全2件 (2件中 1-2件目)
1

安本美典氏 「邪馬台国は遠賀川流域から東遷した」止めが安本先生だろうか!安本先生も現物主義というのか、発掘されたものからの説なので説得力が凄い。これだと赤村にあっても不思議では無い。まず、○○インターで降り甘木の遺跡辺りに佇み・・、そして秋月街道を田川に向かう。そして遠賀川周辺に佇み、そこから田川・赤村・みやこ町周辺の空間を味わう!帰りに九博に寄って「はにわ」を見るのもいいかもしれない^^しかし、3年前既ににこんなものがYouTubeで流れていたとは・・。
2025.02.08
コメント(0)
薩摩川内市に薩摩国分寺跡・薩摩国府の痕跡があり、奈良時代後半から平安時代に使われていて・・。という事は、当時の官道がどの辺りを通っていたのか?というロマンがまず沸き起こる。江戸期の薩摩街道も微妙に変動があり、また古代官道との絡みが妄想を広げてくれる。古代官道の略図もメモ的なもので、駅家と呼ばれる中継地点も凡その地点名だけで具体的な場所がはっきりしていないという事で、何から何までロマンだらけなのだが・・。横座峠を越えていたらしいが、いつ頃からその後の薩摩街道を使うようになったのか?大宰府への古代官道がいつまで使われたのか?それを考え始めると律令制の終焉と絡み合い、このロマンは範囲が広がり過ぎてしまいちょっと小休止してしまっていた。そんな時に見たのがこのYouTubeだ!!なんと奈良の橿原考古学研究所に勤めながら纏向遺跡の発掘に携わっていた方とも思えないその意見!邪馬台国関川尚功講演凄い説得力で、まったく納得させられる。そして色いろ調べてみると、知らない間に世間の論争は大方九州説に傾いていて(そういうところばかり見ていたからだけでもなさそうなのだ)具体的に説明している方も多い!というところで、まだまだ調べてみたいし、赤村の卑弥呼の墓も見てみたい!
2025.02.06
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1


