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「あ~、負けた・・・ 」 サヨナラ負けが決まった瞬間、中西捕手はその場に座り込み、マスクを外しかけて、そのまま天を仰ぎました。 木更津総合ー金光大阪は延長13回タイブレークにもつれる接戦。木更津は13回表に2点を挙げて3-1とするも、その裏、連続四球で同点とされると、なおも満塁の場面で死球を与えて押し出し、サヨナラ負けを喫しました。この回は一本の安打も許していないのに3失点。捕手としてはやるせない気持だったでしょう。 いまから6年前、微妙な判定の直後にサヨナラ打を浴びた早川隆久投手(現楽天)の姿を思い出しました。木更津総合には、なぜか切ないサヨナラシーンがついてまわります。【甲子園2016春】微妙な判定が悲劇を呼んだ木更津総合・早川隆久は、こちら。
2022.03.26
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23日に行われた1回戦花巻東ー市和歌山は、5-4で市和歌山が勝利した。エース米田天翼は注目の花巻東打線を抑えて堂々の勝利。3番・佐々木麟太郎を徹底して内角を衝き無安打、そして怖い4番・田代旭を1安打に抑えた。花巻東 100 000 003 =4和歌山 013 001 00 X =5 花巻東にとって返す返すも残念なのは、初回に1点しか奪えなかったこと。無死一・二塁の好機に3番・佐々木、4番・田代が連続三振を喫した。立ち上がりに市和歌山・米田の制球が定まらなかったため、早めに叩いておきたかった。ここで2点でも3点でも挙げておけば試合の展開は大きく変わっただろう。さらに3回の守備の乱れも敗因。記録に現れないミスも目立った。 昨秋の明治神宮大会で3試合を見たが、その時とはまるで別のチームに見えた。これが甲子園なんだろうか。 試合後、佐々木洋監督のコメント。「特に3回の3失点が堪えた。相手の米田投手の球は思ったより伸びていた。膝下のボールにスイングが止まりませんでした。夏に向けてはもっとスピードボール対策をしたい」。 花巻東・佐々木麟太郎は試合後、「自分のセンスのなさとか、そういうところが足りないと思っているので、夏に向け練習して甲子園に戻ってきたい」。 (写真上)初回、高めに浮く米田の投球をとらえきれず、佐々木麟太郎のバットが空を切る。NHKより、以下も同じ。(写真中)9回、田代旭は低めの球を中前にはじき返し、1点差に。(写真下)再三の好守で投手を助けた宮沢圭汰遊撃手。
2022.03.24
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昨日の第2試合は、近江が延長13回、タイブレークの末に長崎日大を6-2で降し、見事に初戦を突破した。近江は近畿地区の補欠1位校、チーム内に複数の新型コロナ感染者が出た京都国際に代わって出場している。(写真)延長13回表、タイブレークの無死一・二塁場面で、近江の4番・山田がタイムリーを放つ。NHKより さて過去、センバツで出場辞退したケースは意外に多い12回。いずれも京都国際とは違って不祥事が絡んだ事柄が原因だったが、この内、近江と同様、代わって出場した高校が初戦突破した例は計3回あったようだ。(1)1935(昭和10)年、浪華商辞退、代わって中京商出場(2)1952(昭和27)年、門司商辞退、代わって長崎商出場(3)1992(平成4)年、神戸広陵辞退、代わって育英出場(1)浪華商が辞退したのは兄弟校の経営トラブルと不審火が原因とか? よく分からないが、選手たちに非はなかった模様。代わって出場したのが中京商。初戦(2回戦)で育英商を3安打に抑えてベスト8に進出した。この時、中京商のサードは野口二郎。翌年投手に転向し、のちにプロ野球のセネタ―スや阪急で活躍し”鉄腕”と称された名投手だ。 (2)門司商が辞退した原因は、センバツ出場を控えた野球部員は試験を免除されたことが発覚して、出場辞退に追い込まれた。これも選手に非はなくなんとも切ない話だが、エース宅和本司(のちに南海)ら選手たちの甲子園出場の夢が断たれた。代わって出場したのは長崎商。甲子園に到着したのが開会式の前日、初戦の日大三高戦は2日目という慌ただしさだったが、スコア3-2で降すとベスト8まで勝ち進んだ。(3)神戸広陵は野球部員の喫煙が原因で出場を辞退した。代わって出場したのが育英。駒大岩見沢、広陵を破り、ベスト8に勝ち進んだ。この時、育英の1番・センターが2年生の大村直之(のちに近鉄)だった。 こうして見ると、代替校が初戦に勝利した場合、ベスト8入りする確率は100%のようだ。近江もベスト8入りは確実、かもしれない。
2022.03.21
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きょう開幕したセンバツ大会の第3試合は、九州国際大付がクラーク国際を3-2で下し(延長10回)、サヨナラ勝ちした。ク国際 101 000 000 0 =2 九国際 020 000 000 1X =3 スコア2-2で迎えた延長10回裏、九国大付は一死一・三塁の好機に、4番・佐倉侠史朗が左へ犠飛を打ち、サヨナラ勝ちを決めた。「2年生のビッグ4」の一人、佐倉が試合の最後に結果を残した。(写真)サヨナラ犠飛を放った九州国際大付の佐倉侠史朗。NHKより(以下も同じ) また、ボクが注目したのは九国大付のショート・尾﨑悠斗。8回表、投手のグラブに当たり真後ろに転がった打球を捕ると、すかさず一塁へ送球したプレーは高校生離れしていて、まだまだ見ていたい選手だと思った。(写真)九州国際大・尾﨑悠斗のプレー 九国大付が前回センバツに出場したのは、2011(平成23)年。この時は、昨年亡くなった若生正広監督が率い、決勝で東海大相模に敗れたものの準優勝を果たした。 なお、福岡県勢として決勝進出は、実に57年ぶりのことだった。 そして今回、チームを率いたのは楠木徹監督。小倉高、早稲田大を経て1974年に太平洋クラブライオンズに入団後、2004年まで一貫してライオンズに在籍し、捕手、スカウト、コーチ、スカウト部長、編成部長などを歴任した。早稲田大時代は、チームメイトに現岐阜商の鍛治舎巧監督がいた。
2022.03.19
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1941年(昭和16年)、自身が監督をつとめる朝日軍が最下位だったが、その年の東西対抗戦の西軍監督に就いたのは竹内愛一。 この竹内は一種独特の人気を持っていた人物。大和球士さんがおっしゃるには、「かつて早大の投手時代に、大切な試合にマウンドを踏みながら、おりから上空を通過した飛行機に見とれて、しばしば投げることを忘却したり、ある夏地方の中学にコーチに招かれたとき、制服制帽の早大選手らしい服装をしていかず、夏羽織に角帯、白足袋、カンカン帽というお店の若旦那風の服装をして出かけて、出迎え人を唖然とさせた怪傑だった」。 そして「プロ球団の監督としてもスタンドのお客さんに愛嬌をふりまいたりしてサービスに努めたから、その人気は花形選手に匹敵するものがあった」。 世の中の常識といわれるものに縛られず、そしてファンへのサービス精神・・・、いま球界の話題をさらっているビッグボスを思い出してしまった。 (写真)社会人野球・全京都時代の竹内愛一。~『激動の昭和スポーツ史 社会人野球』(ベースボール・マガジン社)より。
2022.03.06
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