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「ジョニー、お前には失望した。初めてのパリを楽しむこともせずに無意味な騒ぎを(起こして)・・・。」「退屈が嫌いで。」「私もだ。だがお前は退屈な奴だぞ。」リーってばカッコイイ!無表情でクールで、しかもラブ・シーンのないリーってやっぱリーらしくってリーね!(←イイね・・・のダジャレ。)この作品はフランスと香港の合作らしいがフランス語ではなく、英語とところどころ広東語(?)での会話になっている。ロケ現場はもちろんパリの街並みとチャイナタウンとパリっ子たちで賑わう鉄道・駅ではあったが、何ら違和感もなく楽しむことができた。ジェット・リーは己の求められるキャラクター像を、この作品によってますます気づかされたのであろうか?何やらこれまで以上に“こうあるべきリーの姿”に近づいたような気がする。パリのドゴール空港に降り立った一人の中国人男性。彼は、中国から麻薬密輸組織の捜査のために派遣された捜査官リュウであった。リュウは、まず市内の一流ホテルに向かい、パリ警察と合流。しかしそこで目にしたのは、ホテルの厨房で警察の指揮官であるリチャード警部が中国人男性を血祭りにあげているようすだった。リュウは怪しみながらも、ホテルで麻薬取引が行なわれる現場を押さえるために、パリ警察の指揮の下、見張りの任に就く。だが、この捜査には大きな罠が仕掛けられていたのだ。海外から見た日本人のイメージは、“ゲイシャ”とか“ニンジャ”などが強烈なインパクトを与えるものらしい。一方、中国人のイメージは、“中国武術”とか“鍼灸・整体”なのか?驚いたのは、主役のリュウが腕に何本もの針を所持していることで、ケースバイケースでその針をツボに刺すのだ。ある時は痛みを和らげ、ある時は眠りに誘い、またある時は必殺の技として・・・。これからは単なるドンパチやるだけのガン・アクションばかりではなく、こんな異色の“針アクション”があっても良いかもしれない。そしてますます東洋人に、世界の映画業界で活躍していただきたいものだ。2001年公開【監督】クリス・ナオン【出演】ジェット・リー、ブリジット・フォンダまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2009.02.05
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【レッド・オクトーバーを追え!】「私もこれに似た故郷の川で祖父から釣りを習った。“海は人々に新しい希望をもたらす”“眠りが夢を運ぶように”・・・コロンブスの言葉だ。」「新しい世界へようこそ。」冷戦時代末期、当時ソビエトの体制に不満を抱くインテリ層は、こぞって西側へと亡命を果たした。映画はそんな社会的世相を鋭く反映しているから頼もしい。この作品「レッド・オクトーバーを追え!」も、ソビエト海軍の優秀な逸材である艦長が、多くは語らないけれども国家に対する何らかの不満を抱き、アメリカへ亡命するという内容だ。まぁ製作者がアメリカ人なので、西側に肩入れしているのは仕方ないとしても、事実、当時東側からの亡命はある種の社会問題にまでなったのだから否めない。いよいよ社会主義体制の崩壊を予感していたに違いない。(無論、資本主義体制が完璧であるとは言えないけれど。)ソビエト海軍の最新鋭ミサイル原子力潜水艦レッド・オクトーバー(※)が、ムルマンスク港を出航。艦長は、世界の軍事関係者の誰もが一目置いているマルコ・ラミウスであった。だがラミウスは、ソ連の体制に不満を持ち、アメリカへの亡命を画策していた。一方、アメリカではソ連軍の動きを警戒し、レッド・オクトーバー撃沈の命令が下されようとしていた。しかしCIAアナリストであるジャック・ライアンは、ラミウス亡命の意図を読み、命を懸けそして英知を持ってラミウスと連絡を取ることに成功する。映画というのは大衆の娯楽でありながら、同時に社会史の記録でもあるのだとつくづく感じた。1990年に公開されたこの作品を、20年近く経過した現在観たところで、この物語の背景を知らなければまずピンと来ないだろう。多くの映画に馴染み親しんでいる若き視聴者の皆さんは、こういう作品とたくさんめぐり合って、その歴史を知ることで映画のテーマを探っていただきたい。日本史・世界史離れと言われて久しい現代、せめて映画というメディアを通じて楽しく歴史を学んでいこうではないか。映画が永遠に大衆娯楽であり続ければ、自然とそこに“政治性”“社会性”が絡んで、我々にとって最も親しみ易い教材と成り得るに違いないからだ。※レッド・オクトーバー・・・「十月革命」にちなんで付けられた名前。【参照:ウィキペディア】1990年公開【原作】トム・クランシー【監督】ジョン・マクティアナン【出演】ショーン・コネリー、アレック・ボールドウィン
2009.01.13
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「(カンフーの)パワーは水の流れと同じ。限りなく柔らかく・・・だが硬い岩をも打ち砕く。相手に逆らわず、流れるように包み込む。名前も型もない。極意は己の内にあり。解き放てるのは己だけ。」久しぶりにジャッキー・チェンを見たような気がした。その昔、吟遊映人は香港映画にもはまってジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウなどのアクションスターが出演する作品をさんざん見尽くした時代があった。「蛇拳」「酔拳」「笑拳」「ポリス・ストーリー」「五福星」「七福星」etc.どれも内容的には似たり寄ったりだが、勧善懲悪の結末に、いつも胸がスッとする思いだったのだ。過去に受けた辛酸と苦杯を嘗めるような仕打ちは決して忘れることなく、ただただ積年の恨み辛みを果たすべく、復讐の鬼と化す。それこそが生きる支えともなり、己を強くさせ、敵を震え上がらせる戦術にもなった。 広い大陸で様々な民族がひしめき合い、領土拡大を狙って戦いを繰り返す。勝つためにはまず己を守る必要があった。自己防衛・・・すなわち、それこそがカンフーの原点なのである。ボストンに住む高校生のジェイソンは、筋金入りのカンフーおたく。部屋じゅうに香港映画スターのポスターを貼り付け、四六時中カンフー映画のDVDを堪能していた。ある時、チャイナタウンの質屋でいつものようにカンフーモノのDVDを物色していると、店の奥で金色の棒を見つける。店主によれば、その棒は如意棒と言い、何百年もの間持ち主に返還されるのを待ち望んでいるとのこと。ところ変わって学校で、ジェイソンは柄の悪い不良グループにからまれる。不良グループは、ジェイソンが行きつけの質屋に強盗に入ることを企むのだった。華やかなワイヤーアクションの演出によって、ますます作品はファンタジー色を強くしていた。ワイヤーアクションと言えばもちろん、ユエン・ウーピン監督でしょう!とにかく、飛んで跳ねて回転して、見せるのなんのって。さらに、ジャッキー・チェンとジェット・リーの夢の共演は見逃せない。それはいわば、スタローンとシュワルツェネッガーの共演(?)みたいなものなんですから!(←このたとえは雰囲気さえ伝われば良いのです。)今年は北京オリンピックが開催されたこともあり、中国映画に花が咲き誇った一年でもある。この年末、改めてカンフー映画にドキドキワクワクするのもオツなものであろう。2008年公開【監督】ロブ・ミンコフ【出演】マイケル・アンガラノ、ジャッキー・チェン、ジェット・リーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.23
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「乗車のルール1。」「車に敬意を払う。」「ルール2。」「あいさつ(をする)。こんにちは、フランク。」「こんにちは、ジャック。」「早くなぞなぞ(やろうよ)。」「その前に乗車のルール3。」(にっこり笑ってシートベルトを着用するジャック。)人間何が大事かって、そりゃ“己を知る”ってもんでしょ。(←なんかいつもとキャラが違うけど、ま、いっか。)自分は何が得手で何が不得手なのか。その不得手を克服するにはどうしたら良いのか?得手の部分を伸ばすためには何が効果的なのか?考えることはいくらでもあるはずですよ、はい。ところでそこのキミ、ちょっと頭髪が気になり始めたって?大丈夫だってば!!(←激励の極致)ジェイソン・ステイサムを見てみなよ!この人けっこうキてるけど、ものすごいスタイリッシュなんだから!!オレ、すごい勇気付けられたもんね!(←あくまで映画の内容じゃなくて、ジェイソン・ステイサムの頭髪に。)ちょっとぐらい薄かろうがセリフを棒読みしようが、何が大切かって、それを上回るほどのいろんな努力なんだよ。オレはジェイソン・ステイサムとニコラス・ケイジに敬意を払っちゃうもんね。薄くたっていいじゃない、人間だもの。結局何が言いたいのか・・・それは“ありのままの自分を受け入れて、らしさを大切に”というシンプルな提言だ。今回の舞台はマイアミ。運び屋フランクは常にスタイリッシュに決めて、取り乱さない冷静沈着な男。ふだんは人の送迎など請け負わないが、今回は1ヶ月間という期間限定で、連邦麻薬対策委員長ビリングス氏の息子であるジャックの小学校までの送迎を請け負う。ところがある日、ジャックを予防接種のために病院に送り届けた際に、事件は起きる。 なんと、身代金目当てと見られる誘拐犯が、ジャックを拉致しようと企む。だが、真の目的は身代金などではなかったのだ。前作に引き続き、見事なカーアクションで客を楽しませてくれる。大勢の敵に回りを囲まれたところで怖気づかない肝っ玉の太さ。人妻からの色仕掛けや、暴力女テロリストの嫌がらせにもクールに対応するカッコ良さ。 続編モノとしてジェイソン・ステイサム演じるフランク・マーティンが、しっかりと定着した感がある。スピーディーでテンポのある展開が現代的で、アクション映画として多いに好感が持てるのだ。2005年(仏)、2006年(日)公開【監督】ルイ・レテリエ【出演】ジェイソン・ステイサムまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.12.01
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「私の持論だが、愛車を磨く男は自分も磨く。」「その通りさ、警部。」「(アハハハ・・・)外国人にしてはユーモアがある。フランス式の皮肉。分量もスパイスほど。」作品冒頭部のつかみは実に良かった!思わず惹き込まれていくしかけになっている。リズミカルなシナリオが効果的だったのか、はたまた演出か、あるいはアクションか・・・?主人公の役割とかキャラみたいなものが、この触りのシーンだけでギュッと凝縮されていて、明快なストーリー展開に成功している。主役を演じたジェイソン・ステイサムも、おそらくこの役柄に惚れ込んでいたのではなかろうか。ギスギスした陰鬱なマフィアや、正義感に燃える熱血刑事などではなく、スタイリッシュで腕力にも自信のある元軍人という設定。なんだかジェイソン・ステイサムが二つ返事でこの役柄を引き受けた様子が目に浮かぶのだ。(←あくまで吟遊映人の勝手なイマジネーションなのであしからず。)退役軍人のフランクは、南フランスに在住のプロの運び屋として、どんな依頼品も時間厳守で正確な目的地へと届ける。その任務遂行のためにいくつかのルールを、依頼人にもまた自分にも課すのであった。 しかしそんな中、依頼品としてバッグを渡されたところ、中身を不審に思ったフランクは、ルールを破りバッグを開けてしまう。そこには、手足を縛られ口をふさがれた東洋人の女性がいたのである。この作品の見どころは、やはりカーチェイスであろう。主人公の設定が“運び屋”ということもあり、車の運転には自信があるというわけだ。 パトカーに囲まれ、四面楚歌の状況下にあっても慌てない、必ず道は開ける・・・という妙な爽快感さえ覚える。残念なのは、ラストシーンでヒロインが実父に銃口を向けるシーン。ここはやはりフランクをかばってヒロインが父に撃たれ、娘を撃ってしまった父が泣き崩れて己の罪の重さを改めて思い知る・・・的なしめくくりはどうだろうか?エンディングはうずくまる父を警察が連行、フランクの腕の中でヒロインが息絶える・・・あ、この結末はあまりにベタ過ぎてありがちかも。やっぱりヒロインが実父を撃つことでエンディングが正解か。いずれにしても、カーアクション映画としての完成度はとても高い作品に仕上げられている。2002年(仏)、2003年(日)公開【監督】ルイ・レテリエ、コーリー・ユン【出演】ジェイソン・ステイサムまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.28
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「私なら母乳が出るからこの子を連れてきたのね。この子のことだけ考え、私の子がどうなったか聞きもしない。」「(・・・そうだな)確かに。(俺は)最低だった。」「いいの。悪いのは私よ。ママが言ってたとおり。“卵は石と踊ると割れてしまう。”」 とにかく深い意味なんてない。万人の楽しめる痛快娯楽映画というものがある。「SHOOT’EM UP」が、それだ。ちまちました人間関係にうんざりしている人、上司の説教に納得のいかない人、気分転換したい人などストレスを抱えている人には持って来いの作品だ。銃撃戦の連続で、死体が山のように積み重ねられていくのだが、死んだはずのエキストラの方々も中には小刻みに呼吸していたりするから、なかなかハードな動きに息が乱れたのだろうなどと同情してしまったりする。内容と言っても、手っ取り早く言わせてもらえば“赤ちゃん救出劇”みたいなものだ。 廃墟で妊婦を襲う物騒な連中。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓とっさに妊婦を助けるスミス。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓さらに物騒な連中がなだれ込む。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓妊婦、陣痛でヘロヘロ。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓スミス、敵から銃を奪って応戦しながら妊婦の出産を手伝う。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓妊婦、無事に出産するものの逃げる途中で撃たれて絶命。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓スミス、赤ちゃん抱っこして大急ぎで売春宿へ直行。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! ↓赤ちゃんプレイ専門店なので母乳の出る娼婦に預けようとするが、一度は拒否される。 ↓バキュン!バキュン!バキュン! 以上のように、流れとしては銃撃戦の合い間はスミスが赤ちゃんを抱っこして逃走しているシーンが主である。驚いたのは、赤ちゃんに飲ませるミルクのために、赤ちゃんプレイ専門の娼婦を連れて逃走するくだり。さらに、ホテルではスミスがムラムラして娼婦と性○為に及んでいる最中、突然の敵の襲撃を受けながらもしっかりフィニッシュしているというその道のプロ技(?)を披露!最初から最後まで笑いが込み上げて止まらない作品なのだ。※あくまでアクション映画であり、コメディ映画ではないのであしからず。2008年公開【監督】マイケル・ディヴィス【出演】クライヴ・オーウェン、モニカ・ベルッチまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.11.13
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「(外は)聖人の像を燃やす祭りだ。聖人に恨みでも(あるのかね)? 私にまで火の粉が・・・。休暇中に(呼び出して)すまない。」「(僕の方こそ)行き先を言わず・・・。」「(いや)それが休暇さ。」「ままならぬ世です。」「どこでそれを?」(←どこでその言い回しを覚えた?・・・の意)トム・クルーズという役者さんは、ハリウッドスターらしいスターである。この評価は多くの映画評論家が述懐していることなので、あえて言うまでもないかもしれない。これは、彼の出演して来た過去の作品、例えば「トップガン」「レインマン」「ハスラー2」「7月4日に生まれて」最近では「ラストサムライ」等どれも演技の幅を広げることに挑み続ける“闘志”のようなものを感じさせるところから発せられるものであろう。だが一方で、ゴシップでマスコミを賑わすサービス精神もあって、それらをひっくるめてもハリウッドスター然としているのだ。ポール・ニューマンやダスティン・ホフマンなどのアメリカンニューシネマ時代のスターたちと共演することで、自分をもっと高めていこうとする向上心、なりふり構わず熱演することで状況を打開していこうとする強い意志が、過去の作品のそこかしこに垣間見られる。そういう意味で、トム・クルーズは富や名声に対し努力を惜しまない役者さんだと思う。 元IMFメンバーのショーン・アンブローズがテロリストと化し、科学者ネロルヴィッチ博士の生み出した殺人ウィルス“キメラ”と解毒剤“ベレロフォン”を奪い去ったことで事件が勃発。休暇中のイーサン・ハントの元に“キメラ”と“ベレロフォン”奪還の指令が入る。その作戦を遂行するため、盗みのプロと謳われたナイアと接触し、メンバーに引き入れる必要があった。なぜならナイアはアンブローズの元カノで、彼に接近するためには好都合だったのである。前作と比較すると2作目はサスペンス性が失われ、派手なアクションが全面に打ち出されている。またドラマチックなロマンスも加味され、視聴者を男性層から女性層まで幅を広げた感もする。主人公イーサンと峰不二子的なナイアとの絡みは、起伏があって、殺伐とした暴力的画面の連続性に歯止めをかけていた。ジョン・ウー監督のカラーをこれでもかと言わんばかりに打ち出した、豪快なアクション映画に完成されていた。※吟遊映人は、ジョン・ウー監督の「レッドクリフ」(2008年11月1日公開予定)を応援します!2000年公開【監督】ジョン・ウー【出演】トム・クルーズ、アンソニー・ホプキンスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.10.28
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「(もしもし)イーサン・ハントだ。・・・全滅だ。」「何の話だ?」「僕のチームが全滅した! ディスクは奪われた。敵は我々の動きを読んでいたんだ!」 正統派のスパイ・アクション映画、それがこの作品の感想であろう。デ・パルマ監督は過去の作品、例えば「殺しのドレス」や「アンタッチャブル」などからしてサスペンスタッチを得意としておられるように感じる。そのせいか、「Mission:Impossible」についてもヒッチコック監督の影響がそこかしこから見受けられた。だがこの影響力が功を奏し、ありがちなスパイ映画をサスペンスタッチに描写することで、正統派のスパイ・アクションとして完成させている。また、小気味良いリズムを刻む音楽も見事にマッチして、作品を盛り上げるのに効果的であった。アメリカのスパイ組織IMF、ジム・フェルプス率いるチームがプラハでの活動中、事件は起こる。盗まれたCIA情報員のリスト(NOC)を奪回するための作戦であったが、イーサン・ハントを除くメンバーが次々と殺されてしまい、チームは全滅してしまう。生き残ったイーサンは、やっとの思いでCIA本部と連絡を取り、キトリッジとカフェで会うことに。そこで聞かされたのは、IMFに内通者がいるということ、そして今回の作戦はそれを暴くために仕組まれたものであると知り、イーサンはがく然とする。まず、「レインマン」に出演していたころのトム・クルーズではなかったことに驚いた。 この作品にどれほどの意気込みがあったのか、とにかく熱演している。そしてそれが見事な演技力として花を咲かせている。やっとの思いで公衆電話を見つけ、息を切らしながら受話器を握りしめるシーンなど、こちらまで100メートルを全力疾走した気分にさせられてしまう。また、ラストでは走る列車の上で吹き飛ばされそうになりながら敵と格闘するシーンなど、ハラハラドキドキの連続だった。正統派のアクション映画を堪能して、大満足のひと時を過ごさせてもらえた。1996年公開【監督】ブライアン・デ・パルマ【出演】トム・クルーズ、ジャン・レノまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.10.26
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「気分いいでしょ。軍で学んだ技を使えて。」「俺は軍関係じゃないよ。」「商人でも警官でもない。道場に通って(修得したの)?」「あれ(カンフー)は、ビデオで独習したんだ。」何が愉快って、とにかくスクリーンの向こう側に思わず「やっちゃえ~!」と叫んでしまう作品であることだ。もちろん、当管理人は暴力を奨励しているわけではない。だがセガールが、ゆったりとした重みのあるカンフーでギャングたちをこてんこてんにやっつけるのを見ると、スカッとしてしまう。それはまるで、炎天下の外から冷房の効いた部屋に入って、キンキンに冷えたコーラを飲む時の清々しさに近いかもしれない。正直、作品からは、息子を失った父親の哀しみであるとか甘いロマンスとか殺人を重ねていくことの苦悩とか、そんな感傷的なムードは微塵も感じられない。暴力→銃撃戦→暴力→銃撃戦→時々カーアクションこのくり返しが人間のサディスティックな本能をくすぐり、やがてマヒさせる。視聴者のコワいもの見たさは、ピークに達するのだ。マックスは潜入捜査官として、ギャングのはびこる危険地域に足を踏み入れていた。そんな中、何者かに殺害されてしまう。息子の訃報に怒りを覚え、復讐の鬼と化したマックスの父サイモンは、立ちはだかるギャングたちを次々と倒していくのだった。上手いことネーミングしたものだと感心したのは、“沈黙の報復”という邦名タイトル。 本当にろくにセリフもなく、ガンガン撃ちまくってボコボコに殴り倒してピューピュー血しぶきを上げて復讐していくのだ。この作品は、意味のある名画などで、むやみやたらと考えさせられることに飽きた人たちにオススメだ。視聴者に多くを期待しない作品は、実は一番ストレートで痛快なのかもしれない。2007年公開【監督】ドン・E・ファンルロイ【出演】スティーヴン・セガールまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.09.20
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「ヴィクトリアが卒業したら故郷に戻る。ニューヨークへ。だから・・・どう言ったらいいのか・・・君も一緒に来てほしい。なぜなら君はもう私たちの家族だから。家族はいつも一緒にいるべきだ。少なくとも私たちはそうしたい。」稀に見る興味深い作品だった。個人的にとても気に入った内容で、思い立って同じ日にもう一度鑑賞してしまったほど映像・脚本・演出、全てに陶酔してしまった。まず設定がおもしろい!アジア人のダニーが、幼いころから犬のような生活を強いられ、首輪でつながれている点。これは、支配文化の中において“白人”以外の人種が社会的地位の向上を目指すことを好しとせず、有色人種に対する抑圧、アイデンティティの抹殺を表現しているかに見えた。だが、そのダニーを救うのは盲目というハンディを背負う黒人サムである点が、非常に社会性を感じる。難い話はここまでにしておこう。この作品をどういうジャンルに区分するか、実はかなり迷った。単なるアクション映画とは思えなかったからだ。かと言ってヒューマンドラマと言うには大げさ過ぎる。サスペンスにしてはミステリアスな部分がほとんどなく、ストーリーは大味ながらも安心して先が読めてしまったからだ。結局、アクション監督として起用されていたユエン・ウーピンの名前を見つけたことで、「やっぱりアクションか」と自分を納得させたわけだ。5歳の時に誘拐され、以後は金貸しのバートのもとで殺人マシーンとして調教を受けて来たダニーは、借金の取立てに連れ出されては債務者を痛めつけていた。首輪をつけられ、感情を失いかけ、バートの奴隷として薄暗い地下牢に着の身着のままの生活を余儀なくされていた。そんなある時、骨董品の倉庫でピアノに心を奪われていたダニーは、盲目のピアノ調律師サムに声をかけられる。このサムとの出会いにより、ダニーの人生は少しずつ変化していくかのように思えた。 ダニー役を演じたジェット・リーは、童顔も手伝ってソフトとハードの面をきっちりと演じ分け、見事な演技力を披露してくれた。モーガン・フリーマンも、盲目のピアノ調律師サムという役どころを好演。この映画が社会的メッセージを含んでいるにしろ、いないにしろ、我々はイデオロギー的表現から目を背けるわけにはいかない。程度の差こそあれ、映画で描かれている人種間の問題やフィクションの中の真実を、しっかりと見据えていかねばならない。2004年(仏)、2005年(日)公開【監督】ルイ・レテリエ【出演】ジェット・リー、モーガン・フリーマンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.09.12
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「ジョン・・・応答しろ。」「ジョンだ。どうした?」「すまない・・・オレはダメだ。」「ラッチャーは?」「F-16だ。」「心配ない。オレが始末する。」この乾いた男の世界は、とうてい女には理解し難い。組織の中で、絶対的な上下関係と、命令、服従の立場を崩さず任務を遂行するというのは、感情のある人間にとって至難の業なのだ。この作品はストーリーうんぬんより、非日常的な戦闘シーンを映像から楽しむことに意義がありそうだ。空軍の要請によって海軍が連携プレーを取る組織と組織のきずな。「彼にはスコッチ一本の貸しがある」などと、半ばジョークのようなやりとりの中にも緊張感があって気が利いている。また、姿を消し、敵の眼を欺く戦闘機が開発された、という設定も実におもしろいではないか。近い未来、実現しそうな予感さえする。優れた戦闘能力を持つジョンは、あまりにも多くの軍の機密事項を知りすぎていたため、記憶消去される措置を取られようとしていた。ジョンは、仲間の手引きによってすんでのところで脱出に成功。ところが、逃走中に立ち寄ったスーパーで強盗に出くわす。ジョンは数人の強盗犯をたった一人で退治してしまうのだった。一方、米軍のステルス戦闘機が訓練中に盗まれてしまう。国家最強の兵器であるステルス戦闘機を、何が何でも奪還するべく、バーンズ大将(将軍)は除隊を希望しているジョンに懲罰免除を条件に兵器奪還を依頼するのだった。作中、テロリストのナンバー2女性工作員と、ジョンの恋人とのお色気シーンがある。 女性二人の絡みは、なんというか、乾いた男の世界に色を加える効果があって、それはそれなりに良いのかもしれない・・・。言わば、「水戸黄門」における由美かおるの入浴シーンにも似た効果を持ち合わせている(?)と思った。アクション映画としても、パニック映画としても楽しめる作品なのだ。2007年公開【監督】ミヒャエル・ケウシュ【出演】スティーヴン・セガールまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.08.02
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「先生の仇を討ちます!」「よしなさい。報復などしてはならない。憎しみは・・・更なる憎しみを呼ぶだけだ。見苦しい報復より、自分を磨くことが肝要だ。」中国四千年の歴史を誇るとは、誇張ではない。いにしえの賢人たちの説いた思想、哲学をDNAによって連綿と受け継いでいる民族なのである。そして、人間としてあるべき姿、生きていくプロセスを非常に重んじる。その結果、挫折から学び、失敗をバネにしてのし上がろうとするその執拗さは、単なる“努力家”という言葉では表しきれない、底知れぬ熱いものを感じる。この「SPIRIT」においても同様のことが言えるだろう。幼いころの屈辱的な汚名や、明らかな過失を決して好しとせず、名誉挽回、汚名返上に心血を注ぐのだ。それは、辛酸と苦杯を嘗め続けて来た者が、「今にみてろ」と闘志を燃やす、命を賭けたリベンジなのだ。少年時代、ケンカでこてんぱにやられてしまったフォは、子ども心にも“強くなって絶対に負けない武術家になる”と、自分に誓う。その後、稽古に稽古を重ね、天津でも有名なツワモノとしてその名を轟かせることになるが、一方で己に対する自惚れが強くなり、酒に溺れ、浪費が重なった。ある時、弟子が武術家チンに負けて大ケガを負ったことで、フォは悔しさのあまり憤り、仇を討つ。ところが今度は殺してしまったチンの弟子たちが、報復を企み、フォの母親と最愛の娘を殺してしまう。フォは深い哀しみと絶望感に浸りながら、己を忘れて彷徨い歩くのだった。スピード感のある華麗な武術指導は、言わずと知れたユエン・ウーピンである。「キル・ビル」や「マトリックス」など、アクション監督として世界にその名を轟かせた。作品のラストは、日本人ビジネスマンが己の利益のために毒を盛って主人公の抹殺を計るが、この件はどちらかと言えば日本人の発想ではなく中国人の発想そのものに思えた。勝つためには手段を選ばない、必殺の戦術で攻めて来るのだから。「報復などしてはならない。憎しみは更なる憎しみを呼ぶだけ」という言葉を今一度かみしめて、我々はそれぞれの立場を尊重し、敬うことによって共生していかねばならない。2006年公開【監督】ロニー・ユー【出演】ジェット・リー、中村獅童また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.07.27
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「フルーリー、フランの死を知って泣きそうなジャネットに何を囁いて慰めた?」「おじいさんは死ぬ前、何を囁いたの?」「覚えてる?」「・・・“奴らを皆殺しにする。”」「“心配ない、仲間が奴らを皆殺しにする。”」映画の発する社会的メッセージがこれほどわかり易い作品は、なかなかない。だが裏を返せば、そのぐらい単純なことでも公に表現しなければ社会は完全に誤読してしまう恐れがあるのだ。我々はいつだって自分が正しいのだと信じている。そうでなければ「正義」なんて机上の空論でしかなくなってしまうからだ。だからせめて、正しい知識と理解を持った上で自分を信じていこうではないか。舞台はサウジアラビアの首都リヤド。外国人居住区でソフトボールの試合中、事件は起こった。突然のテロ勃発。首謀者はアルカイダのメンバー、アブ・ハムザ。死傷者300人を越える犠牲者の中に、FBI捜査官も含まれていた。本国アメリカで連絡を受けたFBIのフルーリーは、捜査に向けて4人の精鋭チームを結成。たった5日間という期限付きで現地へ出発した。絶対君主制のサウジアラビア王国では、要職は王族が独占。国会などというものは存在しない。国王の命令そのものが法律と見なされているのだ。拡大する貧富の差と厳格なイスラム教義。とにかく、アラブ諸国を理解するにはまずイスラム教を知らねばならない。(西欧諸国を理解するのにキリスト教を知るのと同様。)だが聖書に代わるコーランを読むと言っても、近所の書店ですぐに見つかるような代物ではないのも事実だ。宗教と民族と文化が利害を伴って複雑に絡み合っている以上、映画一つで簡単には理解できない。この作品を通して感じるのは、世界最大の石油産出国の巨万の富に隠されたテロリズム。 そしてエンドレスに繰り返される、復讐劇。ジハード(聖戦)と呼ばれる自爆テロは、戦時中の日本の神風特攻隊にも似て、もはや捨て身の人間兵器と化しているから手の施しようがないのだ。我々はそこから何を学ぶのか。未来を担う子どもたちのためにも、中東問題を深刻に受け止めていかねばならない。2007年公開【監督】ピーター・バーグ【出演】ジェイミー・フォックスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.12
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「(もしもし)FBI長官ウォマック。」「長官、報告しておく。81名の・・・繰り返す、私は81名の民間人を預かっている。このことは関係者以外の耳に入れるな。」「(君は)誰だ?」「長官、事態は深刻だ。高致死性ガス・ロケットがサンフランシスコ市に向けて発射態勢を整えてる。我々の要求は0時に伝える。」「君は何者だ?」「米国海兵隊のハメル准将だ。」硫化水素自殺で亡くなる者が各地で相次ぐ中、我々は日々毒ガスの脅威に怯えている。 無色無臭の見えざる敵に、我々は対処の術を知らない。猛毒ガスと言われるVXガスの脅威を、映画の中とは言え、一体どれほどの威力があるのかを知識として知っておいても無駄にはならないだろう。アメリカ海兵隊の伝説的英雄であるフランシス・ハメル准将は、アメリカ政府の不当な扱いを糾弾。それはかつての彼の部下たちが非合法作戦に従事した際、敵に包囲されても援護せず、見殺しにされたという経験があった。だがその事実は隠蔽され、勲章もなければ弔慰金も支払われず、埋葬式典すらないという不当な扱いだったのだ。ついに堪忍袋の緒が切れたハメル准将は、非業の戦死を遂げた部下たちの魂に報いるため、政府に対する謀反を決行。化学兵器である猛毒ガスの奪取という行動に出る。“ザ・ロック”と呼ばれる孤立無援の流刑所のあるアルカトラズ島に、観光客81名を人質に立てこもり、政府に対し遺族に補償金として1億ドルの支払いを要求する。さらに、この要求が却下された場合は猛毒ガスを搭載したロケットをサンフランシスコに投下するという最悪のシナリオが出来上がっていたのだ。さすがに初代ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーの勢いは、老いたりと言えどもなかなかどうしてその加速は止まらない。正に、“老兵は死なず”というやつだ。61歳という設定だが、その登場シーンからしてただ者ではないことがひしひしと伝わって来る。エリートスパイのニオイがそこかしこからプンプン漂っているから不思議だ。また、それに対するエド・ハリス、この役者も互角に演じていて見劣りしない。冷静で武骨な軍人役には打って付けの人材なのだ。この二人の絡みは目を見張るものがある。流刑所のシャワー室での銃撃戦をぜひともご覧いただきたい。正々堂々と海兵隊員としての名乗りをあげ、任務遂行を実行するその哀切極まりない銃撃シーンに胸を打たれた。作品全体を通して、演じる一人一人が輝いている映画なのだ。1996年公開【監督】マイケル・ベイ【出演】ショーン・コネリー、ニコラス・ケイジまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.08
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「ランボー、悪い知らせだ。」「何です?」「(大佐たち)調査隊がソ連に捕まった。情報によると大佐たちはソ連の基地に監禁中だ。」「(何か)対策は?」「お手上げだ・・・残念だが。ただ(とりあえず)知らせに来た。」「俺の手で・・・」「・・・と言うと?」「救出に行く。」スタローンの手掛けた作品にどれも共通しているのは、彼の信じているキャラクターのポジションを変更させたくないという思いだ。新鋭の監督や、試行錯誤中の役者などはマンネリ化を恐れ、すぐに新しい試みに挑もうとする。変化のあるシリーズ作品は賛否両論分かれがちだが、それでも少なくとも半数の視聴者からの支持は確実に得られるからだ。その点、スタローンの脚本はそういう斬新さを拒絶するかの如く変化に乏しい。だがそれで良い。それでこそ“スタローン”なのだ。我々が求めているのは“スタローン”であって、もどきではないからだ。ランボーはタイのバンコクにある仏教寺院に身を寄せていた。日銭を稼ぐために賭博の格闘技などをしながら、日々の生活を送っていたのだ。そんなある日、トラウトマン大佐がランボーのもとに訪れる。今度はアフガン潜入調査の依頼であった。だがランボーは、これまでの戦いで心に深い傷を負っていたため、その依頼を辞退する。 しばらくした後、トラウトマン大佐がアフガン現地調査の際ソ連軍に拉致されたことをアメリカ国務省から派遣されて来たグリッグスから聞かされ、ランボーは救出のためアフガンに向かうことを決意する。スタローンという人物は、とにかく賢い人だと思う。アクションに必要な全ての小道具を揃えることを厭わないからだ。軍用ヘリから戦車から機関砲から弓矢からマシンガンから、あらゆる武器という武器を揃えて派手にドンパチやってくれるのだ。これでもかこれでもかと敵を倒し、表情一つ変えずに目的を遂行していく勇者“ランボー”。 この野獣の如き人間兵器は老いを知らず、スクリーンを縦横自在に駆け巡るのだ。これぞアクション映画の醍醐味と言えるだろう。とにかく“ランボー”は派手に戦ってくれれば良い。演技力はあとからついて来るものなのだから。「ランボー」の次回最終作を、楽しみにしようではないか。1988年公開【監督】ピーター・マクドナルド【出演】シルヴェスター・スタローン また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.04
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「君はもう自由だ。我々の所へ戻って来い。」「(戻ったところで)何がある。友達はここで死に・・・おれの心も死んだ。」「間違った戦争だったが国を憎むな。」「憎む? (おれは)命を捧げます。」「では何が望みだ。」「彼らが・・・望んだことです。彼らはこの土地へ来て戦いに身を投じながら一つのことを願った。国への想いが報われることです。・・・おれも同じだ。」これほどまで主人公のセリフが少ないシリーズも珍しい。だがスタローンは自己分析の長けている知的な俳優なので、「ロッキー」シリーズにしろ「ランボー」シリーズにしろその作品が何をメインとしているのかをよく認識している。「ランボー」にストーリーなんかいらない。いかに強くたくましい勇者であるかをスクリーンに映し出す、それがこの作品のメインなのだから。そしてスタローンは“ランボー”という強い男のイメージを、そっくりそのまま我がものにすることに成功した。どんなに過酷な状況でも屈することなく、やがて己の足で立ち上がってリベンジする精神力。この打たれ強さ、忍耐力は、日本人の眠れる魂を揺さぶるのかもしれない。その証拠に80年代の日本では、「ランボー」が大ヒット。名実ともに“ランボー”イコール“スタローン”という図式ができ上がったのだ。服役中のランボーのもとに、ベトナム戦争時代の元上官であるトラウトマン大佐が訪れる。ランボーにしかできない極秘任務の依頼のためだった。それは、ベトナムの捕虜収容所付近に潜入し、いまだ囚われの身となっている戦争捕虜の姿を証拠写真として撮影して帰ることだった。任務を承諾したランボーは、タイの米軍基地から軍用ヘリでベトナムへ潜入。決死の覚悟で収容所に到着すると、その凄まじい劣悪な環境にがく然とする。檻の中でアメリカ兵たちはやせ細り、マラリアにかかって熱にうなされ、あるいは化膿した傷口をねずみがかじっているという驚愕の惨状だったのだ。任務はあくまで“証拠写真の撮影のみ”で、決して捕虜の救出ではなかったが、ランボーは命令を無視して囚われの身となっている全てのアメリカ兵を助け出すことを決意する。印象に残るのは、ランボーが泥に同化して目だけがギョロリと動き、次の瞬間敵を容易く倒して、たった一人でゲリラ戦を続けていくシーン。ランボー一人に対し、敵は何百、何千人体制で交戦するのだから、いかにランボーが屈強であるかお分かりであろう。そんな人間兵器“ランボー”は、肩の力を入れずに勧善懲悪のアクション映画として多いに楽しみたい作品なのだ。1985年公開【監督】ジョージ・P・コスマトス【出演】シルヴェスター・スタローンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.03
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「この任務は終わった・・・任務は終わった! 外を見ろ・・・見ろ! (おまえは)殺されるぞ。殺されたいか? もう終わった・・・終わった!」「何も終わっちゃいないんだ! 俺にとって戦争は続いたままなんだ!」“アクションスター”という言葉だとどうもしっくりこないので、あえて“肉体派俳優”と表現させてもらうことにする。この“肉体派俳優”と呼ぶのはここではスタローンのことだが、昔のアーノルド・シュワルッツネッガーあたりもこれに相当する。セリフこそ多くはないがそこに存在するだけで威圧感があり、マシンガンなど持たせたらそれだけで宣伝用ポスターになってしまうような、灼熱の炎がバックに似合う俳優、とでも言おうか。1982年当時のスタローンは、若くて実に男くさい。何か得体の知れない重圧を背負った戦士のようでもある。そういう意味でこの作品の主人公“ランボー”は、はまり役だった。ベトナム戦争の帰還兵であるランボーは、かつての戦友に会いに来た。だが友人はベトナムで浴びた化学兵器の後遺症からガンに侵され、すでに亡くなっていることを聞かされ愕然とする。行くあてのなくなったランボーは、仕方なくとぼとぼと街に向かって歩いて行くが、途中、保安官に呼び止められる。保安官は親切を装い車に乗せるが、着いたのは町外れだった。保安官は流浪者を嫌い、よそ者を町へ入れようとはしなかった。だが食事をしようとランボーが再び街に向かって歩き始めると、保安官は踵を返してランボーを取り押さえ、無抵抗の彼を逮捕し連行するのだった。この作品は、ベトナム戦争による帰還兵の受けた心の傷がテーマとなっている。ストーリー展開はかなりオーバーアクションな面も見受けられるが、裏を返せばそれだけに当時のアメリカでは社会問題となった証拠であろう。「ロッキー」の顔とは違った、スタローンの体当たりの演技が光っている。セリフこそほとんどないが、鋭い眼光と鍛え抜かれた肉体の厚みが映像の中で充分に生かされている。スタローンファン必見の映画なのだ。1982年公開【監督】テッド・コッチェフ【出演】シルヴェスター・スタローン また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.05.01
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「母親と妹は死んだと思ってるだろう・・・? 勝負もついたと・・・。まだ終わってないぞ・・・二人は生きてる。」「(母と妹は)どこにいる? どこだ?・・・どこだ!?」「会いに行くがいい・・・業病の谷へ・・・見分けがつくかな・・・? 勝負はまだつかんぞ・・・勝負は・・・まだ・・・」いつの時代にも差別はあった。そしてそれは根強く、なかなか拭い去ることのできない深い傷跡を残した。それは遠い異国の話などではない。我が国でも存在する。寝た子を起こさないように誰もが沈黙を装っているに過ぎない。あるいは臭いものに蓋をしてどうにか現状を維持しているというところか。もしかしたら、他人事として捉えていてそのこと自体知らない者も多いだろう。だが、これだけは確実に言える。この世は“差別”だらけだ。罪人としてガレー船の漕ぎ手を経て、ベン・ハーは司令官の養子となる。司令官は、命の恩人でもあるベン・ハーの横顔に亡き息子の面影を覚えたのだった。だが、ベン・ハーはローマに止まることを好しとしなかった。エルサレムへ戻って、母と妹の行方を何としてもつき止めたかったのである。やがてエルサレムで大競馬の競技で、不敗のメッサラに挑むベン・ハー。激闘の末ベン・ハーは勝利を収めるが、メッサラから聞き出した母と妹の行方について、思わず愕然とする。何と二人は不治の病である業病※にかかっており、隔離されて“死の谷”にいるとのことだった。みどころはやはり大競馬のシーンであろう。半世紀も昔に撮影されたとは思えないほどの大迫力!もちろんCGなどない時代。全てがアナログ。馬のいななき、風に舞う砂埃、馬車から振り落とされて絶命する者、そしてそれを固唾を呑んで見守る大衆の群れ。さらに、ベン・ハー役のチャールトン・ヘストンの彫りの深い顔立ちと精悍な体格は、そこに存在するだけで絵になるから不思議だ。その存在感たるや周囲の喧騒を呑みこみ、よどみないセリフと鋭い眼力で他を圧倒していた。そんな彼は、私生活では大変堅実で、ハリウッド・スターには珍しく離婚歴がなく、生涯をただ一人の女性(リディア夫人)と連れ添った。数々の名作にその名を連ねてきた往年の大スターも、寄る年波には勝てなかった。本年四月五日逝去。ご冥福をお祈り申し上げます。※業病とは現代におけるハンセン病と思われる。(らい病とも呼ばれるが、現代では差別用語として避けられている。)【参考】「砂の器」松本清張・著、「もののけ姫」宮崎駿・アニメ映画1959年(米)、1960年(日)公開【監督】ウィリアム・ワイラー【出演】チャールトン・ヘストンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.04.29
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「なぜ(私を)助けた?」「(では)なぜ(私の)鎖をはずさせたのですか?」「(おまえの)名は何という?」「ジュダ・ベン・ハー。」「ジュダ・ベン・ハーか。・・・(私を)死なせてくれ。」「(あなたの主義は)“役に立たぬ者は殺す”でしたね。」学生時代に「ベン・ハー」と「モーゼの十戒」についての考察のレポートを提出したことを思い出した。キリスト教学は必須科目だったので、どうしても落とせない単位だった。だがそのおかげで、宗教と国家の密接な関係や宗教のもたらす民族闘争、宗教支配による絶大な権力など様々な問題を学ぶ機会を得た。日本では八百万の神々に庇護されているという独自の宗教観を持つため、“唯一絶対の神”という宗教観を認識するのは難しい。世界史を知るにはやはり、宗教についての知識をある程度認識しておくことが必須である。そこで、永遠のベストセラーと謳われている聖書を、果たして日本人はどの程度読んだことがあるだろうか?「私はクリスチャンではないから」などと言わずに、向学のため一読を勧めたい。難解だと思われる方には「聖書物語」というかなり意訳された、読み易いタイプも発売されている。それでもキツイ方には児童向けの絵本もあるから、ぜひとも手に取っていただきたい。 その後にでも「ベン・ハー」なり「モーゼの十戒」なりを鑑賞したら、絶対に作品に対する意識が変わるはずだ。作品の舞台はローマ帝国支配時代。ユダヤ人であるジュダ=ベン・ハーの半生を描く。エルサレムに一人の若き司令官メッサラが赴任する。メッサラは、ユダヤ人貴族のベン・ハーと竹馬の友であった。だが、ローマ人のメッサラとユダヤ人のベン・ハーは支配者と被支配者という関係にあり、二人の友情にはいつしか亀裂が生じてしまう。そんなある日、新総督の行進中、ベン・ハーは妹と屋上からその様子を見守っている最中、不慮の事故が起きてしまう。そのことが引き金となり、メッサラはベン・ハーとその一家を罪人に貶め、奴隷以下の扱いをする。ベン・ハーは罪人としてガレー船の漕ぎ手になるべく、護送されるはめになった。手足を鎖でつながれ灼熱地獄に喘ぎながら、砂漠を護送される中、ベン・ハーに一杯の水を与える男が現れた。正しく彼こそ、イエス・キリストその人であったのだ。 伝説の大競馬のシーンに向けて、物語はいよいよ盛り上がっていく。前編では、キリストの誕生とベン・ハーの数奇な運命が交差し合い、やがて接点が生まれる。メッサラから受けた屈辱の極みを、ベン・ハーは血と骨に刻みつけ、復讐を誓うのだ。 だが一方でキリストは言う。“憎悪からは何も生まれない”と。この作品がすばらしいのは、人間としての生き方の根源的なことを分かり易く物語っているところだ。誰かを傷つければ必ず自分も傷つけられる。“因果応報”を、子供でも分かるように、だが、明確なテーマを掲げて表現しているのだ。1959年(米)、1960年(日)公開【監督】ウィリアム・ワイラー【出演】チャールトン・ヘストンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.04.27
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「(俺に)“構うな”と言ったろ? 世界の裏側に行ったのに。」「過去からは逃げられん。最後まで。・・・お前がそうだ。殺し屋だ。いつまでもな。・・・さあ、早く殺れ。」「(いや)マリーがイヤがる。だから生かしておく。」前作に引き続いてのこのカメラワーク、撮影技法は、観る人にもよるだろうが、船酔いの気分さえする。手持ちカメラ感覚の小刻みなブレは、あるいは作品に臨場感を持たせるのに効果的かもしれない。スリルやリアルを追求する上で、必要な手法であることは否めないが、いかんせん安定性がないので疲れてくる。「時間軸の解体」を得意とするソダーバーグ作品でもこの手持ちカメラ感覚の撮影技法が採用されているが、全く趣は異なる。舞台はインドのゴア。恋人マリーと共に新しい人生を始めようとしていたジェイソン・ボーンであったが、すでに2年の時は空しく過ぎ去り、失われた記憶はいまだ戻っていなかった。毎晩、悪夢にうなされ、その度に夢の断片をメモしては記憶をたどるという気の遠くなる作業をくり返していた。そんなジェイソンの姿を側で見守るしかないマリーもまた、苦悩するのだった。そんなある日、街で怪しい男を見かける。ジェイソンは持ち前のカンですぐさま車に乗り、逃走。男は容赦なく追いかけて来る。途中、ジェイソンはマリーと運転を交代し、男の狙撃に備えるのだが、男の放った弾丸が運転中のマリーに命中。マリーは絶命する。この作品の見どころは前作に続いて、マット・デイモンが憂いを抱えた孤独な男を冷静に演じているところであろう。(カーチェイスなどのアクションシーンはもちろんだが。)マット・デイモン出演の作品は「リプリー」を観た時が初めてだったかもしれない。彼は、何か暗澹として救い難いコンプレックスを抱えているような、いわば変質者的な役柄を得意としている役者のように思えた。サスペンス好きの自分としては、「リプリー」で好演を果たしたマット・デイモンは、絶対に人気俳優になるなと睨んでいた。決してハンサムな俳優ではないし、雰囲気に花のあるタイプではない。だが、変幻自在にキャラクターを演じ分けるマット・デイモンは、正にストイックな「演技派」俳優として末永く活躍が期待できそうである。2004年(米)、2005年(日)公開【監督】ポール・グリーングラス【出演】マット・デイモンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.25
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「自分のことが分からんのか!」「僕は誰だ?」「(おまえは)米国政府が3000万ドルかけて育て上げた人間兵器だ。その兵器が爆発した! どういうことか説明しろ。」「なぜ(俺を)殺す?」スパイ・アクション映画も、「007」シリーズでほぼ飽和状態かに思えた。しかし、この作品を観たことでまだまだ映画の奥行は残されていることを知った。サスペンス、スリラー作品をこよなく愛する自分としては、ヨーロッパの古い街並みを舞台に、凍てつく真冬の古い安宿で、身に迫る得体の知れない危機と、自分が誰なのか分からない恐怖とに苦悩する脚本設定は気に入った。だがそこにスパイ・アクションが絡んで来ると、この映画全体の趣はガラリと変わる。 嵐の中、大西洋上を漂う男が漁船に救出される。男は背中に銃撃を受けており、虫の息だったが、強靭な生命力で奇跡的に助かったものの、自らの記憶を失っていた。唯一の手がかりは皮膚に埋め込まれていたマイクロフィルムで、それにはスイス・チューリッヒ相互銀行の貸し金庫の口座番号が映し出された。貸し金庫の中身を確かめると、中には数種類のパスポートに多額の札束、拳銃が入っている。一方、CIA本部ではミッションが失敗に終わったという報告を受け、敏速な追跡調査が開始される。そしてCIA幹部の意向で、ジェイソン・ボーンの抹殺指令が下る。そんな中、数種類のパスポートに困惑していた記憶喪失の男は、アメリカ国籍ジェイソン・ボーンとして、何か得体の知れない己の危機に直面していく。この作品を観る時の体調までとやかく言うのは、おせっかいかもしれない。だが、内容は重く、生死をかけてのアクションシーンも多く出て来て、とにかく先の見えない展開に疲労感が募る。万全の体調で鑑賞したい映画だ。主人公を解き明かしていくポイントは、いくつか出て来る。まず、イタリアの小さな港町で行き先も定まらず真冬の公園のベンチで寝ていると、パトロール中の警官二人に咎められる。男は無意識のうちに警官を叩きのめし、その場から立ち去る。ここで男が格闘技に精通していることがわかる。また、食事に入ったお店では、まず出入口の確認と、店員と客の数を即座に頭に入れ、店先に路上駐車された6台の車のナンバーを記憶する。この男が尋常な職業ではないことが把握できる。さらには、(アメリカ国籍であるはずなのに)フランス語で書かれた新聞を何の抵抗もなく読んでしまうシーンから、かなり知的レベルの高い人物であることがわかり、いよいよ「スパイ」であることが判明する。こういう一連の流れは、サスペンス映画としては徹底したこだわりで好評価。カーチェイスなどアクションを見せ場としているシーンは、狭い路地を駆け抜けたり、対向車線や階段を走行したり、息もつかせぬ緊迫感に見舞われる。だが、いかんせん疲れてしまった。原作がスパイ小説の三部作になっているので、もちろん映画も続編があるのだが、万全の体調の時にこそ鑑賞して欲しい。少しでも気分が萎えていたり、偏頭痛に悩まされている時に観ようものなら、とことん打ちのめされてしまいそうな狂信的な暗さしか感じられないかもしれない。2002年(米)、2003年(日)公開【監督】ダグ・リーマン【出演】マット・デイモンまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.03.24
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「邪魔をするな! その男は卑劣な方法で父上を殺したのだ。私は父上の仇を討つ。私とあの男の間のことはお前たちには関係ない。無駄な殺生はしたくない。どけ!」「(毒入りの盃を手にしながら)見事な気迫だ。さすがはわしの甥だけのことはある。お前が死なぬ限り、こういう日が来ると思っていた。復讐の一念で死の底からはい上がって来たか。お前の気持ちにほだされて、女たちがお前を生き延びさせたのか。それともどんな策略も無垢な心には敵わぬということか。あるいは・・・兄上、あなたの魂があの世で息子を見守り、私の血であなたの栄光を取り戻すのですか。だとしたら・・・兄上、尊厳はお返ししよう。(毒入りの酒を飲み干す)」キアヌ・リーヴスがエビ反りになって弾丸を避けるシーンで有名な「マトリックス」。 その作品において、銃撃戦のシーンは最終局面を迎えてしまった。本来、発射された弾丸を画面上に映し出すことなど不可能だったにもかかわらず、あえて、拳銃から撃ち放たれた瞬間から弾丸のゆくえをカメラで追うというものだ。「女帝」でも同じ手法が扱われているのだが、言うまでもなく、「マトリックス」と同じアクション監督であるユエン・ウーピンが起用されていた。「女帝」においては、弾丸に代わるものとして射放たれた矢(あるいは槍のようなもの)が画面上に映し出され、そのゆくえを正面から、あるいは側面から鑑賞できるのだ。この作品は、中国、唐王朝が滅びた後の戦乱期が舞台となっている。ある日突然、皇帝が謎の死を遂げる。その後、皇帝を継承したのは亡き皇帝の弟リーであった。リーは、先帝の皇后である類まれなる美貌を備えたワンを己の皇后に即位させ、寵愛する。が、皇后が想いを寄せるのは、先帝の皇太子(歳の近い義理の息子)であり、現皇帝の魔の手から守ろうと必死に策をめぐらす。なぜなら、リー皇帝こそが先帝を暗殺した張本人であったため、先帝の血筋を引く皇太子もいく度となく命の危機に脅かされていたからだ。原案「ハムレット」と謳っているだけあり、舞台をデンマークから中国に置き換えて作られた悲劇の物語である。ワイヤーアクションを駆使して、空を飛び、四方を駆け巡り、時には前転後転をくり返してこだわりぬいた武闘シーンは、正に芸術的だった。さらに、チャン・ツィイーが額に青筋を立てて怒りを露にするシーンなどは、演技への気迫が感じられ、アジアを代表する女優であることが充分理解できる。全体を通して、アクションシーンと映像美を堪能できる一作なのだ。2007年公開【監督】フォン・シャオガン【出演】チャン・ツィイー、ダニエル・ウーまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.02.26
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【ダイ・ハード】「要求を聞こう。」「同志たちが世界各地の刑務所にいる。アメリカは世界一の軍事大国だ。力を貸してもらおう。これから言う同志たちを釈放させろ。北アイルランド解放戦線の7人、カナダの自由ケベック運動の指導者5人、スリランカアジアの曙運動の8人。」 建国の神話を持たない国であるアメリカだが、それに代わるものとして、いやそれこそがアメリカの象徴として君臨して来たのが「西部劇」である。それゆえ、多くのアクション映画の根底には、この「西部劇」のパターンが脈々と流れているのだ。「ダイ・ハード」を観終わった観客の誰もが、この作品の中に西部劇へのオマージュを感じたのではなかろうか。ニューヨーク市警のジョン・マクレーンは、クリスマスを家族とすごすためにロスへやって来た。妻のホリーは日系企業のナカトミ・コーポレーションで成功を収め、夫のジョンをナカトミの主催するクリスマス・パーティーに招待するところから物語は展開する。一方、ハンス・グルーバーと名乗るテロリストのリーダーとその配下たちが、ナカトミの巨額な資産を狙ってビルを占拠する。ジョンは外界と遮断されたビル内で、たった一人テロリストたちに立ち向かう。記念すべきダイ・ハードの一作目で、テロリストのリーダーを演じたアラン・リックマンの起用は大成功だった。どこか滑稽で冴えない男、ブルース・ウィリスとは対照的に、洗練された身のこなし、流暢なイギリス英語、「タイム誌」を読んでいるというインテリジェンスな役柄は、アラン・リックマンでなければ成し得なかった悪役であろう。ケビン・コスナーと共演を果たした「ロビン・フッド」でも、ノッティンガムの司法官役として完全な悪役に徹した。その憎々しげな態度といい、奥歯にモノの挟まったような皮肉たっぷりの物言いは、悪役としていわば「当たり役」だった。(英国人俳優ならではとも言える。)この二人のスターが共演して、熱のこもった演技を披露した作品が不評に終わるはずがないではないか。ダイ・ハードはこの一作目の大成功により、次々と続編が生み出されることになるのだ。 1989年公開【監督】ジョン・マクティアナン【出演】ブルース・ウィリス、アラン・リックマン
2008.01.27
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【ダイ・ハード2】「よかった。もう会えないかと思った。」「私もよ。」「愛してるぜ。」「テロだったそうね。」「うん、そうらしい。」(中略)「愛してるよ。」「なぜ私たちこんな目にばかり遭うの?」「帰ろう。」どの作品にも言えることかもしれないが、続編が前作を越えるというのは非常に難しい。 前作が好評であればあるほど、製作者サイドは肩に力が入ることだろう。「前作を上回る作品を作らねば」、そんな気持ちでスタッフ一丸となって作り上げているに違いない。そんなことをあれこれと想像しながら「ダイ・ハード2」を観てみた。前作同様、不死身の男ブルース・ウィリスはここでも大活躍を見せてくれた。マクレーンはクリスマスを妻のホリーといっしょにすごすため、ダラス国際空港まで迎えにやって来た。空港内で不審な2人組の男を見かけ、マクレーンは密かに尾行する。2人組が荷物室で挙動不審な行為に及んだところ、マクレーンが声をかけたことから銃撃戦が始まる。彼らはテロリストの一味だったのである。その後、あれよあれよと言う間にダラス空港はテロリストたちに占拠されてしまい、マクレーンは勇敢にも一人事件に立ち向かって行くのだ。作品の後半部に雪原をスノーモービルで追跡するシーンが出て来るが、アクション映画ならではのスリリングな臨場感に圧巻。さらにラスト、テロリストたちを壊滅させた後のクライマックスシーンのBGMに、シベリウスの「フィンランディア」が高らかに流れるのは興味深い。難を言えば、テロリストが見せしめにイギリス旅客機を爆発炎上させるシーンが出て来るのだが、果たしていかがなものか・・・。また、マクレーンがつららを真っすぐ敵の目に突き刺すシーン、それに航空機のエンジンに人を巻き込んで鮮血が飛び散るシーンなどは、もはやホラー的なニオイを感じてしまった。そんな点も含めて、かなりチャレンジ精神旺盛な作品に仕上がっていると思われた。1990年公開【監督】レニー・ハーリン【出演】ブルース・ウィリス(マクレーン刑事)
2008.01.25
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【ダイ・ハード3】「セントアイブズに行く道で会った男に妻7人、猫7匹ずつに仔猫7匹。セントアイブズへ行ったのは何人と何匹か?」「もう一度言ってくれ。」「その数字を555の後ろにつけて30秒後に電話しろ。」“世界一運が悪い男、ジョン・マクレーン刑事”という役柄は、ブルース・ウィリスにとって正に「当たり役」だった。彼はこの「ダイ・ハード」の主役を演じることで、観客にブルース・ウィリス=不死身のヒーローというイメージを植えつけることに成功したのである。それは例えば、若きショーン・コネリーが007のジェームズ・ボンド役にピタリと当たったキャリアとも似ている。この「当たり役」のせいでその俳優のイメージが固定化され、演じる役柄がいつも同じようなキャラになってしまうといつしか新鮮味は失われる。そして役者はそこから脱却するために試行錯誤を重ねる。アクション・スターとして売り出されたアーノルド・シュワルツェネッガーを例に挙げると、彼は固定化されたイメージから抜け出すべく、いったんはコメディ路線に変更した時もあった。が、結局は原点のイメージに戻り、「ターミネーター3」で大成功を収めたというわけだ。一体何が言いたいのかと問われれば、人にはそれぞれ「適材適所」というものがあるのだということだ。「ダイ・ハード3」では、ニューヨークで爆弾テロが発生し、犯人との駆引きに応じながら過酷な環境の中に放り込まれていく、という一連のパターンである。とは言ってもセントラルパーク内をタクシーで突っ走るシーンなどは、アクション映画の十八番なのだ。テロリストの中に紅一点、女性犯人が登場するのだが、日本赤軍の重信房子を彷彿とさせるような美人でクールな印象を持ってしまったのは自分だけだろうか?「勧善懲悪の王道、ここにあり」そんな作品なのだ。1995年公開【監督】ジョン・マクティアナン【出演】ブルース・ウィリス(ジョン・マクレーン)
2008.01.21
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「ジェームズ、たとえあなたがすべてを失い、残ったものが笑顔と小指一本でも、私にとっては立派な男よ」「僕の小指の技を知ってるから?」「何のこと?」「試したいかい?」007シリーズも本作品が21作目。息の長いスパイ・アクション映画である。もともとアクション映画がアメリカ映画の主流であることからも、この先も多くの観客を集め、利益を上げ続けることは、まず間違いないだろう。「娯楽のための映画」であることが必須なので、むやみやたらと高い芸術性を求めたり、社会的であろうとしない方が良い。ヒットする映画、話題性に富んだ内容にしようと方向付けられた作品は、自然とその時代という背景を反映することになるからだ。007シリーズは、正に、大衆に向けられた最大にして最高の娯楽映画と呼べるかもしれない。息を呑むようなカーチェイス、派手なバイオレンスシーンも、アクションの一部ではあるが全てではない。そこには冒険があり、ロマンスもまた存在する。「カジノ・ロワイヤル」では、ジェームズ・ボンドが国家予算の1500万ドルを賭けて、カジノでポーカー対決をする。相手は、世界中のテロリストに資金を提供する「死の商人」ル・シッフル。相手の一挙手一投足を見逃すまいとする二人の白熱したやりとりが、皮肉たっぷりの会話や細かなかけ引きから充分に引き出される。本作品で初のボンド役に抜擢された金髪俳優、ダニエル・クレイグの荒削りで男臭いジェームズ・ボンドも、なかなかどうして好感が持てる。007シリーズ(他の作品においても同様だが)がこれからも引き続き「観客を楽しませる」という基本姿勢を崩さないで行く限り、アクション映画は未来永劫、娯楽映画の王道として歩み続けるだろう。2006年公開【監督】マーティン・キャンベル【出演】ダニエル・クレイグ(ジェームズ・ボンド)、エヴァ・グリーン(ヴェスバー・リンド)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.14
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「自由な魂が、かの地を通る時、数え切れぬ年月が流れても、我々がささやく声を永遠の石から聞かせるのだ。スパルタ人よ旅人に語れ」紀元前480年、ペルシア帝国はスパルタの王レオニダスの元に服従の証を立てるよう使者を送り込んで来た。しかし、レオニダスは使者の首をはねることでその要求を一蹴。こうしてペルシア帝国軍とスパルタ軍との戦いの火ぶたは切られた。ペルシア帝国100万の大軍に対してスパルタ軍はわずか300。しかし、スパルタの兵士たちは一騎当千の豪の者たちの集まりで、その精鋭部隊をペルシア帝国軍はなかなかどうして簡単には落とせるものではなかった。この作品は、ひとえに、CGを駆使していかにリアル感を出すかに専念していると言っても良い。歴史大作を手掛けるのはひじょうに困難な作業で、どうしても背景や美術に違和感を覚えがちである。だが、ここで必要なのは歴史的事実とは何か。すなわち、ペルシア帝国軍とスパルタ軍との壮絶なる戦いがあったということ。そこで多くの血が流れたということ。その2点に尽きる。英国俳優であるジェラルド・バトラーの肉体美、CGを駆使した映像美を堪能するには余りある作品だ。2007年公開【監督】ザック・スナイダー【出演】ジェラルド・バトラー(レオニダス)また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2008.01.11
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