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久しぶりに、音楽紹介です☆ブラジリアンのギタリスト、バーデン・パウエルの名曲、Tempo de Amorです。色んなバージョンの録音がありますが、その中から生演奏の映像をはりつけますね☆みんな楽しそうですね~☆☆☆テンポが良いからノリノリで、元気がでる曲です♪♪♪ちなみに、NYでブラジリアンのギタリストと私(デュオ)の演奏のリストの中に入っている曲です☆・・・私が日頃は仕事のジュエリー製作に従事しているから、キーボード(ヴィンテージ・オルガン)の練習はぼちぼち少しずつで、1日に1時間までしか練習できないですが、ゆっくり慌てずに進めています☆私はジャズ・ピアニスト(オルガニスト)のウィル・ブールウェア師匠の弟子なので、師匠からアレンジも見てもらえています。楽しいです。音楽は、好みや演奏レベルがちょうど合う何人かのミュージシャンと一緒に力を出し合って演奏できるし、国境は無いし、人種や国籍の壁が無く通じ合うことができるから、音楽の力はすごいですねえ。音楽は世界平和の小さな第一歩にもつながる素晴らしいツールだと思います☆
2021年07月29日
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さて、前回続きです。八面玲瓏の、心を磨くということについて、少し解説してみますね。心を磨くとは、どのようにすることなのでしょう?→心の汚れを取り除いていくことです。 そして、何事にも動じない不動心を保っていくことです。では、心の汚れとは、何でしょう?→嫉妬心、怒り、恨み癖、心配、不安、恐怖心、など、ネガティブな感情・価値感・考え方のことです。具体的にはどうすれば心の汚れを取り除いていくことが出来るでしょうか?→心の切り替え方、物事に対する視点を変えて見ることを学び、何を観ても聞いても動じない不動心を保てるように心がける生活を続けていくことです。 褒められても有頂天になったり舞い上がったりしないで動じない、けなされても落ち込まないで動じないことが大事です。(特に、褒められたら有頂天になって舞い上がりやすい性質では、褒め言葉やお世辞に影響されやすくてコントロールしやすいからターゲットとして狙われて洗脳されやすいです。) 人々の心配・不安・恐怖心をエサにして肥大している邪悪な霊的存在もいるので、そういうものに力を与えないようにするにも「不動心」が有効です。 不安や恐怖心を持っていると、例えば(戦争が起こってミサイルが飛んできて食糧難になるから引っ越して逃げなければ!)と恐怖から行動するようになり、周りの言うことに洗脳されたり振り回されやすくなり、何が正しいのか自分で判断できなくなります。何事にも動じないで不動心を保つようにしておくと、振り回されないし、冷静に何が誰が正しいのか正確に判断できます。 物事に対する視点を変えて見るコツは、どんな物事・事件事故でもカルマという完璧な宇宙の法則が働いていて起こっていること、寸分の狂いない宇宙の法則の完璧な計算からであるということ、偶然は一つもないこと(カルマの面で自業自得)を理解することが大事です。 そのためには、宇宙の法則を知り理解する「真理追究」を続けることが大事です。 具体的にどうすれば近道かというと、正しいメディテーション(瞑想)が有効です。過去の聖人達(モーゼ、イエス、お釈迦様も)も行った正しい瞑想はネガティブなカルマ(過去世からの分も今生で作った分も含めて)を焼き尽くしていける唯一の方法と言われています。 ただし、負のカルマは魂の汚れなのでそれがたくさんあるうちは正しい瞑想に入っていけないので、瞑想しているつもりでも瞑想になっていないです。少しずつ瞑想の努力を毎日続けて、少しずつ負のカルマを焼き尽くしていかなければ、瞑想には入れないです。負のカルマがたくさんある方の場合は、ただ目を閉じて座っているだけでは難しいです。 メディテーションの訓練によって、だんだん少しずつ過去で作った負のカルマを焼き尽くしていければ、少しずつ瞑想で宇宙の根源に直接融合していきやすくなり、根源を垣間見たり融合し始める経験を実際にすると全ては一体であるということ(全一体、ワンネス)を実感して、相手は自分・自分は相手ということを体感から自分自身で理解できるようになります。 全一体・ワンネスを瞑想で体感して理解できるようになると、あとは自然にパタパタっと理解が進むので、相手は自分・自分は相手ということが分かれば、どんな相手にも嫉妬心を向けたり怒ったり恨んだりできなくなりますし、自分自身のことを特別視しなくなるから自惚れることが無くなりますし褒められても舞い上がらなくなります。 けなされても(はあ?あなたは全一体を知らないから今けなしている相手は自分だということを分かっていないのですね~、そして今の時期はアセンションで時間が進む速度が速まっているからそのけなした負のカルマは地球を1周してすぐ自分へ返りますよ)とすぐ瞬間で理解できるから、未熟な相手が気の毒で可哀想に思えるようになりますし、なんともなくなり、動じなくなっていきます。 自分の心を磨いて磨きぬくという心身統一合気道の「八面玲瓏」も上記と全く同じことで、理に適っています。 心を磨いて鏡のように輝いていると、水面が静止している鏡のような心なので不動心が保たれている状態ですし、鏡のように自動的に何事も反射してはね返します。 ですから上記のことが自然に出来ている自分になっておくことが、何事にも結局近道で確実な方法ですね。 正しい努力、正しい理解力、正しいメディテーションのやり方を鍛錬していくことが大事です。 ぜひ、皆様の普段の生活の中に取り入れて、参考になさってくださいませ。 限られた誌面では手短にしか説明できないですが、努力の方向性の断片を少し書きました。また続きを書くこともあると思います。
2021年07月22日
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日本の友人で、心身統一合気道を30年以上やっている人に、時々、とても役立つことを教えてもらっているので、シェアしますね。もともと、私はジュエリー製作のため、いつもすごく肩や首が凝るので、いろんな整体とかマッサージ、ヨガなどに行っていました。その過程で、この心身統一合気道を長年やっている方を友人から紹介してもらいました。その時に、ジュエリー製作でよくする動作を聞かれたので、右手に金づちを持って振り下ろして金属を叩いたり、右手で糸鋸を使って金属をカットする動作が多いと説明しました。するといつも行うこれらの動作で、腕に力を込めて金づちを振り下ろしたり力任せで力を加えて行うことが身体に負担がかかって痛める原因であるということ、合気道とは正反対だから気をつけないといけないことを教えてもらいました!右腕と右肩に負担がかかっていると、その反対足である左足のヒザや足首から下にもふんばっている負担がかかっているとのことでした。・・・そうなのですね!体のどこかに力任せで行う動作のせいで負担がかかると、それにふんばっている身体の反対部分のどこかにも同時に負担がかかるのですね。なんか納得。合気道では、宇宙の法則の勉強や精神面を整える修行をなさっていますが、例えば金づちを振り下ろす動作の時に、打つ瞬間に腕の力を抜くのが一番良いのだそうです!!!これはビックリ!!!金づちは、打つ瞬間に力を抜くほうが、打つ対象物に当たる金づちの先の部分により力が加わって強く打てるし、自分の身体(肩、腕、手など)を痛めないのだそうです。なるほど~!日本ってすごいですね!!!もっと早く心身統一合気道を知っていればよかったと思いました。そして、合気道でも心を磨くということを一番大事な修行の一つとされています。心を磨いておけば、自分に向けられているネガティブな波動のものは全て跳ね返すので、だからこそより強いのだそうです。これも宇宙の法則ですよね。合気道は、愛氣道でもあるのだそうです。その教訓の大事な言葉を教えてもらって、私もメモを取りました。「八面玲瓏(はちめんれいろう)磨ける鏡の如く清き心」・・・心を磨いて磨き上げておくと、鏡のように輝いて反射するので、自分にネガティブな波動のものが向けられていてもそれとは波長が合わないから鏡のように全て跳ね返す、という教訓だそうです。なるほど!!!分かりやすい説明!日頃からいつも心を美しく磨き上げる鍛錬を続けていると、少しずつ心が磨かれていくので、やがて曇りや汚れのない心になれたら鏡のように輝くから、ネガティブなものを反射して全て跳ね返すのですねえ。分かりやすいですね。全て波動の法則で説明がつきます。同じ波長のものは引きあいますが、波長が相反するものは合わないので全く引き合わず、全て地球を1周して発せられたところへ跳ね返すのです。すると、お払いは必要ではないですね。この、心身統一合気道の教訓は、皆様の普段の生活の中で取り入れて活かしていてくださいね。きっと役に立つことだと思います。合気道は、自分が力任せに相手を倒そうとしないことが大切で、こちらへ向けられてくるネガティブなものを波動の法則を使って全て跳ね返す(相手の力を使って返す)ことがポイントなのですね。心を磨き上げる修行は少しずつ、何年もかかるみたいですよ。もともとそういう心を磨くことを家訓のように心掛けているご両親のもとで育っていれば、そういう人々は自然に小さい頃から心が磨けていて出来ていることでしょう。そうでない場合は、自分で合気道とか真理追求をして何年かかかることだとお察しします。合気道は面白いですね!日本が発祥の地なので、日本はこのような奥深いものがたくさんあるからすごいなと思います。みなさまもぜひ、ご参考くださいませ。
2021年07月18日
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さて、時々質問されることがある、メディテーション(瞑想)について書きますね。私のお客様である沖縄の霊能者の先生ともメディテーションについてお話をしたことがありましたが、この先生がおっしゃったことを少し書いてみますね。「よく、様々な宗教では「瞑想では悟れない」と言っている人々がいますが、それは間違いです。それは瞑想についてよく知らないからそんなことを言うのです。 全てが一体であると実感している境地、無限との一体感、無限の境地そのものが悟りであり、瞑想状態なのです。 瞑想・内観を否定している者は、他を否定している時点で全体が1つであるという無限の境地に至っていないからです。全でが1つであることを実感していないから他を否定しているのだから、そうすると絶対に全てが一体であるという悟りの境地に入れないです。愛の境地でいなければ愛の世界には入れないです。全てが一体(相手は私、私は相手)の境地でいなければ全一体の悟りの世界へは入れないのです。 全ての聖人は、瞑想を通さずして悟りの境地に至った者はいないです。モーゼもイエスもお釈迦様も瞑想を通して悟りの境地を実感しました。 全てが一体でつながっている(全一体)を感じ取るために、その手段として、瞑想・内観・ヨガがあります。ヨガとはユナイトという意味で(宇宙と)繋がるという意味なので、体操のヨガはそのための身体を整えているだけのことですから、表面的なヨガの体操だけではなくその奥義の瞑想に行きつくための道具にすぎないです。ヨガとは本質(根源)との一体を感じ取ることです。 全てが一体であることを実感するためには、言葉でもない、知識でもない、経典でもない、瞑想を通して実感していかなければそれを理解できないのです。 どの聖人も同じことを説いていて、「瞑想を通さずに根源に至った者(悟った者)はいない」と断言しています。」
2021年07月03日
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