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らしからぬ、けれども意外に好盤 レオン・ラッセル(Leon Russell,2016年に74歳で死去)は、通好みのスワンプ・ロックを得意とする一方、世間一般にはソングライターとしての存在感が認知されている。そんなせいか、「ア・ソング・フォー・ユー」(あるいは「マスカレード」)の作者、という“名曲の作者”のイメージに対して、彼の本領がそこではないところにあるという点が強調されるという現象も見られる。スワンプ・ロックの名手であることは否定しないけれども、実際のところ、優れたソングライターであることももっと強調されていいんじゃないか。このアルバム『アメリカーナ(Americana)』を聴くと、そんな風に思ってみたりもする。 “かつての泥臭さが見られない”、“若気の至りで作ったAORアルバム”などと冷たくあしらわれてしまうこともある本作だが、意外にも、曲作りの才能が見事に発揮されていると言っていいほどよくできた曲が並ぶ好盤と言えるようにもに思う。有名バラード曲の4.「男が女を愛する時」を除き、すべての曲がオリジナル(そのほとんどは共作)である。サウンド面で目立つのはホーン・セクションの使用である。けれども、“AOR盤”という評が与え得るイメージは、半分当たっていてもう半分は誤解を生むかもしれないとも思う。敢えて言うなら“粘り気のあるAOR”ぐらいの言い方なら誤解は少なくなるだろうか。 個人的な好みをいくつか挙げると、まずは、3.「フロム・メイン・トゥ・メキシコ」や7.「ハウスワイフ」。当時の状況からしてイメージを一新して一発当てたい気持ちは確かにあったのかもしれない。けれども、オシャレに決めようとしてもどこかしら“らしさ”を漂わせてしまう点が何とも彼らしい。とはいえ、都会っぽく決まっている楽曲もある。そのアレンジというよりも、筆者的には結局は楽曲の質に耳が寄って行ってしまう。2.「エルヴィスとマリリン」、5.「イッツ・オンリー・ミー」、10.「ジーザス・オン・マイ・サイド」なんかは、結局のところ、ソングライティングの能力の高さが際立っている。 そんなわけで、ファンの間では否定的な評もあり、おそらくは本人的にもあまり前面に出したくないアルバムだったのかもしれないが、一人の聴き手としては、意外と楽しめる好盤と言ってもいいのではないかと思っていたりする。[収録曲]1. Let's Get Started2. Elvis and Marilyn3. From Maine to Mexico4. When a Man Loves a Woman5. It's Only Me6. Midnight Lover7. Housewife8. Ladies of The Night9. Shadow and Me10. Jesus on My Side 1978年リリース。 アメリカーナ [ レオン・ラッセル ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年11月05日
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才能いっぱいの滋味に溢れた遺作 グラム・パーソンズ(Gram Parsons)は、1946年フロリダ生まれのミュージシャンで、ザ・バーズやフライング・ブリトー・ブラザーズなどでの活躍で知られる。インターナショナル・サブマリン・バンドで活動していた彼は、ザ・バーズに加入し、1968年発表のアルバム『ロデオの恋人』を制作したものの、このアルバム発売を待たずしてザ・バーズを脱退した。クリス・ヒルマンとともにフライング・ブリトー・ブラザーズを結成し、数年間このバンドで活動する(参考過去記事)が、1973年からはソロに転向した。1973年初頭にソロ作を発表し、同年夏にはセカンド作となる本盤を吹き込んだものの、9月に急死してしまう。原因はドラッグの過剰摂取だった。彼の死後、翌1974年になってこのセカンド作『グリーヴァス・エンジェル(Grievous Angel)』がリリースされた。 結果的に遺作となってしまったとはいえ、ここでキャリアが止まってしまったのが本当にもったいなかったと感じさせる盤である。カントリーとロックの融合というのは、このグラム・パーソンズがずっと追求したテーマだった。本盤の彼の演奏と歌は自信に満ちているように思える。期せずしてこれが遺作となったが、これがこの時点での本人にとっての一つの“完成形”であったのは確かだろう(でも、くどいようだが、その続きを個人的には聴きたかった)。 本盤の特徴となっているのは、エミルー・ハリスとのハーモニー。パーソンズの1歳年下のハリスは録音当時まだ26歳だったが、2人のヴォーカルは、貫禄とは言わないまでも、落ち着きと自信に満ちている。そして、その自信の背景には、カントリーを志向したロックへの確信があったということなのだろう。その意味では、1.「リターン・オブ・ザ・グリーヴァス・エンジェル」や9.「イン・マイ・アワー・オブ・ダークネス」なんかは聴き逃がせない。それから、個人的に気に入っているのは、4.「ブラス・ボタンズ」や5.「$1000のウェディング」といった、いわゆる美曲系のナンバー。同じく有名バラード曲の7.「ラヴ・ハーツ」も独自色がうまく出ていて面白い。豊かな才能がとっ散らかることなく完成された形で収められた盤、だからこそ味わい深いものに仕上がっているというのが本盤の全体的な印象で、エミルー・ハリスのヴォーカルを含めて実に滋味に溢れたパフォーマンスだと思う。[収録曲]1. Return of the Grievous Angel 2. Hearts on Fire3. I Can't Dance4. Brass Buttons 5. $1000 Wedding6. Medley Live from Northern Quebec: Cash on the Barrelhead / Hickory Wind7. Love Hurts 8. Ooh Las Vegas9. In My Hour of Darkness 1974年リリース。 グリーヴァス・エンジェル / グラム・パーソンズ 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2018年10月24日
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ボブ・ゲルドフの代表作 ボブ・ゲルドフ(Bob Geldof)は、1951年アイルランド出身のミュージシャン。1970年代後半にブームタウン・ラッツというバンドを率いていくつかのヒット曲を送り出した。1980年代にはライヴ・エイド、バンド・エイドといったミュージシャンによるチャリティ活動を展開し、2000年代にも批判も含め話題となったLIVE 8というプロジェクトを行なった。 この人の名を耳にしてピンと来る人もいるだろうけれど、“誰それ?”という反応を返す人も案外いるかもしれない。確かにブームタウン・ラッツとしてはイギリスのチャートもにぎわしたが、ソロ作としては特別ビッグなヒットは飛ばしていない。むしろ上記のチャリティ・ライヴ等の活動でならその名前を聞いたという人が多いかもしれない。その作品群の中でも、世界的に見ていちばん成果を残した作品はというと、1990年発表の本作『ヴェジタリアンズ・オブ・ラヴ(The Vegetarians of Love)』ということになるだろうか。全英チャートで21位となり、シングルの3.「グレイト・ソング・オブ・インディファレンス」は同チャートで15位を記録している。 本盤のレコーディングに際してゲルドフが目指したのは“自発的(自然発生的)”な演奏だったという。そのやり方はかなり個性的だったようだ。当初はプロデューサーにアマチュア・ミュージシャンを集めて演奏させたいと言ったそうだが、それでは時間がかかり過ぎると拒否されたとか。実際のレコーディングでは、打ち合わせよりも即興性を重視し、3回演奏してうまくいかなかったらその曲はお蔵入りにするという方式がとられ、5日間で28曲を録音したという。実際、アルバムを聴けば一目瞭然(というか一聴瞭然)なように、作り込むというよりも即興性を明らかに重視した演奏に仕上がっている。そしてその完成度は高いと思う。 ついでにアルバム表題の“菜食主義者(ヴェジタリアン)”というのは、生態系の保護を目指す仲間のミュージシャンに捧げたためだとのことだけれど、これもまた“この人って菜食主義者なの?”的な誤解を生みそうな気がする…。そう、きっとこのボブ・ゲルドフという人は、少なくとも音楽づくりに関しては不器用なのではないか。裏を返せば、ライヴ・プロジェクトの推進並みにこれらのことに器用だったら、おそらくはアルバムももっともっと売れていたのではないか。そんなことを思わず想像してしまったりもする。[収録曲]1. A Gospel Song2. Love or Something3. The Great Song of Indifference4. Thinking Voyager 2 Type Things5. Big Romantic Stuff6. Crucified Me7. The Chains of Pain8. A Rose at Night9. No Small Wonder10. Walking Back to Happiness11. Let It Go12. The End of the World1990年リリース。 【中古】 【輸入盤】Vegetarians of Love /BobGeldof 【中古】afb ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年10月23日
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ブレーク前のセカンド作 ビリー・ギボンズを中心に1969年に結成され、旧知のバンド仲間であったダスティ・ヒルとフランク・ベアードの参加で現在に至るメンバーが固定されたZZトップ(ZZ Top)は、1971年に『ZZトップ・ファースト・アルバム』でデビューを果たす。その翌年には本セカンド作『リオ・グランデ・マッド(Rio Grande Mud)』をリリースするが、アルバムが売れて知名度が高まるには1973年の次作『トレス・オンブレス』のセールスを待たねばならなかった。 本アルバム自体はビルボードのチャートで104位、唯一のシングルの1.「フランシーヌ」は69位。というわけなので、早い話、“まだ売れていなかった頃の盤”ということになるのだろうが、初期のZZトップは、後々(特に1980年代)のイメージよりもブルースに根差し、ブルース・ロックへの傾倒が強い音楽を展開していた。確かにブギー(ブルース・ロックからの発展形なわけだけれど)もあれば、スロー・バラード風(といっても収録曲はブルース調バラードなわけだが)もある。ヘヴィな音も随所で聞こえてくる。でも、ファースト作からの延長線上にあるブルース・ロック的な部分に本盤の神髄があるように思う。 そのようなわけで、筆者の考える本盤の聴きどころとは、ブルース的なカッコよさと若いながらも完璧といっていいその高いパフォーマンスである。個人的に一押しの3.「マッシュマウス・シャウティン」は、スリリングなブルース・ハープの演奏を含め、当時の彼らの年齢(20歳代前半)からは想像しがたい貫禄が感じられる。インスト曲の6.「アポロジャイズ・トゥ・パーリー」はビリー・ギボンズの絶好調なギター・プレイが聴きもの。上でも触れたブルース調スロー・バラード曲の8.「アフター・ザ・レイン」は7分近い長尺だが、なかなかの名曲で聴き逃がせない。[収録曲]1. Francine2. Just Got Paid3. Mushmouth Shoutin'4. Ko Ko Blue5. Chevrolet6. Apologies to Pearly7. Bar-B-Q8. Sure Got Cold After the Rain Fell9. Whiskey'n Mama10. Down Brownie1972年リリース。 【メール便送料無料】ZZ Top / Rio Grande Mud (輸入盤CD)(ZZトップ)【メール便送料無料】ZZトップ / リオ・グランデ・マッド[CD] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年10月20日
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隠れた秀逸盤 1980年代、サウスサイド・ジョニーのキャリアは決して華々しいものではなかった。1970年代後半に大手レコード会社からメジャー進出したものの、必ずしも大きなセールスには結びつかず、レーベルを移りながら活動することになる。80年代はバンド名をジ・アズベリー・ジュークスからザ・ジュークスに改め、異なった志向のアルバムを制作するなど試行錯誤の時期だったと言えるのかもしれない。 1986年発表の本盤『ウィ・ガット・シューズ(At Least We Got Shoes)』は、そんな時期の密かな秀逸盤と言っていいように思う。自作やメンバーの曲にカバー曲を織り交ぜ、独自色を出そうとしている(それはすなわち、かつてのL・スティーヴン/B・スプリングスティーン色からいい意味で脱却しているとも言える)。ニュージャージーを代表するギタリスト、ボビー・バンディエラがバンドに加わり、新しい可能性が広がっていくきっかけにもなった。 ロックバンドとしての本領発揮は、サウスサイド・ジョニー作の1.「ハード・トゥ・ファインド」や6.「エンド・オブ・ザ・ナイト」、あるいはバンディエラの存在感が発揮された9.「アイ・キャント・ウェイト」などに見られる。それから、サウスサイド・ジョニーのソウルフルなヴォーカルは1970年代と比べて明らかに余裕と情感を増している。バンディエラとの共作5.「ユー・キャン・カウント・オン・ミー」なんかでもそれは存分に発揮されているが、レフト・バンクのカバーの3.「愛しのルネ(いとしのルネ)」でも顕著に見られる。あと、アルバム末尾の10.「アンダー・ザ・サン」はバンディエラとパティ・スキャルファ(参考過去記事(1) ・(2) )の共作。パティがバッキング・ヴォーカルに加えてこのバンドのソングライティングに貢献していたことは意外と知られていないんじゃないだろうか。[収録曲]1. Hard To Find2. Tell Me3. Walk Away Renée(愛しのルネ)4. Take My Love5. You Can Count On Me6. Till The End Of Night7. I Only Want To Be With You(二人だけのデート)8. Lorraine9. I Can't Wait10. Under The Sun1986年リリース。 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年10月17日
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ジミー・ヴォーンの初ソロ作 ジミー・ヴォーン(Jimmie Vaughan)は、日本ではいま一つ知名度がなく、あまり評価もされていないミュージシャンではないだろうか。1970年代、テキサスにおいて、キム・ウィルソンらとともにザ・ファビュラス・サンダーバーズ(The Fabulous Thunderbirds)を結成し、1980年代には全米レヴェルで知名度を得た。1990年にはバンドを抜け、実弟のスティーヴィー・レイ・ヴォーンとともにアルバム『ファミリー・スタイル』を吹き込むが、スティーヴィーの悲劇的な事故死により、この作品は最初で最後の兄弟(ヴォーン・ブラザーズ)名義の作品となった。 その後、数年の間をあけて、1993年にジミー・ヴォーンはソロ作のレコーディングを進めていくことになる。現在までに発表されたソロ作の枚数は決して多くはないものの、その最初の1枚となったのが、翌1994年にリリースされた本盤『ストレンジ・プレジャー(Strange Pleasure)』だった。 上記の数年間のブランクの間、単発で客演には参加し、スティーヴィーの遺作(過去記事)に携わっていたものの、弟の死を乗り越えるには時間がかかったのだろう。結果的に出来上がった演奏は、予想外に自然体で明るいように聞こえるかもしれない。それは、上述の『ファミリー・スタイル』の続きをやっているという風にも見えることとリンクしているのだろう。 とはいえ、悲劇は続くもので、スティーヴィーに追悼曲を捧げた大物ブルースマン、アルバート・コリンズが1993年末に亡くなった。結果、本盤はスティーヴィー・レイ・ヴォーンとアルバート・コリンズの両名に捧げられる盤となった。追悼という重さと、自然体や余裕ということばで形容される演奏内容の対比。誰かの死がミュージシャンの成長につながったり好作を生み出すことにつながったりするということは往々にしてあるのだろう。けれども、本盤を聴くにつけ、複雑な思いに駆られるてしまうのは、筆者だけではないだろうと想像してみたりする。[収録曲]1. Boom-Bapa-Boom2. Don't Cha Know3. Hey-Yeah4. Flamenco Dancer5. (Everybody's Got) Sweet Soul Vibe6. Tilt A Whirl7. Six Strings Down8. Just Like Putty9. Two Wings10. Love The World11. Strange Pleasure (Modern Backporch Duende)1994年リリース。 【メール便送料無料】Jimmie Vaughan / Strange Pleasure (輸入盤CD)(ジミー・ヴォーン) 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2018年10月15日
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メンバー交代とゲスト・ミュージシャンに注目してみる第6作 1970年代半ば、ボズ・スキャッグスのレコーディング・メンバーから派生し、1978年のセルフ・タイトル作(邦題は『宇宙の騎士』)で世に出たTOTO(Toto, 読み方はトト)は、第4作『聖なる剣』でトップ・グループとしての人気を築き上げた。そんな彼らの第6作となったのが、1986年発表の『ファーレンハイト(Fahrenheit)』である。 かつての「ロザーナ」や「アフリカ」ほどの特大ヒットではないにせよ、シングルでのヒットとなった「アイル・ビー・オーヴァー・ユー」を含む作品であるが、メンバーの変化やゲストに注目するのも面白いように思う。 まず、このバンドのメイン・ヴォーカルは、当初ボビー・キンボールだった。オールド・ファンにとっては、この声こそがTOTOという人もいるだろう(後に復帰し、解散まで所属)。彼は、第5作の『アイソレーション』制作中に脱退し、代わりのヴォーカリストとしてファーギー・フレデリクセンが加わった。しかし、本作では再びメンバーが交代し、新たなヴォーカリストとしてジョセフ・ウィリアムズが迎えられた(ただし、本盤の3.と5.はスティーヴ・ルカサーがリード・ヴォーカルを担当)。 それからゲスト・ミュージシャンも興味深い。何と言っても注目は10.「ドント・ストップ・ミー・ナウ」だろう。マイルス・デイヴィスのミュート・トランペットが聴きものだが、よくよく考えてみると、ルカサー=ペイチの作曲でこんなジャズ演奏をやっていたというのも面白い。さらに、この曲を含め他の曲(6.および9.)には、サックス奏者のデヴィッド(デイヴィッド)・サンボーンも参加している。 コーラスにも少し注目しておくと、5.「アイル・ビー・オーヴァー・ユー」には元ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドがコーラスで参加している。他にもバッキング・ヴォーカルの参加メンバーは複数いる(例えば、ドン・ヘンリーもその一人)のだけれど、これ以外の注目としては、上記のファーギー・フレデリクセンが8.「クッド・ディス・ビー・ラヴ」の後ろで歌っていたりする。 収録曲は必ずしも統一感があるわけではないし、いま聴くと80年代特有と思えるようなアレンジもある。聴きどころとしては、ヒット曲の5.に加えて、9.「リー」の美しさが挙げられる。加えて、上述の通り、意外性のある10.といったところだろうか。[収録曲]1. Till The End2. We Can Make It Tonight3. Without Your Love4. Can't Stand It Any Longer5. I'll Be Over You6. Fahrenheit7. Somewhere Tonight8. Could This Be Love9. Lea10. Don't Stop Me Now1986年リリース。 ファーレンハイト [ TOTO ] 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年10月10日
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初期バンドで聴くR・ギャラガーのギター・プレイ アイルランド出身のブルース・ロック・ギタリスト、ロリー・ギャラガー(Rory Gallagher)は、生まれはバリーシャノンという場所だが、育ったのはダブリンに次ぐ規模の都市、コークであった。そのコーク発で結成されたのが、テイスト(Taste)であった。 1969年にロンドンに出てデビューを飾ったテイストは、実質的に2枚のアルバムを残しただけで空中分解してしまう。1970年にバンド解散が決まり、残りのライヴ等をこなした後、ギャラガーは1971年に『ロリー・ギャラガー』、続いて『デュース』をリリースし、ソロ活動を展開していく。そのギャラガーのソロでの成功により、テイストの活動末期のライヴがいわば便乗商法的にリリースされた。都合2枚のライヴ盤がリリースされたのだけれど、そのうちの1枚が1971年末に出された本盤『ワイト島のテイスト(Live at the Isle of Wight)』であった。 表題の通り、ワイト島での音楽フェスティバルでの演奏が収められていて、録音されたのは1970年8月のことである。ちなみに、このイベントは、ジミ・ヘンドリクスが突然の死(1970年9月)の直前に出演したものとしても知られる。録音当時、メンバーの仲は既によくなかったのであろうが、ライヴ演奏自体の質は高い。よく言われるように粗削りな部分があるものの、ギャラガーのギターが堪能できる。 収録曲数は6曲と決して多くないが、当時のLPとしては精一杯の50分ほどが収められている。曲の内容はブルース・ロックのイメージにとらわれ過ぎて聴き始めると意外に感じる部分も多いかもしれず、ハード・ロックでもあるとの先入観で聴いた方がいいかもしれないように思う。特に冒頭の1.「ホワッツ・ゴーイング・オン」(原曲はテイストのセカンド作に収録)なんかは、このハード・ロックのイメージそのものである。筆者が特に気に入っているのは、後半(LPのB面)で、特に6.「なまず(キャットフィッシュ)」の演奏がいい。このテイストというバンドが“第二のクリーム”なんて言われたのもなるほどと思わないでもない。 ロリー・ギャラガーを初めて聴こうという人には、個人的趣味も含めてソロになってからの作品をお勧めする。けれども、彼のギターに魅せられて過去にさかのぼっていくといずれ出会うのがテイストということになるだろう。そこで原石のような輝きを見つけ直すのも、聴き手としてはよい体験ということになるのではないだろうか。[収録曲]1. What's Going On2. Sugar Mama3. Morning Sun4. Sinner Boy5. I Feel So Good6. Catfish1971年リリース。 Taste / Live At The Isle Of Wight 輸入盤 【CD】 ホワッツ・ゴーイング・オンーテイスト ワイト島ライヴ 1970 [ テイスト ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2018年09月30日
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8年ぶりのカムバック作 ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)はブルースやソウルに根差しつつも、気が付くとアダルト・コンテンポラリーや日本風に言えば“AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)”の流れに乗って、ヒットを飛ばすシンガーになっていた。1980年の『ミドル・マン』から8年の間隔をあけ、シーンへの復帰作となったのが本作『アザー・ロード(Other Roads)』で、その内容はやはりAORの王道を行くものだった。 よくも悪くもシングル曲の3.「ハート・オブ・マイン」が“本盤の顔”であるのは確かだろう。この曲のヒットによってアルバムも売れたわけだし、上述の“ボズの復活”も世間に認知された。けれども、作品全体を通して聴くならば、甘いバラード路線とでも言えそうな部分は、決してアルバム全体を著しているわけではないことに気づく。 1970年代後半を通してヒットを飛ばしたボズ・スキャッグスは、大衆受けするものと自分のやりたい音楽の間で迷いのようなものがあったのではないだろうか。結局、後になるとR&Bやジャズなど明確に方向づけされたアルバムを作っていくことになったのだけれど、この時点では、きっとまだ迷いというか、ためらいのようなものがあったのだろう。R&Bに根差したロック調ナンバーも結構含まれており、ヴォーカルは前作までよりも明らかに洗練度が増しているように思う。そんな中で、あえて一つだけ注目曲を挙げると、11.「ナイト・オブ・ヴァン・ゴッホ(ヴァン・ゴッホの夜)」。ピーター・ウルフおよびボビー・コールドウェルとの共作曲で、上記「ハート・オブ・マイン」と並ぶ、いやそれ以上の本盤の聴きどころになっている。 ちなみに、収録曲の多く(追加曲を含めた11曲中の8曲)が自作(共作)のナンバーで、参加ミュージシャンには、なじみのTOTOの面々らの名が見られる。プロデューサーにも劇的な変更はなく、ブランクを経つつも安定したアルバムづくりをやっていたのだろうと想像させられる。1980年代作品ということで、いかにもAORなイメージだけでやり過ごしていた人が、あらたまって本盤を聴くと、意外に違った印象を持つかもしれない、そんな作品だとも思う。[収録曲]1. What's Number One?2. Claudia3. Heart of Mine4. Right Out of My Head5. I Don't Hear You6. Mental Shakedown7. Soul To Soul *日本盤CD追加曲8. Crimes of Passion9. Funny10. Cool Running11. The Night of Van Gogh1988年リリース。 アザー・ロード [ ボズ・スキャッグス ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年08月06日
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質の高い解散直前の盤 80年代に一世を風靡した女性バンド、バングルス(Bangles)は、1984年のデビュー作、1986年の本格的ヒット作となったセカンド・アルバムと着実に実績と人気を積み上げていった。セカンド作からおよそ2年半を経て発表されたサード作がこの『エヴリシング(エブリシング、原題:Everything)』であった。 正直なところ、このアルバムの評価を定めるというのはなかなか難しい。内容面では、後述するように非常にレベルが高く、親しみやすい楽曲や優れた楽曲が多い。その一方、バンドとしての一体性という点では、以前の2作のほうが圧倒的にまとまりがあったと言える。メンバーそれぞれが曲によってそれぞれヴォーカルを取っているのは過去作と変わらないのだけれど、何故だか本盤の方はヴォーカルが変わるたびにトーンが変わる印象が強い。無論、それはそれで各メンバーのアーティストとしての成長ぶりを示していたと言ってしまえば、それまでなのかもしれないけれど、結局このすぐ後にバンドが活動停止となってしまったのもよくわかる。 収録の曲のうちシングルカットされて大ヒットしたのは、スザンナ・ホフスがリード・ヴォーカルを取る2つのナンバー。冒頭の1.「恋の手ほどきIN YOUR ROOM」は全米5位、5.「胸いっぱいの愛(イターナル・フレイム)」は全米ほか各国で1位となった。とはいえ、アルバム全体で聴けば、スザンナ・ホフスのヴォーカルは13曲中4曲に過ぎない。つまり、他のメンバーがヴォーカルを務める曲にも否応なく注目が行くことになる。筆者の一押しはシングルにもなった6.「いつでもBE WITH YOU」。ドラムスのデビー(デボラ・ピーターソン)がヴォーカルで、ドラムを叩きながら歌う映像も個人的には印象的であった。それから、ベースのマイケル・スティールがメイン・ヴォーカルの7.「憧れのGLITTER YEARS」は、バングルス初期からの雰囲気を引き継ぐ楽曲で、抜群の安定感を感じさせる。あと、ギターのヴィッキー(ヴィクトリア・ピーターソン)がヴォーカルをとるナンバーでは11.「MAKE A PLAY」と13.「CRASH & BURN」が個人的には印象の強い曲だったりする。 余談ながら、いかにも80年代臭のする曲目の邦語タイトルは、出た当時から“何とかならないのか”という、トホホ…といいたくなるレベルだった。“In Your Room”が「恋の手ほどきIN YOUR ROOM」、“Be With You”が「いつでもBE WITH YOU」といった具合。かと思うと、上述の11.や13.のように多くの曲は、そのまま大文字でアルファベット表記のまま。2.「愛しのガール」、5.「胸いっぱいの愛」、9.「大空の彼方に」のように統一するか、いっそあきらめて基本カタカナにするかしてほしかった。個人的には70年代チックさを残す前者の方法をとってほしかった気もするのだけれど。[収録曲]1. In Your Room2. Complicated Girl3. Bell Jar4. Something to Believe In5. Eternal Flame6. Be With You7. Glitter Years8. I'll Set You Free9. Watching the Sky10. Some Dreams Come True11. Make a Play for Her Now12. Waiting for You13. Crash and Burn1988年リリース。 Bangles バングルス / Everything 【CD】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年08月03日
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“2枚看板”のデビュー盤 チキン・シャック(Chicken Shack)は、1960年代に形成されたブルース・ロック・バンド。1970年代半ばに活動が止まった時期もあるものの、現在まで存続していて、後に“スタン・ウェッブズ・チキン・シャック”と名乗ったことからも顕著なように、このバンド=スタン・ウェッブ(Stan Webb,ギター&ヴォーカル)という図式のイメージが強い。けれども、デビュー当初はクリスティン・パーフェクト(Christine Perfect,キーボード&ヴォーカル、後にフリートウッド・マックのジョン・マクヴィーと結婚してクリスティン・マクヴィーを名乗る)との2枚看板にベースとドラムを加えた形であった。 イギリスのアルバムチャートで12位に達したが、内容としてはブルース色が強く、とりわけ3曲のカバー(2.「ロンサム・ホイッスル・ブルース」、4.「サン・ホー・ゼイ」、6.「シー・シー・ベイビー」)に見られるように、フレディ・キングの影響を強く受けている。他にもB・B・キング(1.「ザ・レター」)やジョン・リー・フッカー(5.「キング・オブ・ザ・ワールド」)を取り上げていて、全体としては重くて渋いといった印象である。 オリジナル曲に目を向けると、インスト曲の8.「ウェッブド・フィート」に代表されるようスタン・ウェブのナンバーもさることながら、クリスティン・パーフェクトの存在が光る。彼女のペンによる3.「ホェン・ザ・トレイン・カムズ・バック」と9.「ユー・エイント・ノー・グッド」は、リスナー側の姿勢次第では本盤のもう一つの聴きどころになっているとも言えるのかもしれないと思う。 ちなみに、長々しいアルバム表題(Forty Blue Fingers, Freshly Packed and Ready to Serve)と妙な缶詰めのジャケット写真が気になる人も多いことだろう。表題(なおかつ缶詰のパッケージ名)は“新鮮なままパッケージされ、そのままサーブできる40本の青い指”。よくある缶詰めパッケージの語句をもじったものである。もちろん、青い指が食卓に並ぶととんでもなく不気味だが、40本の青い指というのは演奏者4人分のブルースを演奏する指を意味している。[収録曲]1. The Letter2. Lonesome Whistle Blues3. When the Train Comes Back4. San-Ho-Zay5. King of the World6. See See Baby7. First Time I Met the Blues8. Webbed Feet9. You Ain't No Good10. What You Did Last Night1968年リリース。 Chicken Shack / 40 Blue Fingers Freshly Packed And Ready To Serve 【LP】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年07月31日
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オリジナル・メンバー、14年ぶり復帰の世紀末盤 ある意味、なかなかTOTOらしい1枚だと思うのが、この『マインドフィールズ(Mindfields)』というアルバム。作品自体は1999年のものだから、ドラムのジェフ・ポーカロは既に事故で無くなった(1992年)後だし、バンドがデビューした70年代後半から80年代にかけてがバンドの絶頂期だったというのも事実である。そんなわけで、代表盤とはならないであろう作品なのは確かなのだけれど、個人的には意外と気に入っているアルバムだったりする。 さて、本盤では、オリジナル・メンバーだったヴォーカリストのボビー・キンボール(1984年の『アイソレーション』制作中に脱退)が15年近いブランクからバンドに復活している。もちろん、ヴォーカルが復帰したからといって、すぐさま初期のTOTOらしさが取り戻されるわけではない。けれども、実際にアルバムを聴くと、やっぱり“TOTOらしい”のである。そこが本盤の不思議かついちばんの魅力なのかもしれない。 冒頭はルカサーがヴォーカルの1.「アフター・ユーヴ・ゴーン」で始まるが、この辺は本盤の直近の流れを意識してのものなのかもしれない。続くキンボールのヴォーカルによる2.「ミステリアス・ウェイズ」からが、上で述べた“TOTOらしさ”が耳につき始める。曲が進むにつれ、当時のTOTOの音楽に80年代風のエッセンスが混じりあったようなヴァリエーションにとんだ曲が展開されていく。上記1.のシタール風のフレーズがるかと思えば、レゲエ風のリズムもある。ジャム・セッション風の演奏があるかと思えば、ドラマチック風バラードもある。70分超の長編だけれど、決して単調になることなく、様々な面を見せていく曲と演奏が変化に富んでいる。 そんなわけで、実のところ、冒頭に書いた“TOTOらしさ”というのは、ひとえにキンボールの復帰のみによるのではないように思えてくる。彼のメンバー復帰はその要素の一つであり、結局は昔からの彼らの器用さ、つまりはいろんなことができるキャパシティがその復帰で刺激されたことによるとでも説明したほうがいいのかもしれない。 最後に少しだけ、個人的な趣味でお気に入りを挙げると、上記1.、2.に加え、8.「ラスト・ラヴ」、10.「ワン・ロード」、パート1~パート3まであわせて8分近い13.「ベター・ワールド」もいい。ついでながら、日本盤のボーナス曲となっている14.「スパニッシュ・ステップス・オブ・ローマ」も結構好きなのだけれど、残念ながら正規のアルバム収録曲にはカウントされていない。完成度は高いと思うのだけれど、他の楽曲との組み合わせ上の理由や全体の雰囲気との整合性の問題だったのだろうか。[収録曲]1. After You've Gone2. Mysterious Ways3. Mindfields4. High Price of Hate5. Selfish6. No Love7. Caught in the Balance8. Last Love9. Mad About You10. One Road11. Melanie12. Cruel13. Better World Parts I, II & III14. Spanish Steps of Rome ←ボーナス・トラック1999年リリース。 【中古】洋楽CD TOTO/マインドフィールズ【タイムセール】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2018年07月15日
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バンドの転機となった一枚 シカゴ(Chicago)は、1969年の『シカゴの軌跡(The Chicago Transit Authority)』でデビューし、ほぼ毎年1作(といってもその“1作”が2枚組だったり、ライヴ盤やベスト盤のリリースも間に挟んでいたりもする)のペースで着実に作品リリースを重ねていった。そんな中、バンドにとって大きな危機が訪れた。1978年1月に起きた、当初からのメンバーであったテリー・キャスの死である。弾が入っていないと言って銃をこめかみにあてて引き金を引いたところ、自身を撃ち抜いてしまったという不慮の事故だった。 当然、シカゴというバンドも存続の危機を迎えた。ピーター・セテラの言によれば、“イーグルスがベーシストを探していたりしないだろうか”なんて具合に身の振り先を考えたりもしたそうである。けれども、ある友人の一言をきっかけにバンドは存続を決意し、新たなギタリストを探し出す。そうして迎えられたのが、スティーヴン・スティルス・バンドなどで活動歴を持つドニー・デイカスだった。 アルバム名はこれまでのしきたり(といっても、厳密なものではなかったけれど)とは違い、通し番号の“12(XII)”ではなく、『ホット・ストリーツ(Hot Streets,ただし邦訳では ホット・ストリート)』となった。ロバート・ラムは、こうした表題もこれもまたメンバー変更による変革だったと述べている。 以上のような変化の結果は本盤の内容面にも如実に表現された。最初のシングルとなった1.「アライヴ・アゲイン」はタイトルそのものもそうだし、曲調もそしてヴォーカル(ピーター・セテラとドニー・デイカスの2人が共同してヴォーカルをとる)も、再生したあるいは新生のシカゴをある意味、象徴している。他にお気に入りを少し挙げるならば、ドニーのヴォーカルによる5.「テイク・ア・チャンス」がいい。さらに、大きなヒットにはならなかったもののシングル・カットされた6.「ゴーン・ロング・ゴーン」はピーター・セテラらしい魅力が詰まったナンバー。同じくシングル化された9.「ノー・テル・ラヴァ―」は、本盤収録中、シカゴ的という意味でお薦めの曲。これに対し、10.「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」は、ある種、シカゴらしくないという意味での注目曲。アルバム末尾のこの2曲を連ねて聴くのもなかなか面白いと思う。[収録曲]1. Alive Again2. The Greatest Love on Earth3. Little Miss Lovin'4. Hot Streets5. Take a Chance6. Gone Long Gone7. Ain't It Time8. Love Was New9. No Tell Lover10. Show Me the Way1978年リリース。 【メール便送料無料】Chicago / Hot Streets(リマスター盤)(Expanded Edition) (輸入盤CD)(シカゴ) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年07月13日
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プロテスト=フォークの図式からの脱皮 ボブ・ディラン(Bob Dylan)はプロテスト・ソングを弾き語るフォーク・シンガーとしてまずは世間に認知された。そこからの変化という意味では、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』での“フォーク・ロック”路線への転換が大きく取り上げられることが多いが、その前のアルバムでも変化の兆しが見られた。その作品がこの『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』という盤である。 デビュー盤が1962年、その後、翌63年の『フリーホイーリング・ボブ・ディラン』と64年の『時代は変る』で名を上げた。この頃のディランは、いわゆるプロテスト・ソングが中心であったが、『時代は変る』の半年後に出された本盤では、その様相はがらりと変わっていた。ディラン自身、“もう誰かの代弁者でいたくない”と語っていたとも伝えられる。 その一方、サウンド面では必ずしも大きな変化はなく、その変化は次作の『ブリンギング~』まで明確には示されることはなかった。要するに、本盤は、全編弾き語りがベースで、珍しい点を挙げるとすれば、2.「黒いカラスのブルース」でピアノを演奏しているぐらいだろうか。表題『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の“異なる面(アナザー・サイド)”という表現については、ディラン本人の希望ではなかったとのことで、命名はプロデューサーのトム・ウィルソンによる。ディラン自身は、後に“誇張しすぎ”、“あのようなタイトルをつけるべきではなかった”とも語っている。 というわけで、サウンド的に何か突出した感じはしないものの、注目曲は目白押しと言っていい。オープニングの1.「オール・アイ・リアリー・ウォント」の強い印象、3.「スパニッシュ・ハーレム・インシデント」や4.「自由の鐘」の詞は(筆者の英語力では文字にした詞を読みながらしかついていけないけれど)心に深く刻まれる。他にも、6.「ラモーナに」や11.「悲しきベイブ」といった名曲を含むのに、アルバムとしての注目度があまり高くないというのは、シンプルなサウンドの問題もあるのかもしれないがもったいない。せっかくノーベル賞を受賞(2016年)したのだから、こうした作品も再注目されるといいのだけれど。[収録曲]1. All I Really Want to Do2. Black Crow Blues3. Spanish Harlem Incident4. Chimes of Freedom5. I Shall Be Free No. 106. To Ramona7. Motorpsycho Nitemare8. My Back Pages9. I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)10. Ballad in Plain D11. It Ain't Me Babe1964年リリース。 アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン/ボブ・ディラン[CD]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年06月18日
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方向性が定まった第三作 邦題は『サード・アルバム』となっているものの、原題は『ザ・イエス・アルバム(The Yes Album)』。どちらも本盤をよく表していて、邦題は文字通りイエスとして3枚目のアルバムであることを示している。一方、元の英語表題の方は、“これぞイエス”という、いわば意思表明のようにも見える。 イエスは、1969年にセルフ・タイトルのデビュー盤『イエス(Yes)』(邦題は『イエス・ファースト・アルバム』)を発表し、翌70年にはセカンド作『時間と言葉』を制作した。これら2作は、後の『こわれもの』や『危機』で頂点に達するイエス流プログレとは少し趣向が違っていて、サイケデリック・ロックやシンフォニック・ロックと呼べそうな音を展開していた。 これに対し、本盤『サード・アルバム』制作時には、前2作と比べて見ると2つの大きな変化があった。一つはギタリストの交代で、オリジナル・メンバーのピーター・バンクス(後に2013年に死去)が抜け、これに代わってスティーヴ・ハウが新加入している。ハウは作曲能力もさることながら、独特で圧倒的なギター・プレイをもってイエスの黄金期を支えることになる。 本盤制作に際してのもう一つの変化は、“6人目のイエス”と呼ばれる影のメンバーの存在である。前作『時間と言葉』でエンジニアとして参加していたエディ・オフォードが、本作ではバンドとともに共同プロデューサーとなっている。オフォードはその後のイエスの諸作のほか、この同じ頃のEL&P(参考過去記事)の諸作でもエンジニアを務め、この当時のプログレ・サウンドの立役者とも言える人物である。 聴きどころとしては、1.「ユアーズ・イズ・ノー・ディスグレイス」はバンド名のイエスが作者名義となっている曲で、9分超であるものの、変化にとんだサウンドで聴き手には飽きない演奏となっている。同じく時間数的にはボリュームのある3.「スターシップ・トゥルーパー」、4.「アイヴ・シーン・オール・グッド・ピープル」という2つの組曲がアルバム半ばで続いているが、これは、元はA面最後とB面最初に配されていたもの。あと、個人的なお気に入りとしては、6.「パーペチュアル・チェンジ」がいい。それから、2.「ザ・クラップ」は上述の通り新たに加入したハウのギター(アコギ)が堪能できる。[収録曲]1. Yours Is No Disgrace 2. The Clap3. Starship Trooper: a. Life Seeker~b. Disillusion~c. Würm4. I've Seen All Good People: a. Your Move~b. All Good People5. A Venture6. Perpetual Change1971年リリース。 サード・アルバム [ イエス ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年05月16日
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特大ヒット・シングルを収めた4th作 ベルリン(Berlin)と言えば、ドイツの都市名なわけだけれど、特にそれと関係が深いわけでもなくバンド名としたのは、アメリカはカリフォルニアの若者たち。ヨーロッパ風でエキゾチックというのが理由だったとか。ということは、“リスボン”や“ジェノヴァ”、はたまた“ヘルシンキ”や“コペンハーゲン”でもよかったのだろうか…。ともあれ、1980年のインディーズ盤を出し、やがてメジャーで売れるようになっていった。セカンド作とサード作で成功を収め、大ヒット映画『トップガン』のサントラという出番が回ってきた。 そのようなわけで、セカンドやサードの方がアルバムとしては売れたわけだけれど、上記映画作品の挿入歌「愛は吐息のように~トップガンLOVEテーマ~(テイク・マイ・ブレス・アウェイ)」が特大のヒットとなり、しかも日本盤ではこれがアルバム表題にまで転用されたということもあって、本盤も目につきやすい(ただし大したセールスには結びつかなかった)。 さて、上記ヒット曲のバラードのイメージだけでは、アルバム全体は想像しにくいだろう。そもそもこのバンドはシンセを積極的に使ったニューウェーヴ系の音楽を目指していた。その意味では、1.「愛の迷路(ウィル・アイ・エヴァー・アンダスタンド・ユー)」や3.「炎のハート・ブレイク(ライク・フレイムス)」、あるいは6.「トラッシュ」や9.「トーク・ミー(セックス・ミー、トーク・ミー)」あたりが本領を発揮しているナンバーということになるのだろう。その一方、個人的な好みという点では、2.「ユー・ドント・ノー」、10.「ピンク・アンド・ベルベット」(特にこの曲は私的には一押し)なんかもいいと思う。 でもってこのバンド、その後はどうなったのかというと、本盤のセールスが振るわなかったことや、5.「愛は吐息のように」のヒットによる方向性をめぐり、結局は1987年に解散してしまった。さらにその10年後の1997年以降は再結成し、ゴーゴーズ再結成ライヴの前座を務めたりした。現在も活動中で2013年にアルバムを発表(筆者は未聴)、2017年には新作を準備中との報道もあった。現在、メンバーは50歳代といったところだろうが、もう一花咲かせたりという展開がひょっとしてあったりするのだろうか。[収録曲]1. Will I Ever Understand You2. You Don't Know3. Like Flames4. Heartstrings5. Take My Breath Away6. Trash7. When Love Goes to War8. Hideaway9. Sex Me, Talk Me10. Pink and Velvet1986年リリース。↓いちばん上はアナログEP(中古)です↓ 【中古レコード】ベルリン/トップガン・ラヴ・テーマ〜愛は吐息のように[EPレコード 7inch] 【中古】愛は吐息のように/ベルリン 【中古】 Berlin / Count Three & Prat 【CD】 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、“ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年04月18日
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時代背景に翻弄された問題作 キャプテン・ビーフハート(Captain Beefheart, 本名ドン・ヴァン・ヴリートDon Van Vliet)と彼が率いるマジック・バンドは、1967年にファースト作の『セイフ・アズ・ミルク』を発表した。アルバムは売れたわけではなかったが、引き続き2作目の録音を始める。ところが、バンドがヨーロッパをツアー中にプロデューサーのボブ・クラスノウは、ミックスやエフェクト処理を施して、アルバムとして発表してしまう。そうして出来上がってしまったのが、本盤『ストリクトリー・パーソナル(Strictly Personal)』であった。 ファースト作でわかるように、キャプテン・ビーフハートは、ブルースに根差し、ポップスの要素も取り込んで、独特のダミ声を生かして他にない世界を表現していた。ところが、本作の方は、クラスノウの手を経ることで、よりによってサイケな仕上がりになってしまった(この辺は言い分がそれぞれに異なり、アーティスト側は勝手にされたと言い、プロデューサー側は承諾済みだったと主張している)。確かに、前年の1967年は、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』やローリング・ストーンズの『サタニック・マジェスティーズ』を始めとして、サイケデリック音楽が一世を風靡していたので、サウンド的にこうやって聴衆の受けを狙ったのも理解できなくはない(おまけに、ビーフハートが歌う詞の中には“ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー”なんて一節があったりもする)。ともあれ、アーティスト側が納得できない盤になってしまったことは事実で、表題の“ストリクトリー・パーソナル”をもじって“ストリクトリー・コントリヴァーシャル”(実に論争を呼ぶ)とすら言われるほどだ。 でもって、個人的にはどう受け止めているのかと言うと、今のところの暫定的な結論は、“余興である”ということだったりする。真面目にキャプテン・ビーフハートを聴いてみようという向きには勧めようとは思わない。『セイフ・アズ・ミルク』を聴き、『トラウト・マスク・レプリカ』を聴き、その間の余興でたまに引っ張り出してくる。時代の雰囲気(サイケっぽさ)も感じられるし、ビーフハートらしさもあちらこちらで感じられる。だからこそ、アルバムの制作・発売のややこしいことは半ば脇に置いて、気軽に聴いたほうがいいのかな、と思ったりする。 ちなみに、ビーフハートとそのバンドはこの一件により、レーベルを移り、翌年に名作として知られる『トラウト・マスク・レプリカ』を発表することになる。余談ながら、上記の経緯からジャケットの仕様などに本人たちは関わっていないのだろうと想像するが、“写真在中、折り曲げ厳禁”と書かれ、切手部分にはメンバーの顔という封筒を模したジャケット・イメージは個人的にはなかなかセンスがいいと感じている。[収録曲]1. Ah Feel Like Ahcid2. Safe As Milk3. Trust Us4. Son of Mirror Man - Mere Man5. On Tomorrow6. Beatle Bones 'n' Smokin' Stones7. Gimme Dat Harp Boy8. Kandy Korn1968年リリース。↓本盤が見つからないので、いずれ取り上げるつもりの別盤へのリンクです。↓ 【メール便送料無料】Captain Beefheart / Safe As Milk (輸入盤CD)(キャプテン・ビーフハート) 【中古】輸入洋楽CD CAPTAIN BEEFHEART&HIS MUSIC BAND / TROUT MASK REPLICA[輸入盤] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年04月16日
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バンド最盛期を締めくくる盤 ハート(Heart)は1975年にデビューし、1970年代後半に着実に人気を固めていった。1980年代初頭にメンバー交代と音楽の方向性の変化があって停滞したが、1985年のセルフタイトル盤、1987年の『バッド・アニマルズ』とヒットを連発する。この黄金期の最後を締めくくる盤となったのが、1990年発表の本作『ブリゲイド(Brigade)』だった。 前2作の人気を引き継ぎ、本盤も大きなヒット作となった。全米・全英ともにチャート3位を記録し、特にイギリスでの3位というのは、このバンドのアルバムのうち最高位である。4曲がシングルカットされた。顕著なヒットとなったのは先行発売のシングルとなった2.「愛していたい(オール・アイ・ウォナ・ドゥ・イズ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー)」だけだった(米と英の双方で2位、カナダやオーストラリアでは1位)。とはいえ、他のシングルも、またシングル以外にも優れたナンバーが多く、この絶頂期の3作の中ではアルバムとしての出来は最も良いと評されることも多い。 その理由は、やはり前作・前々作の商業的成功にあったのだろう。前作(『バッド・アニマルズ』)を取り上げた時、“売れ筋路線に自信が加わった”というようなことを述べたのだが、本作はその自信がもう一段階高いレベルへと上がっている。結果として、“売れ筋”優先で遠慮してきた部分も巧みに織り込まれているように思う。前2作よりもハードな曲や演奏が随所に見られるのはそのためだろう。 冒頭の1.「ワイルド・チャイルド」のシンプルかつカッコいいギター演奏と円熟味が加わってきたアンの歌唱から幕を開ける。2.はミディアム・テンポのバラード調で、上述の通りヒットした。3.「シークレット」はシングルとしては売れなかったが、アンのヴォーカルが素晴らしく、ファンの中には「ディーズ・ドリームス」や「アローン」と並ぶハートのベスト・バラード曲という意見もあるようだ。筆者が本盤中で最も気に入っているのは、4.「いつわりのストレンジャー(トール・ダーク・ハンサム・ストレンジャー)」。ホーンセクションを入れたハードな1曲に仕上がっている。 6.「ナイト」は、ヒット路線転換以前からのハートのファンにも好まれそうなナンバー。7.「おもかげせつなく(フォールン・フロム・グレイス)」は上記4.に次いで筆者のお気に入り曲。いきなりコーラスから始まりポップかと思いきや、案外普通にハードロック調のナンバーで、サミー・ヘイガーがライターと言われるとなるほど納得といったところ。10.「ストランデッド」は本盤中では2.と並んでポピュラーなナンバーで、シングルとして13位まで上昇した。アルバムを締めくくる13.「アイ・ラヴ・ユー」はシンプルで素朴なバラード。ハートのアルバムにはひょっこりこういった曲が光っているというケースがあり、この曲もウィルソン姉妹のソングライティングにアンの秀逸なヴォーカルが光る。 少々長くなってしまったけれど、『ハート』や『バッド・アニマルズ』しか聴いていないというのは実にもったいない。未聴という向きは、ぜひこの盤にも耳を傾けてほしいと思ったりする。[収録曲]1. Wild Child2. All I Wanna Do Is Make Love to You3. Secret4. Tall, Dark Handsome Stranger5. I Didn't Want to Need You6. The Night7. Fallen from Grace8. Under the Sky9. Cruel Nights10. Stranded11. Call of the Wild12. I Want Your World to Turn13. I Love You1990年リリース。 【メール便送料無料】Heart / Brigade (輸入盤CD)(ハート) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年04月10日
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過渡期の1枚 1970~74年に当たる時期は、フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)にとって危機と変化の時代だった。1968~69年にかけて、ピーター・グリーン時代を擁するブルース・ロックど真ん中とも言えるバンドが、1975年以降のポップ・ロック的なバンドへと変容する過程での模索を代表する1枚が本盤『神秘の扉(Mystery to Me)』だと言える。 メンバーの変化を少し整理しておこう。ピーター・グリーン離脱後、音楽面をリードしたジェレミー・スペンサーも間もなくバンドを離脱。ボブ・ウェルチらが加入し、ダニー・カーワンが音楽面で引っ張っていく時期を経た。しかし、カーワンもまた『枯れ木』を最後にバンドを去ることになった。そのカーワンの代わりに加入したのがボブ・ウェストンだった。他方、ボブ・ウェルチは1974年にバンドを脱退することになる。簡単にまとめると、本盤『神秘の扉』は、カーワン脱退・ウェストン加入後で、ウェルチも在籍中の時期の作品ということになる。 上で述べたように、フリートウッド・マックはブルース・ロックから次第にポップな方向に進んだと言われ、総論的にはそうなのだけれど、その過渡期にはジャズ・ロック的でポップというよりはややシリアスで職人的な方向性も見せた。この『神秘の扉』はそうした方向性が含まれた1枚である。 そのようなわけで、クリスティン・マクヴィーの2.「ビリーヴ・ミー」や3.「ジャスト・クレイジー・ラヴ」、あるいは10.「感じるままに」のように近未来のポップな方向性を予感させるナンバーもあれば、それとはまったく異なる雰囲気を醸し出すいくつかの曲の演奏も見られる。個人的に注目と思う曲をいくつか挙げてみたい。ラジオでよくオンエアされたという4.「ヒプナタイズド」のまったり感は捨てがたく、これが本盤の色と言えるわけではないのだけれど、筆者の中では『神秘の扉』といえばこの曲という方程式のようなものが出来あがってしまっている。同じくまったりした雰囲気なのが、クリスティン・マクヴィーの12.「ホワイ」。これもまた中毒性のあるナンバーだと思う。他方、ロック・バンドとしての面目躍如は7.「ザ・シティ」が抜きんでている。他のウェルチの曲(例えば9.「サムバディ」)も捨てがたい。あと、注目したいのは、11.「フォー・ユア・ラヴ」。ヤードバーズで知られるかの有名なナンバーをカバーしている。 余談ながら、本作発表後のツアー中、ボブ・ウェストンにはミック・フリートウッドの妻との不倫騒動が発覚した。ウェストンはバンドをクビになり、残るツアーはキャンセルしたが、次は“偽フリートウッド・マック騒動”(ツアー中止を恐れて偽のバンドをフリートウッド・マックとしてステージに出させた)が勃発する。作品の内容がよかっただけに、何とも後味の悪い展開となった。[収録アルバム]1. Emerald Eyes2. Believe Me3. Just Crazy Love4. Hypnotized5. Forever6. Keep On Going7. The City8. Miles Away9. Somebody10. The Way I Feel11. For Your Love12. Why1973年リリース。 【輸入盤】FLEETWOOD MAC フリートウッド・マック/MYSTERY TO ME(CD) 以下のブログランキングに参加しています。お時間の許す方は、 “ぽち”応援よろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年03月24日
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時代のアイコン、エアプレインの旅立ち 1966年にリリースされたジェファーソン・エアプレイン(Jefferson Airplane)のデビュー盤が、この『テイクス・オフ(Takes Off)』という作品である。“対抗文化(カウンター・カルチャー)”や“サイケデリック”などの動きの核となっていったバンドの最初の第一歩で、“エアプレイン(飛行機)”のバンド名に相応しく、“テイク・オフ(離陸する)”という表現がアルバム名になっている。 本盤リリースの翌年に当たる1967年の『シュールリアリスティック・ピロー』がバンドの代名詞となる一方、本盤はまったくと言っていいほど注目されない。何よりも全盛期のメンバーと顔ぶれが少し違っており、バンドの看板となるグレース・スリックはこの時点ではまだメンバーではなく、ドラムスのスペンサー・ドライデンも未加入である。よって、バンドの全盛期から遡って聴こうという向きには、そもそも期待される盤ではないかもしれない。 とはいえ、『シュールリアリスティック~』で発揮されることになる音楽的素地を存分に見られる作品という点ではなかなか興味深い。以前、筆者は同盤を取り上げた際に、フォーク・ロックの流れもうまく取り込んでいて、“軽薄なポップでもなければ、コアなロックでもなく、ありがちなフォーク・ロックでもない”という風に書いた。この『テイクス・オフ』を聴けば、そうした彼らの音楽的素地と言えるものが、その前の段階で既にかなりの部分出来上がっていたということがよくわかる。わかりやすいよう、例として人名・バンド名を挙げるならば、ボブ・ディランがいたがゆえに、ザ・バーズがいて、だからこそジェファーソン・エアプレインが存在しえたと言えそうな気がする。 あと、サウンド面では、この時点で厚い音になっている点も注目に値する。特にステレオミックスとモノミックスを両方収めたもので本盤を聴くとそのことが一層よくわかるように思う。詞の面では、いろいろと問題含みの盤であった。6.「ラニン・ラウンド・ザ・ワールド」については、当時のレコード会社(RCA)側が歌詞が不適切と見なし未収録になってしまった。他にも性的な内容やLSDに関わると解されるという理由で、2.「レット・ミー・イン」や8.「ラン・アラウンド」のように、リリース当時にはバンド側が詞の変更を余儀なくされた箇所があったという。 最後に、個人的にお気に入りのナンバーをいくつかだけでも挙げておきたい。1「エアプレインのブルース」や5.「タバコ・ロード」は、決して派手さはないものの、この辺りが本盤をよく表している曲であるようにも思う。2.「レット・ミー・イン」は外せない好演奏。あと、9.「ゲット・トゥゲザー(レッツ・ゲット・トゥゲザー)」もさらりとした感じだが何気に気に入っている。[収録曲]1. Blues from an Airplane2. Let Me In 3. Bringing Me Down4. It's No Secret5. Tobacco Road6. Runnin’‘Round This World7. Come Up the Years8. Run Around 9. Let's Get Together 10. Don't Slip Away11. Chauffeur Blues 12. And I Like It1966年リリース。 【メール便送料無料】Jefferson Airplane / Jefferson Airplane Takes Off (輸入盤CD)(ジェファーソン・エアプレイン) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年03月14日
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兄弟弟子による白熱したギターの競演 カルロス・サンタナ(Carlos Santana)は、メキシコ出身だけれどもサンフランシスコへ移り住み、アメリカの音楽シーンで活躍をしてきた。他方、マハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン(Mahavishnu John McLaughlin)は、イギリス出身で、アメリカへわたって活躍するとともにインド音楽やヒンドゥー教に傾倒していった人物である。これら2人のギタリストはともに卓越した技術と感性で名声を博していたわけだが、アメリカ在住のシュリ・チンモイ師の兄弟弟子となった2人は、1973年(録音は1972~73年)に『魂の兄弟たち(Love Devotion Surrender)』というコラボレーション盤を発表する。 この1972~73年というタイミングは、両者の全盛期と言ってもよいだろう。サンタナの方はというと、1969年のバンドとしてのデビュー盤の後、1970~71年にかけて、『天の守護神』と『サンタナIII』をヒットさせた直後であった。マクラフリンの方は、マイルス・デイヴィスにも関わった後、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成してのりにのっている時期だった。 基本的に、本盤は、インストルメンタルのギタープレイが激しく繰り広げられるというもの。1960年代の音楽体験が1970年代にそれぞれの活躍を進めていく両者の中に共通項としてあったこと(後述のコルトレーンの『至上の愛』は1965年の作品)、さらにはシュリ・チンモイ師への傾倒(アルバム表題にあるように2人はこの人物の弟子として兄弟関係にあった)から、このような演奏が生まれたのだろう。今となって思えば、きっと2人の間には、音楽家としての各自の成長過程に大きく影響を与えた諸要素が頭の中に浮かんでは消えを繰り返していたのではないかと想像する。 いちばんの聴きどころは、ジョン・コルトレーンの1.「至上の愛」だろう。コルトレーンの『至上の愛』は四部構成になっているが、そのパート1の「承認(Acknowledgement)」に基づき、主に左チャンネルがサンタナ、右チャンネルがマクラフリンになっている。アコギで演奏される2.「ネイマ」もコルトレーンの曲で、こちらは1960年発表の『ジャイアント・ステップス』に収録されていたもの。そして、再び『至上の愛』のテーマに戻って3.「神聖なる生命」では、2人熱いプレイに加えてラリー・ヤングのオルガンが存在感を発揮している。4.「神の園へ」は伝統的なゴスペル曲だが、15分越えの長編で、2人のギターバトルの激しさはとどまるところを知らない。 サンタナから入るかコルトレーンから入るか、ギターバトル盤としてみるかトータルな作品としてみるか、など観点によってこれほどいかようにも評価されてきたアルバムはないと言ってもいいかもしれない。たぶんこの問いに答えはないのだろう。体のいいまとめ方と言われてしまうかもしれないけれど、そういう風にいろいろと違った角度から聴けるというのは、本盤のいいところでもあるのかもしれない。実際、筆者が聴くときも、ある時はコルトレーンを思い浮かべ、またある時はそんなの関係なしに2人のギターにのみ集中してみたりする。また、別の気分だとギターと全体、さらにはギタリストのいずれか一方、などと多様な聴き方で楽しめばいいのだろう。[収録曲]1. A Love Supreme2. Naima3. The Life Divine4. Let us Go Into the House of the Lord5. Meditation1973年リリース。 魂の兄弟たち [ ジョン・マクラフリン&カルロス・サンタナ ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年02月26日
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ドンピシャな組み合わせではないのに、なぜかクセになる共演盤 エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)は70年代後半にデビュー(参考過去記事)した英国のミュージシャン。2003年にロックの殿堂入りを果たした一方で、ここ10数年はロックの括りに限定されない幅広い音楽活動を展開している。 他方、アラン・トゥーサン(Alllen Toussaint)は、米国ルイジアナ出身で、1950年代からセッション・ピアニストとして活躍。60~70年代には様々なアーティストのプロデュースなどにも関わった。 本盤が生まれたきっかけは2005年のハリケーン“カトリーナ”によるニューオーリンズの被害。アラン・トゥーサン自身の自宅・スタジオも全壊してしまった。そんな中、ベネフィット・コンサートで出会った両者が意気投合し、同年中に録音されて翌06年に発表された。コンセプトとしては、“古い曲ヒット曲の再演と新曲も入り混ぜた、昔ならよくあったようなレコードの形で‘アラン・トゥーサン・ソングブック’みたいなものを”という発想で始まったとのこと。 そのようなわけで、収録曲の大半はアラン・トゥーサンのナンバーの再演である。その中に新曲として、コステロ作の表題曲(6.)、コステロとトゥーサンの共作曲(4.,8.,9.,13.)が配されている。よくよく聴きながら考えてみると、アラン・トゥーサンの楽曲とエルヴィス・コステロは本来的にはあまり合わないのだろうと思う。にもかかわらず、作品としてのまとまりが見られるのは、これらの楽曲がうまく配されているせいもあるのだろう。コステロのヴォーカルは完成度が高い。トゥーサンは控えめに演奏するところは巧く控えめに、自らが主役の部分では堂々と主役になっている。このトゥーサンの巧さが2人を組み合わせている要めになっていると言えるのかもしれない。そして、何よりも繰り返し聴いていると、不思議なことにこれがフツーであるような気がしてくるという、言ってみれば、ある種の“中毒性”があると言うことなのだろう。 そんなトゥーサンは2015年にスペインで急死した。コンサート後に倒れ、77歳であった。ニューオーリンズの音楽シーンを下支えしてきたアラン・トゥーサンと、パンク寄りのロックからスタートして音楽の幅を広げていったエルヴィス・コステロの共演は、今となっては貴重な邂逅の記録でもあったと言えるのかもしれない。[収録曲]1. On Your Way Down2. Nearer to You3. Tears, Tears and More Tears4. The Sharpest Thorn5. Who's Gonna Help Brother Get Further?6. The River in Reverse7. Freedom for the Stallion8. Broken Promise Land9. Ascension Day10. International Echo11. All These Things12. Wonder Woman13. Six-Fingered Man14. The Greatest Love *日本盤のみ収録 ボーナス・トラック2006年リリース。 【メール便送料無料】Elvis Costello & Allen Toussaint / River in Reverse (輸入盤CD)(エルヴィス・コステロ) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年02月19日
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ひっそりと消えた“ジャズ・フォーク・シンガー”の実力 ティム・ハーディン(Tim Hardin)は、1941年生まれの米国のフォーク・シンガー。1966年のファースト作に含まれた「リーズン・トゥ・ビリーヴ」がロッド・スチュワートによって取り上げられたり、様々なカバーを生んだ「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」の作者であることなどで知られるが、それ以前からフォークをベースにしつつエレキギターを取り入れるなどしていたという。言い換えれば、“ボブ・ディランの先を行っていた男”でもあった。 そんな彼は麻薬に侵されて、家族からも見放され、おそらくは自暴自棄になって1980年の末に39歳の生涯を閉じている。ジョン・レノン殺害のニュースが世間を賑わす中、さほどニュースになることもなくひっそりと消えてしまったミュージシャンとなった。 そんな彼の作品のうち、歌い手(=解釈者)としての実力のほどがわかると思うのが、1971年の『電線の鳥(Bird on a Wire)』というアルバムである。さしてヒットはしなかったものの、チャート・アクションをおこしたアルバムとしては、彼の最後の作品になった。デビュー以来のヴァーヴからコロンビアに移籍しての2作目だったが、妻と子供に捨てられ、イギリスへ逃れる直前のタイミングでの作品だった。 本盤では、ジャズ系ミュージシャンの参加が目立つ。マイク・マイニエリ(ビブラフォン)やウォーレン・バーンハート(キーボード)のほか、ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル(キーボード)、ミロスラフ・ヴィトゥス(ベース)、アルフォンス・ムーゾン(ドラム、パーカッション)など多くのジャズ畑のアーティストの顔ぶれが並ぶ。フォークがエレクトリック化し、フォーク・ロックなどというジャンルに発展していく中、ハーディンはジャズへの志向が強いフォークを試みた。本盤はその方向性が結実した1枚といえるように思う。 1.「電線の鳥(バード・オン・ザ・ワイヤー)」は本盤の数年前にレナード・コーエンのアルバムに収められていたナンバーで、彼のヴォーカルのよさが存分に発揮されている。また、本ハーディン盤の表題もこれをもじって『電線の鳥(バード・オン・ア・ワイヤー)』となっている。有名曲の7.「わが心のジョージア」はジャズ的アプローチという観点で、本作のハイライトの一つと言えるだろう。他に注目曲としては、3.「サザン・バタフライ」、6.「放浪(ホーボーイン)」、10.「ラヴ・ヒム」なんかを挙げておきたい。全体に暗い雰囲気で、彼が置かれていた個人的環境も影響しているのだろうが、この切なさと渋みが同居するヴォーカルは彼の本領発揮で、随所で耳にとまるジャズ的アプローチの演奏との組み合わせが妙にマッチしていると思う。[収録曲]1. Bird on the Wire2. Moonshiner3. Southern Butterfly4. A Satisfied Mind5. Soft Summer Breeze6. Hoboin‘7. Georgia on My Mind8. Andre Johray9. If I Knew10. Love Hymn1971年リリース。 バード・オン・ア・ワイヤー/ティム・ハーディン[CD]【返品種別A】 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年02月13日
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日本語に定着していなかった頃の“リヴェンジ” “リヴェンジ(リベンジ)”(本来は“復讐・報復する”だけれど、日本ではもっぱらスポーツなどの“雪辱する”に使われる)という語を日本語で使い始めたのは、どこかの総合格闘技だったような気がするが、一般に広くというと松坂大輔だろう。1999年の流行語になったが、それをさかのぼること10数年の“リヴェンジ”が今回のテーマである。 さて、ユーリズミックス(Eurythmics)は、主に1980年代に大きな人気を獲得したイギリスの2人組。バンド名の由来はシュタイナー教育で提唱されたパフォーミング・アーツ(総合芸術)のオイリュトミー(英語読みではユーリズミー)だとのこと。アニー・レノックス(Annie Lennox)とデイヴ・スチュワート(Dave Stewart)からなるデュオで、いわゆる“第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン”の波に乗って全米に進出した。彼らの6枚目(サントラ盤を4枚目に含む)となり、彼らにとって世界で最も売れたとされる作品が、1986年リリースの『リヴェンジ(Revenge)』という盤である。 さて、何に対する“リヴェンジ”なのか、結論から言うとはっきりしない。確かに、本盤の直前にアニーが離婚した。しかもその相手は“宣教師”で、ヒット曲となった1.「ミッショナリー・マン」が宣教師を歌ってはいるものの、別れた夫へのリヴェンジみたいな単純な話ではないようだ。他の曲の詞の中にも“悲しみ”や“痛み”といった表現が見られるものの、一方で、アルバム表題の『リヴェンジ』はファースト作(1981年)に収録されていた曲の表題で、しかもその曲の詞の一部が本盤の曲(8.「リトル・オブ・ユー」)にも出てくるというから、もっと複雑な理由があるのだと思われる。 音楽面では、ユーリズミックスの作品のうち、とりわけ“生の音”を重視していて、曲調もロック寄りのナンバーが耳につく。そのため、これを代表的な作品と呼んでいいかどうか、賛否両論がある。ただし、個人的にはこちらに寄った方が好みであるのは事実だったりする。そんな私的観点も含め、お薦めを何曲か挙げると、1.「ミッショナリー・マン」、3.「ホエン・トゥモロー・カムズ」、5.「ミラクル・オブ・ラヴ」、8.「ア・リトル・オブ・ユー」といったところ。これらのうち、最初の3曲(さらには収録曲2.も)はシングルカットされた。余談ながら、時代背景もあるが、ユーリズミックスのシングルのビデオはインパクトの強いものが多いので、機会があればそれらもお試しあれ。[収録曲]1. Missionary Man2. Thorn in My Side3. When Tomorrow Comes4. The Last Time5. The Miracle of Love6. Let's Go!7. Take Your Pain Away8. A Little of You9. In This Town10. I Remember You*2000年のスペシャル・エディションでは6曲追加収録(筆者は未聴)。1986年リリース。 【中古】ユーリズミックス/リヴェンジ Eurythmics ユーリズミックス / Revenge 【LP】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2018年02月10日
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ピーター・ガブリエルの変人・変態的才能(その2) ジェネシス時代の『眩惑のブロードウェイ』に引き続き、今回はソロ時代のピーター・ガブリエルの代表的作品からその変人ぶり、もしくは変態度を考えてみたいと思う。既に前項で述べたように、ここで言う“変態”や“変人”というのに攻撃的な意味や軽蔑的なニュアンスは全くなく、抜きん出たアーティスト性に敬意を示しての表現であるので、誤解されないでいただきたい。 さて、ピーター・ガブリエルのソロ作に優れた作品は何枚もあるが、おそらく世間で高い評価がある程度定着し、とくに名盤と言われることが多いのは、この『ピーター・ガブリエルIII(Peter Gabriel III)』という盤であろう。ちなみに、彼のアルバム名は大概ややこしい。実はソロ第1弾から4枚続けて『ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel)』という異なる4枚の作品を発表している。あまりにややこしいので、世間では、1・2・3・4(I・II・III・IVと表記している模様)という“便宜上の名前”で呼んでいる。その後も、『So』、『Us』、『Up』といった、これまた紛らわしい“二文字シリーズ”のアルバムをリリースしている。ともあれ、今回は上記のソロ第三作目における、ピーター・ガブリエルの変態度について少々考えてみたい。 さて、その『ピーター・ガブリエルIII』であるが、これまたジャケットからして風変わりだったりする。ガブリエル自身の上半身写真が載せられた、一見すると特に変哲のないものなのだが、よく見れば顔が半分ない。一つの世界ともう一つ別の世界という、前項で触れたモチーフのようなものがここにも顔を覗かせているというわけである。 曲の内容もそうで、1.はストーカーのごとき変質者が登場し、他にも精神的に大丈夫なのかと思う内容の曲がある。ピーター・ガブリエルその人は、ジェネシス脱退以前も、ステージで仮装をしたり“自分でない自分”への志向が強かったが、少なくとも歌詞の面ではこの傾向がソロ転向後も強まっているように思える。 では、ピーター・ガブリエルという人は現実逃避をしているのかというと、全然そうではないところが興味深い。本盤のラストに収録された10.「ビコ」というのは、実在の人物を歌ったものである。アフリカのリズムをいち早く取り入れ、スティーヴ・ビコというアパルトヘイト反対を早い段階で訴えた“黒人意識の父”と形容される人物を取り上げている。 本盤の制作が1980年ということを考えると、こうしたテーマ選択すら革新的だった。ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンらが集結して「ウィー・アー・ザ・ワールド」(USA・フォー・アフリカ)をやるのが1985年。このお祭り的チャリティーの逆を突くかのように、リトル・スティーヴンらが「サン・シティ」(アーティスツ・ユナイテッド・アゲンスト・アパルトヘイト=アパルトヘイトに反対するアーティストたち)を企画するのも同年。さらに同「サン・シティ」で非難の的となった南アフリカで行ったグラミー諸受賞アルバム(『グレイスランド』)の制作について、ポール・サイモンが非難されるのは1986年のことだ。ネルソン・マンデラ(今や世界史の教科書で教えられるようにすらなっているようだ)が脚光を浴びる以前の、少し大げさに言えば、南アフリカ史的には“現代以前”の1980年の段階で既に、ピーター・ガブリエルのように才覚ある“変人”は、物事の問題点や核心を早々と見つめ、見抜いていたということだったのだろう。[収録曲]1. Intruder2. No Self Control3. Start4. I Don't Remember5. Family Snapshot6. And Through the Wire7. Games Without Frontiers8. Not One of Us9. Lead a Normal Life10. Biko1980年リリース。 【メール便送料無料】Peter Gabriel / Peter Gabriel 3: Melt (輸入盤CD) (ピーター・ガブリエル) 下記ランキングに参加しています。お時間のある方、応援くださる方は、バナーを“ぽちっと”クリックのほどよろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年01月29日
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ピーター・ガブリエルの変人・変態的才能(その1) ピーター・ガブリエル(Peter Gabriel、原音にあわせてピーター・ゲイブリエルとも表記される)は、1950年生まれのイギリス出身のシンガー。同じ私立学校に通っていたマイク・ラザフォード、トニー・バンクスとともにバンドを作り、67年にジェネシス(Genesis)を結成。69年にはデビュー・アルバム『創世記』をリリース。やがてスティーヴ・ハケットやフィル・コリンズも加入し、1970年代、ジェネシスはプログレッシヴ・ロック・バンドとしての名声を確立することになる。そのキャリアの中でも特に難解な力作として知られるのが本2枚組の大作『眩惑のブロードウェイ(The Lamb Lies on Broadway)』(1974年リリース)である。 上で書いたとおり、難解なので筆者自身、きっと本盤のことをよく理解できていないに違いない。かつ少年の精神的な旅をテーマにしたコンセプト・アルバムということで、全体を聴くのが本来ではあるが、これらを承知の上で、お気に入り曲を少し挙げてみよう。表題曲のI-1.「ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ」や、I-4.「イン・ザ・ケージ」、I-7.「バック・イン・NYC」などのナンバーは、演奏面でただただかっこいいのに加え、バンドの演奏の成熟度を如実に示している。あと、ピーター・ガブリエルの声に魅了されているリスナーなら聴き逃せないのが、I-10.「カーペット・クローラーズ」やII-5.「ザ・ラミア」、II-11.「イン・ザ・ラピッズ」といったナンバーかと思う。 ところで、それまでの他のアルバムと異なる目立った特徴として、本盤はジャケットが一目見て飛び込んでくる。このジャケットからして不可解というか、難解な雰囲気を漂わせている。3枚の写真があって、その外側には一人の人物像。左端の写真からは手を伸ばしている人物がいて、中央の写真に手を伸ばしている。それを外側で見つめている人物は、両手を腰に当てているが、実は右端の写真からは同じ形の人物像が切り取られている、といった具合だ。 実際のデザイナーはともかく、この発想の張本人は、ピーター・ガブリエルその人であろうと想像する。要するに、この人は、変人であり、変態なのだろう。“変態”とか言っても、そこに悪い意味はまったくないのであしからず。音楽(あるいは芸術全般)というものを創作し、演じる上で、そうした“変態度”はしばしば独自性や革新を生み出す重要な核になっている。逆に言えば、“変人”が存在しないロック界やジャズ界など想像もつかないし、面白くもない。もしこの世のアーティストたちがみんな“ノーマル”であったりした日には、音楽というものはまったく面白くなくなってしまう(というか、音楽という芸術表現は存在しなくなる)だろう。 ともあれ、ピーター・ガブリエルの変態度はことのほか高かったのだろう。次第に彼の存在はジェネシスの中で浮き上がっていき、結局、本盤リリースの翌1975年に脱退することになる。残された3人はジェネシスを継続し、80年代に入るとポップ色を強めながら、ついには『インヴィジブル・タッチ』(1986年)で人気バンドの座を手にすることになる。その一方で、ピーター・ガブリエルもヒットを飛ばしたりはするものの、基本的には個人としてやりたかったことをソロ・アーティストという型で昇華させていく。ソロとして優れたアルバムを何枚も残しており、そうした結晶の目立った一つがソロ三作目の『ピーター・ガブリエルIII』だというのが筆者の見立てである。そんなわけで、項を改めて同作について後編で見ていくことにしたい。 ~その2~(『ピーター・ガブリエルIII』) へ続く[収録曲](Disc 1)1. The Lamb Lies Down on Broadway2. Fly on a Windshield3. Broadway Melody of 19744. Cuckoo Cocoon 5. In the Cage6. The Grand Parade of Lifeless Packaging7. Back in N.Y.C.8. Hairless Heart9. Counting Out Time10. The Carpet Crawlers11. The Chamber of 32 Doors(Disc 2)1. Lilywhite Lilith2. The Waiting Room3. Anyway4. Here Comes the Supernatural Anaesthetist5. The Lamia6. Silent Sorrow in Empty Boats7. The Colony of Slippermen: a) The Arrival, b) A Visit to the Doktor, c) Raven8. Ravine9. The Light Dies Down on Broadway10. Riding the Scree11. In the Rapids12. It1974年リリース。 ザ・ラム・ライズ・ダウン・オン・ブロードウェイ [ ジェネシス ] 下記ランキングに参加しています。お時間のある方、応援くださる方は、 バナーを“ぽちっと”クリックのほどよろしくお願いいたします! ↓ ↓
2018年01月28日
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1番ではなくとも聴き逃せない好盤 ボストン(Boston)は、バンドというより実質的にはトム・ショルツ(Tom Scholz)のプロジェクトといってもよい。1976年のデビュー作、1978年のセカンド作を発表した後は、マニアックで完璧主義な制作作業のため、永らく作品を発表出来ず、レコード会社から契約不履行で訴えられるなどした。そんな経緯の末、8年ぶりに出たサード作が1986年の『サード・ステージ』だった。 これでボストン復活かと思いきや、次の第4作となる本盤『ウォーク・オン(Walk On)』まで、さらに8年を要した。途中、ベスト盤のリリースを挟んだものの、さらにその次の『コーポレイト・アメリカ』までもさらに8年かかることになる。つまり、80年代、90年代、00年代と結果的にオリジナル策は1枚ずつしかリリースせず、第3作から第5作まで8年おきという、リスナーの年齢層や音楽業界の動向が入れ替わってしまうほどの間隔を空けながらのスローペースで作品を発表した。 さて、あるアーティストやバンドの作品には“1番ではないが外しがたい好盤”というのがしばしばある。ボストンの場合も、ベストの作品はというと、ファンの間でいろんな声があるにせよ、ほぼ最初の3枚のいずれかの議論になるだろう。でも、だからといってこの第4作は等閑視できず、個人的には当時繰り返し聴いたし、今でも時折聴きたくなって取り出してくる作品だったりする。 本盤の特徴はいくつかあるが、最も大きいのは、ヴォーカルが交代していること。ブラッド・デルプはソロ活動に専念しており、フラン・コスモがヴォーカルを務めた。往年のファンはデルプじゃないと、と思うかもしれないが、この人のヴォーカルがまた秀逸で、高音にも滅法強い。次に第3作までクレジットされていた“シンセ不使用”の表示が消えている。これは、初めてストリングスのアンサンブルが3.「リヴィン・フォー・ユー」で使用されていることによる。 アルバムはボストンらしさ全開の1.「アイ・ニード・ユア・ラヴ」で幕を開ける。ハードな音を期待する向きには受けのよさそうな2.「サレンダー・トゥ・ミー」が続くものの、全体としてはややポップな方向性の音作りとも言えそう。何と言っても聴きどころなのは、「ウォーク・オン・メドレー」と題された4.~7.である。表題曲の5.「ウォーク・オン」を軸とし、インスト曲の4.と6.を含むメドレーは、聴きごたえ十分な内容だと思う。ちなみに、トム・ショルツ自身の言葉(ライナーの解説)によると、5.は“世界中が座ったままでいる時、正しいものに立ち上がる人たちに捧ぐ”曲なのだとか。 結局、ボストンはこの後も次作の発表までまた8年間かかることになる。そうして8年後にリリースされた第5作(2002年)、さらにはデルプの死(2007年)を経て、今度は11年の間隔を空けて出た第6作(2013年)へと続く経緯もいずれ取り上げたいと思う。[収録曲]1. I Need Your Love2. Surrender to Me3. Livin' for YouWalk On Medley:4. Walkin' at Night5. Walk On6. Get Organ-ized7. Walk On (Some More)8. What's Your Name9. Magdalene10. We Can Make It"1994年リリース ウォーク・オン [ ボストン ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年01月25日
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再評価を切に望む1枚 ザ・フライング・ブリトー・ブラザーズ(もう少し正確に表記すると、ザ・フライング・ブリート・ブラザーズ、The Flying Burrito Brothers)は、ザ・バーズを抜けたグラム・パーソンズとクリス・ヒルマンを中心に結成された(同じくザ・バーズにかつて在籍したドラムスのマイケル・クラークもセカンド作で合流)。1969年、1970年にそれぞれアルバムを発表し、第三作となったのが、セルフタイトル盤の『フライング・ブリトー・ブラザーズ(The Flying Burrito Brothers)』だった。 前作(過去記事)を最後にグラム・パーソンズが脱退し、メンバーを入れ替えての第三作となった。新たに参加したのは、リック・ロバーツで、ザ・バーズの『名前がないアルバム』のセッションにも参加経験のある実力派だった。あと、前作から参加していたバーニー・レドン(この後、イーグルス結成に参加)も存在感を発揮している。 全体を通して完成度が高く、『ロデオの恋人』(1968年)以降にザ・バーズが辿ったかもしれない道程を聴くことができる。これはこの点で興味深い。けれども、“カントリーとロックの融合の試み”だけで片付けてしまうのはどうも気が引ける。彼ら以降、1970年代を通して展開していった西海岸サウンドへ与えた影響はもっと評価されていいんじゃないかという気がする。つまりるところ、過去を振り返ってザ・バーズとの関連を郷愁の念で思い浮かべて聴くのもよいが、その後に視点を置いてイーグルス(バーニー・レドンは実際、その後でこのバンドに参加している)なんかとの絡みで未来への影響を念頭において聴くこともできるというわけである。 とまあ、もっと再評価をすべきとは言いつつも、結局のところ商業的に成功しなかったのがこのバンドの難点だった。結局は、クリス・ヒルマンもこの作品をもってバンドを去り、スティヴン・スティルスのマナサスに参加することとなる。こうして、本来のフライング・ブリトー・ブラザーズは消滅へと向かう。 本盤のおすすめ曲や聴きどころはと言われると、個人的には気に入った曲はあるものの、広く受けそうな看板曲が簡単に決められない。その辺がバンドの寿命を短くした理由なのだろう。ちなみに、筆者の私的お気に入りを上述した後世との関連という観点で少し挙げると、2.「コロラド」、3.「ハンド・トゥ・マウス」、9.「ひとり淋しく(オール・アローン)」なんかが、すっかり1970年代の次世代につながる音楽になっていて面白いと思ったりする。[収録曲]1. White Line Fever2. Colorado3. Hand to Mouth4. Tried So Hard5. Just Can't Be6. To Ramona7. Four Days of Rain8. Can't You Hear Me Calling9. All Alone10. Why Are You Crying1971年リリース。 ↓ベスト盤です↓ 【メール便送料無料】FLYING BURRITO BROTHERS / ANTHOLOGY 1969-72 (輸入盤CD)(フライング・ブリトー・ブラザーズ) 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2018年01月16日
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音の玉手箱、10ccの疑似サントラ盤 10cc(テン・シーシー)は、英マンチェスター出身のバンド。オリジナル・メンバーは、E・スチュワート(ギター)、G・グールドマン(ベース、ギター)、L・クレーム(ギター、キーボード)、K・ゴドリー(ドラム)の4人で、全員がヴォーカルをとった。1972年のデビュー時(厳密にはその3年ほど前の10ccを名乗る前)から76年のゴドリーとクレームの脱退を経て70年代後半まで数々の人気作をリリースした。ちなみに、バンド自体はいったん1983年に解散したものの、復活して現在まで続いている。1976年以降、90年代末までは主にスチュワートとグールドマン中心の編成(83~91年まで活動停止、91~93年のみオリジナル・メンバーで復活)、21世紀に入ってからはグールドマンのみをオリジナル・メンバーとする形態で活動している。 そんな10ccの代表作と言えば、よく名が挙がるのが本盤『オリジナル・サウンドトラック(The Original Soundtrack)』というアルバムである。デビューから通算3作目、メジャー・レーベルのマーキュリーに移籍しての第1弾作品として1975年にリリースされた。アルバム全体は架空の(実際の映画が存在するわけではない)サウンドトラック盤というコンセプトで、全8曲はこのコンセプトに沿って配されている。 このバンドそのものの最大の特徴がそのまま本作の特徴とも言えるのだけれど、10ccはメンバーの質が高い。したがって、そのことは、そのまま楽曲と音作りの質の高さにつながっている。4人全員がソングライターかつプロデューサーなのだ。扱う楽器のヴァリエーションも多彩で、4人のうち3人がギター、2人がピアノ(キーボード)をこなす。ヴォーカルは4人全員が取ることができる。メンバーの中でスタジオがあり、レコーディング・エンジニアもこなせる。まさしく自分たちだけで作品を完成させてしまえる布陣のバンドだった。 それゆえ、作品となって届けられる音は、その辺の普通のポップ・バンドのものとは明らかに違っていた。一言で表すならば、“作り込まれている”ということなのだろうが、何が飛び出してくるかわからない楽しみや期待感を聴き手に抱かせてくれる。冒頭の1.「パリの一夜」からして、3部構成(「パリのある夜」/「同じその夜のパリ」/「夜がふけて」)の組曲形式となっていてトータル8分を超える長編である。かと思うと2.「アイム・ノット・イン・ラヴ」は全米2位、全英1位のヒットを記録した美しいコーラスが光る名曲。単に美しいだけではなく、作りが凝っていて、アナログ時代にこれだけのサウンド・エフェクトが可能というのは、現代からしても10ccの力量がいかに優れていたかがわかる。同じく美しさという点では8.「我が愛のフィルム」も外せない。アルバムのどこを切り取っても完成度が高く、しっかりと作り込まれていると繰り返し聴きながら何時でも感心させられる、そんな1枚だと思う。[収録曲]1. Une Nuit a Paris Part 1: One Night in Paris Part 2: The Same Night in Paris Part 3: Later the Same Night in Paris2. I'm Not in Love3. Blackmail4. The Second Sitting For The Last Supper5. Brand New Day6. Flying Junk7. Life Is a Minestrone8. The Film of My Love1975年リリース。 ORIGIANL SOUNDTRACK[輸入盤]/10CC[CD]【返品種別A】 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2018年01月12日
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デヴィッド・フォスターを迎えての2作目にしてピーター・セテラ所属のラスト作 1969年にレコードデビューしたシカゴ(Chicago)は、1970年代を通して着実にキャリアを積み上げていったものの、70年代末にテリー・キャスの死やプロデューサーの解雇の後に低迷期を迎えた。1982年の『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』からの路線変更が功を奏し、1980年代に再び黄金期を迎えることになった。 前作に当たる第16作の記事で述べたように、決して根本からすべてが変わってしまったわけではないにせよ、デヴィッド・フォスターを迎え、従来の志向を残しながらもアダルトなバラードを得意とするバンドとしての方向性がそのまま継続されたのが、1984年リリースの本盤『シカゴ17(Chicago 17)』だった。 都合4曲がシングルとなったが、特に3.「忘れ得ぬ君に(ハード・ハビット・トゥ・ブレイク)」、7.「君こそすべて(ユー・アー・ジ・インスプレーション)」が大きなヒットとなった。それ以外では、1.「ステイ・ザ・ナイト」や5.「想い出に生きて(リメンバー・ザ・フィーリング)」、10.「ワンス・イン・ア・ライフタイム」なんかも外せない。全編を通してシンセが入りバラード色が強い1980年代のシカゴらしさに溢れた楽曲群が並ぶ。 なお、このアルバムを最後に、創設時からのメンバーだったピーター・セテラ(ヴォーカル、ベース)は、ソロ活動に専念すべくバンドを脱退することになる。それでもなお、この路線は『シカゴ18』へと引き継がれていくことになる。『ラヴ・ミー・トゥモロウ』のヒット後で何をやってもヒットしそうな状況下で、それを超えんとする本作『シカゴ17』を発表し、セテラ脱退を経ても勢いを失わずに『シカゴ18』を制作していった。そんなことを考えながらこの辺りの一連の作品を聴くと、当時のシカゴは本当に勢いに満ち溢れていたのだなと再確認する次第だったりする。[収録曲]1. Stay the Night2. We Can Stop the Hurtin'3. Hard Habit to Break4. Only You5. Remember the Feeling6. Along Comes a Woman7. You're the Inspiration8. Please Hold On9. Prima Donna10. Once in a Lifetime1984年リリース。 シカゴ17/シカゴ[CD]【返品種別A】下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年01月08日
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変わりゆくバンドの新たな“完成形”が示された好盤 ポール・バターフィールド(Paul Butterfield)率いるこのバンドは“ブルース・バンド”なる名称からわかる通り、白人のリーダー率いるブルースを演るバンドとしてスタートした。その完成形がデビュー作とセカンド作であったが、その後、バンドは方向性を変えていく。その変化はメンバーの入れ替わりと連動していたのだろうと思う。 第2作の『イースト・ウェスト』の後、ブルース・ロックの礎を支えたマイクブルームフィールドがバンドを去る。エルヴィン・ビショップは引き続きギタリストとして残ったものの、彼もまた第4作の『イン・マイ・オウン・ドリーム』を最後にバンドを去っていく。その一方で、バターフィールドはホーンの導入に積極的だった。第3作の『ピッグボーイ・クラブショー』から参加したデヴィッド・サンボーンの存在感は次第に大きくなり、他の管楽器奏者とともに重要な役割を果たした。この路線の一つの完成形の提示となったのが、5作目の本盤『キープ・オン・ムーヴィング(Keep On Moving)』だったと言えるのではないか。 いかにも行進曲な1曲目の「ラヴ・マーチ」からして、かつてのブルース/ブルース・ロック路線からの乖離を感じさせる。以降のナンバーはブルースよりもR&B色が濃く、時にファンキーですらある。いくつか注目曲を挙げてみよう。2.「ノー・アマウント・オブ・ラヴィング」、5.「ウォーキン・バイ・マイセルフ」、8.「ベイビーは何処へ行ったの(ホエア・ディド・マイ・ベイビー・ゴー)」、9.「オール・イン・ア・デイ」といったあたりは本盤の特色をよく表すナンバーだと思う。他方、曲の随所や4.「ルージング・ハンド」なんかに見られるように、バターフィールドがブルース・マンだったことを再確認させてくれる部分も垣間見える。それから、LP時代の曲順で言うとA面の最後(6.「君なしでは(エクセプト・ユー)」)とB面の最後(12.「キープ・オン・ムーヴィング」)で、全体のノリのよさに対しておとなしめのナンバーが配されているのもよい。特に、バターフィールド作の表題曲12.は彼らしさ全開で個人的にお気に入り。あと、ついでながら11.「バディーズ・アドヴァイス」はエルヴィン・ビショップの後に座ったギタリスト、バジー・フェイトンの作で、彼自身がリード・ヴォーカルを務めている。 全体的にホーン・セクションの存在感が大きいのは上で述べた通りだけれど、この部分はロック史的にもっと見直されてよいようにも思う。数年前からバターフィールドが推し進めてきたこの流れは、シカゴ(本盤と同じ1969年デビュー)、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(1968年にファースト作をリリース)とシンクロしている。いわゆるブラス・ロックの台頭の背後には、バターフィールドのバンドがいたことをもっと認識する必要があるのかもしれないと思ってみたりする。[収録曲]1. Love March2. No Amount of Loving3. Morning Sunrise4. Losing Hand5. Walking by Myself6. Except You7. Love Disease8. Where Did My Baby Go9. All in a Day10. So Far So Good11. Buddy's Advice12. Keep on Moving1969年リリース。 Butterfield Blues Band / Keep On Moving【輸入盤LPレコード】(バターフィールド・ブルース・バンド)↑上はLPです。CDへのリンクは↓下からどうぞ。 【メール便送料無料】Paul Butterfield Blues Band / Keep On Moving (輸入盤CD) (ポール・バターフィールド・ブルース・バンド) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2018年01月05日
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懐かしさと郷愁を誘う、円熟味溢れる好盤 マリア・マルダー(Maria Muldaur)は、1943年ニューヨーク生まれのフォーク/ブルース・シンガー。1960年代末から70年代初めにかけて、夫のジェフ・マルダーとのデュオで活動するも、離婚を経て、1973年にソロ・デビューした(ちなみジェフの方はこちらの盤に参加)。そのデビュー盤が『オールド・タイム・レイディ(Maria Muldaur)』で、原題は見ての通りのセルフ・タイトル盤である。 アルバム自体、広く受け入れられ、発売翌年にビルボード3位を記録した。また、シングル曲としては、2.「真夜中のオアシス」が同じく全米チャートで6位になった。全編を通して、カントリーやブルースといった伝統の上に成り立っている、これぞ“アメリカン・ミュージック”といった楽曲が並ぶ。個人的な好みでいくつかの曲を見てみよう。1.「エニー・オールド・タイム」はカントリー色が強く、伸びやかなヴォーカルが印象的。上述のシングル曲2.「真夜中のオアシス」の軽やかで円熟のヴォーカルは貫禄すら感じさせる。6.「ドント・ユー・フィール・マイ・レッグ」や10.「ヴォードヴィル・マン」は、全然もろブルースということではないのだけれど、アメリカ音楽の伝統としてのブルースを実はうまく引き継いでいるのが印象に残る。あと、アルバム末尾にさりげなく収められている11.「マッド・マッド・ミー」は、隠れた名唱だと思う。 クレジットに目を向けると、いろんな人物のサポートが目に付く。1.のライ・クーダー(アコギを担当)を筆頭に、2.のジム・ゴードン(デレク・アンド・ザ・ドミノスのドラマー)、2.のギター・ソロなどで参加のエイモス・ギャレットなんかがいる。さらには、ジャズ畑のミュージシャンの参加も含まれていて、代表格は7.に参加のレイ・ブラウン。他には、6.,9.,10.では、ドクター・ジョンがキーボードに加えてホーン・アレンジも行なったという。 結果、仕上がった盤は、円熟のヴォーカルを示す1枚というだけでなく、古き良きアメリカ音楽の伝統を消化し、当時のポップ感覚を適度にもった、貫禄の1枚になったと思う。きっと21世紀に入った今のアメリカ人が聴いても、ちゃんと懐かしさや郷愁が感じられる、要は時代を超えた名盤に仕上がっているのだろうと思ってみたりする。[収録曲]1. Any Old Time2. Midnight at the Oasis3. My Tennessee Mountain Home4. I Never Did Sing You a Love Song5. The Work Song6. Don't You Feel My Leg (Don't You Get Me High)7. Walkin' One and Only8. Long Hard Climb9. Three Dollar Bill10. Vaudeville Man11. Mad Mad Me1973年リリース。 Forever YOUNG::オールド・タイム・レイディ [ マリア・マルダー ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年12月28日
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今は亡きブルース界のキングによる唯一のクリスマス盤 クリスマスが近づいてきたということで、今回は少し風変わりなクリスマス盤を1枚。B・B・キング(B.B.King)は1925年生まれのブルース・ギタリストで、2015年に89歳で亡くなっている。1949年に初めての吹込みを行ってから晩年まで活躍し、1956年から2008年までに50枚を超えるアルバムを世に送り出したブルースの巨匠である。R&Bやブルースだけでなくロックやポップを含む何度ものグラミー受賞歴のほか、生前にブルースの殿堂、ロックの殿堂に殿堂入りしている。 そんな彼が21世紀に入ってすぐに“ホリデー・アルバム”を出した。2001年リリースの『ア・クリスマス・セレブレイション・オブ・ホープ(A Christmas Celebration of Hope)』である。当時76歳にして、本盤は二重の意味で“新しい挑戦”だった。 まず、本盤はその収益を生命の危機に晒されている人のための研究所(シティ・オブ・ホープ)に寄付するというもので、それに因んでアルバム名も『…オブ・ホープ』となっている。B.B.キング自身がこのアルバムタイトルを決めたという。もう一つは、本人も“長年の夢”と語っていた、クリスマス曲集(ホリデー・アルバム)という点である。 定番のクリスマス曲が並び、キング節のブルースで演奏される。いくつか挙げてみると、1.「プリーズ・カム・ホーム・フォー・クリスマス」(参考過去記事)、3.「バック・ドア・サンタ」(参考過去記事)、5.「アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス」、8.「メリー・クリスマス・ベイビー」(参考過去記事)といった有名曲が並ぶ。アルバムを締めくくるのは、インストの13.「蛍の光」である(ただし日本盤ではその後にボーナス曲が続く)。“おしゃれな雰囲気”しか演出されない日本のクリスマスにはそぐわないかもしれないが、音楽好きとしては、偉大なるキングを思い出しながらブルースで迎えるクリスマスというのもまた一興ではないだろうか。[収録曲]1. Please Come Home for Christmas2. Lonesome Christmas3. Back Door Santa4. Christmas in Heaven5. I'll Be Home for Christmas6. To Someone That I Love7. Christmas Celebration8. Merry Christmas, Baby9. Christmas Love10. Blue Decorations11. Christmas Comes But Once a Year12. Bringing in a Brand New Year13. Auld Lang Syne(蛍の光)14. What a Wonderful World *日本盤ボーナス・トラック2001年リリース。 [枚数限定][限定盤]ア・クリスマス・セレブレイション・オブ・ホープ+1/B.B.キング[CD]【返品種別A】 ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年12月19日
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12歳のデビュー盤 スティーヴィー・ワンダー(スティービー・ワンダー,Stevie Wonder)は、11歳でモータウンと契約し、67歳の現在まで半世紀を優に超えるキャリアを誇る。当初は“リトル・スティーヴィー・ワンダー”の名で親しまれた。11歳で録音したシングル曲は先に発表していたものの、アルバムとしてデビュー盤になったのが、1962年リリースの本盤『ジャズ・ソウル~スティーヴィー・ワンダー・ファースト・アルバム(The Jazz Soul of Little Stevie)』であった。 このアルバムの特徴は、何よりもスティーヴィーが“歌っていない”ことにある。要はインストルメンタルの演奏盤で、彼が担当している楽器は、ボンゴ(1., 3.)、ハーモニカ(2., 5., 8., 9.)、ドラムス(4.)、オルガン(5., 7.)、ピアノ(8.)である。大半の楽曲はプロデュースを行なったヘンリー・コスビーとクラレンス・ポール(後者は“リトル・スティーヴィー・ワンダー”という芸名の名付け親だという)による。とはいえ、2曲(7., 8.)ではスティーヴィー自身も共作者として作曲に名を連ねている。 結局、この盤はこれといったチャートアクションを見せることはなかったが、幼くもハイレベルな才能は十分に発揮されていたと言えるだろう。本盤リリース後、同年の末にはモータウンの一員として全米ツアーに参加し、その際のステージは翌1963年に『12歳の天才』としてアルバム化され、全米1位を獲得することになる。同盤収録の「フィンガーティップス」(これも1963年に1位のシングル・ヒットとなった)や「ソウル・ボンゴ」のオリジナルは、本デビュー盤『ジャズ・ソウル』に収められていたものだった。 個人的な好みをいくつか挙げると、スティーヴィーの演奏という面では、2.「ザ・スクエア」のハーモニカ、5.「サム・アザー・タイム」の後半のオルガンがかっこいい。あと、4.「マンハッタン・アット・シックス」ではスティーヴィーはドラムを担当していてこれも聴きごたえがある。それから彼自身の共作曲の8.「セッション・ナンバー112」は、本盤中で有名曲の1.と並んで聴きどころになっていると思う。時代が時代なので総収録時間30分ほどというのは仕方ないのかもしれないが、1曲1曲がもう少し長ければ文句なしといったところだろうか。[収録曲]1. Fingertips2. The Square3. Soul Bongo4. Manhattan at Six5. Paulsby6. Some Other Time7. Wondering8. Session Number 1129. Bam1962年リリース。 【輸入盤】Jazz Soul Of Little Stevie Wonder [ Stevie Wonder ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年12月14日
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特徴が凝縮されたサード作 ライ・クーダー(Ry Cooder)は、1947年ロサンゼルス生まれのギタリスト、ミュージシャン。1970年にデビューし、70年代~80年代に主要ソロ作を制作したが、本盤『流れ者の物語(Boomer's Story)』は三作目に当たり、1972年にリリースされた。これといったセールスを上げることはなかったが、後から振り返ってみれば、ライ・クーダーの基本となるスタイルや特徴がうまく詰め込まれた名盤だと言える。 ライ・クーダーは、自分で作詞作曲して演じる(シンガーソングライター)というタイプではなく、既存のものを取り上げてきて、得意のスライド・ギター演奏も含め、アコースティック・ギター、エレキ・ギターの音で独自の解釈を示すのを得意とした。1970年代に差し掛かり、多くのアーティストがルーツ音楽やブルースなどに根ざして現代的解釈をしようとしていたが、ハード・ロックの流れに顕著にみられるのとは全く逆の解釈の仕方もあったことをライ・クーダーは体現していた。この盤はそのスタイルが如実に示された1枚である。 注目曲をいくつか挙げてみたい。インストルメンタルの2.「チェリー・ボール・ブルース」は、デルタ・ブルースの曲であるが、べったりブルースなのではなく、さらりと聴かせる巧妙な解釈を見せる。また、同じくインスト曲として演奏される6.「ザ・ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」では、スライド・ギターの演奏が聴きどころとなっている。 4.「アクス・スウィート・ママ」は、1930年代に活躍したテネシー出身のブルース・シンガー、スリーピー・ジョー・エスティス(1899年?生まれ、1977年死去)のナンバーで、マンドリン演奏が印象的。なおこの人物は9.「ケネディ大統領(プレジデント・ケネディ)」でヴォーカルとギターで参加もしていて、同曲でもライ・クーダーはマンドリンを披露している。 表題曲の1.「流れ者の物語(ブーマーズ・ストーリー)」は、放浪癖が身に沁みついた男の物語で、アメリカを旅してまわり、死んだ際には汽車の行き交う線路脇に葬ってほしいとさえ願う男の物語が余裕たっぷりに演奏される。そして、アルバムの最後を飾る10.「グッド・モーニング・ミスター・レイルロード・マン」も、ゆったりとした雰囲気の中、列車で放浪する男をテーマとした詞の内容の曲の演奏で締めくくられているのが興味深い。[収録曲]1. Boomer's Story (流れ者の物語)2. Cherry Ball Blues 3. Crow Black Chicken (ブラック・チキン)4. Ax Sweet Mama (スウィート・ママ)5. Maria Elena 6. The Dark End of the Street 7. Rally 'Round the Flag (旗のもとに集まろう)8. Comin' in on a Wing and a Prayer (翼と祈りに支えられ)9. President Kennedy (ケネディ大統領)10. Good Morning Mr. Railroad Man (ミスター・レイルロード・マン)1972年リリース。 Forever YOUNG::流れ者の物語 [ ライ・クーダー ] 次のブログのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓
2017年12月11日
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有名曲オンパレードの没後ライヴ盤 周知のように、ジョン・レノン(John Lennon)は1980年12月8日(日本時間では9日に相当)、凶弾に倒れ、40歳で帰らぬ人となった。ビートルズ解散後、ジョンは10年ほどの間にいくつものアルバムを残したが、ライヴを行うことは多くなかった。実際、ソロとなった後、亡くなるまでに発表されたライヴ作はというと、初期の『平和の祈りをこめて~ライヴ・ピース・イン・トロント1969』だけであった。 死後5年と少しが経過した1986年初頭、2枚目となるライヴ盤が発表された。それが本作『ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ(Live in New York City)』である。収められているのは、1972年8月30日、ニューヨークはマジソン・スクエア・ガーデンでのライヴの演奏。オノ・ヨーコがプロデュースを務めており、ヨーコ自身の歌唱部分などはカットされて編集されている。 上述のようにソロ時代の貴重なライヴ音源であり、曲目(下記参照)から一目瞭然のように、ジョンの代表曲、有名曲のオンパレードといったナンバーが並ぶ。ビートルズ時代の7.「カム・トゥゲザー」もあれば、8.「イマジン」をはじめとする代表曲の数々、E・プレスリーで有名な10.「ハウンド・ドッグ」も収録されている。ライヴそのままの音源を出すのではなく、作品として提示しようという意図は、末尾の11.「平和を我等に(ギヴ・ピース・ア・チャンス)」に如実に表れていて、コーラス部分が1分ほどだけ編集されて収められている。 このライヴの映像(かつて1990年代にはビデオとしても発売された)は、今ではユーチューブなどでも見られるので、全編を見ることもできるだろうが、それとは別に本作は編集を経たライヴ盤として出来上がっていると思う。それともう一つ、あらためて聴くたびにジョンの声が若かったという印象を抱く。ライヴ当時、ジョンは31歳だったので当たり前と言われればそれまでなのだけれど。[収録曲]1. New York City2. It's So Hard3. Woman Is The Nigger Of The World(女は世界の奴隷か!)4. Well Well Well5. Instant Karma (We All Shine On)6. Mother(母)7. Come Together8. Imagine9. Cold Turkey(冷たい七面鳥)10. Hound Dog11. Give Peace A Chance(平和を我等に)1986年リリース。 【中古】 ライヴ・イン・ニューヨーク・シティ /ジョン・レノン 【中古】afb 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年12月09日
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MTVアンプラグドとツェッペリン再結成? 日本では“ジミー・ペイジ&ロバート・プラント”のアルバムと表記されているけれども、“ジミー・ペイジ&ロバート・プラント・アンレデッド”というのが本盤の正しい名義のようだ。もちろん、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)とロバート・プラント(Robert Plant)というのは、あのレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の元メンバーである。 そもそも本盤に掲げられていて、MTVの特別番組のタイトルにもなっていた“アンレデッド(Unledded)”とは何なのか。レッド・ツェッペリンの“レッド(Led)”は“鉛(Lead)”の綴りを変えたもの(読み間違えられないように変えたと言われる)。そして、この盤の“アンレデッド”も同じように“Unleadded”が通常の綴りで、綴り字を変えてはあるものの、“鉛を取り除いた”を意味する。つまりは、“非ツェッペリン化した”ペイジ&プラントという意味合いでわざわざこう記されているということなのだろう。 そのようなわけで、結局のところ、彼らはツェッペリンに戻る気はなかったということになる。要するに、本盤の演奏も“ツェッペリンの復活”ではなく、あくまで“ツェッペリンの新解釈(カバー)”という形で過去の楽曲に向かい合っていたと思われる。とまあ、本人たちの意図はそうであったにせよ、あまりに大きな過去の遺産に引きずられるのはやむを得ないといったところか。本人たちが演奏している以上、聴き手の側はツェッペリンを思い出さないわけにはいかない。演奏自体は優れているが、今になって冷静に見れば、作り手にとっても聴き手にとっても、何とも微妙なスタンスのアルバムになってしまったという感じだろう。 とはいえ、この二人の合流は、次の段階のアルバム制作(1998年の『ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル』)へとつながった。その点では悩ましい位置づけの本盤も、一歩引いて前後の経緯を見据えれば、必要なステップだったと評価できるのかもしれない。[収録曲]1. Nobody's Fault but Mine2. Thank You3. No Quarter4. Friends5. Yallah6. City Don't Cry7. Since I've Been Loving You8. The Battle of Evermore9. Wonderful One10. Wah Wah11. That's the Way12. Gallows Pole13. Four Sticks14. Kashmir1994年リリース。 ノー・クォーター/ジミー・ペイジ&ロバート・プラント[SHM-CD]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年12月01日
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稀代のシンガーソングライターによる唯一の“80年代盤” 1960年代にソングライターとして花開き、1970年の『ワーズ・アンド・ミュージック』以降、自らがパフォーマーとしてアルバム制作を重ねていったジミー・ウェッブ(Jimmy Webb;ジミー・ウェブとも表記される)。結局、1982年の本盤『エンジェル・ハート(Angel Heart)』を発表した後、しばし鳴りを潜めることになった(10年後にミュージカルを発表後、再びソロ作品を制作するようになる)。 でもって、この『エンジェル・ハート』は、AOR系のファンの受けはよいものの、商業的にも成功せず、当時の批評家筋からの評判もいまひとつだった。後になって日本盤CDのライナーで披露されている話なのだけれど、どうやらこの盤は早い段階(1978年)に録音されていたとのこと。前作となるソロアルバムが『エル・ミラージュ』(1977年リリース)だから、その少し後には次の作品を手掛けていたことになる。つまりは、3年ほど“寝かされて”から日の目を見た盤というわけだ。 前作のプロデュースは、かのジョージ・マーティンだったが、この盤では若い世代のマッシュー・マッコーリーとフレッド・モーリンに交代している。ゲスト人も豪華で、8.「ナスティ・ラヴ」ではダリル・ホール、9.「美しき若葉の頃」ではスティーヴン・ビショップがヴォーカルで参加している。他にも、ケニー・ロギンス、グラハム・ナッシュ、マイケル・マクドナルド(いずれもバッキングヴォーカル)、デヴィッド・フォスター(ピアノ)、スティーヴ・ルカサー(ギター)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)などの名が目に付く。 上で述べたように、本作はレコーディングからリリースまで数年の間隔が空いた。このことを考えると、アート・ガーファンクルが“先に”発表した4.「シザーズ・カット」(ガーファンクルのアルバム表題にもなった)や9.「美しき若葉の頃(イン・カーズ)」の出来をとやかく言うのは的外れなのかもしれない。そもそもジミー・ウェッブは、アート・ガーファンクルによるカバーの前に録音をしていたからというわけだ。さらに、全体を通して言えると思うのだけれど、AORをある種“先取り”していたと言えそうな内容である。1982年というリリース年から、80年代のAOR全盛期の幕開けをイメージする向きも多いと思う。けれども、1978年頃にこれを吹き込んでいたというのは、いま思えば“時代の先取り”でもあった。 冒頭の表題曲1.「エンジェル・ハート」、4.「シザーズ・カット」、7.「想い出のシーン(アワ・ムーヴィー)」、9.「美しき若葉の頃(イン・カーズ)」などがジミー・ウェブらしさのよく出たナンバーだと思う。その一方、個人的には、5.「ワーク・フォー・ア・ダラー」なんかもいい。それから、2.「神の贈り物(ゴッズ・ギフト)」は80年代AORの文脈で考えるとなかなか見事な出来だと思うのだけれど、いかがだろうか。[収録曲]1. Angel Heart2. God's Gift3. One of the Few4. Scissors Cut5. Work for a Dollar6. His World7. Our Movie8. Nasty Love9. In Cars10. Old Wing Mouth1982年リリース。 エンジェル・ハート [ ジミー・ウェッブ ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年10月22日
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英米ともに売れたヒット作 ポール・ヤング(Paul Young)は1956年生まれでロンドン近郊の町出身のイギリス人シンガー。1970年代からいくつかのグループでの活動を重ね、1980年代に入ってからソロ・デビューした。ファースト作『何も言わないで』でヨーロッパではすでに人気を得ていたが、米国でもヒットし広く知られるようになったのが、1985年発表の本作『ザ・シークレット・オブ・アソシエーション(The Secret of Association)』だった。 いわゆるブルー・アイド・ソウル系のシンガーとして人気を博したわけだけれど、いまあらためてアルバムを聴いてみると、半分は当時の評判通りに“歌の上手さ”が際立っていて、残り半分は“時代の寵児的”な雰囲気を感じないでもない。とか何とか言いながら、数日前に突然、「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」が頭をよぎり、結果、このアルバムを聴きたくなって、この記事を書いているのだけれど(笑)。 やはり注目は、シングルとして全米No.1のヒットとなった上記の2.「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」。ホール&オーツのカバーで元々は彼らの1980年リリースのアルバムに収録されたナンバーである。その一方で、同じくカバー曲で聴き逃せない裏の注目曲が、5.「哀しみのソルジャー」。こちらはトム・ウェイツの曲で、本盤の少し前の1983年の作品(過去記事)に収められており、いいカバーを残すにはアンテナを張ることの大事さがあるのかな、と思わされたりする。最後に、これら2曲も聴き逃せないけれど、同じかそれ以上にお気に入りの別のナンバーが本盤には収録されている。6.「心の道標(エヴリシング・マスト・チェンジ)」というのがそのナンバーで、上記2.に先立ってシングルでもリリースされている(ただし全米では59位どまりだった)。筆者は確か当時、ラジオでのライヴのオンエアでこの曲を最初に聴いたのだけれど、これが妙によくて(かすかな記憶によれば、本盤のスタジオ録音よりもよかったような気がする)、以来、お気に入り曲となった。 全体を通して聴くと確かにその時代の盤であることは否めないが、上記のように、突然聴きたくなっては今でも引っ張り出してくることになる盤の一つだったりする。[収録曲]1. Bite the Hand That Feeds2. Everytime You Go Away3. I'm Gonna Tear Your Playhouse Down4. Standing on the Edge5. Soldier's Things6. Everything Must Change7. Tomb of Memories8. One Step Forward9. Hot Fun10. This Means Anything11. I Was in Chains12. Man in the Iron Mask1985年リリース。 シークレット・オヴ・アソシエーション(初回生産限定) [ ポール・ヤング ] ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年10月21日
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1980年代半ば、人気絶頂期のアルバム ケニー・ロギンス(Kenny Loggins)は、ロギンス&メッシーナで6年間活動した後、1977年からソロ・アーティストとしてのキャリアを開始させた。ソロとしての活動は順調だったものの、1980年代半ばに彼に大きな転記が訪れる。 一躍大人気を博すことになったのは、1984年、映画『フットルース』の主題曲を歌い、これが3週連続全米1位のヒットを記録したことだった。これによってロギンスの名は広く知られ、翌85年の「ウィー・アー・ザ・ワールド」では2小節リード・ヴォーカルを担当した。加えて86年には映画『トップガン』の主題曲「デンジャー・ゾーン」を歌い、全米2位のヒットとなった。 ちょうどこの間の時期にリリースされたのが本盤『ヒューマン・ヴォイス(Vox Humana)』だった。原題はラテン語で“人間の声(Human Voice)”を表すのだけれど、邦語タイトルはどういうわけか、原題の英訳のカタカナ表記になっている(当時はまだ英語をカタカナにした表題がカッコいいと思われていた時代だった)。 でもって、このアルバムは意外に売れなかった。都合3曲(1., 4., 6.)がシングルカットされたが、最も売れた表題曲1.「ヒューマン・ヴォイス」で全米22位だった。曲はいずれも悪くないし、ポインター・シスターズ(1.)やデヴィッド・フォスターとの共作(6.,8.など)があり、ゲスト参加にもポインター・シスターズ、シーナ・イーストン(5.)、デヴィッド・サンボーンなど豪華な名が並ぶ。 とはいえ、AORやソフトロック愛好者の間では、本盤の評価は高い。“売れ筋”のように見えつつも、あまりそうではないように思えるナンバーが、個人的には案外良かったりする。その意味では、4.「アイル・ビー・ゼア」や6.「フォーエヴァー」、9.「ラヴ・ウィル・フォロー」あたりが聴きどころと言ってもいいのではないだろうか。[収録曲]1. Vox Humana2. No Lookin' Back3. Let There Be Love4. I'll Be There5. I'm Gonna Do It Right6. Forever7. At Last8. Loraine9. Love Will Follow1985年リリース。 ヒューマン・ヴォイス [ ケニー・ロギンス ] 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年10月19日
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あくなき新境地の探求 ザ・バーズ(The Byrds)は“自分たちのスタイル”を定めていくというよりは、“自分たちでスタイルを開拓していく”タイプのバンドだった。だからこそメンバー内の不和(メンバー離脱)も起これば、ジム・マッギンがバンドを続けて行ってもスタイルの違う作品が出てきたりすることになったと言えるのではないかと思ったりする。 そんな彼らの作品群の中でも、一つの傾向を持った作品として知られるのが、この『ロデオの恋人(Sweetheart Of The Rodeo)』というアルバムである。本盤は、カントリーに寄った作風で知られる。このアルバムが最初の“カントリー・ロック”の試みだというわけではないにしても、ロック音楽とカントリー音楽がある程度“別々のもの”として存在していて、それらを結び付けるもしくはそれらの狭間を埋める、という意味においてバーズがになった役割は大きい。 1965年に音楽シーンに登場した後、本盤制作までの数年間でバーズは『霧の五次元』、『昨日より若く』、『名うてのバード兄弟』とアルバム作品を積み重ねてきた。この間、ジーン・クラークがバンドを去り(セカンド作『ターン・ターン・ターン』の後)、デイヴィッド・クロスビーとマイケル・クラークが脱退した(『名うてのバード兄弟』制作時)。そうしたメンバーの変更があったにせよ、バーズを一つの継続性を持ったバンドとして見るならば、“これまでのサイケを捨ててカントリーに行った”というような作風の変化として捉えるのは少し違うのかもしれないと思ったりする。 実際、カントリーの要素は、それまでの作品にないわけではなかった。同様にサイケの要素も含んでいた。要は様々な音楽要素を取り込んでいく過程で、その一つの側面に特に強くスポットを当てた試み、それがナッシュビル録音の『ロデオの恋人』だったんじゃないだろうか。そんな風に考えると、この盤を“カントリーだから聴く”とか“カントリーだから避ける”といった態度とは違う姿勢で聴いてみることができるように思う。そんな風に考えると、4.「涙の涸れるまで」や8.「100年後の世界」や11「なにも迷ってこない」なんかは結構面白かったりする。[収録曲]1. You Ain't Going Nowhere2. I Am a Pilgrim3. The Christian Life 4. You Don't Miss Your Water5. You're Still on My Mind6. Pretty Boy Floyd 7. Hickory Wind8. One Hundred Years from Now 9. Blue Canadian Rockies 10. Life in Prison11. Nothing Was Delivered~以下、CD(1997年)のボーナス・トラックボーナス・トラック~12. You Got a Reputation13. Lazy Days14. Pretty Polly15. The Christian Life (rehearsal - take #11)16. Life in Prison (rehearsal - take #11)17. You're Still on My Mind (rehearsal - take #43)18. One Hundred Years from Now (rehearsal - take #2)19. All I Have Is Memories(instrumental)1968年リリース。 [枚数限定][限定盤]ロデオの恋人/ザ・バーズ[Blu-specCD2][紙ジャケット]【返品種別A】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年10月17日
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オーストラリア出身バンドのデビュー盤 メン・アット・ワーク(Men at Work)は、1979年にメルボルンで結成されたバンド。オーストラリア国内でローカルのシングルはリリースしていたようだが、1981年に本デビュー・アルバム『ワーク・ソングス(Business as Usual)』をリリースした。自国内での好評を受け、翌1982年に本盤は米国でもリリースされた。 このデビュー盤当時のメンバーは、コリン・ヘイ(Colin Hay,ヴォーカル)、ロン・ストライカート(Ron Strykert,ギター)、ジョン・リース(John Rees,ベース)、ジェリー・スペーサー(Jerry Speiser,ドラムス)、グレッグ・ハム(Greg Ham,サックス、フルート)で、このうちグレッグ・ハムは2012年に謎の死(一説には心臓麻痺)を遂げている。1984年に大幅なメンバーチェンジを経てまもなく解散。10年ほど後に復活したものの(2000年シドニー五輪でのパフォーマンスはこの頃)、2002年以降は散発的に集まるのみで、結局は上記のグレッグ・ハムの死去によって活動は途絶えてしまった。 現行のCD(2003年リマスター)にはシングルB面やライヴテイクが加えられているようだが(筆者は未聴)、元々の収録曲は全10曲。何と言っても有名なのは2つの大ヒット曲、1.「ノックは夜中に(フー・キャン・イット・ビー・ナウ?)」と3.「ダウン・アンダー」。これらは2つとも全米1位のヒットとなり、グラミーの新人賞受賞に結びついた。その他の楽曲も粒ぞろいで、“活きがいい”というのが全体的な印象である。実際、1970年代にはオーストラリア出身のバンドやシンガーが世界的に成功を収めるのは珍しいケースだった(AC/DCやリトル・リバー・バンド)。けれども、この頃からは、フレッシュな豪州出身バンドやシンガーが次々とシーンを賑わせるようになった。リック・スプリングフィールド(参考過去記事)、エア・サプライ(参考過去記事)、INXS(インエクセス)、カイリー・ミノーグらがその例だけれど、“オージー・ロック”(豪州ロック)と呼ばれた流れを定着させる先陣を切ったメン・アット・ワーク、これからも記憶されていってほしいと願う。[収録曲]1. Who Can It Be Now? 2. I Can See It in Your Eyes3. Down Under4. Underground5. Helpless Automaton6. People Just Love to Play with Words7. Be Good Johnny8. Touching the Untouchables9. Catch a Star10. Down by the Sea1981年(豪)、1982年(米)リリース。 ワーク・ソングス/メン・アット・ワーク[Blu-specCD2]【返品種別A】 下記ランキングに参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓
2017年09月29日
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バンド過渡期ながら安定した好盤 プリテンダーズ(The Pretenders)は、1979年にセルフ・タイトルのデビュー盤(過去記事)をリリースし、その後、メンバー解雇など問題を乗り越えつつもアルバム・リリースを重ねていった。クリッシー・ハインド率いるこのバンドが1986年に発表した通算5作目となるアルバムが、この『ゲット・クロース(Get Close)』だった。 前作の『ラーニング・トゥ・クロール』からは2年半以上の歳月が流れてのリリースだった。数年前からメンバーの死去や解雇によってバンドメンバーの入れ替わりがあり、この時もまだバンド自体が不安定な状態であったことは否めない(実際、本作のレコーディングは複数のセッションから成る)。プロデューサーもデビュー以来のクリス・トーマスから、売れっ子のジミー・アイオヴィンとボブ・クリアマウンテンに変更している。そんなことを考え合わせると、バンドの変化と苦悩の中で生まれたアルバムだったと言えるのかもしれない。 とはいっても、その当時の筆者はそんなことはみじんも考えずに聴いていた。なぜかというと、そうしたことを考えさせないほど“出来がいい”のである。シングルも好評だった。6.「ドント・ゲット・ミー・ロング」は全英・全米とも10位のヒットとなり、さらに10.「ヒム・トゥ・ハー(聖歌)」もイギリスで8位を記録した。とりわけ前者は日本でも朝の情報番組で使われていただけに、その当時のヒットを知らなくても、馴染みの人が多いかもしれない。 そのほかの楽曲も粒ぞろいで完成度が高い。個人的な好みで特に聴き逃せないと思うものを少し上げておきたい。冒頭の1.「マイ・ベイビー」は、シングルとしてはさしてヒットしなかったものの、プリテンダーズの曲の中で筆者的には、上記の10.と並んでかなり上位のお気に入りナンバーだったりする。あと、アルバムの最後を飾るジミ・ヘンドリクス曲、11.「鏡の部屋(ルーム・フル・オブ・ミラーズ)」も聴き逃せない。ジミヘンの死後の『レインボー・ブリッジ』所収のナンバーであるが、この偉大なギタリストの頭にあった音の世界に対する、当時のクリッシー・ハインドおよびプリテンダーズの面々の料理の仕方は、このバンドが過渡期にありながらも十分な成熟を見せていたことを示しているように思う。[収録曲]1. My Baby2. When I Change My Life3. Light of the Moon4. Dance!5. Tradition of Love6. Don't Get Me Wrong 7. I Remember You8. How Much Did You Get for Your Soul?9. Chill Factor10. Hymn to Her11. Room Full of Mirrors1986年リリース。 Forever YOUNG::ゲット・クロース [ ザ・プリテンダーズ ] 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年09月26日
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バンド黄金期メンバーでの最後の1枚 REOスピードワゴン(REO Speedwagon)は、1960年代末に米国イリノイ州で同じ大学に通っていたメンバーを中心に形成され、1971年にデビューした。1970年代を通じてコンスタントにアルバムを出していたが(ただしメンバーの変遷はあり)、ライヴに人は集まれどレコードはさほど売れないと言われたりしていた。ちなみに、バンド名のREO(アール・イー・オーと読む)は、レオ・モターカー・カンパニーという、かつて存在した会社名、スピードワゴンというのは、同社の生産していたトラックの名称からとったものである。そんなREOスピードワゴンが大きくブレークしたのは1981年のことだった。1980年発表のアルバム『禁じられた愛』が大ヒットし、ジョン・レノンの遺作『ダブル・ファンタジー』を抜いて1位となり、年間アルバムのチャートでも同作を抑えて1位となった。1982年、1984年に発表した続くアルバム(『グッド・トラブル』、『ホイールズ・アー・ターニン』)も人気を博し、1987年に発表されたのが本盤『人生はロックンロール(Life As We Know It)』だった。前3作ほどヒットはしなかったものの、バンドの絶頂期の活動という点では、結果的に本作が最後となり、1980年代が終わるまでにはバンドの中心メンバーが抜け、やがてバンドも一時解散となってしまった(その後、1992年以降はメンバーが代わり、現在まで活動している)。 当時の状況からして自然と言えば自然だったのか、外部のライター(トム・ケリー、ビリー・ステインバーグ)の曲をこれまで以上に取り込み、シンセサウンドも増やしてポップ感が増している。注目曲としては、全米20位内に入るヒットとなったシングル曲の2.「偽りの愛(ザット・エイント・ラヴ)」と3.「涙のドリーム(イン・マイ・ドリームス)」。特に後者の美メロは一度聴いたら忘れられないタイプの典型的な曲。あと、軽快なロック・ナンバーの4.「トゥー・メニ・ガールフレンズ(ワン・トゥー・メニ―・ガールフレンズ)」も印象的。時代の産物と言えばそれまでなのかもしれないけれど、個人的には忘れ去ることのできない1枚だったりする。[収録曲]1. New Way to Love2. That Ain't Love3. In My Dreams4. One Too Many Girlfriends5. Variety Tonight6. Screams and Whispers7. Can't Get You Out of My Heart8. Over the Edge9. Accidents Can Happen10. Tired of Getting Nowhere1987年リリース。 REO Speedwagon / Life As We Know It【輸入盤LPレコード】(REOスピードワゴン)下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年09月18日
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80年代唯一のアル・クーパー盤 アル・クーパー(Al Kooper)という人は、日本では比較的評価されていると言われるが、それにしても本当に過小評価され過ぎてしまっているアーティストだと思う。その理由は、何と言っても“中途半端にソロ・アーティスト”として認知されてしまっているからではないかと気がする。1980年代で唯一、彼名義でリリースされた本盤『チャンピオンシップ・レスリング(Championship Wrestling)』は、そのことをよく説明してくれる盤でもある。 1982年に出された本作は8枚目の作品で、前作のリリースからは6年ものブランクがあった。通常、こうしたブランクがあれば“復活盤”とか言われてしまう。けれども、実際に本盤を聴いてみれば、アル・クーパー自身がそれほど前面に出ていない(例えば本人がヴォーカルを担当しているのは、1.と6.の2曲しかない、など)、とがっかりする人もいることだろう。 そこで、“がっかりな盤”とか“期待外れ”と言ってしまうのではなくて、もう少しアル・クーパーという人を考え直してみたほうがいいのだろう。果たして確固たるアーティスト、アル・クーパーというものがあって、それが何年かぶりに復活という発想がよくなかったのではないかと思って見たりする。スーパー・セッションの企画(参考過去記事)しかり、ブラッド・スウェット&ティアーズ(参考過去記事)しかり、アル・クーパーという人物は、必ずしも単独アーティストとしての活動に収まらない。良くも悪くも、この人は“マルチさ”を持っていたことがよく理解できるのが本盤だというのが、筆者の印象である。人脈しかり、作風しかり、何だか通常の一人の単独アーティストという発想とは違う感覚でアルバム作りができる人なのだろう。そんなわけで、ふつうの個人作品という感覚よりは、“指揮者”という感覚でもって聴く方がしっくりくるかもしれない。実際、アルバムのジャケにはゲストの名がずらりと並んでいる。 結局、この後、ソロ名義作はまた10年以上のブランクを作ることになった(90年代に1枚、00年代に2枚を発表することになる)。どうもよくわからないのは、プロレス的なタイトル(自作インスト3.と関係するのだろうけれど)とそれに付随するジャケ写(裏ジャケもプロレス興行のポスター風)、さらにプロデューサーを“レフリー”と表記したりしているこのコンセプト。本人の中でプロレスがブームだったのか…。そういう意味では、“指揮者”ではなく、アル・クーパーは“プロモーター”だったということなのだろうか。[収録曲]1. I Wish You Would2. Two Side (To Every Situation)3. Wrestle With This4. Lost Control5. I’d Rather Be An Old Mans Sweetheart (Than A Young Mans Fool)6. The Heart Is A Lonely Hunter7. Bandstand8. Finders Keepers9. Snowblind1982年リリース。 チャンピオンシップ・レスリング [ アル・クーパー ] 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年09月16日
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儚きグループによる幻の好盤 キャロル・キング(Carol King)は、1960年代に当時の夫とのコンビでライターとしてヒット曲を多く書き、その名をとどろかせたが、ソロのアーティストとして本格的に活動するようになったのは、1970年以降のことであった。それまでの間、若い頃に何枚かのシングル(いずれも売れずに終わった)、1962年にシングル1枚を出しているので、キャリア上は“デビュー”していたわけだけれど、アルバムリリースには至っていなかった。 そんな彼女が最初に制作したアルバムは、ソロ活動への伏線だったと思われるものの、3人組のグループによるものだった。バンド名はザ・シティ(The City)。メンバーは、キャロル・キングのほかは、ギターのダニー・コーチマー(ダニー・クーチ)が、ベースのチャールズ・ラーキー(後にキャロル・キングの二人目の夫となる)が名を連ねていた。さらにゲストとして、ジム・ゴードンがドラムスを担当した。 ザ・シティが残した唯一のアルバムが、1969年リリースのこの『夢語り(Now That Everything's Been Said)』である。オードというレーベルに吹き込まれたのだけれど、その発売元が変更(CBSからA&Mに移った)というタイミングのために早々に廃盤となり、“幻の盤”になった(後に1993年に日本で世界初CD化された)。 全体として、名盤『つづれおり』(過去記事前編・後編)に続いていくことになる作品と言われたりもするものの、ソロ作品と比べるとバンド感(というか“グループ感”といった方がしっくりくるような気がする)が強い。曲自体は、1曲(9.)を除き、いずれもキャロル・キングの共作ナンバーが並ぶ。 注目曲は1.「スノー・クイーン」。詞もリズムも幻想的な感覚が印象的だが、1980年代に入って“再発見”されてラジオのエアプレイで好評を博したという曲でもある。ほかには、緊張感とソングライティングの妙がよく出た表題曲3.「夢語り(ナウ・ザット・エヴリシングズ・ビン・セッド)」がよく知られる。さらに、個人的好みをもう少し入れると、2.「ワズント・ボーン・トゥ・フォロー」、8.「レイディ」、12.「オール・マイ・タイム」なんかもいい。それから、唯一、自作ではない9.「マイ・スウィート・ホーム」。上記の“グループ感”がよく感じられるこのナンバーもまた、本盤の注目曲と言えるように思う。[収録曲]1. Snow Queen2. I Wasn't Born To Follow3. Now That Everything's Been Said4. Paradise Alley5. Man Without A Dream6. Victim Of Circumstance7. Why Are You Leaving8. Lady9. My Sweet Home10. I Don't Believe It11. That Old Sweet Roll (Hi-De-Ho)12. All My Time1969年リリース。 シティー/夢語り 【CD】 下記のランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、バナーを“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓
2017年08月24日
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絶頂期のアウトテイク集 1980年代、アメリカのロック・ヒーローはと問われれば、きっと多くの人がブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)と答えることだろう。そんな彼の華やかな頃のアウトテイクが詰まったのが、4枚組アウトテイク集『トラックス(Tracks)』のディスク3ということになる。 内容は、1982~83年の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のアウトテイクが大半を占め(1.~12.,14.)、その他は1987年の『トンネル・オブ・ラヴ』に収録されなかった楽曲(13.,15.~18.)が並ぶ。特に前者のアルバムから外れたナンバーが多いが、12.や14.などのように、シングルB面として発表されたものも含まれている。 『ボーン~』のアウトテイクの質の高さには特に目を見張るものがある。今さらながら、同盤は2枚組でもよかったのではないかと思わされるくらいだ(売れることを想定していたので、1枚じゃないといけなかったのだろうけれど)。特に、個人的に当時の段階から公表して欲しかったと思うのは、2.「マイ・ラヴ・ウィル・レット・ユー・ダウン」、3.「ディス・ハード・ランド」、10.「ブラザーズ・アンダー・ザ・ブリッジ」、11.「マン・アット・ザ・トップ」といったあたり。シングルB面で公表はされていたものの、12.「ピンク・キャデラック」(ナタリー・コールによるカバーでも知られる)も外せない好ナンバー。 他方の『トンネル・オブ・ラヴ』の方では、何と言っても名曲の16.「ザ・ウィッシュ」がいい。他にシングルB面で発表された18.「ラッキー・マン」は、ぜひアルバムにも収録して欲しかったナンバーである。[収録曲]1. Cynthia2. My Love Will Not Let You Down3. This Hard Land 4. Frankie5. TV Movie6. Stand on It -alternative version-7. Lion's Den8. Car Wash9. Rockaway the Days10. Brothers Under the Bridges '8311. Man at the Top12. Pink Cadillac13. Two for the Road14. Janey, Don't You Lose Heart15. When You Need Me16. The Wish17. The Honeymooners18. Lucky Man1998年リリース。 【送料無料】Bruce Springsteen / Tracks (Box) (輸入盤CD)(ブルース・スプリングスティーン) ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年08月23日
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“自覚的”に変革を求めたザ・バーズの第5作 『ミスター・タンブリン・マン』のところでも少し述べたことだけれど、ザ・バーズ(The Byrds)の音楽は、自然発生的というよりは、しばしば“意図的”もしくは“自覚的”なものだったと言っていいように思う。 1960年代後半、ロック音楽がその後十数年の流れに続く新たな胎動を起こしている中で、“なんかやってみたら偶然出てきた”というのではなくて、いろいろと試行錯誤しながら新たなものを意識して創り出そうというものであった。その当時も、そうしたことに無自覚だったアーティストもいただろう。けれども、当時の多くのアーティストやバンドは、ずっと後に比べて言えば、“自覚的”な人がいっそう多かったのではないかと推察する。そして、ザ・バーズはその自覚的な姿勢を如実に示しているバンドの一つであったのではないかというのが筆者の見立てである。 本盤『名うてのバード兄弟(The Notorious Byrd Brothers)』は、1968年発表の、グループとしては5枚目の作品に当たる。制作途中でデヴィッド・クロスビーが脱退するが、その理由は、彼の自作曲の14.「トライアド」をめぐる孤立と、バンドがアルバム完成までのつなぎとしてシングル発表した2.「ゴーイン・バック」(G・ゴフィンとC・キングの有名曲)の採否をめぐる対立だったという。さらにクロスビーの脱退の結果、先に脱退していたジーン・クラークが本盤完成のために一時呼び戻されるという事態も起こったが、この辺りのメンバーの対立騒動も、考えようによっては、上述の“自覚的姿勢”の強さを想起させるエピソードと言えなくもない。 従来のバーズのサウンドと比べるとストリングスやホーンの使用が目立つが、アルバムのトータルの音作りに貢献していて、個人的にはいい印象を持っている。『霧の五次元』からのサイケな要素を残しつつ、カントリーなロック・サウンドをベースにしつつもポップさに欠けていない。ある意味、絶妙のバランスの上に成り立った好作と言っていいように思う。全米ではそれ以前の作品ほどのヒットとならなかったものの、イギリスで12位にランクインしたのも頷ける。 曲単位で注目したいのは、唯一のシングルとなった2.「ゴーイン・バック」。そして、アルバム本編には収録されなかった(現在はボーナストラックとして収録の)D・クロスビー作の14.「トライアド」。他にいくつか個人的お気に入りを挙げると、4.「ドラフト・モーニング」(オリジナルのエンディング付きは16.で聴くことができる)や9.「部族集会(とライバル・ギャザリング)」なんかもいい。そう思うと、当時のデヴィッド・クロスビーは本当にいい曲を作っていたということか。ついでながら、1990年代の再発で追加されたボーナストラックも結構楽しめる。上記14.「ドラフト・モーニング」もそうだけれど、それ以外には、クロスビーが嫌々参加している(?)「ゴーイング・バック」の初期ヴァージョン(15.)、さらには7.「今が転機(チェンジ・イズ・ナウ)」のデモ・ヴァージョンの17.「ユニヴァ―サル・マインド・デコーダー」なんかが収められているのも面白い。[収録曲]1. Artificial Energy2. Goin' Back3. Natural Harmony4. Draft Morning5. Wasn't Born to Follow6. Get to You7. Change Is Now8. Old John Robertson9. Tribal Gathering10. Dolphin's Smile11. Space Odyssey~以下、CD(1997年)のボーナス・トラックボーナス・トラック~12. Moog Raga (instrumental)13. Bound to Fall (instrumental)14. Triad15. Goin' Back (version one)16. Draft Morning (alternative end)17. Universal Mind Decoder (instrumental)1968年リリース。 名うてのバード兄弟(Blu-spec CD2) [ ザ・バーズ ]下記のブログランキングに参加しています。応援くださる方は、ぜひバナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年08月22日
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派手にはならず着実なブルース・ロックの脈流(後編) 前作の『ブルー・マター』は1968年に吹き込まれ、翌69年に入ってからリリースされた。その後、サヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)は、わずか半年ほどでさらに次の作品となる本盤『ア・ステップ・ファーザー(A Step Further)』を世に送り出す。 表題(“一歩先へ”の意)の通り、従来の演奏から一歩踏みだして、新たな試みがまずは耳につく。それは、ホーンにストリングスを導入したり、コンガをパーカッションにしてみたりという演奏面での実験である。ホーンを入れるというのは前作の追加曲として収められているシングル(「グリッツ・エイント・グローサリーズ」)でも見られたが、この音の面での工夫が2.、3.、4.の3曲にわたっている。その意味で、従来の編成で演奏される冒頭の1.「メイド・アップ・マイ・マインド」は、個人的にはお気に入りのナンバーだけれども、このアルバムの試みの中では例外的と言ってもいいのかもしれない。 ところが面白いことに、いろんな音が加えられて新境地を開拓しようとも、最後はデイヴのこの演奏、そしてシモンズの“いかにもブルース・ロック”なフレーズなのである。そうした点で、一聴すると雰囲気が違っているかもしれないが、実は本質においては変らぬ演奏を続けていると評するのが適当なのかもしれないと思う。 ちなみに以上は、アルバム前半の話で、今回もまたアルバム後半はライヴ音源となっている。LPで言うと、A面(1.~4.)とB面(5.)でスタジオ録音とライヴ録音に分かれている。後半は、勢いに乗ったブギー・メドレーになっている。都合5曲分、時間にして22分間ほどで、1トラックのみのメドレーとして収録されている。 このライヴ部分を聴いていて特に思うのだけれど、前作以降、サヴォイ・ブラウンのメンバーには、後にこのバンドを脱退してフォガット(Foghat,参考過去記事(1)・(2)・(3))を結成することになるメンバーが出揃った。変に大衆受けに走るのではなく、英国ブルース・シーンの中で着実に音を発展させ、しかし中心部分は崩さないというのが、この頃のサヴォイ・ブラウンの好盤の連続に結びついていたのだろう。[収録曲]1. Made Up My Mind2. Waiting in the Bamboo Grove3. Life's One Act Play4. A. I'm Tired / B. Where Am I5. Savoy Brown Boogie (Live): A. Feel So Good / B. Whole Lotta Shakin' Goin On / C. Little Queenie / D. Purple Haze / E. Hernando's Hideaway1969年リリース。 【送料無料】 Savoy Brown / Blue Matter / Step Further 輸入盤 【CD】 【メール便送料無料】SAVOY BROWN / STEP FURTHER (輸入盤CD) ブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、ぜひ“ぽちっと”お願いします。 ↓ ↓ ↓
2017年08月10日
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派手にはならず着実なブルース・ロックの脈流(前編) サヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)は、1966年にキム・シモンズを中心に結成されたイギリスのブルース・ロック・バンド。付け加えるならば、はるか後の2013年にとうとう初来日したというグループでもある(無論、来日時のヴォーカルはユールデンではなく、2009年からのメンバーであるパット・デサルボ、ガーネット・グリムという布陣での来日だった)。 1967年にデビュー盤(英のみ)、1968年にバンド名と陣容を見直したセカンド作を発表後、1969年にはスタジオ録音とライヴを併せた盤を2枚リリースしている。1枚は『ブルー・マター(Blue Matter)』、もう1枚は『ア・ステップ・ファーザー(A Step Further)』であった。今回はこれら2枚のスタジオ/ライヴ録音混成アルバムを前編・後編の2回に分けて取り上げてみたい。 1.~5.がスタジオ録音で、最大の聴きどころとなっているのは、1.「トレイン・トゥ・ノーホエア」。曲名は“行き先のない列車”だけれども、このバンドの行き先はしっかり見据えられており、変に大衆受けに走らないブルース・ロックの路線が明確に出ている。それ以外に個人的に推したいのは、2.「トーリング・べルズ」と6.「グリッツ・エイント・グローサリーズ」。前者を聴くと、こういう辛気臭い演奏(もちろんいい意味で!)を堂々とアルバムに収めてしまうところに自信と信念のほどを感じる。後者は、スタジオ録音の曲だけれど、米国向けシングルを追加したもので、ホーンセクションが印象的ながらも結局はヴォーカルとギターが注目しどころになっているというのが、このバンドらしい。 7.~9.は1968年12月6日に行われたライヴ演奏が収められている。ツアーが控えており、アルバム完成のためにライヴ・テイクを加えることになったらしい。これら3曲はいずれも尺が長く(各曲の長さは、およそ8分、9分、7分)、演奏をじっくり(まったり?)と楽しめるのだけれど、変則的な点がある。それは、クリス・ユールデンが喉を傷めていて、デイヴ・ぺヴァレットが代役としてヴォーカルを務めているというところ。なので、ユールデンの声を期待する人はがっかりするかもしれないし、確かにデイヴのヴォーカルにもうちょっと粘り気が欲しいと思わないでもないが、演奏自体はお見事というか圧巻なので、スルーするのはもったいない。 後編(『ア・ステップ・ファーザー』)へ続く。[収録曲]1. Train to Nowhere2. Tolling Bells3. She's Got a Ring in His Nose and a Ring on Her Hand4. Vicksburg Blues5. Don't Turn Me from Your Door6. Grits Ain't Groceries (All Around the World)7. May Be Wrong8. Louisiana Blues9. It Hurts Me Too1969年リリース。 【送料無料】 Savoy Brown / Blue Matter / Step Further 輸入盤 【CD】 【メール便送料無料】Savoy Brown / Blue Matter (輸入盤CD) 下記のブログランキングに参加しています。 応援くださる方は、バナーをクリックお願いします! ↓ ↓
2017年08月09日
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