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清水寺から帰り、昼食は中華料理店へ行きましたが、京都の美味しい店はどこも長蛇の列ができていました。有名店は皆さん辛抱強く並んで待っていますね。私たちは近くのお店でしたが、名前を書いて30分以上待ち、やっとのことでお店に入ることができました。私が食べたのはこちら、初めての味でしたが美味しかったです。午後3時過ぎに出かけ、鹿苑寺(金閣寺)へ着いたのは3時半ごろでしたが、まだまだどんどん観光客がやってきます。こちらも紅葉が綺麗でした。人の波と一緒に進んでいくと、金閣寺が見えてきました。夕方近くになってカメラでは暗く映りました。スマホ画像にします。水鏡に映る金閣寺もきれいでした。みんなと一緒に奥へ奥へと移動していきました。以前、もう数十年前になるので記憶は定かではありませんが、金閣寺をぐるりと回って後ろから眺めた覚えはありません。そしてこれから先が大変でした。足元の悪いところを登ったり下ったり、階段を上がったり下ったりして気管支の悪い私は呼吸が苦しかったです。💦↑こちらは入場口で頂いたものです。雪の金閣寺も素敵ですよね。雪が降る頃にまた来てみたいなぁと相方がつぶやきました。いつか近いうちにまた訪れたいです。そして2日目の夜は居酒屋へ出かけたのでした。このお店も予約客以外は入れませんでした。若い層のお客さんばかりで満席でした。一夜明けて3日目は雨降りでした。京都へ行くと必ず訪れるエステ店へ行き、両手、デコルテ、顔のエステを約2時間近くやってもらいました。お肌すべすべで気持ちよくなり、京都駅まで戻り、買い物をして午後の新幹線で帰りました。長らく紅葉に染まった京都の旅にお付き合い頂きありがとうございました。(終わり)
2025年11月29日
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清水寺の本堂前の舞台もどこもかも混雑しているので、人波を避けようと甘味処へ立ち寄りましたが、そこも満員で、お店の奥でたった1か所だけあけてもらえました。そこで甘味を頂きながら一服しました。(再掲しました)ミミちゃんはおはぎもぜんざいも葛切りも抹茶も1人前すべて平らげたので、みんなで驚きました。お腹を満たし、また歩き続けました。清水の舞台から見下ろすと下界は紅葉の海でしたが、下を歩きながら見あげるとそうでもないので不思議でした。入り口まで戻ってくると、朝に比べてなお一層大勢の観光客が押し寄せてきました。朝一番に来て本当に良かったと思いました。さて、これからお店が並んだ細い道を下っていきましょう。このお店で相方はここだけしか買えない清水限定の「茶の菓」を買い求めました。そしてミミちゃんとトコちゃんが欲しかったすみっコぐらしのカステラをパパに買ってもらってご機嫌でした。行きに確かめたのはこのお店でした。ミミちゃんは早速もぐもぐ食べてご機嫌になり、甘味処の食べっぷりといい、大変食欲旺盛でした。だからこそ清水寺の境内を一周歩いて巡ることができたし、その後も駐車場まで元気に歩くことができたのでした。(つづく)
2025年11月28日
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清水寺の入り口で頂いた地図と入場券。778年に僧・延鎮が音羽山の滝のほとりに観音様を祀ったことが始まりで、その後798年坂上田村麻呂が仏殿を建立。現在の建物の多くは1633年徳川家光の寄進で再建されたもの。しかし、どの建物も長蛇の列で長い時間待たされるので天井の釣り灯篭だけ写して、先に進みました。ここだけミミちゃんとお参りをして先に進みました。そしてお目当ての清水の舞台までもう少しです。下をのぞくとこんな感じ向こうの方に京都タワーが見えました。 ↓やっとのことで本堂舞台に到着。平成の大修理で本堂の前面に張り出すように広がる舞台が約1250年ぶりに修理されました。166枚の桧板が張り替えられました。舞台の床面積は200平方メートルで崖下の礎石からは13メートルの高さだそうです。江戸時代、清水の舞台から飛び降りることがブームになったそうです。それは観音様への信仰の願掛けだったそうですが、現在は「大きな決断をする」ということわざで使われます。本堂に参拝しました。線香も立ててきました。↑これはカメラを渡した長男がミミちゃんと先回りをして記念に写してくれたものです。さて、私たちはどこにいるでしょうか?欄干のすぐ隣にいました。私はそれよりも大勢の観光客の間にいる小さいミミちゃんの方が心配でした。その後、無事に合流できホッとしました。そして坂道を降りていくと小学校の修学旅行で訪れた記憶がある滝に到着。清水寺の音羽の滝で3筋に分かれて流れています。延命水とも呼ばれて参拝者はこの滝の水を飲むことができますが、学業、長寿、恋愛にご利益があるのでとても人気がありますね。こちらも30メートル以上並んでいたので諦めました。この近くの茶店でぜんざい、葛切り、おはぎ、抹茶を頂きました。これが高さ13メートルで清水の舞台を支えている柱です。(つづく)
2025年11月27日
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昨日は朝9時過ぎに清水寺へ行きました。時間がたつにつれて混雑して来るからです。ところが、9時半頃でももうすでにものすごい混雑ぶりでした。ではどうして清水寺に出かけたのか、そのわけをお話ししましょう。実は相方は岐阜県なので小学校の修学旅行に京都、奈良へ出かけていないのです。私は三重県生まれなので小学校の修学旅行は京都、奈良だったので清水寺も行きました。それでいつも相方が清水寺と金閣寺を一度見てみたいと言ってたのを思い出して今回その両方に行くことを決めたのでした。どこへ出かけるのも素足に下駄ばきです。かなりの階段を登ったり坂道を上ったり下ったりしましたが、下駄で歩きとおしました。清水の舞台から順に参拝しました。坂道を下って下の茶店で頂きました。ミミちゃんはおはぎと黒糖葛切りとぜんざいを食べました。お抹茶も大丈夫でした。大人と同じ味覚でじいちゃん、ばあちゃんはびっくり!そしてお昼は中華料理店へ行き、トコちゃんもミミちゃんも大人と同じ一人前をぺろりと平らげました。午後3時ごろに金閣寺へ行きました。まだまだ観光客でいっぱいでした。午前中も午後も本当によく歩きました。ダンスレッスンよりもハードでした。長男家族のマンションで孫ちゃんたちと充分遊びました。そして夜はマンションの近くの居酒屋さんへ行きました。連休で行きつけのお店が休みだったのです。予約してないとどこのお店も入れません。2日目も目いっぱい楽しんできました。そして私たちはホテルに戻ったのでした。ざっと2日目の報告をしました。 そして今日はもう帰る日になりました。
2025年11月25日
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3日間滞在した京都の思い出を先日来スマホで紹介していますが、一眼レフでも撮ってきたので、番外編で載せようと思ったのですが、PCのマイピクチャの容量が少ないと出て、四苦八苦してようやく載せられるようになりました。紅葉に染まった京都の思い出をご覧ください。朝9時にホテルへ迎えに来てもらって、清水寺に向かいましたが、なるべく近くの駐車場を探すのが大変でした。五条坂を登っていく車もありましたが、帰る頃には大勢の警察官が出て交通整理をし、清水寺へ行く細い道路は左折禁止の看板が出るほどでした。綺麗な紅葉が目に入ったので向かうとそこは大谷本廟でした。親鸞聖人の像がありました。しかし階段を見上げただけで保育園の年中さんは行く気満々でしたが、大人がまだまだ先が長いので参拝をあきらめて階段の下で手を合わせました。右へ行くと清水寺への近道で茶わん坂でしたが、私たちはあえて左の道を選びました。途中にミミちゃんとトコちゃんから買ってほしいグッズのお店があったので行きに確かめておきたかったのです。このお店ではありません。後日紹介する予定です。午前10時前でこの混雑ぶりです。やっと清水寺に到着して石段から後ろを振り返ると観光客がどんどん歩いてきます。このグループはアジアの国の方々でしたが、いろんな国の人たちがレンタルの着物姿で紅葉と清水寺、遠くの京都の町並みを記念撮影していました。(つづく)
2025年11月26日
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11月23日(祝・土)のことです。21日(木)にバス旅で京都へ行きましたが、23日(勤労感謝の日)も京都へ。今度は特急ひだ号と新幹線で。トコちゃんの七五三のお祝で平安神宮へ出かけたのです。11月は七五三の御祈祷のため本殿右側に受付所と待合所が作ってありました。御祈祷の時間までしばらく待ちます。今日の晴れ着はママのご両親がデパートで数枚写真を撮って来てその中からトコちゃんが一番好きな着物を選んだものです。平安神宮前で車から降りて慣れない草履で歩いていると外国人旅行者が数名「おぉ~かわいい!」と近づいて来て微笑みながらカメラを向け写真を撮ったり、中には(男性外国人達が)投げキッスを送ってくれました。晴れ着姿の子供さん達と同じようにトコちゃんも境内を歩き回りながらしばらくの間、待ちました。時間が来て神殿内に入り神前に七五三の子供達とその親、祖父母が大勢座りました。(神殿内は撮影禁止)神主さんの御祈祷が始まり七五三の子供達の住所、氏名、年齢が7歳から順番に読み上げられ、トコちゃんは3歳で読まれました。滞りなく全員の御祈祷が済んで順次退出しました。最初に受付で引換券を頂いたので交換所で千歳飴袋を頂きました。次はお楽しみオモチャの交換所へ。トコちゃんは「洗濯機セット」を選びました。これからみんなで記念に写真を撮ろうね。今日の記念に「はい、ポーズ!」では帰りましょう。私達も記念に撮ってもらいました。マンションに戻ってママのご両親が今日のお祝いにと買ってきて下さった「紅白のお祝いたまご」と桃饅頭を美味しく頂きました。こちらは私達を京都駅まで迎えに来てくれた息子が途中で立ち寄り求めた和菓子こちらも美味しくいただきました。と、その前に・・・実はマンションへ戻る前に平安神宮から直接全員で向かった所がありました。さて、そこはどこでしょうか?(つづく)
2019年11月26日
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ただいま長野県から帰ってきました。一日遅れでUPしますね。 今回の旅は年末恒例の家族旅行。大人4人、子供2人の6人で長野県松本市へ出かけました。特急しなのが木曽福島を通過する頃になると、あたり一面雪景色に変わりました。松本市に到着すると、雪はないけれど、風が冷た~い。どこも既にお正月の準備が済んで松本駅にも角松が飾られています。「信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあなたのそばがいい」とは言っても、やはり信州に来たら「蕎麦」がいい。というわけで、早速すぐ近くの蕎麦屋さんでお腹を満たします。若い人はいろいろ注文しても、私は「とろろそば」と「カキフライ」次に松本市内の観光をしようと駅前をブラブラ。ここ松本市で生まれニューヨークを中心に活躍した草間弥生さんで知られる赤い水玉模様のバスが止まっていましたが、私たちは2時間タクシーを貸切にして、観光地を回りました。ところが、29日から31日まではどこも閉館。表から見るだけでした。先ず向かったのは松本城。お濠の周りを散策しました。雪つりの向こうに松本城を望む。大勢の観光者が残念がってましたが、12月29日から3日間はお休みで本丸庭園は1月1日から3日まで入場でき、天守閣に登れるのは1月4日からでした。次に向かったのは旧開智学校。門の外から玄関の彫刻を眺めました。次は松本市美術館へ草間弥生さんの彫刻「幻の華」The Visionary Flowersが目に飛び込んできました。見る方角によって、イメージが違って面白いです。これはもう実際に見て感じてもらうほかないですね。私にはとても魅力的でした。次は「あがたの森公園」へ旧松本高等学校跡地には本館、講堂、記念館などがおチビちゃん達は本館中庭の緑の迷路が気に入ったようです。私は庭園にある池で泳いでいる鴨さんやあひるさんの姿を眺めて一息入れました。最後は両側にお店が並ぶ縄手通りをブラブラ。神社前の露店ではしめ縄が売られ、正月花の松や南天なども売られていました。タクシーで駅前まで送ってもらうと、ちょうど迎えのバスが来た所でした。黒いマントを着たお兄さん方の出迎えを受けこれから扉温泉の明神館へ向かいます。(明日へ続く)
2013年12月29日
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我が家でホームステイしているイタリア人はメロンパンが大好きで毎朝必ずメロンパンを食べます。相方は近隣の市にあるパン屋さんだけでなく名古屋市や日進市などを回ってメロンパンを買ってきます。今回はJR高島屋地下2階で買ってきました。イタリア風メロンパンポンパドールは以前メロンパンを売ってなかったんですが、今回はメロンパンがありました。3店舗ほど周って買ってきました。途中に風鈴こみちがありました。音色が聞こえてきそうな夏らしい光景ですね。さて、こちらは我が家の庭です。今年は枇杷が豊作でたわわに実っています。下の方の手の届くところは先日たくさん採りましたが、それより上の方は野鳥さんにあげます。そして先日30キロも送っていただいた梅の実を半分ほど焼酎に漬けましたが、少し色づいて漬かってきました。こちらは次男のお嫁さんが漬けた梅酒です。こちらは私が漬けた梅酒こうして3カ月ぐらい寝かせておきます。こちらは昨年ブランデーで漬けた梅酒です。梅はとっくに食べてしまいましたが梅酒は瓶に小分けして冷蔵庫で冷やしてあるので水で薄めて少しずつ飲んでます。肌寒い日はお湯割りにして飲みます。もう一瓶あるので今年中はありそうです。
2019年06月19日
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退院後、自宅の近所しか出かけてませんでしたが、大晦日の今日、ちょっと遠出をして愛知県江南市まで出かけました。二人が入院中に絵画展の案内葉書が届いていたからです。「あべくるみ個展」は毎回出かけています。今回も「すいとぴあ江南」で開催されています。門松とお正月飾りが玄関に飾ってありました。奥へ進んで行き「あべくるみ個展」の会場へ。たくさん展示されていましたが、今回もまた作風がガラッと変わっていました。数点紹介しようと思います。鑑賞後は退院後初めてファミリーレストランに立ち寄り温かいランチを食べてきました。私はドリアだけでお腹がいっぱいになりました。相方は食欲が出て完食でした。今年は年末12月に二人そろって入院、相方の手術がありましたが、無事にお正月を迎えられそうで嬉しいですし、ありがたいです。皆様に励ましのお言葉や温かいお言葉を頂き、本当にありがとうございました。2025年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
2024年12月31日
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仲良しグループの一人が写真展に2点出展しているので観に行ってきました。8月27日(水)13時から始まったので、昨日午後1時過ぎに出かけていきました。躍動感あふれる写真があり、繊細で柔らかなお花の写真があり、お祭りの可愛い子供たちの写真等がありました。頂いた案内状です。講師の方と出展者のお名前は消させていただきました。彼女と記念に1枚撮っていただきましたが、背が高い方に撮って頂いたので低い背がなお一層低くなりました。左の作品は「春の三重奏」という題でまだ雪をかぶった立山連峰を背に桜並木と手前に名の花が咲き、1匹の犬が写っています。右の作品は「ハイ ポーズ」という題で満開の桜の前で2匹の犬がポーズをとっています。そして写真を撮りに出かける日のことを聞いてきました。まだ夜中の暗いうちに遠方まで写真を撮りに出かけるそうです。講師の方は何百枚(千枚近く)も連写してその中から一番良いのを選ぶそうです。私のような記録写真とは全く違います。展覧会初日の始まったばかりに出かけたので友達が赤飯を炊いて持ってきてくれました。早速夕飯においしくいただきました。
2025年08月29日
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9月23日(祝)から3泊4日で鳥取まで車で旅をしました。以前旅先からざっとスマホ画像でUPしましたが、より詳しくこれからアトランダムに載せようと思います。その間に何か行事があればそちらを優先的に載せますので。実際は鳥取まで1016.1キロ、車で往復したのですが、1016キロということにします。早朝4時に自宅を出て高速道路をひた走り、大津のSAで琵琶湖を眺めながら朝食を済ませてからまたひた走り、鳥取県に入るまでに3回休憩しました。そして最初に着いたのが、「もちがせ流しびなの里」でした。相方は今回6回目の鳥取旅行で、今までに訪れているので、私が一人で入館しました。訪れる人は誰もなく、私だけでしたので1階と2階をゆっくり見て回りました。時期的にひな祭りには半年ほどありましたが、どうもそれだけが理由ではないようです。開館当時は大勢の子供たちや観光客が訪れたそうですが、最近は訪れる人もいなくて閑古鳥が鳴いているそうです。人はみな珍しいもの、新しいもの見たさに観光地へ出かけますので、どうも流しびなの館に興味を失ったようです。流しびなの館は室町時代の京都金閣寺をモチーフにした大型木造建築で、内部の展示室には江戸時代をはじめ各時代のひな人形、雛飾り、加茂人形、御所人形などが展示してあります。たくさん写真を撮ってきましたが、厳選して載せますね。まず入り口で目の前に飛び込んできたのが天皇陛下即位記念の立雛です。1階には現代のひな人形がたくさん陳列してありましたが、2階に上がって江戸前期のひな飾りや江戸中期、後期のひな飾りを見て回りました。右側が次郎左衛門雛です。左側が有職雛(ゆうそくびな)です。古今雛(ここんびな)もありました。江戸中期のものです、京辺りではひなの館を御殿、御厨子といい、御殿は紫宸殿と源氏枠、豆御殿があります。雛道具もたくさん陳列してありましたが、省きます。こちらは用瀬(もちがせ)の流しびなです。旧暦の三月三日、男女一対の紙雛を桟俵(さんだわら)にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川に流すそうです。無病息災で一年間幸せに生活できますように願う情緒豊かな民俗行事です。押絵雛(おしえびな)は押絵細工(人物や花鳥)が江戸時代に婦人の細工物として流行しました。他にも雛の掛軸、土雛、雛天神、御所人形、加茂人形、竹田人形、芥子人形、衣装の人形、一松人形等々たくさん展示されていました。外へ出てきました。となりの食堂(レストラン)には家族連れやご夫婦が大勢食事をされてましたが、隣の流しびなの館へ行く人はいませんでした。私たちも冷たいもので一息ついて次の目的地に向かったのでした。
2025年10月04日
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作朝ホカホカの焼き立てパンを友達が持ってきてくれました。仲良しグループのパン作りが趣味の人が焼いたのです。焼き上がるのを待って持ってきてくれたので暖かくて柔らかいパンです。一つ目は干し柿、チーズ、胡桃入りのミルクハースです。もう一つは焼き立てめんたいフランスです。あまりにもいい香りがして、柔らかいので早速食べてしまいましたが、大きな籠に入れて持ってきてくれたのでした。相方がパン好きだとよく知っているので、いつも焼き立てを持ってきてくださいます。私はちょうど小学校へ栞を持参していくところだったので会えませんでしたが。こちらも違うお友達から教えてもらった情報です。午後、正眼寺へ山川老師のお話を聴きに行ってきます。創立70年記念の公開講座「禅の心」があるのです。12時から13時30分まで学生による呈茶があります。その後、13時30分から15時まで公開講座があります。友達4人で乗り合わせて行ってくる予定です。
2025年11月15日
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大矢田もみじ谷の拝殿と本殿を目指して 石段ではなく坂道を登りました。 少し前からしぐれていたので足元が滑ります。 石段ほどではなくてもかなり急こう配でした。 233段のうち最後の石段です。 結構狭くて急でしょ。 回り道をしてやっと神社の屋根が見えてきました。 やっと登り切りました。 国の重要文化財に指定されている拝殿と本殿です。 拝殿は切妻造りで檜皮葺(ひわだぶき) なでカボチャも撫でてきました。 本殿中央には鳳凰や唐獅子、東軒下や軒下各所に たくさんの彫刻が施されていました。 本殿へは入れないので、遠くから彫刻だけ写してきました。 紀元前290年から歴史が始まったと書いてありました。 そしてこんな蛇が飾ってありました。 11月23日に「秋のひんここ祭」が行われ その折に舞う大蛇と大蛇を退治する人形です。 さあ、これからこちらの道を下ります。 (続く) もうしばらく紅葉狩りにお付き合いください。
2017年11月22日
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明治時代の長浜の迎賓館と呼ばれる建物も名勝の庭園も素晴らしかったので紹介したいと思います。明治天皇、昭憲皇太后の玉座建設当時は南側と西側は琵琶湖に面し、東側には伊吹山、霊仙山などの山々が連なり眺望がすばらしい庭園だったそうです。明治時代後期の大横綱、常陸山を贔屓にしたのが慶雲館の浅見又蔵氏であり、日露戦争の頃、相撲界は「梅ケ谷・常陸山時代」を迎え空前の黄金期で両国国技館竣工の原因にもなったそうです。この枝と梅の花はステンドグラスでできていました。床の間に飾ってある秋の花を撮りました。ここから次のユネスコ無形文化遺産の曳山博物館までは地図を頼りにかなり歩きました。(つづく)PS) わけあって今月いっぱいは旅行記を続けますのでよろしくお付き合いください。
2018年09月21日
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カステーラで有名な松浦軒、ふくろう休憩所、名産品菊ごぼうのお店を通り過ぎ、江戸時代の雰囲気を残した紺屋土佐屋に立ち寄りました。主屋に入ります。土間店から中の間へ仏間から座敷へと進みます。昔懐かしい糸車が展示されてました。通り土間から離れ座敷の方へ進みます。糸車機織り(はたおり)機なまこ壁の土蔵です。染工場です。明治末から大正初めごろの建築物で、染め壷及び火鉢が11基据えてあります。染め壷の中央にあるのが火壷でここで火を焚き、周りの染料を温めてました。こちらはホトトギスですが、藍の花と言えばこちらの「蓼食う虫も好き好き」のタデです。タデ科イヌタデ属の一年生植物で別名タデアイ(蓼藍)とかアイタデ(藍蓼)と呼ばれます。裏門から引き返します。紺屋土佐屋さんは恵那市指定文化財になっています。(つづく)
2018年10月13日
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昨日は朝早くから夜遅くまで長い1日でした。毎年このクリスマス晩餐会に参加すると今年もほとんど1年が過ぎていったんだなぁと感じます。皆さんの声援を受けて、楽しく踊ってきました。ダンスの様子は後日ゆっくり載せることにしてとりあえず昨日の会場の様子を少しだけ載せますね。ポインセチアで飾られたエスカレーターで3階に上がると、クリスマスツリーがあちらこちらに飾られてクリスマス晩餐会の雰囲気が出ていました。カラフルに点滅する光に誘われて近づくと、周りを汽車ポッポが走っていました。よく見ると点灯しているのはシャンパングラスでした。ドアオープンは11時50分で12時から第1部アマチュアデモンストレーションが始まりました。私は第4部の終りの方なので出番は午後6時頃なので、何度も休憩をしながら待ちました。お客様は300名ほどいらっしゃいました。各部が終わるとダンスタイムがあり、皆さん楽しく踊ってらっしゃいました。おかげさまで私は皆さんの声援を受けて楽しく踊ることができました。踊り終えて先生と記念写真を撮りました。そしていよいよセレモニーとディナータイムが始まりました。本日はここまでです。
2023年12月08日
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大相撲夏場所が名古屋で開催されます。それで現在、各相撲部屋の力士の皆さんは愛知県の各地で稽古をしています。私は一昨夜名古屋へ移動して娘家族の家に一泊。昨朝は午前7時からの朝稽古を見学に出かけました。部屋は元大関・琴欧州で現在は鳴戸親方の鳴戸部屋です。案内チラシです。鳴戸部屋がある場所に車で向かいました。午前7時から稽古が開始しました。準備運動と言っても激しい運動でした。午前8時からはぶつかり稽古が始まりました。より激しくなりました。午前8時半から9時ごろになると白い回しを付けた東小結の欧勝馬(おうしょうま)関と東十両三枚目の欧勝海(おうしょうみ)関も加わり、一層激しくなりました。土俵で転がると背中が真っ黒になりました。午前9時過ぎからは欧勝馬と欧勝海の取り組みばかりになりました。やはり関取は激しい戦いになりました。欧勝馬が強かったです。欧勝海は真っ赤な顔をして向かっていきましたが欧勝馬にはかないませんでした。午前9時半ごろには朝稽古も終わり、最後にクールダウンの運動をしました。それからは土俵見学(女性は土俵には入れません)と写真撮影でした。真っ赤な顔をして果敢に欧勝馬に立ち向かっていった欧勝海さんと一緒に↑鳴戸親方に夏の全国交通安全運動が始まるので力士の皆さんに交通安全を願ってにじいろ会のストラップを配ってくださいとお願いをしたところ、快く受け入れてくださいました。そして他の方々に全国交通安全運動が始まるんだそうだとおっしゃってくださいました。午前10時半ごろには2階に上がり、相撲部屋でちゃんこ鍋を食べました。私は鳴戸親方の隣に座り、お話をたくさんしました。面白い写真も娘がたくさん撮ってくれましたが、自分の楽しみにすることにします。ちゃんこ鍋は味付けが現代風で食べやすく美味しかったです。写真には写ってませんが、焼き肉がもう1皿ありました。少しずつ取ったつもりがお腹いっぱいになりました。こちらは帰り際にもう一度握手をしたところです。そして大相撲夏場所に行くことになりました。そして千秋楽祝賀会のお知らせまで頂いちゃいました。どうしましょ。こんなことめったに経験できないので出かけることにしようかな?
2025年07月05日
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昨日は校区の小学校のボランティア交流会がありました。日ごろ、小学校のボランティア活動に参加している母親と祖母(父親と祖父の参加はゼロ)が16名ほど出席しました。学校側は校長先生、教頭先生、推進委員さんと教育委員会・学校教育課の課長さんが出席しました。私は早朝ダンスレッスンをしてから車で小学校まで走りました。午前10時半から始まり12時に終わりました。開会のあいさつに続き各自が自己紹介をして、推進委員さんの情報交換タイムがありました。ほとんどの人がボランティア経験済みでしたが、少数はこれからボランティアに参加したいという人が見学に来ていましたのでボランティアの登録方法、ボランティア依頼の案内方法、運営への意見交換タイムがあって、その後、授業参観とフリートークがありました。閉会の挨拶と今後の活動予定が話され、閉会、解散になりました。私は今年は給食当番の補助と読み聞かせと家庭科授業(ミシン)に参加しましたが、他にも書写授業(習字の時間の手伝い)、スポーツDAYの運動場の環境整備、開催準備、給食センター見学と学校給食試食会、運動場の環境整備、図書館修理活動等などがありました。今年度の今後の活動予定としては個人懇談の託児、クリスマスステージ、図書館修理活動があります。時間があればお手伝いに行きたいと思っています。フリートークで興味深かったのは生ごみ削減のバッグコンポストでした。生ごみを微生物と一緒にして発酵させ、可燃ごみがかなり減ったということです。ココナツヤシビートともみ殻くん炭を使って果物、野菜の切れ端や皮、卵の殻、鍋の残り汁、廃油などを1センチより小さく切ってバッグに投入し、好気性微生物で発酵分解して酸素を送り込むと1日400グラム、月に10キロ、年に100キログラムの生ごみが消えていき、可燃ごみが少なくなります。そして毎日混ぜていると約3か月後にふわふわの堆肥になり植物の周りにまいてあげることができるようになるという話が面白かったです。午後3時に忙しいGさんからクラフトテープ50個分を回収してきて夕方5時ごろにMさんに渡しました。Mさんグループがやる気満々だからです。Mさんは渡してあった材料100の分のう70個作って持ってきてくれました。残りの30個はJAと銀行に置いて配布してもらうように頼んできたそうです。そして先日私がライオンズクラブでやった交通安全講話で親しくなってにじいろ会に入ったもらったTさんグループからは私がボンド付けした花を100個分鈴付けと台紙付けと袋詰めを頼んだので先日100個完成して持ってきてくれました。お二人とも市会議員さんで毎日忙しい方々ですが、快く協力してくださるので本当に助かります。そんなこんなで夕方までいろいろと雑用があったのでなかなかできなかったボンド付けはこれだけしかできませんでした。それでも12月に開催される交通安全啓発運動で配布するにじいろ会のストラップは目途がつきました。皆さんの協力がありがたいですね。
2025年11月21日
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昨朝8時過ぎに自宅を出て、京都へ来ました。午前10時過ぎに京都駅に着き、迎えに来てもらって長男家族が住むマンションへ直行。エレクトーンアンサンブルフェスティバル2025が朝から開催されていて、トコちゃんの出番は午後2時半から3時ごろなのでお寿司屋さんで昼食を済ませてから会場へ向かいました。衣装も変えて、出番まで待ちました。(トコちゃんは大きくなったので顔は隠してほしいそうです)私たちも会場入りして出番を待ちました。37番目にやっと演奏が始まりました。男子4名と女子はトコちゃんだけです。難しい曲を無事に弾き終えて先生と一緒に記念撮影です。その後、私たちはホテルに送ってもらい、1時間後にホテルに迎えに来てもらいました。そして演奏会が終わるのを待ってみんなで夕食に出かけました。少しずつですが、時間をおいて出てくるのでお腹がいっぱいになりました。私たち家族6名は最初の客でお座敷でしたが、外国からのお客さんが次から次へと入ってきてカウンターに座ってワインとともにお料理を食べてました。私たち二人は昨日が結婚記念日だったのと私の誕生日だったので、トコちゃんとミミちゃんからお祝いを2つプレゼントしてもらいました。いくつになってもうれしいものですね。ワインでほろ酔いしていい気分でホテルに送ってもらったのでした。
2025年11月24日
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趣味のダンスレッスンを先生方の都合で約2週間も休みました。今度の日曜日は愛知のホテルでまたルンバを踊りますので今日から5日間集中レッスンに励みます。昨日のブログでも触れましたが、9月19日(水)に後援会事務所の開所式9月23日(祝日)は告示&出陣式が行われ9月25日(火)からは毎日事務所のお手伝いに出かけました。9月24日(振替休日)だけお手伝いを休んで日帰りバスの旅に出ました。しばらくバスの旅にお付き合いください。地元から愛知県知多半島方面に出かけると必ず立ち寄る所が「えびせんべいの里」です。旅の始まりだというのに皆さんもう大きな買い物袋を提げてバスに戻られます。そう言う私達も同じですが…次に立ち寄るのが「つくだ煮街道」ここでもまたお買い物道端に咲く彼岸花とカンナの花バスの添乗員さんの話では前日半田市の300万本の彼岸花をお母さんと観て来たとの事でした。赤、黄、白の彼岸花が堤防沿いに300万本も咲いている光景は圧巻だったそうです。(後日、私もテレビでその光景を眺めとても感動しました。)そうこうするうちに、師崎(もろざき)港に到着しました。ここからフェリーで日間賀島に向かいます。連休なのに高速道路をスイスイ走り渋滞なし。予定よりも早く着いてフェリー出航時間までに時間がありました。近くを散策しお花を撮りました。カンナの季節ですね。これは私達の前のフェリーに乗船する皆さん私達も快速船に乗って湾から出ました。約10分で日間賀島が見えてきました。と、そこへ左側から高速船が近づいてきました。接近したので心配しましたが、そこは海上ルールに従って私達の快速船がスピードを緩めて高速船が通り過ぎるのを待ちました。快速船の波しぶきです。あっという間に防波堤が見えて間もなく日間賀島に到着です。(続く)
2018年10月02日
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『かわいい花姿に切なさをあわせ持つ「ユスラウメ」、今日も楽しい時間を」と添えられていました。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・さて、2月23日に「お食い初め」をした京都のミミちゃんですが、2月26日から離乳食を始めました。最初は口から出すこともありましたが、最近ではスプーンを持っていくと自分から口を開けて食べるようになったそうです。まだほんの少量ずつですが、焦らずのんびり進めていこうと思っていますとミミちゃん&トコちゃんのママが写メと共に教えてくれました。毎日少しずつ成長しているミミちゃん。まわりのママさん達にも似ているねーと言われるそうですが、お姉ちゃんによく似て来ました。やっぱり姉妹ですね。みんなに可愛がられているようで嬉しいです。こうやって並ぶとやっぱりお姉ちゃんのほうが大きいのがわかりますが、こうやって写すと4歳差なんてわからないですよね。元気ですくすく育ってほしいです。・・・・・二輪の白いお花、まだまだ頑張って咲いています。ユキヤナギも花盛りです。今日は偶然にも白い花ばかりでしたね。
2021年03月19日
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昨日21日は約180年前に脇本陣で55歳で亡くなった播隆上人の命日でした。午前7時に祐泉寺の東にある播隆上人の墓前に中山道草鞋の会のメンバーが集まり祐泉寺の住職に法要していただきました。播隆上人は新田次郎氏が播隆上人を描いた「槍ヶ岳開山」で一躍有名になりました。浄土宗の僧で山岳修行の道に入り、笠ヶ岳の再興、槍ヶ岳を開山し5回登っています。各地に「南無阿弥陀仏」の名号碑(現在82基確認)や名号軸を残しています。お墓は祐泉寺の他、播隆開山の正道院(岐阜市)、一心寺(揖斐川町)、富山市の生誕地の4か所にあります。祐泉寺には墓碑と南無阿弥陀仏と刻んだ名号碑、名号軸、護持仏があります。庶民と共に生きた聖(ひじり)の一人である播隆上人の墓碑と名号碑の前で法要してきました。法要後、先日15日(日)に開催された中山道まつりの情報交換をしてきました。面白い話をたくさん聞けました。その後、菩提寺の霊泉寺へ車で移動し、午前8時30分から1時間ほど掃除をしてきました。男性は庭の木々の手入れを、女性は本堂と庫裏の掃除をしました。私は本堂の畳を拭いてから庫裏の窓ガラス拭きをしました。秋晴れの空の下、すがすがしい気分になって帰りました。その後、ダンスレッスンに走りお昼に帰宅。午後はノア君のテニス教室の送迎をしました。ノア君も保育園からテニスを習っているので練習風景を眺めていましたが、上手になりました。相方は金曜日から3日間出かけております。図書館で小学校2年生、3年生に読み聞かせをする本を2冊借りてきました。2年生なら「せっけん つるりん」を、3年生なら「ぞうさんのふとん」を読むつもりです。
2023年10月22日
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11月霜月になりました。武下さん制作の今月のカレンダーです。(余白を小さくしてあります)今月のお花は紫色と黄色のポインセチアです。そして今月の言葉は「支え合う大切さ」です。昨日はハロウィンでしたが、今年は静かでしたね。以前は渋谷が大混雑で警察官が出て大騒ぎでしたが、今年も仮装した人たちでにぎわったんでしょうか?昨日テレビでは放送されなかったのできっと静かなハロウィンだったんでしょうね。名古屋・栄のオアシス21は昨年から夕方5時には商店街を閉店し閉鎖するので今年も静かなものでした。もちろんハロウィンは二千年以上も前のケルト民族の秋の収穫を祝う祭が起源と言われているので日本には関係ないのですが、いつの間にか仮装をして街に繰り出す日になってしまいました。小さい子供たちは仮装をして近所の家を回りお菓子をもらっている姿はよく見かけますね。京都の姉妹は先週末にハロウィンのイベントに参加したようです。いつも仲良し姉妹ですのでカテゴリを姉妹にしてますが、今回はミミちゃんにしました。ミミちゃんはポリスコスプレで黒いスカートをはいた婦警さんに扮しました。お姉ちゃんのトコちゃんは不思議の国のアリスです。寒かったので上着を着ています。ミミちゃんは顔にキラキラをたくさんつけて上機嫌です。こんな頃が可愛いですよね。記念に載せておきます。テニスに出かけた相方がお姉さんたちに頂いてきたハロウィンプレゼント。ごちそうさま。
2024年11月01日
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今日は郵便物の配達がありません。昨日1日かかって書いた年賀状をポストに入れてきました。宅配便は昨日もありましたので、いつものように武下さんから2025年度版のカレンダーが届きました。これから毎月紹介していこうと思っています。お昼過ぎに京都の姉妹と両親が年賀にやってきました。姉のトコちゃんは大きいので慣れてますが、妹のミミちゃんはしばらく車の中にいてから家に入ってくれました。慣れればいいのですが、そういえば私も小さい頃に親戚に連れて行ってもらうと、泣いて帰りたいと祖父母を困らせた経験がありますので同じですね。皆でお昼ご飯を食べて、にぎやかに遊びました。二人は汗びっしょりになるほど動き回って遊びました。夕方、高速道路が混み始めるので帰ることになりました。2階の次男家族に会いに行って話をしてきたようです。帰り際、いとこ同士で記念撮影をしましたが、ミミちゃんはどうしても写りたくないといったので4人で撮りました。今度はいつ会えるのかな?一方、愛知のポコ君とペコちゃんは両親とパパの実家へ年賀に行きました。パパの妹さん家族がおじいちゃんと住んでいるのでいとこちゃんたちと会えて嬉しそうです。たこ焼きを焼いたり、おせち料理を食べたようです。いとこちゃんたちに会うのも久しぶりです。みんな、楽しかった頃のことを覚えていてね。夜になると午後6時から8時半過ぎまでEテレで「待ってました!歌舞伎生中継」を楽しく鑑賞しました。最近はなかなか歌舞伎を見に行くこともできないので、たっぷりと楽しみました。
2025年01月03日
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昨夜テレビのニュースでやってましたが、まだ1月だというのに兵庫県淡路では見渡す限り一面に菜の花が満開でした。(ネットから拝借)一昔前までは大寒から節分まではもっと寒かったはずですが、なんだか一足先に春がやってきた感じがします。昨日もダンス教室へ行き、相変わらず両脚の筋肉痛と肋骨辺りの痛みはありますが、ルンバウォークのベーシックを鍛えてもらいました。その後、先生が「去年のダンスパーティーの写真が届いていますよ。」と渡して下さったのがこちら。この姿がホテルパーティーでアメリカンワルツを踊った最後の舞姿です。10月20日の事でした。11月にもう1か所でデモンストレーションをしましたが、この後、12月にスタジオのクリスマスパーティーと名古屋でホテルパーティーにエントリーをしていたのに、体調を崩し、入院したので踊れませんでした。そんなことは予想だにしませんでしたが、人生には何が起きるかわかりませんね。そして正確には6週間ですが、12月と1月にダンスから離れている間にすっかりやる気をなくし、どうでもよくなりました。すでに4月に2か所、ダンスパーティーのお誘いが来ているのですが、出場する気にもなれず、意気消沈なので、男先生がせめてデモを半分だけでも踊ってみたらどうかと勧められますが、気乗りがしません。そしてスタジオには御年93歳になる男性が数回も腰の手術を経験して、先日も膝が痛かったけれど注射をしてもらったら、早々と元気になって新しいルーテンを覚えると張り切ってるよと教えてくださいました。その内にやる気が出てくるかもしれませんが、今はまだやる気が起こりません。
2025年01月22日
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今日も予約投稿です。函館2日目の行程です。函館国際ホテルで朝食を済ませたら函館元町の異国情緒あふれる街並みを自由散策します。そしてタワーから五稜郭を一望できる五稜郭公園を訪れます。相方は函館山の夜景も五稜郭公園もすでに数回見ていますが、付き合ってくれます。大沼で洋食ランチを頂いたら洞爺湖温泉・ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパへ向かいます。夕食はフレンチフルコースが頂けるそうです。このホテルで2日目は宿泊します。
2025年07月29日
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我が家の2階建ての車庫の工事が今月の初めから始まりました。1階はガレージで、車が2台入っています。他にも自転車が数台入っています。お風呂の電気温水器のタンクも入っています。しかし2階はいつの間にか物置になってしまいました。40年以上前、子供たちがまだ小さい頃は2階に卓球台を置いてみんなで卓球をして遊んだこともありました。亡き義父が収集した小説や雑誌、写真集等々、亡き義母が収納していたあらゆるものがケース棚に入っていました。しかしお二人がなくなりいつの間にか使わなくなり、以来数十年もの間、開かずの間になっていました。中の物を片付けるにあたり、天井や壁、床の素材を検査してもらいました。実際には40数年たっているので昔よく使われたアスベストが吹き付けてあると取り壊すにも、届け出を出し、許可を取り、それ相応の覆いをして工事をしないとしないといけませんから。先月検査をする人が素材を採取して行き検査をしてもらったところ幸いなことにアスベストは含まれていないという結果が出ました。解体工事費用も半額で済むようになりました。それで思い切って業者に頼んで中の物をすべて運び出してもらうことにしたのです。これで2週間近くたちました。ほとんどの物を綺麗に取り除いてくれました。これからのことはしばらく考えて結論を出します。一昨日チケットを買いに行ってきました。12月は日本舞踊の世界を楽しみたいと思います。この方は映画「国宝」にも出演されていた方だそうです。日本舞踊を見せてもらえるだけでなく、トークショーもあるそうですので今から楽しみにしています。帰りにジェノベーゼパスタを食べてきました。久しぶりで美味しかったです。そして今日は午前中、いつも読み聞かせに出かけている小学校へ出かけて、坪内逍遥顕彰会の執行部のもう一人の方と一緒に校長室へ行って、クラスの代表の子供たちに先日作った坪内逍遥の栞を生徒の数だけ渡してくる予定です。
2025年11月14日
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昨日送って頂いた愛知の公園の雪景色です。「雪で新芽も凍えそう。寒い朝になりましたね。今日も暖かくしてお過ごしくださいね。」と添えられていました。愛知の鶴舞公園の雪景色が綺麗ですね。いつもありがとうございます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日ブロ友さんに刺激されて床の間の掛け軸を「梅」に変えました。床の間が寂しいので何か飾った方が良さそうです。さて、何がいいかしら?市松人形を飾ってみました。う~ん、やっぱり桃の花を買ってこようっと。・・・・・ペコちゃんは最近DIYを始めました。まだまだ完成には程遠いですね。頑張れ、ペコちゃん!
2021年02月19日
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愛知の公園の紅葉とお花の写真を友人が送って下さいました。薔薇の花のような山茶花皇帝ダリア「こんにちは。この後も優しい心と笑顔で」と添えてありました。いつもありがとうございます。・・・・・・今日は相方と二人、娘に招待され名古屋駅近くでスペシャルランチを頂いてきます。そしてそのまま娘家族の家に泊まり翌日大学病院を受診してから帰ります。その様子は後日という事にして、今日で京都の旅も最後にします。宇治川の周りの風景と紅葉です。久しぶり!2カ月ぶりのトコちゃん&ミミちゃん姉妹です。日ごとに成長しているのを感じました。京都でこういう説明を読むとより一層歴史を感じますね。妙心寺を訪れた日は雨で寒かったので身体が温まる野菜カレーを食べました。いつもご馳走ばかり食べていたわけではなく、野菜の天麩羅とざるそばであっさり済ませたこともありました。最後は京都駅の地下1階の人出です。長らく京都の旅にお付き合い頂きありがとうございました。(終)
2021年11月28日
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庭の緑のナンキンハゼの葉っぱに赤い葉がちらほらと混ざってきました。これから少しずつ紅葉が始まりそうです。日中はまだ蝉の声がしますが、夜は虫の声がにぎやかになりました。今まで夜中に夏蒲団なんて暑くて掛けられませんでしたが、最近夜中に肌寒く感じるのか、気が付いたら夏蒲団にくるまっていたりします。季節は少しずつ移ろいでいるのでしょうね。しかし、これから先の天気予報を見ると、秋雨前線や湿った空気の影響で雨が降る日が多く、残暑はまだまだ長引くので蒸し暑いそうです。雨でも涼しいと過ごしやすいと思うのですが、なかなか思ったようにはいきませんね。昨日もにじいろ会のストラップを作っていたら、しばらくの間、蒸し暑さを忘れていました。何かに打ち込んでいると、暑さを忘れますね。・・・・・セピア色の写真の続きです。弟娘孫こんな頃はみんな可愛い表情をしていましたね。
2022年08月24日
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さて、北海道旅行も3日目・最終日になりました。早朝から洞爺湖は霧に包まれていました。前日とはまた違った洞爺湖の姿でした。朝食は洋食、和食のどちらかから選びました。私たちは洋食を選びました。するとスパークリングワインがついてきました。ビュッフェから好きな食べ物を持ってきて食べ始めているとモーニングメニュー(肉・魚・パン)3つから選んだパン中心のお皿が来ました。こんなにたくさん来るのならビュッフェでとるのをやめておけばよかったと思いました。しかもスパークリングワインは相方の分と2杯もあって。でもゆっくり外の景色を見ながら頂きました。庭を散歩している人もいました。そして午前9時ごろにチェックアウトしていよいよ霧に包まれたザ・ウィンザーホテル洞爺ともお別れでした。そして9時15分ごろバスは左に洞爺湖を眺めながら山を下りていきました。そして高速に乗り、左に昭和新山が見えてきました。ちょうど午前9時40分ぐらいだったでしょうか。バスガイドさんのスマホや他の乗客のスマホが真っ赤になって津波警報が鳴り出しました。一体全体何が起こっているのか全くわかりませんでした。すると岐阜の仲間の皆さんから次々にLINEが入りました。カムチャッカ半島でマグニチュード8.5ぐらいの大きな地震が起きたこと。北海道から本州太平洋沿岸部にかけて津波警報が出たこと等など。さあ大変!高速道路が閉鎖されれば飛行機に乗れないし、高速を降りて海側へ降りれば通行止めだろうし、山側へ行くとずいぶん回り道で遠くなるので搭乗時間に間に合わないかもしれないし…(つづく)昨日午前中に菩提寺へお盆のお施餓鬼に出かけました。向日葵も7輪咲きました。暑い日差しを浴びて、元気に咲いています。
2025年08月09日
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さえママ1107さんのブログ「さえりんの部屋」に書いてある「妊婦が交通事故死 お腹の赤ちゃんは!?オンライン署名のお願い」をシェアさせていただきます。 今からちょうど1ヵ月前に被害者サポートセンターあいちでにじいろ会を知って下さった方から公式LINEにご連絡を頂きました。その方はMさんとおっしゃる方で、今年の5月21日に里帰り出産の為に愛知県一宮市のご実家に帰っていた娘の沙也香さんが交通事故に遭い5月23日に帰らぬ人となってしまいました。沙也香さんは7月が出産予定でした。事故後緊急帝王切開で産まれたお子さんは脳に重度の障害を持ってしまい未だ植物状態なのだそうです。突然の娘さんの交通事故死、そして誕生を心待ちにしていたお孫さんは懸命に命を繋いでいる状態だそうです。私たちは公式LINEでご連絡をいただいてすぐに事故のことを調べましたが、事故2日後に亡くなっているので死亡事故にはなっておらず(事故後24時間以内に亡くなると死亡事故)なかなか事故の内容がわかりませんでした。ずっと気になっていたのですが18日にFacebookで柳原三佳さんの記事が目に留まりました!!そしてMさんからも公式LINEで記事のことをお知らせくださいました。沙也香さんのお腹にいた赤ちゃんは交通事故で重度の障害を負って産まれてきたにもかかわらず法律上被害者とは認められないのだと、懸命に生きようと頑張っている赤ちゃんのために少しでもやれることはしてあげたいと昨日からオンライン署名を始めたそうです!!私もさえパパも早速オンライン署名をさせていただきました!!簡単にできますので、柳原三佳さんのヤフーニュースの記事を読んでご協力いただける方はオンライン署名をどうか宜しくお願いいたします!!我が子を抱くこともできず、妻は逝った… 出産目前の交通事故 帝王切開で生まれた子は今も意識不明 (ヤフーニュースより引用)事故後、帝王切開で生まれた赤ちゃんは低酸素脳症で今も意識不明のままだ(家族提供)■事故から1時間半後、緊急の帝王切開で生まれた我が子 その写真が私のもとに送られてきたのは、7月末のことでした。 目を閉じてすやすや眠る、生後2か月のかわいい赤ちゃん。名前は、研谷日七未(とぎたにひなみ)ちゃんです。 でも、日七未ちゃんは、生まれてから一度も泣き声を上げたことがありません。目を開いたこともありません。小さな喉には管が通され、人工呼吸器がつけられています。医師からは「低酸素性虚血性脳症」と診断され、この先も意識が戻ることはなく、一生寝たきりの状態が続くと言われているそうです。 父親の研谷友太(とぎたにゆうだい)さん(33)は語ります。「娘の日七未は、事故の衝撃で母体の意識が失われたまま、約1時間半後、緊急の帝王切開で生まれました。何とか命はつながりましたが、お腹の中で長時間酸素が届かなかったため、脳に大きなダメージを受け、せっかく生まれてきたのに、感情を表す手段も、自ら命を維持する力も失ってしまいました。あの事故さえなければ、母親の胸に優しく抱かれ、たくさんの人に祝福されながら幸せな人生を送るはずだったのに……、私たち家族の未来は、一瞬で、すべて奪われてしまいました」 初めての出産を目前に、交通事故で命を奪われた研谷沙也香さん(当時31)。人の痛みに寄り添える、優しい人柄だったと夫の友太さんは振り返る(遺族提供)■単身赴任先に届いた、突然の知らせ 事故は2025年5月21日、愛知県一宮市の市道で発生しました。 以下は、本件を報じる翌朝の新聞記事です。●『一宮で重体事故』 21日午後3時45分ごろ、一宮市木曽川町門間東島海の市道で、路上を歩いていた30代くらいの女性が後ろから来た軽乗用車にはねられた。女性は病院に搬送されたが、意識不明の重体。 一宮署は、自動車運転処罰法違反(過失傷害)の疑いで、車を運転していた同町門間角田、無職児野尚子容疑者(49)を現行犯逮捕した。署によると、容疑を認めている。現場は中央線のない道路。(2025.05.22 『中日新聞』尾張版) 事故現場の状況(遺族提供) 上記写真を見てもわかる通り、加害者は住宅街の道路で左側を走行すべきところ、進路を逸脱させ、右側を歩いていた研谷沙也香さん(31)の後方から衝突。沙也香さんはその衝撃で前方へ15メートル以上飛ばされたのです。歩行者にとっては避けることのできない事故でした。事故現場。この道路の右側路側帯を奥へ向かって歩いているとき、後方から加害車が衝突。沙也香さんは約15メートル飛ばされた(遺族提供) 単身赴任先の広島で第一報を受けた友太さんは、当初、何が起こっているのか把握できなかったと言います。「いつも通り業務に向き合っていた午後4時13分、突然、一宮西病院から私の携帯に着信があり、『今すぐ病院に来てください』と告げられました。詳細は一切知らされず、『早く来てほしい』と繰り返されるのみでしたので、とっさに、里帰り出産のために一宮市の実家に帰省している妻のお腹の子に何か起きたのではないかと思い、一刻も早く妻の元へ駆けつけたいという一心で、広島駅に向かいました」 途中、病院に電話をかけ、「せめて状況だけでも教えてほしい」と頼んだところ、「奥さんが交通事故に遭い、意識がない」とのこと。友太さんは取り急ぎその事実を義父に報告し、急いで上りの新幹線に乗り込みました。■妻からの、最後のLINEメッセージ「間もなく、義父から、『母体優先で、お腹の子は帝王切開によって取り出され、子どもはNICU(新生児集中治療室)のある一宮市民病院へ搬送された』との連絡が入りました。それを聞いたとき、言いようのない不安と深い悲しみが押し寄せました。あんなに楽しみにしていた初めての赤ちゃんが、なぜ、こんなかたちで……。それでも、とにかく二人とも助かってほしい、私が病院に着くまで、なんとか生きていてほしい、ただその願いだけを胸に、気が狂いそうな思いで新幹線の座席に身を沈めていました」 ふと、この日の昼頃、沙也香さんからLINEが届いていたことを思い出した友太さんは、携帯の画面を開きました。そこには、『昨日からすごい暑い、、、広島も暑いのかしら?』というメッセージが残されていました。「私はちょうど仕事中で、妻のメッセージに返事を返すことができていませんでした。あのとき妻に、『暑い中、無理をして散歩に行かないようにね』とでも伝えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない……、そう思うと悔しく、後悔しかありませんでした。私は、名古屋に向かう新幹線の中で、『さやか頑張れ!!』とLINEを送りました。でも、それが”既読“になることはありませんでした」事故当日の正午に届いた沙也香さんからの最後のLINE。友太さんがこのメッセージに返信できたのは、事故発生の後だった(遺族提供) 友太さんが一宮の病院に着いたのは、午後8時半頃でした。親族が待機する控室に向かうと、沙也香さんの両親、兄妹が泣き崩れていました。「それから何時間経ったでしょう、ようやく妻と対面したその瞬間、私の心は崩れ落ちました。顔と身体は腫れあがり、滲む血に覆われ、頭部の内出血の影響で両目の周囲は黒く変色していました。まるで別人のようなその姿は言葉では表しきれないほど痛々しく、ただ手を握り、沙也香、沙也香……と呼び続けました」 脳外科医と産科医の説明によれば、沙也香さんは救急搬送される時点で意識はなく、すでに瞳孔が開いていたそうです。脳損傷で出血が酷かったため、頭骨を取り除き、脳圧を減らす手術をおこなったものの、出血部位が分からず、再度手術を行っても途中で息を引き取る可能性が非常に高く、今日か明日が山、とのことでした。■事故後、帝王切開で生まれた我が子との初めての対面「医師の説明を聞き、非常に厳しい状態であることを察した私は、これ以上、沙也香の苦しみを長引かせたくないと思い、再手術はせず医師の勧めに応じて、面会制限の少ない一般病棟への移送をお願いすることにしました。そしてすぐ、子どもが搬送された病院へ向かいました」 沙也香さんのお腹の中で突然の事故に遭い、予定日より約1か月半早く生まれてきた日七未ちゃん。友太さんは、NICUでその小さな赤ちゃんと初めて対面しました。「沙也香にそっくりの可愛い顔、小さな手、小さな足……。私は保育器の中に手を入れ、少しだけそのやわらかな身体に触れました。これ以上ないほど不幸なかたちで生まれてきた娘。それでも、小さな身体で、懸命に生きてくれているその姿が愛おしく、ただ『ありがとう』と声をかけることしかできませんでした」 気管切開を受ける前の日七未ちゃん(家族提供)■へその緒の半分を妻の棺に入れて 日七未ちゃんに面会した後、友太さんは再び沙也香さんが待つ病院へ戻りました。NICUで撮影させてもらった日七未ちゃんの写真をプリントして沙也香さんの横に置き、「産んでくれてありがとう……」と声をかけました。 しかし、事故から2日後の5月23日早朝、容態は急変。沙也香さんは静かに息を引き取ったのです。「日七未のへその緒が結構長かったので、それを半分に切り、ひとつは私の手元に、もうひとつは沙也香の棺に納めました。結婚して4年、一度流産を経験した私たちにとって、新しく授かった命は宝物でした。『とにかく無事に生まれてきてほしい』『思いやりのある子に育ってほしい』と毎日のように夫婦で語り合っていました。彼女が娘の誕生をどれほど心待ちにし、どれだけ深く愛していたかを、私は隣でずっと見てきました。 お腹を撫でながら語りかける沙也香は穏やかな母の顔をしていました。その沙也香が、一度も我が子を抱くことも、目を合わせることも、成長を見守ることもできずに旅立ってしまったという現実は、あまりにも悲しく、理不尽で、無念としか言いようがありません。33歳で葬儀の喪主をつとめることになった私は、沙也香に恥ずかしい姿は見せたくない、安らかに眠ってほしい、その思いだけを胸に、式を終えました」 沙也香さんは大学時代、愛知県内の交通事故による死亡件数の多さを問題意識として捉え、論文を執筆していたそうです。人一倍、交通安全の啓発に関心を持ち、社会の課題として真剣に向き合っていた彼女が、奇しくも交通事故によって命を奪われるとは……。 友太さんはその悔しさをこう語ります。「沙也香は、決してこのような最期を迎えてよい人ではありませんでした……」 事故の4日前、友太さんが単身赴任先の広島から沙也香さんの実家を訪れていたときに撮った最後の写真。沙也香さんは生まれてくる赤ちゃんのために運動や食事など細心の注意をして過ごし、努力を重ねていたという(遺族提供)■なぜ「胎児」は被害者と認められないのか… 6月11日、加害者は過失運転致死の罪で起訴されました。起訴状の「公訴事実」には、以下のように記されていました。【前方左右を十分注視せず、ハンドル・ブレーキを的確に操作しないまま漫然時速約30キロメートルで進行した過失により、自車を道路右端の路側帯に進行させ、折から同路側帯内を自車と同一方向へ向かい歩行していた研谷沙也香(当時31歳)に気付かず、同人の後方から同人に自車右前部を衝突させるなどして同人を路上に転倒させ、よって、同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ(中略)死亡させたものである】 なぜ、明るい時間帯に、しかも見通しのよい道で、前を歩く沙也香さんの姿に気づかなかったのか……。 加害者は取り調べの中で、「事故の記憶がない」と述べていたにもかかわらず、釈放後、遺族に対しては、「居眠りをしていたかもしれない」と供述を変えてきたといいます。「都合が悪くなると平気で供述を変える姿勢に、私たち遺族は一層辛い思いをすることになりました。『事故の記憶がない』と言いさえすれば責任を逃れられるような前例は、絶対に作ってはなりません」 そしてもうひとつ、起訴状を目にした友太さんは、この事故をきっかけにどうしても訴えていきたいことがあると言います。それは、日七未ちゃんも「被害者」として扱われるべきだという、父親としての切実な思いです。「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています。しかし、娘の日七未は、明らかにこの事故の被害者です。事故の瞬間、胎児だったという理由で起訴状に名前も記されず、加害者に刑事責任が問われない可能性があるという現状には、深い疑問と怒りを感じています。 本件は、私たち家族だけの痛みではなく、社会全体が向き合うべき深刻な問いを突きつけています。胎児に関する法的な扱いは非常に難しい問題ですが、同じような悲劇が再び起こらぬよう、司法が毅然と責任を問うことは、命の尊厳を守る上で絶対に必要です。娘の無念が司法に届くことを願っています」 ちなみに、熊本で起こった水俣病事件で、最高裁は『胎児に加えられた侵害が出生後に人に死傷の結果をもたらした場合、業務上過失致死罪が成立する』と判示しています(昭和63年2月29日決定)。この解釈をあてはめれば、お母さんのお腹の中で交通事故に遭い、重い後遺障害を負った日七未ちゃんも「被害者」ではないでしょうか。■妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになれば… あと数か月頑張れば、家族3人、広島で幸せな生活が始まる……、友太さんはその日を楽しみに、家族との未来を思い描いていました。しかし、今回の事故によってその全てを奪われました。ふと、自身の死を願うこともあるといいます。「準備していたベビーベッド、哺乳瓶等の育児用品、整理された出産関係の書類……、全てが悲しみに繋がります。交通ルールを守り、ただ道路の右端を真っすぐ歩いていただけの妻が、なぜ、命を落とさなければならなかったのか。警察から返された、びりびりに破れた血だらけの服、靴、ちぎれた鞄は、妻がどれほどの衝撃と苦痛を受けたかを物語っており、想像するだけで涙が止まりません」 友太さんは今、育児休暇を取得し、毎日、日七未ちゃんの面会を続けています。しかし、医療的ケア児の受け入れ施設は少なく、退院後の見通しは立っていません。父子家庭で仕事をしながら24時間の介護をおこなうことは難しいため、まずは自身の実家で両親の協力を得ながら、在宅介護を行う準備をしているところです。 事故から3カ月、まだ日が浅い中、筆者に連絡を取り、あえて苦しい体験を語ろうと思った理由について、友太さんはこう語ります。「自動車は便利である一方、ほんの一瞬で、自身だけではなく、相手のすべてを不幸にしてしまいます。この記事をご覧になった方には、いま一度、交通安全について考えていただき、私と同じ思いをする方が少しでもいなくなることを願っています。また、胎児の法的扱いや医療的ケア児の制度の課題についても、一緒に考えていただきたいと思います。妻と娘の命が、社会の問題を見つめ直すきっかけになることを願い、オンライン署名も開始しましたので、ご賛同いただければ幸いです」 加害者の初公判は、9月2日(火)午前10時50分から、名古屋地裁一宮支部で開かれる予定です。亡くなった沙也香さんだけでなく、この事故によって重度障害を負った日七未ちゃんも、一人の「被害者=人」として扱ってほしいという、父親の友太さんの思いは届くでしょうか。 検察には、ぜひ再捜査をしたうえで訴因変更をおこない、本裁判を進めていただきたいと思います。<オンライン署名>~妊婦をはねた死亡事故~ 緊急帝王切開で産まれ、重度の障害を負いながらも懸命に生きる娘は被害者ではないのか?「胎児への加害行為に対して過失運転致傷での起訴を求めます」我が子を一度も抱くことができぬまま命を奪われた沙也香さんの遺影(遺族提供) 私はこの記事を読んで改めて交通事故被害者には本当に理不尽極まりない法律に深い憤りを感じました!!いつも加害者の人権は守られるのに亡くなった被害者は死人に口なしなんです!!!そして今回はさらに「刑法では、『胎児は母体の一部』とされていて、過失による事故で胎児が命を落としても、原則として罪に問われないとされています」とはどういうことなのでしょうか???お腹の中の胎児だから一人の人間として扱われないということでしょうか???この交通事故が無ければきっと元気に産まれてお母さんの手で大切に育てられたであろう赤ちゃんの人権は守られないということなのでしょうか???ご主人様やご家族、公式LINEでご連絡を下さった沙也香さんのお母様のお気持ちを考えたら、今まで大切に育ててこられた娘さんの命を交通事故で一瞬で奪われて待望のお孫さんも重度の障害を負われて本当にやりきれない気持ちでいっぱいだと胸が苦しくなります。決して他人事には思えません!!なにか少しでもご協力出来ないかと思いブログに書きました。このヤフーニュースの記事を読んで共感していただけた方はオンライン署名にご協力をお願いいたします!!!
2025年08月21日
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次の見学はこちら、燕趙園です。燕趙園は鳥取県と中国河北省との友好のシンボルとして平成7年に建設されました。日本最大級の本格的な中国庭園です。歴代皇帝が造り、親しんだ中国庭園を再現しています。設計、資材調達、加工まですべて中国で行い、一度仮組した物を解体して日本に運び、中国の職人が再度建設しています。屋根には皇帝しか使用できない黄色の瑠璃瓦を使用し、園内の各所に皇帝を象徴する龍の彩画や美術工芸を見ることができます。フジテレビの「西遊記」のロケ地でもあります。では中に入って中国庭園を見ながら一周してきましょう。燕趙園の主要な出入り口、燕趙門です。皇帝職の瑠璃瓦をご覧ください。園内には28景の中国庭園の造形美を堪能できます。向こうの方に見えるのは東郷湖こちらからの方が東郷湖がよく見えました。これでほぼ一周してきました。庭園の中には私一人しかいなかったです。寂しい限りですね。でもゆっくりと写真を写すことができました。(つづく)今日は1日ゆっくり過ごそうと思っています。最近花粉症のような症状が出て目はかゆく、喉もいがらっぽく咳がよく出ますので。当市で流行しているインフルエンザではありません。
2025年10月12日
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旅1日目の夜は雫石プリンスホテルで過ごしました。旅行から帰ってすぐに雫石にもクマが出たというニュースを見ましたが、山頂で星の観察をした時もクマには遭遇しませんでした。但し添乗員さんは「最近クマがあちこちに出てますので朝の散歩時もホテルの周りだけにしてください。あまり遠くへ出かけないでください。」と何度も言われました。それで早朝の雫石紅葉ロープウェイには乗りませんでした。相方はどれにも乗らなかったのでチケットは3枚余りました。早朝ホテル前から写した岩手山です。左の方へカメラを向けていきました。バスが先へ進んでも車窓からはずーっと岩手山が見えていました。途中休憩した花輪PAでも紅葉が綺麗でした。やっと十和田湖に到着。十和田湖を表しているマンホールの蓋船は1階から3階まで満席でした。しかもデッキの上まで満員でした。十和田湖で八甲田という名前の船に乗るとは面白いですね。特別名勝地・十和田八幡平国立公園を湖上から遊覧します。十和田湖は典型的な二重式カルデラ湖で海抜401m、周囲は約46.2㎞、最も深いところで326.8mと日本で第3位の湖です。昼食は比内地鶏の鶏めしです。かろうじて椅子を確保して昼食のお弁当を食べました。ただデッキ上はインバウンドで中国語を話す人たちでいっぱいでした。しかもあまり周りのことは構わず大声でしゃべったり笑ったりで落ち着いてお弁当を食べる雰囲気ではなかったです。紅葉の写真もその人たちの隙間からかろうじて撮りました。私たちは周遊コース「おぐら中山半島巡り航路」なので近場を約50分で一周して乗船場へ戻ってきました。湖水の青さと220mに及ぶ絶壁千丈幕が色鮮やかな紅葉に染まってそれはそれは綺麗な景色が堪能できました。(つづく)
2025年11月06日
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昨日は仲良しグループの皆さんは煎茶会に出かけました。私もお誘いを受けていたんですが、先約があったのでご無礼しました。以前も紹介しましたが、12年ぶりのreunionがあったのです。アメリカ人二人は今から25年ほど前に当市に滞在していた文部省採用のAET(英語指導助手)です。私は当市に大勢が滞在していた当時、色々と生活の手伝いをしました。それで今までずーっと連絡を取り合っていましたが、一人は政府の仕事(総領事)で世界中を回っていました。今は休暇を取って日本を旅行しているので会いたいと連絡が来たのです。それで親しかった二人にも連絡をして会うことになったのでした。私がJRの最寄りの駅に迎えに行ってお店まで連れていきました。一人は名古屋から下道を2時間かけてカブでやってきました。高速道路は面白くないそうです。本当は奥さんも一緒に来る予定でしたが、これなくなったそうです。奥さんがいつも行きたがっていたイタリアンレストランで昼食を。にぎやかに話をしてどれぐらい経ったでしょう。私は午前中に誕生日ケーキを買って持参しました。私の誕生日とアメリカ人の奥さんの誕生日が1日違いなので一緒に祝おうと思っていたのですが、奥さんが来られなかったので、場所を移して、友人の家にお邪魔してみんなに祝ってもらうことになりました。ちゃんと奥さんの分も持ち帰ってもらいました。にぎやかに楽しい時間は過ぎて午後3時に失礼する予定が3時半を過ぎてしまいました。みんなで記念撮影をして、これからは12年に一度ではなくもっと頻繁に会おうということになりました。そして午後4時ごろに別れました。一人は下道を2時間かけて名古屋まで帰り、もう一人は私が電車の駅まで送りました。奥さんが名古屋で待っているそうですので。本当に久しぶりに会いましたが、みんなの気持ちは昔のままでとってもフレンドリーでした。私が一人だけ他の二人の女性より15歳以上年上ですが、3人とも孫ちゃんたちがいるおばあちゃんたちで気持ちは変わりません。アメリカの男性は二人とも30歳年下ですが、年齢差を全く感じない楽しい仲間です。これからはもっと頻繁に会いたいねというのがみんなの気持ちです。そして今朝、私たちは新幹線で京都にきました。3日間滞在予定です。
2025年11月23日
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