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2013.03.06
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カテゴリ: 読書案内
【深沢七郎/東北の神武たち】
20130306

◆東北の貧しい農村地帯での因習を赤裸々に描写

バブル期以降、お洒落な小説というのが一定の人気を誇っている。
例えば主人公の男がBMWに乗っていたり、デートにジャズの聴けるバーでサラダとワインを口にするシーンがあったり、個性的な脇役たちのユニークな(?)行為に、主人公が「やれやれ」と言ったりなど、それはもう日本であって日本ではないお洒落なムードに包まれている。
それに対し、深沢七郎の作品は正に対極に位置する内容だ。近代日本に存在したであろう事実を赤裸々に描き、そこには容赦のない客観的な視線が冷酷なまでに注がれている。
代表作に『楢山節考』などがあり、深沢作品は当時の文壇に大きな衝撃を与えた。
文庫本の解説によると、深沢七郎は今川焼屋をやったり流しのギター弾きなどをやっていた経歴があるそうだ。そういう背景のある作家だからこそ、作品には微塵の虚飾も感じられず、胸にズンズンと響いて来るような重みがある。
『東北の神武たち』は、そんな深沢七郎が書いたに相応しい作品だ。

ストーリーは暗く、因果な風習に驚きを隠せない。
昔、東北の貧しい農村地帯では長男だけが嫁を貰うことが許され、次男三男は明神様の怒りを買ってしまうから嫁は貰えないという習わしがあった。そんな次男三男は、皆から“ヤッコ”と呼ばれた。
ある時、村で久吉が亡くなった。久吉は今わの際で嫁に言い残した。それは昔、ヤッコが毎晩久吉の飼い犬(メス)を慰みにしていたので、その犬を殺してしまったこと。さらには久吉の父がまだ生きている時、娘(久吉の妹)を孕ませにヤッコが毎晩忍び込んで来るので、怒った父がヤッコを撲殺してしまったことだった。

嫁は、「心配するごたねぇ。きっと、罪亡ぼしをするから」と言ってそれを聞き入れるのだ。

いや驚いた。なんという退廃的な因習があることか。
これと言った娯楽のない貧しい農村地帯では、男女の交わりこそが究極の快楽だったのか。
作中、自分の順番が回って来るのを今日か明日かと待ちわびるヤッコの姿が描かれているのだが、ちょっとおぞましい。
お洒落な小説には付き物の愛とか恋とか、そんな抽象的な感情は存在しない。あるのは女と交わることへの興味と欲望のみだ。
さらに、隣人が不必要な“水っ子”を田んぼに捨てて、「あんなとこへ捨てて、困るじゃねぇか」と怒る田んぼの持ち主。どちらも“水っ子”の人権など考えやしない、良くて田んぼの肥やし、悪くて腐ったゴミ扱いだ。
昔は避妊という観念がなく、生まれてからの処分だったようだが、この“間引き”は余りにも陰惨で絶望的な感情を伴う。
現代を生きる我々にとっては、とうてい考えられない行為だが、もう言葉としての感情は出ない。
とはいえ、深沢七郎の小説にはとやかく言うほど悲壮感はない。男女の交わりも何てことはなく通り過ぎていくし、間引きも当然のように描かれている。

我々人間は、ヒトである前に動物だったことを思い出させる衝撃の逸作としか言いようがない。

『深沢七郎コレクション<流>』より「東北の神武たち」深沢七郎・著

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最終更新日  2013.03.06 06:28:45
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