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昨日の芦屋レッスンでクロールはひと段落着いた、
コーチには「次回から平泳ぎですかね」と言ったら、
「せっかくココまで来たんだからもう少しクロールを」で、しばらくまたクロールを深めることと相成る、
さてそのクロール、クラブでは今夜も快調だった、
ひじを立てて、一気に後ろに押す感じがスッカリ身についた、
基本ができていると、ユックリ泳いでも結構、サマになっている、
イヤー、実に気持ちがよかった、
で、今日のトピックはそのクロールではない、
プールからの帰り際、
門の外で「サヨナラ!」と声をかけられる、
振り向くと、 いつもの受付の女性スタッフがゴミ出しをしながら、
チョっと恥ずかしそうにうつむきながら会釈していた、
ゴミ袋を持っていたので、チョっと気が引けたのかも知れない、
その時だった、
「アッ、これだ」、 瞬間的に来た、
変な言い回しだが、
「ゴミを持っていてもいいんだ!」という理解である、
何のことかというと、
人は元来、美しいのだ、
そう、存在そのものが美しいのだ、ということ、ゴミを持とうが、転ぼうが、美しいものは美しいのだ、
そして、これの考え方の延長がすぐにやってきた、
失敗しても、つまずいても、投資で損しても、私自身は関係ない、
私の存在そのものは美しい(!?)ままである、
だから、さっきのスタッフは、
ゴミをもつ姿そのものがやはり美しいのであり、
うつむきかげんで会釈などする必要はマッタクない、
(多分、彼女はゴミ袋に気を囚われてしまったのだろう、)ゴミをもって堂々と会釈すればイイのだ、 ということ、
これは先日の 苦のままで幸せ
( 圧倒的勝利者
)、の延長だな、
永遠の命を持つものは、
苦のなかにいて、苦のままで、
幸せに生きることができる、 ヨロシク、永遠の命を持つものは、
ゴミ袋と共にいて、ゴミ袋を持ったままで、
美しく生きることができる、
空虚ーー 2017年09月04日
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