《櫻井ジャーナル》

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2015.03.06
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 駐韓アメリカ大使のマーク・リッパートがソウルで切りつけられ、顔に約80針という怪我を負って入院したという。容疑者が1999年から2007年にかけて朝鮮を7回訪れていることを強調する報道もあるが、背景など詳しいことは不明。

 朝鮮の国営メディアは、リッパート大使襲撃は合同演習への「当然の罰」だと表現したというが、今の時点で朝鮮にアメリカ大使を襲うメリットはなさそうだ。もし、朝鮮政府がそうしたことを計画していたとしても、ロシアが許さないだろう。

 天然ガスを韓国へ送るパイプライン、資源の開発、あるいは鉄道の建設を考えているロシアは2年ほど前から朝鮮に接近し、朝鮮がロシアに負っている債務の90%(約100億ドル)を帳消しにし、10億ドルの投資をすると提案している。ロシアが5月9日に予定している対ドイツ戦勝利70周年の記念式典へ金正恩第一書記を招待したが、これもそうした流れの中から出てきたこと。金正恩としても、ロシアとの関係を壊すようなことはしたくないだろう。

 昨年12月、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(PSE)を朝鮮がハッキングしたとアメリカの政府や有力メディアは騒いでいたが、これもロシアと朝鮮の動きと関連している可能性は高い。戦乱で地域を破壊、自分たちが優位に立つという戦術をアメリカは実行してきた。中東/北アフリカや旧ソ連圏はその犠牲になっている。次は東アジアだと推測している人は少なくない。

 大使襲撃事件では、早い段階から少なからぬ専門家が内部犯行説を唱えていた。サイバーセキュリティーのトップ企業として知られるノースは、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(PSE)をレイオフされた人物がハッキング・グループの協力を受けて実行したと推測している。 こうした推測が専門家の間では強い

 当初は FBI もこうした推測に近い見解を持っていたようだが、すぐ政府に同調する。朝鮮がハッキングしたとバラク・オバマ政権は証拠、根拠の類いを示さずに主張していた。そのFBIに対してノースは12月29日に証拠を示しながらFBIに説明したが、興味を示すことはなかったという。

 こうした騒動のおかげで金正恩第一書記を暗殺するという「ザ・インタビュー」は注目されて大ヒット、興行的にも成功した。この映画をプロデュースし、主役も演じたセス・ローゲンは親イスラエル派として知られ、両親が知り合ったのはイスラエルのキブツだという2代続けて筋金入りの親イスラエル派。ジャーナリストのウェイン・マドセンによると、イスラエル軍がガザで行った虐殺を支持、この点はもうひとりの主役、ジェームズ・フランコも同じだという。

少なくとも2名のアメリカ政府高官がラフ・カットを、つまり編集途中の映像を6月の終わりにチェックし、有効なプロパガンダだと賞賛していたという のだ。第一書記の頭を吹き飛ばす場面は国務省の意向だったともされている。

 リッパート大使を襲った人物が朝鮮へ最初に訪れた1999年といえば、日本では「周辺事態法」が成立し、アメリカでは朝鮮の金体制が崩壊した場合に備えるとして新たな構想が検討されはじめてCONPLAN(概念計画)5029が作成されている。5029は2005年にOPLAN(作戦計画)へ格上げされた。

 その前年、アメリカはOPLAN(作戦計画)5027-98を作成しているが、この計画は当時の金正日体制を倒して国家として朝鮮を消滅させ、韓国が主導して新たな国を建設するという内容。その直前、日本では「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」をまとめている。

 アメリカと韓国/朝鮮との関係を考える場合、忘れてならないのは朝鮮戦争。この時、アメリカ空軍は大規模な爆撃を実施、朝鮮の78都市と数千の村を破壊した。この作戦を指揮していたのは、あのカーチス・ルメイ。彼自身の話では、3年間に人口の20%にあたる人を殺したという。朝鮮が先制攻撃したと日本では言われているが、逆だった可能性が高いことは本ブログでも何度か書いた。

 言うまでもなく、ルメイは日本でも大都市に対し、住民を焼き殺す目的で大規模な空爆を実施、広島や長崎には原子爆弾を投下した責任者。大戦後、1948年から57年にかけてSAC(戦略空軍総司令部)の司令官を務めているが、このSACが1954年に立てた計画によると、600から750発の核爆弾をソ連に投下、2時間で約6000万人を殺すことになっていた。

 1956年にルメイたちは1000機近いB47爆撃機をアラスカやグリーンランドの空軍基地から飛び立たせ、北極の上空を通過、ソ連の国境近くまで飛行してUターンさせるというソ連攻撃の演習を実施、ようするにソ連を挑発している。

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、 アメリカ軍がソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせたのは1957年初頭 。先制核攻撃に必要なICBMを準備できるのは1963年の終わりだとルメイなどの好戦派は見通していた。この当時から現在に至るまで、西側ではソ連/ロシアが攻撃、アメリカは防衛というシナリオで議論することが圧倒的に多いが、実際は逆だった。

 1961年に大統領はドワイト・アイゼンハワーからケネディに交代、7月に軍や情報機関の幹部が新大統領に核攻撃のプランを説明したという。キューバ侵攻作戦もこうしたプランの一環だと見るのが自然だ。つまり、ソ連がアメリカへ中距離ミサイルで報復するためには、アメリカ周辺に発射基地を建設する必要があり、その有力な候補地がキューバだったということだ。

 ケネディが大統領に就任して間もなく、CIAの支援を受けた亡命キューバ人の部隊がキューバへの軍事侵攻を試みて失敗するが、これは予定通りだったと言われている。亡命キューバ人部隊を救援するという形でアメリカ軍を投入、軍事制圧したかったようだが、これをケネディは拒否、その後、アレン・ダレス長官をはじめCIAの幹部を追放、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーの再任を拒否している。ただ、好戦派との全面対決を避けるためにルメイを空軍の参謀長に任命したが、これは間違いだったように見える。

 1962年8月にソ連が中距離ミサイルをキューバへ運び込んでいることが発覚、10月にルメイを中心とする統合参謀本部の強硬派は大統領と会った。好戦派はすぐにソ連を攻撃するべきだと詰め寄っていたというが、大統領はキューバにミサイルが存在する事実を公表したうえで海上封鎖を宣言するに止めた。



 好戦派がソ連を先制核攻撃するチャンスだと考えていた1963年の後半、11月22日にケネディ大統領は暗殺された。日本や朝鮮で住民を大量虐殺、ソ連に対する先制核攻撃を目論んでケネディ大統領と対立していたルメイに対し、大統領が暗殺された翌年の12月7日に日本政府は勲一等旭日大綬章を授与した。航空自衛隊の育成に協力したからだという。





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最終更新日  2015.03.07 15:03:02


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