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さて、黒人霊歌についての書き込みについて、お便りをいただいています。一部分を掲載しますね。いつもありがとうございます。ブログの内容を喜んでいただいて嬉しいです。>「9/15に配信された「音楽紹介☆こげよマイケル」を拝見したのですが、心が震えました。黒人霊歌のその歴史を知り、胸を打たれました。信じられないほど辛い経験の中から生まれた希望の歌だったんだ、と知ることができました。黒人の人たちが生み出した、淘汰されずにずっと残ってきた歌たちに感動します。私は音楽の知識がないので、ブルーシャ様のブログで沢山学ばせていただいています。素敵な音楽の紹介を、本当にいつもありがとうございます。ブルーシャ様のブログを読んでいなかったら、一生出会うことのない歌たちでした。最近は家族で、コリー・ヘンリーさんのNaaNaaNaaを聴いて、元気を出してます。気が付くとこの歌を歌ってます(笑)最高です!!」>「ブログを拝見して、自分がまだ小学低学年のころ「アンクルトムの小屋」という本を読み大泣きしたことを思い出しました。ブルーシャ様が紹介されてる黒人霊歌も、子どもながらに好きな歌だったこともうっすら?思い出しました。音楽の長くて深い様々な歴史を改めて考えると、今は仕事中なのに涙が出てしまいました。仕事中は私一人事務室にいるので、いつも休憩中にブログを拝見してます。仕事はちゃんとしてますよ!黒人霊歌の背景を知ると心に響く訳がわかります。車通勤なのでこの約1年間はずっとブルーシャ様の七福神のCDを聞いてますが、(他は全く聴いてなく、ずーっとエンドレスでCDが流れているため、めちゃくちゃ浄化されてます 笑)紹介されている音楽を聴いてみようと思います。いい機会を与えて頂きありがとうございました。ブログで紹介された酢玉ねぎ、毎日頂いてます!ありがとうございます!」
2021年09月24日
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黒人霊歌の有名な歌には、素晴らしい曲がたくさんあります。誰でも知っている曲もけっこうあって、例えば、皆が大好きな「アメージング・グレイス」も「スタンド・バイ・ミー」も黒人霊歌です。昔、私が習っていた頃のオルガンの教材の楽譜には、黒人霊歌がたくさん出てきました。私にとって、このような黒人霊歌は懐かしい曲たちです。日本で生まれ育ったのに、私の音楽のルーツが黒人霊歌だったので、それでジャズとかブルース、ファンクとか黒人音楽が好みなのだな~と納得しています。幼児体験が黒人霊歌なら、そりゃ~仕方がないですねえ。1600年代からアメリカへヨーロッパの移民と共に、彼らから奴隷としてアフリカから船に詰め込まれてアメリカ大陸へ運ばれた黒人のアフリカ人達は、当時は人間として認められていなくて人権がなかったそうです。人間ではなく奴隷なので、動物として扱われていたのですよね。白人の人々はアフリカの黒人のことを動物の一種だと思い込んでいたので、奴隷として売買して、黒人の奴隷をこき使って働かせていたのです。白人は自分達は白いから人間だと思っていて、自分達とは違う黒い肌の人種の人々のことを動物だと思っていたのですよね。だから黒人を奴隷として扱っていたのです。アメリカに連れてこられたアフリカの黒人達は、主にアメリカ南部の農園で働かせられて、死ぬまでこき使われて、自由が全くなかったそうです。アフリカ人としてのアイデンティティーを思いださせたり勇気と力をつけさせると奴隷が反乱を起こすかもしれないので、黒人の奴隷達は太鼓(アフリカン・ドラム)を取り上げられて禁止されていたそうです。太鼓を禁じられた黒人奴隷達は、仕えていたご主人様達(白人達)からキリスト教を教わり、キリスト教の信仰なら許されていました。奴隷は集会も禁じられていたのですが、キリスト教の宗教的集まりだけは許されていて、その集会のために小屋を建ててそこで集まっていたそうです。この小屋が、奴隷にとっての教会だったのですね。その奴隷のキリスト教のための小屋での集会で、黒人達がつらい耐え切れない日常生活から元気付けられるように自然に発生したのが宗教的な歌と、それに合わせたダンスです。自然発生的に、キリスト教の聖書の一節や教えを黒人の土着的な価値感に合わせて解釈しなおして歌われるようになり、それが黒人霊歌として何百年も歌い継がれてきたものなのだそうです。古い黒人霊歌の作曲者は奴隷たちだったので、作者不明なものがほとんどです。・・・・・黒人霊歌にはそのような暗い重い歴史があるのですね。奴隷だったから飼われている動物(家畜)として扱われていたため、人権がなかったし、毎日がつらくて耐えられなかったので、自然に魂から搾り出すような歌を集まって歌って、輪になって歌いながら踊り、音楽の力によって救われて、毎週の集会で音楽に元気付けられて再び毎日の労働と生活へ戻っていったのですね。「売れるため」とか商業主義とは全く関係なく、ただただ自分達が生きていくために必要な音楽として黒人霊歌が発展していったため、その中でも素晴らしい名曲は歌い継がれて残っていき、自然に数百年の間に名曲だけが淘汰されて歴史に残ったので、黒人霊歌は今でも人々の魂を揺さぶり、心に残る旋律なのですね。アフリカがルーツである太鼓を禁じられていた黒人奴隷達は、太鼓のリズムを抜きにした音楽の旋律だけでアメリカ内で黒人のコミュニティーで独自に音楽が発展していって黒人霊歌となったのですね。それで、黒人の音楽なのにアフリカンっぽいリズムが全くなくて、メロディーがメインの歌が発展したのだな~と、理由が分かりますね。黒人霊歌の歴史は軽く300年以上、400年近くあるというのに、黒人霊歌の歴史に触れると黒人達が昔は動物(家畜)として扱われていた奴隷だったということにぶつかるので、そういう内容はどうしても触れてはいけないような分野となっていて、現代では黒人霊歌についてはあまり語られることが無いのでしょうね。・・・奴隷が生きるために魂から搾り出すように歌い続けて何百年も伝わってきた歌が黒人霊歌なのだということは、日本でもオルガンを学んでいた時にその詳しい説明は一切聞いたことがなかったです。アンタッチャブルの分野なのですね。「アメージング・グレイス」など、黒人霊歌には皆の心の琴線に触れて感動的な素晴らしい歌が多いのは、その歌のルーツに理由がありそうですね。その暗い歴史のつまった黒人霊歌ですが、それが元になって後にゴスペル音楽になり、黒人霊歌をベースにしてブルースが生まれ、そのブルースからロックンロールとジャズが生まれていきました。だから、アメリカ音楽の母が黒人霊歌なのですね。偉大な音楽が、黒人霊歌なのです。黒人霊歌を抜きにしてアメリカの音楽を語れないのが現状です。私自身も私の音楽のルーツを振り返りつつ、黒人霊歌について調べて掘り下げて、学んでいきたいと思います。皆様も、黒人霊歌を少しずつ聴いてみると、元気が出ると思いますヨ☆☆☆日本の皆さんも、どこかできっと聴いたことがある黒人霊歌の中で素晴らしい曲を紹介しますね。これは、「こげよマイケル」”Michael, Row The Boat Ashore”の、ザ・ビーチ・ボーイズの録音です。1976年のレコーディングだそうです。このアレンジのバージョンは素晴らしいと思います。The Beach Boys-Michael, Row The Boat AshoreMichael row your boat ashore, hallelujahMichael row your boat ashore, hallelujahSister help to trim the sail, hallelujahSister help to trim the sail, hallelujahJordan River is deep and wide, hallelujahMilk and honey on the other side, hallelujahThe River Jordan is chilly and cold, hallelujahChills the body, but not the soul, hallelujah
2021年09月15日
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ニューヨーク出身の、世界的オルガニストのコリー・ヘンリーの紹介と動画をアップしてから、彼の音楽のルーツは黒人の教会のコミュニティーでゴスペル音楽を演奏してきたことについて考えていました。そしてふと、昔、私が日本でオルガンを学んでいた子供の頃に、教材の楽譜の中には「黒人霊歌」というジャンルがあったことを思い出しました!!!今思うと、小学校2年生くらいの低学年の時に、習ったオルガンの楽譜の曲には曲名の横に「黒人霊歌」と書いてあって、これが何のことか全く分からずに(笑)、謎に思っていたのでした。小学2年生の子供に「黒人霊歌」って言っても、もちろんさっぱりわけが分からないのは無理ないですよね~。当時、オルガンの先生に、「黒人霊歌って何ですか?」と聞いてみても、「アメリカの黒人に昔から伝わっている古い霊歌」と説明されただけだったと思います。ふう~ん・・・。「昔から伝わっている古い歌なのか~。」と、当時の2年生の私は、「黒人霊歌」について全く意味が分からないまま、オルガン曲を学んで練習して弾いていたのでした。黒人霊歌はオルガンの教材の中にたくさん出てきましたから、私は有名な黒人霊歌の曲はたいてい学んで練習して育ちました。↑・・・これって今振り返ると、私が選んで学んだ楽器はオルガンなので、黒人のゴスペルの教会で演奏されるB3オルガンの曲が多かった理由が分かりました!・・・今まであまり気にしていませんでしたが、オルガンの教材はアメリカの黒人のゴスペルのオルガン曲が多かったのは、本当に現代のオルガン曲のルーツに沿って理に適っていた選曲だったのですね!!!いや~、今まで、全く気がついていませんでした(笑)。私の幼児体験が5歳からオルガンを学び始めたことだったので、自然に黒人霊歌もたくさん教材に出てきて習って、無意識下に幼少時から「黒人霊歌の旋律とベースラインとコード進行」が染み込んで育ってきたのですね。オルガンを学ぶといきなり子供の頃でも最初から、両手と同時に左足の足鍵盤でコードのルートの音やアルペジオやオルタネーティブ・ベース、ウォーキング・ベースとかも習ってベースラインも足で弾いて、右足ペダルで音の強弱もつけるのです。オルタネーティブ・ベースが教材で出てきて習ったのは小学1年生か2年生でしたよ。当時は2年生だから意味も分からずに(笑)、オルタネーティブ・ベースっていう用語をカタカナで丸覚えしていました~。ウォーキング・ベース(左足)は小学校高学年くらいから出てきて習いました。ニューヨークに来てから知りましたが、ウォーキング・ベースってアメリカのブルースやジャズでも基本のベース進行で、オルガンやピアノの左手でも皆さんよく演奏されているベタなベースラインです。・・・これ、本当に今まで全く気にしていなくていちいち考えたこともなかったですが。私はオルガンを学んだお陰様で、音楽はアメリカの黒人霊歌の影響をもろに強く受けて幼少時から育っていたのです。知らなかったあああああ~!黒人霊歌の教材はシンプルで簡単なコード進行のものが多かったので、子供でも練習すれば弾ける曲でした。・・・私は、このような黒人霊歌がたくさん染み込んで育ったため、黒人音楽が潜在意識の底に沈みこんでいたのだな~、オルガンのせいだったのだな~と気が付きました。オルガン・ジャズやソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクなど黒人音楽が好きなのは、こういう上記のような幼児体験、育った環境、5歳からオルガンを学んだことがすごく大きく影響していたのだなと気が付きました。私には知らず知らずにオルガンの楽譜によって黒人霊歌の影響を強く受けていたことに今頃気付き、私の音楽のルーツは黒人霊歌だとも言えるのですね。今になって私の音楽のルーツに気が付いたため、気になって黒人霊歌について少し調べてみましたところ、18世紀から19世紀のアメリカで、奴隷だった黒人達が集まっていた共同体の教会で歌われて作られて育ってきた宗教歌で、昔の当時はニグロ・スピリチュアルと呼ばれていたそうです。その後、公民権運動が起こって奴隷解放が進んでからは、それはニグロ・スピリチュアルというのは差別用語となったため現在はこのように呼ばれていないですし、そう呼んではいけないそうです。・・・日本語の黒人霊歌というのはこの差別用語を日本語にモロに直訳した言葉だったのですね!!!日本語には黒人霊歌という単語が残ってしまっています・・・。これもビックリです。このような古い黒人霊歌が元になって発展して、後にゴスペルになっていったそうです。コリー・ヘンリーの音楽のルーツは、まさに上記の黒人霊歌とゴスペルなのですね!黒人霊歌とゴスペルの演奏をしてきたからこそ、2歳からB3オルガンを弾き始めて、オルガン演奏が自然に発展していったのですね。・・・オルガン音楽って、ゴスペルの伴奏でもあったのですね。そして黒人霊歌はゴスペルだけでなくブルースやジャズの母でもあるから、現在のアメリカ音楽のルーツそのものだと言えます。・・・こういうことを今一度、思いを馳せてみると、なるほど私が好きな音楽は黒人音楽が多いこととコリー・ヘンリーのオルガンが私の音楽のツボにはまることなど、点と点がつながって線になりました!!!もしオルガンを選んで学んでいなければ、小学生で黒人霊歌なんか習わないしなじみが全く無かっただろうから黒人音楽の影響は受けないで育っていたと思うし、皆と同じようにテレビから流れてくる歌謡曲を聴いていたのかもしれません。私が子供の頃からどうしても日本の歌謡曲が苦手でカラオケも苦手で全く合わなかったのは今まで理由がさっぱり分かりませんでしたが、本日振り返ってみて、オルガンを選んで学んだからその教材の楽譜は小学校2年生からは黒人霊歌が多かったということと、黒人霊歌を実際にオルガンで演奏して影響を大きく受けたのが7~8歳からなので私の魂と音感にも深く染み込んだのが早かったからだな~と気が付きました。・・・なぜ、日本で育ったのに歌謡曲が私には全く合わなかったのだろう?と謎でしたが、今、謎が解けました!!!良かったのか悪かったのか分かりませんが、アメリカに引っ越してこちらで生活しているので、アメリカ音楽が好きだったのは良かったなと思います。ニューヨークの友人達とは音楽の話が合うし、音楽好きのご縁でミュージシャンの友人も広がったので良かったです。・・・きっと、将来、海外で生活する運命で幼少時から神から全て音楽とオルガンまでセットされていたと思います。日本で学んだオルガンの教材の楽譜には、黒人霊歌の他にも、古いメキシコ民謡、ルンバ、マンボ、ブラジル音楽(サンバ、ボサノバ)、アルゼンチン・タンゴ、ハワイアン音楽、スタンダード・ジャズなどがあり、ジャズやラテン音楽が多かったです。その中で私が特に気に入って好きだったのは、ボサノバとジャズの曲でした。他に自主的に弾いてみたくて教材以外で自分で少しずつ練習していた曲は、ポール・モーリアの曲でした。小学校1年生の時にポール・モーリアの曲を知って、「きれいな曲だな~、こういう曲を弾いてみたいなあ~」と強く思い、だんだんどうしても弾きたくなったので、2年生の時に母親に頼んで楽譜を買ってきてもらいました。・・・すると、母親が楽器店でポール・モーリア・オーケストラのオルガン用の楽譜を買いたいと聞いたら、「ポール・モーリアの楽譜は上級者向けですよ!子供には難しすぎるから無理です。やめておいたほうがいいです。」などと言われ、でも娘が弾いてみたいっていうから買って帰りたいとこれこれしかじか説明すると、「ええ?2年生ですか?小学校2年生の子供には弾くのは絶対に無理ですよ~!2年生には難しすぎます!」と説得されたそうです。それでも、止められても母親は買ってくるだけは買ってきてくれました。それから、オルガンの先生にも、ポール・モーリアの曲はまだ難しすぎるよと言われました。・・・そんなに大人から寄ってたかって難しすぎるから無理って言われても弾いてみたいのに~!と思って、私はあきらめられませんでした。小学校2年生の子供は家事をしなくていいから暇だから(笑)、放課後、土日とかに少しずつ少しずつ楽譜をなぞって読んで練習してみて、左足の鍵盤は上手く届かなかったから右足で立って左足鍵盤のベースラインも弾いて、音楽をすぐ覚えていたから耳コピも合わせて、両手と左足を同時に弾けるようになりました。最初に弾いてみたのは「薔薇色のメヌエット」で、それから次々にポール・モーリアの楽譜集を少しずつ勝手に長時間練習し倒して、何曲もたくさん弾けるようになりました。↑それから、弾けるようになった曲をオルガンの先生に弾いてみたら、「ええ~!自分で全部練習したの?すごいねえ~!次の発表会はポール・モーリアの曲にしましょうね!」とすごくビックリ仰天されてひっくり返ってしまいました。・・・子供って「難しすぎる」っていう先入観が無いし、時間がたっぷりあって暇だから(笑)、大人達が思っているよりもチャレンジ精神があって少しずつ練習したら小さい子供でも何でも出来るようになるのですよ。私の体験から学んだことで、真実です。この当時のことを振り返ってみると、オルガンの教材の順番で、5歳から始めて数年後の小学2年生からは黒人霊歌がたくさん楽譜で出てきていたので、黒人霊歌はシンプルでコード数も少なくてリズムもゆっくりだから弾き始めの子供でも弾きやすい曲なのでしょうね。前回掲載しました、コリー・ヘンリーの4歳の時の映像を観ると分かりますが、彼のご両親や周りの大人達はコリーのことを「2歳の子供にはオルガン演奏は無理だ」とか「4歳で教会でオルガン演奏の本番をやらせるのは無謀だ」とか全く考えずに、「コリーちゃん、才能があるじゃないの!すごいねえ。ぜひ弾いてくださいね!」と道を開いて機会を与えてあげて、8曲弾けるようになったばかりだった4歳当時でも「マスター・ヘンリー!」と周りが呼んで褒めて本人のやる気と才能を伸ばしてあげたのですよね。コリー君のご両親がすごいですね。子供扱いしなかったのですよね。最初から一人の人間として扱っていて、お母様は子供用の童謡(ABCの歌とか)を教えたのではなく、2歳で最初からいきなり「アメージング・グレイス」を教えたのですからね。子供の可能性と限界をナメたらいけないのだと思います。子供のほうが「難しすぎるからあきらめよう」という先入観が無いので、「うわ~!ステキな曲だな~!私も弾いてみたいなあ~!」と素直に感動してしまって、やってみよう練習してみようとするのだと思います。コリー・ヘンリーも、もし周りの大人達が「この曲はまだ2歳児には難しすぎるから、もっと簡単な子供用の曲から練習しなさい」という順番でやっていたら、今のコリーみたいには究極的に世界一の難易度の弾き方までには到達していなくてごく普通のオルガニストになっていたのかもしれません。大人が子供の限界を勝手に限定して抑えて子供用のことを教えるというのは、子供の無限大の可能性をつぶしてしまうからもったいないことですね。ぜひ、親御さん達は、小さな子供が興味を示してやってみたいということは、難しいことでもやらせてあげたらいいと思います。↓参考に。コリー・ヘンリーが教会のゴスペル音楽の伴奏をしている映像。ノリノリで熱い魂の叫びのようなすごいゴスペルですね!!!このオルガン伴奏も普通ではなく、すごすぎます!!!会場の皆の魂に火が点きますね!
2021年09月12日
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さて、前回続きです☆ニューヨークの天才オルガニスト(現在のオルガニスト世界一!)のコリー・ヘンリーの、4歳の時の演奏している映像が残っているので、それを紹介しますね。彼は幼少時から、ブルックリンの教会で、毎週B3オルガンでゴスペル音楽の伴奏をしていたそうです。これはその時の演奏の映像です。彼のドキュメンタリー番組の一部分に、この映像が組み込まれています。彼のお母様がいくつかの楽器の演奏家でB3オルガンも弾いていたそうで、彼が2歳の時からご自宅にあるB3オルガンの横に座って弾き方を教えたそうなのです。初めてお母様から習った曲は、アメージング・グレイス!!!だなんて、それこそアメージングやわ!!!さすが、ゴスペルはブラック・カルチャーやわ!!!お母様が小さい子供のコリーにも弾くことが出来るように鍵盤に指が届くようにアレンジしてくれた音を習って、練習を積んだそうです。お母様もすごい、素晴らしいですね!!!お母様からの英才教育のお陰様で、その甲斐あって、コリーの才能が開花されたのだなとよく分かります☆ご自宅にB3オルガンがあったこと、お母様がオルガニストでもあったことがご縁で、その環境でお母様のところに生まれたコリーの才能が早期から開花していったなんて、育つ環境って影響が大きいですね。アメリカでは普通のお家にはB3オルガンなんてありませんし、弾いたことがある方は極少数派だからどうやって使って弾いたらいいか(?)ちまたのお母様達は普通は分からないですから、もちろん自分の子供にオルガンでアメージング・グレイスの弾き方を教えることは無理で出来ないですよね。・・・そういうことをいろいろ考えたら、コリーは特殊なお母様の教育の影響で発展していったのだな~と、なんだか感慨深いです。ちょっと運命のボタンが掛け違ったら、別のお母様のところに生まれていたら、コリーはオルガンを弾いていなかったかもしれませんから、こういうことはすごく運命的ですね。楽器もそうですが、何事も、幼少時から始める英才教育は大切で、眠っている才能を開花させるきっかけになりますし、基礎的なことですね。一説によると、7歳までにやり始めて身に付けたことは消えないで、忘れないし、失わないで残るそうです。・・・私も5歳からオルガンを学び始めたし15年はレッスンと修行を続けたので、今でも音楽は身体に残っていて失っていないですし、長い間封印していたのに演奏に戻れたし、未だに指が動いて弾くことが出来ています。音楽は私の人生にとって大切’なものです。この言い伝え(7歳までにやり始めて身に付けたことは消えない)は、私の場合も音楽の体験で本当にそうなのだな~と実際に実感しています。例えば、日本人が海外に住んでも日本語を忘れないことや、お箸の使い方を忘れないことや、自転車の乗り方を忘れないことと同じですよね~。そして、この映像でちらっと分かりますが、4歳のコリーを取り巻く周りの大人達は、教会の方々もご両親もご家族も、皆で温かく彼を見守って才能を育てて毎週教会で生演奏する機会を与えてあげて、「マスター」と呼んで励まして、彼を引っ張り上げていたのだな~と、気がつきます。才能がある人を「素晴らしい!」とか「神が彼に才能を与えた!」と褒め称えて大事にして機会を与えて上に引っ張り上げるところは、とってもアメリカらしいです!!!彼は4歳ですでに「マスター・ヘンリー」と呼ばれていたのですね!映像のヘンリーは可愛らしいうえ、すでに自信満々で楽しそうに堂々と演奏なさっていますね。すごく可愛いので、皆さんも和んでくださいね~!!!この4歳児が後に世界一のオルガニストになっていったなんてすごい記録ですし、この映像を観ると今の面影がありますし、これは彼の原点ですね。Gotcha Now Documentary: Part 1 (The life & music of Cory Henry)そして後に成長して、最近のコリー・ヘンリーの演奏☆公式チャンネルより☆☆☆す、す、すごすぎる!!!楽しそうですね~!とっても勉強になります!!!Cory Henry "The Revival Project"
2021年09月09日
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私が演奏する楽器はピアノではなくてオルガンなのですが、子供の頃からピアノよりもオルガンの音色が大好きで、1日何時間も練習していたこともありました。特に、両手で演奏しながら、左足でベースラインを弾きながら、右足でペダルを使って強弱をつけて音を表現するという楽器の構造も好きで、日本にいた時からオルガンの巨匠のジミー・スミスを崇拝していました。オルガン・ジャズのジャンルを作ったのはジミー・スミスなので、後世のオルガニストでジミー・スミスの影響を受けていない人はいません。鍵盤楽器というとピアノが主流な中、私はピアノよりもオルガンのほうが好きなので、本日は、前から私が注目しているオルガニストを紹介します。鍵盤楽器の中では、ピアノ人口のほうが大多数ですよね。・・・オルガン人口はすごく少ないと思います。私の周りでも子供の頃からピアノを習っている人はのもすごく多かったですが、オルガンを習っている子供はほとんどいなくてすごく少なくて、私は音楽の面ではいつも孤独でした~。・・・学校ではジミー・スミスが好きな子供が1人もいなかったし、私は歌謡曲は聴かなかったですし、学校では全く音楽の話が合わなかったからいつも音楽の話になると黙っていました~。昔は、学校でも、同じクラスで生徒45人くらいのうち15人位は、3分の1の生徒はピアノを習っていたような割合で、けっこういましたね。お母様が昔子供の頃からピアノを習っていた友人多かったですし、お母様がピアノ教師の友人達も結構周りでいましたよ。女子達はもちろんのこと、クラスの男子達も大勢、ピアノを習っている子が多かったです。(・・・もしかして近所に宝塚歌劇団があったし、1軒家が多いベッドタウンの宝塚市だったからかな?地域の環境の影響かな?日本全国では一般的ではないのかな???)その中でごく一部の方々が音大へ進みましたが、ほとんどは普通の大学の学部へ進学していて、音楽は趣味でやっている感じでした。もしかして今思うと、その頃は、親が子供に文化的な習い事をさせていたご家庭が多かった良い時代だったのかもしれないですね。・・・ですから、日本ではオルガン音楽にはあまりなじみが無いかとお察ししますので、現代のニューヨークの素晴らしいオルガニストを紹介しますね☆私が前から注目しているのは、ニューヨークのブルックリン出身の世界的オルガニスト(オルガン奏者)のCory Henry(コリー・ヘンリー)です。彼の演奏は本当に楽しそうで、全身がオルガンと一体化していて、神とつながって演奏しているのが良く感じられるような神々しいオルガン演奏です。もともと、ブルックリンの教会で毎週ゴスペル音楽のオルガン伴奏をして育ってきたそうです。彼をオルガニストとしてとても尊敬しています☆彼のとっても楽しそうな神々しい演奏の影響で、私も再び、オルガンを演奏したいな~という思いが募って、また演奏と練習を再開するようになりました。(ニューヨークの自宅なので家具みたいな巨大なオルガンではなくて(笑)、キーボードと右足強弱ペダルと両手だけで演奏していますが。)前に書きましたが、私の師匠である世界的ジャズ・ピアニストのウィル・ブールウェアがコロナの影響でメイシオ・パーカーの世界ツアーが全てキャンセルになって時間がたっぷりできたから、そのお陰様で教えていただいています。私の人生で音楽もあったことは、世界が広がりましたし、音楽をきかっけに友人も増えましたし、精神衛生上も気分転換できるからとてもよかったです。私の日常生活と仕事にも音楽は活力を与えてくれて、ありがたいものでした。音楽好きすぎるので(笑)、私にとって音楽は人生で切り離せない大切なものです。素晴らしいオルガニストのコリー・ヘンリーの演奏をいくつか、動画をはりつけますね~!日本の皆さんにも、オルガンの良さを知っていただけたらいいなと思います。リフレッシュにどうぞ☆☆☆彼は神とつながっていて神々しい演奏です☆演奏の波動が最高に良いです☆☆この演奏のお手本を見ると、ピアノとオルガンは全く別ものであること、演奏のコツが違うことが分かると思います。ピアノからオルガンへ転向するのはなかなか難しいです。鍵盤の押さえ方や強弱ペダルの使い方が全く違うからなのです。オルガニストは鍵盤を指を全部スライディングして、次の音を鳴らすまでなるべく音を切らないように押し続けながら、指を移動して鳴らす感じが多いですよ。音を切ったらダメなのです。わざと音を短く切るところもありますが、ほとんど、音を切らさないようにつないで鳴らしていきます。だからオルガンはピアノとは弾き方のコツが全然違います。私はオルガンが大好きなので、楽器はオルガンを選んでよかったな~と思います。
2021年09月07日
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オーダーメイド・ジュエリーのお客様からのお便りの一部分を掲載します。お得意様のお客様です。オーダーメイドのお客様限定で、CS(カスタマー・サティスファクション)の一貫として様々な上質なジュエリー関連のものをご優待販売の企画をさせていただいています。お客様に喜んでいただけて嬉しいです。>「お盆はずっと大雨で実家に帰省することが出来ませんでしたが先日、やっと帰り母に真珠ネックレスを渡すことが出来ました。突然のプレゼントにとても驚いており、すごく喜んでいました。真珠の輝き、大きさにすごくビックリして「高かったんじゃないの?」と何度も聞いていました。美しい大粒真珠に恐縮しつつも早速、装着してくれました!母にとても良く似合い、遠くから見てもとてもキラキラ輝いてオーラを発しているようでした。包装されていた小袋も「素敵ね」ととても気に入っていました!真珠を嬉しそうに何度も眺めていたので私も嬉しかったです。素晴らしい商品をご提供頂いたブルーシャ様には心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。母にとって大切な宝物になったようです。あのような美しい大粒真珠は店頭ではなかなか見ることは出来ないので手にとって親子で感動していました!ブルーシャ様から購入出来て本当に良かったです。また、ブログを拝読いたしました。遅ればせながら「酢玉ねぎ」のことです!私は好き嫌いは殆ど無いのですが、唯一「生の玉ねぎ」が苦手でした。玉ねぎの辛味が苦手で、水に何度も晒したり繊維を断ち切って食べたこともありますが微量な辛味に反応して無理やり食べたり結局炒めたりという始末でした。新玉ねぎですら生は苦手でした。どうしても吐き気がしてしまって受け付けないのです。ところが、ブルーシャ様のレシピ通りに作ってみると辛味がなく、しかもとても美味しくてビックリいたしました!玉ねぎの成分を余すことなく摂取でき、しかも美味しいとは・・感動です。早速、毎日食べています☆私は甘い方が好きなので、生蜂蜜を入れて甘酢風にしています。情報を共有頂いたブルーシャ様、お料理の妖精様、ありがとうございました!妖精さんにはお礼をお伝えくださいませ。」(以下、 ブルーシャ記す) こちらこそ、いつもご贔屓くださいまして、ありがとうございます。 喜んで下さり嬉しいです。お母様にもお気に召していただけて、お似合いとのこと、私も嬉しいです。 今回は、私のお客様が、お母様のプレゼントとして何か宝飾品が欲しいというご注文をいただき、まずご予算をお伺いして、何かとっておきの良い物をご用意したいなと思いながら在庫を確認して、いくつか候補をお選びしておすすめしました。 その中で、超大粒のピンク系のマルチカラーのバロック淡水真珠のネックレスをお選びいただきました。(それプラス、お客様用の水晶クラスターもご注文いただきました。こちらも喜んでくださいました。日本の市場よりは安めのお買い得価格で良いものをご提供できました。) このピンク系真珠のネックレスを私もネットでも確認してみましたが、このサイズは売っていなかったです。どこにもありませんでした!サイズは、たしか、センターは15mm位はあったと思いますので、お買い得価格でご提供できてよかったです。超大粒です。傷とかエクボもほとんど見られない上質なものでした。 以前、ピンク系の真珠の上等な連をまとまった数を手に入れたので、そのネックレスをお客様御優待企画で大量にご用意したことがございまして、その時に多めにネックレスを組んで在庫をたくさん作ってストックしておいたのです。 このようなレアで上等な真珠の連は出会いなので、在庫がある時にまとめて仕入れして連をネックレスに組んで、保管しています。欲しいときに探してもなかなか無いです。 バロックでピンク系のマルチカラーでしたら、1色で連をそろえたものよりも若干、手に入りやすいです。色を1色に真珠サイズもそろえたものは、さらにレアで手に入りにくいです。 また、普段真珠を収納するのにも使える大きめの巾着袋を包装に選びましたが、真珠の色にあわせてマゼンダカラーのものを選びました。お気に召していただけてうれしいです。 ピンク色一色の真珠のネックレスが欲しいというお客様も時々いらっしゃって、きれいなピンク色の真珠のネックレスは人気がありますが、品物がなかなか無いのです。 またピンク色の真珠のネックレスの企画も続けようと思っていますので、気になるお客様はお気軽にお問い合わせ下さいませ(オーダーメイド・ジュエリーのお客様ご優待ですので、ご注意下さいませ。)。 さて、また酢玉ネギのレシピと情報も、喜んでくださり嬉しいです。お役に立ててよかったです。 お料理の精霊さん(神からの直結の天啓だと思います)にも、お礼をお伝えしておきました。 このお料理の天啓は、毎日料理中に私につきっきりでなだれのように天から送られてくるのです。昨晩は久々にパエーリャを作りました!とっても美味しかったです!!!・・・スペインに住んでいた時から作っていましたが、ニューヨークでもパエーリャ鍋を持っています(笑)。←料理好きすぎてほとんどビョーキですね(爆)。(パエーリャ鍋は一般的ではないからあまり人々におすすめできないですが。) 玉ネギは、お客様がおっしゃるとおり、私も全く同じで、サラダに入っている生玉ネギが辛くて苦手で、食べると後で胃腸がムカムカしてくるので、今までずっと抜いて食べていたくらいです(笑)。 生玉ネギは、私の胃には成分がきつすぎるようでムカムカ気持ち悪くなるので、ずっと苦手だったのです。 それなのに、今年春くらいからずっと、「生玉ネギを食べるように」と神からの直結の天啓があって、辛くない調理法を教えてくれたので、ずっと自分だけで作っていたのです。 でも、「苦にならずに美味しく毎日食べられるから私だけの情報に留めていたらもったいないな~」とフツフツと思い始め、「多くの人々にも役に立つ素晴らしい神情報だから広くシェアするほうが喜んで下さる人々が多いだろうな~」と思い、人々にもお知らせすることに決めたのです。 その結果、多くの人々に喜んでいただけてうれしいです。 この情報は公開して本当によかったなと思いました。 こちらこそいつもありがとうございます。
2021年09月05日
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ハリケーン・アイダの被害、洪水、冠水の陰に隠れて、ヒタヒタと押し寄せる次の危険についてニュースを貼り付けます。ニューズウィーク日本版より。「インドで謎のウイルス性熱病が流行、1週間で68人が死亡、子どもが9割で「すぐ死ぬ」」https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/09/168.php「新型コロナウイルスよりも恐ろしい症状で、感染するとすぐに死亡する」という次の生物兵器のことを聞いたことがあるのです。・・・このニュースでそれをはっと思い出しました。こんなウイルスがヨーロッパ、アメリカ、日本などにも上陸したらと思うと、用心するに越したことはないですよね。・・・こんな急速にすぐ死んでしまう症状では、進行が早すぎるから、すぐに薬を飲まないと助かるには間に合わないのではないかと思いました。いざという時のためにも、ウイルス対策と治療に適切な薬が手に入りやすい世の中になってもらいたいと思います。例えば、ニューヨークのアメリカ人の友人(医療関係者)のご家族がコロナに感染して酸素濃度が極端に低くなってしまって危なくなり、もうのどに穴を開けて人工呼吸器をつけなければならない時に、コロナが治る可能性が高い薬が特別にどこかから回ってきて手に入ったそうなのです。それで人工呼吸器をつける前に、いちかばちかその薬を使ったら、あっという間に症状が治まり、2日間で治ったそうですよ。・・・解毒剤のことですかね?さすが業界の医療関係者、コネで何でもあるのが世の中なのだなと見せつけられました。本当はそんな薬が世の中には密かに存在するのですよね。しかし、実際は世の中では、コロナには有効な薬が認められていないですよね。ニューヨークであんなに大勢の人々がコロナで亡くなったのに・・・。どうして世の中の仕組みはこうなのでしょう???有効な情報が全て、多数の一般の人々のもとには届いていないのですよね。・・・そんな中、やはり持つべきものは友人ですね。今後、この記事のようなコロナよりもさらに強い、すぐ死亡するウイルスが広がってきて、さらにあちこち洪水の水害で冠水して道路も鉄道も冠水で封鎖したら、もちろん流通は止まっていってしまいますよね。流通が止まり始めたら、トラックは動かないと物資を運びにくくなって、物流が動かなくなり始めますよね。物流が止まってしまうと、あちこちの地域へ物資や食糧が届きにくくなりますね。もしさらなるウイルスの出現と災害水害などで物流が止まり始めたら、食糧難はありえますね。皆様も、助け合って情報交換をして、引き続き用心なさってくださいませ。
2021年09月03日
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日本の友人から昨晩、「NYが洪水ですごいみたいですが、大丈夫?」と連絡があって、ハリケーンでそんなひどい被害になってるのかな?とビックリしました~。以前書きましたが、もともと私は2003年くらいの神からの天啓で、「ニューヨークの海抜の低い地域であるブルックリン、クイーンズ、マンハッタンの一部には住むな!海抜が低い所は海抜3mくらいしかないから何か嵐になるとすぐに簡単に洪水被害を受けやすい土地の構造だ。だから早めに海抜の高い地域に引っ越して住みなさい!!!洪水や冠水の災害があると、いざとなるとブルックリンとクイーンズとマンハッタンは島だからその関門である橋が全て閉じられるから、そこに住んでいると中に閉じ込められてしまって出れなくなります。すぐに大陸へ移動して避難できる場所に住みなさい!!!」・・・という強い衝撃的なメッセージがしつこく詳しく何回もあったので、ニューヨーク移住当初はマンハッタンのアッパーウエストに住んでいたのに(!)、ニューヨーク市内でできるだけ海抜が高い場所にわざわざ2004年に引っ越しなおしました。この「神からの天啓」はあまりにも内容と対策が詳しすぎて驚くとともに、理に適っていたし、納得して素直に従いました。有無を言わせないような詳細すぎる内容は天啓の特徴ですので、皆様もご自身の内在の神からの天啓を受け取る際に、ご参考くださると嬉しいです。・・・ニューヨーク市の関門の橋という橋が全て閉じられて中に閉じ込められる日が来る・・・という啓示は、少し先の未来でニューヨークで実際にありそうですよね。それまでの時期に、皆様にも気をつけて備えておいていただけたらと思います。その神からの天啓に従ったので、お陰様で、”ニューヨークが洪水被害?地下鉄冠水?道路も冠水?”っていう様子が全く分からなかったくらい、自宅付近は全く被害が無くて、なんともないです。昨晩も、「ちょっと大雨がすごいなあ~」という程度でした。頑丈な古いビルディングなので、窓からの浸水とか雨漏りも全くなくて、うちの中は安全で静かなものでした。ですから、日本の友人からメッセージをもらうまで、ニューヨークの洪水被害に気付いていなかったです。ニューヨークにも警報と非常事態宣言が出てたのですね。それほどひどい要注意のハリケーンだったのですね。ニューヨークにハリケーン・アイダが上陸時は、ハリケーンが弱まってトロピカル・ストームに変わっていたのに、こんな被害になったのですね。たしかに、地下鉄は全面運行停止しています。地下鉄が冠水してる所が多いみたいなので、復旧はしばらくかかりそうですね。身近な友人達とは連絡とってますが、私の周りでは自宅が被害に見舞われた人はいないです。ほっとしました~。・・・・・ところで、最近、ニューヨークの治安が悪くなってきていて、アジア系の人々に人種差別のヘイトクライムが増えてきているということを書き込んだところ、驚かれたお客様達から連絡をいただきました。邦人がなぐられて怪我したり、アジア人が黒人女性にハンマーでなぐられたりした報道が日本でもあったそうですね。おっしゃるとおり、ニューヨークは治安が悪化しています。友人達と治安についての最新情報を連絡しあって、気をつけて暮らしています。なるべく地味な格好をするように気をつけています。今年初夏くらいに、ニューヨークの日本国総領事館からの邦人へのお知らせの情報の一部を、抜粋して掲載しますね。これを読むと、ニューヨークの治安が悪化している状況、アジア系の人種が襲われやすい状況が分かると思います。「過去の治安の悪かった時期の地下鉄と比較すれば、ニューヨークの地下鉄の安全性は向上しておりますが、駅や電車の乗客、利用する時間帯等によって危険性の度合いは随時変化しております。特に薬物中毒を患っている可能性のある人物等が付近に居る場合は、思わぬ被害に遭う可能性があることを常に意識しておく必要があります。在留邦人の皆様におかれましては、人の少ない車両に乗車する際は、乗務員の有無や同乗者の様子などを確認して、不審な人物等を確認した場合は車両を移動するなど、御自身の安全を守る行動を優先するよう心掛けてください。また、駅のホームでも同様に周囲の状況に注意し、駅職員から見える壁際やMTAのサインボード近くで待つようにしてください。地下鉄やバスでの注意点:・人の少ない時間帯は、ホームの指定された場所で車両を待ち、乗員の乗っている車両を選んで乗るよう心がける。バスを利用する際には、なるべく前方の座席に座る。 ・特にラッシュ時の電車やバスの車内では、常に所持品を意識する。 ・宝飾品や現金を見せないように注意する(強盗犯になる可能性のある者を刺激しない)。・単独での地下鉄利用はできるだけ避け、特に夜間は利用者の少ない駅には近づかないよう注意する。・地下鉄は可能な限り避け、バスの利用を推奨する(シティバイク等も有効な移動手段)。」・・・以上です。上記のシティバイクというのは貸し自転車のことで、街中に駐輪所があって移動と駐輪できるので自転車を持って移動しなくても便利とされていて、月額とかでも借りられる自転車の仕組みです。友人はシティバイクを使っている人も何人かいましたが、便利で地下鉄よりも安いと言っていました。でもコロナ以降は、不特定多数の人が触って使うものはウイルスが付着しているかもしれないリスクがあるので、なかなかシティバイクは使いにくいですよね~。でも自転車を推奨するくらい、地下鉄の治安は悪化していて、最近人が少ない時間帯には殺人事件も何件かありました。私も出かける日数を減らしていますし、出かけても早めに、日が落ちて暗くなる前に帰宅するように気をつけて暮らしています。皆様も、常に神からの天啓に従って、用心してくださいませ。
2021年09月02日
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