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清水寺の本堂前の舞台もどこもかも混雑しているので、人波を避けようと甘味処へ立ち寄りましたが、そこも満員で、お店の奥でたった1か所だけあけてもらえました。そこで甘味を頂きながら一服しました。(再掲しました)ミミちゃんはおはぎもぜんざいも葛切りも抹茶も1人前すべて平らげたので、みんなで驚きました。お腹を満たし、また歩き続けました。清水の舞台から見下ろすと下界は紅葉の海でしたが、下を歩きながら見あげるとそうでもないので不思議でした。入り口まで戻ってくると、朝に比べてなお一層大勢の観光客が押し寄せてきました。朝一番に来て本当に良かったと思いました。さて、これからお店が並んだ細い道を下っていきましょう。このお店で相方はここだけしか買えない清水限定の「茶の菓」を買い求めました。そしてミミちゃんとトコちゃんが欲しかったすみっコぐらしのカステラをパパに買ってもらってご機嫌でした。行きに確かめたのはこのお店でした。ミミちゃんは早速もぐもぐ食べてご機嫌になり、甘味処の食べっぷりといい、大変食欲旺盛でした。だからこそ清水寺の境内を一周歩いて巡ることができたし、その後も駐車場まで元気に歩くことができたのでした。(つづく)
2025年11月28日
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清水寺の入り口で頂いた地図と入場券。778年に僧・延鎮が音羽山の滝のほとりに観音様を祀ったことが始まりで、その後798年坂上田村麻呂が仏殿を建立。現在の建物の多くは1633年徳川家光の寄進で再建されたもの。しかし、どの建物も長蛇の列で長い時間待たされるので天井の釣り灯篭だけ写して、先に進みました。ここだけミミちゃんとお参りをして先に進みました。そしてお目当ての清水の舞台までもう少しです。下をのぞくとこんな感じ向こうの方に京都タワーが見えました。 ↓やっとのことで本堂舞台に到着。平成の大修理で本堂の前面に張り出すように広がる舞台が約1250年ぶりに修理されました。166枚の桧板が張り替えられました。舞台の床面積は200平方メートルで崖下の礎石からは13メートルの高さだそうです。江戸時代、清水の舞台から飛び降りることがブームになったそうです。それは観音様への信仰の願掛けだったそうですが、現在は「大きな決断をする」ということわざで使われます。本堂に参拝しました。線香も立ててきました。↑これはカメラを渡した長男がミミちゃんと先回りをして記念に写してくれたものです。さて、私たちはどこにいるでしょうか?欄干のすぐ隣にいました。私はそれよりも大勢の観光客の間にいる小さいミミちゃんの方が心配でした。その後、無事に合流できホッとしました。そして坂道を降りていくと小学校の修学旅行で訪れた記憶がある滝に到着。清水寺の音羽の滝で3筋に分かれて流れています。延命水とも呼ばれて参拝者はこの滝の水を飲むことができますが、学業、長寿、恋愛にご利益があるのでとても人気がありますね。こちらも30メートル以上並んでいたので諦めました。この近くの茶店でぜんざい、葛切り、おはぎ、抹茶を頂きました。これが高さ13メートルで清水の舞台を支えている柱です。(つづく)
2025年11月27日
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さえママ1107さんのブログ「さえりんの部屋」に書いてある「妊婦が交通事故死 お腹の赤ちゃんは!?オンライン署名のお願い」をシェアさせていただきます。 今からちょうど1ヵ月前に被害者サポートセンターあいちでにじいろ会を知って下さった方から公式LINEにご連絡を頂きました。その方はMさんとおっしゃる方で、今年の5月21日に里帰り出産の為に愛知県一宮市のご実家に帰っていた娘の沙也香さんが交通事故に遭い5月23日に帰らぬ人となってしまいました。沙也香さんは7月が出産予定でした。事故後緊急帝王切開で産まれたお子さんは脳に重度の障害を持ってしまい未だ植物状態なのだそうです。突然の娘さんの交通事故死、そして誕生を心待ちにしていたお孫さんは懸命に命を繋いでいる状態だそうです。私たちは公式LINEでご連絡をいただいてすぐに事故のことを調べましたが、事故2日後に亡くなっているので死亡事故にはなっておらず(事故後24時間以内に亡くなると死亡事故)なかなか事故の内容がわかりませんでした。ずっと気になっていたのですが18日にFacebookで柳原三佳さんの記事が目に留まりました!!そしてMさんからも公式LINEで記事のことをお知らせくださいました。沙也香さんのお腹にいた赤ちゃんは交通事故で重度の障害を負って産まれてきたにもかかわらず法律上被害者とは認められないのだと、懸命に生きようと頑張っている赤ちゃんのために少しでもやれることはしてあげたいと昨日からオンライン署名を始めたそうです!!私もさえパパも早速オンライン署名をさせていただきました!!簡単にできますので、柳原三佳さんのヤフーニュースの記事を読んでご協力いただける方はオンライン署名をどうか宜しくお願いいたします!!我が子を抱くこともできず、妻は逝った… 出産目前の交通事故 帝王切開で生まれた子は今も意識不明 (ヤフーニュースより引用)事故後、帝王切開で生まれた赤ちゃんは低酸素脳症で今も意識不明のままだ(家族提供)■事故から1時間半後、緊急の帝王切開で生まれた我が子 その写真が私のもとに送られてきたのは、7月末のことでした。 目を閉じてすやすや眠る、生後2か月のかわいい赤ちゃん。名前は、研谷日七未(とぎたにひなみ)ちゃんです。 でも、日七未ちゃんは、生まれてから一度も泣き声を上げたことがありません。目を開いたこともありません。小さな喉には管が通され、人工呼吸器がつけられています。医師からは「低酸素性虚血性脳症」と診断され、この先も意識が戻ることはなく、一生寝たきりの状態が続くと言われているそうです。 父親の研谷友太(とぎたにゆうだい)さん(33)は語ります。「娘の日七未は、事故の衝撃で母体の意識が失われたまま、約1時間半後、緊急の帝王切開で生まれました。何とか命はつながりましたが、お腹の中で長時間酸素が届かなかったため、脳に大きなダメージを受け、せっかく生まれてきたのに、感情を表す手段も、自ら命を維持する力も失ってしまいました。あの事故さえなければ、母親の胸に優しく抱かれ、たくさんの人に祝福されながら幸せな人生を送るはずだったのに……、私たち家族の未来は、一瞬で、すべて奪われてしまいました」 初めての出産を目前に、交通事故で命を奪われた研谷沙也香さん(当時31)。人の痛みに寄り添える、優しい人柄だったと夫の友太さんは振り返る(遺族提供)■単身赴任先に届いた、突然の知らせ 事故は2025年5月21日、愛知県一宮市の市道で発生しました。 以下は、本件を報じる翌朝の新聞記事です。●『一宮で重体事故』 21日午後3時45分ごろ、一宮市木曽川町門間東島海の市道で、路上を歩いていた30代くらいの女性が後ろから来た軽乗用車にはねられた。女性は病院に搬送されたが、意識不明の重体。 一宮署は、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、車を運転していた同町門間角田、無職児野尚子容疑者(49)を現行犯逮捕した。署によると、容疑を認めている。現場は中央線のない道路。(2025.05.22 『中日新聞』尾張版) 事故現場の状況(遺族提供) 上記写真を見てもわかる通り、加害者は住宅街の道路で左側を走行すべきところ、進路を逸脱させ、右側を歩いていた研谷沙也香さん(31)の後方から衝突。沙也香さんはその衝撃で前方へ15メートル以上飛ばされたのです。歩行者にとっては避けることのできない事故でした。事故現場。この道路の右側路側帯を奥へ向かって歩いているとき、後方から加害車が衝突。沙也香さんは約15メートル飛ばされた(遺族提供) 単身赴任先の広島で第一報を受けた友太さんは、当初、何が起こっているのか把握できなかったと言います。「いつも通り業務に向き合っていた午後4時13分、突然、一宮西病院から私の携帯に着信があり、『今すぐ病院に来てください』と告げられました。詳細は一切知らされず、『早く来てほしい』と繰り返されるのみでしたので、とっさに、里帰り出産のために一宮市の実家に帰省している妻のお腹の子に何か起きたのではないかと思い、一刻も早く妻の元へ駆けつけたいという一心で、広島駅に向かいました」 途中、病院に電話をかけ、「せめて状況だけでも教えてほしい」と頼んだところ、「奥さんが交通事故に遭い、意識がない」とのこと。友太さんは取り急ぎその事実を義父に報告し、急いで上りの新幹線に乗り込みました。■妻からの、最後のLINEメッセージ「間もなく、義父から、『母体優先で、お腹の子は帝王切開によって取り出され、子どもはNICU(新生児集中治療室)のある一宮市民病院へ搬送された』との連絡が入りました。それを聞いたとき、言いようのない不安と深い悲しみが押し寄せました。あんなに楽しみにしていた初めての赤ちゃんが、なぜ、こんなかたちで……。それでも、とにかく二人とも助かってほしい、私が病院に着くまで、なんとか生きていてほしい、ただその願いだけを胸に、気が狂いそうな思いで新幹線の座席に身を沈めていました」 ふと、この日の昼頃、沙也香さんからLINEが届いていたことを思い出した友太さんは、携帯の画面を開きました。そこには、『昨日からすごい暑い、、、広島も暑いのかしら?』というメッセージが残されていました。「私はちょうど仕事中で、妻のメッセージに返事を返すことができていませんでした。あのとき妻に、『暑い中、無理をして散歩に行かないようにね』とでも伝えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない……、そう思うと悔しく、後悔しかありませんでした。私は、名古屋に向かう新幹線の中で、『さやか頑張れ!!』とLINEを送りました。でも、それが”既読“になることはありませんでした」事故当日の正午に届いた沙也香さんからの最後のLINE。友太さんがこのメッセージに返信できたのは、事故発生の後だった(遺族提供) 友太さんが一宮の病院に着いたのは、午後8時半頃でした。親族が待機する控室に向かうと、沙也香さんの両親、兄妹が泣き崩れていました。「それから何時間経ったでしょう、ようやく妻と対面したその瞬間、私の心は崩れ落ちました。顔と身体は腫れあがり、滲む血に覆われ、頭部の内出血の影響で両目の周囲は黒く変色していました。まるで別人のようなその姿は言葉では表しきれないほど痛々しく、ただ手を握り、沙也香、沙也香……と呼び続けました」 脳外科医と産科医の説明によれば、沙也香さんは救急搬送される時点で意識はなく、すでに瞳孔が開いていたそうです。脳損傷で出血が酷かったため、頭骨を取り除き、脳圧を減らす手術をおこなったものの、出血部位が分からず、再度手術を行っても途中で息を引き取る可能性が非常に高く、今日か明日が山、とのことでした。■事故後、帝王切開で生まれた我が子との初めての対面「医師の説明を聞き、非常に厳しい状態であることを察した私は、これ以上、沙也香の苦しみを長引かせたくないと思い、再手術はせず医師の勧めに応じて、面会制限の少ない一般病棟への移送をお願いすることにしました。そしてすぐ、子どもが搬送された病院へ向かいました」 沙也香さんのお腹の中で突然の事故に遭い、予定日より約1か月半早く生まれてきた日七未ちゃん。友太さんは、NICUでその小さな赤ちゃんと初めて対面しました。「沙也香にそっくりの可愛い顔、小さな手、小さな足……。私は保育器の中に手を入れ、少しだけそのやわらかな身体に触れました。これ以上ないほど不幸なかたちで生まれてきた娘。それでも、小さな身体で、懸命に生きてくれているその姿が愛おしく、ただ『ありがとう』と声をかけることしかできませんでした」 気管切開を受ける前の日七未ちゃん(家族提供)■へその緒の半分を妻の棺に入れて 日七未ちゃんに面会した後、友太さんは再び沙也香さんが待つ病院へ戻りました。NICUで撮影させてもらった日七未ちゃんの写真をプリントして沙也香さんの横に置き、「産んでくれてありがとう……」と声をかけました。 しかし、事故から2日後の5月23日早朝、容態は急変。沙也香さんは静かに息を引き取ったのです。「日七未のへその緒が結構長かったので、それを半分に切り、ひとつは私の手元に、もうひとつは沙也香の棺に納めました。結婚して4年、一度流産を経験した私たちにとって、新しく授かった命は宝物でした。『とにかく無事に生まれてきてほしい』『思いやりのある子に育ってほしい』と毎日のように夫婦で語り合っていました。彼女が娘の誕生をどれほど心待ちにし、どれだけ深く愛していたかを、私は隣でずっと見てきました。 お腹を撫でながら語りかける沙也香は穏やかな母の顔をしていました。その沙也香が、一度も我が子を抱くことも、目を合わせることも、成長を見守ることもできずに旅立ってしまったという現実は、あまりにも悲しく、理不尽で、無念としか言いようがありません。33歳で葬儀の喪主をつとめることになった私は、沙也香に恥ずかしい姿は見せたくない、安らかに眠ってほしい、その思いだけを胸に、式を終えました」 沙也香さんは大学時代、愛知県内の交通事故による死亡件数の多さを問題意識として捉え、論文を執筆していたそうです。人一倍、交通安全の啓発に関心を持ち、社会の課題として真剣に向き合っていた彼女が、奇しくも交通事故によって命を奪われるとは……。 友太さんはその悔しさをこう語ります。「沙也香は、決してこのような最期を迎えてよい人ではありませんでした……」 事故の4日前、友太さんが単身赴任先の広島から沙也香さんの実家を訪れていたときに撮った最後の写真。沙也香さんは生まれてくる赤ちゃんのために運動や食事など細心の注意をして過ごし、努力を重ねていたという(遺族提供)■なぜ「胎児」は被害者と認められないのか… 6月11日、加害者は過失運転致死の罪で起訴されました。起訴状の「公訴事実」には、以下のように記されていました。【前方左右を十分注視せず、ハンドル・ブレーキを的確に操作しないまま漫然時速約30キロメートルで進行した過失により、自車を道路右端の路側帯に進行させ、折から同路側帯内を自車と同一方向へ向かい歩行していた研谷沙也香(当時31歳)に気付かず、同人の後方から同人に自車右前部を衝突させるなどして同人を路上に転倒させ、よって、同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ(中略)死亡させたものである】 なぜ、明るい時間帯に、しかも見通しのよい道で、前を歩く沙也香さんの姿に気づかなかったのか……。 加害者は取り調べの中で、「事故の記憶がない」と述べていたにもかかわらず、釈放後、遺族に対しては、「居眠りをしていたかもしれない」と供述を変えてきたといいます。「都合が悪くなると平気で供述を変える姿勢に、私たち遺族は一層辛い思いをすることになりました。『事故の記憶がない』と言いさえすれば責任を逃れられるような前例は、絶対に作ってはなりません」 そしてもうひとつ、起訴状を目にした友太さんは、この事故をきっかけにどうしても訴えていきたいことがあると言います。それは、日七未ちゃんも「被害者」として扱われるべきだという、父親としての切実な思いです。「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています。しかし、娘の日七未は、明らかにこの事故の被害者です。事故の瞬間、胎児だったという理由で起訴状に名前も記されず、加害者に刑事責任が問われない可能性があるという現状には、深い疑問と怒りを感じています。 本件は、私たち家族だけの痛みではなく、社会全体が向き合うべき深刻な問いを突きつけています。胎児に関する法的な扱いは非常に難しい問題ですが、同じような悲劇が再び起こらぬよう、司法が毅然と責任を問うことは、命の尊厳を守る上で絶対に必要です。娘の無念が司法に届くことを願っています」 ちなみに、熊本で起こった水俣病事件で、最高裁は『胎児に加えられた侵害が出生後に人に死傷の結果をもたらした場合、業務上過失致死罪が成立する』と判示しています(昭和63年2月29日決定)。この解釈をあてはめれば、お母さんのお腹の中で交通事故に遭い、重い後遺障害を負った日七未ちゃんも「被害者」ではないでしょうか。■妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになれば… あと数か月頑張れば、家族3人、広島で幸せな生活が始まる……、友太さんはその日を楽しみに、家族との未来を思い描いていました。しかし、今回の事故によってその全てを奪われました。ふと、自身の死を願うこともあるといいます。「準備していたベビーベッド、哺乳瓶等の育児用品、整理された出産関係の書類……、全てが悲しみに繋がります。交通ルールを守り、ただ道路の右端を真っすぐ歩いていただけの妻が、なぜ、命を落とさなければならなかったのか。警察から返された、びりびりに破れた血だらけの服、靴、ちぎれた鞄は、妻がどれほどの衝撃と苦痛を受けたかを物語っており、想像するだけで涙が止まりません」 友太さんは今、育児休暇を取得し、毎日、日七未ちゃんの面会を続けています。しかし、医療的ケア児の受け入れ施設は少なく、退院後の見通しは立っていません。父子家庭で仕事をしながら24時間の介護をおこなうことは難しいため、まずは自身の実家で両親の協力を得ながら、在宅介護を行う準備をしているところです。 事故から3カ月、まだ日が浅い中、筆者に連絡を取り、あえて苦しい体験を語ろうと思った理由について、友太さんはこう語ります。「自動車は便利である一方、ほんの一瞬で、自身だけではなく、相手のすべてを不幸にしてしまいます。この記事をご覧になった方には、いま一度、交通安全について考えていただき、私と同じ思いをする方が少しでもいなくなることを願っています。また、胎児の法的扱いや医療的ケア児の制度の課題についても、一緒に考えていただきたいと思います。妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになることを願い、オンライン署名も開始しましたので、ご賛同いただければ幸いです」 加害者の初公判は、9月2日(火)午前10時50分から、名古屋地裁一宮支部で開かれる予定です。亡くなった沙也香さんだけでなく、この事故によって重度障害を負った日七未ちゃんも、一人の「被害者=人」として扱ってほしいという、父親の友太さんの思いは届くでしょうか。 検察には、ぜひ再捜査をしたうえで訴因変更をおこない、本裁判を進めていただきたいと思います。<オンライン署名>~妊婦をはねた死亡事故~ 緊急帝王切開で産まれ、重度の障害を負いながらも懸命に生きる娘は被害者ではないのか?「胎児への加害行為に対して過失運転致傷での起訴を求めます」我が子を一度も抱くことができぬまま命を奪われた沙也香さんの遺影(遺族提供) 私はこの記事を読んで改めて交通事故被害者には本当に理不尽極まりない法律に深い憤りを感じました!!いつも加害者の人権は守られるのに亡くなった被害者は死人に口なしなんです!!!そして今回はさらに「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています」とはどういうことなのでしょうか???お腹の中の胎児だから一人の人間として扱われないということでしょうか???この交通事故が無ければきっと元気に産まれてお母さんの手で大切に育てられたであろう赤ちゃんの人権は守られないということなのでしょうか???ご主人様やご家族、公式LINEでご連絡を下さった沙也香さんのお母様のお気持ちを考えたら、今まで大切に育ててこられた娘さんの命を交通事故で一瞬で奪われて待望のお孫さんも重度の障害を負われて本当にやりきれない気持ちでいっぱいだと胸が苦しくなります。決して他人事には思えません!!なにか少しでもご協力出来ないかと思いブログに書きました。このヤフーニュースの記事を読んで共感していただけた方はオンライン署名にご協力をお願いいたします!!!
2025年08月21日
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我が家の2階建ての車庫の工事が今月の初めから始まりました。1階はガレージで、車が2台入っています。他にも自転車が数台入っています。お風呂の電気温水器のタンクも入っています。しかし2階はいつの間にか物置になってしまいました。40年以上前、子供たちがまだ小さい頃は2階に卓球台を置いてみんなで卓球をして遊んだこともありました。亡き義父が収集した小説や雑誌、写真集等々、亡き義母が収納していたあらゆるものがケース棚に入っていました。しかしお二人がなくなりいつの間にか使わなくなり、以来数十年もの間、開かずの間になっていました。中の物を片付けるにあたり、天井や壁、床の素材を検査してもらいました。実際には40数年たっているので昔よく使われたアスベストが吹き付けてあると取り壊すにも、届け出を出し、許可を取り、それ相応の覆いをして工事をしないとしないといけませんから。先月検査をする人が素材を採取して行き検査をしてもらったところ幸いなことにアスベストは含まれていないという結果が出ました。解体工事費用も半額で済むようになりました。それで思い切って業者に頼んで中の物をすべて運び出してもらうことにしたのです。これで2週間近くたちました。ほとんどの物を綺麗に取り除いてくれました。これからのことはしばらく考えて結論を出します。一昨日チケットを買いに行ってきました。12月は日本舞踊の世界を楽しみたいと思います。この方は映画「国宝」にも出演されていた方だそうです。日本舞踊を見せてもらえるだけでなく、トークショーもあるそうですので今から楽しみにしています。帰りにジェノベーゼパスタを食べてきました。久しぶりで美味しかったです。そして今日は午前中、いつも読み聞かせに出かけている小学校へ出かけて、坪内逍遥顕彰会の執行部のもう一人の方と一緒に校長室へ行って、クラスの代表の子供たちに先日作った坪内逍遥の栞を生徒の数だけ渡してくる予定です。
2025年11月14日
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さて、滋賀県長浜市への旅を振り返ります。バスが到着したのは湖国総鎮護、長濱八幡宮。健康長寿&ぼけ封じの宮として知られています。厄除開運、健康長寿の神、安産守護の神が祀られています。主な神様は3体ですが、他にも学問守護、心身浄化・婦人病平癒、商売繁盛、子孫繁栄、土地の守護神、海上の守護神、殖産興業等の諸々の神様があちらこちらに祀られています。特に興味を引かれたのは1069年以来深く崇拝されてきた大社がしばしば兵火で焼失されたのを1574年羽柴秀吉が長濱城主となるやその荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をし再建に努めたという事でした。 門をくぐって手水舎で手と口を清めすぐの所にご神木の縁の松があります。黒松と赤松が互いを支え合うように成長した神木。残念ながら赤松が枯れてしまい、若木になってましたが、この二つの松の間をくぐってきました。男女の縁はもとより友人関係を良い方向へ発展し、家庭円満等の御利益が頂けると言う事なので。 拝殿の奥へ進みますと、また拝殿があります。この奥に本殿がありますが、表からは見えません。檜皮葺(ヒワダブキ)木造で八幡宮としては非常に珍しい神明造(シンメイヅクリ)。一説によれば伊勢神宮のミケツ殿を譲り受けたとか。 本殿の右隣にあるのがぼけ封じの宮、高良神社。同じバスの皆さん41名は年齢が60代、70代、80代で(2人ほど若い人がいました)こちらのお宮へほぼ全員殺到しました。そしてすぐ近くにあるこの大石を熱心になでたり、抱いていました。中には頭や顔を近づけている人もいました。 境内はとても広く放生池には都久夫須麻神社が祀ってありました。かの芭蕉も訪れたのか芭蕉句碑も。奥の方には7つほど神社がありましたが、私達は隣の舎那院へ向かいました。(つづく)PS) 今日からまたウィークデイの午後はミラ君のお守りとモコちゃん&ノア君の習い事の送迎、3人との夕食が始まりますので早めにUPしました。
2016年09月05日
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今週火曜日に「あいち交通死をなくすボランティア にじいろ会」のストラップの材料をさえママさんから送っていただき、昨日仕事帰りのGさんに我が家へ寄ってもらって500個分の材料を二組に分けました。これからまたボチボチ作って行こうと思います。愛知の公園に咲く雪柳です。そしてこちらは白い木蓮の花どちらも清楚な感じがして素敵ですね。最近読み始めたのはこの本。葉真中顕(はまなかあき)著:「ロング・アフタヌーン」中央公論新社ミステリー小説ですが、まだストーリーが今の所まったく把握できていません。そして3月15日(火)に読み聞かせで訪問した小学校の記事が新聞に掲載されていました。私は読み聞かせのボランティアさん達のお手伝いに出かけただけなんですが、写真が写っていたので記事を頂きました。
2022年03月19日
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今夜,偶然エリカ号撤去のニュースを聞きました.何でもこのところ老朽化が進み,今月中にも撤去の予定とか.一昨年のゴールデンウィークに蒲郡へ一泊旅行をしました.その折,竹島水族館の敷地内にあるエリカ号の周りを歩いてきました.水族館の建物の一部に,エリカ号の内部が正確に復元されていたので,船内の様子がよくわかりました.親子3人で娘さんの名前をつけた船に乗って世界一周を成し遂げられたというニュースを聞いてからです.寄港した街の水彩画をジェニファーさんが描かれ,彼女の水彩画展に数回出かけてご夫妻と知り合いになりました.名古屋市に開店した「キャプテンズダイナー(船長の台所)」にも足を運びました.我が家にはいまだにその時頂いたマッチ箱が残っています.私達の市の国際交流協会に長江裕明さんとジェニファーさんご夫妻が,また別の機会には娘のエリカさんも講演にみえました.そして帰り道,我が家に立ち寄ってお茶をしていかれた覚えがあります.ジェニファーさんとはずっと年賀状の交換をしていたのに,いつの間にかご無沙汰に.そうこうしている内に,約2年ほど前には長江裕明氏が重い心臓病で亡くなられてしまいました.主をなくしたエリカ号も近く撤去されれば,後は思い出だけが残りますね.なんだか寂しい気持ちになります.
2011年01月15日
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ダンスパーティーで中休みをしていた 「オノボリサン・3年ぶりの東京」の続きです。 テヘランから来日されたMさん母子と30分間犬と触れ合い、 その後、代々木公園まで1時間の散歩に出かけた後は これまた3年ぶりの上野動物園に出かけました。 田舎者の私達には乗車する電車がわからず Mさんに案内されてただ後をついていくだけでした。 まずはジャイアントパンダから。 6月12日にパンダ・リーリーの妻シンシンが出産した 第2子になる赤ちゃんにはまだ会えません。 リーリー1頭だけが部屋を移動して 愛嬌を振りまいてくれました。 やはりここが一番人気でしたね。 アジア象の姿も表側と裏側から見てきました。 ニホンツキノワグマの白い三日月の形をした毛もしっかりと見えました。 アシカはちょうど餌の時間でした。 ニシローランドゴリラもいい顔をしてました。 (東山動物園のシャバーニにも負けていませんよ) スマトラ虎もライオンも暑いので水につかってました。 この日の東京は蒸し暑い日になりましたから。 カピバラの子供だったかな? フラミンゴも紅い体で群れていました。 東園から西園までモノレールには乗らず ずーっと歩いて回りました。 Mさんと息子さんは 両生類爬虫類館とアイアイを もう一度しっかり観察に出かけました。 不忍池では蓮の花が今にも咲きそうでした。 3年後になるのか4年後、あるいは5年後になるのか わかりませんが、再会を誓ってお別れしました。 帰りの新幹線から眺めた夕陽です。 ちょうど静岡辺り、富士山が雲の上に顔を見せていました。 自宅には午後9時頃に到着しました。 Mさんは遠路はるばるイランから 私の喉や咳に効く食べ物を たくさん持ってきてくださいました。 紅茶のように煮出したり、葛湯のように お湯に溶かして混ぜてつくるものや ゴマのお菓子や女性ホルモンが豊富な茶色い飴等々。 ピスタチオやナッツ類、乾燥イチジク等とキャンディー棒。 ドイツのハッカ飴やイランのドライフルーツやお菓子類。 そして銀製のコンポートと夏にぴったりの涼しげな 2本のブレスレットまで。 こんなにたくさん携えてくるのは重かったことでしょう。 Mさんの優しいお気持ちと温かい心遣いが伝わってきます。 3年ぶりに楽しい1日を過ごせたことと たくさんのお土産を私の為に遠路はるばる持参されたことに 深く深く感謝しております。
2017年07月05日
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4日目の朝は廻船問屋群がある岩瀬地区を訪れました。先ずは北前船廻船問屋「森家」です。国指定重要文化財になっています。1878年に建築され、貴重な材料が使われた板戸や梁など贅沢な造りになっています。幕末から明治にかけて栄えた豪商の財力を感じました。岩瀬の住民(元気なおばあちゃん)が案内してくれました。岩瀬地域観光ボランティアガイドさんです。天井板が龍に見えると言われ、何枚も写しましたが、見えますか?前座敷(店座敷)は商談の部屋として使われました。森家の当主の肖像画が掛けられていました。角に柱がないけれど、ガラス戸は何十年経っても開け閉めが簡単で傾かないとの事↓森家の当主は後に東京へ出て行かれたそうです。↑土蔵のこて絵が素晴らしかったです。↓玄関から建物の裏まで通じる土間廊下を私たちは裏から表まで通ってきました。そして森家を見学した後、表の大町通りに出ました。船のモニュメントがありました。昔はこういう船で海運をつかさどっていたんでしょうね。次に旧馬場家住宅へ行きました。こちらも江戸から明治にかけて北前船交易で栄えた北前船主・廻船問屋の住宅です。国の登録有形文化財です。大富豪がうかがえる金庫の数々↓縁側の板は松材で細く見えましたが、実際は幅広の板に溝が彫ってありました。座敷が一番格式が高く仏間、前座敷の順に低くなり、天井板も座敷の白木の板が格式高く、仏間は漆塗りの天井でした。座敷の天井板は屋久杉。明治時代、洋風に改造し天井を高くしました。写真の女性は馬場はるさん。この女性は富山の教育を発展させた方です。15歳の時、8代当主の息子(のちの9代当主道久)の妻となりました。当時33歳で夫に先立たれ一家を支える立場となり、はるさんは馬場家を守ると同時に社会貢献も積極的に行いました。旧制外山高等学校(現在の富山大学人文学部・理学部)設立のため、総額160万円(現在の10億~20億円程度)寄付しました。他にもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の旧蔵書も寄付、現在の「ヘルン文庫」(富山大学附属図書館内)として広く活用されています。高校の跡地は現在馬場記念公園となっています。卒業生は様々な分野で活躍する優秀な人材を多く輩出しました。33畳の大広間(富山ではオイと呼ぶ)以前は複数の部屋に区切られていましたが、修復工事で江戸時代の頃の広さに復元されました。左奥に写っている囲炉裏も復元されました。昭和初期増築の水回り。ステンドグラスやダイヤガラス、結晶ガラスなどモダンな装飾が随所に施されていました。風呂は檜張りの板に天窓と勾配のある天井。壁を伝って水が落ちるようにするためです。書院欄間は扇面型四君子の板欄間。四君子とは「梅・竹・蘭・聞く」の総称で君子のように気品があり、高潔とされました。昭和初期に増築された新座敷の建具の桟は細く、面取りされた繊細な造りでした。2階の窓からの眺め旧神通川が見えました。昭和初期まで家の裏側は神通川に面して船と蔵との間で荷物の搬出入がすぐに行えました。天上の梁は松材で綺麗に鉋(かんな)が掛けられているのは修復工事で復元されたもの。鉋が掛けられておらず、削り跡が残っているのは江戸時代のもの。土蔵土間通路は約30mあります。ではいい所へ移動しましょう。(つづく)
2022年10月26日
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昨日武下さんから絵ハガキとともにうちわが届きました。毎年ご親切に作って送っていただくのですが、絵葉書はヒマワリの絵が描かれています。今年は私も種をまいて朝夕水やりをして育てたのでとても親近感がわきます。もう1枚絵葉書が入っていました。ジニア(百日草)の絵が描かれています。「花に負けない笑顔が ここに」と添えられています。そしてうちわには筍掘りに出かけた思い出とダンスを披露した思い出が詰まっています。どうもありがとうございました。ご親切に感謝します。そして議事録も出来上がったので寿司ランチを食べに行きました。別のお店に行く予定でしたが、お盆期間営業していたので、その後、休業になりいつものお寿司屋さんに流れました。今朝は午前8時から坪内逍遥顕彰会の執行部役員で坪内逍遥顕彰碑の周りの草引きや木々の剪定をする予定です。早朝とはいえ、暑いので気を付けてやりたいと思います。その後、役員会もあるようです。
2025年08月23日
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昨日は朝9時過ぎに清水寺へ行きました。時間がたつにつれて混雑して来るからです。ところが、9時半頃でももうすでにものすごい混雑ぶりでした。ではどうして清水寺に出かけたのか、そのわけをお話ししましょう。実は相方は岐阜県なので小学校の修学旅行に京都、奈良へ出かけていないのです。私は三重県生まれなので小学校の修学旅行は京都、奈良だったので清水寺も行きました。それでいつも相方が清水寺と金閣寺を一度見てみたいと言ってたのを思い出して今回その両方に行くことを決めたのでした。どこへ出かけるのも素足に下駄ばきです。かなりの階段を登ったり坂道を上ったり下ったりしましたが、下駄で歩きとおしました。清水の舞台から順に参拝しました。坂道を下って下の茶店で頂きました。ミミちゃんはおはぎと黒糖葛切りとぜんざいを食べました。お抹茶も大丈夫でした。大人と同じ味覚でじいちゃん、ばあちゃんはびっくり!そしてお昼は中華料理店へ行き、トコちゃんもミミちゃんも大人と同じ一人前をぺろりと平らげました。午後3時ごろに金閣寺へ行きました。まだまだ観光客でいっぱいでした。午前中も午後も本当によく歩きました。ダンスレッスンよりもハードでした。長男家族のマンションで孫ちゃんたちと充分遊びました。そして夜はマンションの近くの居酒屋さんへ行きました。連休で行きつけのお店が休みだったのです。予約してないとどこのお店も入れません。2日目も目いっぱい楽しんできました。そして私たちはホテルに戻ったのでした。ざっと2日目の報告をしました。 そして今日はもう帰る日になりました。
2025年11月25日
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大矢田もみじ谷の拝殿と本殿を目指して 石段ではなく坂道を登りました。 少し前からしぐれていたので足元が滑ります。 石段ほどではなくてもかなり急こう配でした。 233段のうち最後の石段です。 結構狭くて急でしょ。 回り道をしてやっと神社の屋根が見えてきました。 やっと登り切りました。 国の重要文化財に指定されている拝殿と本殿です。 拝殿は切妻造りで檜皮葺(ひわだぶき) なでカボチャも撫でてきました。 本殿中央には鳳凰や唐獅子、東軒下や軒下各所に たくさんの彫刻が施されていました。 本殿へは入れないので、遠くから彫刻だけ写してきました。 紀元前290年から歴史が始まったと書いてありました。 そしてこんな蛇が飾ってありました。 11月23日に「秋のひんここ祭」が行われ その折に舞う大蛇と大蛇を退治する人形です。 さあ、これからこちらの道を下ります。 (続く) もうしばらく紅葉狩りにお付き合いください。
2017年11月22日
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ただいま長野県から帰ってきました。一日遅れでUPしますね。 今回の旅は年末恒例の家族旅行。大人4人、子供2人の6人で長野県松本市へ出かけました。特急しなのが木曽福島を通過する頃になると、あたり一面雪景色に変わりました。松本市に到着すると、雪はないけれど、風が冷た~い。どこも既にお正月の準備が済んで松本駅にも角松が飾られています。「信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあなたのそばがいい」とは言っても、やはり信州に来たら「蕎麦」がいい。というわけで、早速すぐ近くの蕎麦屋さんでお腹を満たします。若い人はいろいろ注文しても、私は「とろろそば」と「カキフライ」次に松本市内の観光をしようと駅前をブラブラ。ここ松本市で生まれニューヨークを中心に活躍した草間弥生さんで知られる赤い水玉模様のバスが止まっていましたが、私たちは2時間タクシーを貸切にして、観光地を回りました。ところが、29日から31日まではどこも閉館。表から見るだけでした。先ず向かったのは松本城。お濠の周りを散策しました。雪つりの向こうに松本城を望む。大勢の観光者が残念がってましたが、12月29日から3日間はお休みで本丸庭園は1月1日から3日まで入場でき、天守閣に登れるのは1月4日からでした。次に向かったのは旧開智学校。門の外から玄関の彫刻を眺めました。次は松本市美術館へ草間弥生さんの彫刻「幻の華」The Visionary Flowersが目に飛び込んできました。見る方角によって、イメージが違って面白いです。これはもう実際に見て感じてもらうほかないですね。私にはとても魅力的でした。次は「あがたの森公園」へ旧松本高等学校跡地には本館、講堂、記念館などがおチビちゃん達は本館中庭の緑の迷路が気に入ったようです。私は庭園にある池で泳いでいる鴨さんやあひるさんの姿を眺めて一息入れました。最後は両側にお店が並ぶ縄手通りをブラブラ。神社前の露店ではしめ縄が売られ、正月花の松や南天なども売られていました。タクシーで駅前まで送ってもらうと、ちょうど迎えのバスが来た所でした。黒いマントを着たお兄さん方の出迎えを受けこれから扉温泉の明神館へ向かいます。(明日へ続く)
2013年12月29日
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『かわいい花姿に切なさをあわせ持つ「ユスラウメ」、今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・さて、2月23日に「お食い初め」をした京都のミミちゃんですが、2月26日から離乳食を始めました。最初は口から出すこともありましたが、最近ではスプーンを持っていくと自分から口を開けて食べるようになったそうです。まだほんの少量ずつですが、焦らずのんびり進めていこうと思っていますとミミちゃん&トコちゃんのママが写メと共に教えてくれました。毎日少しずつ成長しているミミちゃん。まわりのママさん達にも似ているねーと言われるそうですが、お姉ちゃんによく似て来ました。やっぱり姉妹ですね。みんなに可愛がられているようで嬉しいです。こうやって並ぶとやっぱりお姉ちゃんのほうが大きいのがわかりますが、こうやって写すと4歳差なんてわからないですよね。元気ですくすく育ってほしいです。・・・・・二輪の白いお花、まだまだ頑張って咲いています。ユキヤナギも花盛りです。今日は偶然にも白い花ばかりでしたね。
2021年03月19日
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昨日「さんふらわあ船長と商船三井さんふらわあ一同」から24.10.24の消印で「さんふらわあ さつま」に乗船のお礼と貴重な意見を頂き感謝しますという内容のポストカードが届きました。PCの画面の前で撮ったのでこんな感じになりました。ちょうど今年の8月8日のブログに鹿児島県の志布志港から大阪南港に向けてさんふらわあ・さつまに乗船したことが書いてあります。久しぶりに旅を懐かしく思い出しました。4つのフェリーに乗って日本一周をしてきたのですが、思い起こせば、旅の初めからハプニングの連続でした。新幹線がその日の未明に名古屋から東京間が不通になり仕方なく急遽、中央線を使って長野まで行き、長野から北陸新幹線で埼玉県の大宮まで行き、そこから東北新幹線で仙台まで行ったのでした。そして仙台港から苫小牧港へ向かったのでした。まあ初めての体験を楽しめたので良かったのですが。そして小樽港から新潟に向けて夜出発したフェリーが低気圧の関係で(遠く離れた所を台風が通過中で)日本海を航行中、夜中ずーっと大揺れで酷い船酔いをしたこと。女性陣は朝食に来れなかった人が多かったほどです。それで予定よりも船の航行に時間がかかり、金沢の兼六園を観光する時間が無くなってしまった事等々で忘れられない日本一周の旅になったのでした。さんふらわあの旅で頂いたビスケットさんふらわあ・さつまの写真の前で記念撮影本物のさんふらわあ・さつまは大きすぎて1枚の写真には納まりませんでした。記念として載せました。
2024年10月29日
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8月20日(水)に戻ります。午前9時30分からある会議があったので、道路事情を考えて自宅を早めに出ました。案外早く到着して午前9時頃に到着したので、7.12(土)~8.24(日)まで展示中の「美濃のキリシタン」を会議前に観覧しました。会場内は撮影禁止でしたので頂いたチラシを載せたいと思います。「秘められた祈りの証し」として76点が展示されていました。ちょっと小さくて読みにくいと思いますが、「日本のキリスト教は宣教師フランシスコ・ザビエルによって信仰の種が蒔かれたことを端緒とします。美濃地方においては織田信長やその子・信忠など為政者の庇護下に広くさかえ、その当時、各地に多くの信者ーキリシタンが生まれました。まもなく突入した禁教の時代からは、全国的に徹底的な監視・摘発が行われるようになり、特に寛文年間(1661-1673)の「濃尾崩れ」と呼ばれる大検挙は一体の地域を大きく揺るがすものでした。こうした状況下でも可児・加茂地域をはじめとした美濃にも少なからず信者が存在し、確かな祈りの灯を守り伝えていたことは今も各地に伝わる様々な資料や伝承によって知ることができます。1865年長崎の浦上村において潜伏キリシタンが大浦天主堂の神父に信仰を表明したという「信徒発見」から今年で160年。日本キリスト教史上で奇跡とされる出来事を契機としたキリシタンの国際的な問題には、早稲田大学の創設者・大隈重信1838-1922)が深くかかわったことでも知られています。この展覧会ではキリスト教伝来から明治期までの展開をたどりながら、残された様々な”証し”を手掛かりとして、美濃に息づく多様な信仰の形を紐解いていきます。地域のキリシタンの歴史を深く見つめ、祈りを捧げた人々の姿とその思いについて考えるきっかけになれば幸いです。」と書いてあります。・・・そして午前9時30分から11時30分まで会議に出席しました。私は会議の議事録を記録する係なので、2日がかりでやっと書き上げました。今月はこれで肩の荷が下りました。やれやれ
2025年08月22日
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昨日の午後、伊深の正眼寺へ「創立70周年記念の公開講座(禅の心)」を聴きに行ってきました。日本で一番小さな短期大学の学長で臨済宗妙心寺派管長、正眼寺専門道場師家の山川宗玄老師の講話を拝聴してきたのです。演題は「和して同ぜず -笑みある生き方ー」でした。これを説明してくださいましたが、とても難しかったです。しかし最後にご自分の体験談を話されました。5歳の女の子が脳腫瘍で亡くなる前に母親に言った言葉やご自身が30年前にこのお寺に来た時にどうしたら家に帰れるかを画策したけれど、今なおこの寺の学長をしていることなどを話され、それが講話に関連付けられて初めて少しわかったような気になりました。私は公開講座を聴くのはこれで2回目ですが、今回はセミナー会場が満席になりました。正確には午後1時30分より講話が始まって先ず座禅をしてから午後3時ごろまで講話がありました。それに先立って私は12時前に自宅を出て友達4名と待ち合わせ、12時15分に一緒にお寺へ出かけたのでした。そして先着限定100名に呈茶券が出されましたが、私と友達は最後の2枚に入りました。3席ほど待たされましたが、笑庵で抹茶を呼ばれてきました。掛け軸は梶浦逸外筆「古今無二路」です。(古今に二路無し)…「人が行う道は今も昔も基本的には一つである。」という意味です。「道は釈迦や孔子など古今の賢聖たちによって様々に実践され説かれてきたが、突き詰めれば一つの心理に帰するのであり、その道の達人たちは学派や宗教、洋の東西を問わず、同じ道程を歩んできたのである」ということです。お寺の周りは紅葉がとてもきれいでした。そして道中、向こうの方に見える山々も紅葉して綺麗でした。帰る途中「いぶカフェ」によってコーヒータイムを楽しみながら情報交換してきました。夕暮れ時になってきたので集合場所に戻り、それぞれが車で帰路に着いたのでした。そして今日はお昼に健康フェスティバルに出かけることになりました。午前11時半までに会場に行く予定です。
2025年11月16日
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昨日は校区の小学校のボランティア交流会がありました。日ごろ、小学校のボランティア活動に参加している母親と祖母(父親と祖父の参加はゼロ)が16名ほど出席しました。学校側は校長先生、教頭先生、推進委員さんと教育委員会・学校教育課の課長さんが出席しました。私は早朝ダンスレッスンをしてから車で小学校まで走りました。午前10時半から始まり12時に終わりました。開会のあいさつに続き各自が自己紹介をして、推進委員さんの情報交換タイムがありました。ほとんどの人がボランティア経験済みでしたが、少数はこれからボランティアに参加したいという人が見学に来ていましたのでボランティアの登録方法、ボランティア依頼の案内方法、運営への意見交換タイムがあって、その後、授業参観とフリートークがありました。閉会の挨拶と今後の活動予定が話され、閉会、解散になりました。私は今年は給食当番の補助と読み聞かせと家庭科授業(ミシン)に参加しましたが、他にも書写授業(習字の時間の手伝い)、スポーツDAYの運動場の環境整備、開催準備、給食センター見学と学校給食試食会、運動場の環境整備、図書館修理活動等などがありました。今年度の今後の活動予定としては個人懇談の託児、クリスマスステージ、図書館修理活動があります。時間があればお手伝いに行きたいと思っています。フリートークで興味深かったのは生ごみ削減のバッグコンポストでした。生ごみを微生物と一緒にして発酵させ、可燃ごみがかなり減ったということです。ココナツヤシビートともみ殻くん炭を使って果物、野菜の切れ端や皮、卵の殻、鍋の残り汁、廃油などを1センチより小さく切ってバッグに投入し、好気性微生物で発酵分解して酸素を送り込むと1日400グラム、月に10キロ、年に100キログラムの生ごみが消えていき、可燃ごみが少なくなります。そして毎日混ぜていると約3か月後にふわふわの堆肥になり植物の周りにまいてあげることができるようになるという話が面白かったです。午後3時に忙しいGさんからクラフトテープ50個分を回収してきて夕方5時ごろにMさんに渡しました。Mさんグループがやる気満々だからです。Mさんは渡してあった材料100の分のう70個作って持ってきてくれました。残りの30個はJAと銀行に置いて配布してもらうように頼んできたそうです。そして先日私がライオンズクラブでやった交通安全講話で親しくなってにじいろ会に入ったもらったTさんグループからは私がボンド付けした花を100個分鈴付けと台紙付けと袋詰めを頼んだので先日100個完成して持ってきてくれました。お二人とも市会議員さんで毎日忙しい方々ですが、快く協力してくださるので本当に助かります。そんなこんなで夕方までいろいろと雑用があったのでなかなかできなかったボンド付けはこれだけしかできませんでした。それでも12月に開催される交通安全啓発運動で配布するにじいろ会のストラップは目途がつきました。皆さんの協力がありがたいですね。
2025年11月21日
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昨日は仲良しグループの皆さんは煎茶会に出かけました。私もお誘いを受けていたんですが、先約があったのでご無礼しました。以前も紹介しましたが、12年ぶりのreunionがあったのです。アメリカ人二人は今から25年ほど前に当市に滞在していた文部省採用のAET(英語指導助手)です。私は当市に大勢が滞在していた当時、色々と生活の手伝いをしました。それで今までずーっと連絡を取り合っていましたが、一人は政府の仕事(総領事)で世界中を回っていました。今は休暇を取って日本を旅行しているので会いたいと連絡が来たのです。それで親しかった二人にも連絡をして会うことになったのでした。私がJRの最寄りの駅に迎えに行ってお店まで連れていきました。一人は名古屋から下道を2時間かけてカブでやってきました。高速道路は面白くないそうです。本当は奥さんも一緒に来る予定でしたが、これなくなったそうです。奥さんがいつも行きたがっていたイタリアンレストランで昼食を。にぎやかに話をしてどれぐらい経ったでしょう。私は午前中に誕生日ケーキを買って持参しました。私の誕生日とアメリカ人の奥さんの誕生日が1日違いなので一緒に祝おうと思っていたのですが、奥さんが来られなかったので、場所を移して、友人の家にお邪魔してみんなに祝ってもらうことになりました。ちゃんと奥さんの分も持ち帰ってもらいました。にぎやかに楽しい時間は過ぎて午後3時に失礼する予定が3時半を過ぎてしまいました。みんなで記念撮影をして、これからは12年に一度ではなくもっと頻繁に会おうということになりました。そして午後4時ごろに別れました。一人は下道を2時間かけて名古屋まで帰り、もう一人は私が電車の駅まで送りました。奥さんが名古屋で待っているそうですので。本当に久しぶりに会いましたが、みんなの気持ちは昔のままでとってもフレンドリーでした。私が一人だけ他の二人の女性より15歳以上年上ですが、3人とも孫ちゃんたちがいるおばあちゃんたちで気持ちは変わりません。アメリカの男性は二人とも30歳年下ですが、年齢差を全く感じない楽しい仲間です。これからはもっと頻繁に会いたいねというのがみんなの気持ちです。そして今朝、私たちは新幹線で京都にきました。3日間滞在予定です。
2025年11月23日
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昨朝8時過ぎに自宅を出て、京都へ来ました。午前10時過ぎに京都駅に着き、迎えに来てもらって長男家族が住むマンションへ直行。エレクトーンアンサンブルフェスティバル2025が朝から開催されていて、トコちゃんの出番は午後2時半から3時ごろなのでお寿司屋さんで昼食を済ませてから会場へ向かいました。衣装も変えて、出番まで待ちました。(トコちゃんは大きくなったので顔は隠してほしいそうです)私たちも会場入りして出番を待ちました。37番目にやっと演奏が始まりました。男子4名と女子はトコちゃんだけです。難しい曲を無事に弾き終えて先生と一緒に記念撮影です。その後、私たちはホテルに送ってもらい、1時間後にホテルに迎えに来てもらいました。そして演奏会が終わるのを待ってみんなで夕食に出かけました。少しずつですが、時間をおいて出てくるのでお腹がいっぱいになりました。私たち家族6名は最初の客でお座敷でしたが、外国からのお客さんが次から次へと入ってきてカウンターに座ってワインとともにお料理を食べてました。私たち二人は昨日が結婚記念日だったのと私の誕生日だったので、トコちゃんとミミちゃんからお祝いを2つプレゼントしてもらいました。いくつになってもうれしいものですね。ワインでほろ酔いしていい気分でホテルに送ってもらったのでした。
2025年11月24日
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5年前のイタリア旅行の思い出を書き始めたことはいいのですが,3歳と1歳のベビーシッターの合間を縫ってやるのは本当に大変!今日でイタリア旅行記もオシマイ. ペンションの奥様に車中で食べるサンドウィッチを作って頂き旦那さんの車で転がり落ちそうなスピードで山を下り,駅まで送ってもらいました.ヴェローナ駅でイタリア男性と待ち合わせ.特急ユーロスターでローマまで約7時間.向かい合っておしゃべりをしながら昼食を食べて,あっという間でした.車窓の景色は以前フィレンツェまでのバス旅行で見慣れた風景が次第に広がってきました. ローマ到着後は早速,観光に出かけます.以前団体旅行の折,駆け足で回った所を,ゆっくり見て回りました.トレビの泉は大勢の観光客で混み合っていました.「3度目もローマに来れますように!」と肩越しにコインを投げました. その後,石造りの建築,パンテオンへ.ポポロ広場には高いオベリスクが建っていて,噴水もあります.紀元前1200年頃エジプトで造られ戦利品としてアウグストゥスが持ち帰ったものだそうです.悠久の歴史を感じます. ナヴォーナ広場にも行きました.この日,この広場では大道芸人がたくさんいました.人魚の格好の女性達は座ったままの姿勢で,サラリーマンの格好をした男性は微動だにせず立ったままで,みんなどれぐらいの時間この姿勢でいるんでしょうね?映画「ローマの休日」で有名なトリニタ・デイ・モンティ広場にあるスペイン階段もこの通り,人,人,人.その後2日間,早朝にこの辺りを散歩しましたが,その時間帯は水を飲む鳩以外誰もいませんでした.その夜は旅行中お世話になっている友人と正装をして夜の街へ繰り出し,レストランでワインで乾杯!「いろいろお世話になりました.あと2日間よろしくね」その夜は長旅の疲れとワインのほろ酔いとでホテル・アレクサンドラの自室でグッスリ. 翌日はカトリックの総本山,サン・ピエトロ寺院へ.ちょうどコロッセオ爆破予告があり,市内のいたるところにパトカーや多くの警察官の姿が.入り口ではバッグなど持ち物の厳重なチェックをされました.ミケランジェロ作「ピエタ」やベルニーニ作「ブロンズの天蓋」などをゆっくり鑑賞.スイスの衛兵さんたちはニッコリ雑談中.声をかけカメラを向けると,とたんに厳しい表情に.サンタンジェロ城の内部にある博物館へ.屋上からはフォロ・ロマーノや遠くにコロッセオが見えます.休憩後,そのフォロ・ロマーノへ.古代ローマの遺跡を見ながら「兵どもが夢のあと」との感想を持ちました.コロッセオでは以前と同じように古代ローマの戦士の扮装をした男性が観光客と記念撮影を.その後もバスに乗ったり,市電に乗ってあちこち移動.昼間から友人とビールで乾杯をしたり,ショッピングをしてエンジョイ.夜はホテルの近くのオープンテラスで夕食を.お店の若者二人は肩を抱いたり,頬を寄せたりサービス精神旺盛. 嬉しかったから?,酔ったから?顔が赤くなってしまいましたわ. 翌日お昼前にチェックアウト.ガイドさんの専用車でローマ・フィウミチーノ空港へ.ところが,スーツケースが重量オーバーでまたひと悶着.(略)ちょうどアリタリア航空のストライキ中で職員の数が足りない,空港ロビーには搭乗手続きの人たちが長蛇の列.てっきりもう出発時間には間に合わないと一度はあきらめかけたけれど,何とかぎりぎりでセーフ!シャルルドゴール空港乗り継ぎで無事帰途につくことができました.いつも何かトラブル付きの外国旅行です.完
2011年11月19日
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ちょっと早いクリスマス気分のミミちゃん。そして最近の京都の姉妹トコちゃんはお姉さんらしくなってきましたね。さて、相方は急遽愛知の大学病院へ来るようにと電話があったので、昨日車で出かけました。最初は私に電車とバスで行くのでついていってほしいと言ってましので、JRと私鉄の時刻表を調べると乗り継ぎに片道2時間半から3時間かかるので、結局、車で行くと言い出しました。病後でとても心配でしたが、何とか往復してきました。但し、待ち時間が長いのが最も辛かったようです。大学病院内のメタセコイアの紅葉を写してきました。以前入院していた地元の病院との連携がうまくいってないようで、また検査、検査の連続ですが、仕方がないので来週もまた検査に行かなければならないようです。それでもだいぶ気力が回復してきたので良いことだと思います。夕方ママチャリで買い物に出かけた際、なんだか龍に見えたので写してきました。龍の目と口のように見えましたので。
2024年12月06日
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作朝ホカホカの焼き立てパンを友達が持ってきてくれました。仲良しグループのパン作りが趣味の人が焼いたのです。焼き上がるのを待って持ってきてくれたので暖かくて柔らかいパンです。一つ目は干し柿、チーズ、胡桃入りのミルクハースです。もう一つは焼き立てめんたいフランスです。あまりにもいい香りがして、柔らかいので早速食べてしまいましたが、大きな籠に入れて持ってきてくれたのでした。相方がパン好きだとよく知っているので、いつも焼き立てを持ってきてくださいます。私はちょうど小学校へ栞を持参していくところだったので会えませんでしたが。こちらも違うお友達から教えてもらった情報です。午後、正眼寺へ山川老師のお話を聴きに行ってきます。創立70年記念の公開講座「禅の心」があるのです。12時から13時30分まで学生による呈茶があります。その後、13時30分から15時まで公開講座があります。友達4人で乗り合わせて行ってくる予定です。
2025年11月15日
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明治時代の長浜の迎賓館と呼ばれる建物も名勝の庭園も素晴らしかったので紹介したいと思います。明治天皇、昭憲皇太后の玉座建設当時は南側と西側は琵琶湖に面し、東側には伊吹山、霊仙山などの山々が連なり眺望がすばらしい庭園だったそうです。明治時代後期の大横綱、常陸山を贔屓にしたのが慶雲館の浅見又蔵氏であり、日露戦争の頃、相撲界は「梅ケ谷・常陸山時代」を迎え空前の黄金期で両国国技館竣工の原因にもなったそうです。この枝と梅の花はステンドグラスでできていました。床の間に飾ってある秋の花を撮りました。ここから次のユネスコ無形文化遺産の曳山博物館までは地図を頼りにかなり歩きました。(つづく)PS) わけあって今月いっぱいは旅行記を続けますのでよろしくお付き合いください。
2018年09月21日
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趣味のダンスレッスンを先生方の都合で約2週間も休みました。今度の日曜日は愛知のホテルでまたルンバを踊りますので今日から5日間集中レッスンに励みます。昨日のブログでも触れましたが、9月19日(水)に後援会事務所の開所式9月23日(祝日)は告示&出陣式が行われ9月25日(火)からは毎日事務所のお手伝いに出かけました。9月24日(振替休日)だけお手伝いを休んで日帰りバスの旅に出ました。しばらくバスの旅にお付き合いください。地元から愛知県知多半島方面に出かけると必ず立ち寄る所が「えびせんべいの里」です。旅の始まりだというのに皆さんもう大きな買い物袋を提げてバスに戻られます。そう言う私達も同じですが…次に立ち寄るのが「つくだ煮街道」ここでもまたお買い物道端に咲く彼岸花とカンナの花バスの添乗員さんの話では前日半田市の300万本の彼岸花をお母さんと観て来たとの事でした。赤、黄、白の彼岸花が堤防沿いに300万本も咲いている光景は圧巻だったそうです。(後日、私もテレビでその光景を眺めとても感動しました。)そうこうするうちに、師崎(もろざき)港に到着しました。ここからフェリーで日間賀島に向かいます。連休なのに高速道路をスイスイ走り渋滞なし。予定よりも早く着いてフェリー出航時間までに時間がありました。近くを散策しお花を撮りました。カンナの季節ですね。これは私達の前のフェリーに乗船する皆さん私達も快速船に乗って湾から出ました。約10分で日間賀島が見えてきました。と、そこへ左側から高速船が近づいてきました。接近したので心配しましたが、そこは海上ルールに従って私達の快速船がスピードを緩めて高速船が通り過ぎるのを待ちました。快速船の波しぶきです。あっという間に防波堤が見えて間もなく日間賀島に到着です。(続く)
2018年10月02日
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カステーラで有名な松浦軒、ふくろう休憩所、名産品菊ごぼうのお店を通り過ぎ、江戸時代の雰囲気を残した紺屋土佐屋に立ち寄りました。主屋に入ります。土間店から中の間へ仏間から座敷へと進みます。昔懐かしい糸車が展示されてました。通り土間から離れ座敷の方へ進みます。糸車機織り(はたおり)機なまこ壁の土蔵です。染工場です。明治末から大正初めごろの建築物で、染め壷及び火鉢が11基据えてあります。染め壷の中央にあるのが火壷でここで火を焚き、周りの染料を温めてました。こちらはホトトギスですが、藍の花と言えばこちらの「蓼食う虫も好き好き」のタデです。タデ科イヌタデ属の一年生植物で別名タデアイ(蓼藍)とかアイタデ(藍蓼)と呼ばれます。裏門から引き返します。紺屋土佐屋さんは恵那市指定文化財になっています。(つづく)
2018年10月13日
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昨日送って頂いた愛知の公園の雪景色です。「雪で新芽も凍えそう。寒い朝になりましたね。今日も暖かくしてお過ごしくださいね。」と添えられていました。愛知の鶴舞公園の雪景色が綺麗ですね。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日ブロ友さんに刺激されて床の間の掛け軸を「梅」に変えました。床の間が寂しいので何か飾った方が良さそうです。さて、何がいいかしら?市松人形を飾ってみました。う~ん、やっぱり桃の花を買ってこようっと。・・・・・ペコちゃんは最近DIYを始めました。まだまだ完成には程遠いですね。頑張れ、ペコちゃん!
2021年02月19日
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昨日エステシャンのお宅を訪問したら、紫陽花が咲き始めていました。梅雨の時期に咲いてから完全に咲き終わっていたのに、先日来ずーっと続いた大雨で気温が下がりまた梅雨が始まったと思ったのか、返り咲きと言いましょうか、狂い咲きと言いましょうか、チェリーセージもキンシバイも二度咲きしています。タマスダレも庭のあちこちで満開です。そして百日草にアゲハ蝶が(3匹でも3羽でもなく)3頭。どこからかひらひらと飛んできてのどかに蜜を吸っていました。・・・・・昨日ダンスレッスンに出かけると7月25日のダンス写真が届いていました。プロのカメラマンはやはり違いますね。速い動きを上手に写して下さってましたので、ほんの一部ですが載せますね。バァバの晴れ姿を笑って見てやってください。お粗末さまでした。
2021年08月26日
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昨日は朝早くから夜遅くまで長い1日でした。毎年このクリスマス晩餐会に参加すると今年もほとんど1年が過ぎていったんだなぁと感じます。皆さんの声援を受けて、楽しく踊ってきました。ダンスの様子は後日ゆっくり載せることにしてとりあえず昨日の会場の様子を少しだけ載せますね。ポインセチアで飾られたエスカレーターで3階に上がると、クリスマスツリーがあちらこちらに飾られてクリスマス晩餐会の雰囲気が出ていました。カラフルに点滅する光に誘われて近づくと、周りを汽車ポッポが走っていました。よく見ると点灯しているのはシャンパングラスでした。ドアオープンは11時50分で12時から第1部アマチュアデモンストレーションが始まりました。私は第4部の終りの方なので出番は午後6時頃なので、何度も休憩をしながら待ちました。お客様は300名ほどいらっしゃいました。各部が終わるとダンスタイムがあり、皆さん楽しく踊ってらっしゃいました。おかげさまで私は皆さんの声援を受けて楽しく踊ることができました。踊り終えて先生と記念写真を撮りました。そしていよいよセレモニーとディナータイムが始まりました。本日はここまでです。
2023年12月08日
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11月霜月になりました。武下さん制作の今月のカレンダーです。(余白を小さくしてあります)今月のお花は紫色と黄色のポインセチアです。そして今月の言葉は「支え合う大切さ」です。昨日はハロウィンでしたが、今年は静かでしたね。以前は渋谷が大混雑で警察官が出て大騒ぎでしたが、今年も仮装した人たちでにぎわったんでしょうか?昨日テレビでは放送されなかったのできっと静かなハロウィンだったんでしょうね。名古屋・栄のオアシス21は昨年から夕方5時には商店街を閉店し閉鎖するので今年も静かなものでした。もちろんハロウィンは二千年以上も前のケルト民族の秋の収穫を祝う祭が起源と言われているので日本には関係ないのですが、いつの間にか仮装をして街に繰り出す日になってしまいました。小さい子供たちは仮装をして近所の家を回りお菓子をもらっている姿はよく見かけますね。京都の姉妹は先週末にハロウィンのイベントに参加したようです。いつも仲良し姉妹ですのでカテゴリを姉妹にしてますが、今回はミミちゃんにしました。ミミちゃんはポリスコスプレで黒いスカートをはいた婦警さんに扮しました。お姉ちゃんのトコちゃんは不思議の国のアリスです。寒かったので上着を着ています。ミミちゃんは顔にキラキラをたくさんつけて上機嫌です。こんな頃が可愛いですよね。記念に載せておきます。テニスに出かけた相方がお姉さんたちに頂いてきたハロウィンプレゼント。ごちそうさま。
2024年11月01日
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退院後、自宅の近所しか出かけてませんでしたが、大晦日の今日、ちょっと遠出をして愛知県江南市まで出かけました。二人が入院中に絵画展の案内葉書が届いていたからです。「あべくるみ個展」は毎回出かけています。今回も「すいとぴあ江南」で開催されています。門松とお正月飾りが玄関に飾ってありました。奥へ進んで行き「あべくるみ個展」の会場へ。たくさん展示されていましたが、今回もまた作風がガラッと変わっていました。数点紹介しようと思います。鑑賞後は退院後初めてファミリーレストランに立ち寄り温かいランチを食べてきました。私はドリアだけでお腹がいっぱいになりました。相方は食欲が出て完食でした。今年は年末12月に二人そろって入院、相方の手術がありましたが、無事にお正月を迎えられそうで嬉しいですし、ありがたいです。皆様に励ましのお言葉や温かいお言葉を頂き、本当にありがとうございました。2025年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
2024年12月31日
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今日は郵便物の配達がありません。昨日1日かかって書いた年賀状をポストに入れてきました。宅配便は昨日もありましたので、いつものように武下さんから2025年度版のカレンダーが届きました。これから毎月紹介していこうと思っています。お昼過ぎに京都の姉妹と両親が年賀にやってきました。姉のトコちゃんは大きいので慣れてますが、妹のミミちゃんはしばらく車の中にいてから家に入ってくれました。慣れればいいのですが、そういえば私も小さい頃に親戚に連れて行ってもらうと、泣いて帰りたいと祖父母を困らせた経験がありますので同じですね。皆でお昼ご飯を食べて、にぎやかに遊びました。二人は汗びっしょりになるほど動き回って遊びました。夕方、高速道路が混み始めるので帰ることになりました。2階の次男家族に会いに行って話をしてきたようです。帰り際、いとこ同士で記念撮影をしましたが、ミミちゃんはどうしても写りたくないといったので4人で撮りました。今度はいつ会えるのかな?一方、愛知のポコ君とペコちゃんは両親とパパの実家へ年賀に行きました。パパの妹さん家族がおじいちゃんと住んでいるのでいとこちゃんたちと会えて嬉しそうです。たこ焼きを焼いたり、おせち料理を食べたようです。いとこちゃんたちに会うのも久しぶりです。みんな、楽しかった頃のことを覚えていてね。夜になると午後6時から8時半過ぎまでEテレで「待ってました!歌舞伎生中継」を楽しく鑑賞しました。最近はなかなか歌舞伎を見に行くこともできないので、たっぷりと楽しみました。
2025年01月03日
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昨夜テレビのニュースでやってましたが、まだ1月だというのに兵庫県淡路では見渡す限り一面に菜の花が満開でした。(ネットから拝借)一昔前までは大寒から節分まではもっと寒かったはずですが、なんだか一足先に春がやってきた感じがします。昨日もダンス教室へ行き、相変わらず両脚の筋肉痛と肋骨辺りの痛みはありますが、ルンバウォークのベーシックを鍛えてもらいました。その後、先生が「去年のダンスパーティーの写真が届いていますよ。」と渡して下さったのがこちら。この姿がホテルパーティーでアメリカンワルツを踊った最後の舞姿です。10月20日の事でした。11月にもう1か所でデモンストレーションをしましたが、この後、12月にスタジオのクリスマスパーティーと名古屋でホテルパーティーにエントリーをしていたのに、体調を崩し、入院したので踊れませんでした。そんなことは予想だにしませんでしたが、人生には何が起きるかわかりませんね。そして正確には6週間ですが、12月と1月にダンスから離れている間にすっかりやる気をなくし、どうでもよくなりました。すでに4月に2か所、ダンスパーティーのお誘いが来ているのですが、出場する気にもなれず、意気消沈なので、男先生がせめてデモを半分だけでも踊ってみたらどうかと勧められますが、気乗りがしません。そしてスタジオには御年93歳になる男性が数回も腰の手術を経験して、先日も膝が痛かったけれど注射をしてもらったら、早々と元気になって新しいルーテンを覚えると張り切ってるよと教えてくださいました。その内にやる気が出てくるかもしれませんが、今はまだやる気が起こりません。
2025年01月22日
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大相撲夏場所が名古屋で開催されます。それで現在、各相撲部屋の力士の皆さんは愛知県の各地で稽古をしています。私は一昨夜名古屋へ移動して娘家族の家に一泊。昨朝は午前7時からの朝稽古を見学に出かけました。部屋は元大関・琴欧州で現在は鳴戸親方の鳴戸部屋です。案内チラシです。鳴戸部屋がある場所に車で向かいました。午前7時から稽古が開始しました。準備運動と言っても激しい運動でした。午前8時からはぶつかり稽古が始まりました。より激しくなりました。午前8時半から9時ごろになると白い回しを付けた東小結の欧勝馬(おうしょうま)関と東十両三枚目の欧勝海(おうしょうみ)関も加わり、一層激しくなりました。土俵で転がると背中が真っ黒になりました。午前9時過ぎからは欧勝馬と欧勝海の取り組みばかりになりました。やはり関取は激しい戦いになりました。欧勝馬が強かったです。欧勝海は真っ赤な顔をして向かっていきましたが欧勝馬にはかないませんでした。午前9時半ごろには朝稽古も終わり、最後にクールダウンの運動をしました。それからは土俵見学(女性は土俵には入れません)と写真撮影でした。真っ赤な顔をして果敢に欧勝馬に立ち向かっていった欧勝海さんと一緒に↑鳴戸親方に夏の全国交通安全運動が始まるので力士の皆さんに交通安全を願ってにじいろ会のストラップを配ってくださいとお願いをしたところ、快く受け入れてくださいました。そして他の方々に全国交通安全運動が始まるんだそうだとおっしゃってくださいました。午前10時半ごろには2階に上がり、相撲部屋でちゃんこ鍋を食べました。私は鳴戸親方の隣に座り、お話をたくさんしました。面白い写真も娘がたくさん撮ってくれましたが、自分の楽しみにすることにします。ちゃんこ鍋は味付けが現代風で食べやすく美味しかったです。写真には写ってませんが、焼き肉がもう1皿ありました。少しずつ取ったつもりがお腹いっぱいになりました。こちらは帰り際にもう一度握手をしたところです。そして大相撲夏場所に行くことになりました。そして千秋楽祝賀会のお知らせまで頂いちゃいました。どうしましょ。こんなことめったに経験できないので出かけることにしようかな?
2025年07月05日
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今日も予約投稿です。函館2日目の行程です。函館国際ホテルで朝食を済ませたら函館元町の異国情緒あふれる街並みを自由散策します。そしてタワーから五稜郭を一望できる五稜郭公園を訪れます。相方は函館山の夜景も五稜郭公園もすでに数回見ていますが、付き合ってくれます。大沼で洋食ランチを頂いたら洞爺湖温泉・ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパへ向かいます。夕食はフレンチフルコースが頂けるそうです。このホテルで2日目は宿泊します。
2025年07月29日
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9月23日(祝)から3泊4日で鳥取まで車で旅をしました。以前旅先からざっとスマホ画像でUPしましたが、より詳しくこれからアトランダムに載せようと思います。その間に何か行事があればそちらを優先的に載せますので。実際は鳥取まで1016.1キロ、車で往復したのですが、1016キロということにします。早朝4時に自宅を出て高速道路をひた走り、大津のSAで琵琶湖を眺めながら朝食を済ませてからまたひた走り、鳥取県に入るまでに3回休憩しました。そして最初に着いたのが、「もちがせ流しびなの里」でした。相方は今回6回目の鳥取旅行で、今までに訪れているので、私が一人で入館しました。訪れる人は誰もなく、私だけでしたので1階と2階をゆっくり見て回りました。時期的にひな祭りには半年ほどありましたが、どうもそれだけが理由ではないようです。開館当時は大勢の子供たちや観光客が訪れたそうですが、最近は訪れる人もいなくて閑古鳥が鳴いているそうです。人はみな珍しいもの、新しいもの見たさに観光地へ出かけますので、どうも流しびなの館に興味を失ったようです。流しびなの館は室町時代の京都金閣寺をモチーフにした大型木造建築で、内部の展示室には江戸時代をはじめ各時代のひな人形、雛飾り、加茂人形、御所人形などが展示してあります。たくさん写真を撮ってきましたが、厳選して載せますね。まず入り口で目の前に飛び込んできたのが天皇陛下即位記念の立雛です。1階には現代のひな人形がたくさん陳列してありましたが、2階に上がって江戸前期のひな飾りや江戸中期、後期のひな飾りを見て回りました。右側が次郎左衛門雛です。左側が有職雛(ゆうそくびな)です。古今雛(ここんびな)もありました。江戸中期のものです、京辺りではひなの館を御殿、御厨子といい、御殿は紫宸殿と源氏枠、豆御殿があります。雛道具もたくさん陳列してありましたが、省きます。こちらは用瀬(もちがせ)の流しびなです。旧暦の三月三日、男女一対の紙雛を桟俵(さんだわら)にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川に流すそうです。無病息災で一年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。押絵雛(おしえびな)は押絵細工(人物や花鳥)が江戸時代に婦人の細工物として流行しました。他にも雛の掛軸、土雛、雛天神、御所人形、加茂人形、竹田人形、芥子人形、衣装の人形、一松人形等々たくさん展示されていました。外へ出てきました。となりの食堂(レストラン)には家族連れやご夫婦が大勢食事をされてましたが、隣の流しびなの館へ行く人はいませんでした。私たちも冷たいもので一息ついて次の目的地に向かったのでした。
2025年10月04日
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昨日は月1回の呼吸器科の受診日でした。急に冷え込んできたので、私も気管支の具合が悪く咳がよく出て、咳をし出すと止まらなくなってしまいます。それで医師に相談してみました。すると、夕食後の薬のほかに寝る前にもう1錠飲むことになりました。そして寝る前に使う吸入薬のほかに昼間、咳き込んだ時に使う吸入薬を処方してもらいました。寝る前の吸入薬は1回吸入するだけですが、昼間の吸入薬は1度に2回まで吸って1日8回まで吸ってもOKなんだそうです。特にダンスレッスン中に咳き込むことが多いので、昨日のレッスン前に吸入してみました。完全に咳が止まるということはないですが、少しは咳く回数が減ったような気がします。運動で血液循環がよくなり、気管支の管も細くなってしまうのかなと思います。医師は症状がひどいようなら注射もありますよと勧められますが、保険がきかないのでかなり高額になります。それで効果が出るのならやりたい気はしますが、以前1年間月1回ずつ太ももに点滴で入れてもらった薬は保険適用外で高額でしたが、あまり効果が出たような気がしないのです。先日医師に聞いたところでは気管支の管の中を焼く手術は無くなったということでした。家族や知り合いからこの手術もたびたび勧められていたけれど、やらなくて良かったなと思いました。2013年初めから気管支喘息の症状が出てきたのでもう12年以上治療を続けています。きっとこのまま完治することはないのでしょうね。ここでがらりと話は変わりまして昨日表編みと裏編みを相方が完成してくれました。それで私は長さをそろえて切り始めました。続きを頑張ります。
2025年11月19日
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昨日ダンスの先生に頂きました。足リラックスパッドは私の場合、外反母趾がひどいので、少しでも和らげられるようにと。自宅に帰って早速、足の指にはめてみましtが、これが結構難しいのです。なぜならいつもハイヒールを履くので5本の指がくっついていて指と指の間にピンクのスポンジが入らないのです。💦やっとの事、パッドを入れてしばらくそのままで作業しました。もう一つはボディローラーです。ふくらはぎや足裏をマッサージするには快適なんですが、先生は私に背中に当てて猫背気味になった背中をしっかり伸ばして矯正するために使いなさいと言われました。最近寒くなったのと、加齢のせいで肩が前に巻き気味で、どうしても背中が丸くなるので以前のように胸を張って背中をそるぐらいにしてほしいからだそうです。ところが、硬いので背中が痛いんです。でもこれも慣れですので、毎日できるだけ使って背中を伸ばそうと思っています。・・・やっと表編みと裏編みができたストラップ160個分のすべての長さを切りそろえることができました。あとはボンドで接着してお花を完成させようと思います。・・・今朝は9時半からのダンスレッスンが終わったら、校区の小学校へ直行して、ボランティア登録している人たちとこれからボランティア登録をしようと思っている人たちが集まって10時半から交流会がありますのでそれに参加しようと思っています。
2025年11月20日
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3日間滞在した京都の思い出を先日来スマホで紹介していますが、一眼レフでも撮ってきたので、番外編で載せようと思ったのですが、PCのマイピクチャの容量が少ないと出て、四苦八苦してようやく載せられるようになりました。紅葉に染まった京都の思い出をご覧ください。朝9時にホテルへ迎えに来てもらって、清水寺に向かいましたが、なるべく近くの駐車場を探すのが大変でした。五条坂を登っていく車もありましたが、帰る頃には大勢の警察官が出て交通整理をし、清水寺へ行く細い道路は左折禁止の看板が出るほどでした。綺麗な紅葉が目に入ったので向かうとそこは大谷本廟でした。親鸞聖人の像がありました。しかし階段を見上げただけで保育園の年中さんは行く気満々でしたが、大人がまだまだ先が長いので参拝をあきらめて階段の下で手を合わせました。右へ行くと清水寺への近道で茶わん坂でしたが、私たちはあえて左の道を選びました。途中にミミちゃんとトコちゃんから買ってほしいグッズのお店があったので行きに確かめておきたかったのです。このお店ではありません。後日紹介する予定です。午前10時前でこの混雑ぶりです。やっと清水寺に到着して石段から後ろを振り返ると観光客がどんどん歩いてきます。このグループはアジアの国の方々でしたが、いろんな国の人たちがレンタルの着物姿で紅葉と清水寺、遠くの京都の町並みを記念撮影していました。(つづく)
2025年11月26日
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