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1万人から3万人ほどの兵力でウクライナ軍がロシアのクルスクへ軍事侵攻したのは8月6日のことだった。侵攻軍にはウクライナ兵だけでなくアメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊、そして各国から集められた傭兵が参加、作戦を立案したのはイギリス軍だとする話も伝わっている。ニューヨーク・タイムズ紙は、軍事侵攻から数日のうちにアメリカとイギリスがウクライナに対し、クルスク地域に関する衛星画像やその他の情報を提供したと伝えている。 NHKが取材したウクライナ兵はニューヨーク・タイムズ紙の報道を確認している。クルスクへ軍事侵攻したウクライナ軍へ「西側のパートナー」は衛星で探り出した詳細な情報データを提供していたと語っているのだ。ニューヨーク・タイムズ紙の報道があったのでNHKも伝えたのかもしれない。 もっとも、2022年の夏以降ウクライナでの戦闘はロシア対NATOという様相を強めているわけで、こうしたことは公然の秘密。有人や無人の偵察機からもロシア軍に関する情報は得ているはず。こうしたことをアメリカ政府は白々しく否定しているが、このクルスクへ軍事侵攻は事実上、アメリカやイギリスによるロシアへの軍事侵攻である。 軍事侵攻の際、ロシア側には国境警備隊がいるだけで正規軍は配置されていなかった。そこで戦闘らしい戦闘がないまま侵攻できたのだが、すぐに航空兵力などでの反撃が始まり、予備兵力も投入され、ウクライナ軍を押し返している。その戦闘でウクライナ軍は貴重な戦闘車両を失い、多数の死傷者がでていると報告されている。 ウクライナ軍はドンバスから兵力を割いてクルスクへの軍事侵攻に投入しているが、ロシア軍はドンバスから兵力を割いていない。そこでドンバスでロシア軍の進撃スピードが速くなっている。 クルスクへの攻撃は軍事的に見ると無意味であり無謀だと言う人が少なくない。意味があるとするならば、ハリウッド風の「ウクライナ軍は勝っている」という脚本を書くための材料を提供したことくらいだ。限られた空間と時間で勝っているように見えれば目的は達成できる。それによって多くの犠牲者が出ても脚本家は気にしないのだろう。 西側はウクライナへ6機のF-16戦闘機を供給、これでウクライナ軍の反撃が始まるかのように言う人もいたが、この戦闘機は旧式であり、ロシア軍の戦闘機や防空システムの敵ではない。唯一、ロシア軍が警戒しているのはF-16が核ミサイルを搭載できることだろう。 そのF-16が破壊され、パイロットは死亡した。8月26日のロシア軍による攻撃で格納庫にあった戦闘機が破壊されたのか、ロシアのミサイルに撃墜されたのか、ロシアのミサイルを撃墜している時にウクライナ側の防空ミサイルに撃ち落とされたのか、実際のところは不明だ。ともかくウクライナ軍はF-16戦闘機1機を失った。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.31
最近、オーストラリアの有名ジャーナリスト、メアリー・コスタキディスはイスラエルを批判するXのツイート2件をリツイートしたことから人種差別法違反の疑いで告訴された。ヒズボラ指導者ハサン・ナスララの演説を撮影したビデオを含む書き込みのリツイート、イギリスのジャーナリスト、リッチ・メドハーストによる書き込みのリツイートが問題にされた。 メドハーストはイスラエル軍によるガザでの虐殺を伝えていたジャーナリストで、虐殺を続けるイスラエルやその虐殺を支えている欧米諸国から睨まれていた。彼は8月15日、ロンドンのヒースロー空港で逮捕されている。 同じようにイスラエルによる虐殺を暴き、さらにウクライナでの実態を伝えていたアメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターはパスポートを空港で押収され、家宅捜索を受けている。 また、内部告発を支援していたWikiLeaksの象徴であるジュリアン・アッサンジは長期にわたって刑務所で拘束され、ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人ジャーナリストのゴンサロ・リラは刑務所内で拷問され、死亡している。 欧米の私的権力に弾圧されたジャーナリストはほかにもいる。例えばウクライナ東部のドンバスではドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレット。ドイツ人ジャーナリストのパトリック・バーブは職を失い、アリナ・リップは銀行口座を接収された。 こうしたジャーナリストと協力して支配システムの腐敗、犯罪を明らかにしてきた内部告発者も弾圧されている。例えば、ベトナム戦争の実態を明らかにする国防総省の機密文書、「ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年(ペンタゴン・ペーパーズ)」を公表したダニエル・エルズバーグ、電子情報機関NSAの不正を明らかにしたウィリアム・ビーニーやエドワード・スノーデン、CIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアク、WikiLeaksへアメリカ軍の犯罪行為を明らかにする映像などを渡したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)。いずれも支配者から報復され、刑務所へ入られれた人もいる。 アメリカやイギリスを中心とする帝国主義諸国は1990年代に侵略戦争を本格化させたが、シリアで苦戦、ウクライナを制圧してロシアを潰しにかかったところで反撃にあい、軍事的に劣勢。経済も厳しい状況。自分たちが支援しているイスラエルもパレスチナで窮地に陥った。 現在、西側諸国は有力メディアを使い、情報操作で人心をコントロールしようとしている。西側の体制を支配する私的権力にとって都合の良い物語を人びとに信じさせ、操ろうとしているのだが、インターネットには事実を伝える仕組みがまだ残されている。帝国主義者はそれを潰そうと必死だ。 テレグラムのパベル・ドゥロフは8月24日にパリのル・ブルジェ空港で逮捕されたが、その罪状の中に、法執行機関の要請に基づく、法律で認められた盗聴の実施および実施に必要な情報または文書の提供の拒否が挙げられている。この逮捕を指示した人物はエマニュエル・マクロン大統領だとされているが、その文書から逮捕の黒幕はフランス以外の国だとも指摘されている。 フランス政府によるドゥロフ逮捕が許されるなら、どの国の政府でも同じような逮捕が許されることになる。実際、欧米の情報機関はグーグル、フェイスブック、X(ツイッター)などインターネット・サービス会社をすでに支配していると言われている。(この問題は2005年に三一書房から出版した拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』でも取り上げている。)**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.30
アフリカの複数の国でMPOX(サル痘)ウイルスが急増したとして、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長は8月14日、再び公衆衛生緊急事態(PHEIC)を宣言した。彼は2022年7月にもPHEICを宣言している。 人口削減論者として有名な富豪のテッド・ターナーがサム・ナン元アメリカ上院議員と設立したNTI(核脅威イニシアチブ)は2021年3月、サル痘のパンデミックを想定したシミュレーションを発表していた。 WHOは2020年3月11日に「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)」のパンデミックを宣言しているが、前年10月18日にWEF(世界経済フォーラム)やビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の主催で机上演習イベント201と名付けられたシミュレーションがニューヨークで実施されている。中国湖北省の武漢でSARS(重症急性呼吸器症候群)と似た重症の肺炎患者が発見されたのは2019年12月だ。 2020年12月には「COVID-19ワクチン」なる遺伝子導入剤の接種をイスラエルが本格的に開始するのだが、翌年の4月に十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が増えていることが発覚、問題になった。 それ以外にも、帯状疱疹、⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)、あるいはギラン・バレー症候群による末梢神経の障害が早い段階から報告され、ADE(抗体依存性感染増強)も起こっていると考えられた。 遺伝子操作薬は侵入した人間の細胞にスパイク・タンパク質を製造させるようになり、人間の免疫システムは病気の原因になっていると判断し、その細胞を攻撃し始めて自己免疫疾患を誘発する。そこで免疫力を弱める力が働き、免疫不全の状態になるのだが、これはAIDS状態。つまり病気に感染しやすく、癌になりやすくなる。帯状疱疹も免疫力の低下が原因だ。 パンデミック騒動を仕掛けているグループに属するビル・ゲイツは2021年11月、テレビのインタビューで、「天然痘テロ攻撃」の可能性を指摘し、テロ攻撃に備えるよう政府に警告していた。 2022年5月にイギリスはWHOへサル痘の感染を報告するが、サル痘の臨床像は帯状疱疹の典型的なそれだと欧州評議会議員会議の議長を経験した経験のあるボルフガング・ウォダルグは主張。「COVID-19ワクチン」の副作用として現れた帯状疱疹を利用して「新たなパンデミック」を演出しようとしたのではないかと疑う人もいる。そして2022年7月、WHOはMPOXの緊急事態を宣言した。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.29
テレグラムのCEOを務めるパベル・ドロフが8月24日、同行していた女性やボディー・ガードと一緒にパリのル・ブルジェ空港で逮捕された。彼はインターネット支配を強化しているアメリカ、イギリス、イスラエルの情報機関から狙われていたはずの人物。アメリカの支配下にあるフランスへノコノコやって来るとは愚かだ。 インターネット上では同行していた女性に疑惑の目を向ける人も少なくないようだ。彼女はドロフの居場所を明かす投稿を何度も行っていたからである。彼を狙っている西側の政府機関にとって貴重な情報だったことだろう。 実は、似たような話が過去にもあった。例えば、核保有国イスラエルの実態を具体的に告発者したモルデカイ・バヌヌのケース。 バヌヌは1977年8月から約8年間、技術者としてディモナの核施設で働いていた。彼の証言は1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載した記事に書かれている。それによると、その当時、イスラエルが保有していた核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有し、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。後にカーターはイスラエルが保有する核兵器の数を150発だとしている。 また、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベン-メナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上。水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991) 告発を決意したバヌヌはオリジナルの写真を持ってオーストラリアへ向かい、教会でバヌヌはフリーランス・ジャーナリストのオスカル・ゲレロと知り合う。そして、このジャーナリストがバヌヌの写真を地元の「シドニー・モーニング・ヘラルド」に持ち込んだ。 しかし、同紙は写真と証言を紙面に掲載することを断り、その一方でゲレロが持ち込んだ話を対内情報機関のASIO(オーストラリア安全保障情報機構)に通報、その情報はさらに対外情報機関のASIS(オーストラリア安全保障情報局)へと流れた。ASISはその情報をイスラエルへ知らせた。 シドニー・モーニング・ヘラルド紙と同じ系列の「ザ・エイジ」にも掲載を拒否されたゲレロはロンドンに向かい、デイリー・ミラーへ持ち込んだが、ミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルはイスラエルの情報機関に雇われていた。軍の情報機関(アマン)に所属していたと言われている。同紙の国外担当編集者だったニコラス・デービスはイスラエルのエージェントだ。 バヌヌに関する情報を入手したイスラエルの情報機関モサドのロンドン支局長はイギリスで国内を担当している治安局(MI5)にイスラエルが安全保障上の問題を抱えていることを伝えてバヌヌ監視の協力を要請する。MI5はイギリス国内で政治的、あるいは外交的問題を引き起こさないという条件で協力を約束した。 モサドはバヌヌをロンドンで拉致してイスラエルへ連行することができないため、彼をイタリアのローマにおびき出すことにした。そして登場してくるのが「シンディ・ハニン・ベントフ」なる女性だ。シンディは散歩中のバヌヌに何気なく話しかけてパブに誘う。そうしたデートを何回か重ねた後、バヌヌはローマへ旅行しないかと持ちかけられ、ローマ行きを承知する。ローマで彼はモサドのエージェント3名に拘束された。ローマで大きな箱に押し込められたバヌヌは船でイスラエルのアシュドッドに運ばれている。 リチャード・ニクソン大統領は1971年8月にドルと金との交換停止を発表、73年から世界の主要国は変動相場制へ移行していった。金に束縛されることなくドルを発行するシステムへ移行させたのだが、それを機能させるため、ドルを回収する仕組みを築く必要が出てきた。そこで投機市場の肥大化とペトロダラーがその中核だと言えるだろう。 ペトロダラーとは石油取引を利用したドルの還流システム。アメリカの支配層はサウジアラビアなど産油国に対し、石油取引の決済をドルに限定させたのである。エネルギー資源を必要とする国はドルをかき集めて産油国へ渡し、産油国は集まったドルでアメリカの財務省証券や高額兵器を購入することで還流させ、また米英金融資本が支配するオフショア市場へ沈め、投機市場へ流し込むわけである。 このシステムを作る上でサウジアラビアのファイサル国王は目障りな存在だった。アメリカの言いなりにならなかったからだ。そのファイサル国王は1975年3月に暗殺された。 国王は執務室で甥のファイサル・ビン・ムサイドに射殺されたのだが、ジャーナリストのアラン・ハートによると、その暗殺犯はクウェートのアブドル・ムタレブ・カジミ石油相の随行員として現場にいた。 ビン・ムサイドはアメリカでギャンブルに溺れ、多額の借金を抱えていた。そのビン・ムサイドにモサド(イスラエルの情報機関)は魅力的な女性を近づけ、借金を清算した上で麻薬漬けにし、ベッドを伴にするなどして操り人形にしてしまったというのだ。その後、サウジラビア国王のアメリカへの従属度は強くなった。(Alan Hart, “Zionism Volume Three,” World Focus Publishing, 2005)**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.28
ロシア科学アカデミー極東支部の太平洋海洋学研究所(FEB RAS)は8月26日、東京電力福島第一原発が処理した汚染水を昨年8月から太平洋へ放出し始めてから海水中のトリチウム濃度が上昇していると報告した。黒潮本流のトリチウム濃度が上昇、また南千島列島付近でもトリチウム濃度が上昇していることがわかったという。 放出されている汚染水は「ALPS(多核種除去設備)」によって「トリチウムを除く大部分の放射性核種を取り除いた状態でタンクに貯蔵」しているものだとされているが、トリチウム、つまり三重水素が残っていること自体が大きな問題だ。ALPSは炭素14を取り除けず、処理した汚染水の8割以上に基準を超える放射性物質が残っているとも指摘されている。 水素や炭素は生物にとって重要な元素だが、トリチウムは半減期12年余りでヘリウムへ変化するため、人体に深刻なダメージを与える危険性があり、炭素14はDNAを損傷させることで突然変異を誘発する可能性がある。 福島第一原発は2011年3月11日、東北地方の太平洋沖で発生したマグニチュード9.0という大規模な地震が原因で炉心が溶融する大事故が引き起こされ、今でも大量の汚染水が発生し続けている。そこで日本政府は2021年4月13日に汚染水を太平洋へ放出する方針を決定、その計画をIAEA(国際原子力機関)は承認したのだ。 原発の汚染水はデブリ(溶融した炉心を含む塊)に触れた水だ。デブリがどうなっているか正確には不明だが、格納容器の床に落下、コンクリートを溶かし、さらに下のコンクリート床面へ落ちた可能性もある。さらに一部が地中へ潜り込み、地下水で冷却されているとも考えられるだろう。 イギリスのタイムズ紙は福島第一原発を廃炉するまでに必要な時間を200年だと推定したが、数百年は必要だろうと考える人が少なくない。数百年間は放射性物質を含む水を太平洋へ流し続けるということだ。 福島第一原発から放出された放射性物質の総量はチェルノブイリ原発事故の1割程度、後に約17%に相当すると発表されているが、その算出方法に問題がある。 計算の前提では、圧力抑制室(トーラス)の水で99%の放射性物質が除去されることになっているが、この事故では水が沸騰していたはずなので、放射性物質の除去は無理。トーラスへの爆発的な噴出で除去できないとする指摘もある。そもそも格納容器も破壊されていた。 原発の元技術者、アーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2~5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書)が、10倍程度だと考えても非常識とは言えない。 放出された放射性物質が住民の上に降り注いでいたことを示す証言もある。例えば医療法人の徳洲会を創設した徳田虎雄の息子で衆議院議員だった徳田毅は事故の翌月、2011年4月17日に自身の「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている: 「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 12日の午後2時半頃にベント(排気)した、つまり炉心内の放射性物質を環境中へ放出したとされているが、双葉町ではベント前に放射線量が上昇していたと伝えられている。そして午後3時36分に爆発。 建屋の外で燃料棒の破片が見つかるのだが、この破片についてNRC(原子力規制委員会)新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は2011年7月28日に開かれた会合で、発見された破片は炉心にあった燃料棒のものだと推測できるとしている。マンチェスター大学や九州大学の科学者を含むチームは原子炉内から放出された粒子の中からウラニウムや他の放射性物質を検出した。 福島第一原発の北隣にある南相馬市には「COVID-19ワクチン」と称する遺伝子導入剤を製造する工場が建設された。この薬剤も人類の存続を危うくする可能性がある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.27
ヒズボラは8月25日、ベカー高原からカチューシャ・ロケットやドローンでイスラエルを攻撃した。目標はイスラエル軍の情報機関アマンの基地、電子情報機関8200部隊が駐留するテル・アビブ郊外の「グリロット」基地、アイン・シェメルの防空基地を含む重要な軍事施設だったという。ヒズボラのサイード・ハッサン・ナスララはこの攻撃を「アルバイーン作戦」と呼んでいる。 相当数のドローンがこれらの目標に到達したとヒズボラは主張、それに対してイスラエル政府はこの攻撃による被害に関する報道を規制している。戦略的に重要なインフラや軍事基地に対する攻撃による被害を報道する場合、事前に許可を得るよう義務付けたという。損害は深刻なのだろう。 ヒズボラは今回の攻撃で高性能ミサイルを使わなかったようだが、イスラエルは相当数の迎撃ミサイルを使ったと見られる。補充は容易でないはずで、今後予想されるイランによる報復攻撃への対応が難しくなりそうだ。 イスラエルは7月31日、マスード・ペゼシュキアンの大統領就任式に出席するためにイランを訪問していた暗殺されたハマス幹部のイスマイル・ハニエを暗殺、同じ日にヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルも殺している。こうした暗殺に対する報復の一環なのだろう。 ガザでイスラエル軍が住民を虐殺しはじめてからイエメンのアンサール・アッラー(フーシ派)はイスラエル関連の船舶を攻撃してきたが、「シオニスト国家の奥深くに痛烈な攻撃を加える最高レベルの準備を整えている」という。 また、イラクの抵抗グループはアラブ諸国に駐留しているアメリカ軍の基地に対する軍事作戦を再開することで合意したと報じられている。アメリカの占領略奪体制が揺らぐ可能性がある。 こうした状況について、イスラエル国防軍の予備役少将で、機甲部隊で旅団、師団を指揮した経験を持つイツハク・ブリク少将(予備役)はベンヤミン・ネタニヤフ政権の政策に否定的な見解を表明している。ハマスとヒズボラとの消耗戦が続けば、イスラエルは1年以内に崩壊するとしているのだ。ヨアブ・ギャラント国防相たちはハマスがすぐにでも崩壊するかのように宣伝していたが、事実ではなかった。イスラエルは軍事的に厳しい状況にあるだけでなく、経済も破綻している。 すでにイスラエルの軍や情報機関の内部からもネタニヤフ政権を批判する声が聞こえてくるのだが、聖書の世界から抜け出せないカルトの信者も少なくない。イスラエル人の相当部分はユダヤ人至上主義者だとする見方があり、ネタニヤフ内閣では終末論的な発言をするカルトが過半数を占め、武装集団を形成している。軍部も手を出せないようだ。 そうしたカルトはアメリカ議会にも広がっている。7月24日にネタニヤフ首相はアメリカ議会で演説したが、その際、議員たちは58回に及ぶスタンディング・オベーションを行っているのだ。 今後、イスラエルはアメリカやイギリスをはじめとする西側諸国からの支援を受け、戦乱を広げようとする可能性が高いが、それに対してロシアはイランと接触しており、助言しているはずだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.27
インスタント・メッセンジャー・サービスのテレグラムを創設、同社のCEOを務めているパベル・ドロフが8月24日にパリのル・ブルジェ空港で逮捕された。フランス当局は西側の情報機関に協力するよう、彼を長期の禁固刑で脅すつもりだろうと推測されている。 インターネット上に存在する巨大情報産業は基本的にアメリカの情報機関にコントロールされているが、ドロフはレニングラード(サンクトペテルブルク)の出身ということもあり、情報機関による検閲を拒否してきた。テレグラムはセキュリティーの高さでも知られ、この点も敵視されている理由のひとつだろう。 現在、イスラエル軍によるガザでの住民虐殺の実態を明らかにする映像がテレグラムで全世界に発信されているほか、COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)に関する情報も検閲されていない。 アメリカにはCIAをはじめ、いくつかの情報機関が存在する。電子技術を使った情報活動はCIAも行っているが、電子情報機関はNSAだ。このNSAはイギリスの電子情報機関GCHQと連携してUKUSA(ユクザ)という連合体を作っている。この2組織の下でカナダ、オーストラリア、ニュージーランドというアングロ・サクソン系3カ国の情報機関が活動している。これらはまとめてファイブ・アイズとも呼ばれているのだが、NSAとGCHQが密接に結びついているのはイスラエルの8200部隊だ。 こうした機関は電子的に情報を収集、蓄積、分析している。ライバルだけでなく自国の動きも監視、社会に影響力を持つ人びとを操るために弱みを握る活動もしている。そうした機関を動かしているのが政府を支配している私的権力にほかならない。 西側を支配する私的権力は言論統制を強化し続けている。イギリスのジャーナリスト、リッチー・メドハーストがロンドンのヒースロー空港で8月15日に逮捕されたのもその一例。彼はWikiLeaksのジュリアン・アッサンジがイギリスで拘束された事件についても取材していた。 アッサンジをロンドン警視庁がエクアドル大使館の中で逮捕したのは2019年4月11日のこと。エクアドルのラファエル・コレア大統領が2012年に政治亡命を認めていたのだが、次のレニン・モレノ大統領が亡命を取り消して逮捕させたのである。アッサンジの弁護団によると、アメリカからの引き渡し要請に基づくものだという。 アッサンジ逮捕をアメリカの当局が決断した要因のひとつは2010年の4月5日にWikiLeaksが公表した映像だと見られている。2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍の軍用ヘリコプターAH-64アパッチが銃撃、射殺する様子を撮影した映像が明らかにされたのだ。 アメリカ政府はアッサンジをイギリスからアメリカへ移送させようとしていたが、今年6月に入って風向きが変わり、司法取引で同月24日に釈放された。スパイ法違反について有罪を認めたのだが、イギリスの刑務所で拘束されていた62か月を刑期に含めるとされたからである。 しかし、アメリカでは別の新たな言論弾圧があった。アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターの自宅をFBIと州警察の捜査官が8月7日に家宅捜索したのだ。FARA(外国エージェント制限法)に違反した容疑だとされているが、具体的に何が問題なのか不明で、彼のようにネオコンが主導する政策に批判的な人びとへの恫喝だと見られている。 その前、6月3日にリッターはニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で国境警備隊員にパスポートを押収されている。SPIEF(サンクトペテルブルク国際経済フォーラム)のパネル・ディスカッションへ参加するため、トルコ航空機に搭乗するところだった。 今年1月12日、ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人のゴンサロ・リラが収監されていたウクライナの刑務所で死亡した。肺炎が死因だとされているが、刑務所内で拷問されていたと言われ、適切な治療もなされなかったようだ。事実上の暗殺だが、ウクライナ政府が独自の判断でリラの逮捕と殺害を実行したとは思えず、アメリカ政府の了解があった可能性が高い。 アメリカやその属国で言論弾圧が強化されている理由は、支配層が追い詰められているからだと見られている。バラク・オバマ政権はロシアとの外交関係を悪化させ、関係修復を訴えて大統領選挙で当選したドナルド・トランプがFBIやCIAによるスキャンダル攻勢に合っている。 2021年から大統領を務めているジョー・バイデンはオバマ政権の副大統領で、政策は基本的に同じ。バイデンは大統領に就任した直後からロシアに対する軍事的な挑発を強め、ウラジミル・プーチン露大統領を殺人者呼ばわりした。バイデンはルビコンを渡った、つまり第3次世界大戦へ向かって走りはじめたのだ。 バイデンを背後から操ってきたネオコンはジョージ・W・ブッシュを操った勢力でもある。両政権とも、軍事力で世界を制覇しようという1992年2月に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく政策を押し進めてきた。 このドクトリンはソ連が消滅、アメリカが唯一の超大国になったという前提で成り立っている。1990年代から「脅せば屈する」という信仰に取り憑かれているネオコンは軍事力を前面に出して侵略戦争を本格化させた。 ネオコンがそうした信仰に取り憑かれる切っ掛けは1991年1月の湾岸戦争だ。アメリカ主導軍がイラクへ軍事侵攻してもソ連は動かなかったことから、ロシアも動かないと思い込んだようである。その後、そうした思い込みが間違いだということを示す出来事が何度かあったが、彼らは信仰を捨てなかった。 1991年5月、国防総省を訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官はポール・ウォルフォウィッツからシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると聞かされたという。その後、2001年9月11日から10日ほど後に統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在していたとも語っている。そのリストに載っていた国はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランだ。(3月、10月) ウクライナやイスラエルでアメリカ以上に好戦的な姿勢を見せているのがイギリス。その中でも好戦的なグループの象徴的な存在が2022年6月から24年6月まで陸軍参謀総長を務めたパトリック・サンダース大将である。 イギリスの好戦派はウクライナを利用してロシアを壊滅させるというネオコンの戦略に飛びついた。ネオコンと同じようにサンダースは自分たちが攻撃してもロシアは国連で不満を口にするだけで何もできないと考えたようだ。 ウクライナでは2022年に入るとキエフのクーデター軍がドンバスへ軍事侵攻する動きを見せ始め、砲撃も激化するのだが、キエフ側が動く前にロシア軍が動いた。2月24日からウクライナに対する攻撃を開始したのだ。ミサイルなどでドンバス周辺に集結していたウクライナ軍の部隊を攻撃、航空基地やレーダー施設、あるいは生物兵器の研究開発施設を破壊し始める。この段階でロシア軍の勝利は確定的だった。 そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉が始まり、双方とも妥協して停戦の見通しが立つ。ベネットは3月5日にモスクワへ飛び、プーチンと数時間にわたって話し合い、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功した。 その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺している。クーデター後、SBUはCIAの下部機関。つまりCIAは停戦交渉を壊そうとしたのだ。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 それに対し、イギリスのボリス・ジョンソン首相は4月9日にキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令し、4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓う。NATOはウクライナへ武器弾薬を提供し、軍事訓練を施すだけでなく、ISR(情報・監視・偵察)データを提供、さらに作戦を立てるようになった。 ウクライナの戦況はネオコンやサンダースが夢想したような展開にはならない。ウクライナ軍は兵器も兵士も不足、敗北は不可避のように思えるのだが、それをひっくり返そうと彼らは必死だ。 今年1月24日、まだ陸軍参謀総長だったサンダースは「市民軍」の必要性を訴えた。イギリスでは1960年に廃止された徴兵制を復活させようとしていると理解した人も少なくない。 さらに、サンダースはウクライナを勝たせるため、ロシア政府の反発を恐れずに「決定的な武器」を供給するべきだとしている。西側のウクライナに対する支援に対するロシアの反発をイギリスは過大評価していたと彼は主張するが、実際は過小評価したことが問題なのだ。出てこないはず、何もしないはずのロシア軍による反撃で西側は窮地に陥ったのである。 サンダースは核戦争へのエスカレートを恐れるなとも主張している。ロシアに受け入れがたい脅威を与え、ロシアとプーチン大統領に考え直させるべきだとしている。脅しを強めれば勝てるというわけだが、それには時間がかかるともしている。その間、「お人好し」のロシアは待ってくれると考えているのだろうか? すでにロシア政府は欧米との話し合いで問題を解決することはできないと判断している。ポール・クレイグ・ロバーツが早い段階から指摘していたことだ。言論統制の強化は戦争の準備でもあるのだろうが、西側が勝てるようには思えない。自分たちが負けるとなったら、世界を滅ぼそうとするかもしれない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.26
慶應義塾大学薬学部の研究者と横浜総合病院のチームが行った研究によると、「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)ワクチン」を接種された人の心筋炎/心膜炎リスクは20倍から50倍に増加するという。 いわゆる「COVID-19ワクチン」は遺伝子操作薬と言える薬物で、深刻な副作用を引き起こすことが判明している。2020年12月下旬に接種を本格化させたイスラエルでは2021年4月に時点で十代の若者を含む人びとの間で心筋炎や心膜炎が増えていることが判明、問題になった。 アメリカの場合、イスラエルでの報告を受け、CDC(疾病予防管理センター)のACIP(予防接種実施に関する諮問委員会)は2021年6月23日に「mRNAワクチン」と「穏やかな」心筋炎との間に関連がありそうだと認め、その2日後にはFDA(食品医薬品局)がmRNA技術を使ったファイザー製とモデルナ製の「COVID-19ワクチン」が若者や子どもに心筋炎や心膜炎を引き起こすリスクを高める可能性があると発表している。 それだけでなく、早い段階から帯状疱疹や⾎栓性⾎⼩板減少性紫斑病(TTP)、あるいはギラン・バレー症候群による末梢神経の障害が報告され、ADE(抗体依存性感染増強)なども起こっている。 問題の「ワクチン」は人間の細胞に病気の原因であるスパイク・タンパク質を製造させ、抗体を作るという理屈なのだが、このスパイク・タンパク質が病気の原因になるとする論文も早い段階に発表された。 そこで人間の免疫システムは細胞を病気の原因だと認識して攻撃、炎症を引き起こす。放置すれば死んでしまうため、炎症を抑えるために免疫の低下させる薬物が含まれている。しかも抗体の主成分である免疫グロブリンのうちIgG4が増加、免疫を下げてしまうという。つまりAIDS状態になる。すでにVAIDS(ワクチン後天性免疫不全症候群)なる造語も使われている。 さらに、DNAの混入、mRNAを細胞の内部へ運ぶために使われているLNP(脂質ナノ粒子)の毒性、グラフェン誘導体の混入といった問題も指摘されている。LNPは卵巣を含むあらゆる臓器に蓄積、生殖システムが破壊される可能性があり、人類の存続を危うくしかねない。 この「COVID-19ワクチン」というタグの付けられた遺伝子操作薬が世界規模で接種させられてきたのだが、その口実としてCOVID-19を引き起こすとされたSARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)の感染爆発だが、そうした事実はなかった。 長年、医薬品業界で研究開発に関わってきたサーシャ・ラティポワによると、COVID-19騒動はバラク・オバマ政権の時代にアメリカ国防総省が始めた作戦だ。彼女は情報公開法によって入手した文書を分析、この結論に至ったという。 この作戦によって生物兵器の研究開発が進められたが、オバマ政権がクーデターで属国化したウクライナも研究開発の重要な拠点になり、生体実験も行われていた。この拠点は2022年2月にロシア軍が反撃を始めたことから失われ、別の国へ移動しているようだ。そのひとつが日本だろう。アメリカの国防総省は「COVID-19ワクチン」を生物兵器として開発したと考えられ、世界規模での接種は生体実験としか言いようがない。 その「ワクチン」によって少なからぬ人が副作用で苦しみ、死亡している。そうした被害者の現れ方が「ワクチン」のロットによって違うという早い段階から指摘されていた(例えば、ココやココ)が、ここにきて新たな論文が発表されている。短期間で製造したことから薬物の品質が均一でないと説明する研究者もいるが、現れ方がランダムでないため、意図的に毒性を変えていると推測する研究者も少なくない。意図的に毒性を変えている、つまり生体実験を行っていることを示唆する論文が発表されたのだ。生体実験の「元締め」はアメリカの国防総省だということになる。 日本では「COVID-19ワクチン」が危険だということが明確になった後、政府は自国民に対して本格的な接種を始めた。それを後押ししたのがマスコミに他ならない。厚生労働省の官僚、医療関係者だけでなく、有力メディアの責任も重い。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.25
アメリカ海軍はセオドア・ルーズベルトに続いて2隻目の航空母艦エイブラハム・リンカーンを中東に配置した。イランによるイスラエルへの報復攻撃が不可避であるため、イスラエルを守り、イスラエルに報復する国や組織を攻撃する準備なのだろう。イランは現在、タイミングや攻撃方法を検討しているはずだ。 マスード・ペゼシュキアンの大統領就任式に出席するためにイランを訪問していた暗殺されたハマスの幹部、イスマイル・ハニエを7月31日にイスラエルは暗殺した。同じ日にヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルも殺している。イラン、ヒズボラ、ハマスは連携して報復すると推測する人が少なくない。 一方、イスラエルはそうした報復を待っていると考えられている。ハニエやシュクルの暗殺は報復を誘発するために実行した可能性が高い。単独ではハマスに苦戦、ヒズボラと戦えば負けるイスラエルとしては、アメリカの中東における利権を危うくするような状況を作ることでアメリカ軍を引き込もうとしているとも考えられている。 当然、イランはアメリカ軍が出てくることを想定しているはずで、ロシアや中国と対抗策を練っているだろう。イランはロシアから兵器や情報を提供されているだろう。高性能の防空システムだけでなく対艦ミサイルがロシアからイランへ渡っている可能性もあるのだが、そうした支援がどこまで広がるかが注目されている。イエメンのアンサール・アッラーがロシア製の兵器を手にすることも否定できない。そうなると、アメリカの艦隊が壊滅的な打撃を受ける状況もありえる。 こうした状況を作ってきたイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相はベンシオン・ネタニヤフの息子。ベンシオンは「修正主義シオニスト世界連合」を1925年に創設したウラジミール・ヤボチンスキーの秘書を務めていた人物だ。 ヤボチンスキーは帝政ロシア時代のオデッサ(現在はウクライナ領)で生まれ、ウクライナでは独立運動を率いていたシモン・ペトリューラと連携している。ペトリューラは1918年から21年にかけて大統領を名乗るが、その時期に彼は3万5000人から10万人のユダヤ人を虐殺したという。(Israel Shahak, “Jewish History, Jewish Religion,” Pluto Press, 1994) 本ブログでは何度か指摘したが、シオニズムは17世紀のイギリスで生まれたと言われている。プロテスタントの一派であるピューリタンに属していたオリバー・クロムウェルがピューリタン革命を成功させ、アイルランドやスコットランドで住民を虐殺した当時だ。その後、ピューリタンはアメリカで先住民のアメリカ・インディアンを虐殺している。 そのクロムウェルの私設秘書だったジョン・サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。ここからシオニズムが始まるとも考えられているのだ。 イスラエル構想が具体化するのは1917年にイギリスの外務大臣を務めていたアーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ出した書簡からだろう。イスラエルを建国する目的のひとつはスエズ運河の安定的な支配だったとのだろう。運河によって地中海と紅海を感染が行き来できることはイギリスの戦略上、重要だ。そのため、イギリスは先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を弾圧する一方、ユダヤ人の入植を進めた。 1933年にドイツではナチスが国会議事堂放火事件を利用して実権を握るが、この年の8月にシオニストはナチス政権との間でユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意した。「ハーバラ合意」だ。シオニストにとってナチスのユダヤ人虐殺は好ましいことだった。 こうした背景を持つベンヤミン・ネタニヤフは昨年10月にガザで戦闘が始まった直後、パレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している。 「アマレク人」を家畜ともども殺し、その後に「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたと旧約聖書では記述されている。 アマレク人は歴史の上で存在が確認されていないが、この民族をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。パレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去るということだろう。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。 ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指している。この段階でネタニヤフはパレスチナ人を皆殺しにすると宣言しているわけだ。シオニストはナチス化していると言えるだろう。 イスラエルにはこうしたネタニヤフを批判する声もあるが、熱狂的な支持者もいる。人口の相当数はそうしたユダヤ人至上主義者だとする見方もある。彼の内閣では終末論的な発言をするカルトが過半数を占め、武装集団を形成している。軍部も手を出せないようだ。こうしたカルトの信者たちは「最終戦争」、つまり地球の破壊を夢想している。キリスト教にもそうしたカルトが存在、両者は連携している。イスラエルのカルトを西側諸国が支援していても不思議ではない。7月24日にネタニヤフ首相はアメリカ議会で演説したが、その際、議員たちは58回に及ぶスタンディング・オベーションを行った。アメリカの議員も正気ではない。 アメリカには平和推進者を装いながら戦争を推進、虐殺を支援する政治家もいる。民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領は「ガザでの停戦確保に精力的に取り組んでいる」わけではなく、イスラエルへの武器禁輸に反対している。 ハリスの副大統領候補に選ばれたティム・ウォルズは軍事力の削減に反対し、イスラエルに対する軍事援助を支持しているほか、イスラエル・ロビーのAIPACとも良好な関係にある。ウクライナでの戦闘でも彼は好戦的。ウクライナへの軍事援助を支持し、同国の駐米大使から「信頼できる友人」と呼ばれている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.24
アンワール・サダトはムスリム同胞団と密接な関係にあった。ムスリム同胞団はガマル・アブデル・ナセルの暗殺を試みて失敗、少なからぬメンバーはサウジアラビアなど国外へ逃亡した。そうした同胞団のメンバーをサダトはカイロへ呼び戻し、サウジアラビアとの同盟を打ち出すとともにアメリカやイスラエルとの関係を修復、その一方で1972年にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出した。 そのサダトがイスラエルを奇襲攻撃したのだが、彼の背後にはヘンリー・キッシンジャーがいた。キッシンジャーによると、戦争の初日にサダトは秘密の情報チャンネルを使い、ワシントンに連絡している。(Henry Kissinger, “Crisis,” Simon & Schuster, 2004) キッシンジャーは戦争でエジプトを勝たせ、サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げ、それと同時にイスラエルへ「和平交渉」に応じるようプレッシャーをかけようと目論んでいた。この和平とは部分的なもので、国連の242号決議とは根本的に違う。キッシンジャーもシオニストであることに変わりはなかった。デイビッド・ロックフェラーもキッシンジャーと同じことを考えていた。その際、サダトとキッシンジャーをつなぐパイプ役を務めたのがサウジアラビアの情報機関を統括していたカマル・アドハムだ。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005) こうしたキッシンジャーの動きにリチャード・パールやポール・ウォルフォウィッツといった後にネオコンと呼ばれる人びとは激怒、統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を探りはじめた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) 一方、ソ連の情報機関は早い段階でイスラエルが核弾頭を使う準備をしている疑いを抱いていた。その情報はエジプトのモハメッド・アブデル・ガーニー・エル・ガマシ参謀長に伝えられている。10月9日の朝にはアメリカ政府へもイスラエルが核兵器を使う準備をしていると警告していた。( William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978) この後、アメリカはイスラエルへ物資を輸送して反撃を支援しはじめる。キッシンジャーがサダトに行った説明によると、核戦争へとエスカレートすることを防ぐためだった。 実際、イスラエルのゴルダ・メイア首相の執務室では核兵器の使用について議論があり、その際、モシェ・ダヤン国防相は核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。アメリカのウィルソン・センターの調査によると、核兵器使用の準備をするという提案はメイア首相が拒否して実行されなかったというのだが、閣議で核兵器の使用が決まったという情報もある。 10月16日にイスラエルの機動部隊が運河を越えてエジプト軍の背後に回り込みはじめ、エジプト陸軍の第3軍が窮地に陥る。第3軍が壊滅したならキッシンジャーの計画は水泡に帰す。 ソ連のアレクセイ・コスイギン首相は16日にエジプトへ飛び、停戦するように説得、キッシンジャーは20日にモスクワへ飛ぶ。22日にキッシンジャーはイスラエルから停戦の内諾を得るのだが、イスラエルはエジプトへの攻撃をやめない。 10月24日にソ連のアナトリー・ドブルイニン駐米大使はキッシンジャーに対し、米英両国が平和維持軍を派遣してはどうかと提案。レオニード・ブレジネフ書記長はリチャード・ニクソン大統領宛の手紙の中で、アメリカがソ連と手を組めないのならばソ連は単独で行動すると警告されていた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)戦争当時にCIA長官だったウィリアム・コルビーもそう証言している。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978) この直後、キッシンジャーはニクソン大統領に知らせないままWSAG(ワシントン特別行動グループ)を招集して討議。その会議で、まずニクソンの名前でブレジネフへソフトな内容の返信を送り、その一方でアメリカが核戦争の警戒レベルをDEFCON(防空準備態勢)を通常の5から3へ引き上げるということを決めた。翌朝、ニクソンはこの決定を追認している。25日には全世界のアメリカ軍に対して「赤色防空警報」が出されたともいう。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009) そうした中、ダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、2基のミサイルに核弾頭をセット、目標をダマスカスとカイロに定めている。当時、イスラエルとの間に一線を引き、武器の供与に消極的だったニクソン大統領に対する恫喝だと推測する人もいる。キッシンジャーはイスラエルに停戦を強く求め、停戦は実現したのだが、イスラエルに「懲罰」を与えることはできなかった。 ニクソン大統領は1974年4月にCIA副長官だったバーノン・ウォルターズを中東へ秘密裏に派遣、PLOのヤセル・アラファトと会談させている。ウォルターズはアラファトに好印象も持ったようで、そのように報告。その年の8月にニクソン大統領はキッシンジャーに対し、もしイスラルが国連決議に従わないなら、軍事面も経済面もイスラエルに対する援助を打ち切るつもりだと伝えた。ニクソンが辞任したのはその3日後だ。ニクソン辞任を受け、副大統領から昇格したジェラルド・フォードはデタント派を粛清、ネオコンを台頭させた。(了)**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.23
8月6日にクルスクへ軍事侵攻したウクライナ軍の規模は当初、3個旅団程度と言われていたが、作戦に参加した兵力は1万人から3万人、2、3個師団程度だったようだ。それだけドンバスから兵員を割いたのか、国外から戦闘員が入ったということなのだろう。ドンバスでロシア軍の前進のスピードが速まっているのはそのためかもしれない。 ロシアがクルスクに配置していたのは国境警備隊で、装甲車両を連ねた部隊に対抗することができなかったわけだが、航空兵力に続いて予備兵力も投入され、ウクライナ軍を押し返している。ウクライナ軍は貴重な戦闘車両を失い、多数の死傷者がでていると報告されている。徴兵した戦闘未経験の兵士をクルスクで実戦訓練しているとする情報もある。 クルスクへの軍事侵攻を許したことはロシア政府の失態だが、結果としてウクライナはトラップにかかった形になっている。今回の軍事作戦についてドイツのオラフ・ショルツ首相はウクライナが秘密裏に実行したと主張しているが、状況から考え、NATO諸国と連携、その中心にイギリスの支配層がいる可能性が高い。 ロシア政府の失敗はシティやウォール街、つまり米英金融資本が約束を守ると信じていたことにある。米英政府との合意に大した意味がないのだが、クルスクの件でロシア政府内にまだ米英を信じている人たちがいたことが判明した。ロシア政府は話し合いによる解決を断念しただろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.22
イスラエル政府は7月31日、ハマスの幹部でイスラエルとの首席交渉官を務めていたイスマイル・ハニエとヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルを暗殺した。イランの新大統領マスード・ペゼシュキアンの就任式に出席するためにテヘランを訪れていたハニエを殺したということはイランへの挑発でもある。 イランがイスラエルに報復することは間違いないが、その前に手順を踏んでいる。根回しをしていると言えるだろう。このイランがヒズボラやハマスと連携してイスラエルを早晩、攻撃するはずだ。アメリカやその属国はイスラエルを守ろうとするはずだが、成功する可能性は大きくない。 ヒズボラ単独でもイスラエルは軍事的に勝てないと言われ、ガザではハマス相手に苦戦している。中東の状況を悪化させ、アメリカが軍事介入せざるをえない状況をイスラエル政府は作ろうとしていると推測する人もいるが、そもそもイスラエルはイギリスの戦略に基づいて作り出されたのであり、イギリスの戦略を引き継いでいるアメリカもイスラエルと一心同体の関係にある。 アメリカのジョー・バイデン政権や副大統領で民主党の大統領候補でもあるカマラ・ハリスはイスラエルにブレーキをかけているかのような発言を続けているが、SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)によると、イスラエルの武器輸入の69%はアメリカが占める。その次がドイツで30%。ほかのNATO加盟国も多くが供給しているが、アメリカとドイツで大半を占める。つまり、この2カ国が本当にイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺を止めようと思えば、可能であり、ハリスたちの発言は口先だけである。 イスラエルには核兵器という切り札がある。この国の核兵器開発はフランスの支援でスタート、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加している。その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。 1949年から63年まで西ドイツの首相を務めたコンラッド・アデナウアーはイスラエルとは友好的な関係にあった。イスラエルのダビッド・ベングリオン首相の求めに応じて小火器、ヘリコプター、部品などを提供している。1960年3月にニューヨークでベングリオン首相と会った際には、核兵器を開発するために61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めている。 それに対し、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発に神経をとがらせていた(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)が、1963年11月にケネディは暗殺され、後任はシオニストの富豪アブラハム・フェインバーグから資金援助を受けていたリンドン・ジョンソン。フェインバーグは日本への原爆投下を許可したハリー・トルーマンのスポンサーでもあった。 イスラエルの核兵器について内部告発したモルデカイ・バヌヌによると、彼の証言がサンデー・タイムズ紙に掲載された1986年10月当時、イスラエルが保有していた核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有し、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。 後にカーターはイスラエルが保有する核兵器の数を150発だと推測、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベン-メナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上。水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991) こうした核兵器をイスラエル政府が使おうとしたことがある。1973年10月にエジプトのアンワール・サダト政権はイスラエル軍に対して奇襲攻撃をかけた。そして始まったのが第4次中東戦争である。(続く)**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.22
8月6日にウクライナのスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻した部隊はウクライナ兵だけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊、そして各国から集められた傭兵が参加していると見られている。 アメリカをはじめとする西側諸国がウクライナ制圧作戦を本格化させたのは2004年から05年にかけての「オレンジ革命」からだ。それまでの中立政策を変えさせ、西側の私的権力に従属する体制を築こうとしたのだが、彼らの傀儡だったビクトル・ユシチェンコの新自由主義政策でウクライナ人の怒りを買い、2010年の大統領選挙でもビクトル・ヤヌコビッチが勝利。そこで2013年から14年にかけてネオ・ナチを利用したクーデターを実行、西側資本の属国にしたわけである。 このクーデターをヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部は拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは武装闘争を始めた。軍や治安機関の約7割は新体制を拒否したと言われているが、クリミアの場合は9割近い兵士が離脱したと伝えられている。アメリカに従属することを当然だと考えている人びとはウクライナでの動きを受け入れられないようだ。 こうした状況にあるため、反クーデター軍はドンバスのクーデター軍を制圧できない。そこでアメリカをはじめとする西側諸国はクーデター軍を強化するための時間が必要になる。そのためのミンスク合意(I、II)だったことはドイツの首相だったアンゲラ・メルケルやフランス大統領だったフランソワ・オランドも認めている。 8年かけて西側はウクライナへ兵器を供給、兵士を訓練、ドンバスの周辺に地下要塞を建設、それを軸に要塞線を築いた。その間、ナチズムを少年少女に叩き込んでいる。12歳の子どもは8年後に20歳だ。 2022年に入るとクーデター軍はドンバスへ軍事侵攻する動きを見せ始め、砲撃も激化するのだが、キエフ側が動く前にロシア軍が動いた。2022年2月だ。 ロシア軍は2月24日からウクライナに対する攻撃を開始。ミサイルなどでドンバス周辺に集結していたウクライナ軍の部隊を攻撃、航空基地やレーダー施設、あるいは生物兵器の研究開発施設を破壊し始める。これでロシア軍の勝利は確定的だった。 そこでイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットを仲介役として停戦交渉を開始、双方とも妥協して停戦の見通しが立ち、ベネットは3月5日にモスクワへ飛ぶ。彼はウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけることに成功した。 その足でベネットはドイツへ向かい、オラフ・ショルツ首相と会うのだが、その3月5日にSBUのメンバーがキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフを射殺している。クーデター後、SBUはCIAの下部機関だ。 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。 こうした停戦交渉をアメリカとイギリスが壊してしまう。4月9日にイギリスのボリス・ジョンソン首相はキエフへ乗り込んでロシアとの停戦交渉を止めるように命令し、4月30日にはアメリカのナンシー・ペロシ下院議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ゼレンスキー大統領に対し、ウクライナへの「支援継続」を誓う。 それ以降、ロシアとの戦闘にNATOが関与していく。武器弾薬を提供し、軍事訓練を施すだけでなく、ISR(情報・監視・偵察)データを提供、さらに作戦を立てるようになる。ウクライナの敗北が明確になるにつれ、西側は高性能兵器を供与するようになるのだが、ウクライナ側の状況は悪化するばかりだ。 パレスチナでも言えることだが、西側は泥沼にはまりこみ、抜け出せなくなっている。こうした状況に陥った原因は自分たちを過大評価し、相手を過小評価したことにある。その傲慢さが自らを追い詰めることになり、核戦争の危険性を高めているのだ。 外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文でも、その傲慢さがわかる。ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカ軍の先制第1撃で破壊できるようになる日は近い、つまり核戦争で中露に勝てるとしているのだ。 それによると、ソ連の消滅でアメリカは核兵器の分野で優位に立ち、近いうちにロシアや中国の長距離核兵器を先制攻撃で破壊できるようになるだろうと主張している。 リーバーとプレスはロシアの衰退や中国の後進性を信じ、アメリカが技術面で優位にあるという前提で議論している。自国の教育システムが崩壊し、知的水準が低下している現実に気づいていない。 そうした現実をアップルのスティーブ・ジョブスは理解していた。論文が出た2年後、2010年の秋にバラク・オバマ大統領から彼は工場をアメリカで建設してほしいと頼まれたのだが、それを拒否している。ジョブスによると、アップルは中国の工場で70万人の労働者を雇っているのだが、その工場を機能させるためには3万人のエンジニア必要。アメリカでそれだけのエンジニアを集めることはできないというのだ。アメリカで工場を作って欲しいなら、それだけのエンジニアを育てる教育システムが必要だということである。 ソ連消滅後、ボリス・エリツィン時代のロシアは西側の私的権力に支配され、惨憺たる状態なったものの、欧米の本性にロシア人は気づいて復活への道を歩み始めたのだ。ネオコンたちはそれに気づかなかった。現在では製造力の面でも科学技術の面でもロシアや中国は欧米を上回っている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.21
ウクライナ軍は8月6日にクルスクへ軍事侵攻した。そのとき、ロシア側に配置されていたのは国境警備隊のみで、正規軍の部隊はいなかったという。そのため、ウクライナ軍は抵抗を受けずに進軍できたのだが、現地からの情報を総合すると、ロシア軍は航空兵力で反撃を開始、地上部隊も派遣し、すでにウクライナ軍は大きなダメージを受けて押し戻されている。攻め込んだウクライナ軍は「多国籍軍」だと言われ、実際、アメリカ国旗のワッペンをつけた兵士の写真もある。 2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権のネオコンが仕掛けたクーデターの際、CIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み、傭兵会社「アカデミ(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名もウクライナ東部の作戦に参加したと伝えられていた。2015年になるとCIAはウクライナ軍の特殊部隊をアメリカの南部で訓練し始めた。今回の軍事侵攻ではアメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊員が戦闘に参加しているほか、イタリアの取材チームが同行。つまり西側へは事前に情報が伝えられていたということだろう。 2022年の秋頃からウクライナ軍はNATO化が進み、偵察衛星が無人機などによって収集された情報がアメリカ/NATOから提供され、兵器の種類によってはオペレーターも送り込まれている。戦場で殺される兵士の大半はウクライナ人だ。ウクライナ人にロシア人を殺させ、漁夫の利を得ようとしているのだが、西側からも戦闘員は投入されている。 アメリカ政府は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。そのクーデターでアメリカはネオ・ナチを利用したのだが、その歴史は第2次世界大戦の前から続いている。 中央ヨーロッパには反ロシア勢力が存在し、ナチズムと結びついたのだが、ウクライナではイェブヘーン・コノバーレツィらがOUN(ウクライナ民族主義者機構)を創設、1934年にはポーランドの内務大臣だったブロニスワフ・ピエラッチをワルシャワで暗殺している。 ノバーレツィは1938年に暗殺され、アンドレイ・メルニクが組織を引き継ぐが、この新指導者は穏健すぎると反発するメンバーが若者を中心に現れる。そうしたメンバーは反ポーランド、反ロシアを鮮明にしていたステパン・バンデラの周辺に集まった。このバンデラ派をイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う。 バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコとミコラ・レベジはポーランド当局に逮捕されていたが、1939年に釈放された。バンデラ派はドイツと結びつき、「汚い仕事」を引き受けた。ウクライナでは90万人のユダヤ人が行方不明になったとされているが、それもOUNが行ったと言われている。 そのOUNの内部では対立が激化、1941年にOUN-M(メルニク派)とOUN-B(バンデラ派)に分裂。ドイツはOUN-Bへ資金を提供、バンデラ派のレベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。ドイツ軍がソ連へ攻め込んだバルバロッサ作戦が始まったのはこの年の6月だ。 ドイツ軍はウクライナのリビウへ入り、制圧。ドイツ軍はウクライナ側の協力を得て6月30日から7月2日にかけてユダヤ人の虐殺を開始。犠牲になった人の数は4000名から8000名だと推測されている。ウクライナ西部に地域を広げると7月に殺されたユダヤ人の数は3万8000名から3万9000名に達するという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014) その頃にステツコたちはウクライナの独立を宣言、ドイツ側はそれを取り消すように求めるのだが、彼らは拒否。ナチスの親衛隊は7月からOUN-Bのメンバーを次々に逮捕していくのだが、両者の協力関係が消えたわけではない。 ドイツの敗北が決定的になっていた1943年初頭、OUN-Bの武装集団はUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。OUNやUPAの幹部の半数近くがウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(前掲書) そうした中、UPAは「民族浄化」に乗り出し、ユダヤ人やポーランド人の殺戮を始める。その方法は残虐で、妊婦の腹を引き裂いて胎児や内蔵を取り出し、脅しのために灌木に引っかけるといったことをしたという。1943年から45年の間にOUN-BとUPAが殺したポーランド人は7万人から10万人と言われている。(前掲書) バンデラを含むOUN-Bのメンバーはドイツが降伏した後、オーストリアのインスブルックへ逃げ込む。ソ連に追われていた彼らとしては、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に占領されていたウィーンは危険な場所だった。1945年夏になると、バンデラたちはドイツの情報法機関を統轄することになるラインハルト・ゲーレンに匿われることになる。 クロアチアにもナチスと手を組んだ勢力が存在した。ウスタシだ。この団体は1920年代の後半に創設されたクロアチア人のファシスト団体で、ザグレブの弁護士だったアンテ・パベリッチが率いていた。 17世紀にボヘミアの新教徒が神聖ローマ帝国に対して反乱、「三十年戦争」が始まる。その時に帝国の傭兵として戦ったのがクロアチア人。残虐さで名を轟かせた。 三十年戦争と並行してイギリスでは王党派と議会派が戦い、貴族やジェントリーの主流が支持する王党派が敗北。1649年には国王チャールズ1世が処刑された。 議会派側で戦闘を指揮していたオリバー・クロムウェルはプロテスタントの一派であるピューリタンに属していた人物だが、彼の率いる軍隊はアイルランドやスコットランドで住民を虐殺。彼の仲間はアメリカ大陸で先住民のアメリカ・インディアンを虐殺している。 クロムウェルの私設秘書だったジョン・サドラーは1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中で、イギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。ここからシオニズムが始まるとも考えられている。 クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだが、その後、ピューリタン体制は倒されてシオニズムは放棄される。 クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したというが、19世紀の終わり近くまでユダヤ人でシオニズムを支持していたのはエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。 ところで、ナチスと手を組んだウスタシは「民族浄化」を計画、クロアチア地域に住むセルビア人のうち3分の1を殺害、3分の1を追放、3分の1を東方正教からカトリックへ改宗させようとしていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) イタリアやハンガリーで訓練を受けたウスタシは1941年4月にドイツ軍とザグレブへ入って独立を宣言、6月から8月にかけてセルビア人、イスラム教徒、ユダヤ人らを虐殺している。 ウスタシは殺害の前に拷問するのが常。中にはセルビア人の眼球や臓器をコレクションしている者もいたという。この時にウスタシが何人殺したのかは明確でないが、100万人近く、あるいは約75万人という推計がなされている。言うまでもなく、犠牲者の大半はセルビア人だ。(Jeffrey M. Bale, “The Darkest Sides Of Politics, II,” Routledge, 2018) 大戦後、OUN-Bやウスタシを含むナチズム勢力はアメリカやイギリスの政府機関に保護され、後継者も育成された。1946年にウクライナの反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)へ発展した。 同じ頃にMI6は反ソ連組織の勢力拡大を図り、1947年7月にインテルマリウムとABNを一体化させ、9月にはポーランドのプロメテウス同盟も合流させた。翌年の後半、新装ABNはステツコを中心として活動を開始する。 ABNは1966年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になった。 APACLは1954年に韓国で創設された団体だが、その際に中心的な役割を果たしたのは台湾の蒋介石や韓国の李承晩。日本からは児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部を設置する際には岸信介が推進役になっている。同じ頃、「世界基督教統一神霊協会(統一教会、後の世界平和統一家庭連合)」なる団体も韓国で設立された。当初、WACLの主導権はAPACL系の人脈が握っていたが、1970年代になるとCAL(ラテン・アメリカ反共同盟)が実権を握る。 北方神話を信じるナチズムはバルト3国やスカンジナビア諸国とも結びついている。最近、エストニアのヨビで、第2次世界大戦時に親衛隊の隊員だったふたりの記念碑が博物館の地下室から持ち出され、再び展示されるようになったが、これは一例。バルト3国の親衛隊は志願兵で構成され、エストニアの隊員数は7万人だったという。強制されてナチスのために戦ったと弁明しているようだが、違うようだ。 ラトビアでは8万7500名が参加、リトアニアでは隊員のほとんどが警察官として協力、ユダヤ人、コミュニスト、反体制派を襲撃していたという。大戦中、リトアニアでは約90%のユダヤ人がリトアニア人に処刑されたとされている。リトアニアの親衛隊はバルバロッサ作戦にも参加していた。フィンランドだけでなく、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランドにも多くのナチス信奉者がいるのだが、そうした人びとは自分たちを「民主主義者」だとしている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.20
3個旅団程度のウクライナ軍が8月6日、スーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻した。ロシア側には国境警備隊が配備されていただけで、装甲車両を連ねた部隊に対抗することができなかったようだ。侵攻に気づかず、拘束されたロシア兵もいたと言われている。それに対し、ロシア側は航空兵力で反撃、すでに予備兵力を投入して押し返し始めた。それに伴い、ウクライナ軍は多数の死傷者がでている。 この攻撃を実行するため、ドンバスで戦っている部隊から兵力を割いた可能性が高いが、イギリスのタイムズ紙によると奇襲攻撃の数週間前にイギリスの教官から軍事訓練を受けていたという。 こうしたウクライナ兵のほか、西側諸国から合流した戦闘員が少なくないようだ。さらにアメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊員も戦闘に参加しているとする報告もある。侵攻作戦を立案したのはイギリス軍だとする話も伝わっている。 真偽不明の情報だが、クルスクへの軍事侵攻がアメリカやイギリスを中心とするNATOの作戦だということは間違いないだろう。2022年秋からそうした構図が強まっている。アメリカの兵器だけでなく、情報、監視、偵察にウクライナ軍は依存している。 アメリカのジョー・バイデン大統領によると、ウクライナ軍が8月6日に軍事侵攻する前、アメリカ政府はキエフ政権と「常時接触」していた。アメリカ政府がウクライナ軍のロシア領への軍事侵攻計画について何も知らなかったということは考えにくい。ワレリー・ゲラシモフ参謀総長はクルスク国境付近でのウクライナ軍の増強に関する警告を何度か無視したとも言われている。 ウクライナがクルスクへ軍事侵攻する直前、アメリカとロシアは大規模な「捕虜交換」を行なっている。またカタールを仲介役として、ロシアとウクライナは2カ月にわたってエネルギー供給について協議、あとは細部を詰めるだけだったという。軍事的な緊張は弱まっていると思っても仕方がない状況だった。 すでにアメリカ政府はロシア領内への攻撃を容認する発言をしているが、国境地帯が比較的平穏だったことも確か。そこで、アメリカ政府とロシア政府との間で何らかの取り決めがあったのではないかと推測する人もいる。もし今回の軍事侵攻をアメリカ政府が事前に知っていたとなると、米露関係はさらに悪化することになる。 すでにクルスクでウクライナ軍は厳しい状況に陥っている。今後、アメリカ/NATOも厳しい状況に陥るだろうが、8月6日の奇襲攻撃を実行させてしまったロシア側でも責任を問う動きが表面化すると見られている。侵攻前、クルスク国境に兵力が集積していることにロシア側が気づかなかったとすれば、大問題である。衛星やドローンだけでも捕捉できたはずだからだ。 クルスクのスージャにはロシアからハンガリー、スロバキア、オーストリアなどへ天然ガスを供給するパイプラインが通っているほか、クルスク原子力発電所がある。カタールでの交渉が合意に達すれば、この地域への攻撃は無くなるはずだが、今回の侵攻でパイプラインを抑えられれば、ハンガリー、スロバキア、オーストリアを脅すことができ、原子力発電所を支配すればロシアを脅すことができる。 ウクライナ政権が「原子力発電所の使用済み核燃料の貯蔵施設を標的とする核偽旗作戦、つまり汚染原子爆弾の爆発を準備している」とする情報が流れている。「汚い爆弾(放射能爆弾)」でザポリージャ原発かクルスク原発を攻撃するのではないかというのだ。ウクライナ軍はクルスク原発に到達できなかったが、8月17日にはザポリージャ原発を無人機で攻撃している。 ロシアではクルスク、ベルゴロド、ブリャンスクの治安を改善するための会議が開かれている。そうした会議の議長を務めている人物がアンドレイ・ベローゾフ国防大臣だ。この大臣は経済が専門で、ロシア軍の幹部からは嫌われている。この3地域を西側に渡し、それを「交渉の材料」にすることでロシアはウクライナの東部や南部を手放そうとしていると疑う人もいる。 今年4月には国防次官を務めていたティムール・イワノフが収賄の容疑で逮捕され、5月には国防大臣がセルゲイ・ショイグからベローゾフに交代した。ショイグは軍事会社を経営、エフゲニー・プリゴジンのワグナー・グループとライバル関係にあった。 そこで国防大臣と傭兵会社トップとの関係が悪化したのだが、ワグナー・グループはロシアの情報機関によって創設され、ロシア軍参謀本部の第1副本部長を務めていたウラジーミル・ステパノビッチ・アレクセーエフ中将が背後にいたとされている。 2022年2月にロシア軍がウクライナを攻撃し始めた当時、ロシアの正規軍は航空兵力やミサイルなどでの攻撃を担当、地上部隊はドンバスの反クーデター軍や傭兵会社の戦闘員が主力だった。その傭兵会社がワグナー・グループだ。 ウクライナ軍は2022年2月の段階で壊滅的なダメージを受け、ウクライナ政府はロシア政府と停戦交渉を開始するのだが、イギリスやアメリカの圧力で戦争を継続せざるをえなくなる。それに伴い、ウクライナ軍のNATO化が進む。2022年9月21日にロシア政府が部分的動員を発表したのはそのためだ。その動員で約30万人が集められ、訓練を実施されたが、実際に戦線へ投入された兵士はそのうち数万人だと言われている。 シリアで成功を収めたあと、ウクライナのドンバス、ヘルソン、ザポリージャの戦闘を指揮したセルゲイ・スロビキン上級大将もプリゴジンと関係が緊密。またワグナーの事実上の指揮官はミハイル・ミジンチェフ上級大将だと考えられていた。国防大臣とロシア軍幹部の関係は良くなかったと言えそうだ。そして昨年5月、プリゴジンは示威行動に出て失敗、スロビキンも失脚したと言われたが、昨年9月から統合防空システムの長官を務めている。 クルスクでウクライナ軍や外国から参加している戦闘員は大きなダメージを受けているが、クルスクへの侵攻を許したのはロシア側の失態だ。そこで、スロビキンを復活させるべきだとする声が高まっている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.19
7月13日に演説中のドナルド・トランプをAR-15半自動ライフルで銃撃したとされるトーマス・マシュー・クルックスの遺体は7月23日に火葬され、その事実を郡検視官、警察、保安官も8月5日まで知らなかったという。クレイ・ヒギンズ議員によると、FBIが遺族へ引き渡している。 そのFBIは事件の直後に犯行現場から「生物学的証拠」を取り除いていたことも明らかになっている。FBI以外の人間がクルックスの遺体や現場を調べることができなくなった。証拠隠滅工作だと疑われても仕方がないだろう。 事件当日、当日、シークレット・サービスのカウンタースナイパーは2チーム配備されていたが、クルックスがいた場所は森の陰にあるため見えないとされている。州または地元の警官で構成される別のカウンタースナイパー・チームがいたとする人もいたが、誰がクルックスを撃ったのかが明確でない。そうした点からも遺体の調査は重要だ。検死報告書があれば良いというものではない。 集会に参加していた何人かは不審者の存在に銃撃の1時間ほど前から気づき、警備の人間に伝えていた。20分ほど前、屋根にライフルを手にしたクルックスがいることを観衆らが目撃、騒ぎになっている。それでも警護担当者は動かなかったのだ。そのクルックスは7月13日未明に会場を調べるためにドローンを飛行させていたが、警備の担当者は事前に集会会場をチェックしなかったと指摘されている。 クルックスが狙撃した場所に人を配置するよう事前の会議で警察からシークレット・サービスに言ったとする警察官の発言が彼のボディカメラに記録されていた。その警告が実行されていれば、クルックスはその現場へ近づくことはできなかっただろう。 元CIA分析官のラリー・ジョンソンは140ヤード(約128メートル)の銃撃は難しく、少なくとも数週間にわたる厳しい練習が必要だと指摘する。さらに、ライフル射撃場でゼロイン調整をしなければならない。そうした練習や調整をクルックスがひとりで行った可能性は小さく、誰か支援者がいると見られている。そうした支援者が政府機関の内部にいる可能性もある。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.18
ロシアから天然ガスをドイツへ運ぶため、バルト海に海底ガスのパイプライン、ノルド・ストリーム1/2が建設されたのだが、2022年9月に爆破された。犯行の主体はアメリカ政府だと見られている。 その爆破工作に関し、1998年から2005年までドイツの情報機関BND(連邦情報局)の総裁を務めたアウグスト・ハニングはドイツのベルト紙に語った。ポーランドが工作に参加、事件の調査を妨害したとしているのだ。 ドイツでの報道によると、「ウラジミールZ」なるウクライナ国籍の人物に対する逮捕令状を連邦検察官は発行したのだが、その人物はポーランドへ逃走、ポーランド政府は引き渡しに応じていないという。容疑者はダイビングのインストラクターで、パイプラインに爆発物を仕掛けたとされているようだ。 ドイツによる調査の結果、実行したのはウクライナのチームで、ポーランドの軍や情報機関が支援していたとしている。ウクライナとポーランドに責任を押し付けようとしているとも言えるだろう。 アメリカは2013年11月から14年2月にかけてウクライナでネオ・ナチを利用したクーデターを実行したが、目的のひとつは同国を支配することでロシアとヨーロッパを結ぶパイプラインをコントロール、ロシアとヨーロッパを分断して双方を弱体化させることにあった。そのウクライナを迂回するために建設されたのがノルド・ストリーム1/2だ。そのパイプラインの破壊を現在のドイツ政府は容認している。つまりドイツを含むヨーロッパの経済を破壊し、そこに住む人びとを苦しめる政策を欧米を支配する私的権力の傀儡と化しているドイツ政府は進めているのだ。 アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル紙はウクライナ軍の元総司令官で今はイギリス駐在大使を務めているバレリー・ザルジニーを破壊工作の首謀者にしているようだ。 この「報道」に関し、CIAの元分析官であるラリー・ジョンソンはひどいフィクションの臭いがするとしている。爆破現場であるバルト海では深海に爆発物を設置するための技術的な課題があり、専門知識が必要だと指摘している。カリブ海でのスキューバダイビングとは違うということのようだが、そうしたことをWSJは無視しているとしている。 ジョンソンの推測によると、CIAがウクライナ人にノルドストリームを爆破しないように警告したと主張するWSJの記事はCIAの奨励と支援を受けて書かれている。またアメリカ政府がウォロディミル・ゼレンスキーの後継者を選んだとする報道があると指摘、ウクライナ大統領を交代させる準備が進んでいる可能性があるとしている。ベルト紙の記事もその一環だろう。 ジョンソンは調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが書いた記事の方が信頼できるしている。ハーシュはアメリカ海軍の特殊部隊が実行したとする記事を発表している。彼の情報源はアメリカの情報機関内にいると見られている。 アメリカのジョー・バイデンは大統領に就任した2021年1月からロシアに対して経済戦争を仕掛け、軍事的な挑発を開始、バイデン政権の高官たちは繰り返し、ノルド・ストリームの破壊を公言していた。 バイデン大統領は2021年後半にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官を中心とする対ロシア工作のためのチームを編成。その中には統合参謀本部、CIA、国務省、そして財務省の代表が参加、12月にはどのような工作を実行するか話し合っているという。そして2022年初頭、CIAがサリバンのチームに対し、パイプライン爆破を具申している。 2022年1月27日にビクトリア・ヌランド国務次官(当時)は、ロシアがウクライナを侵略したらノルド・ストリーム2を止めると発言、2月7日にはバイデン大統領がノルド・ストリーム2を終わらせると主張、記者に実行を約束した。 爆破計画の拠点として選ばれたのはノルウェー。イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長の母国だ。ハーシュによると、3月にはサリバンのチームに属すメンバーがノルウェーの情報機関に接触、爆弾を仕掛けるために最適な場所を聞き、ボルンホルム島の近くに決まった。 プラスチック爆弾のC4が使われたが、仕掛けるためにはロシアを欺くためにカムフラージュが必要。そこで利用されたのがNATO軍の軍事演習「BALTOPS22」だ。その際にボーンホルム島の近くで無人の機雷処理用の潜航艇を使った訓練が行われた。 当然のことながら、爆破されるとパイプライン内の圧力が減少する。その事実をロシアのガスプロムは異常をアラームで知るのだが、そのアラームが鳴った1分後、イギリスの首相だったリズ・トラスはiPhoneでアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官へ「やった」というテキストのメッセージを送っている。この情報は10月30日に報じられたが、その前日、ロシア国防省はこれらのパイプラインを破壊したのはイギリス海軍だと発表、トラスはその4日前に辞任している。 パイプラインが爆破された直後、ポーランドで国防大臣や外務大臣を務めたラデク・シコルスキーは「ありがとう、アメリカ」と書き込み、その後、ノルドストリームの破壊はプーチンの策略の余地を狭めるとも書いた。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.17
アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターの自宅をFBIと州警察の捜査官が8月7日に家宅捜索した。「FARA(外国エージェント制限法)」に違反した容疑だとされているが、具体的に何が問題なのか不明で、彼のようにネオコンが主導する政策に批判的な人びとへの恫喝だと見られている。 リッターが後に公開した令状のコピーには電子機器を持ち出すことだけが許されているのだが、家宅捜索した捜査官はリッターがUNSCOMの主に査察官として活動していた当時の国連ファイルの箱も持ち出したという。 リッターの場合、FARAの規制対象ではないように思えるのだが、明らかに外国のために活動している強力なロビー団体でも規制されたいこともある。イスラエルのために活動しているAIPACだ。ジョン・F・ケネディ政権までは登録を求められていたが、その後問題にされなくなった。AIPACの前身であるAZCPA(アメリカ・シオニスト広報委員会)はAZC(アメリカ・シオニスト評議会)のロビー活動部門として設立されたが、1954年に別れたという。 その前、6月3日にリッターはニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で国境警備隊員にパスポートを押収されている。SPIEF(サンクトペテルブルク国際経済フォーラム)のパネル・ディスカッションへ参加するため、トルコ航空機に搭乗するところだった。その際、リッターは令状を見ることができず、預かり証も渡されなかったという。リッターによると、パスポートの押収は国務省の要請だった。 アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃する際、アメリカの政府や有力メディアはイラクが大量破壊兵器を保有、今にもアメリカを核攻撃するかのように主張していたが、リッターはそれをUNSCOMの主任査察官として否定、アメリカの支配層から敵視されるようになった。最近ではウクライナアメリカ政府が実行したクーデター、そのクーデターで誕生したネオ・ナチ体制への批判、あるいはイスラエルによるガザでの虐殺批判もアメリカ政府を怒らせている。その政府を操っているのはシティやウォール街を拠点としてきた強大な私的権力だ。その私的権力は1991年12月にソ連が消滅した直後、自分たちが世界の覇者になったと考えた。 彼らの手先であるネオコンは1992年2月、DPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成する。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になってDPG草案は書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 その後、彼らは世界制覇の「詰め」に入り、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクを先制攻撃するのだが、思惑通りには進まない。しかも潰したはずのロシアが復活、強力なライバルとして登場し、中国と戦略的同盟関係を結んだ。覇者になったはずの私的権力は窮地に陥った。 追い詰められた私的権力は情報統制を強化している。WikiLeaksの象徴的な存在だったジュリアン・アッサンジに対する弾圧はその一貫だった。彼は2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館内でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に収監されていた。 世界を支配するために反民主主義的なことを行ってきたアメリカの支配層にとってWikiLeaksは目障りな存在だった。そのアッサンジを拘束することによってWikiLeaksの活動を抑え込み、さらに内部告発を抑え込み、記者や編集者を尻込みさせようとしたのだろう。長期にわたる拘束の後、アッサンジはアメリカ当局と司法取引で合意し、釈放されたのだが、言論統制は強化されている。 アッサンジはオーストラリア人で、ヨーロッパで活動していた。その彼をアメリカ政府は配下の政府を利用して逮捕、拘束した。アメリカ政府が行ったことは言論弾圧のための不法監禁であり、拷問とも言える。 欧米の私的権力に弾圧されたジャーナリストはアッサンジのほかにも少なくない。例えば、ウクライナ東部のドンバスではドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレット、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者らが取材していたが、彼らに対する西側政府の弾圧は厳しく、ドイツ人ジャーナリストのパトリック・バーブは職を失い、アリナ・リップは銀行口座を接収された。 ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人ジャーナリストのゴンサロ・リラの場合、2023年5月にウクライナの治安機関(SBU)に逮捕され、収監されていたウクライナの刑務所で死亡した。10月中旬に左右の肺が肺炎を起こし、気胸、そして重度の浮腫を患ったのだが、刑務所は適切な治療を施さなかった。拷問の結果だともされている。 情報統制のため、西側の私的権力は1970年台から有力メディア支配を強化している。1980年代には「規制緩和」で有力メディアの大株主は集中、メディアの大半を少数のグループが支配している。2019年ではCOMCAST(NBCなど)、ディズニー(ABC、FOXなど)、CPB(NPR、PBSなど)、Verizon(Yahooニュース、ハッフィントン・ポスト)、ナショナル・アミューズメンツ(VIACOM、CBS、MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、グーグル、ニューズ・コープ(FOXニュース、ウォール・ストリート・ジャーナルなど)というようになっている。 またユーチューブ、フェイスブック、X(ツイッター)などの検閲も強化されている。こうした検閲を「民間企業だから」という理由で容認することはできない。尊重すべきは「民間企業」のカネ儲けではなく「言論の自由」だ。「民間企業」のカネ儲けが言論の自由を危うくするならば、そうした分野を「民営化」してはならないということである。 フランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムを次のように定義している:「人びとが私的権力を容認し、その私的権力が民主主義国家そのものよりも強くなるようなことがあれば、民主主義国家の自由は安全でない。個人、集団、あるいはその他の支配力を持つ私的権力による政府の所有は本質的にファシズムである。」**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.16
1945年8月15日、昭和天皇(裕仁)は「ポツダム宣言」の受諾をアメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に伝えたと「臣民」に発表した。いわゆる「終戦勅語」だ。 この「勅語」について堀田善衛は「負けたとも降服したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦=引用者注)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌みな二重否定、それきり」で、「その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた」と書いている。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年) その年の4月12日、アメリカでは国の在り方を大きく変える出来事があった。ニューディール派を率いていたフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、副大統領のハリー・トルーマンが大統領の職を引き継いだのである。トルーマンはルーズベルトと違う考え方の持ち主で、副大統領時代、大統領と会ったのは2度だけだともいう。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) トルーマンは第1次世界大戦の頃、兵営内で日用品などを販売する酒保をオクラホマ州にあったフォート・シルで経営して成功したのだが、そこで知り合いになったジェームズ・ペンダーガストの叔父はカンザスシティ政界のボス、トーマス・ペンダーガストだった。 当時のカンザスシティはギャンブル、売春、密造酒や麻薬取引、恐喝が盛んで、そうした「ビジネス」の上に君臨していたのがトーマスに他ならない。そのトーマスの下でトルーマンは稼いでいた。(Jonathan Marshall, “Dark Quadrant,” Rowman & Littlefield, 2021) こうした「政治マシーン」がトルーマンを副大統領の座に付けることになるのだが、そうした彼に多額の政治資金を提供していたひとりがアブラハム・フェインバーグなるシオニストの富豪。裏ではシオニスト団体へ法律に違反して武器を提供、イスラエルの核兵器開発を資金面から支えることになる人物だ。 ルーズベルト大統領が信頼していた文民はハリー・ホプキンスとヘンリー・ウォーレスだと言われている。ルーズベルトはファシストの巣窟と見られていた国務省を信頼せず、外交はホプキンスに頼っていた。つまり当時の国務省とルーズベルト大統領を一体化させて議論することは間違いである。そして副大統領に据えたのがウォーレスだ。 JPモルガンをはじめとするウォール街の富豪たちがルーズベルトが初めて大統領に就任した直後、1933年から34年にかけてクーデターを目論んだことは本ブログでも繰り返し指摘してきた。そうした金融資本はトルーマンを引き上げた政治マシーンの背景でもある。 そうした勢力にとって邪魔な存在だったウォーレスは、ドイツの降伏が見えていた1944年に行われた大統領選挙の際、民主党幹部の意向で副大統領のポストから引きずり下ろされ、商務長官にされている。ウォーレスが義理の弟で駐米スイス大使だったカール・ブルグマンへ機密情報を話し、それがドイツ側へ伝わっていたという怪しげな話が使われた。(Simon Dustan & Gerrard Williams, “Grey Wolf,” Sterling, 2011) ルーズベルトが急死、トルーマンが昇格という流れは1933年から34年にかけてウォール街が試みたクーデターの目的に合致する。新大統領のトルーマンは当然とことながらウォーレスを嫌い、1946年9月、商務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出した。ホプキンスは1946年1月に55歳で死亡している。ホプキンスは1939年に胃癌という診断で胃の75%を切除していた。 その間、1945年5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出された。その作戦によると、攻撃を始めるのは日本が降伏する前の1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦は発動されなかった理由は、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) 日本が1940年9月にドイツやイタリアと三国同盟を結び、そのドイツが1941年6月にソ連へ軍事侵攻したことから日本とソ連は敵国になったのだが、ドイツ降伏後、イギリス軍は両国が手を組むことを懸念したとする見方もある。 実は、日本が真珠湾を奇襲攻撃する前、イギリスには「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案があった(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies,” Macmillan、1988)のだが、1939年に日本軍はノモンハンでソ連軍に敗北、その後に南進、つまり東南アジアへ矛先を向けてイギリスの利権と衝突することになり、この同盟は不可能になった。イギリスの支配層は当時の日本には「反ソ連派」と「親イギリス派」がいると考えていたのかもしれない。日本・アングロ・ファシスト同盟を結成しようという案は反ファシストだったルーズベルト米大統領とも衝突する。 1945年7月16日にアメリカではニューメキシコ州のトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験に成功した。ポツダム会談が始まる前日に行いたいというトルーマンの求めで予定が早められ、この日の実験になったという。 実験の成功を受けてトルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可、そして26日にアメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言を発表、8月6日に広島へウラン型が投下された。その3日後には長崎へプルトニウム型が落とされているが、原爆投下がソ連を意識したものだったことは本ブログでも繰り返し書いてきた通り。原爆以外にもアメリカ軍は東京を含む日本の都市を焼夷弾で焼き尽くした。3月から7月にかけての沖縄戦は日本の降伏が遅れたためだ。 第2次世界大戦後の日本のあり方を決めたのはジャパンロビーだとされている。その背景にはウォール街の富豪が存在していた。そのジャパン・ロビーの中心人物だったジョセフ・グルーはJPモルガンが1932年に日本へ駐日大使として送り込んだ人物にほかならない。彼は皇室を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていた。大戦後、日本に天皇制は残る。「象徴」になったと弁明されているが、天皇が東京裁判に引き摺り出されなかったのは、敗戦前の天皇は「象徴」に過ぎないとされたからだ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.15
アメリカ海兵隊の元情報将校でUNSCOM(国連大量破壊兵器廃棄特別委員会)の主任査察官を務めたスコット・リッターの自宅をFBIと州警察の捜査官が8月7日に家宅捜索した。「FARA(外国エージェント制限法)」に違反した容疑だとされているが、具体的に何が問題なのか不明で、彼のようにネオコンが主導する政策に批判的な人びとへの恫喝だと見られている。 リッターが後に公開した令状のコピーには電子機器を持ち出すことだけが許されているのだが、家宅捜索した捜査官はリッターがUNSCOMの主に査察官として活動していた当時の国連ファイルの箱も持ち出したという。 リッターの場合、FARAの規制対象ではないように思えるのだが、明らかに外国のために活動している強力なロビー団体でも規制されたいこともある。イスラエルのために活動しているAIPACだ。ジョン・F・ケネディ政権までは登録を求められていたが、その後問題にされなくなった。AIPACの前身であるAZCPA(アメリカ・シオニスト広報委員会)はAZC(アメリカ・シオニスト評議会)のロビー活動部門として設立されたが、1954年に別れたという。 その前、6月3日にリッターはニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で国境警備隊員にパスポートを押収されている。SPIEF(サンクトペテルブルク国際経済フォーラム)のパネル・ディスカッションへ参加するため、トルコ航空機に搭乗するところだった。その際、リッターは令状を見ることができず、預かり証も渡されなかったという。リッターによると、パスポートの押収は国務省の要請だった。 アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃する際、アメリカの政府や有力メディアはイラクが大量破壊兵器を保有、今にもアメリカを核攻撃するかのように主張していたが、リッターはそれをUNSCOMの主任査察官として否定、アメリカの支配層から敵視されるようになった。最近ではウクライナアメリカ政府が実行したクーデター、そのクーデターで誕生したネオ・ナチ体制への批判、あるいはイスラエルによるガザでの虐殺批判もアメリカ政府を怒らせている。その政府を操っているのはシティやウォール街を拠点としてきた強大な私的権力だ。その私的権力は1991年12月にソ連が消滅した直後、自分たちが世界の覇者になったと考えた。 彼らの手先であるネオコンは1992年2月、DPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成する。その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になってDPG草案は書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 その後、彼らは世界制覇の「詰め」に入り、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクを先制攻撃するのだが、思惑通りには進まない。しかも潰したはずのロシアが復活、強力なライバルとして登場し、中国と戦略的同盟関係を結んだ。覇者になったはずの私的権力は窮地に陥った。 追い詰められた私的権力は情報統制を強化している。WikiLeaksの象徴的な存在だったジュリアン・アッサンジに対する弾圧はその一貫だった。彼は2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館内でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所に収監されていた。 世界を支配するために反民主主義的なことを行ってきたアメリカの支配層にとってWikiLeaksは目障りな存在だった。そのアッサンジを拘束することによってWikiLeaksの活動を抑え込み、さらに内部告発を抑え込み、記者や編集者を尻込みさせようとしたのだろう。長期にわたる拘束の後、アッサンジはアメリカ当局と司法取引で合意し、釈放されたのだが、言論統制は強化されている。 アッサンジはオーストラリア人で、ヨーロッパで活動していた。その彼をアメリカ政府は配下の政府を利用して逮捕、拘束した。アメリカ政府が行ったことは言論弾圧のための不法監禁であり、拷問とも言える。 欧米の私的権力に弾圧されたジャーナリストはアッサンジのほかにも少なくない。例えば、ウクライナ東部のドンバスではドイツ人ジャーナリストのアリナ・リップ、フランス人ジャーナリストのアン-ローレ・ボンネル、カナダ人ジャーナリストのエバ・バートレット、フランスの有力メディアTF1やRFIのスタッフ、またロシアやイタリア人の記者らが取材していたが、彼らに対する西側政府の弾圧は厳しく、ドイツ人ジャーナリストのパトリック・バーブは職を失い、アリナ・リップは銀行口座を接収された。 ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人ジャーナリストのゴンサロ・リラの場合、2023年5月にウクライナの治安機関(SBU)に逮捕され、収監されていたウクライナの刑務所で死亡した。10月中旬に左右の肺が肺炎を起こし、気胸、そして重度の浮腫を患ったのだが、刑務所は適切な治療を施さなかった。拷問の結果だともされている。 情報統制のため、西側の私的権力は1970年台から有力メディア支配を強化している。1980年代には「規制緩和」で有力メディアの大株主は集中、メディアの大半を少数のグループが支配している。2019年ではCOMCAST(NBCなど)、ディズニー(ABC、FOXなど)、CPB(NPR、PBSなど)、Verizon(Yahooニュース、ハッフィントン・ポスト)、ナショナル・アミューズメンツ(VIACOM、CBS、MTVなど)、AT&T(CNN、TIME、ワーナー・ブラザーズなど)、グーグル、ニューズ・コープ(FOXニュース、ウォール・ストリート・ジャーナルなど)というようになっている。 またユーチューブ、フェイスブック、X(ツイッター)などの検閲も強化されている。こうした検閲を「民間企業だから」という理由で容認することはできない。尊重すべきは「民間企業」のカネ儲けではなく「言論の自由」だ。「民間企業」のカネ儲けが言論の自由を危うくするならば、そうした分野を「民営化」してはならないということである。 フランクリン・ルーズベルトは1938年4月29日、ファシズムを次のように定義している:「人びとが私的権力を容認し、その私的権力が民主主義国家そのものよりも強くなるようなことがあれば、民主主義国家の自由は安全でない。個人、集団、あるいはその他の支配力を持つ私的権力による政府の所有は本質的にファシズムである。」**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.15
スーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻を試みたウクライナ軍はクルスク原子力発電所を目指していたと推測されている。8月11日に同軍は南東部にあるザポリージャ原子力発電所の冷却塔をドローンで攻撃、火災が発生したという。原子力発電所は安全保障上、大きなリスクだと言えるだろう。アメリカの命令で中国やロシアとの戦争を準備している日本には原発が乱立している。 ロシア政府との交渉を有利にするためだとも言われているが、ロシア政府はアメリカ/NATOが約束を守らないと悟り、話し合いで問題を解決できないと腹を括っているはずだ。そこで原発を攻撃するという一種の「原子力恫喝」を試みたのかもしれない。 アメリカ政府は核による恫喝を交渉で使ったことがある。例えば、ドワイト・アイゼンハワーは1953年に大統領となった直後、泥沼化した朝鮮戦争から抜け出そうと考え、中国に対して休戦に応じなければ核兵器を使うと脅したとされている。休戦は同年7月に実現した。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) その後、アメリカは矛先をインドシナへ向けるのだが、そうした中、1958年8月から9月にかけて台湾海峡で軍事的な緊張が高まる。1971年にベトナム戦争に関する国防総省の秘密報告書を有力メディアへ流したダニエル・エルズバーグによると、1958年の危機当時、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は金門島と馬祖に核兵器を投下する準備をしていた。 ウクライナ軍は3個旅団程度でスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻を試みたものの、約5キロメートルほどロシア領内へ入ったところでロシア空軍の攻撃で大きなダメージを受け、撤退したようだ。現地の住民によると、ER GMLRS(GPS誘導に対応したMLRS)はすべて迎撃された。 それに対し、ウクライナ政府は自国軍がロシア領内深くへ侵攻したと主張、それを西側の有力メディアは垂れ流しているが、現地へ入ったジャーナリストの報告を見ても、ウクライナ軍は見当たらない。アメリカ国務省のベーダント・パテル副報道官によると、アメリカはウクライナとロシアの軍事基地を攻撃するために長距離ミサイルATACMSを使用する可能性について協議しているというが、ロシアの軍事基地が攻撃されたという話は聞こえてこない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.14
イスラエル軍は8月10日、住民が避難しているアル-タバインの学校を3機のミサイルで攻撃、100人以上が殺され、数十人が負傷したと伝えられている。このミサイルの爆発は強力で、遺体は全て肉片になっているため、誰なのかを確認することが困難なようだ。 昨年10月に戦闘が始まって以来、イスラエル軍は病院や学校をターゲットにしてきた。国連児童基金(ユニセフ)によると、イスラエル軍はガザの避難民が暮らす学校の50%以上を直接爆撃したという。「ハマスは学校や病院などを拠点にしている」という口実でイスラエル軍はガザの住民を根絶やしにしようとしている。 開戦当初、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」と口にした。「旧約聖書」の申命記25章17節から19節にそう書かれているのだ。「アマレク人」を家畜ともども殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたという。彼はパレスチナ人をアマレク人とみなしている。パレスチナ人を皆殺しにするだけでなく、歴史から消し去ると言っているのだ。 彼はサムエル記上15章3節の話もした。そこには「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」と書かれている。これこそがガザでイスラエルが行っていることだ。またギラド・エルダン国連大使は10月8日に安全保障理事会で「これはイスラエルの9/11だ」と演説、ヨアブ・ギャラント国防相はパレスチナ人を「獣」だと表現した。 イスラエルはそうした宣言通りのことをしている。「ハマス」は彼らにとって口実に過ぎない。パレスチナ人を根絶やしにしようとしているのだ。それが「イスラエル」なる国の歴史でもある。そうした残虐行為を繰り返しているイスラエルをアメリカやイギリスをはじめとする西側の国々は支援している。アメリカ民主党の大統領候補、カマラ・ハリス副大統領も例外ではない。 アメリカ軍と同様、イスラエル軍は非武装の人びと、特に子どもや女性を虐殺しているが、ハマスに勝つことができないでいる。8月12日にはヒズボラが30発以上のロケット弾でイスラエル北部と西ガリラヤを攻撃、Xなどで流れている映像を見ると、防空システムのアイアンドームは突破されたようだ。 ヒズボラは司令部をベイルートから移動させたと言われ、大規模な攻撃を準備しているのではないかと言われている。すでにイスラエル国内では人びとの間に動揺があり、国外へ脱出する光景も見られる。 アメリカの情報機関は大統領と国家安全保障チームに対し、イランは怯えており、何らかの重大な報復措置を講じる可能性は低いと説明しているという。ネオコンは何度間違えても「脅せば相手は屈する」という教義から離れられないようだが、元CIA分析官のラリー・ジョンソンはその見方を否定している。彼によると、イランはイスラエルとは異なって感情に流されて行動することはなく、ロシアと強力な情報、監視、偵察能力の支援を受け、次の行動を計画している。 イスラエルでは、イスマイル・ハニヤ暗殺に対する報復を行うかどうかイランは決めかねていると伝えられている一方、情報機関の評価として、イランは報復としてイスラエルを直接攻撃する準備を整え、数日以内に攻撃する可能性が高いとしている。 学校にたいすミサイル攻撃は挑発という側面もあるのだろう。ヒズボラどころかハマスにも自力で勝てないイスラエルとしては状況を悪化させてアメリカをイランとの戦争へ引き込もうとしている可能性がある。
2024.08.13
アメリカとロシアが大規模な「捕虜交換」をした直後、3個旅団程度のウクライナ軍がスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻を試みた。ロシアの油断を狙ったと見られている。 しかし、この作戦は失敗したようだ。ウクライナ軍は約5キロメートルほどロシア領内へ入ったものの、ロシア空軍の攻撃で大きなダメージを受け、一晩で撤退したと伝えられている。その直後にクルスクへ入ったジャーナリストの報告を見ても、ウクライナ軍は見当たらない。ロシア軍はウクライナ軍の侵攻を阻止したとしているが、事実のようだ。 そもそも、すでにウクライナ軍は壊滅状態。イギリスのベン・ウォレス前国防大臣は昨年10月1日、テレグラフ紙に寄稿した記事の中でウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えていると指摘、もっと多くの若者を前線へ送り出せと要求していた。それだけ兵士が死傷しているということだ。ウクライナの街頭で徴兵担当者に拉致される男性の映像がインターネットで流されている。アメリカをはじめとする西側諸国はそれでもウクライナ人にロシア軍と戦えと命じている。「総員玉砕」しろということだ。ウクライナ人は人間として扱われていない。 そうした状態にあるため、クルスクへの攻撃には少なからぬ外国人戦闘員が参加しているようだ。アメリカ人、ポーランド人、イギリス人、フランス人が目撃されたと伝えられている。また、NATOに訓練されたジョージアの傭兵も加わっているともいう。西側諸国の特殊部隊も戦闘に参加していることも確かだろう。 ウクライナ軍はクルスクへ軍事侵攻することでドネツクのロシア軍を減らそうとしたとも言われているが、その必要はない。ウクライナ軍の戦力をさらに弱めるだけである。 ロシア軍はハリコフを攻撃することでウクライナ軍をハリコフへ集中させ、ほかの地域で前進することに成功しているが、その真似をしたのかもしれないが、ウクライナ軍は失敗に終わりそうだ。逆にロシア軍はスーミを攻撃、ウクライナ軍は他地域から戦力を移動させなければならなくなるかもしれない。 ウクライナがこのような状態であるにもかかわらず、アメリカをはじめとする西側諸国は中東を火の海にしようとしている。さらに東アジアでも戦争を始めるつもりかもしれない。ルビコンを渡ってしまったネオコンは後へ引けないのだろう。
2024.08.12
イギリスのサウスポートで7月29日に3人の少女が刺殺された。ヨガとダンスのワークショップに参加していた子どもを襲った犯人はルワンダからの移民の子供だったが、Xの人気アカウントが書いた間違った情報が暴動に火をつけた。 そのアカウントは犯人の名前を「アリ・アル・シャカティ」だと断定、昨年、ボートでイギリスへ来た亡命希望者で、MI6の監視リストに載っていると投稿した。イスラム教徒と疑われているとした上で、イスラム教徒はいつも女性を標的にすると主張しているのだが、間違っていた。ところがこの話に少なからぬ人が飛びつく。 ほとんどのケースで暴徒は2009年6月に創設されたイングリッシュ防衛連盟(EDL)のメンバーだと警察はすぐに特定している。この団体は反イスラムの活動家とサッカーのフーリガンで構成された。 EDLがイギリスの街頭に現れたのは2009年6月のことで、発足当初からキプロス人、ギリシャ人、ヒンズー教徒、ユダヤ人、LGBT、パキスタン人のキリスト教徒の支持者が関係していたとされている。ユダヤ人は運動の中で目立っていたという。EDLの活動ではイスラエルの国旗が目立った。 こうした集団はイギリスで高まっている国民の不満を利用して社会を混乱させようとしている。イギリスを含む西側諸国は2014年にネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナを支配下に置き、ロシアへの攻撃を始めようとしていた。アメリカ政府をはじめとする反ロシア派はウクライナとロシアを戦わせ、ロシアを疲弊させようとしたのだが、思惑通りに事態は進まず、西側が苦境に陥った。 アメリカがロシアからの安価な天然ガスの輸送を止め、経済活動を混乱させた結果、イギリスでも物価が高騰、人びとの生活水準が急激に低下している。貧困化が進み、教育もままならなくなっている。イギリスでもガザで住民を虐殺しているイスラエルに対する怒りも高まっていた。 その結果、7月4日に実施された総選挙でリシ・スナックが率いる保守党は敗北し、キア・スターマーが率いる労働党の政権が誕生したのだが、スターマーは自他とも見とめる親イスラエル派。イギリスの情報機関MI6と緊密な関係にあるとされている。スターマーがネオコンの好戦的な政策をやめる可能性は小さく、今回の暴動で適切な対応をしているとは思えない。 そうした状況を作り出したのはアメリカを中心とした西側諸国の支配層の政策だが、国民の怒りをそうした支配層でなく移民や難民といった弱者に向けさせようとしているのがイギリスでの暴動だ。怒りのエネルギーをシオニストが利用しようとしている。ドイツでナチスが台頭した当時と似ていると考える人もいる。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.11
このブログは読者の皆様に支えられています。ブログ存続のため、カンパ/寄付をお願い申し上げます。【振込先】巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦 世界情勢は急速に悪化しています。局所的な悪化ではなく、地球規模で同時進行、世界大戦から核戦争への展開も懸念される事態だと言えるでしょう。個別の出来事に囚われていると、世界で何が起こっているのかを理解できません。本来なら全体像を明らかにする書籍を出すべきなのでしょうが、困難な状態です。ブログを利用して全体像を明らかにするしかありません。ブログの支援をよろしくお願い申し上げます。 アメリカの好戦派は1991年12月にソ連が消滅した段階で自国が唯一の超大国になったと信じました。ロシアは落ちぶれ、自分たちの植民地になったと考えたのです。そう考えた私的権力の代表格がロスチャイルドだと言えるでしょう。 ソ連消滅後、ボリス・エリツィン時代のロシアではオリガルヒと呼ばれる若い富豪が現れました。そのひとりがミハイル・ホドルコフスキーです。 この人物はソ連時代の1989年、リチャード・ヒューズなる人物と「ロシア人モデル」をニューヨークへ送るビジネスを始め、ソ連消滅後にはエリツィン政権を支える顧問のひとりに就任、1995年にはユーコスなる石油会社を買収、その一方でモスクワ・タイムズやサンクトペテルブルグ・タイムズを出している会社の大株主になっています。 ホドルコフスキーはユーコスの発行済み株式のうち25から40%をアメリカの巨大石油会社、エクソン・モービルとシェブロンへ売り渡そうとしたものの、ウラジミル・プーチンに阻止されています。(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,“ Next Revelation Press, 2015) ユーコス株の支配権はホドルコフスキーからジェイコブ・ロスチャイルドへ渡ったとサンデー・タイムズ紙は報じていますが、ホドルコフスキーが彼とジェイコブ・ロスチャイルドとの関係を語った映像が5月22日にインターネットで公開されました。 その映像の中で、モスクワに本社があるルクオイルの真のオーナーはジェイコブだったと明らかにしています。ロスチャイルドはロシアのあらゆる富を奪うつもりだったのでしょう。その中には穀物、鉱物資源、そして石油や天然ガスが含まれています。 ロシアを征服して解体、略奪するためにネオコンはNATOを東へ拡大させていきます。これは新たな「バルバロッサ作戦」にほかならず、ロシアの親欧米派をも怒らせることになりますが、そうした展開になることは予想され、旧世代の「タカ派」も懸念していました。 例えば、リチャード・ニクソンは1994年の段階でエリツィンの政治的な影響力が低下していると指摘、ロシア議会で反米機運が高まっていると警鐘を鳴らしています。そうした機運の高まりはエリツィンの後継者として反欧米の大統領候補を連れてくる可能性があるとしていましたが、実際、ウラジミル・プーチンを登場させます。 そのほかジョージ・ケナン、ヘンリー・キッシンジャー、そしてズビグネフ・ブレジンスキーでさえネオコンの政策を危険だと警鐘を鳴らしていましたが、こうした旧世代や非ネオコンの意見を封じ込める出来事が2001年9月11日に引き起こされます。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されたのです。 これで世界制覇を実現できるとネオコンは考えたのでしょうが、そうした展開にはなりません。2003年3月に始めたイラクへの先制攻撃は思惑通りにならず、2008年8月のジョージア軍による南オセチアへの奇襲攻撃もロシア軍の反撃で失敗しました。2011年春に始めたリビアとシリアに対するアル・カイダ系武装集団を使った軍事介入の場合、リビアは無法地帯と化し、シリアでは西側の傀儡軍が勝利できないことは明白です。2013年11月から14年2月にかけてウクライナではネオ・ナチを利用してクーデターを成功させたものの、東部の反クーデター派と内戦になります。 アメリカはクーデター体制を支援するため、8年かけて戦力の増強を図り、2022年春に大規模な軍事攻勢を始める計画でしたが、その直前にロシアが軍事介入、NATOが軍事支援を強めたものの、敗北は決定的です。残る手段は核兵器だけでしょう。 そして2023年にはイスラエルがガザで住民の大量殺戮を始めたのですが、パレスチナの武装勢力に勝つことができず、状況を悪化させてアメリカ軍の介入を誘う事態になっています。 中東のイスラム世界ではイランやイエメンを除き、米英を後ろ盾とするイスラエルと対決しようとする政府はないようですが、反帝国主義を掲げる武装集団はイスラエルと戦う準備ができているようです。現地のアメリカ軍基地も攻撃され始めています。 世界は歴史の転換期を迎えています。200年ぶり、人によっては500年ぶりだと言います。こうした時代にどのように生きるかを判断するためには状況を理解する必要があります。このブログが状況を理解する一助になればと願っています。櫻井 春彦
2024.08.10
ミズーリ州セントルイス出身のコリ・ブッシュ下院議員が民主党の予備選でライバルで親イスラエルの検察官、ウェズリー・ベルに敗れた。ブッシュを落選させるため、AIPACは民主党の予備選でライバルでベルに資金面で圧倒されたのだ。ベルはAIPACから900万ドル、DMFI(イスラエル民主党多数派)から50万ドルを受け取っている。 アメリカは財力によって政策が決まる国である。財力を持つ私的権力が支配しているのだ。フランクリン・ルーズベルトの定義によると、アメリカはファシズム国家にほかならない。 AIPACがブッシュを落選させようと必死になったのは彼女の政治姿勢にあった。彼女は貧困、医療、住宅などの問題、女性の権利に取り組んできた政治家で、イスラエルに弾圧されているパレスチナを支える発言を続けてきた。 昨年10月7日、ハマスをはじめとするパレスチナの武装勢力はイスラエルを陸海空から奇襲攻撃した。数百人の戦闘員がイスラエル領へ侵入したほか、ガザからイスラエルに向かって5000発以上のロケット弾でテルアビブの北まで攻撃されている。「アル・アクサの洪水」だ。 この作戦名になったアル・アクサ・モスクは「神殿の丘」にあるイスラムの聖地なのだが、昨年4月5日にはイスラエルの警官隊がモスク内へ突入、起こったパレスチナ人はガザからロケット弾を発射し、イスラエルが報復としてガザを空爆するという事態に発展。「ラマダーン」を狙っての襲撃だったことから、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は新たな戦争を目論んでいるのではないかと言われていた。 ユダヤ教の「仮庵の祭り」に合わせて832人のイスラエル人が10月3日、イスラエル軍に保護されながらアル・アクサ・モスクに押し入っている。イスラエル軍は60歳未満のイスラム礼拝者がモスクへ入ることを禁じた。こうしたイスラエルのモスク冒涜に対する報復だということをハマスは作戦名で示したと言えるだろう。その攻撃の際、約1200名のイスラエル人が殺されたのだが、その大半がイスラエル軍に殺されたことをイスラエルのハーレツ紙が明らかにしている。敵に人質になる可能性があるイスラエル人は殺して構わないという「ハンニバル指令」が出されたのだという。 その後、イスラエル軍はガザの住民を虐殺し始める。殺された住民は4万人に達したと報告されている。その約4割が子ども、女性を含めると約7割に達し、瓦礫の下には数千人、あるいはそれ以上の死体があると推測されている。しかもハマスなどの武装グループを制圧できないでいる。そうした状況を見たコリ・ブッシュは声を上げたのだ。 戦闘が始まった9日後に下院で停戦決議を提出した彼女は、イスラエル支持決議に反対した9人の下院議員のひとりで、ネタニヤフ首相の議会における演説をボイコット、彼を「戦争犯罪者」と呼んでいる。 パレスチナを支援し、イスラエルを批判する政治家を許さない団体がアメリカには存在している。イスラエルのために活動しているロビー団体のAIPACだ。外国のために働いているのだが、アメリカの当局監視対象にしていない。 このAIPACで2017年に講演したカマラ・ハリスは2004年1月から11年1月までサンフランシスコ第27地区検事を、また11年1月から17年1月までカリフォルニア州司法長官を務めている。州司法長官時代のカマラは人びとを刑務所へ入れることに熱心で、不登校の子どもの親も刑務所へ送り込んでいた。 それ以上に批判されているのはケビン・クーパーという死刑囚に対する姿勢。クーバーは1983年に引き起こされた殺人事件で有罪となり、2004年2月10日に死刑が執行されることになっていた。逮捕されたときから彼は無罪を主張、DNAの検査をするように嘆願していたが、検事時代も州司法長官時代もカマラは拒否している。カマラはエリート一家の出身で、社会的な弱者には厳しい。クーパーに対する姿勢を変えたのは大統領選挙が視野に入り始めた2018年である。 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は7月24日にアメリカの上下両院合同会議で演説したが、その際、議員たちは58回のスタンディング・オベーションで讃えた。ガザで住民を大量虐殺させている人物をアメリカの「選良」はほめたたえたのである。 その後、7月31日にイスラエルはハマスの幹部でイスラエルとの首席交渉官を務めていたイスマイル・ハニエ、そしてヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルを暗殺している。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.09
アメリカの「安全保障政策」はシオニストが仕切ってきた。ジョン・F・ケネディも選挙の期間はそうした姿勢を見せていたが、大統領に就任してからシオニストの好戦的な政策を放棄、彼らの怒りを買うことになったと言われている。 現在のシオニズムは16世紀のイギリスで始まったことは本ブログでも指摘した。その頃、アングロ・サクソンはユダヤ人の「失われた十支族」の後継者だと信じる人が現れたのだ。スチュワート朝のジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)もそのひとりで、自分はイスラエルの王だと信じていたという。 そのジェームズ6世の息子であるチャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がカルバン派のオリヴァー・クロムウェル。彼の私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考え、彼は1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中でイギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。 クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだ。シオニズムである。 しかし、ピューリタン体制が倒されるとシオニズムは放棄され、クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したという。 19世紀になるとイギリスでシオニズムが復活しているが、同世紀の終わり近くまで、ユダヤ人社会でシオニズムを支持していたのは一部のエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。 シオニズムはアングロ・サクソンのプロジェクトである。その目的はユダヤ人をアングロ・サクソンと結びつけ、米英金融資本の帝国主義を勝利させることにあるとも言われている。イスラエルとユダヤ人を一体化させて考えるべきではない。 19世紀のイギリスを支配していたグループはナサニエル・ド・ロスチャイルド、セシル・ローズ、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、アルフレッド・ミルナー、ロバート・ガスコン-セシル、アーチボルド・プリムローズなどシティを拠点とする人びとだ。こうした人びとは海軍力によってユーラシア大陸の周辺を支配、つまり制海権を握り、内陸部を締め上げようとした。この戦略は今も続いている。 アメリカの太平洋軍は2018年5月からインド太平洋軍へ名称が変更になった。インド洋から太平洋にかけての海域を一括して担当するということだ。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。 しかし、インドとインドネシアはアメリカから距離を置きつつある。そこでアメリカはアングロ・サクソン系国のオーストラリア(A)、イギリス(UK)、アメリカ(US)で構成されるAUKUSを創設、日米韓の同盟を強化しているのだが、特に日本が注目され、アメリカやNATOを含むアメリカに従属する国と実施する軍事演習の回数が増えている。 日本が1995年からアメリカの戦争マシーンに組み込まれたことは本ブログで繰り返し書いてきたが、その前にも踏み込んだ発言をした総理大臣がいる。中曽根康弘だ。 中曽根は1982年11月に総理大臣となり、翌年の1月にアメリカを訪問した。その際にワシントン・ポスト紙の編集者や記者たちと朝食をとるのだが、その際に彼はソ連のバックファイア爆撃機の侵入を防ぐため、日本は「不沈空母」になるべきだと語ったと報道されている。 中曽根はそれをすぐに否定する。その発言自体を消そうとしたのだろうが、インタビューは録音されていた。そこで、「不沈空母」ではなくロシア機を阻止する「大きな空母」だと語ったのだと主張を変えたが、このふたつの表現に本質的な差はない。日本列島はアメリカ軍がロシア軍を攻撃するための軍事拠点だと中曽根は認めたのである。 中曽根は首脳会談で日本周辺の「4海峡を完全にコントロールし、有事にソ連の潜水艦を日本海に閉じ込める」、また「ソ連のバックファイアー(爆撃機)の日本列島浸透を許さない」と発言した。「シーレーン確保」も口にしたが、要するに制海権の確保だ。 その直後の1983年4月から5月にかけてアメリカ軍はカムチャツカから千島列島の沖で大規模な艦隊演習を実施した。この演習にはアメリカ海軍の3空母、つまりエンタープライズ、ミッドウェー、コーラル・シーを中心とする機動部隊群が参加、演習では空母を飛び立った艦載機がエトロフ島に仮想攻撃をしかけ、志発島の上空に侵入して対地攻撃訓練を繰り返し、米ソ両軍は一触即発の状態になったのだ。(田中賀朗著『大韓航空007便事件の真相』三一書房、1997年)この重大な演習を日本のマスコミは無視した。 そして同年8月31日から9月1日にかけて、大韓航空007便がソ連の領空を侵犯、アラスカの「緩衝空域」と「飛行禁止空域」を横切り、ソ連軍の重要基地の上を飛行した末に、サハリン沖で撃墜されたと言われている。そこで撃墜されずに飛行を続けた場合、その延長線上にはウラジオストクがある。 2カ月後の11月にはNATOが軍事演習「エイブル・アーチャー83」を計画、核攻撃のシミュレーションも行われることになっていた。これをソ連の情報機関KGBはそれを「偽装演習」だと疑う。全面核戦争を仕掛けてくるのではないかと警戒、戦争の準備を始めたと言われている。 アメリカ国防総省系のシンクタンク「RANDコーポレーション」が発表した報告書によると、GBIRM(地上配備中距離弾道ミサイル)で中国を包囲する計画を彼らは持っている。専守防衛の建前と憲法第9条の制約がある日本の場合、ASCM(地上配備の対艦巡航ミサイル)の開発や配備で日本に協力することにし、ASCMを南西諸島に建設しつつある自衛隊の施設に配備する計画が作成されたとされていた。 その計画に従い、自衛隊は2016年に与那国島でミサイル発射施設を建設、2019年には奄美大島と宮古島、そして23年には石垣島でも軍事施設を完成させた。核ミサイルを発射できる施設を中国のすぐそばに並べたのである。しかも、世界的に軍事的な緊張が高まったからなのか、アメリカは日本の憲法を軽視するようになっている。
2024.08.08
イスラエルは7月31日にハマスの幹部でイスラエルとの首席交渉官を務めていたイスマイル・ハニエとヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルを暗殺、ハマスだけでなくイランの最高指導者であるアリ・ハメネイも報復を誓っている。ハニエ暗殺はイスラエルにパレスチナ側と話し合う意思がないことを示している。 そうした中、ロシアの安全保障会議で書記を務めるセルゲイ・ショイグが8月5日にイランを訪問、マスード・ペゼシュキアン大統領らと会談したが、ショイグはその報復についてイラン側と話し合ったのだろうと元CIA分析官のラリー・ジョンソンは推測している。報復計画のほか、イスラエルとアメリカが戦闘機やミサイルでイランを攻撃した場合、ロシアがイランを支援するという事実上の合意を再確認することがテヘラン訪問の目的だろうともしている。ロシアはすでにアメリカをはじめとする西側の政府は話し合いのできる相手ではないと理解しているはずだ。 イスラエルはガザで4万人の住民を殺害、その約4割が子ども、女性を含めると約7割に達し、瓦礫の下には数千人、あるいはそれ以上の死体があると推測されている。その一方、ハマスなどの武装グループを制圧できないでいる。 ヒズボラも報復攻撃を計画しているだろうが、イスラエル軍の地上部隊は2006年7月から9月にかけてレバノンへ軍事侵攻した際、ヒズボラに敗北している。イスラエルが誇る「メルカバ4」戦車も破壊された。 現在のヒズボラは当時より強くなっている。2500人の特殊部隊員、訓練を受けた2万人の兵士、3万人の予備役、さらに5万人がいると言われている。つまり兵力は10万人を超え、イラク、アフガニスタン、パキスタンの反帝国主義勢力、そしてイエメンのアンサール・アッラーの戦闘員がレバノンへ派遣される可能性もある。戦闘陣地とトンネルが縦横に張り巡らされ、15万発以上のミサイル(その多くは長距離)が準備されている。こうした勢力と戦い、勝利する力をイスラエルは持っていない。 イスラエル軍が4月1日にダマスカスのイラン領事館を空爆し、IRGC(イスラム革命防衛隊)の特殊部隊と言われているコッズのモハマド・レザー・ザヘディ上級司令官と副官のモハマド・ハディ・ハジ・ラヒミ准将を含む将校7名を殺害したが、その報復としてイランは4月13日にドローンを囮に使い、様々なミサイルを組み合わせてイスラエルの防空システムを突破して目標に命中させている。 4月1日に領事館を攻撃したF-35戦闘機が発進したネバティム基地は2本の滑走路にミサイルがヒット。これは衛星写真で確認されている。ラモン基地にミサイルが命中する様子とみられる映像も公開された。大半の弾道ミサイルは目標に命中したと報告されている。 ネゲブ砂漠のハルケレン山頂には「サイト512」と呼ばれる基地があり、イスラエルを攻撃するイランからのミサイルを監視するAN/TPY-2 Xバンドレーダー施設がある。そのレーダーはイランの攻撃に対して有効でなかった。 しかし、この時にイランが行った攻撃は警告に過ぎず、攻撃の能力を示しただけ。今回は軍事施設などにダメージを与えようとするだろう。報復は少なくともイラン、ヒズボラ、イエメンが実行すると見られているが、シリアやイラクの反帝国主義勢力も参加しそうだ。こうした勢力は連携し、個別では不可能なような攻撃を行うとされている。その攻撃をアメリカ/NATOは防ごうとするだろう。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は7月24日にアメリカ議会で演説、議員は58回のスタンディング・オベーションを行った。ネタニヤフの戦争にアメリカはどっぷり浸かっている。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.07
パレスチナ人を虐殺、近隣国に対する軍事攻撃を繰り返してきたイスラエルはサウジアラビアと同じように、イギリスの金融資本がシオニストを利用して作り上げた国である。そのイスラエルはシオニストのネオコンと手を組み、世界を世界大戦へと引きずり込もうとしている。 イスラエルは自国を「ユダヤ人の国」だと主張しているが、イスラエルを作り上げたのはイギリスのシティ(金融資本)である。アメリカを支配しているウォール街はシティからスピンオフして出来上がった。現在のイスラエルを支えているのは米英金融資本を中心とする欧米の私的権力にほかならない。 19世紀のイギリスを支配していた私的権力はユーラシア大陸の内陸国を締め上げるため、大陸の周辺を海軍力で支配する戦略を立てた。そのために沿岸国の戦闘員を傭兵化したのだが、その中に明治体制下の日本も含まれる。 シオニズムという用語は1864年、ウィーン生まれのナータン・ビルンバウムによって初めて使われたというが、近代シオニズムの創設者とされているのは1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだ。 ヘルツルが崇拝していたというセシル・ローズは1870年に南アフリカへ移住、ダイヤモンドの取り引きで財をなし、81年にはデ・ビアスを創設した人物。資金はNMロスチャイルド&サンから得ていた。 ローズは優生学を信奉、アングロ・サクソンを最も高貴な人種だと考えていた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会するが、その直後に書いた『信仰告白』にもその主張が記されている。最も優秀な人種であるアングロ・サクソンの居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことで、領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務だというのだ。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877) ローズは1890年にロンドンでナサニエル・ド・ロスチャイルド、ウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)、ロバート・ガスコン-セシル(サリスバリー卿)、アーチボルド・プリムローズ(ローズベリー卿)たちへ自分のアイデアを説明、1891年2月に「選民秘密協会」を創設したと言われている。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013) ステッドによるとローズはチャールズ・ダーウィンの信奉者で、トーマス・マルサスの『人口論』から影響を受けたという。(Edited by W. T. Stead, “The Last Will And Testament Of Cecil J. Rhodes,” “Review Of Reviews” Office, 1902)そのマルサスによると、人口の増加は等比級数的である一方、食糧の増加は等差級数的なため、その不均衡が飢饉、貧困、悪徳の原因になる。そこで人口を削減する必要が生じる。 ダーウィンの従兄弟にあたるフランシス・ゴールトンは優生学の創始者だが、その優生学は人口論と結びつく。人口の爆発的増加を防ぐために「劣等」な人間を削減の対象にしようというわけだ。ハーバート・スペンサーもダーウィンの仮説を社会へ持ち込んだ人物である。 ライオネル・ド・ロスチャイルドと親しく、ロシア嫌いのユダヤ人支持者だったベンジャミン・ディズレーリは首相時代の1875年、スエズ運河運河を買収している。その際、資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだった。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリの一族はポルトガル系のコンベルソ、つまり迫害を逃れるためにキリスト教へ改宗していた。彼はベニスへ移住した際にユダヤ教へ戻るが、1748年に祖父がロンドンへ移り住んだ後、父親のイサクがキリスト教へ改宗し、その際にベンジャミンも洗礼を受けている。ベンジャミンはシオニズムをイギリス帝国主義の道具と位置付けていた。 イギリスでは16世紀に自分たちを「失われた十支族」の末裔だと信じる人が現れた。そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世で、自分はイスラエルの王だと信じていたという。そのジェームズ6世の息子であるチャールズ1世は「ピューリタン革命(17世紀半ば)」で処刑されたが、その「革命」で重要な役割を果たした人物がカルバン派のオリバー・クロムウェル。 彼の私設秘書だったジョン・サドラーも同じように考え、彼は1649年に作成されたパンフレット『王国の権利』の中でイギリス人はイスラエルの失われた部族のひとつであり、ユダヤ人と同族であると主張、イギリス・イスラエル主義の始まりを告げている。 ちなみに、旧約聖書の記述によると、イスラエル民族の始祖はヤコブだとされている。彼には12人の息子があり、それぞれ支族を形成、そのうちユダ族とベニヤミン族の後裔とされる人びとが「ユダヤ人」と呼ばれているのだ。残りは行方不明で、旧約聖書を信じる人びとから「失われた十支族」と呼ばれているのだが、それは神話だ。 クロムウェルの聖書解釈によると、世界に散ったユダヤ人はパレスチナに再集結し、ソロモン神殿を再建することになっていた。この解釈に基づいて彼は政権を樹立し、1656年のユダヤ人のイングランド定住禁止令を解除、パレスチナにイスラエル国家を建国することを宣言したのだが、その後、ピューリタン体制は倒されてシオニズムは放棄される。 クロムウェルを支持する人びとの一部はアメリカへ亡命、ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンらはその後継者だと主張したというが、19世紀の終わり近くまでユダヤ人でシオニズムを支持していたのはエリートだけで、大多数のユダヤ教徒はシオニズムを非難していたとされている。アメリカではウィリアム・ブラックストーンなる人物が1891年にユダヤ人をパレスチナに送り出そうという運動を展開し、ベンジャミン・ハリソン米大統領に働きかけていた。 シオニズムはアングロ・サクソンのプロジェクトである。その目的はユダヤ人をアングロ・サクソンと結びつけ、米英金融資本の帝国主義を勝利させることにあるとも言われている。イスラエルとユダヤ人を一体化させて考えるべきではない。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.06
アメリカ軍は1945年8月6日にウラン型原子爆弾「リトル・ボーイ」を広島へ投下した。その3日後には長崎へプルトニウム型原爆「ファット・マン」を落としている。 その年の2月4日から11日にかけてイギリスのウィンストン・チャーチル英首相、アメリカのフランクリン・ルーズベルト、そしてソ連のヨシフ・スターリンがヤルタで会談、ドイツが降伏し、ヨーロッパでの戦争が終結してから2カ月から3カ月後にソ連が日本に宣戦布告する条件も決められた。 ドイツはルーズベルトが急死した翌月の5月に降伏、8月上旬にソ連は参戦することが自動的に決まったが、それに合わせ、トルーマン政権は原爆を日本へ投下したわけだ。 アメリカの核兵器の開発プロジェクトは「マンハッタン計画」と名付けられていたが、主導した国はイギリス。1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてプロジェクトが始まり、MAUD委員会なるものが設立されている。 1943年には核兵器用のウランとプルトニウムを製造するため、テネシー州オーク・リッジに4施設が建設され、そのひとつはオーク・リッジ国立研究所へと発展した。ワシントン州に建設されたハンフォード・サイトではプルトニウムを製造するため、1944年9月にB原子炉が作られている。 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017) 広島と長崎への原爆投下を許可したのは大統領に就任してまもないハリー・トルーマンである。アメリカ、イギリス、中国が「ポツダム宣言」を発表する2日前、7月24日のことだ。日本が「ポツダム宣言」にどう反応するかを見ずにトルーマンは原爆投下による市民虐殺を決めたわけである。 投下決定の8日前、7月16日にニューメキシコ州のトリニティ実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功している。その翌日から始まるポツダム会談を意識しての実験だった。当初の実験予定日は7月18日と21日の間だったが、トルーマンの意向で会談の前日に早めたのである。 トルーマンは1944年11月の大統領選挙で副大統領候補に選ばれたのだが、ルーズベルト大統領と親しくはなかった。副大統領を務めていたヘンリー・ウォーレスが言いがかりに近いスキャンダルで排除され、民主党幹部の圧力でトルーマンが選ばれたようだ。 トルーマンのスポンサーだったアブラハム・フェインバーグはアメリカン・バンク・アンド・トラストの会長を務め、アメリカ民主党の重要な資金提供者だった人物で、シオニストとしても知られている。シオニストの武装組織ハガナ(イスラエル軍の母体)のエージェントだったとも言われている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺を受けて副大統領から昇格したリンドン・ジョンソンもフェインバーグをスポンサーにしていた。 ルーズベルト大統領の時代、アメリカの権力システムは二重構造になっていた。ルーズベルトのニューディール派とウォール街を拠点とする金融資本が対立していたのだ。 この対立は1932年の大統領選挙でルーズベルトが勝利した直後から生じている。この選挙ではウォール街の傀儡で現役のハーバート・フーバーが敗れ、ニューディール派のルーズベルトが勝利したのだ。ルーズベルトは資本主義を維持するためには巨大資本の活動を規制し、労働者の権利を拡大する必要があると考え、国際問題では植民地やファシズムに反対していた。これはウォール街にとって容認できないことだ。 そこで金融資本は在郷軍人会を利用したクーデターを計画する。計画の中心的な存在は巨大金融機関のJPモルガン。司令官としてダグラス・マッカーサーを考えたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけることになる。 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。 話を聞いたバトラーは信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。バトラー少将は1935年にJ・エドガー・フーバーに接触してウォール街の計画を説明するのだが、捜査を拒否している。 1933年にドイツではナチスが国会議事堂放火事件を利用して実権を握るが、この年の8月にシオニストはナチス政権とユダヤ系ドイツ人をパレスチナへ移住させることで合意していた。「ハーバラ合意」だ。ナチスの「ユダヤ人弾圧」によってユダヤ系の人びとをパレスチナへ向かわせることができるとシオニストは考えたようだ。 しかし、ユダヤ教徒の多数派はパレスチナへ移住しない。ヨーロッパでの生活に慣れている人びとの多くはオーストラリアやアメリカへ向かう。1938年11月にドイツではナチスがユダヤ系住民を襲撃、多くの人が殺され、収容所へ入られ始めるが、この「水晶の夜」以降もユダヤ教徒はパレスチナでなくアメリカやオーストラリアへ逃れた。その後、シオニストはイラクなどでユダヤ教徒をターゲットにしたテロ攻撃を実施してパレスチナへと導いた。 ウォール街はシティ(イギリスの金融界)からスピンオフして出来上がったのだが、この米英金融資本は親ファシズムで、ナチスを金融面から支援していたことが知られている。 ナチスへの資金援助で特に重要な役割を果たしたのはディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなど。その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。 そのほかスイスで設立されたBIS(国際決済銀行)や第2次世界大戦が勃発する半年ほど前にドイツへ約2000トンの金塊を渡したと言われているイングランド銀行も仲間だと言えるだろう。 こうした米英金融資本に支えられたナチスは1941年6月、ソ連に対する軍事侵攻を始めた。「バルバロッサ作戦」だが、思惑通りの展開にならない。1942年8月にはスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的になった。 この展開にソ連の敗北を期待していたチャーチルは慌てる。1943年1月にルーズベルト大統領とチャーチル首相はフランスのシャルル・ド・ゴールらとカサブランカで会談した。「無条件降伏」という話が出てくるのはこの会談だった。この条件はドイツの降伏を遅らせることが目的だったとも言われている。、米英はソ連対策を講じるための時間的な余裕が必要だった。 その年の7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などだ。こうした工作でナチスの幹部や協力者はアメリカの保護下に入り、工作にも参加することになる。そうした人脈はソ連消滅後、旧ソ連圏へ戻って活動を始めた。その一例がウクライナのネオ・ナチである。 ドイツが降伏した直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論む。そこでJPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。 その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) この計画は実行されなかったが、アメリカ軍は8月6日に広島へ、9日には長崎へ原爆を投下した。ソ連を意識してのことだろう。この攻撃のほか日本の諸都市を焼夷弾で絨毯爆撃する作戦を指揮したカーティス・ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任、1954年にはソ連を破壊するために600から750発の核爆弾を投下し、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成している。この年の終わりにはヨーロッパへ核兵器を配備した。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) 沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収されて軍事基地化が推し進められた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっている。 1955年頃になるとアメリカが保有していた核兵器は2280発に膨らみ(Annie Jacobsen, “Area 51”, Little, Brown, 2011)、57年になるとアメリカ軍の内部でソ連に対する先制核攻撃を準備しはじめている。(James K. Galbraith, “Did the U.S. Military Plan a Nuclear First Strike for 1963?”, The American Prospect, September 21, 1994) そして1957年の初頭、アメリカ軍はソ連への核攻撃を想定したドロップショット作戦を作成した。それによると300発の核爆弾をソ連の100都市で使い、工業生産能力の85%を破壊する予定になっていたという。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012) そのころからアレゲーニー山脈の中、ウエストバージニア州のグリーンブライア・ホテルの地下に「地下司令部」が建設されている。いわゆるグリーンブライア・バンカーだ。1959年に国防総省が中心になって着工、62年に完成している。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、統合参謀本部のライマン・レムニッツァー議長やSACの司令官だったルメイなど好戦派は、1963年の後半にソ連を奇襲攻撃る予定だったという。その頃になればアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていた。ソ連が反撃するためにはアメリカの近くから中距離ミサイルを発射するしかない。そこでソ連はキューバへ中距離ミサイルを運び込み、キューバ危機になる。1962年10月のことだ。この危機を回避することに成功したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺された。現在の世界情勢は当時より危険だと考えられている。
2024.08.05
アメリカとイギリスは8月3日、レバノンにいる自国民に対し、速やかにレバノンから離れるように警告した。航空会社はすでにイスラエル、レバノン、イランの発着便をキャンセルしている。外交官と情報機関員が入れ替わっている疑いもあるようだ。 アメリカやイギリスの支援を受けたイスラエルはガザで住民を虐殺する一方、ハマスのイスマイル・ハニヤやヒズボラのフア・シュクルを暗殺、情勢が急速に悪化している。 ヒズボラは50発以上のカチューシャロケット弾をイスラエルの入植地である西ガリラヤに向かって発射したと伝えられているが、イランが実行すると予想されている報復攻撃はこうした規模でなく、これまでにない大規模なものになると見られている。アメリカやイギリスもそのように予想しているのだろう。 ハニヤはイランの新大統領マスード・ペゼシュキアンの就任式に出席するためにテヘランを訪れていたのだが、ペゼシュキアンの前任者であるエブラヒム・ライシは5月19日、搭乗していたアメリカ製のベル212ヘリコプターが墜落、死亡している。これは事故でなく破壊工作だった可能性がある。 アメリカは12隻の艦隊を地中海へ移動させ、フロリダ州タンパのマクディル空軍基地に拠点を置く中央軍司令官がバーレーンの第5艦隊本部に到着したとも伝えられている。 エネルギー資源を中東に頼る一方、ロシアの安価な天然ガスを拒否してアメリカの高価なエネルギー資源を購入する日本にとって深刻な事態だ。
2024.08.04
ハマスのイスマイル・ハニヤの泊まっていた部屋に仕掛けられた爆弾で殺されたとニューヨーク・タイムズ紙は伝えた。仕掛けられたのは2カ月前だというのだが、イラン革命防衛隊(IRGC)は約7kgの爆発物を積んだ短距離発射物によると8月3日に発表している。 ハニヤはイランの新大統領マスード・ペゼシュキアンの就任式に出席するためにテヘランを訪れていたのだが、ペゼシュキアンの前任者であるエブラヒム・ライシは5月19日、搭乗していたアメリカ製のベル212ヘリコプターが墜落、死亡している。ハニヤ暗殺はイスラエルの情報機関がアメリカ政府の承認を受けて実行された可能性が高いのだが、ライシが死亡した直後、イスラエルの情報機関は新大統領の就任式にハニヤが出席することを見通し、そして宿泊する部屋を予見して仕掛け、その後発見されなかったというのだろうか?ニューヨーク・タイムズ紙の「報道」に説得力はない。 ところで、ハニヤは停戦をめぐり、イスラエル代表団と数カ月にわたる交渉でパレスチナ側の首席交渉官を務めていた。イスラエル政府は停戦交渉を潰したと言えるだろう。 アメリカはウクライナでも停戦交渉を潰している。2022年に入るとウクライナ軍はドンバスの周辺に部隊を集め、砲撃を激化させていた。ガザと同じようにドンバスへ軍事侵攻して住民を虐殺、ロシア軍を誘い出して要塞線で封じ込めている間に別働隊にクリミアを制圧させる作戦だったと言われているが、その直前にロシア軍はウクライナ軍部隊や軍事基地、生物兵器の開発施設などを攻撃、大きなダメージを与えたと言われている。そこで停戦交渉がすぐに始まった。 交渉の仲介役はイスラエルとトルコ。イスラエルの首相だったナフタリ・ベネットによると、話し合いでロシアとウクライナは互いに妥協、停戦はほぼ実現した。ベネットは3月5日にモスクワでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ウォロディミル・ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でドイツへ向かい、オラフ・シュルツ首相と会っている。 その3月5日、ウクライナの治安機関SBU(事実上、CIAの下部機関)はキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームの主要メンバーだったデニス・キリーエフを射殺している。その後、4月9日にボリス・ジョンソンはイギリスの首相としてキエフへ乗り込み、交渉を中止して戦闘を継続するように命じた。黒幕が同じだからなのか、パレスチナでの戦闘でも似た展開になっている。 ウクライナでアメリカやイギリスの支配層が目論んだのはドイツ軍が実行したバルバロッサ作戦の再現だろう。ロシアを戦争へ巻き込み、勝てなくても疲弊させてソ連のように消滅させると考えていたのではないだろうか。バルバロッサの始まりはウクライナやベラルーシへの軍事侵攻であり、現在のロシア政府がウクライナ情勢に神経質なのはそのためだ。ネオ・ナチが跋扈するウクライナをロシア政府は許せない。 しかし、パレスチナの場合、シオニストはパレスチナ人の皆殺しを目指している。これは「イスラエル建国」の前からの話だ。 昨年10月にガザで戦闘が始まった直後、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はパレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用している。 「アマレク人」を家畜ともども殺し、その後に「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたと旧約聖書では記述されている。アメリカやイスラエルの傭兵として活動しているダーイッシュ(IS、ISISなどとも表記)が中東の遺跡を破壊した理由もそこにあるかもしれない。 アマレク人は歴史の上で存在が確認されていないが、この民族をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。パレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去るということだろう。 サムエル記上15章3節には「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。 ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指しているのだろう。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.04
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は8月1日にジョー・バイデン米大統領と電話会談を行い、カマラ・ハリス副大統領も参加したという。バイデン自身が本当に会談できたのかどうかは不明だが、ホワイトハウスと話し合ったとは言えるだろう。 その会談で「バイデン」はイスラエルの安全保障に対する「イランからのあらゆる脅威」に関し、アメリカは公約を守ると確認したという。その「脅威」にはハマス、ヒズボラ、フーシ(イエメンのアンサール・アッラー)が含まれるという。イスラエルの防空システムを支援するだけでなく、アメリカ軍の新たな配備も約束した。ネタニヤフが望んでいた展開になっている。 イスラエルは7月31日、パレスチナ人殲滅作戦を展開しているハマスのイスマイル・ハニヤをテヘランで、またベイルート郊外ではヒズボラの最高幹部のひとり、フア・シュクルがそれぞれ暗殺された。イスラエルは一線を越えたのだが、これらの暗殺をアメリカ政府とイギリス政府は事前に承認していたと推測する人が少なくない。 アメリカはハニヤが暗殺された時点で強襲揚陸艦ワスプ、ドック型揚陸艦のニューヨークとオーク・ヒルをレバノンへ向かわせていたが、イギリスも艦隊をレバノンへ向かわせているようだ。 ところで、イスラエルはシュクル暗殺の理由としてゴラン高原のサッカー場に対する攻撃を主張している。ところが殺されたのはシリア人のドゥルーズ派。攻撃を目撃した住民は、着弾したのはイスラエルの防空システム、アイアン・ドームのミサイルだとしている。いつものことだが、イスラエル政府は嘘をついている可能性が高い。 イスラエルはイランに対する挑発を繰り返してきたが、これまでイランは効果的ではあるが最小限の報復にとどめてきた。戦争に勝てないことを自覚しているイスラエルはアメリカを引っ張り込むため、事態を悪化させてきた。ガザでも虐殺も絡む今回の暗殺に対し、イランはこれまでとは違い、厳しい報復が予想され、アメリカ軍は中東でも戦争を始めることになるかもしれない。ロシアからの安価な天然ガス購入にブレーキがかかっている日本にとっても中東情勢は重大な問題だ。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.03
ハマスの指導者でイスラエルとの交渉で中心的な役割を果たしてきたイスマイル・ハニヤは彼の護衛と部屋にいるところを精密誘導ミサイルに攻撃され、死亡したと伝えられた。イランの防空システムを回避していることから、攻撃に使われた戦闘機はステルスのF-35戦闘機の可能性が高いと言われている。 暗殺の4日前、7月27にはゴラン高原にあるサッカー場が攻撃され、10代の若者12人が死亡。いずれもシリアのドゥルーズ派で、イスラエルのユダヤ人ではない。そもそもゴラン高原はシリア領であり、イスラエルが不法占領、住んでいるのはシリア人だ。そこをヒズボラが意図的に攻撃するはずはない。この攻撃を目撃した地元の人はイスラエルの防空システム、アイアン・ドームのミサイルによるものだとしている。 しかし、イスラエル軍はレバノンのヒズボラが実行したと主張したのだが、言うまでもなく、証拠は提示されていない。そのヒズボラは責任を否定している。 ウクライナでも同じことが言えるのだが、ハニヤ暗殺に使われたタイプのミサイルは偵察衛星や偵察機で収集した情報が必要。つまりアメリカの軍や情報機関が攻撃を支援していた可能性がある。少なくともアメリカ政府が暗殺計画について事前に知らされていなかったとは考えにくい。これまでの経緯を考えると、イギリス政府も承諾していただろう。 勿論、イギリスやアメリカの場合、政策の最終的な決定権は政府の背後にいる強大な私的権力にある。具体的に言うならば、シティやウォール街を拠点とする金融資本を動かしている富豪だ。 昔から富豪は資産をタックスヘイブン(租税回避地)に隠してきた。ある時期まではスイス、ルクセンブルグ、オランダ、オーストリア、ベルギー、モナコなどが租税回避地として有名だったが、1970年代に入るとロンドンの金融界がオフショア市場のネットワークを築き、状況は一変した。ウォール街はシティからスピンアウトして出来上がったこともあり、シティとウォール街は緊密な関係にある。 そのタックスヘイブンのネットワークはジャージー島、ガーンジー島、マン島、ケイマン諸島、バミューダ、英領バージン諸島、タークス・アンド・カイコス諸島、ジブラルタル、バハマ、香港、シンガポール、ドバイ、アイルランドなどが含まれ、しかも信託の仕組みが取り入れられているため管理人以外は誰が所有者なのかを知ることができないことになっている。大英帝国が金融帝国として復活しているのだ。 イギリスには16世紀頃から自分を「イスラエルの王」の後継者だと信じる人がいる。そのひとりがスチュワート朝のジェームズ6世(スコットランド王。イングランド王としてはジェームズ1世)。ピューリタン革命を指揮したオリヴァー・クロムウェルの私設秘書を務めていたジョン・サドラーも同じように考えていたという。クロムウェル自身はキリストの再臨を信じ、「道徳的純粋さ」を達成しようと考え、ユダヤ人をパレスチナへ再集結させてソロモン神殿を再建すると考えていたとされている。 しかし、クロムウェルの一派は倒されて国教会の君主制が復活、ユダヤ人のための国家創設提案(シオニズム)は放棄された。それが復活するのは18世紀、アメリカにおいてだ。 18世紀以降、数秘術などオカルト的な要素が加わり、優生学を結びつくことになる。アメリカを支配していると言われている「WASP」は白人、アングロ・サクソン、そしてプロテスタントを意味していると言われているが、アメリカの友人によると、「P」はプロテスタントではなくピューリタンのイニシャルであり、WASPはクロムウェルの後継者だともいう。 イギリスでは19世紀からシティを拠点とする富豪が国政への影響力を強め、ロシア制圧を目指して南コーカサスや中央アジア戦争を開始。いわゆる「グレート・ゲーム」だ。これを進化させ、理論化したのがイギリスの地理学者、ハルフォード・マッキンダーである。ユーラシア大陸の周辺部を海軍力で支配し、内陸部を締め上げるという戦略だ。 イギリス政府は1838年にエルサレムで領事館を建設、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査している。1868年2月から12月、74年2月から80年4月までの間イギリスの首相を務めたベンジャミン・ディズレーリは1875年、スエズ運河運河を買収。買収資金を提供したのは友人のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。イギリスは1882年に運河地帯を占領し、軍事基地化している。(Laurent Guyenot, “From Yahweh To Zion,” Sifting and Winnowing, 2018) ディズレーリは1881年4月に死亡するが、その直後からフランス系のエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドがテル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人の入植者へ資金を提供しはじめた。この富豪の孫がエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドだ。 中東で石油が発見されると、イギリスとフランスはその利権を手に入れようとする。そして1916年に両国は協定を結んだ。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからサイクス-ピコ協定と呼ばれている。 その結果、トルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをフランスが、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスがそれぞれ支配することになっていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するためにアラブ人の反乱を支援。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンスもいた。「アラビアのロレンス」とも呼ばれている、あのローレンスだ。 パレスチナではシオニストがイギリスの手先として使われることになり、イスラエルの「建国」に繋がったのだが、シオニストとユダヤ教徒を同一視してはならない。イギリスにおけるシオニストの歴史を振り返ると、始まりはキリスト教徒だ。 イスラエルが「建国」された当初、その「新国家」を支えていたのはイギリスとフランス。アメリカが加わるのはリンドン・ジョンソン政権になってからと言えるだろうが、今ではアメリカがイスラエルを支える大黒柱になっている。そのアメリカはハニヤが暗殺された時点で強襲揚陸艦ワスプ、ドック型揚陸艦のニューヨークとオーク・ヒルをレバノンへ向かわせていた。 ハマス、ヒズボラ、イエメン、そしてイランなどを相手にした戦争でイスラエルが勝つことは難しいの見られている。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は一線を超えた挑発を行い、大規模な報復攻撃を引き出してアメリカを戦争へ引きずり込もうとしているとも推測されているのだが、アメリカが勝てる可能性も大きくはない。 こうした動きの中、注目されているのが「ソロス」。ハマスは元々ムスリム同胞団で、創設にはイスラエルが関与していた。アラブ諸国がイスラエルによるパレスチナ人弾圧に沈黙する中、唯一戦っていたファタハの指導者、ヤセル・アラファトの影響力を低下させようとしたのだ。イスラエル政府はアラファトのライバルとしてムスリム同胞団のシーク・アーメド・ヤシンに目をつけ、ファタハのライバルとしてハマスを1987年12月に作り上げたのだ。 そしてヤシンは2004年3月に暗殺され、アラファトは同じ年の11月に死亡した。アラファトは毒殺された可能性が高い。この時点でファタハはイスラエルにとって脅威ではなくなり、ハマスの役割は終わったと判断されたのかもしれないが、シーモア・ハーシュによると、ベンヤミン・ネタニヤフは首相に返り咲いた2009年、PLOでなくハマスにパレスチナを支配させようとした。そのためネヤニヤフはカタールと協定を結び、カタールはハマスの指導部へ数億ドルを送り始めたと言われているのだ。ネタニヤフはムスリム同胞団との繋がりを維持していた。 軍事産業をスポンサーにし、金融資本とも関係があるヒラリー・クリントンはジョージ・ソロスの指示を受けていたことが明らかになっているのだが、ヒラリーの側近中の側近と言われるフーマ・アベディンはムスリム同胞団の中枢につながる家系の人間だ。そのアベディンが2010年から2016年まで結婚していたアンソニー・ウィーナーはユダヤ教徒で、ネオコンに属している。そして今年7月、彼女はジョージ・ソロスの息子であるアレキサンダー・ソロスとの婚約を発表した。そのアレキサンダーはカマラ・ハリスを次期大統領に推している。 ハリスは2004年1月から11年1月までサンフランシスコ第27地区検事を、また11年1月から17年1月までカリフォルニア州司法長官を務めているのだが、その当時、彼女は冤罪の可能性が高いと言われているケビン・クーパーという死刑囚のDNA鑑定を求める訴えを退けている。 それ以外にも司法の当事者として不適切なことを行っていたと言われていた。州司法長官時代のカマラは人びとを刑務所へ入れることに熱心で、不登校の子どもの親も刑務所へ送り込んでいたのだ。また安い労働力を確保するため、保釈金を引き上げて仮出所を拘束し続けたと言われている。 その検事時代からジョージ・ソロスはカマラ・ハリスを庇護、2020年の大統領選挙でも彼女を支援されていたのだが、脱落した。
2024.08.02
イランのイスラム革命防衛隊(IRGC)は7月31日、ハマスの指導者で、イスラエルとの交渉で中心的な役割を果たしてきたイスマイル・ハニヤがテヘランで殺害されたと発表した。護衛のひとりも一緒に殺されている。通常はカタールを拠点にしているハニヤだが、イランの新大統領マスード・ペゼシュキアンの就任式に出席するため、イランの首都に滞在していた。 ペゼシュキアンの前任者、エブラヒム・ライシは5月19日に搭乗していたアメリカ製のベル212ヘリコプターが墜落、死亡している。同行していた別のヘリコプター2機はロシア製で、何の問題もなく帰国した。この当時、イランはアメリカの代表団とオマーンやニューヨークで秘密交渉を続けていたという。 ライシは5月18日、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領とダムの落成式に出席していているのだが、ライシが帰国の途についたタイミングでアメリカのC130輸送機がアゼルバイジャンに到着したと噂されている。墜落の真相は不明だが、単純な事故だと考えない人が少なくない。 ハニヤのケースも真相は不明だが、イスラエルやアメリカを疑いの目で見る人もいる。暗殺は両国の常套手段だ。アメリカの情報機関には自国の大統領を暗殺した疑惑がある。 そのアメリカ軍はイスラエルの協力を受け、2020年1月3日、イスラム革命防衛隊の特殊部隊とも言われるコッズ軍を指揮していたガーセム・ソレイマーニーをバグダッド国際空港で暗殺している。その当時、イランとサウジアラビアは関係修復を目指し、交渉を始めていた。ソエイマーニーはイラン側のメッセンジャーだったのだ。アメリカやイスラエルは平和を恐れている。 ハニヤ殺害をベンヤミン・ネタニヤフの訪米と結びつけて考える人もいる。ネタニヤフはイスラエルの首相として7月22日にアメリカを訪問し、24日には連邦議会の上下両院合同会議で演説した。イスラエル軍がガザで続けている住民虐殺を正当化するために作り話を延々と続けたのだが、議員たちは何度も立ち上がって拍手喝采している。先住民であるアメリカ・インディアンを虐殺して建設されたアメリカの議員だけはある。この訪米の際、ネタニヤフはレバノンへの軍事侵攻と共に、ハニヤの殺害も承認されたのではないかと推測する人もいる。 その一方、27日にはゴラン高原にあるサッカー場が攻撃され、10代の若者12人が死亡したとイスラエルは発表した。この攻撃を目撃した地元の人はイスラエルの防空システム、アイアン・ドームのミサイルによるものだとしているが、イスラエル軍はレバノンのシーア派が実行したと主張している。ゴラン高原はイスラエルが不法占領しているシリア領。ヒズボラがシリア領を攻撃することはないと指摘する人が少なくない。 目撃者や状況証拠はイスラエルのミサイルがゴラン高原に着弾したことを示しているが、イスラエル軍はその責任をヒズボラに押し付け、「報復」だと称して攻撃を強めている。こうした軍事作戦もネタニヤフのアメリカ訪問と無関係ではないだろう。 この攻撃に限らず、アメリカやイスラエルは有力メディア、インターネット、映画業界などを駆使してプロパガンダで自分たちに都合の良いイメージを世界に広めてきた。アメリカは第2次世界大戦の前からプロパガンダを重視していたが、大戦後にはモッキンバードと呼ばれる情報操作プロジェクトを開始、1970年代から「規制緩和」でメディアの集中支配を推進、気骨あるジャーナリストを排除した。 1983年1月にはロナルド・レーガン大統領がNSDD11に署名、「プロジェクト・デモクラシー」や「プロジェクト・トゥルース」をスタートさせる。「デモクラシー」という看板を掲げながら民主主義を破壊し、「トゥルース」という看板を掲げながら偽情報を流し始めたのである。 20世紀の終盤にメディア支配はさらに強化される。例えばCNNではNATOがユーゴスラビアを先制攻撃して破壊した1999年、アメリカ陸軍の第4心理作戦群の第3心理作戦大隊に所属する隊員が2、3週間ほどCNNの本部で活動していたことも明らかになっている。この部隊の主要な仕事のひとつは「選別された情報」、つまり支配層にとって都合に良い話を広めることだ。 情報操作の分野ではイスラエルの8200部隊も有名だ。この機関はアメリカとイギリスの電子情報機関、つまりNSAとGCHQと緊密な関係にあり、協力して地球上の全通信を傍受、記録、分析している。NSAとGCHQの下部機関としてカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの情報機関が存在している。 8200部隊は少なからぬ「民間企業」、つまり「企業舎弟」を設立して情報操作のネットワークを築いている。そうした企業のひとつであるNSOグループが開発した「ペガサス」は、通話、電子メール、写真、GPSデータ、アプリ関係の情報などを盗みむことができる。 また「オンラインの偽情報対策」を看板に掲げているイスラエルのテクノロジー会社、サイアブラも8200部隊の企業舎弟だと言える。取締役の中にアメリカの国務長官を務めたマイク・ポンペオが含まれているが、それだけではない。この会社を共同で設立した3名はイスラエルの情報機関で主要なメンバー。 そのひとりでCEOのダン・ブラミーはサイアブラを設立する前、イスラエル軍で射撃や戦闘の教官を務めていた。またヨセフ・ダールは8200部隊出身。この部隊は世界規模のデジタル監視網を利用して個人データを集積し、弱みを握り、脅迫、ゆすりに利用している。ダールは2004年から2014年まで8200部隊の幹部だった。イド・シュラガはイスラエル軍のサイバーシステム・エンジニアだった。当然、全てのパレスチナ人は彼らの監視対象になっている。ハマスなど反イスラエル抵抗組織の幹部の動向も把握しているはずで、イスラエルに対する奇襲攻撃という筋書きは説得力がない。 NSOグループやサイアブラだけでなく、8200部隊の「元隊員」数百人がシリコンバレーで働き、グーグル、マイクロソフト、アマゾン、メタなどで影響力のある地位を得ている。 2019年7月に性犯罪の容疑で逮捕され、同年8月に房の中で死亡たジェフリー・エプスタインは要人の弱みを握り、脅迫やゆすりに利用していた。このエプスタインは大学をドロップアウトした後、1973年から75年にかけてマンハッタンのドルトンスクールで数学と物理を教えていたが、76年には教え子の父親の紹介で投資銀行のベア・スターンズへ転職、その時の顧客の中にエドガー・ブロンフマンがいたという。 「世界ユダヤ人会議」の議長を務めた経験があるエドガー・ブロンフマンは密造酒の家系で、父親のサミュエル・ブロンフマンはルイス・ローゼンスティールの密造酒仲間。エドガーの弟、チャールズが1991年に創設した「メガ・グループ」はイスラエル・ロビーとされているが、イスラエルの情報機関と緊密な関係にあると言われている。 大学をドロップアウトしたエプスタインを教師として雇い入れたのはドルトンスクールの校長をしていたドナルド・バー。司法長官を務めたウィリアム・バーの父親だ。ウィリアムはCIA出身で、その時代にはジョージ・H・W・ブッシュの部下だった。またドナルドはCIAの前身であるOSSに所属していた。 エプスタインは未成年の女性と有力者を引き合わせ、ふたりの行為を盗撮し、それを利用して後に恫喝の材料に使っていたと言われている。そのエプスタインは2011年にビル・ゲイツと親しくしていたとニューヨーク・タイムズ紙が伝えたのは2019年10月12日のことだった。 エプスタイン、彼と親密な関係にあったギスレイン・マクスウェル、そして彼女の父親であるイギリスのミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルはいずれもイスラエルの情報機関のために働いていたという。マクスウェルはエプスタインをイランとの武器取引に加えようとしていたようだ。イスラエル軍の情報機関ERDに所属、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経験のあるアリ・ベンメナシェによると、3名ともイスラエル軍の情報機関(AMAM)に所属していたのだ。(Zev Shalev, “Blackmailing America,” Narativ, Septemner 26, 2019) ロバート・マクスウェルがAMANのエージェントになったのは1960年代だとも言われ、ソ連消滅でも重要な役割を果たしたと言われいるが、ソ連消滅の前の月、つまり1991年11月にカナリア諸島沖で死体となって発見されている。 ギスレインとエプスタインは1990年代に知り合ったとされているが、ベンメナシェによると、ふたりは1980年代に親しくなっている。ニューヨーク・ポスト紙の元発行人、スティーブン・ホッフェンバーグによると、ふたりはあるパーティで知り合ったという。**********************************************【Sakurai’s Substack】
2024.08.01
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