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2013.07.06
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カテゴリ: 読書案内
【梅原猛/隠された十字架~法隆寺論~】
20130706

◆法隆寺に隠された謎を解き明かす

この本との出合いは、実に25年も前になる。
私が高校生のころ、担任だった現代文の先生がおもしろおかしく解説してくれたのだった。修学旅行が、京都・奈良方面だったので、少しでも生徒たちの興味を引き出すことができればと思ったに違いない。
それにしても私は夢中になって読んだものだ。
それまでの法隆寺のイメージと言ったら、日本最古の木造建造物であるとか、聖徳太子ゆかりの人々が太子の徳を讃えるために建てた寺であるとか、中学校の社会で習う程度の知識しかなかったのである。
ところが梅原猛は真っ向からそんな常識をくつがえしてくれた。
それはどういうことかと言うと、法隆寺は、聖徳太子の祟りを回避するための、いわば鎮魂の寺だと言うのだ。
いや驚いたのなんのって! 法隆寺がそんな血生臭い背景を持っているなんて、訊いたことがない。
それがどうだ、現在分かっているだけの歴史的事象を辿ってみると、聖徳太子の子孫は皆、無残な死を遂げている。
太子の子、山背大兄皇子とその一族25名は、何の罪もなく、女・子どもに至るまで惨殺されているのだ。皆殺しというやつだ。それはもう生地獄である。

理由は、政治的な権力を握る上で、山背大兄皇子はけむたい存在だったからだ。
こうして太子の子孫は絶滅した。

だがここで祟りとしての条件は全て揃う。罪なくして一族が殺され、その無念さゆえに、時の権力者を祟るのだ。それはたとえば病気であり、天災であり、飢饉などである。
時の権力者はあわてふためき、その祟りを鎮めるために、また政権を安泰にするために、立派な寺院を造り、手厚く祀るのだ。

なるほど、梅原理論は筋道が通っていて実に分かり易い。

この後、蘇我入鹿は横暴を極め、皇位を軽んじる行為が多くなる。そして、これに対する反感を強く抱いた中臣鎌足は、中大兄皇子と組んで入鹿討伐に乗り出すわけだ。そう、あの歴史的クーデター大化の改新の始まりだ。
これがいわゆる『日本書記』に書かれているあらましである。
だがここでも梅原は異を唱える。
そもそも太古の歴史は時の権力者に有利に書かれているものなのだと。
だから『日本書記』だって、鎌足の子である不比等の統制のもとに書かれたとしたら、藤原氏にとって都合の良い筋書きに変えてしまうではないかと言うものだ。
つまり、「中臣鎌足によって行われたクーデターを合理化する論理」を、果たしてそのまま信じても良いのだろうか、と疑問を投げかけているのだ。


つまり、聖徳太子の子孫を絶滅に追いやったのは、また、全ての黒幕は、この氏素性の知れない中臣鎌足その人ではなかったか、という説である。

なぜそういう推論を立てたかは、この『隠された十字架』を読んで、どっぷりと梅原論考を熟考して頂きたい。大胆な仮説と、古代史への飽くなき情熱に、息を呑む思いだ。

法隆寺中門の真ん中にある柱。
それはまるで何者かを閉じ込めて外へ出すまいとする行為にも思える。
あるいは、門の大きさが四間という偶数であること。本来なら奇数にすることで、正面を造り出すものなのに、何故?

さらには、1200年もの間、秘仏とされて来た救世観音の謎。
とにかくページをめくる手が止まらなくなる。歴女の方はもちろん、古代史に興味のある方にもおすすめだ。

『隠された十字架~法隆寺論~』梅原猛・著

20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.81)は大塚ひかりの『源氏物語』を予定しています。(なにぶん長編なので一巻ずつの掲載を考えております。)


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最終更新日  2013.07.06 06:13:55
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