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【刑事コロンボ 刑事コロンボ 〜指輪の爪あと〜】「車を見ていると思い出します。子どもの頃は悪ガキだったもんで、よく車にイタズラしたものです。ポテトを排気管に突っ込むと、エンジンが止まるんですよ・・・酷いでしょ? 私はね、子どもの頃、悪さをした償いに警官になったんです」『刑事コロンボ』のスゴいのは、やっぱり出演者にあると思う。〜指輪の爪あと〜を見たとき、「あれ?この人どこかで見たことあるなぁ」と思ってマジマジと見てしまった役者さん。それは、被害者であるレノーラの夫役ケニカット氏を演じた御仁である。この役者さんの存在感はフツーじゃないと思った。そう、オスカー俳優のレイ・ミランドである。ヒッチコック作品の代表作でもある『ダイヤルMを廻せ』に出演し、犯人役を演じた人物である。〜指輪の爪あと〜においては、犯人役ではなく、被害者の夫という立場で、脇役として好演しているが、レイ・ミランドのあまりの存在感に、犯人役のロバート・カルプが霞んでしまっている(?)なんならいっそのこと、脚本をチョイチョイと手直しをして、レイ・ミランドに犯人役をやってもらえば良かったのに、と思ってしまうほどだ。『ダイヤルMを廻せ』では、グレース・ケリーと共演したレイ・ミランドだが、当時は若くて知的な雰囲気をかもし出しており、とてもじゃないが『刑事コロンボ』に脇役として出演するような役者さんには思えない。その一点だけを取っても、〜指輪の爪あと〜は貴重な作品であると言える。※『ダイヤルMを廻せ』は、当ブログにおいて、ヒッチコック作品というカテゴリに作品の紹介をしているので、こちらと併せてご覧ください。ストーリーは次のとおり。さる探偵社に、マスコミ業界に顔の広いケニカット氏が訪れた。対応したのは探偵社の代表であるブリマーだった。ブリマーは笑顔でケニカット氏に言った。「奥さんは浮気などしておりません。清廉潔白ですよ」と。実はケニカット氏は、若くて美人の妻であるレノーラの素行調査を依頼していたのだ。ブリマーから妻の素行に何の問題もないという調査資料を受け取ったケニカット氏は、安堵して部屋を出て行った。その背中を見送ったブリマーは、すぐさま隣室に移動すると、問題のレノーラに向かって取り引きを持ち掛ける。レノーラは、ブリマーが夫に「奥さんは清廉潔白です」というウソの報告をした一部始終を隣室で聴いていたため、一体なぜブリマーがこんなことをするのかと、半ば混乱してしまう。実際には、レノーラはゴルフ教室のインストラクターと浮気をしていたからだ。だがブリマーから持ち出された取り引きで、自分の浮気をネタに、夫の情報を得ようとしていることを理解した。その晩、レノーラはブリマーの別荘を訪れ、改めて取り引きには応じないと宣言した。さらには、ブリマーの虚偽についても夫に報告すると言い出した。例えそれによって離婚されようとも、自分の口から全て本当のことを話すと、開き直った。これに慌てたのはブリマーだった。自分の目論みがはずれ、窮地に立たされてしまったからだ。ブリマーは思わずカッとなり、レノーラを顔面から殴って殺害してしまうのだった。今回の作品は、珍しくも犯人が突発的な犯行で相手を殺害してしまう。これまでのコロンボシリーズは、犯人が綿密な計画を立てて、半ば完全犯罪のような形で殺害に到るというパターンなので、今回はイレギュラーとも言える。レイ・ミランドの出演でヒッチコック技法を思いついたわけでもないが、ブリマーのかけているメガネのレンズに、殺害工作シーンが映し出されているところがおもしろい!これはちょうどブリマーがレノーラを殺害してしまった直後のシーンなのだが、ブリマーの顔がアップにとらえられ、そのメガネの左右のレンズに隠蔽作業が映し出されるのだ。これは、ヒッチコック的なニオイがして、多いに高揚感味わうものだった。私が『刑事コロンボ』を大好きになった理由は、こう言うヒッチコック作品へのオマージュ的なものがあるのも一つかもしれない。1971年放送【監督】バーナード・コワルスキー【キャスト】ピーター・フォーク、ロバート・カルプ、レイ・ミランド
2023.03.25
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私はすでに高校生のときから花粉症と付き合っています。あのころはよく分からず、単なる鼻炎かと思って、市販の薬局で薬を買ってはどうにか乗り越えていました。それがきちんと花粉症だと分かったのは社会人になってからです。それからはお花見も控え、自然の多いところにも行くのはなるべく避けるようになりました。だからこれまで、春は心浮かれるような季節であるにもかかわらず、憂うつでしかありませんでした。ところが加齢とともに、いろんな過ごし方があるのだと気づき始めるのです。「オレは花より団子だなぁ〜」と、テレビの開花情報を見ながらつぶやく息子。「わざわざ混雑したところに行って、花見もクソもないんじゃね?」ふむ、それはそうだろう。しかし、世の中にはそういう賑やかなところが好きな人はいっぱいいて、そこで露店とかを商う人たちは、一年分の生活費を稼ぐものなのだと諭すと、やっと納得してくれました。「じゃあさ、オレも経済を回す一員として、旨いもの食いたい」咲き誇る桜を愛でる人たちが大勢いることは認める。だが自分に必要なのは、眺めるだけで完結してしまう花ではなく、己の腹を満たしてくれる美味しいスイーツなのだ、と息子は言いました。私は久しぶりにデパ地下へ行って来ました。平日にもかかわらず、あの熱気!コロナで閉塞感を味わった人々が、春の陽気に誘われて、気も緩むし財布の紐も緩みます。化粧品のコーナーではクリニークが人気で、フレッシュマンらしき女性に、メイクのコツを伝授していました。ロクシタンの店先には、ハンドクリームやらオーデコロンの匂いをクンクン嗅いでいる若い女性の後ろ姿が何とも可愛らしい。何かお好みの一品が見つかると良いのですが。年齢を重ねたご婦人に定評があるのは、やっぱり資生堂。洗練されたマダムを相手に、親子ほど年の違いそうな美容部員が、朗らかに対応していました。こう言う活気のあるフロアは本当に居心地が良いものです。買うのは食品と決めていたので、化粧品には手を出しませんが、私のような存在は、ある意味、良き〝サクラ〟になったのでは?と思われます(笑)さて、目指すは地下の食品売り場!いや〜驚きましたよ、はい。ものすごい人・人・人!!経済がきちんと回っているのだと実感するワンシーンです。今回は本当に悩みました、どこのお店で買ったら良いのかと。まずは創業明治4年の又一庵。本店は静岡県磐田市にあり、特にきんつばで有名な和菓子店です。この時期は、桜きんつばが飛ぶように売れているのです。(春季限定)他に桜餅、うぐいす餅などがショーケースに並んでいました。次に浜松文明堂。こちらも歴史は古いのですが、もともとの長崎文明堂から横浜へ本店を移し、さらに昭和に入ってから静岡県磐田市にある工場へのれん分け(?)のような形で設立されたのが、浜松文明堂とのこと。この時期イチオシなのが、いちごカステラです。正に「春めく気分のカステラ」で、色味がピンクで本当に可愛い!もちろん期間限定なので、今が買い時です。他に〝ちゃころん〟という商品もあります。これは一般的に〝鈴カステラ〟と呼ばれるお菓子ですが、一風違うのは、静岡茶が練り込まれているせいか、色がうぐいす色をしているのです。一口サイズだし、甘さ控えめとあって、これはあとを引きます。一個二個食べただけでは止まらないので困ります(笑)そして大本命は春華堂。創業明治20年の老舗で、うなぎパイが有名です。春華堂はいつ行っても大人気!!地元民から愛されている証拠です。和菓子・洋菓子どちらも好評で、何を選んでもまず間違いはないのですが、やっぱり桜の季節なので、「季節の妙」を堪能したくなるのです。悩んだ末、春華堂に決めました!購入したのは桜餅¥162(税込み)「これ、本当におもち⁈」と思うぐらい、クレープみたいな薄い皮にこし餡が包まれています。いまどきの餡は、本当に甘さが控えられていて、昔みたいな甘ったるさがまるでないのです。巻いてある桜葉も、塩味がきいていて、きちんと主役としての存在をアピールしていました。さらに私は、二色団子も購入しました。¥162(税込み)これも春めいていて、ショーケースの中で輝いていました。桜色の団子には白餡、よもぎ団子の方には粒餡が入っていました。この彩りが何とも上品で美しい。もちろん、美味しいに決まっています。これらの美味しいスイーツは、おそらく皆さんの地元にあるデパ地下や和菓子店で、様々な工夫を凝らした商品としてショーケースに並んでいることでしょう。どうか、コロナ解禁のお祝い(?)として、季節のお菓子をお求めください。そしてご堪能ください。日本人に生まれて本当に良かったと、実感せずにはいられませんから!ちなみに上記の2点の和菓子以外に、うなぎサブレチョコ(6枚入)¥810(税込み)も購入しました。※筆頭管理人より筆者はウナギのエキスを期待したようですが、その効用や如何に⁈なお、春のお菓子でご満悦の筆者ですが、筆頭管理人へはお裾分けの一つもありませんでした、嗚呼(>_<)
2023.03.18
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【刑事コロンボ 刑事コロンボ 〜構想の死角〜】「(何度も)しつこくて申し訳ありません。(あなたのおっしゃりたいことは)わかっています。根ほり葉ほり伺ってしまい・・・本当にすみません。(でもこれは)私の性分でしてね」人にはそれぞれ役割というものがある。例えば漫才師などは、ボケとツッコミという役割があって、どちらか一方でも欠けたら漫才は成立しない。たいていはコンビのどちらかがネタを考える役割を担っている。だからネタを考え、台詞が書ける側というのは、ある意味、漫才コンビを存続していく上での要でもある。そんな、マルチな才能を持つ芸人なら、漫才師という枠に留まることなく、放送作家や脚本家などに転身することが可能であろう。しかし他方で、漫才師のボケ役、あるいはツッコミ役としてそこそこの芸を持っているとして、ネタを考えない側、台本を書かない側はどうなんだろう?〝つぶしがきかない〟と言われるが、仕事を選ばなければ何とかなるようだ。コンビを解消したあとなど、飲食店を開業したり、介護ヘルパーになったり、ハウスクリーナー業を営んだりと、いろいろだ。それでも一度は華やかな芸能界の空気を吸った人にとっては、一般人のレベルにまで落ち着くのは、なかなか勇気のいることなのではと想像してしまう。そんな折、私は『刑事コロンボ』〜構想の死角〜を見た。これは、コンビを組む推理作家の一人が、独立したいと言い出したことから事件が起きる。ストーリーは次のとおり。ベストセラー作家として大成功をおさめたケンとジムは、表向きは二人で推理小説のネタを考え、完成させていると思われていた。だが実際にトリックなどを考え、文章として書き上げているのはジムだった。一方、ケンはその明るく社交的な性格から、マスコミの取材や、出版社との交渉など、営業面を担当していて、小説は1行も書いていなかったのだ。ある日、ジムはコンビを解消したいと言い出した。ケンはそれに対し、素直に頷くわけにはいかない。ジムの書く小説のおかげで、これまでの贅沢三昧な生活ができたわけで、コンビが解消されてしまえば、ケンの役割は一切なくなる。つまり、身の破滅を意味するのだ。ケンは、別荘やら車などの購入に金づかいが荒かった。借金もあった。ここは一つ、ジムに多額の保険金をかけて、死んでもらうしかない。受取人はもちろん自分である。ケンは、一世一代のトリックを仕掛け、ジムを殺害するのだった。この作品を見て思ったのは、やっぱり人は身の程をわきまえることが大切だ、というもの。もし自分が誰かの才能や技術に依存して成り立つところにあるとしたら、一刻も早く、己の立ち位置を見直さなくてはならない。あるいは、自分の役割を相手の才能の一部として組み込んでしまう仕組みを作ることだ。そうすることで、いざ相手が独立を目論んだとき、一人ではどうすることもできない状況となる。つまりは二人がお互いに足枷となり、故障のない限り、半永久的に歯車となって動き続けてゆくのだ。だが、たいていの人間は欲の塊であり、業の深い生きものであるから、利益は全て我が物にしたい。身の丈以上の利潤追求したところで、人は人でなくなる。例えばドラマ中に殺害されてしまうジムは、作家として成功したし、結婚もして前途洋々。だが、このままの状態が続けばギャラは相変わらず折半だし、もう我慢の限界に近いところまで来ていた。小説は全て自分が書き上げていて、ケンは一行だって書いていないのに!今後独立しても、書ける自分は何も問題ない。だが、書けない彼はどうなる? そんなことはどうでもいい。生きるためなら何でもするだろう。仕事は選ばなければ何でもあるーーと、思ったに違いない。その傲慢さ、いや、本人はそんなつもりは毛頭なかったであろう。だが結果として、コンビ解消を望んだジムは殺害されてしまった。じゃあ殺されないためには一体どうしたら良いのか?これは極端な例えかもしれない。しかし教訓として心に刻みつけておく必要があると思う。身の丈を超える欲を出したときこそ、人は己の危機を感知するべきだ。この作品は、人の深淵を覗くドラマとなっている。メガホンを取ったのは、スティーヴン・スピルバーグである。まだ若くて無名だったスピルバーグの、渾身の作品なのだ。一見の価値あり。オススメだ。1971年放送【監督】スティーヴン・スピルバーグ【キャスト】ピーター・フォーク、ジャック・キャシディ
2023.03.04
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