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昨日、 NK225と永遠のいのち
などを書いて、寝たら、
一晩中、頭の中を駆け巡っていたような錯覚にとらわれた、
特にこのフレーズが頭の中で繰り返された、
永遠の命を持つものは、
苦のなかにいて、苦のままで、
幸せに生きることができる、
そして、明け方やって来た言葉が、
「 圧倒的勝利者 」だった、
さらに、
過去、イタリアのローマで見た、天草の殉教者の油絵がなぜか思い出された、
火あぶりにされる母子が十字架に磔にされる絵だった、
その顔は光り輝いていた、
(当時、個人的には作為的に笑顔を描いたのではと思ったが、)そして何ゆえか、自分が彼女の立場になった気持ちで、
彼女の笑顔がわかる気がした、彼女は決して今の自分の境遇にとらわれていなかった、
彼女は明らかに違う次元、世界を見ていた、
これだ、これ、
永遠の命を持つものは、
苦のなかにいて、苦のままで、
幸せに生きることができる、 これと同じジャン
この概念自体は自分にとっては別に珍しいものではない、
周りの環境(苦しみ、困窮など)とココロのあり方は別物よ、
の一言で片付く話だ、
しかしこれが実体験となると、又違ってくる、
理屈で、私は苦しみの中でも信仰があるから平気です、と言うのと、実際に光り輝く顔でいるのとは、似て非なるもの、
それと昨夜(一瞬だが)、
NK225先物でもこれに合わせたイメージが来た、
だいたいこんな感じか、
損失の中でうろたえるのではなく、
損失の上で正々堂々としている、
そう 正々堂々
、である、
変な話だが、
負けているくせに、気持ちは圧倒的勝利者なのだ、
この思い、まだ少し余韻が続いている、
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