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日記帳面 高四 斎藤茂吉八月十一日 曇リ四時ニ起キ朝川ニ至リ身ヲアロウ後宿題八月十二日 半晴今日ハ朝五時ニ起キタリ裏庭ヲ掃除シ後画ヲ画キタリ午後九時ニ寝ヌ※「日記帳面 高四」は表紙にあり。なお「高四」は尋常高等小学校の高等科4年を示すもの。アララギ派を代表する名歌人、斎藤茂吉の少年時代の日記である。後の世を予想するに難くはない日記である。「後生畏るべし」、たかが子供の日記と侮ってはならないのだ。
2014.08.13
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頭がくらくらするような陽ざしの下で、汗をだらだら流しながら、下駄をはいて白い埃の道をぽくぽく歩く。それが私たちの壮烈な夏のイメージだった。 渋沢龍彦『往年の夏、往年の野球』小気味のよい文章ではないか。仏文学者の渋沢龍彦氏『往年の夏、往年の野球』という随筆の一節である。下駄をはく人も、埃の立つ道も、今はもう見ることはない。だが往時の「夏の道」を、容易にそして鮮明に想像できるのだ。それが名文だ。そして名文は、ほんのひと時でも夏の暑さを忘れさせてくれる。そんな猛暑対策はいかが?
2014.08.08
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婆さん蛙ミミミの挨拶地球さま。永いことお世話さまでした。さやうならで御座います。ありがたう御座いました。さやうならで御座います。さやうなら。 草野心平
2014.06.16
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思うこと為さねばならずさりながら成るべき時を待ちてこそ成る 関口江畔
2014.06.05
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『五月の土壌』 高村光太郎五月の日輪はゆたかにかがやき五月の雨はみどりに降りそそいで野にまんまんたる気迫はこもる肉体のような土壌はあたたかに、ふくよかにまろく、うづたかく、ひろびろと無限の重量を泡だたせて盛り上り、もり上り遠く地平に波をうねらすあらゆる種子をつつみはぐくみ虫けらを呼びさまし悪きもの善きものの差別をたち天然の律にしたがって地中の本能にいきづき生くるものの為には滋味と塒(ねぐら)とを与へ朽ち去るものの為には再生の隠忍を教へ永劫に無窮(むきゅう)の沈黙を守ってがっしりと横はり且つ堅実の微笑を見する土壌よああ五月の土壌よ土壌は汚れたものを恐れず土壌はあらゆるものを浄め土壌は刹那の力をつくして進展する見よ八反の麦は白緑にそよぎ三反の大根はすでに分列式の儀容をなし其処此処に萌え出る無数の微物は青空を見はる嬰児(みどりご)の眼をしているああ、そして一面に沸き立つ生物の匂よ入り乱れて響く呼吸の音よ無邪気な生育の争闘よわが足に通って来る土壌の熱に我は烈しく人間の力を思う※ご参考 三省堂 新明解国語辞典より無窮(むきゅう):限りや終りが無いこと。永遠。嬰児(みどりご):〔「緑」の意味から〕生まれて間もない子供。赤ん坊。
2014.05.26
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いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心ちすれ・・ 吉田兼好/徒然草「どこであっても、旅に出てみると(そこは非日常であり)、目が覚める思いである」そう兼好はいう。多少の行きつ戻りつはあれど、いい陽気になってきた。旅にはもってこいだ。笑う野山を闊歩するのもいい、水面を眺めながら土手を歩くのもいい。ほんの小さな旅も、この季節は素晴らしい。いざ行かん、いま旅立ちの時。
2014.04.01
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311によせて『東北は単独ですでに偉大なのである。東京への交通機関的な距離で自己の価値をきめねばならないような土地ではない。』『むしろ関東のほうが東北の出店で、本店は東北だ、という見方である。すでに縄文時代を考える考古学の世界では、東北が中心というにおいが濃い。言語も東北語があって、その下流に関東語があったのではないか。千年、二千年前のことだが』(司馬遼太郎『街道をゆく 奥州白河・会津のみち』)
2014.03.11
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昭和七年三月、山頭火は嬉野温泉にあそぶ。そこは山頭火にとって結庵を望むほどの地であった。ここにおちつき草萌ゆる(改作)そう日記に記す山頭火だが、実際のところ結庵はかなわずじまいであった。その屈託と前途を胸に、山頭火は三月六日の日記にこう記し誓うのだ。おこるなしやべるなむさぼるなゆつくりあるけしつかりあるけなお前文には「座右銘として」と添えている。ところで三月六日はご母堂の祥月命日。後年となる昭和十五年の同日の日記には『仏前にかしこまつて、焼香諷経、母よ、不幸者をお赦しください。』と記している。山頭火にとって生きるとは、棘の道にほかならない、そういうことなのだろうか。ゆつくりあるけ しつかりあるけ
2014.03.06
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昭和十五年は山頭火の最晩年の年になる。その年の三月は気候が行きつ戻りつしたようで、四国でも遅い雪があった。ルンペン然の山頭火にとって、天候不順は即食い扶持につながるのだ。そして輪をかけるように持病(痔病!)が悪化し、難儀極まりない山頭火なのである。しかし、己に鞭打ち山頭火はこう記す。「毎日の行事、松山散歩、は雲つて寒いので、今日は止めにした。外出する元気、散歩する余裕がないからである。衰へたるかな、山頭火、しつかりしなさい!」日記は「まことにつつましい一日であつた。」としめているから、門外不出で俳句の推敲をしたのかもしれない。句集「草木塔」は五月に発刊されている。おちついて死ぬさうな草萌ゆる山頭火、黄泉への旅立ちまであと半年である。
2014.03.03
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夕づつを見てきよくかがやかにたかくただひとりになんぢ星のごとく 佐藤春夫※夕づつ:夕方、西の空に見える金星。宵の明星。デジタル大辞泉より
2014.01.20
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一葉落ちて天下の秋を知る 淮南子落ちた葉もさることながら、残った葉にこそ天下の秋を知る今日この頃である。最後に残った一枚が木から離れる時、その長い人生を想うかその瞬間を想うか。或いは、逞しさと見るか潔さと見るか。人それぞれの人生観であり歴史観であり宗教観であろう。ときに「最後の一葉」といえばオーヘンリーの小説が有名だ。(太田裕美の名曲を挙げる方も人もいるか!)ふと思った。三島由紀夫が「最後の一葉」をテーマに書いたとしたら、それはオーヘンリーとはまったく異なった作品であったはずだと。きっと日本的な解釈の「最後の一葉」になり、さぞや傑作であっただろう・・・今日は三島由紀夫の命日である。三島の死を世間ではいまだに「衝撃的」というのだが、私はリアルタイムでそれに接し(もちろん報道で知ったのであるが)、そして思い続け、それは極めて「劇的」な死であったと解釈している。最後の一葉を眺め、私は三島への尽きないを想いを巡らすのだ。そして、我が身はどうしたものよ、と行く末を考える初冬の日なのであった。それはそれとして、落葉は石段までも覆いつくし、神社への道のりを別世界に変えていた。寒い冬が近いのに木はだんだんはだかになるああわかった葉を根に着せるのだ 香月泰男冬が来ると、人はだんだんと厚着になってゆく。反して木は葉を落としだんだん裸になってゆく。でも、人も木も同じ地球上の生き物なのだ。何とはなしに可笑しくなり、私は無人の境内で高笑いした。
2013.11.25
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秋ののおしなべたるをかしさは薄こそあれ 清少納言先日は十三夜。当地はうっすらとした曇り空でした。ただ、うす雲の切れ目から、時折下欠けの月が顔を出しました。我が先人は、満ちた月にも、ほんの少し欠けた月にも情感を得たわけです。なんという美意識でしょう。十三夜の月を眺めては、先人の潤い溢れた情緒を想いうっとりしました。そしてまた、先人は秋野のススキにも美意識を感じたものでした。スマホに目を落としてばかりいては、およそ感じ得ることはない美意識かもしれません、嗚呼。歴史は実感を得られなければ机上の空論に過ぎず、空しいものだと私は考えます。こういうことだったのか! 生活の中で歴史のひとコマを感じた瞬間、それは体得であり実学に変わるものだと思うのです。そして、日本史を実感するとは我が先人の情緒情感を感じることに他ならないのではないか、そう思う近年です。まずはすばらしい先人に恵まれたこの日本に生を授けられたことに感謝。そして末席でもこうして日本で生きられることに感謝。深まりゆく秋の日、森羅万象に合掌(^人^)
2013.10.21
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花は我が世界にして草花は我が命なり 正岡子規台風一過は、画に描いたような青空が広がりました。雲ひとつない青空を眺めながら考えました。「それでも雲ひとつないとこの空を表現するのは難しい。絵画でも青空だけを描いたって面白くも何ともないだろう。」その時、笑い声とともに甲高い声が聞こえました。「そもそも君は画に描いた空を見たことはあるのかい?第一それを描く絵心を君は持っていないしね。」そうか、九月は子規忌なのだ。亡くなるまで諧謔精神を貫き、茶目を地でいった正岡子規なら、これくらいのチャチャを入れてもおかしくはありませんなぁ。子規忌、近年は「獺祭忌」の名で知られるようになりました。獺(カワウソ)好きの子規に因びそう呼ぶようですが、その実はというと、子規は終生獺を拝んだことはないそうな。さらに言うと、獺は絶滅危惧種に指定されるほどですから、実際に生息する獺を見たことのある人は99.9%いないことでしょう。カワウソを 知らずに呼ぶや 獺祭忌噺が、もとい、話がそれましたが、九月になりコスモスが盛んになると子規を思わないではいられません。根岸宅の草花は、子規を慰め病に萎えた創作意欲をかきたてたことでしょう。上記は明治三十一年の散文、そして続きます。『幼き時より今に至るまで野辺の草花に伴ひたる一種の快感は時としてわれを神ならしめんとする事あり』子規は死のその直前まで創作意欲を持ち、筆をとり続けたといいます。神気迫るその姿を見て、「まさに神がかりであった!」門弟はそう述懐するのです。句神、正岡子規斉藤茂吉はそういう子規の生き方に感動を覚えました。『子規の晩年は実にぎりぎりのところまでその生を無駄なく使った。』子息の斉藤茂太氏が「『酒』と作家たち」で茂吉の言葉をそう伝えます。それにしても、子規三十四年の生涯はなんと短かったことか!だからこそ、子規の心血を一句に感じ言葉の一つもないがしろにすることはできないのですが、それでも、もし子規が長命したならどれほどの活躍をされたことか。秋風に吹かれながら子規を偲び、愚にもならぬことを思いひと時を過ごしました(笑)次の台風が気にならないではありませんが、今度の週末は、野辺でゆっくりのんびり草花でも眺めて暮らしましょうか。秋風の吹きぬけて行く観音堂 吟遊映人おそまつ(汗)
2013.09.18
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死ねば死にきり。自然は水際立つてゐる。 高村光太郎明日、三月十六日は吉本隆明氏の命日です。氏は遺書のかわりに光太郎の詩「死ねば死にきり」をあげました。う~ん、わかったようなわからないような(汗)氏の肩書きや、「日本の思想家」「詩人」「評論家」「東京工業大学世界文明センター特任教授」とな。(Wikipediaから)なるほどな、と妙に納得してしまいました(笑)死してなお、私の中で氏は、わかったようなわからないような、そんな存在なのであります。途中まで読んだ論文を手にしてみましたが、「またこんど、もう少し季節が良くなってから」そう思い、また途中にしましたぁ(笑)死ねば死にきり。自然は水際立つてゐる。吉本隆明氏に、合掌(^人^)
2013.03.15
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菊池寛の命日を、東奥日報「天地人」で知ったことは先日の記事に記しましたが(コチラをご覧あれ♪)、今日は続編で坂口安吾のお話です(^^)vまずはこれをご一読ください。『作家坂口安吾の仕事部屋はすごかった。褒めているのではない。戦後まもなく、写真家が撮った部屋の写真を見ると、雑誌や原稿用紙が机に向かう安吾の周りを埋め尽くしている。だから、探し物をして見つけたときは、こう叫んだのではないかと推測する。「あった、あった」。 さて、探すといえば、先ごろの県立高校入試制度見直しに関する会議でのこと。中学校側から高校側へ提出する受験生の調査書について、委員の一人が次のようなことを言った。「調査書とは中学校の先生にとって、いわば一つの芸術作品」。学級活動や生徒会活動、部活動などについて書く欄には、中学校側のたくさんの思いが詰まっている。子どもたちを合格させたいという思いである。 この委員によれば、「中学校の先生が調査書を書くとき、すぐにいいところについて書ける子」という子がいる。でも、そういう子ばかりでもない。それぞれの子どものいいところを探して、先生方は一生懸命、調査書を書くのだという。 世には目立つ花あり、目立たぬ花もあり。人も同じことか。安吾の部屋ではないけれど、埋もれたり、隠れたいいところを見つけ出すのは簡単なことではない。子どもとじっくり向き合って「あった、あった」と、いいところを見つけて伸ばす。それが先生の仕事。 春は「あった、あった」の季節である。あす11日は県立高校入試前期試験の合格発表の日。「番号があった」。子どもの努力、中学校の先生方の苦労が歓声に変わることを願う。』おそらくこの写真でしょう(^^)まさに「堕落論」を地で行くような一枚ではありませんか!堕ち切るまで堕ちよ安吾の叫びが聞こえるようです。このごろは暴走老人という巷のレッテルに、すっかり慣れ親しんでしまった感のある石原慎太郎氏ですが、氏の「実在への指標」という安吾論は明快です。「坂口安吾の文学の魅力は、あの得もいえぬ痛烈さであり、その痛烈さとは、文明や文化の粉飾への毅然とした拒否に他ならない。」伝統や貫禄ではなく、実質だこの強烈な個性(安吾臭)が、一部の人にはたまらない魅力なのだろうと思います(ということは安吾匂か・笑)。ちなみにこの写真は銀座のルパンでの一枚で、安吾はこれが気に入り「この一枚をもって私の写真の決定版にする」といったそうです。さて東奥日報。「堕落論」の安吾を引いて合格発表にもっていくあたりはサスガですねぇ~!見事なコラムに謹んで敬意を表します。きっと太宰のご当地ですから、何かDNAのようなものを受け継いでいるのかもしれませんね。おかげさまで、久々に安吾を紐解く機会をいただきました、東奥日報に感謝(^人^)
2013.03.11
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なんとなくよいことがあればしあわせですよ 絵馬より秋風に誘われて古刹に詣でました。この時期は曼珠沙華が綺麗ですねぇ(^^)涼風にたすけられ、心地よく散策致しました。ときに・・・このごろの絵馬はカラフルになりましたねぇ(汗)そして目に止まった某殿の絵馬。な・ん・と・な・く・よ・い・こ・と・が・あ・れ・ば・し・あ・わ・せ・で・す・よ失礼ながら、口に出して読ませていただくと、文字通り「なんとなく」した幸福感に包まれました♪幸せとは是の如きものである。そう感じて、御仏のご利益と某殿に謹んで感謝を申し上げ(^人^)、秋の古刹を後にした次第です。皆様にも「なんとなくよいこと」がありますことを祈念申し上げます♪
2012.09.24
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