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2013.08.30
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
20130830


今日も藤桂子さんのお話。
昨日、 「~情念の歌い手、逝く~」 を綴った後にコラムを読むと、贔屓にしている北國新聞では、まさに同じ日に藤圭子さんを扱っていた。

藤さんのご冥福をお祈り申し上げるとともに、今日はまた謹んで北國新聞の「時鐘」を掲載申し上げる次第である。

ときに、昨日はふたつの週刊誌の発売日であった。
新聞広告で見出しを眺めただけだが、予想通りの藤さんの取扱であった。
はたして大衆と雑誌社の欲望を満たすためだけに、霊を汚しているとしか思えず胸が悪くなった。しばらく騒動は続くであろう。藤さんも彼岸で休まる暇はない、南無阿弥陀仏。

そうはいっても、藤さん親子と娘の父親が大衆の関心の集まる芸能界という名の苦界に身を置き、マスコミは日々の糧(欲望!)を満たすために良心を捨て、大衆は扇動により不和雷同に明け暮れるという、この悩ましげな三段論法のようなバランスが現代の実相であり、現代を端的に象徴するものだ。
藤桂子が「すさまじく暗い歌」?? とんでもない!! 「怨歌」こそ明るく健全である。今の方がよっぽど「すさまじく暗い」気がする。


~~~~~~~~
【北國新聞 時鐘】

藤圭子(ふじけいこ)さんの突然(とつぜん)の死の後、ぼんやりしていると彼女の曲の一節が浮かぶことがある。「十五、十六、十七と私の人生暗かった」。

すさまじく暗い歌ですね、と若い同僚(どうりょう)に言われた。その通りで、反論(はんろん)も弁解(べんかい)もできない。世代を超(こ)えて歌い継がれる名曲もあれば、そうでないヒット曲もある。小説「親鸞(しんらん)」を連載(れんさい)する五木寛之(いつきひろゆき)さんによると、藤さんの歌は「怨歌(えんか)」。世の中に対する「怨(うら)み節(ぶし)」に共感する時代があった。

アトリエにフラメンコの曲を流すのを好む画家を取材したことがある。風景や静物(せいぶつ)を描くときも、スペインの陽気(ようき)な曲を選ぶ。「元気が出てきて、絵が生きてくる」と音楽の効用(こうよう)を教えてくれた。

往時(おうじ)の「怨歌」のヒットも、心にうごめく恨(うら)みつらみを「薄幸(はっこう)の少女」を演じる歌手に託(たく)し、痛みをやわらげようとしたのか。歌は栄養剤(えいようざい)にも鎮痛剤(ちんつうざい)にもなる。

今どき「怨歌」は、はやらない。明るく元気な時代になったのなら、まことに結構である。本当にそうかな、とも思う。あいにく、中高年向けの歌は乏(とぼ)しい。心のモヤモヤを「怨歌」で洗い流した「感傷(かんしょう)の時代」に、戻ってみたくなる。
(8月29日)



「圭子の夢は夜ひらく」



赤く咲くのは けしの花
白く咲くのは 百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく

十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに 暗くとも
夢は夜ひらく

昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージか ケン坊か
恋ははかなく 過ぎて行き
夢は夜ひらく

夜咲くネオンは 嘘の花
夜飛ぶ蝶々も 嘘の花
嘘を肴に 酒をくみゃ
夢は夜ひらく

前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく

一から十まで 馬鹿でした
馬鹿にゃ未練は ないけれど
忘れられない 奴ばかり
夢は夜ひらく
夢は夜ひらく


20130124aisatsu





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最終更新日  2013.08.30 05:50:21
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