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2014.01.15
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テーマ: コラム紹介(119)
カテゴリ: コラム紹介
【岐阜新聞 分水嶺】
20140115


いつごろからだろう。「元気をもらう」「勇気をもらった」などという言い回しをよく耳にするようになったのは。元気や勇気は、もらったりあげたりするものだろうか。どうしても違和感がある。「元気になった」「勇気づけられた」ではだめなのか。

スポーツ競技で使われることが多い。「被災地の人たちに勇気を与えたい」などと、宣誓やインタビューで選手が口にする。あえて言うが、スポーツは、それを見て生きるための勇気をもらうほど大層なものか。

スポーツの感動を否定するつもりはない。年のせいもあり、駅伝で県出身選手の力走を見て涙腺が緩んだりする。ただし頑張るのは勝利のためであり、人に何かを与えるためではないだろう。

ついでに言えば「~してございます」という言い方も変だ。もともとは企業などの企画プレゼンテーションで耳にした。昨今は普通のスピーチや挨拶(あいさつ)でも丁寧語のように使われるようになった。

ぼやき漫才の人生幸朗さんを覚えている人もいるだろう。流行歌のフレーズに文句を付け、「責任者出てこい!」が決め台詞(ぜりふ)だった。

日本語は時代とともに変化するものだとしても、生理的に嫌なものは嫌だ。今年は意識して文句言いの頑固爺(じじい)になろうと思っている。
(1月12日)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そうだその通り!
膝を打ちそう叫んでしまった。共感を覚えた諸氏は多いのではないか。
なによりうれしかったのは
『生理的に嫌なものは嫌だ。』
の一文だ。
文法解釈や歴史的背景などの見識は「そんなことは言うまでもない!」と行間に込め、ただ一文を記すのだ。
これが大人の文章、分水嶺氏が言うところの『頑固爺』の、文章である。

願わくは、分水嶺氏には『文句言いの頑固爺』に徹してもらい、事あるごとに気炎を上げてほしい。
くれぐれも好々爺然とすることのないよう、あくまでも仁王面でお願いしたいところである。


ときに頑固爺の部類に属さない方々のために、余計なお世話と承知しつつもひと言申し上げる。

『与える』とは「相手の欲するものを、くれてやる」と三省堂新明解国語辞典にいう。
今でいう「上から目線」なのだ。スポーツの勝者が「応援してくれる人に勇気を与えることができた」というのは、それが意図するものではないとしても、そう発言することによって「応援してくれる人が欲していた勇気をくれてやった」そういう意味になるのだ。
勇気を与えられた、という応援者もしかり。猛烈にへりくだる気持ちがあるのならいざしらず、自分を貶めるような言葉は言わないほうがいい。
分水嶺氏の言うよう『勇気づけられた』或は「勇気をもらった」と言ったほうがいい。


同業者で言いにくいこともあろうが、分水嶺氏には指摘してほしいところだ。少なくとも、系列のテレビ局には目を光らせていてほしい。

そうれはそうと、一時は指摘があったがそれきりになったことに
「させていただく」
がある。
どこぞの社会学者が「させていただく症候群」とうまいことを言っていたが、すでに聞くことはなくなった。なんでもかんでも「させていただきます!」ときたもんだ。
これも分水嶺氏にご指摘願いたい。

ということで、今年は『生理的に嫌なものは嫌だ。』そう感じたら分水嶺氏にお願いしようと思う。よき先輩を得た気分だ(^^)v
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

20130124aisatsu





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最終更新日  2014.01.15 06:04:30
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