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2022.12.17
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カテゴリ: 読書案内
【藤沢周平/暗殺の年輪】

毎年のことではあるけれど、年末になると何かと忙しなくなり、気持ちに余裕がなくなってくる。
焦りは禁物だと何度も自分に言い聞かせ、「一つ一つやらなくちゃ」と声にまで出してみる。
それでもやっぱりこのままじゃダメだと思ったら、私は時間を作り出して読書を楽しむ。
ほんの30分でもいいので、雑事から離れ、昔読んだお気に入りの一冊か、あるいはまだ未読の本を手にするのだ。
お菓子BOXの中には食べかけの黒糖かりんとうがあったっけと思い出し、いそいそと小皿に盛り付けてみる。
インスタントコーヒーを切らしているので、今はリプトンの紅茶しかないなぁと、マグカップにティーバッグを入れ、お湯を並々と注ぐ。
メガネをくもらせながら紅茶の香りを楽しみ、いよいよ本の1ページをめくるのだ。

私が本棚から選んだ一冊は、藤沢周平の『暗殺の年輪』である。
表題作は第69回直木賞を受賞しているが、他に4篇ほど文庫本には収められている。

どの作品も見事な筆致で甲乙つけ難いのだが、私の感情が大きく揺さぶられたのは『囮(おとり)』である。

話はこうだ。
甲吉はむさくるしい工房の片隅で版木を彫る版木師である。
他にも数人の職人たちがくすぶっていたが、かつてのような勢いはない。
版元は国貞、英山、豊国などの一流の絵師の版下をこの工房に回してくることはなくなっていた。
しかし甲吉は与えられた仕事で日銭を稼ぐしかない。
病に伏す妹のお澄に医者をよび、薬料を払い、体に力がつくようなものを食べさせなくてはいけないからだ。
それにはとうてい版木師では賄うことなどできず、仕方がないので人に嫌われる下っ引きも請け負っていた。
目明かしである徳十の配下となって働いた。
両親のいない甲吉は、たった一人の妹と身を寄せ合って生きて来た。
昔から甲吉の夢は決まっていて、お澄を一人前に育て、どこかに嫁にやることだけが生きがいだった。

毎晩疲れて帰る甲吉に、もはや希望などと言うものはなかった。
ある日、徳十が仕事を持って来た。
それは、賭場で人を刺し殺した網蔵が江戸に逃げ戻ったので、甲吉に一人の女を見張れというものだった。
その女は網蔵の情婦だと言う。
網蔵は長い逃亡生活に疲弊しているので、おそらく昔の女を頼ってやって来るに違いないという推測だった。

下っ引きという仕事に引け目を感じていたが、おふみを見張る仕事にはいつのまにかときめきを感じ始めた。
おふみが小料理屋の下働きから帰り、家に灯りが灯るのを見ると、甲吉は優しい気持ちに包まれるのだった。
だが、もしもおふみがいつか現れる網蔵を待っているのだとすれば、甲吉はおふみにとって敵でしかない。
やがて網蔵が捕まれば、甲吉はおふみを見張ることもなくなり、声を交わすこともなく二人は別れるのだ。
そんなある日、異変が起きた。
おふみが二人の男たちに家の中に引き摺り込まれてしまったのだ。
甲吉は慌てて駆けつけ、懐から十手を取り出した。
夕暮れ時で、男たちの顔はあまり見えなかったが、網蔵ではないことは確かだった。
甲吉はおふみをどうやって助けるか考えた。
おふみに十手を見せるのはまずい。
だが十手なしでケリをつけるのはムリだ。
考えあぐねていると、中から何やら物の倒れる音がした。
甲吉は意を決して戸口から顔を突っ込んだ。

この短編小説は、甲吉の淡く切ない恋を描いている。
とは言え、その根底に流れるものは暗く陰鬱である。
世間にも妹にも隠して下っ引きをしている甲吉の抱える闇の深さが、じわじわと読者の背徳的な好奇心を誘うのだ。
一方、女の業とでも表現すべきか、おふみのしたたかさがラストで際立つ。
甲吉がおふみの住んでいた家に再び訪ねてくる最後は、人間のどうしようもない情念を感じた。
人気の絶えた小さな家を前に、悲しみと絶望で押し潰されそうな甲吉を想像すると、読者は涙を禁じ得ない。
本当のところ、おふみはどんな立場にあったのかは何とも言えない。
事実は、甲吉が惚れてはいけない相手に惚れてしまったということ。
そしてその色恋は、叶わなかったというものである。

年末に読む小説にしては、あまりにも暗いかもしれないが、藤沢周平作品の要とも言えるこの短編集は、生涯に一度出会って間違いのない一冊である。
ぜひ皆さんにも忙しい日々の合間に、わずかでも時間を見つけて、読書を楽しんでいただきたい。
                (了)


『暗殺の年輪』藤沢周平・著 



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★吟遊映人『読書案内』 第2弾(100~199)は コチラ から
★吟遊映人『読書案内』 第3弾(200~ )は コチラ から


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最終更新日  2022.12.18 09:52:41
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