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お休みにしていた年次サンレモ音楽祭のヤフオクを夏休みにしている間にサンレモ音楽祭を再開いたしましょう。
イタリアの歌謡界も大きく様変わりした80年代の初年81年第31回大会のまとめから進めていきましょう。
出場レコード会社グループではディスキ・リコルディは9歌手を参加させていますが、本体リコルディからは1歌手しか出していません。2番目のCGDグループは5歌手ですが、本体CGDから3歌手、傘下のベビー・レコードから2歌手出しています。今大会ではベビー・レコード何かと台風の目的存在となります。
毎年4、5歌手出場させていたRCAイタリアーナ・グループは楽曲応募に何か問題があったのか、ラヴェーラとトラブったのか、出場曲の歌詞を新聞公表することを拒み、事実上の参加拒否をし、ディストリビューションを委嘱しているマイナー系のラジオ・レコードだけが歌手を送りこんでいます。
外国資本系の3グループ、いつも消極的であったEMIイタリアーナから3歌手、しかもアリーチェが優勝と言うオマケつきです。ポリグラムからはフィリップスはなく、ポリドールで2歌手、新興のCBSディスキから2歌手。
民族系会社では今回頑張ったドリウムが2歌手、毎年指定席のフォニット・チェトラが
1歌手、外国人歌手の出場で席をとったSAARとパナレコードが各1歌手と言った状況です。
第31回 1981年2月5日 ( 木 ) ~7日 ( 土 ) サンレモ市アリストン劇場 (Teatro Ariston di Sanremo)
司会 :クラウディオ・チェッキート (Claudio Cecchetto) 、エレノーラ・ヴァッローネ (Eleonora Vallone i) 、ニラ・ピッツィジ (Nilla Pizzi) 、フランコ・ソルフィーティ (Franco Solfiti)
オーガナイザー: プブリスペイ (Publispei) 社 [ オーナーはジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)]
芸術監督: ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
[ 数 ] は外人歌手数、1981年の外人の出場は3歌手
・ Dischi Ricordi 9 [0] ( Ricordi 1[0],Ariston 2[0], Lupus 2[0], Carosello 1[0], Cinevox 1[0], SIF 1[0], Amiamoci 1[0] )
・ CGD 5 [0] ( CGD 3[0], Baby 2[0] )
・ EMI Italiana 3[1] (EMI Italiana 2[0],Dig-It 1[1])
・ Polygram Dischi 2[0] (Polydor 21[0] ) )
・ CBS Dischi 2[0] (CBS 2[0])
・ Durium 2[0] (Durium 1 [0], DURIUM MARCHE ESTERE 1 [0])
・ Fonit Cetra 1 [0] (Cetra 1 [0])
・ WEA Italiana 1 [0]
・ RCA Italiana 1[0] (Radio Record 1[0] ))
・ SAAR 1 [1] (HARMONY 1 [1])
・ PANARECORD 1 [1] (F1 TEAM 1 [1])
ジャンニ・ベッラ (CGD) ダリオ・バルダン・ベンボ (CGD) ジョー・キアレッロ (LUPUS)
昨年はオーガナイザーのプブリスペイ (Publispei) 社の共同出資者であったビクシオ音楽出版グループの子会社、日本ではサントラ盤のレコード会社として知られているチネヴォックス (Cinevox) が初参加で 2 歌手出場させ、コネの強さを見せつけられましたが、今回は ベビー・レコー ズ がその座を奪ったようでした。
日本での年次コンピレーションが発売されなくなり、サレモ音楽祭の認知度は低くなっていきます。出場曲リストで 太文字 にしているのが国内盤が出た曲です。また邦題も決まっていない(私が知らないだけかも)出場曲も増えていきます。
< 参加曲 >
◆ Amore Mio (Depsa - Enzo Malepasso) 出版社 ARISTON - INTERSONG ITALIANA <A> エンツォ・マレパッソ (vm) Enzo Malepasso ( POLYDOR – Polygram Dischi ) 2060-240 [45]
2060-240
AR-00900
◆ Bianca Stella (Luii Albertelli - Senastoamp Occhino) 出版社 ARISTON <A> セバスティアーノ・オッキーノ (vm) Sebastiano Occhino ( ARISTON – Dischi Ricordi ) AR-00900 [45]
◆ Che Brutto Affare (Franco Califano - Angelo Varano) 出版社 CALIFFO <A> ジョー・キアレッロ (vf) Jò Chiarello ( LUPUS – Dischi Ricordi ) LUN-4916 [45]
LUN-4916
ZBRR-7210
◆ Guerriero (Antonello Baril à ) 出版社 SIDET - RCA <A> オペラ (compl) Gli Opera ( Radio Record – RCA ITALIANA ) ZBRR-7210 [45]
◆ Mille Volte Ti Amo (Umberto Napolitano) 出版社 INTERSONG ITALIANA - PAPPAGAYO <A> ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano ( Amiamoci – Dischi Ricordi ) AM-2008 [45]
AM-2008 H-6075
◆ Toccami (Piter Felisatti) 出版社 INSIEME - SAAR <A> トム・フッカー (vm=a) Tom Hooker ( HARMONY – SAAR ) H-6075 [45]
◆ Tulilemble (Renato Brioschi - Massimo Chiodi) 出版社 INTERSONG ITALIANA <A> ドメニコ・マッティア (vm) Domenico Mattia ( POLYDOR – Polygram Dischi ) 2060-239 [45]
2060-239
Ld
・ Al-8102
◆ Un'Isola Alle Hawaii (Depsa - Franco Fasano) 出版社 DURIUM <A> フランコ・ファザーノ (vm) Franco Fasano ( DURIUM – DURIUM ) Ld ・ Al-8102 [45]
サンレモ音楽祭 ( FESTVAL DI SANREMO )198 1 年の出場曲は以上です。
ベビー・レコーズは前年移籍してきた大物グループ、リッキとポーヴェリを目玉歌手として出場させたばかりか、ベビーの最初の成功者ピアニストのスティーブン・シュラック (Stephen Schlaks) が第1夜と第2夜(サンレモ・カジノ付属劇場の特設ステージ)のゲストで演奏しました。
また同社の画期的なプロジェクト、ジャンピエロ・レヴェルベッリ (Gianpiero Reverberi) が結成した音楽グループ、ロンド・ヴェネチアーノ (Rondo Veneziano) がエンディング・テーマ ” 哀しみのコロンビーナ (Colombina)” を担当しました。この曲は国内盤にも入っています。
リッキとポーヴェリの件は簡単いうと、マリーナことマリーナ・オッキエーナ (Marina Occhiena) が喧嘩してグループを脱退したことです。しかしその時期と、相当派手にやらかしたのが注目を集めてしまいました。
リッキとポーヴェリ は元々マリーナ以外の3人は無名時代からトリオで活動していました。そこにリコルディでデビューしたものの、鳴かず飛ばずでジェノヴァに戻ってきていたマリーナをアンジェラが見付け、グルーップに誘ったという経緯でした。
無名時代にはアンジェラ・ブランバーティとアンジェロ・ソトジューは婚約していました。メンバーのプライバシーは公表されていないので二人はその後結婚したかはわかりませんが、アンジェラは 76年サンレモ音楽祭出場時 には妊娠しており、数か月後最初の子供を出産しました。ただ誰の間にできた子供か判りません。
そのような状況があり、後で参加したマリーナは他の3人と溝があったようで、特に同性のアンジェラとの軋轢が増していきました。81年サンレモ音楽祭出場直前と思われますが、マリーナがアンジェラのボーイ・フレンドを奪ったと言う事で二人は一時間に及ぶ「取っ掴み合い」の喧嘩をして、マリーナが飛出したとされています。
リッキとポーヴェリがサンレモ入りした時はマリーナを除く3人でした。彼らが出場する2日目にサンレモにやって来て、法廷のサンレモ地方司法官に「椎間板ヘルニアによる腰痛」で遅れただけで、出場する権利の保全を求めましたが、リッキとポーヴェリは3人構成でも成立するとして、マリーナのサンレモ音楽祭出場は却下されました。
状況は大スキャンダルでしたが、この手の話の大好きなイタリア人ですから、反対に宣伝効果絶大で曲は大ヒットとなりました。
ステファーノ・トーシ (CAROSELLO) カルメン & トンプソン (F1 TEAM)
第31回初出場したレコード会社(レーベル)を紹介しましょう、3社有りその最後は パナレコード (PANARECORD) と F 1チーム・レーベル (F1 TEAM) です。
パナレコードは1974年セルジョ・デ・ジェンナーロ (Sergio De Gennaro) を中心にセルジョ・ガスパリーニ (Sergio Gasperini) 、マリオ・パロレッティ (Mario Paroletti ) がミラノで設立した音楽出版社、レコード会社です。当初イタリアのディスコ音楽のレコードを発売していますが、まもなくベテランの ドメニコ・モドゥーニョ (Domenico Modugno) やスター歌手となった ロザンナ・フラッテルロ (Rosanna Fratello) などと契約できるようになりました。
78年 F! 1チーム・レーベル、83年メラック・ミュージック (Merak Music) レーベル ) が起ち上げられますが、ディスコ・ミュージックをメインとした F! 1チームがパナレコードの主力となります。
83年新規分野開拓のため有望なホームビデオ分野に活動を拡大し、85年 MGM/UA が制作した映画や漫画のイタリア市場向けの配給会社となり、翌86年CBSフォックス・ビデオのイタリアでの販売権も獲得しました。こうしてビデオ部門はその後、20世紀フォックス、ハンナ・バーベラ、ターナー・ピクチャーズが加わり一連の契約は1999年末まで維持されました。
一方オーディオ部門はCD化の波に乗り遅れ、活動は縮小化されます。89年にRCSエディトーリが20%の資本出資、録音、音楽制作は中止され、90年RCSが50%の株式を取得し、パナレコードは吸収合併され、音楽部門は廃止、広告部門が新規事業として発足。レコード会社としての活動を終了しました。
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には " ◇ " を、参加曲の頭には " ◆ " を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方は You-Tube を探してください。見つかることもあります。
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