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東京六大学野球春季リーグ最終週第2日は28日、神宮球場で行われ、試合がなかった立大の1999年秋以来35季ぶり13度目の優勝が決まった。 優勝の可能性を残していた慶大が早大2回戦に6-12で敗れて1勝1敗となり、3回戦に勝って勝ち点4としても、同4で全日程を終えている立大を勝率で上回れなくなったため。(毎日新聞)立教大の関係者やファンの皆さま、優勝おめでとうございます!全日本大学野球選手権でも、ぜひ優勝してください!!さて今日の早慶戦、NHK解説の鬼嶋一司さん、應武篤良さんの話に耳を傾けました。ここ数年、試合を見るよりも解説者の話を聞いているほうが面白い。應武さんの話、「有力な選手が揃っていることが、必ずしも優勝の条件ではない」。今季の立教を見ていると、まさにそうだな!と思います。ここ4年ほど立教の選手層は常に厚く、いつ優勝してもおかしくなかったのに、あと一歩手が届かなかった。そして今季は有力選手がごっそり抜けた直後ということもあって、いわば「谷間の年」。開幕前に立教を優勝候補に挙げた人はいなかったでしょう。それでも優勝したのは、シーズンを通した「流れ」を味方にできたから。具体的には4月15日、立教ー法政1回戦。9回裏二死の場面で飛び出した山根佑太(4年、浦和学院)の同点本塁打だと思います。あれで立教は流れに乗れた。結局、延長12回引き分けになるのですが、もし山根の本塁打がなかったら法政が立教から勝ち点を挙げ、立教の優勝はなかったでしょう。(写真)4月15日、立教ー法政1回戦。立教が1点を追う9回裏二死走者なしの場面で、山根が同点本塁打を放つ。<関連記事>立教・山根佑太、9回裏土壇場の奇跡的な同点弾!
2017.05.28
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今日行われた立教大ー明治大3回戦は、延長12回の接戦の末に立教がサヨナラ勝ち、優勝の可能性を残した。次週早慶戦の結果次第で立教Vが決まる。一方、明治は昨日の時点で優勝争いから脱落。今日の敗戦で3連覇はおろかBクラスが確定した。しっかし、今季の明治の元気のなさは、いったいどうしたんでしょうか?これは数字にもハッキリ出ています。「投」の成績を示すチーム防御率は2.99でリーグ2位(1位は立教2.98)と健闘しているものの、「打」のチーム打率は.221とリーグ5位。この低打率がそのまま順位に直結しているようです。いえわざわざ数字を紹介するまでもないですね、試合を見ていても明治伝統の粘っこさがあまり見られなかった。この「粘っこさ」とは、チームスローガンの「つなぐ」ことと同義。例えば2年ほど前なら3番・高山俊(現阪神)につなごうとばかりに、9・1・2番の打者たちが必死で打席に立っていました。ところが今季は「つなぐ」意識はあるだろうけれど、では「いったいだれにつなぐのか?」と軸になる打者を各々が探しあぐねているように見えました。軸の打者がいなければ「つなぐ」ことなど、いわば絵に描いた餅。ゴールのないトラックを延々と走り続けるようなものです。来季こそ憎らしいほど「粘っこい」明治伝統の野球を見せてほしいものです。明治が強くなければリーグが面白くないゆえ。<関連記事>高山につなげ! 明治を支えるちびっこトリオ(写真)対立教大2回戦で敗れ、スタンドに挨拶する明治ナイン。左端は中野主将。
2017.05.22
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昨日現在、東大を除く5校に優勝可能性があった東京六大学リーグ。今日の立教‐明治2回戦は敗れたほうが優勝戦線から脱落する、いわば土俵際の戦いとなりました。立教 004 000 023 =9明治 000 200 000 =2結局立教を勝利に導いたのは、山根佑太(4年、浦和学院)の2発でした。まず3回、走者を一・二塁においてレフトスタンド中段に3点本塁打を放ちます。そして8回、「打者山根」とアナウンスされると、立教応援席からはすさまじい拍手と歓声が起きました。長く東京六大学リーグを見ていますが、こんなに大きな拍手と歓声を呼んだ選手は最近記憶にありません。そしてスタンドの応援を背に山根がフルスイングすると、あらら・・・今度は左中間最深部へスタンドイン! 立教応援席も内野席もまるで優勝したかのような大騒ぎ。これが明治に引導を渡す一発となって、立教が勝利を決めました。今日の山根は4打数2安打、打点4。大学入学当初はいつも自信なさげな姿で凡退を繰り返していましたっけ。しかし今は浦和学院時代と同様に溌剌し、明日もチームを勝利に導くでしょう。写真:浦和学院カルテット。立教明治戦は多くの浦学OBを見ることができます。(写真)8回、左中間に本塁打を放つ山根佑太。(写真)代打で登場した立教・高田涼太。(写真)明治・竹村春樹。(写真)明治・西野真也。
2017.05.21
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今日勝利して優勝へ王手をかけたい立教でしたが、明治の森下暢仁(2年、大分商)-齊藤大将(4年、桐蔭学園)の継投の前に9回二死まで無安打。代打で登場した立教・大東孝輔(4年、長良)が左腕斎藤から意地の中前安打を放つことでチーム無安打記録だけは逃れたものの、大事な初戦を落としました。しかし、この大東は先日の対早稲田戦2回戦も、左腕大竹耕太郎からサヨナラ打を放つなど「左殺し」ぶりは健在。沈黙した打線の中で大東が「職人技」を披露し、一人だけ光って見えました(^^)/「左殺しの極意」。以前見たNHK『球辞苑』では、左殺し職人だった西岡和洋さん(元西武、巨人)が出演していました。西岡さんが語った極意は、両足を左腕の球道に平行にして、逆方向、もしくはセンターに打ち返すことだそうです。西岡さんの場合は、はじめオープンスタンスで立ち、その後左足をホームベース寄りに移し(クローズド)、球に突っ込むようにしてスイングすることが秘訣と話していました。「卓越した鵜飼漁の技」。大東の出身地、岐阜・長良川は鵜飼で有名な土地です。ここには鵜匠による職人技がいろいろあって、そのひとつに「手縄(たなわ)さばき」があります。鵜匠は最大12本の手縄を左手にもちますが、鵜が動けば次第に手縄はもつれて絡みはじめます。これでは鵜の動きが制限され自由度がなくなるため、鵜匠は素早く右手で絡まった手縄を引き抜き、左手に戻す。これはあらかじめ手縄を緩く持ち、手縄を通して鵜の動きを掴むことが重要で、さらに瞬間的な判断・動きをすることこそが匠の証なんだとか。大東は最初からクローズドスタンスで構え、左腕の投球に合わせて一層左足をホームベース寄りに踏み込みます。そして両足を球道に平行にして、逆方向に打ち返すことが特徴のようです。対早稲田2回戦のサヨナラ打がまさにそうでした。ただ今日は違っていて、インパクトの瞬間、左足でなく右足(軸足)を少し後ろにずらして(ホームベースから遠ざけて)センター返しをしていました。球と並行に立つ原則を守りつつ、適宜、素早く判断してフォームを変えられる自由度こそが彼の持ち味なんでしょう。きっと明日も代打で出場機会があるはず。大東の打撃に注目です!
2017.05.20
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今日の第1試合、早稲田大対立教大1回戦。早稲田エースの小島和哉(3年、浦和学院)が好投、立教打線を被安打2の完封勝利を収めました。スコア1-0。序盤は球が高めに浮き、いつ崩れるか?と周囲をハラハラさせた小島でしたが、中盤から立ち直りました。立教にとって惜しかったのは、8回表・藤野隼大(2年、川越東)の大ファール。レフトポール際に高々と飛んだ打球には、すわっ同点か!と思いましたが、かすかにポールの左を通過したようです。この小島と藤野の対決は、埼玉の浦和学院対川越東戦を思い出させてくれました。埼玉で圧倒的な強さを誇る浦和学院、そして近年台頭著しい川越東。いまから4年前、2013埼玉県夏の決勝が両校の直接対決でした。浦和学院の先発はエース小島(当時2年)。対する川越東は、藤野(当時1年)がベンチ入りしていなかったものの、3番手で登板したのは藤野と同学年の高橋佑樹(当時1年)でした。そう、今日の神宮第2試合で慶應・先発投手の高橋です。その時は浦和学院に対し1回1/3、被安打4、与四死球5、失点6と散々な出来、試合も1-16で大敗しましたが、埼玉に川越東あり!を印象付けた決勝戦でした。ちなみにこの時、川越東の中心選手に、早稲田大で完全試合を達成した高梨雄平(現・楽天)の弟・高梨公輔(当時3年)がいました。たまたまですが、今日(5月14日)首都大学リーグ2部優勝を決めた武蔵大の選手です。公輔は今日の試合に代打出場した模様。後日、一部最下位の桜美林大と入替戦に臨みます。(写真)慶應義塾大・高橋佑樹。(写真)立教大・藤野隼大。(写真)川越東時代の高橋佑樹。~テレビ埼玉より(以下も同じ)(写真)打席に立つ川越東・高橋佑樹、投手は小島和哉。2人の対決は今月末の早慶戦でも見ることができそう。
2017.05.14
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昨日の1回戦で引き分けたこのカード、今日2回戦は法政大が逆転勝ちし1勝1分としました。まだまだ予断を許しませんが、別名「筋肉カード」とも呼ばれ法政・中山翔太(3年、履正社)と慶應・岩見雅紀(4年、比叡山)に注目が集まりがちですが、ところがどっこい脇役たちもしっかり活躍していました。例えば法政では、1回戦の土壇場12回に本塁へ好返球しサヨナラを防いだ清水雄二(4年、中京大中京)。これまでの連敗の責任を一人で背負った感のある森龍馬(4年、日大三)、今日2回戦ではこの森が本塁で刺しました。この人を見ていると数年前の安慶名主将を思い出します。そして気迫を前面に出して熱投する熊谷拓也(4年、平塚学園)、この投手を脇役と呼ぶのはいささか憚れますが。一方の慶應は、シュアなバッティングを見せる天野康大(4年、智辯和歌山)、柳町達(2年、慶應)。そして清水翔太(4年、桐蔭学園)、5番、一塁手。今日2回戦でも適時打を放ちましたが、昨日の1回戦で特に印象的だったのは、この選手でした。(5月6日、1回戦)法政 400 100 000 000 =5慶應 301 010 000 000 =5まず同点で迎えた4回表、法政が無安打で1点を挙げますが、そのきっかけは清水のトンネル。そして汚名返上を期したか5回裏には自らソロ本塁打を放ち同点に。その後はきびきびしたプレーが続きました。強烈なライナーをジャンプ一番好捕、さらに内野手からの悪送球を体を張って止めるなど清水のプレーに目を奪われました。そんな清水を野球の神様が見ていたのか。実は延長に入ると、清水は2度もサヨナラのヒーローになりかけました。ひとつは延長10回、走者を二塁において放った打球は左中間ど真ん中に飛びましたが、法政のセンター・舩曳が好捕。もうひとつは延長15回、二死二塁の場面で左前に安打。すわっサヨナラか?と思われた直後に法政レフト・清水の好返球に阻まれ、二塁走者は間一髪アウト! 流れを呼び込みながら今一歩のところでヒーローになれませんでしたが、今後も清水に注目したいものです。清水翔太。桐蔭学園3年時の2013年夏、神奈川県大会では着実に勝利を重ねてベスト8入りし、準々決勝は現在のチームメイト柳町(当時1年)らのいる慶應高と対戦してコールド勝ち。すでに勇退を決めていた恩師土屋恵三郎監督を胴上げすることを目標に、齊藤大将(現明治大4年)や町田大輔(現法政大4年)らとともに挑んだ準決勝で敗退、惜しくも夢破れました。この時、桐蔭学園に勝利したのは平塚学園です。エースは現法政大の熊谷拓也でした。(写真)1回戦の延長12回裏、二死二塁の場面で清水が左前安打を放つも、二塁走者は本塁憤死。慶應のサヨナラ勝ちはならなかった。二塁走者は柳町達。投手は法政・門倉もとい菅野秀哉、捕手は鎌倉航。(写真)清水翔太。守備でもキビキビとしたプレーを見せた。(写真)桐蔭学園時代。神奈川県大会の準々決勝、対慶應戦。(TVKより。以下も同じ)(写真)齊藤大将。(写真)この大会をもって桐蔭学園監督を勇退した土屋恵三郎氏。現在は星槎国際湘南高の監督。
2017.05.07
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慶應義塾大・大西健斗(1年、北海)が今日、代走で神宮デビュー! 肘に故障があり、当面は野手として出場らしい!
2017.05.06
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1960年最後の記事は、11月6日~11月12日まで行われた「早慶6連戦」のこと。この秋のリーグ戦は慶應大が勝ち点4で8勝2敗、早稲田大が7勝3敗の勝ち点3で早慶戦へ。ここで早大が2勝1敗で4つ目の勝ち点を挙げると両校9勝4敗勝ち点4で並び、一日も空けることなく優勝決定戦へ。この優勝決定戦は1試合限り、勝者が優勝校となります。が、この時は延長11回日没再試合が2度続き、優勝決定戦3戦目(早慶戦3戦から数えて6戦目)にして早大が3-1で勝利、ようやく決着がつき早大が優勝を決めました。この早慶6連戦、大和球士さんが注目したのは早大のアンダースロー・安藤元博投手(坂出商)でした。以下、著書『野球百年』(時事通信社)より。「驚くべき記録が生まれた。早大の投手安藤元博(のちに東映ー巨人)が、ー5試合登板、4連投の荒業を完成した。第一戦に完投して勝利投手になり、第二戦こそ登板しなかったが、第三戦から決勝戦になった第六戦にいたるまで四連投の勇投をした。六試合に五試合登板、四連投の記録は、引き分け試合を含まない限り、今後も容易に破れない記録であろう」調べてみると、この時、安藤の投球数は5試合、49イニング、564球でした。今では考えられない酷使ぶりです。これは「精神野球」を掲げる早稲田野球、飛田穂洲イズムの影響もあったでしょう。でも、この伏線には意外な逸話がありました。実は早慶戦に先立つ対明治大戦で安藤は救援に失敗、大炎上して勝ち点を失う大失態を演じ、「安藤がたるんでいる」と声が上がったほど。困った石井連蔵監督は、当時顧問の飛田にお伺いを立てます。すると飛田から予想しなかった言葉が。「うーん、休ませたらどうだ。休むのも練習のうちだ」と。さぞ石井監督は驚いたことでしょうが、その結果ノースロー調整を続けたことで体調が戻り、安藤は早慶6連戦を投げ切ることができたのです。(記事参考および写真:『早慶戦110年史』ベースボール・マガジン社)この1960年、6月に安保条約をめぐり、全学連が国会突入をはかり警察官と衝突、東大生・樺美智子さんが死亡する事件が起きました。その後も浅沼社会党委員長刺殺事件、三井三池闘争など暗いニュースが続く一方で、池田首相が「所得倍増計画」をぶち上げるなど、まさに混とんとした年。洋画「チャップリンの独裁者」邦画「霧笛が俺を呼んでいる」が封切りし、映画館には多くの人が詰めかけました。普及を始めたカラーテレビからは「このまま死んでしまいたい~♪」のフレーズが印象的な、西田佐知子「アカシヤの雨が止むとき」が流れていたことでしょう。ちなみに、その前年から東京六大学にも背番号制が導入され、安藤が背負った「11」は早慶6連戦の活躍を称えられ、以降早大・右腕エースの背番号として受け継がれています。左腕エースは「18」。今季の選手を調べると、「11」は・・・「18」は・・・あらら、該当者はいませんでした。(写真)早大・安藤元博。敗れた慶大選手のコメント「安藤のフォームは型破り。しかもボールの回転も少なかったので打ちづらかった」。(写真)早慶6連戦の決着直後。のべ38万人の観客が神宮球場を訪れた。6連戦中は試合終了後すぐに切符売り場に行列ができ、多くのファンが夜を徹して並んだ。中には近くの青山墓地で薪木を集め、焚き火して暖をとった猛者もいたとか。
2017.05.04
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