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2013.05.01
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カテゴリ: 読書案内
【松浦理英子/ナチュラル・ウーマン】
20130501

◆生殖行為から解放された進化形の恋愛

これまでボーイズ・ラブ的な小説は何冊か読んで来た。映画(イギリス映画)においても、フォースター原作の『モーリス』など、それはもう耽美的で、うっとりしてしまったものだ。
だが年齢とともに、そういう同性愛のお話には限界を感じて来た。自分なりにあれこれ考えてみたのだが、やはり友情としての域を超えてしまった時点で、それは異空間のお話になるのだ。
人は、作中の登場人物に何らかのシンパシーを感じないと、なかなかその作品に入って行くことができない。つまり、私に同性愛嗜好がない限り、その小説は私にとっての恋愛小説とはなり得ず、ファンタジーかオカルト的な作品に思えてしまうわけだ。
なぜそれが若いうちには受け入れられたのかは、今ならなんとなく分かる。おそらく女性としての性からの逃避ではなかっただろうか?
もちろん、興味本位もあったことは確かだが。
そんな中、『ナチュラル・ウーマン』を読んでみた。
これはボーイズ・ラブとは対極にある、女性の同性愛を扱った小説である。いや、これには驚いた。
自分がいかにその方面(?)に疎いか、思い知らされた。
女性が女性のまま女性を愛するプロセスを小説にしたものだが、友情とはベクトルの向きが全く違うのだ。つまり、正真正銘の恋愛なのだ。

心配無用。その疑問は、読了後にすっかり払拭された(笑)

話はこうだ。
22歳の容子は、サークルで知り合った花世に夢中だ。
ある時、容子は花世のアパートに一緒に帰ることになった。そしてそこで、二人は官能的な愉しみを覚えることになった。
花世はクールで知的で誰にもたやすく心を明け渡すことのない、誇り高い女性だ。そんな花世を好きになる男は多く、何人か交際したが、長続きしなかった。
一方、容子もそれなりに男から声をかけられ、一応付き合ってみたものの、余りの退屈さにうんざりしてしまった。
友人たちの恋愛話を聞いても、羨ましさを感じることはなく、おそらく自分は一生恋愛しないに違いないと思い込んでいた。
ところがサークルに入会し、花世と出逢ったことで、恋愛の対象が同性である花世であることに気付いてしまったのだ。

この作品は官能小説ではなく、性愛小説だ。
ものすごく実験的なものを感じるし、男女間では感じにくい、耽美的で、しかし貪欲な性の愉しみを垣間見ることができる。
また作中、男性の登場人物は皆無で、ほとんどが女性だ。

何やら私は物凄く進化形の恋愛を見たような気がするのだが、みなさんはこの異色の作品をどう捉えるでしょうか?

『ナチュラル・ウーマン』・松浦理英子著

20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.65)は山崎豊子の『花のれん』を予定しています。


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最終更新日  2013.05.01 06:31:52
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