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過去にいろいろミニストリーを見てきた経験から、少しコメントを、
一般の剣術、あるいは昔の日本武術(名称はあいまいだが)は、
その生い立ち(攻撃型)からおよそ、
ユルや優しさとは無縁のものだった、
しかし江戸時代から一転する、
治安を維持するにおいてもはや「殺人剣」はかえって逆効果であったことから、家康が抱えた柳生心陰流は刀を持たずに相手を制するを目指した、
そして彼ら、柳生一族が達した境地は「争わない」だったとか、 殺し合いを超えようとした剣術家が切磋琢磨を繰り返してきたわけだ、
そして、明治になると 武田惣角
が現れ、
剣を持たず、触れただけで相手が倒れる型が出現する、
そして本格的合気道の開祖が彼の弟子、 植芝盛平 となる、
(江戸時代にもあったかも知れないが記録が見つからない)
彼が目指した武の道は"戦わずに闘争を解決"だった、
しかし現代の合気道は、
相手の勢いを利用して、イワユル、ベクトル返しで対応するのが一般的、となってしまった、 (ココロの部分が省かれてしまったわけだ)
高岡氏は、本来の合気道よろしく、
相手と組まずとも、触れるだけで(自分から相手にエネルギーみたいなものを流すことによって)相手を倒してしまう、
しかも倒した後は、笑いと心地よさまで与えてしまうと言う、
そのエネルギーみたいなものとは、
考えても出てこない、念じてもダメ、
ただ、無心になる、そうゆるむことによってのみ流れてくれる、本人がまるで何かを移送するパイプラインに徹するれば徹するほど流れがスムーズとなるが如く、
邪念、邪推、攻撃性があっては成立し得ない世界だ、
合気道は愛の武道
であるとは合気道の開祖、 植芝
氏の言葉である、
本人のユル度が試される合気道、
ユルめばユルむほど流れ始めるエネルギーみたいなもの、
触れられ、倒される者は 笑い始めそして心地よくなるなんて、およそ復讐/怒りとは正反対のこんな矛盾の現れは、
コレはそうH/S、Holy Spirit、
三位一体の神、第3位格の聖霊の働かれる世界しか思い浮ばない、
その流れる器、管を探して世界中を歴史を越えて駆け巡る、
その人の背景、人種、宗教(イスラム、仏教、他)、出生(血筋)、地位、収入、名声 等々は一切問わない、
邪心ある者や高慢な者には決して近づいてくれない、
謙遜な者、求めるものに惜しみなく与えようとする、
日本の古武術、合気道にH/Sが働いている、
考えるだけでうれしくなってくる、
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