ある程度以上に業界に身をおいている方ならば、もう少しこう……と思うのは、欲張り、なのでしょうか。
2008/06/12
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「ワインを好きになったきっかけは?」という問いかけについて某所にて書き込みをしました。そう言われればなんだったかな……と思い巡らせながらコメントしました。 文が練れていないのは、ほんのちょっと酔いが残っているからということにしておきます(練れていた時があるのかというツッコミはナシの方向で)。 そして、自分にとってワインとはなにか、という大上段に振りかぶった方向へと推移して行きます。一部加筆しています。 あたしの場合は、当時勤めていた会社の遺産とも言うべきシャルツホーフベルガーのTBA89年を飲んだとき。 それは、消えゆく残照の、不確かな存在の中に邂逅する傾斜していく甘美な死への誘惑。 ワインは所詮ワインであるという自論は今でも覆りませんが、それでも大いなる歓びの発見であり、良い時もそうでない時も、あたしの側に寄り添う存在となっています。それは、朋というよりも影のようなものであり、暗雲に見え隠れしながら低く響き渡るいかづちのようであり、そしてまた台風が通り過ぎた後の穏やかに凪ぐ水面のようでもあります。 そしてなによりも、普遍たる日常の中で、振り返るとほほ笑んでいる存在。 まだ温かい堤防の感触を、あたしは捜し求めているのかもしれない。だとするならば、やはりあたしにはシャンパーニュは似合わない。なんとなれば、シャンパーニュとは「選び取った緊張」であり、「予定調和の弛緩」ではないのだから。それゆえ、あたしの日常と交わりえないのでろう。享楽と退廃、混沌と無為。その中のかりそめの真実を求め探してしまう。それは月の裏側にあるものだと諒解していたとしても。
2008/06/06
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次に行くのが待ち遠しくなっている自分に気付いたのは、今晩のことだった。その店は、繁華街に取り残された長屋横丁にある。もっとも、当世風なのは、長屋の中にこぎれいに改装したアクセサリーショップやら、服屋さんやらが軒を連ねていることだろう。昼時ともなれば近所のアパレルや美容院勤めの若い子たちで賑わうこの店も、夜は落ち着いた客層が主流となる。会計事務所や法律事務所といったお堅いところからネクタイの要らないオフィスの勤め人なんかが静かに飲んでいる。あたしのようなひとり客も結構いる。まるで「花の下にて春死なむ」の香菜里屋のようなシチュエーションにひとりにんまりとしながら、横丁にぼうっと灯っている提灯を目印に、ほの暗い路地を目指して歩いた。今日は朝からずっと忙しく、ほんとうにひと息もつく間もないままに夜になってしまった日だった。あたしは元来ナマケモノなので、いくばくかの金銭的自由があるならずっとふらふらしていられる、根っからのキリギリスなのだけど、さまざまな巡り合わせによってこの仕事をするようになり、性にあわないながらも日々をありんこの様に動き回って暮らしている。ワインは、あたしを外の世界へと連れ出してくれている。席について、あたしは逡巡した。最初のとば口はビールかしら。それとも、日本酒かなァ。仕事が終わってからの最初の一杯目のビールは、それはもうたまらない美味しさなのはようく承知しているのだが、今日は清涼飲料水のようにお酒を飲みたいわけではなかったので、品書から越後銘酒・満寿鏡を選んだ。だれかと一緒だと、飲みたいわけではない時も、なんとなく最初の一杯はビールを付き合ってしまったりすることもあるけれど、ひとりの時は気兼ねなく飲みたいものを飲める。最初の一杯目でビール以外のものを飲みたい人だって、結構いるはずだとあたしは踏んでいる。最近は、日記を書こうとして、なんどもなんどもパソコンに向き合ったけれども、なにか筆が進まなくて、書けない自分に苛立ったりもした。言いたいことがたくさんあって、書きたいこともたくさんあるのに、書けないというのが実にストレスの溜まることだとあたしは知った。今晩は筆が進むなァ。今晩に限っては推敲はせずに、そのままアップしてしまおう。いつも不思議に思うのだけれけど、この店のサラダのドレッシングは、なぜか満寿鏡との相性が良い。もちろん、黒豚が売りの店なので、たとえばさっと炙った生姜焼きの、香ばしい味わいにもぴたりと寄り添う。とろろと麦飯にだって合うのだけど、一見合わなさそうなドレッシングというあたりが面白い。食べ終わって少しの間、読みかけのミステリを10ページあたり読んだところで看板になった。まるでひと昔前のエビスビールのCMのような、のどかな晩だった。酔いは家に帰り着くまでふんわりと残っていた。たまには、こんな夜もいいね。
2008/04/21
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接待と会合と出張が続く一週間が終わり、ようやくのことでおとずれた週末の一日。のんびりと昼前までシーツの感触を楽しむつもりだったのに、躯とココロがまだ仕事モードから変わっておらず、七時には「ぱかっ」と目が覚めてしまった。ベッドの上で今週起きたことを反芻する。バッグから携帯電話を取り出し、受信メールの画面をぼんやりと眺めた。いくつかの受信履歴が示す、あたしの一週間の足跡たち。数年に一度くらいの割合で、やたらと異性に好感を持たれてしまう時がある。大抵それはこちらが外的世界にあまり関心の無い場合が多く、それゆえにいつも戸惑ってしまうのだった。ふつう、好感を持つ人というのは、ウェルカム!な態度で接している、正のオーラに満ちた人だと思うのだけれど、我がことながら、どう贔屓目に考えても負のオーラの方を発散しているときの方が多いように思う。勿論、仕事中はそれなりに律してはいるしできる限り明朗かつ朗らかに接しているつもりはあるけれど、でもそういうのって、判ってしまうものだ。あたしならなんとなく察知してしまう。人に好感を持たれたら、素直に喜ぶべきだろう。できることなら、「イーニ、ミーニ、マイニー、モウ」なんて悪戯っぽく呟けるくらいの余裕を持って。「きれいだね、かわいいね」と言われたら穏やかな微笑みを返せる余裕を求めてあたしの心は彷徨う。窓の外は南国のようなスコール。今年も梅雨がやってくる。
2007/06/09
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あるワインのコミュニティにおいて、「ワインのフィネスとはなにか」との問いかけがあり、教科書的な言葉をなくし、自分の言葉を探して書いてみました。あまり文体としては練れておらず、拙いものとなっています。この件については、ご指導ご鞭撻賜われる方がいらっしゃいましたら、書き込みをよろしくお願いいたします。 心に響くもの...絵画であれ、小説であれ、あるいは料理であれ、比重としては知性よりも感性に訴えかけてくるように思います。そして、感性を言葉で説明するのは、とても難しい。また、説明をしたところで、それ自体にはあまり意味も無いように思います。あたしは、「フィネス」とは、「余韻」のことだと思います。余韻というと、持続性を示す「フィニッシュ」が思い浮かびますが、ことワインに関してはそれだけに留まらないのではないのではないでしょうか。がーんと頭を殴られるような衝撃的な「余韻」もあれば、何日も経ってからじわっと浮かび上がってくるような静かな「余韻」もあります。また、何年も経ってから全く別の体験をした時に、嵐のようなフラッシュバックとともに鮮やかな記憶として甦ることも、「余韻」として認めても良いのではないでしょうか。ワインからは脱線しますが、極めて素晴らしい吟醸酒を利いたときにも、「フィネス」と表現したくなることがあります。
2007/05/19
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エホバくだりて かの人々の建つる街と塔を見たまえり。 いざ我らくだり かしこにて彼らの言葉を乱し 互いに言葉を通ずることを得ざらしめん。 ゆえにその名は バベルと呼ばる。 禍なるかなバビロン そのもろもろの神の像は砕けて地に伏したり。 有名な旧約聖書の一節。あたしの部屋からは、そう渾名したくなる構造物が、日々僅かに、しかし確実に上層へ向かって完成しつつある。富と繁栄の象徴は、太古からいずれ崩壊の憂き目にあう運命と相場が決っている。その走狗たる立場に身を置くあたしとしては、なかなかに複雑なものがある。 いや。複雑であるか単純であるかは、自己の立場をどのように律するかによって変化していくのだろう。そして、実はそれ自体にはあまり意味が無いのだと、思う。
2007/05/18
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明日はお友だちと久し振りにゲームをして遊びます。 せっかくみんなが集まる機会なので、たまにはアクア・パッツァを作ってみたいなァ。もともと漁師が漁の帰りに船の上で作るものなので、採れたてのお魚やらアサリやらオリーヴやらをぽいぽいと鍋に放り込んでしまえばいとも簡単に出来上がる手軽さ、そしてなんといっても魚から滲み出た旨みが悶絶級なのがたまらない美味しさなのです。 残り汁にご飯を投入して良し、パスタをえいやっ、と放り込んでもまた良し。お下品と言いたい輩には言わせておけば良いのサ。んでもって、きりっと冷した白ワイン(できればサレントとか南イタリアの白。安いので良いけど、ちゃんとした造りのもの希望)があればご機嫌。 でもね。 飲みすぎるとゲームに集中できなくなってしまうのが珠にキズなんだよなァ。「無添加」の日本酒に対抗して(?)、バイオダイナミクスのシャブリとかでも良いのかも。
2007/05/12
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今日はお天気が良く、まさに「へんぽん」としている春の陽気だった。特にこれといった予定もなく、どうしようかなァ、なんて思いを巡らせていたのだけれど、ふとワインセラーを見ると、ガラス越しに、つい先日買っておいたばかりの白ワインが、「お出かけしようよ!」と訴えかけてきた。 たまにこんなことがあって、ワインたちは出不精なあたしを外へ連れ出してくれる。 わちゃわちゃと身支度を整えて、大きめのトートバックに敷物やらワイングラスやらワインクーラーやらぱぱっと入れ込んで10分後には家を飛び出した。 まずは名駅方面に向かい、お気に入りのお惣菜屋さんでスモークサーモンのマリネとラタトゥユ、そしてパテ・ド・カンパーニュのサラダを買い込む。ワインを飲むからにはご相伴すべき友がいないとね。 地下鉄を乗り継いで20分、緑が多い公園の真ん中あたり、見晴らしの良さそうな丘のてっぺん、大きな木のふもとのベンチが空いていたので、そこに陣取ることにした。 お気に入りのミステリをバッグから取り出して読む。木陰からわずかな光が文庫のページに踊った。 遠くの方で、白人の男の人たちがペタンクに興じているのが見えた。 結局、日が暮れてあたりが暗くなるまで、公園にいた。 一本分の酔い心地は、まだ残っている。
2007/05/04
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普段は滅多に飲みたいと思わない、ピノノワールを、今晩に限って飲みたいなァ、でもひとりで開けるのもなァ......と逡巡しています。こんな日に限って、近くに飲みに誘える飲み友がいないのは、ちょっとだけさみしいと思ったりして。 この時間だとディーン&デルーカも終わっているし、どうしようかな。 追記 結局、フジッリ(ショートパスタ好き)でアマトリチアナを作り、新聞紙にラベルが張ってあったのだけどびりびりと破いてしまったので蔵元不明の純米無濾過酒を一合ほど飲み、その後はコイーバを飲みながらぱそこんに向かっています。
2007/05/03
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造成でできた草原の一本道を、オレンジ色からピンク色、そしてインディゴブルーへと移ろいゆく夕暮れの中とばした。バルケッタはあたしの右足に忠実に反応し続け、まだ硬さの残っている春の風にあたしの髪は掻きまわされていた。いつものことだった。草いきれの匂いがふわっと囁いてあたしは気づいた。はるか向こうで淡く光るサイン。それは今晩の宿なのだった。彼はエントランスに立っていた。どこか遠くで鳴る鐘の音が伝播してきた。『用心することね。ここはこの世じゃないかもしれないわ』ふとそう思った。無理のないことだった。このような印象派の画家が描くような景色の中では。彼は大きな燭台に蝋燭を灯して、その建物へとあたしをいざなった。あたしは蝋燭の炎から目が離せない。彼は輝くものがなによりも好きなのだった。それは2シーターのジャグァーとアンティークのオーディマ・ピゲ。そして彼が「ともだち」と呼ぶ上品でかわいい女の子たちに囲まれていた。いつも彼は中心で輝いているのだ。春の生命力に溢れた薫りに満たされた中庭でみんなが踊った。あたしも踊った。なにかを思い出すために。そして忘れるために。年老いたソムリエにクラーレットを頼むと、彼は悲しげにこう言った。「1998年以降、そのようなワインは置いてないんです」あちらの方からあたしを呼ぶ声がして、深夜まどろみかけたあたしは覚醒した。天井に張られた大鏡キンと冷えたクリスタル・ロゼ彼は言った 「僕たちはどうせみんなここにいなくちゃならないんだ お前も加わりなよ」 僕たちのなかにいるけものに短剣で戦うのさ 殺すことなどできやしないけれけど」あたしの最後の記憶は入り口に向かって懸命に走ったことだった。ここにいてはいけない。やってきた道を見つけなくては。下睫毛の長い守衛が「落ち着いて」と言った。ここはチェック・インしかできません。いつでも外出されてもかまいません。でも、けしてチェック・アウトはできないのです……。
2007/05/01
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ここのところ、仕事柄「いまだに東洋の島国なんて植民地と信じている農業国ワイン」とか、「女性と見ると仕事中でも【本気で】口説いてくる、海洋国ワイン」とかにうつつを抜かしていたのですが、久方ぶりにカリフォルニアワインの師匠(男塾三號生みたいなお方)と再会し、その荒ぶる御魂に触れて、「(*゚0゚)ハッ!!これじゃーいかん」と一念発起しました。ハートマークのワインと焼鳥とかを合わせて「我が心はハツにアリ」なんてなかなかくだらなくて良いなァ、なんて想像してにんまりと画策している場合ではないのだッ! 今年はこれまでの反省も兼ねてぐぐぐっとカリフォルニアワインを飲み倒そうと誓いました。蝋燭の灯りのもとでしっとりと飲むワインも勿論悪くないけれど、今のあたしには少し強引にでも外に向けて拡散していくワインが必要なのではないかと思ったりしたわけです。まずはモントレー辺りのシラーとかから攻めてみたいと思っています。お勧めのワインがありましたら、ぜひぜひご教授お願いいたします。
2007/04/25
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……甘かった。職場の通用口を出たときはほとんど雨は止んでいたので、通勤に使っているマウンテンバイクで帰る決心をしたのだけれど、途中信号をいくつも渡らないうちに土砂降りにってしまった。自動車のライトが押し越していくたびに、反射した雨粒が白く反射した。だから、視界は明るい。明るいけれど、輪郭がぼやけた。睫毛から水滴がいくつもいくつも滴って、頬を伝った。昨秋買った渋い色合いのジャケットは、雨を吸い込んで腕や背中にまとわりついた。ふと見ると、なめし革がきれいに枯れたあめ色になってお気に入りの鞄もぐっしょりと水分を吸ってどす黒く変色していた。今日のお昼は暖かだったのに。吐く息が白くて、ぞっとした。なじみのバルの看板が見えて、立ち寄って雨宿りをしようか逡巡した。でも、ここまで濡れてしまったら、バルに寄っても無意味だと気付いた。タオルを借りてなんとかなるはずもない。ジャケットだけでなく、シャツやその下まで濡れてしまっていたからだ。まるで水の中を掻き分けながら自転車を漕いでいるようなものだった。それでも、誰かにやさしくして欲しいと……気持ちが揺れたけれど、すぐにぎゅっと目を瞑って諦めた。雨足は更に増して、まさに滝の中を泳いでいるような気分になっていた。以前、こんな映画のシーンをどこかで観たように思う。なんだったかしら。部屋に着いたら、すぐにお風呂にお湯を溜めなくては。それから、鞄から貴重品を取り出さなくては。ああそうだ、携帯電話は大丈夫だろうか。お財布も無事ではないかも。雨に滑って転倒しなかったのは僥倖だったかもしれない。そう思いながら自宅の鍵を開けようとしたけれれど、寒さに手が悴んでしまってなかなか開けられず苛立った。ああ、自転車に施錠し忘れてしまった。熱いシャワーをしばらくの間浴びた。バスルームの鏡に映ったあたしの顔は青ざめていて生気が失せ、唇が紫色になってしまっていた。だから、ずいぶんと長い間、バスタブに浸かった。躯が暖まってきたら、鼻の奥がツンとして涙腺を刺激した。視界が滲んだと思ったら、涙が溢れて止まらなくなった。朝になった。パジャマのまま、窓際に立ってみた。雨はすっかり上がっていて、春のへんぽんとした青空が広がっていた。わずかに、ひなたの薫りがした。日向の薫りを感じたのは久し振りのことだった。遠くに、ゆるやかな弧を描く高速道路とまだ馴染まない高層ビルの群れが見えた。あたしの心の一部が、昨晩死んだ。それを事実として受け入れ、そこからなにかを得たいと思った。死滅してできてしまった隙間に、なにかを植えてみよう。芽が出たら、毎日水をあげて、やさしい言葉を掛けてあげよう。芽はいずれ、大きな樹木へと育つ。その枝と葉で、傘を持たない誰かが雨宿りできるように。花が咲いたら、誰からともなく集まれるように。甘く熟れた果物を皆でもいで美味しさに微笑めるように。そのために時間を費やしたい。
2007/04/15
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昨晩も真っ直ぐ帰宅する気分になれず、仕事場の近くにあるバーへと続く階段を降りた。このご時世だというのに、とても繁盛していて、特にバーテンダーの練達の技量が評判になっているバーだ。しかし、カクテルは門外漢のあたしは、帳口にマカーランの特殊なキュヴェ(と言うのだろうか?)をストレートでいただいたのを皮切りに、季節はずれのテキーラをショットで何杯か飲んだ。何杯か、というのは、四杯目辺りからは数えていないからで、たくさん飲んでも滅多に正体を無くしたことのないあたしが、憂いなく酔いつぶれることができる数少ない方法だったからだ。勧められたテキーラは飲み干すと岩塩と黒胡椒と、ほんのりと血の香りが鼻腔を刺激した。もともと脆弱なあたしの喉はテキーラに焼かれて悲鳴をあげ、胃袋は不平を告げ、肝臓は呪詛を呻いたけれども、それらを全て黙殺して流し込んだ。以前、ワインテイスティングの秘訣を問われて、「深酒しないことよ」と答えたら笑われたことを思い出しながら。深酒をすることは、たぶん消極的な自死なのだろうと思う。あらゆることに未練のあるあたしは、積極的に死を選ぶこともできず、だからといって弱さを強さに変える力もなく、アルコール中毒へと続くゆるやかな傾斜を歩んでいる。逃避の果てに救済されうる何ものかがあるはずもないのに。あたしは、自分自身弱い人間だって事実を認めつづけることで自戒してきた。弱さを知っていれば、曲がることはあっても折れることはないだろうと思っていたからだ。でも。それだけでは、駄目なこともある。以前からの知己でもあるバーテンダーが話し掛けてきた。「仕事は忙しいですか?」仕事そのものはとても忙しいので、あたしはそうだと答えた。事実、過去最高の成績を達成しつづけている。しかし、中心を失った独楽は、回り続けることは難しいだろう。あたしに出来ることは……すべきことは、失ったものを補完してふたたび中心軸を得ることなのだろう。海辺の砂浜で、砂山を作ることはたやすい。しかしその作業は、いまのあたしには違う星の地表で行う作業のように、現実味を帯びて感じられない。いつか、できればと思う。
2007/04/10
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……暗闇の中から、スポットライトを浴びて浮かんだ彼女の姿は、陰翳のせいか、あるいはそれまでの動きのあるステージから一変してステージに用意されたストゥールにじっと座っている姿のせいか、どこか頼りなく、そしてはかなく感じた。静かなピアノの伴奏で始まったその曲は、はるか昔に無くしてしまった探し物を諦めきれずに再び探し始めた、そう思えるような謳い方ではじまり、ステージの上を彷徨いまどった。ライブハウスからの帰り道、春の朧月夜に家路を照らされながら、あたしは反芻する。いずれ……いつかは、あたしも消え往く真昼の月のように忘れてしまうことができるのだろうか。それを願う自分がいるのと同時に、それを怖れている自分に気付いた。http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/270150/Y016822いい歌です。ご関心がありましたら、ぜひお聴きください。
2007/03/27
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長い、長い一日の終わりに、あたしは考える。あのひとと過ごした時間の意味を。振り返ればバリ島の工芸レリーフのように克明に浮き上がってくる思い出の数々を。自分が何もので、あたしにとってあのひとがどんな意味を持っているのかを。二年前に凍てつき錆びきってしまったあたしの心に、水を与え、潤いを齎してくれた意味を、あたしは自分の心に問い掛ける。夜の高速道路を走るバルケッタのエンジン音だけは、あの時と変わらない。車内には、流れるメロディと、助手席に置いたサンタ・マリア・ノヴェッラのバーベナのほのかな香りがある。でも、それ以外はなにもなくて、それに気付いてぞっとした。以前は、孤独な時間は好きだった。あれこれと思索したり、なにかに没頭して時間の感覚が消え去ってふわっと漂うことが好きだったからだ。でも、いまは。ひとりの時間を怖れている。怖れていながら、友人や同僚との時間を疎ましくも感じている。そして思索の帰結は、どうしてあたしの大切な人たちは、あたしから離れていってしまうのだろう、という点にたどり着いてしまう。あたしが息をしたから? それとも笑ったから?いや。求められたときに、応えられなかったからなのだろう。あたしは応えたかったのに。応えていたのに。言葉にしなければ伝わらないことがあるけれど、言葉にしても伝わらないことも、またあるのだろう。浄化と救済を求めるあたしのこころは、どこへ向かうのだろうか。そしてその先は、なにが待っているのだろうか。夜は長い。帰結を見出すには短すぎるけれども。
2007/03/21
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諧謔の意味を知悉しない蛮人たる辺境領姫としては、敢えて享楽的に振る舞ってみても良いものなのではないかと諒解した、冬の日の長い夜。いつか、思い出す日もくるのだろうか。静謐のカウンターで過ごした夜のことを。D.R.C.2003ラ・ターシェドメーヌ・デ・ランブレイ2000クロ・ド・ランブレイロベール・グロフィエ2003ボンヌ・マール
2007/01/22
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黒々とさえ見える青空と、お天気の神さまが「忘れてないよ」とばかりに数日おきに降らせる雨とで、ゆっくりとこの街は季節を移ろわせていく。色々と思いあぐね、探した事で見つけたことは、あった。見つけたことで、捨てなければいけない事も、同じ数だけあった。でも。捨てられないからこそ、いまの自分がある。街の空気は軽く、あの八月の王国の眠たげな季節とは真逆だが、それゆえに鋭く研ぎすまされて、あたしを切り刻んでいく。切り刻まれて、あたしは傷が癒えていなかったことを再認識する。癒えたわけではなかったのだ。ただ、忘れようとしていただけで
2006/11/12
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この数日、職務に因ってとあるデパートに通っている。そのデパートは相当な歴史のあるデパートで、建物も改修は何度も行っているのだが、残っている古くからの建材は本物の大理石で豪奢だ。随分長いこと忘れていたけれど、あたしは栄光のH保育園時代より、このデパートの階段が殊のほかお気に入りだった。使用している大理石の随所に、アンモナイトの断面が見受けられるからである。*階の催事場からゆっくりと階段を降りながら太古の遺物を探していると、あたしも二十年前の幼かった頃の視点に遡行していくような気がして、お行儀が悪いのは承知で隅に腰を降ろしてみた。幼い頃、母に手を曳かれてた頃の階段にはもっと人で溢れていたように記憶しているが、今日は誰も通らず閑散としていた。ながい時間。みじかい時間。「時のお腹は蛇腹です」そんな言葉を思い出しながら、ふと壁を振り返ってみると一抱えはありそうなアンモナイトと目が合った。つぶれているためか、誰にも気付かれなかったのか、他のアンモナイトと異なり赤いテープで縁取りのサインは施されていなかったけれど、繊細な縫合線がきれいだった。「また、きみに会いにくるね」そう言って立ち上がった。
2006/11/08
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天気の良い日はカワサキのバイクに乗って現れるあなた。雨の日にはいくらあたしに止めなよと言われても自転車を漕いで来るね。あたしが何事か言う前に、いたずらが見つかった男の子みたいに首をすくめて見せるよね。針金のように細く長い脚を持て余し気味に歩く姿、目に浮かぶ。日本の国鳥が何かだなんて、得意げに訊いたことも懐かしいね。でも、時折不用意にあなたが見せる全てを透徹した瞳は、ここではないどこかを映している。いずれ、どこかへ行ってしまう人たちの瞳。あなたが、ここではない別の場所へ行ってしまう前に。うんとあなたの顔を見てあたしの心に焼き付けておこう。いっぱい、いっぱい話をしておこう。
2006/09/19
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「過ぎ去った、あれもこれもすべての事が…、輝く未来のためにあったはず。そう信じなくて人生に何の意味があるのでしょう。目指すべき自分の姿にたどり着くために、今、何を為すべきか。正面から過去を見つめる勇気を持つ者だけが…、その答えを得るのです」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%81%E6%A5%AD%E6%88%A6%E5%A3%ABYAMAZAKIhttp://www.sonymusic.co.jp/Music/International/Arch/VA/CompilationInt/MHCP-971/束の間の休息が、どうかあなたの翼を癒しますように。
2006/09/05
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私は深呼吸した。心を無にすることだけを考えた。目に見えぬものは存在しないと同じだ。存在しないものに心をめぐらすのは、それが歓びにつながるときのみに留めるべきだ。大人とはそういうものだ。私はずっと考えてきた。再び深呼吸した。わずかに歯の根が触れあい、カチカチと音をたてた。私は大人になれない。いくつになっても、いつになっても大人になれない人間だ。「秋に墓標を」 大沢在昌著 より抜粋させていただきました。
2006/08/02
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Were DREAMS, now it is...ぼんやりとした意識の中で何度もそのフレーズがこだましていた。「かつて夢だった、そして今は……」今は、なんだというのだろう。古い歌謡曲のフレーズだったように思う。インディゴブルーに占められた憧憬は、未明独特の静寂を伴って、あたしと惑う。あのひとは大きなオレンジ色のスーツケースを曳きながら現れた。でも、ちっとも重そうではない。キャスターが地面を転がる音が軽いから、すぐに判る。あのひとは何のためにスーツケースを曳いているの?それは誰の為?あのひとの旅行は本当なの? それとも偽装?それは誰を欺く為?海辺のちいさなアクセサリーショップへ来た。バス停から、砂にほとんど埋もれた私道を長いこと歩くと、その店はひつもひょっこりと防風林から顔を出す。本当にちいさくて、台風がやってきたら吹き飛ばされてしまうのではないかといつも思う。海風から店を守る為に、申し訳程度に囲われた薄い板塀は、白いペンキもほとんど剥げおちていて、よく見るとあちこちがささくれてざりざりになっていた。この店は、元々サーファだったのだろうと思う店主がひとりでやっている。だから彼が気の向くままに作ったものなら、ショーケースから選んですぐに買って帰ることができるけど、あのひとはわざわざ店主に作らせた。最初半年待ちだと言われ、それであんたが心底満足できるものができるのか、とあのひとが訊くと、わずかに考え込んでから一年後に、と言った。あのひとは短く頷いた。そして、今日がその一年後だった。店主は、まるでずっとそこでアクセサリー作りに没頭していたかのよう見えた。絵本を開くたびに同じせりふを繰り返すおとぎ話の鍛冶屋のように。絵本が紐解かれない時はただずっと同じ姿勢で眠りについているに違いない。たぶん、かつてはダイニングルームだったろう場所が、いまは店になっている。米軍の払い下げ官舎か、そうでなければ古い「醫院」のような板張りの室内は去年とまったく様子が変わっていなくて、あたしはこの店と主が絵本の住人なのではないかと確信を深める。もしかしたらあたしが目を閉じたら活動を停止してしまうのかもしれない。店主は「できあがったよ」とだけ言って、後ろのケースからアクセサリーを取り出した。それは伝説の妖精の王女が細い首元に輝かせているような銀のロケットだった。そっと持たないとすぐに崩れてしまうくらい繊細な仕上がりは、見るほどに吸い込まれていく、恍惚の時間を約束してくれるものだった。あのひとは満足そうに受け取ると、あたしよりも先にその店を出た。なぜなら店主との契約は終了したからで、その場所に居続ける理由は他に見当たらないからだった。店主もそれは承知していて、あたしの事など、最初からここに居なかったかのように作業に没頭した。真鍮のバーを押して扉を抜けると、海を背にしてあの人が佇んでいた。隣りに並んであのひとを見ると、頬の線が硬くなっていた。水平線がオレンジ色が現れ、周囲の蒼い翳を払拭していった。あたしは夢から覚醒した。朝が来たのだった。
2006/07/11
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尊敬し、敬愛する彼女が、ほとんど一年振りに姿を見せた。こんなにも繊細で、けれど強く、したたかで、それなのに純粋な彼女と再び逢えたことを、感謝しよう。神さまや、その他超自然的なあれこれにではなく、あたしよりもうんと年下の彼女自身に。ありがとう。そしておかえりなさい。あたしはあなたがいることが随分と心の支えになっています。
2006/06/08
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去年の夏頃に流行っていた「ミュージックバトン」。ある方より渡されていたのだけれど、ブログを閉鎖していた事や、その後のあれやこれやの内にすっかり失念してしまっていました。やや旬を過ぎた話題だけど、そこがまああたしらしいようにも思うので、過ぎた夏を惜しむように、可能な限り書き込んでみようと思います。Q1.PCの音楽ファイルの容量は? よく判らないけれど、それほど多くないとは思う。Q2.今聞いてる曲は? 「3-Call & 1-Mail」 大黒摩季アルバム「PRESENTs」に収録されている一曲。大黒にしては珍しくバラードを主体としたしっとりと聴かせる構成のアルバムだけど、ハイテンションでイケイケなノリ重視な曲だけが大黒の良さではないと言う事をしみじみと伝えてくれる良いアルバムだと思います。Q3.最後に購入したCDは? 「OUTGROW」 BoA酷く俗っぽいと思うし、けして「聴かせる」歌い方でもないのだけれど、ついつい手に取って購入し、聴いてしまいます。BoAは、理屈とは違うところで、あたしの心に入り込んでいるのかもしれない。Q4.よく聞く、または特別な思い入れのある曲は?■「人として」 海援隊あまりにも有名すぎる学園ドラマ(?)の続編のテーマソングとして作られた曲。しかし、人口に膾炙している「贈る言葉」よりも、あたしはこちらの方が好き。随分長い間忘れていたのですが、最近ふとしたことが切っ掛けで耳にし、しみじみとその歌詞の良さに心打たれています。MOMOさんのホームページで音源と歌詞紹介がなされているので、ぜひ聴いて欲しいです。http://momo-mid.com/mu_title/hitotoshite.htm ■「Here we are」 Gloria Estephan10代の頃によく聴いていました。この曲を聴くたびに、新緑の頃の桜通りを木漏れ日のフィルターを通してキラキラと輝くおひさまをなぜか思い出します。http://item.rakuten.co.jp/americanpie/a0106137106/■「WERE YOU THERE」 ICE20代の頃に良く聴いていました。日が沈んだ後の、まだほんのりと温かいコンクリートの防波堤に座って、グラデーションがきれいな空を眺めるのが好きでした。http://dl.rakuten.co.jp/shop/rt/prod/610002258/ ■「Hotel Costes 3 ETAGE」数年前に良く聴いていました。序盤四曲目あたりまでのロマンチックな構成は伝説的と評しても良いと思います。神楽坂のアグネスホテル・アンド・アパートメンツに滞在するときは、それらしい雰囲気になりそうで、つい持参してしまいます。■「THE NINTH GATE」最後は外しワザで、映画のサントラを。知っている人は知っている、ロマン・ポランスキー監督のオカルトムービー。映画に出てくる建物がどれも印象深く、また物語と密接に視覚として対比されています。韓国のスミ・ジョーにわるヴォーカリーズの旋律がとても美しく陶然としてしまいます。古い赤ワインをゆっくりと飲む夜長の友としては最高です。Q3.このバトンを渡す五人は?今更渡されたとしても釈然としない人が殆どであろうから、敢えて誰にも渡すつもりはありません。個人的に訊いてみたい方はいらっしゃいますが、それはまたそれとしておきましょうか。
2006/04/20
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最近、お気に入りのお店ができた。その店は偶然前を通りかかることで見つけたのだけれど、自宅のすぐ近所を散歩していて見つけたくらいの近所である為、いずれは見つけることになったであろう事を考えると、偶然というよりは必然かもしれない。周囲の店に比べて飾り気のない佇まいで、エントランスからホールに入るまでも間接照明に照らし出されたオフホワイトの壁が毎日長時間に渡ってパソコン仕事をする昨今のあたしの目には優しく感じられる。四川料理の店だけど、あたし自身は何が四川料理なのか浅学ゆえに知らず、ただ唐辛子と胡椒を効かせた、食べている内に味らいが破壊されてしまうんじゃないだろうか、などと言った偏見程度の知識しかない。店内は珍しい事にBGMは流れていない。しかしあたしは音楽を聴きに食べ物屋さんに来ているわけではないので、むしろ歓迎だ。仕事を終えて、ひとりでほっとしながら晩ご飯を食べたいのに、有線のジャズなぞ耳障りなだけだと普段から思っているからかもしれない。料理は、奇を衒ったものは品書きには何もないようだ。ようだ、と言うのは、先ほども言ったようにあたしが四川料理の何たるかを知らないからだ。しかし、食べてみるとどれも実に美味しい。季節の野菜を使った炒め物はそれぞれの野菜の滋味が溢れる五臓六腑に染み渡る美味しさだし、筍と豚肉の四川炒めは辛いけれど旨みがじわっじわっと効いてくるので、額に汗しながら次のひと口を楽しみにしてしまう。つい、「おばちゃん」と呼んでしまいたくなる優しげに話し掛けてくれるマダムがいる。彼女の記憶力は流石なもので、同じ客商売をする身としてはただただ頭が下がる思いだ。前回までに食べたものは全て記憶していて、それでは次はこれが良いわよ、などと薦めてくれる。最近ではお任せでお願いする事が多くなった。お任せと言っても仕事がはねてから貧乏OLがひとりで夜食代わりに食べに来ているわけで、びっくりするような高級食材は使わない。けれど、こういう普段のお台所代わりになってくれるお店は、とてもありがたい。ただし、全てが美味しいというわけでもない。炒飯類は悪くはないが敢えてここで食べたいとは思わない。それに、客足が少なく、三回に一回は貸し切り状態になってしまうのも老婆心ながら気を揉んでしまう。願わくば長く続いていて欲しいと、そう思うからだ。
2006/04/19
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メキシコ産のルビー色をしたプジョーは、電話で約束したとおり、交差点の角に行儀悪く停車していた。あたしは時計で十分の遅刻を確認しながら、足早にプジョーに向かった。いつもの自分のクルマの習慣で、運転席側のサイドウィンドゥをノックしかけて、予想していなかった顔を見つけた。左側は助手席だという事に気付いた。サイドウィンドゥを降ろすと、Yはにっこりと微笑んだ。「お久し振り。狭くて申し訳ないけど、リアシートに乗って」あたしは頷くと、後部ドアを開けて躯を滑り込ませた。押さえられた音量でシゼルのソプラノが聴こえてきた。右側の運転席に座っていたAが、少しだけ振り返った。「仕事、大変そうだね。毎日こんな時間まで仕事してるの?」「そう……いつもはもう少し遅いかな。今日は約束していたから、無理やり仕事片しちゃった」「たまにはね。俺も結婚してからあまり飲み歩けなくなったし」Aとは、彼がデパート勤務だった頃知り合った。五年以上前の話だ。その後、レストランでメートルを勤め、今はその持ち前のサービス精神を生かして福祉関連の仕事をしているという。そして、助手席に座っているYは、Aの学友であり、先月やむを得ず参加したワイン会でAに紹介された。「プジョー、すぐに判った?」「ええ。ふた昔前のトヨタのリッターカーみたいだったから、ちょっと迷ったけど」「酷いこと言うなァ。206はターセルやコルサなんかとは全く違うんだけどな」Aは少し憤慨したようだった。あたしがフランス車に対して思っている、本当に酷い事を言ったら(あたし自身は酷い事ではなくて事実だと思っているんだけど)、きっとAは卒倒しかねないだろう。運転している最中に卒倒されてはたまらないので、あたしは口にボタンを掛けた。沈黙は金なり、だ。ふたりのリクエストは「名古屋らしいものを食べに行こう」だったので、僅かに逡巡した後、M区にある居酒屋にあたし達は向かった。その店の手羽先は有名店のそれとは異なり、化学調味料を使わず、ふっくらとした肉質がたまらなく美味いのだ。もちろん、手羽先だけではなく、魚介類や他の居酒屋料理も実に美味しい。焼酎の品揃えが豊富なのは目を瞑るとしても、日本酒もまずまず揃っており、ワインは期待しない程度にしておけば十二分に満足できる品揃えだ。話題の中心はあたしに関する事ばかりだった。飲んでいる間、Yはずっとあたしを見つめていた。たぶん、あたしのことが気になっているのだと思う。それで、Aに頼み込んであたしを誘い出したのだろう。それはなんとなくだけど、前回のワイン会の時にも薄々気付いていた。あたしもYの事は嫌いではない、と思う。でも。Yは薬指に指輪をしている。あたしとは違う星の住人だ。月の裏側は、どれほど思いを馳せたとしても表側を見る事はできない。まして、今のあたしは裏側を垣間見たいとは思わない。どこかで、一線を曳かねばならないだろう。いつか、ピリオドを打つ日が来るだろう。携帯電話に記録されたYのアドレスをぼんやりと見つめていて、ふと顔をあげると早咲きの桜が満開になっていた。
2006/03/25
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名古屋で最も空に近い場所に行った。同じ高さに来る為には、あとは飛行機かヘリコプターしかない。もっとも、地上からそこへは幾つかのエレベーターを乗り継いだだけなので、運動不足のあたしでも息が切れることはなかった。ただ、頭の中心が急激な気圧変化で少しだけぼんやりとしていたけれど。そこからの眺望は、平たく潰され無責任にだらっと広がる濃尾平野が一望できる。晴れてはいたものの、遠くの稜線はモヤっていて、淡いパステルで描いたような空模様だった。やがて夜になれば、夜景を愉しむ人たちで溢れることになるのだろう。白銀に輝く街路灯がまたたく細く長い高速道路や、赤いテールランプの連なり。地図の上でしか意識することのない鉄道の緩いカーブ。ゆっくりとバターを切るように進む列車。そういったものたちが、すべて会話に添えるためにそこにあるのだと錯覚するのだろうか。ゆっくりと目を閉じてみた。あたしは、暮れてゆく夕焼けの空を、ゆっくりと眺めたいと思った。あの日の情景をもう一度見てみたいのかもしれない。同じ時間と体験をリプレイすることはできないけれど、目に映るものが近似しているならば、あるいはもしかしたら。「大丈夫ですか?」至近で声を掛けられてあたしは目を開けた。大丈夫です、と答える代わりに軽く微笑んでみせた。再現したからといってなんになるというのだろう。ほんの少しばかり空に近い場所に来たからといって、なにも変わるものはないはずなのに。ただ、黄昏の領域に心が傾斜していくのを意識するだけだ。「たまには、遊びに来て、景色でも眺めていってくださいね」そう言われ、「来ることのできる間は。できるだけ来ますね」とこたえた。
2006/03/02
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午前中はたいした仕事が無くて、この分なら久し振りに仕事を早めに切り上げることができるかもしれない。そう思っていた。お昼ご飯を繁華街の地下二階ににある食堂で食べた。この食堂は繁華街にありながら、繁華街を訪れた人はいない。ここに食べに来るのは、この街で働いている人たちばかりだ。だから、けれん味の無い料理を相応な価格で食べる事ができる。「有機大豆を使ったハンバーグとじゃこご飯の定食」とか「サーモンとたらこのクリームスパゲティ」といった学生の子たちが吸い寄せらけるようなメニュはなにもなくて、ごく普通に「豚の生姜焼定食」や「サバの味噌煮定食」がある。無骨だが、美味しい。だからあたしはこの店に週に一、二度は食べに行く。食堂から戻る途中で、すぐに携帯電話に着信表示が並び始める。「着信あり」「留守番メッセージあり」「メール着信あり」が同時に携帯電話の画面に並ぶのも最近では珍しくなくなってしまった。優先順位を頭の中で整理してから、上司、部下、同僚、得意先に連絡を取った。あたしの「午後」が始まった。戸締りをして職場を出ると、あと僅かで日付が変わりそうだったが、なんとなく一杯だけ飲みたくなったので、近くのバーへ向かった。雇われでゲイのバーテンダーがいるのだけれど、そのバー自体は至極真っ当なバーで、彼が作るカクテルはどれも美味しい。彼はいつもと同じようにカウンターに座っていた。退屈を持て余している表情までも、いつもどおりだった。扉を開けたあたしを見て、やっぱり、といった表情で微笑んで、読んでいた本を閉じた。「今日はカンが冴えてるね。そろそろ、顔出すんじゃないかと思ってた」「そうなの?」「そう」あたしは曖昧に首を振り、スツールに腰掛けた。「一杯だけ、飲みたくなっちゃった。終電までのあいだだけ。なにか温まるものをちょうだい」「ヴァンショーはどうかな?」「ヴァンショー? ああ、ホットワインのことね。良いけど、どうせまたどこかの試飲会でくすねてきたタダ酒ならぬタダワインをちょいと加工だけして売りつけるつもりなんでしょう」「酷いこと言うなァ。素直に飲ませて、って言えば良いのに」彼はそう言いながら、ミルクパンにワインを注ぎ、ストックから取り出したシナモンスティックを二つに折り、アカシヤのはちみつを取り出した。たちまちにほんわりとした香りに包まれた。彼の作るホットワインは美味しい。なのに、教えてもらったレシピどおりに作ってみても、けして美味しくない。「どうぞ。飛び切り熱くは無いけど、猫舌な人は気をつけた方が良いかも」出された厚みのあるガラス製のゴブレットを両手で包むと、悴んでいた手の平がじんわりと温まってきた。「良かったら、これでもつまむ?」そう言って差し出されたのは青い紙に包まれたちいさなチョコレートだった。金色のちいさな文字でチョコレート工場のロゴが記されていた。「ジーン・ポール・ヘヴィン……?」「いやだね、『ジャン・ポール・エヴァン』。パリの有名なショコラティエ」「ふうん……どうしたの?」「いや、さ……今日はヴァレンタインだから」そう言って彼は鼻筋を擦った。口に入れたチョコレートは、混じり気のない純粋さと、ほんのりとした苦味が口の中に広がっていった。
2006/02/14
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今朝は先週末から居座っていた寒気団が、そろそろ立ち去ろうか、まだ居座るか、決心を決めかねているような寒さだった。天気もグレイに雲母を散らしたオレンジとベージュで、夕方から雪が降るという予報も充分ありえそうな話に思えた。あたしはクーポンチケットを配っているお兄さんたちを避けながら、地下鉄へと繋がる地下通路を降りた。そしてあの日のことを思い出していた。あの日、あたしたちは特急の指定席に乗り、数時間後に着いた地方都市で急行に乗り継ぎ、更に数時間後には単線の電車に乗った。天気は今日のようなはっきりしない曇り空で、いつ空から白い雪が舞い降りてきてもおかしくないような空模様だった。電車の中に乗客はあたしたちだけだった。あまりにも絵に描いたような憧憬に「映画みたいだね」なんてあたしは無邪気に話し掛けたりしていた。発車まで時間があったので駅のホームを端まで歩いてみて振り返ると、あの人が8ミリカメラを構えていた。学生の頃に自主制作映画を撮ったとか、そんな話を思い出した。勝手に撮っていた事に抗議しようとふくれっつらで詰め寄ると、いたずらが見つかった小学生のように笑った。「撮るのなら、きれいに撮ってよね」と言うと、「きれいだよ」と反された。リップサービスと判っていても、ちょっとうれしくて、照れたあたしは鷹揚に頷いた振りをしてそっぽを向いた。色あせたレモン色の電車は、普段見慣れているものよりふたまわりはちっちゃくて、まるで田舎の旅館が送迎に使っているマイクロバスのようだった。ガタゴトと揺られながら、窓の外を見ると、空からわあっと一斉に雪が舞い降りてきた。どんなことがあったとしても、ずっと幸せが続いていくものだと信じていた、あの日。「代用品」なんてありえないと思っていた。でも、「代用品」は必要に迫られなければ探さないし、使わないものだろう。「代用品」ではない幸せをあたしは今日も探し続けている。
2006/02/06
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仕事柄、希少なワイン、あるいは貴重なワイン(もしくはその双方)を口にする機会には恵まれている方だと思う。それを差し引いても、今晩は特筆するに価するワインたちを飲んだので、備忘録的に書き連ねておこうと思う。とば口はDom Perignon 1996 Magnumだった。日本人なら誰でも知っているこのシャンパンは、しかしあたしはそれほど感激した経験が無いシャンパンだった。というのも、あたしにはシャープに過ぎる酸がドライに過ぎているように感じられて、江戸の町火消し(やせ我慢)に感じてしまうからだった。しかしながら、誰言わずワイン好きな人々の人口に膾炙している例に漏れず、「大きなボトルは美味しくなる魔法が掛かっている」のだった。単にシャープなだけでもなく、平板なわけではもちろんなく、この二週間ほどシャンパンを口にする事の無かったあたしを潤わせる、とても素敵な味わいだった。シャンパンを口にしない二週間という時間が長かったか短かったかは個人の主観に因るところではあるけれど。少なくとも、かのシャンパンに対して美味しいと感じた事の無かったあたしには、これが始めて美味しいと感じる事になった良い体験にはなった。そして、「あーあ、あんな開け方しているよ」とやや消沈気味の抜栓を垣間見てしまったRomanee Conti 1989 Jeroboamは、非常にピュアで曇りの無い印象から始まった。あたしがこれまでに体験した事のあるロマネ・コンティは、様々な香りが一気に噴出するかのようにせめぎあいながら飛び出してくるワインだったが、これは全く異なっていたのに驚いた。フレッシュなベリー類、それほどローストしない紅茶葉、ほんの僅かなマッシュルームの香り……それらがストレートに、けれん味無くグラスの中から舞い上がってきていた。少なくとも、この時点での印象はCalera Jensenのようだった。それはもしかしたら、カレラがいかにロマネ・コンティの影を踏襲しようとしているかの証左なのかも知れなかったけれど。ああ、これだ、この香りと味わい、と感じたのが、次に抜栓したRomanee Conti 1997。ワインの教科書に頻繁に使われそうな、そしてあたし自身が過去に体験してた「ザ・ロマネ・コンティ」な香りと味わいの多層構造。そして中でもチョコレートやモカの香りが強く、いまだ樽香がほどけていないのだと感じた。凛々とした佇まいは、その後も変わり行くことは無かった。しかし、ここで先ほどの89に戻ってみると(なんとお代わりが出来たのだ。しかもその後も何度となく)、香りは大きく変化していた。不思議な事に、干したアワビ、貝柱、漢方薬など、Chinoisな食材の香りへとうつろいでいた。Romanee Conti 1963は、既にかなり褪せた色あいになっていた。香りもシェリー、ランシオなど熟成した香りが中心であったが、味わいはきれいに「枯れた」という言葉がまさに当てはまる、官能的な味わいだった。そして驚きだったのは、一時間以上経過しても味わいが落ちていかない事だった。Krug Vintage(ヴィンテージは失念)は、泡の勢いがとても強かった。喉が弱いあたしには向いていないのかも、と思ったが、気がつくとグラスを開けている自分がいたのには驚いた。Cristalもそうだが、高次元で調和の取れているシャンパンは、実に心地良い。Grange 1982は、「無理して開けなくても、まだ充分に持ちますよ」というあたしの意見は抹殺されて抜栓された。美味しいに決っている。かの新大陸においては、酒精強化ワインが主流だった時代に、信念を貫いてワインを造っていた当時のワインメイカーの志にはただただ頭が下がる。もう後ひとつ、ボルドー右岸の1955を飲んでいるのだが……シャトー名を失念してしまった。Certan de MayかTrotanoyだと思うのだけれど……。こちらもあたしが右岸を愛して止まないという事実を再認識したワインだった。どう考えても、60年が経過しているワインとは思えないほどに溌剌として、躍動的だった。仮に右岸的なワインメイキングがカリフォルニアのブティックワイナリーのそれに通ずるものがあるとするならば、カリフォルニアのクラレットスタイルのワインも、数年如きで評価を下してしまってはならないものなのかもしれない。恐らく、今後の人生の中で同じようなワインを一夜にして飲む体験はまず出来ないであろうと思われる。機会を与えてくれたKさん、そして多くの仲間たちに感謝をしています。
2006/02/03
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ひどい頭痛が昨夜から断続的にあたしを痛めつけていて、この前は何時だったか判らないほど早い時間に帰宅した。とは言うものの、その退出時間だって、世間の内勤社員ならばタイムカードに残業をチッェクする時間なのだけれど。この数ヵ月、ウェブログ生活から遠ざかっていた。飽きやすいあたしにしては例外的に数年に渡って継続していた、ある球団を買収した企業が運営しているブログサイトを閉鎖のは昨年の初夏のことだった。それには幾つかの事情があったのだが、その際たるものはやはり日記をしたためる時間というものを採る事ができなかったという、物理的な問題であった(他に身内バレしたという、なんとも締まらない事実もあった)。かつて書き綴っていたブログサイトは、パソコン初心者のあたしには大変使い勝手が良く簡便で、それゆえに長く続いたのだろうとも思う。確かに、いくつか窮屈に感じる部分もあるにはあったけれけど、それに目をつぶる事さえできたなら、実に居心地の良い場所であった事は否めない(それ以外にウェブ上での対人関係の軋轢も存在はしたが、なにもそれはウェブログだけの問題ではなく、実生活にだって存在しうる問題であるため、それを以ってかのウェブログサイトを批難する事はできない)。あたしがウェブログを始めた数年前とは異なり、現在では誰も彼もが(それなりに秘匿性は持ちつつも)自己のウェブログサイトを所有している時代になってきた。けれど、そんなこととは関係なく、「あたしは帰ってきた」。自分の意志を持って。「もう見ない夢がある」というのは、あたしの言葉ではないけれど、でもそれを口にしてみることでやっぱりあたしの言葉となる。かつて見た心象風景と同じものを体験する事はありえそうも無いこと。でも、もう少し、夢を見たいと思う。かつて見た夢とは異なっていたとしても。ただいま。あたしはもう少しここに居たい。
2006/02/01
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たくさんの人に伝えるつもりはないし、伝わって欲しいとも思わない。必要だと感じてくれる人にだけ、メッセージが伝わればいいと思う。あたしは元気です。でも、今まで生活のかなり中心にずどんとはまり込んでいたものがすっぽりと抜け落ちてしまうのを実感するには、少し時間が必要なのかもしれない。マウスの左ボタンを一度クリックするだけで簡単に自分の過去のあれもこれもが消え去ってしまった事の恐ろしさを、これから実感として感じてゆくのだろう。日記を(より正確に言えばブログを)書かないという事がどういうことなのかを。少し呆然としています。クリックするという動作そのものは実にあっけないものだったけれど、そこに至るまでの36時間、ほとんど一睡もせずに逡巡した。考えてみたら、この数年は途切れる事もあったけれど、それでも継続して書き綴っていた。ただの日記であれば、不肖者の性格ゆえに、すぐに断念していたと思う。そうしなかったのは、書くべき言葉、言い残したい言葉があったから。ううん、違う。伝えたい言葉たちがあったからだ。他ならぬ、今この言葉を読んでいるあなたに。あなたに伝えたい言葉たちがあったからこそ、何年も続ける事が出来ました。ある日、あなたがあたしの書いた文章を……文章と思しき文を読んだ時、なにかしら驚きと発見があれば良かったと思う。こういう考え方をしている人がいるんだなァ、と感ずるところがあれば良かったと思う。もう少し、この楽天広場で出会えた素晴らしいあなたと、この楽天広場で「つながる」ことが出来ていたら。あたしは夢想してみる。それは、プリズムを通した光のように、きらきらとあたしを魅了する。あるいは、秋の日の暮れて行く逢魔が時の空のように。けれど、あたしの夢想は散文的な一撃によって粉々に粉砕されてしまった。幕にするのならば、いま少しドラスティックに幕を降ろしたかったのだけれど。それは望み過ぎなのでしょうね。いつか、また、どこかで。ほんのちょっと、遠いところへ。それは、公園で散歩するようなこと。それは、大好きです、と言葉にして伝えること。
2005/05/06
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